⑤ 下心なくとも恋心
佐出さんの一件に首を突っ込んだ翌日。
一応、あれで事態は収まっただろうと思っていたが、ああいったいじめ問題は根が深く、長引くことも多い。
なので、改めて彼女たちが出会った時に、どのような展開になるのかを心配していた。
しかし、結果からいえば、その心配は杞憂に終わった。
「どうしたのかな…、東さんたち。昨日から、なんか元気ないよね」
「元気っていうか、覇気がないって感じ。棘が無くなって、ちょうどいいくらいになったんじゃない?」
周りの女子もひそひそと噂しているように、主犯格と思われる東が大人しくなったことで、あのグループの勢力は著しく衰えた。
傍に寄りそう高橋が、彼女を見捨てずに励ましているので、それも少し意外だった。
今度は立場が逆転して、東がいじめられる側になったり、高橋が彼女を見捨てて、まるで昨日までの関係がなかったかのように振舞う薄情者の可能性の方が高いと思っていたからだ。
そして、実は一番ヤバい人物だった田村は、まだ姿を現していない。
「あー、いたいた。もう、なんで昨日すぐ帰っちゃったのー?」
彼女のこんな元気で明るい声を聞いたのはすごい久しぶりな気がして、ちょっとした別人かと思ったが、紛れもなく佐出怜空本人だった。
一体誰に話しかけているのだろうと疑問に思ったが、彼女が元気を取り戻したのであれば、相手が誰であろうと良い方に転んだのだと安心する。
「ねぇねぇ、なんで無視するの?」
どこの誰だか知らないが、返事してやれよと思っていたら、ポンっと肩に手を置かれた。
大耀はすぐ目の前にいるのに、馴れ馴れしくそんなことをするのは、どこのどいつだと思って振り返れば、少しむくれた表情を浮かべる彼女が迫っていた。
「…え、俺?」
てっきりクラスの男子がふざけてやってるのかと思っていたので、その時の俺は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたことだろう。
「他に誰がいんのよ。さっきから呼んでるのに、無視するんだもん。酷いよ…、昨日はあんなに優しくしてくれたのに…、所詮あたしは遊びだったのね……」
無視された腹いせとでもいうように、ヨヨヨ…と泣き崩れる姿を見せれば、周りにいた男どもが一斉に反応する。
「おい! 今の話は本当なのか!?」
「どういうことなんだ!? 詳しく!」
「雅君ちゃんに続いて、二人目だぞ! しかも、かわいい子ばっかだ!」
「古雲許すまじ、マジ古雲許すまじ…」
「早くなれ~、小さくなれ~、皮被れ~」
「変な呪いをかけようとするのは、やめろ! 下ネタじゃねーか!!」
騒ぎ始めた男たちの怒号は鳴り止まず、事態の収拾を図る前に先生がやってきて、朝のHRが始まったことで一旦その場は落ち着いた。
改めて、授業前の時間に経緯を話すと、ようやく事態が鎮静化した。
「ほうほう、なるほど。お腹が痛くて動けずにいた彼女を、保健室まで運んでやった…とそういうわけだな?」
「まぁ、端的に言えばそうだ。実際、昨日は午後の授業出てなかっただろ?」
「うーん、確かに…」
「でも、確かその時って、桐灯も一緒に行ってなかったか?」
「それなら、古雲の一人勝ちってわけにもならんだろ。そこんとこ、どうなんだ?」
「そうだぞ。そこはオイラ自身が一番納得してないんだからな!」
大耀の奴も向こうに加勢してしまったので、お前はどっちの味方なんだと心底疑った。
「あー、それは…ほら、調子に乗って余計なとこまで触ろうとしたからじゃないか?」
「ぐぬぬ……」
「…それなら、仕方ない」
ここにきて日頃の行いが顕著に表れたようで、今の説明を聞いてやっと納得してもらえたようだった。
嘘は吐いていないが、あながち間違った説明をしたわけでも無い。
本来、あまりこういうことはしたくないのだが、時には自分の信念を曲げてでも、守るべきものはある。
集まっていたむさ苦しい連中は、蜘蛛の子を散らすように散開し、それぞれ次の授業の準備をし始めた。
「話は終わった?」
「あぁ…誰かさんがややこしくしなければ、もっと簡単に終わってただろうけどな」
「あー、ひどーい。そういうこと言うんだ」
「それで、何か用あったんじゃないのか?」
