④ 火中の美少女を拾う
翌日、月曜日。
刺激的な休日から一転して、日常の学校生活へ戻る。
変わったことといえば、いつも背負っていたリュックに昨日貰ったマスコットを付けたことと、佐出さんの周りが妙に静かで人気が無いことくらいだった。
大耀が密かに集めたクラス内男子のアンケートでは、付き合いたい女子ランキングで僅差の2位を獲得したツートップの一角である彼女は、ここのところずっと一人でいるように思う。
クラスの女子と上手くいってないのは、非モテ男子である俺たちでも薄々感じ取れるほどだったので仕方ないが、これを機にアタックを掛けようという男子がいるわけでも無かった。
元々、見かけは良くても、性格に難ありという第一印象があり、余計声を掛けづらい現状に陥っている可能性がある。
「あれ、ノブ。そんなの付けてたっけ?」
「あぁ、これか」
普段、飾りっ気のない人間が、急に通学用のリュックへマスコットを付けるなどという女子みたいなことをし始めたら、何事かと思って聞き出したくなるのも無理はない。
俺が同じ立場でも、おそらくそうするだろう。
「昨日、貰ったんだ。付き合ったお礼とかなんとかで」
「貰った? 付き合った…? ってことは、雅君ちゃんからか! コノヤロー!!」
「なにぃ!? 古雲が、雅君ちゃんと付き合って、プレゼントまで貰っただとぉ!?!?」
「許すまじ…、マジ許すまじ古雲…」
「だー、待て待て。なんか誤解してるって」
嘘を吐くのも嫌だったので、正直に答えてしまったばっかりに、大耀のバカが大声で吹聴するものだから、近くにいた男子たちにも変な伝わり方をしてしまった。
「クンクン…。うはぁ…、心なしか、良い匂いがする気がする…」
「それはプラシーボ効果みたいなもんだ、気のせいだって。汚い手で触んな」
クラス内人気ナンバーワンの雅君さんが相手だっただけに、彼女へ想いを寄せる男子からの嫉妬が酷かった。
一方、その騒ぎを遠目で見ていた女子たちからの反応も、芳しく無かった。
「バカみたいに騒いじゃって、これだから男子は…」
「でも、あの様子なら、上手くいったみたいね。どこまでいったのよ、志音」
「え? どこまでって、どういう…?」
「あー、そうだった。この子、そういうの疎いんだったぁ」
「なんかさぁ、ほら…打ち解けて、手を握ったとか、キスしちゃったとか、…なんかこう、無いの?」
「キ、キスだなんて、そんなの…まだだよ。ちょっと仲良くなれたかなって感じ…かな?」
「うーん、なんていうか…初々しくて甘酸っぱいねぇ」
「アンタは、枯れ切ったオバサンみたいだよ」
「ちょっとぉ? それどういう意味ぃ?」
「あー、まあまあ…落ち着いて二人とも」
不意に雅君さんの方へ目を向けてみれば、あちらでも一悶着あったようで、同じようにその場を諫めようとしていた。
そして、そんな彼女と目が合うと、お互い大変だねと言わんばかりに笑みを浮かべた。
「あ、おい! 今何してやがった?」
「アイコンタクト送ってなかったか?」
「やっぱり、ホントはデートだったんじゃ!?」
「だから、違うってー!」
騒がしい学校生活は、今日も平和だった。
教室内では、今週末にGWが迫っていることもあり、早くも連休中の過ごし方を相談し始めている者たちがいた。
「ノブんちは、どっか出掛けんの?」
「いや、特に聞いてないな」
「ミートゥー。でも、それならゲーム漬けの連休になりそうだな。夏休みと違って期間は短いけど、その分課題も出ないだろうし」
「あぁ。ただ、中日があるだろ? あそこも休みで良いのになー?」
「全くだぜ」
早くも連休が待ち遠しくて浮かれ始めている中で、異質な空気をまとった少女が一人、教室へ入って来た。
佐出怜空である。
体育の授業が終わったばかりだというのに、彼女は着替えもせずに戻ってきたようだ。
女子は専用の更衣室を使うことになっているはずだが、着替えでも教室に置き忘れたのか――いや、そんなはずはない。それなら、そもそも体操着に着替えられないはずだ。
「どうしたんだろ…?」
「さぁ…?」
同じように首を傾げている男子は多かったが、女子の大半はチラチラと気にするだけで、誰も彼女に近づこうとしない。
しかも、一部の女子は、ニヤニヤと愉快な様子で彼女を見下していた。