「それは、まあ…ね。昨日のお礼、帰りに改めて言おうと思ってたのに、もう帰っちゃったって聞かされて、あたし二人の連絡先も知らないし、言いたくても言えなかったから」
「なんだ、そんなことか。それなら、もう昨日ちゃんと貰っただろ、それで十分だ。俺は俺がしたいようにしただけだし、過度に恩義を感じる必要は無いって」
見た目からすると、チャラチャラしたような印象を受けるので、意外と律儀な女だと感心した。
「その言葉を借りるなら、あたしもあたしがしたいようにしてるだけだよ。それで、これからは二人と仲良くしたいなって、ね? ダメかな?」
「ダメじゃない! 全然っ、ダメじゃないって! 仲良くしようぜ、怜空ちゃん!!」
一緒に話を聞いていた大耀が、俺よりも先に返事をしてしまい、早々に結論が出てしまった。とはいえ、俺だって仲良くするのは吝かではない。
「うわ、必死過ぎ…。しかも、めっちゃ馴れ馴れしいんですけど…。まぁ、でもいっか。それなら、あたしも遠慮なく距離詰めちゃうもん。ねー、ノブっち?」
「えぁぇ? もしかして、それ俺のことか?」
「うん、もちろん。あたしのことも、下の名前で呼んでくれて良いからね。苗字にさん付けとか、他人行儀で嫌だもん」
「じゃあ、怜空…さん、いや、怜空ちゃんか…?」
呼び慣れない呼称に戸惑いを隠せないが、当の本人はそれでも浮かれているようだった。
頬を赤らめつつも、食い入るように見つめてきて、目力が強い。
「んっと…、怜空って呼んで。さんとかちゃんとか要らないから、呼び捨てが良い…」
「れ、怜空…」
「言い淀まないで、ハッキリ」
「怜空…」
「もっとバシッと、吐き捨てるように」
「怜空」
「ぁぁ……、キュン死しそう…」
彼女のディレクションの下、何度も言わされる羽目になり、その結果自滅していたが、確かにこの方がしっくりくる気もしていた。
「怜空ちゅわぁ~ん、オイラはなんて呼ぼうかー?」
「…キモ。一気に冷めたわ。サガるー」
「えぇ…? 何その温度差、オイラの方が風邪ひいちゃいそうだよ」
「あ、そうそう。忘れないうちに、連絡先交換しようよ。気軽にメッセくれて良いからね?」
「オッケー。毎日欠かさず送ったる」
「アンタにも一応教えるけど、そこは遠慮しなさいよ。弁えて欲しいわ」
今まで、彼女とこうしてちゃんと話す機会が無かったので誤解していたのかもしれないが、少しずつ彼女の本質が見えてきた気がする。
「ねね、ノブっち。SNSもやめちゃったし、今度からあたしの自撮り画像送ってあげよっか? 何なら、ちょっとくらいエッチな奴も――」
「い、良いって…そんなことしなくて」
「オイラは欲しいぞ。今までの分も、全部くれ」
「イ・ヤ!」
「こいつはこいつで、懲りないなぁ…」
こうして、平凡な学校生活の中に、新しい風が舞い込んで来ることとなった。
思いがけず、怜空の連絡先を入手してしまった日の昼休み。
今日はいつものの食事風景とは、少し違っていた。
どうやら、今日は学校を休んだらしい田村は未だ姿を見せず、東・高橋の両名も静かなものだ。
おかげで、これまで抑圧されていた怜空が活気を取り戻し、クラスの闇であった彼女たちを見る周りの女子生徒の目も変わりつつある。
この様子なら、俺たち男が関与できない男女別に分かれた授業や更衣室、女子トイレなどでも、何かされる危険性は著しく減っていくだろう。
主犯格が大人しくなったことで、自己保身の為に仕方なくいじめに関与していた女子たちも、ピアプレッシャー(仲間圧力)から解放されれば、自ら進んですることもあるまい。
以前は、休み時間の度にわざわざ俺の席にやってくるのは、大耀くらいなものだったが、今日は怜空も付いてきていて、余計賑やかになっていた。
悪くは思わないが、これはこれで別の噂が流れてしまいそうな気がしてならない。
そんな心配を余所に、彼女は昼休みも当然のようにやってきて、三人で昼飯を食べることになった。
「そういえば、二人は普段何してんの? 昨日も、さっさと帰っちゃったみたいだし…、まさか家帰ってずっとシコシコしてるわけでもないでしょ?」
「あのなぁ…」
年頃の女の子が食事中にそんなことを言うものかと、カルチャーショックを受けてしまう。
「へへ…、だったらどうする? 毎日、怜空ちゃんの恥ずかしい姿を思い浮かべて、してるかもしれないぜ?」
「わざわざあたしじゃなくても良いんだけど、普通に嫌ね。アンタはもちろんだけど、ノブっちでも…嫌かなぁ…」
「それが正常な感覚だと思うぞ。特殊な仕事でもしてない限りはな」
「うん…。だってさぁ…、目の前に本物がいるんだから、妄想のあたしでしなくても良くない?」
「そら、怜空ちゃんがしてくれるなら、ナンボでも出せまっせ」
「アンタには、言ってないから」
「そういう距離感じゃないだろ、今も昔も。それとも、犯して欲しかったのか?」
「ぇ…、まぁ…ノブっちになら、良いかも…」
「重症だな…」
さっきから、全然冗談が通じない。昨日の今日で、どうしてしまったんだ。それとも、元からこれだけ頭がおかしいから、あんな目に遭ってしまったのか。
「恋の病って奴か? 羨ましいねぇ、このこのぉ!」
女の子に好かれること自体は、悪い気はしない。それが、かわいい女の子であれば尚更だ。
でも、今まで興味もなかった男へ急に入れ込むのは不自然だ。何か理由があるに違いない。
もしかしたら、誰かが彼女を助けることすら計算に入れて、次はそれに引っかかったヒーロー気取りの男を陥れ、面白がってやろうと企んでいる奴がいるのではないか。
ろくにモテない人生を歩んできた為に、そういったマイナス思考が働き、この場にいない田村の策略を疑った。
「んで、実際どうなの? バイトでもしてんの?」
はぐらかしていたわけではないが、完全に話が逸れてしまったので、彼女から改めて質問を投げかけられた。
デザートのさくらんぼを口にしながら、何気なく話しているくらいなので、その興味というのがどこまで本気のものかも不明だったが、特に隠すものでもない。
「普通にゲームして遊んでるだけだな」
「二人で?」
「あぁ。オンラインでやる方が多いけど、休みの日とかまとまった時間がある時は、どっちかの家行ってやることもある」
「じゃあ、ゲームって言っても、ソシャゲじゃなさそうだね」
「そもそも、オイラたちはもうほとんどソシャゲなんてやってないしな」
「ホントにちょっとした時間潰しくらいだもんな」
「ふーん、そうなんだ。でも、あたしもそうかな。一時期やってたけど、SNS使ってる時間の方が長くて、全然できなくなっちゃったし」
「あー、あの時間無駄なんだよなぁ。あんまり流行りとか興味ないし」
「そうそう、それだったら、一戦潜った方がよっぽど面白いぜ」
「ん? 何の話?」
「アバだよ、アバ。ABCXくらい知ってるだろ?」
「あー、知ってる知ってる! 二人ともやってるの!?」
「やってるも何も…ここんとこ、そればっかかなー」
「あれって、確か三人一組でしょ?あと一人、誰と組んでるの?」
「三人でやる時は、一人野良入れてやってんね。二人一組のモードもあるから、そっちでやることもあるし」
「じゃあ、ちょうどいいかも! あたし、あれやってみたかったんだー。でも、初心者が一人でやるのって荷が重くって。ほら、マナー悪い人とか、初心者に優しくない人の噂も聞くし」
「あぁ、そんならいいじゃん。オイラたちが、手取り足取り教えてやんよ。一緒にやろうぜ」
「あたしは願ったり叶ったりだけど、アンタが言うと、なんかやらしく聞こえてイヤー。ノブっちに教えてもらうー」
「それは別に構わないけどさ。見知った仲でやれるなら、それに越したことは無いし。二人一組のデュオだと、集まるまで結構時間掛かることもあったからなぁ…」
「へぇ、デュオって言うんだ。どうせなら、カップルってモードがあれば、ノブっちと一緒にやりたかったのになー?」
「おいおい、早速オイラが仲間外れかよ。フレンドリーファイアが無いゲームでよかったなぁっ!」
「ガチ初心者だから、足引っ張ると思うけど、よろしくね、ノブっち」
怖い形相を浮かべる大耀のことを気にもせず、楽しそうに笑う彼女を見ていると、邪推していた俺がバカみたいに思えてしまった。
「どうしてこうなった…」
「ん? ふふっ…」
例の一件を経て、佐出怜空から妙に懐かれてしまったらしく、彼女との関係性が大きく変わった。
そもそも、接点すらなかったものの、話してみれば彼女もゲーム好きだったらしくすっかり意気投合した。