雅君さんに至っては、声を掛けようと彼女の元へ近づこうとしても、桑原たちに止められているように見えた。
嫌な予感がして、楽しそうな一団の中にいた田村へ目を向けると、彼女もこちらの視線に気づき、疑念と恫喝が交差する。
そこで、ゴングの代わりにチャイムが鳴り響き、試合は一時中断となった。
「授業始めますよー、席ついてー。ん? 佐出さん、まだ着替えてないの?」
「…制服、汚れちゃったんで、このままでいいですか?」
「まあ、そういうことなら…。はい、号令」
結局、授業が始まったことで、その件はうやむやになってしまった。
次の日。佐出さんは普通に制服を着て登校してきたので、彼女の言葉通り単に汚してしまっただけと思うこともできた。
しかし、この日も体育の授業の後、彼女の様子に妙な違和感を覚える。
「……っ」
今日は制服に着替えていたので、特に変なところは無いはずなのだが、その挙動がやや不審だったのだ。
もじもじと太ももを擦り合わせ、しきりにスカートの裾を気にしている彼女は、どこか落着きが無い。
「じゃあ、ここを…佐出さん。答えてみて」
「っ、はい…」
そんな時に限って先生に指名されてしまった彼女は、教科書を片手に持ち、もう片方の手でスカートの裾を握っている。
とても授業に集中できている様子ではないが、おかげで違和感の一つに気づいた。
長いのだ。いつもの見慣れた姿より、スカート丈が明らかに長い。
いつぞや東が言っていた通り、見えてもいい物をスカートの下に履いているから、下着を見られる心配をしていない者が多いそうだ。
そして、大抵の女子はよりかわいく見せる為、丈を短くするよう工夫しているらしいと、大耀から聞いたことがある。
流行りもあるのだろうが、いつの時代からかそんな風潮らしく、より短くできた方が女子の中での優位に立てると母親も言っていた気もする。
高校へ入学した当初から、佐出さんも例に漏れず、その傾向にあったはずだが、今日はやけに長く見える。
それなのに、今日に限って頻りにスカートを気にしているのだから、尚更おかしいというものだ。
そんな中、視界の隅で、その様子を見て腹を抱えながら笑い、必死に声を抑えている一人の女子の姿があった。
その小柄な女子の横には窓があり、珍しく限界まで開けられてる。
よく見れば、他の窓も開けられており、今日は随分開放的になっている。特に暑いわけでも無いのに。
風でスカートがふわりと舞う度に、身体をこわばらせていた佐出さんが、ようやく着席を許されると、今度は隣の席の田村から小さな紙切れを渡された。
「ん…」
随分アナログな手法だが、授業中にスマホを使うことが禁じられているが為に、危険を冒してスマホを使うか、こうした原始的な手段を用いることもあるらしい。
とはいえ、大抵女子の間だけで取り交わされるもので、男子は大抵橋渡しとして利用されるだけだ。以前から、わざわざ授業中に行わなければならない意味が理解できなかったが、いつもは深く気にしないようにして、流れに身を任せていた。
しかし、彼女がそれ以上何も言われなかったことから、この紙切れが俺宛ての物であると示している。
何度か折られた小さな紙を開けば、徐々に書かれたメッセージが見えてきて、一つの文章が浮かび上がる。
「あんまり、女の子をいやらしい目で見ちゃダメだよ」
どうやら、授業中にも関わらず、女子をじろじろ見ていたように思われたらしい。確かに、そういう風に見えれば、注意されても仕方ないだろう。
しかし、さらに残った折り目を最後まで広げると、更なるメッセージが姿を現した。
「どんな報復に合うか、分からないからね」
全文を把握した俺を見て、隣の席に座る少女は、薄っすらと笑みを浮かべた。
その日の昼休み。佐出さんの下へ向かい、久しぶりに話しかける東一行の姿を見た。
「アンタが欲しがりそうな物持ってんだけど、ここで渡すのも難だから、付いてきなよ。まぁ、要らないなら別に良いけど、ぷぷっ…!」
笑いを堪えきれない東は、相変わらず勝気な様子で高橋と田村を連れて教室を去って行く。すると、静かに席を立った佐出さんが、その後を追うようにゆっくりと歩き出した。
それも、先程と同様、スカートの裾を異常なほど気にしたままだ。
「ノブ、飯食おうぜ」
彼女の様子とは打って変わって、昼休みになれば自然とやってきて机を動かし始める大耀は、いつものように能天気な声を出していた。
「今の見たか?」
「あぁ…」
「…悪いが、今日は昼飯抜きかもな」
「しょーがねーな」
―――どうして、あたしがこんな目に遭わなきゃいけないの…。
そう自問したのは、一体何度目だろう。
少なくとも一度や二度じゃない。そして、それはこの高校へ入学してからに限った話でも無い。
あたしは、他人より容姿が優れている。そう自覚したのは、小学生の頃だった。
かわいいかわいいと持て囃され、自惚れていた部分もあるのかもしれない。でも、実際周りの同世代の女の子を見るより、鏡を見た方がかわいいと思っていた。
親はもちろん、同性の女の子や異性の男の子、どちらかも好かれ、同級生はもちろん、上級生の男の子からも告白されることがあった。
自分だけでなく、周囲の人からもかわいいとお墨付きを貰えたことで、より信憑性が増した。
中学生になるにつれて、第二次成長期を迎え、さらに女性らしく男性に好まれるような体形が整ってきたことで、それはさらに顕著になる。
しかも、親から与えられたスマホによって、その認識は確固たるものになった。
SNSを通じて、自らのかわいい自撮り画像をあげれば、たくさんの反響があった。
顔も名前も知らないこの世界のどこかに存在する誰かから、たくさんのかわいいが得られた。
だから、あたしは自分がかわいいと信じて疑わなかった。
でも、その一方であたしのかわいさを妬む者が現れ始めた。これは、あたしがかわいいが為に仕方のないことなのかもしれない。かわいいことの裏付けでもある。
人気の人や作品に対して、必ず悪く思うもの(アンチ)がいるのと同じだ。自分が男にモテない、あるいは自分よりもあたしがかわいいから、あたしを妬む。
だから、あたしは屈しなかった。誰の助けも借りず、けれども屈せず、あたしのかわいいを貫いた。
ここで屈してしまったら、誰かに助けを求めてしまったら、自ら負けを認めたことになる。そして、それはきっと、自らのかわいさをも否定してしまう。
そう思うと、どうしようもできなかった。
中学の時も、長い間その辛い状態が続いたけど、あたしは乗り切った。屈しなかった。
クラスの女子も、男子も、先生も…誰も助けてくれなかったけど、中学の卒業までこぎ着けた。
けど、ちょっと疲れちゃったから、同じ中学の生徒が誰も受けていないような遠くの高校を受験した。
本当は、そのまま都内の学校へ進学するつもりだったけど、ちょうどパパの転勤が決まったこともあり、移住先の近くにある学校を選んだ。
知らない人ばかりの高校に行けば、今までと違う生活を過ごせて、本来過ごしたかった楽しい学校生活が送れるかもしれない。そう思っていたあたしの考えは、すぐに幻想へと変わった。
どこへ行っても、誰と過ごしても、結果は同じだった。
最初こそ仲良くやれていたはずなのに、いつの間にか話しかけても無視され始め、気づけば周りには誰もいなくなってた。
そんなあたしを見つめるクラスの女子たちは、中学のクラスメイトと同じ目をしていたから、すぐに分かった。
彼女たちも、あの子たちと同じだって。
迂闊にアカウントを教えてしまったのが運の尽き。あたしをあれだけかわいいと褒めてくれたSNSでも、今ではあたしを批判して、かわいさを認めてくれない。
あたしをかわいいと言ってくれないなら、もう必要ない。あたしのかわいさを認めてくれなければ、そんなものに意味は無いから。
そして、あたしへの妬みは、それだけで留まらず、次第にエスカレートしていった。
無視や仲間外れは、当たり前。ドジっぽくて疎そうな雅君志音はともかく、それ以外のクラスの女子は全員周知の事実だった。
ある日、体育の授業が終わって更衣室に戻ってみれば、あたしの使っていたロッカーの鍵が壊され、中にしまっていた制服がビショビショに濡れていた。
濡れたままの制服を着ては、歩いた後に水が滴り、ブラウスが透けて下着が見えてしまうだろうし、タオルで拭こうにも、そのタオルすら濡れていて、どうしようもできない。仕方なく、その日は体操着で過ごすことにした。
次の日、昨日の犯人がわざわざ名乗り出るように体育の授業の後、更衣室で待っていた。でも、もちろん昨日のことを悔いて謝る為じゃなかった。
着替えの途中で襲ってきた彼女たちは、数の力にものを言わせ、あたしのパンツを剥ぎ取って逃げていった。