ABCXについてもFPSは初めてだとはいえ普段からゲームをプレイしているだけあって操作に慣れるのはあっという間で、メキメキと腕を上げた彼女の腕前は下手の横好きだった俺たちと大差無いほどになっていた。
一緒に遊ぶようになったのが、ちょうどGW直前だったのもあり、連休を利用して共に過ごす時間が増えたのも、その要因の一つだろう。
そこまでは良い。問題は、その後だ。
まだGW真っ只中の今日も、昨日みたいに遊び倒すつもりでいたが、彼女からの連絡で予定が変わった。
最寄り駅を聞かれ、昼過ぎにそこまで来て欲しいと言われたので、前谷の方にでも買い物に行きたいから荷物持ちにでも付き合わされるのだろうと思っていたが、その予想は全く外れた。
電車に乗る為、改札へ向かおうとしたところで彼女に引き留められ、自宅へ案内するように言われた。
どうやら、彼女は元々そのつもりだったらしい。思えば、連絡先を交換した後、すぐに作られた三人のグループチャットにも、今日俺が遊べなくなる旨を伝えていたのに、彼女は何も言ってなかったと気づかされる。
そして、前もって言っていたことが仇になったのか、あえて彼女がそれを見越して今日を選んだのかは分からないが、今この家には俺たち二人しかいない。
両親はGWの休みを利用して、千葉にある東京まで出かけてしまっているし、大耀にはまだ伝えてないので、まさか今ここに彼女が来ているとは夢にも思わないだろう。
「全く、一体どういうつもりなんだ?」
嫁入り前の女の子が、年頃の男の家に行くなんてけしからん!と古い考えを押し付けるわけではないが、それにしても無防備すぎる。
格好にしてもそうだ。少しは気候も暖かくなってきたからといって、肩の露出もあるオフショルダーのニットは、彼女の身体の線に合わせて膨らみ、胸の辺りなんて大きく迫り出してる。
下もタイトのミニスカートだし、生足が眩しい上に、ちょっとしたことで中が見えてしまいそうな危うさがある。
もしかして、今日もあの日見たような派手なパンツを履いていたりするのだろうか。
「どうって…? あたしは、ただノブっちの家へ遊びに来てみたかっただけだもーん」
「あのなぁ…」
格好も無防備なら、言動にも問題がある。
足の踏み場もないほど散らかっている狭い部屋でもないのに、わざわざ引っ付いて来ては、腕を絡ませて胸を当ててくるのだから、誘っているとしか思えない。
「だって、二人とも絶対あたしに遠慮してるでしょ? まとまった時間がある時は、家に集まってオフでも遊ぶって言ってたのに、全然お家に呼んでくれないんだもん」
「それで、強硬策をとったってことか…」
彼女の言うように、元々半日くらい空いているような日に遊ぶのであれば、俺か大耀の家へ集まって遊ぶ習慣になっていたが、思春期の女子が男子の家に足を運ぶのも、自分の家に招くのも嫌だろうと思って、ここ数日ずっとそれぞれの自宅からネットを通じて遊んでいた。
「でも、それだったら、わざわざ内緒にしなくても、大耀も呼ぶなり、あいつの家でも良かったじゃないか」
「えー、それを聞いちゃう?」
他人の胸元を指でなぞり始め、勿体付けたようになかなか言葉を続けなかった。
「だってぇ…、二人きりになりたかったんだもん…。ダメ…だったかな?」
「今度はあいつを仲間外れにしてみろ。あんまりいい気はしないだろ?」
「それは…そうだけどぉ…。あたしの気持ちも汲んで欲しいなぁ…?」
俺の言いたいことは分かってくれたようだが、そう簡単に引けるものでもないらしい。彼女にも、彼女なりの考えがあるということだろう。
「俺だって男だ。あんまりそんな風に言われてると、本気にしちまうぞ」
「あたしは、本気にして欲しいから、言ってるんだけどな…」
「だから、そういう言動が…、あぁっ、もうっ!」
「きゃっ!!」
口で言っても分からなそうだと判断した俺は、衝動のままに彼女をベッドへ押し倒した。
「誠直くん…」
しかし、馬乗りになって彼女を見下ろしてみても、残念ながら俺の思いは通じて無さそうだった。
「(なんで、そんな期待の籠った目で見るんだよ…)」
自分のベッドにクラスでもトップクラスにかわいい女子が寝ている光景は、不思議でならない。それ故に興奮を覚えるものの、今はそういう場合じゃない。