安全策をとって、見せパンを履いたり、また体操着で凌ごうということすら不可能にするため、それらも持ち逃げして行ったので、もう選択肢は無かった。
パンツも履かずにスカートを履き、ノーパンのまま残りの授業を受けなければいけないという変態染みたことを強いられた。
しかも、普段はろくに開けない窓を全開にして待ち構えており、明らかにハプニングを起こしてやろうという魂胆が見え透いていた。
とはいえ、いずれ似たようなことになるのは分かっていた。それは、中学でも同じような目に何度も遭ってきたから。
でも、あたしは屈しなかった。
過去の自分は、これを耐え抜いて中学を卒業した。だから、きっと今回も大丈夫。
誰かが助けてくれなくても、ずっと耐え忍べば、この高校生活も終わりを迎える。
この目の前にいる可愛くもなければ成長著しい女子高生に、負けはしない。アンタなんかより、あたしの方がずっとずっとかわいいんだから――。
「良い顔になって来たな、怜空ちゃん」
癇に障る不敵な笑みを浮かべた東 大花は、痛みを堪えて苦痛に顔を歪めるあたしに拳を向けた。
しかし、その手は一人静かに見守る少女の手によって阻まれる。
「ダメだよ、ハルちゃん。顔は目立つから、やめた方が良いって言ったでしょ?」
「へいへーい。愛中は用心深いなぁ…、おらっ」
「んぐっ…うぅ……」
「コイツ、無駄に胸あるから、腹ぐらいしか殴るとこねーんだって」
「へへっ、腹筋バッキバキになるくらいうちらが鍛え上げてやんよ」
「ハハーッ! モデル顔負けのスタイルになっちゃうじゃん! あーしらに感謝してもらわないと、ねっ!」
教室棟から離れ、この時間には全く人が来ない特別棟の女子トイレまで誘導されたあたしは、大小二人の少女から暴行を受けていた。
もちろん、あたしが何か悪いことをしたわけではない。多分、ただ腹いせに殴られているだけ。
腰の入った重いパンチを繰り出す高橋 小綾に殴られる度に、腹部から痛みが絶え間なく襲ってくる。
「うーん、あんまり面白くないなぁ…。このパンツ、欲しくないの?」
あたしに手を出すわけでも無く、一部始終を見ているだけの傍観者に努める田村愛中が、一番不可解だった。
自分の手を汚したくないのかもしれないけど、他人の醜い姿を見て笑っている性格の悪そうな女だ。
「ぐ…ぅ……」
返せと言っても、返してくれないのは分かり切っている。なら、それを求めて醜い姿を晒すのと、このまま黙って殴られるのでは、果してどちらがマシなんだろう。
あたしの脳は、そんなことしか考えられなくなっていた。
「おい、お前ら! いい加減にしろよ!!」
そんな時、ここで聞こえるはずの無い声がした。そう、ここは女子トイレ。男子の声なんて、聞こえるはずがないのに――。
「おい、お前ら! いい加減にしろよ!! 高校生にもなって、まだそんな下らないことして、恥ずかしくないのか!?」
教室を出るのが遅かったばかりに、彼女たちを見失ってしまった俺たちは、目撃情報を集めて、ようやくこの場所へ辿り着いた。
しかし、既に嫌な展開は始まっていて、地面に這いつくばる佐出さんは、苦しそうに呻いてお腹を抑えていた。
「うるさいわね! あんたたちには関係ないでしょ! てゆーか、ここ女子トイレなんですけど? 男子は早く出てってよね!」
相変わらず、背の小ささとは真逆なほど態度がでかい東は、こんな状況でも威勢がいい。
それが虚勢かどうかは分からないが、高橋も同じように睨んでいる。
唯一、様子が違うのは田村だった。彼女は散々釘を刺すような真似をしてきたが、既に諦めたような冷めきった表情を浮かべている。
「非常事態だ。それどころじゃないだろ」
「そうだそうだ。陰湿なブスに言われたかねぇ!」
「はぁ? 今なんて言った!? あんたたちには、言われたくないわよ!」
こんなところに長居するつもりも、言い争いをするつもりもない。すぐに横たわる彼女の元へ駆け寄り、肩を貸した。
「もういいだろ。ほら、行こうぜ」
制服も汚れてしまった彼女を連れ出そうとするが、その足取りは重かった。
「…余計な事しないで。あたしなら、大丈夫だから。それに…、こんなことしたら、今度は古雲くんたちが…」
この期に及んで、まだそんなことを言える気力があるとは驚いた。