「怜空は、女子の中でも特にかわいい方なんだから、そんな言動ばっかり繰り返してたら、こうやっていつ男に襲われてもおかしくないんだぞ」
「……誠直くんだったら、いいよ」
こういう時に限って、いつものふざけた呼び方ではなく、ちゃんと名前を呼ぶのも卑怯だ。
普通なら、もうまんまと彼女の誘惑に負け、心を奪われてしまっても仕方ない。
「そういう問題じゃないだろ。他の男に、誰とも知らない奴に犯されても良いってのか?」
「そんなことない! だから、誠直くん以外の男子には、そういうこと言わないようにしてるもん。クラスの男子とかへの対応を見てたら分かるでしょ?」
「でも…、それじゃあ――」
まるで好きって言ってるみたいじゃないか。そう言い切る前に、彼女は俺の背に両手を回した。
「あたし、誠直くんのこと、好きだよ…。だから、誠直くんは良いの。あたしにとっての“特別”…なんだもん」
彼女の恍惚とした表情を見れば、冗談や誰かに言わされてるわけではないのは分かる。
そして、俺の自惚れでなければ、きっといつかそう告白されるのではないかと思っていた。
そう。ここまでされて、何もわからないでいるほど朴念仁ではなかったのだ。
――しかし、俺は彼女の思いに応えることはできない。
「気持ちは嬉しいよ…。でも、怜空のその気持ちは偽物かもしれない」
「え…?」
一世一代の告白を棒に振られ、キョトンとしている彼女から降りると、そのまま床に座り込んだ。
「怜空の好きは、おそらく純粋な恋心から生まれたわけじゃない。俺に恩義を感じているから、俺に助けてもらったと思っているから、色眼鏡を通してそう見えてるだけだ。怜空みたいな女の子には、もっと相応しい男がいっぱいいるさ」
「そんなことないよ…。確かに、助けてくれた時は嬉しかった…。誰も手を差し伸べてくれなくて、誰にも助けを求められなかったあたしを助けてくれたから…、すっごく嬉しかった。今でも…、本当に感謝してる」
「前にも言っただろ?俺は、俺の為にやっただけのことだって。あれは、いじめを認知した上で放っておくのもいじめに加担してるのと同じだと思って嫌だったのと、せっかく高校生活を楽しもうとしているのに、そこへ水を差している幼稚な輩が気に食わなかったってだけだ。元々怜空に好意を持っていたから助けたわけじゃないし、下心があったわけでもない」
「お前、結構賢いんだから、分かるだろ…? その気持ちは、自分が受けた恩と恋心を勘違いしてるだけさ。きっと、純粋な…混じりっ気のない好きとは違う」
「それとも、もしまたあの日々に戻りたくないからって、俺たちに近づいたり、親密な仲になろうとしてるなら、そんな無理はしなくていい。今まで通りの関係に戻っても、あんな奴ら何度でも追い払ってやるからさ」
「……いくら誠直くんでも、あたしの気持ちを…あたしの好きを否定して欲しくない」
「分かってくれよ。俺が、今の怜空の気持ちに応えたら、あの時の行為がただの打算的な行動になっちまうだろ? 俺を、これ以上安い男にしないでくれ」
「……分かったよ」
しばらくの沈黙が続いた後、ようやく彼女の口から望んでいた言葉が聞こえた。
「はぁ、やっと分かってくれたか。それじゃあ、大耀の奴も呼んで、気を取り直して遊ぶとするか――」
スマホへ手を伸ばそうとした時、後ろからギュッと抱き締められた。
それが誰の所業であるかなんて、言うまでもない。この場には、俺の他に一人しかおらず、こんなに良い匂いがして、背中に当たるボリュームたっぷりの柔らかな感触を持つ者は、彼女である以外考えられないからだ。
「誠直くんの気持ちを分かった上で言うね。あたしは、あなたが好き…。もし仮に、その気持ちに恩義が混じっているとしても、それは変わらない」
「おい…」
「うん。だから、今すぐ応えてくれなくていい。でもね…、あたしは自分のかわいさに賭けて、そんなこと気にしてられなくなるくらい、誠直くんのこと魅了しちゃうんだから」
俺の葛藤や考え、気持ちまで踏みにじってでも、自分の好きを貫き通そうというのが、なんとも彼女らしい気がしてしまって、笑えてきた。
誰にだって、他人の気持ちを否定する権利も道理もない。
きっと、恋愛とは戦いなのだと、この時初めて悟った。