だが、震える身体で言われても、何の説得力も持たないとばかりに言葉を返す。
「何言ってんだ。かわいい女の子が酷い目に遭っているのを見過ごす方が、よっぽど心が痛むってもんだろ」
「そうそう。かわいいは正義って言うっしょ? それに、オイラたちに矛先が向いたとしても、こんなことする奴らなんて、返り討ちにしてやんよ」
「だから、また何かあったら、遠慮しないですぐ言えよな。何度だって、助けてやるから」
「うん…、ありがと……」
俯いてばかりの彼女から、一滴の涙が零れ落ちた。
今まで、ずっと我慢してきたのだろう。涙腺が一度崩壊してしまうと、堰を切ったように次々と大粒の涙が溢れ出し、トイレの床を濡らした。
「おい、勝手に話進めてんじゃねーぞ! カッコつけやがって。いいか、お前らなんかうちの兄貴に頼めば――」
「それは、もうお前だけでは手に負えないって降伏宣言か?」
泣きじゃくる彼女を大耀に任せ、三人の女子生徒と向き合った。
「な、なんだと!?」
「てめぇ…女だからって、あーしらのこと甘く見てんじゃねーだろーな?」
「そんなことは無い。でも、やる気なのはお前ら二人だけみたいだぞ」
呆れた様子で見ていた黒髪の少女に近づいても、もはや敵意を感じない。
「佐出怜空から盗った物、返してもらおうか」
「だから、あれだけ言っておいたのに、どうして来ちゃうかなぁ…?」
「逆に、あれで疑いを持てたんだ。お前が一枚噛んでるか、あるいは首謀者だってな。確信が持てるか、お前らが飽きて早々にやめるか…、どっちが早いかと思ったが――」
「前者だったわけね。はぁーあ、やっぱり賢い男は嫌い」
「この間は、真逆のことを言ってなかったか?」
「え? そうだったっけ?」
のらりくらりと躱す少女も、口はともかく態度は殊勝なもので、大人しく佐出怜空の物であろう衣類を渡してくれた。
まさかとは思っていたが、悪い予感は当たるもので、その中には派手な色の下着まで入っている。
つまり、今の彼女はノーパンというわけだ、通りで――。
「ちょっと! 何普通に渡してんの、愛中!?」
「もう、飽きちゃった」
「…え?」
彼女の口から聞こえるはずがない言葉を聞いて、二人は言葉を失っていた。
「ちっちゃいハルちゃんが粋がっている姿を見るのが面白くて手伝ってたけど、もう飽きちゃったの」
「ここから、どう挽回するのかが最後の肝だったけど、頼みの綱も結局他人頼み。一人では何もできないのね」
「お、おい…愛中…?」
「私は、もう降りるわ。怜空ちゃんにも、もう変なことしないし、ハルちゃんたちとも縁を切るから。それで十分でしょう、古雲くん?」
「別に俺に聞くようなことじゃないが…それで良いのか?」
「ええ、問題ないわ。私は、最初から誰も信じてないから」
「愛中、愛中ぁ! アンタがいなくなったら、誰が次の作戦を立てるっていうのよ!?」
「さぁ…? 私、しーらない」
冷たい目をした黒髪の少女は、親し気に話しかける声を背にして振り返ることもなく、悠然と立ち去った。
「愛中、愛中ぁ…。なんで、どうしてぇ……」
「お、おい…、ハル。しっかりしろよ、いつもの調子はどうした?」
「だって…だってぇ…。愛中が、うちのこと…無視するんだもぉん……」
「なんだかな…」
今度は、すっかり戦意喪失してしまったおチビちゃんが泣き出してしまう羽目になり、バチバチに散っていた火花はどこへやらと消散してしまった。
もう俺の出る幕は無さそうだと察し、大耀や佐出さんと合流した。
これが俺の手元にあるということは、彼女は相当困った状態にあるので、すぐに預かった荷物を手渡す。
「うわぉっ…!」
「これで全部か?」
「うん、そう。…じろじろ見んな」
「おっと、悪い」
「あ、違くて…。今のは、そっちの猿に言っただけだから」
それはどういう意味だと出かかったところを喉元で押し留め、他に言うべき言葉を述べる。
「あっち向いてるから、すぐ履いちゃえよ。そのくらいは、動けそうか?」
「うん…。大丈夫、だと思う…」
トイレを出た廊下の奥で彼女に着替えさせたが、現場を見ないように背を向けていても、微かに聞こえる衣擦れの音が、背徳感を呼び起こした。
「ん、もう平気」
「ふぅ…」
なぜか息を殺してしまっていたので、彼女の言葉を聞いて、ようやく人心地が返ってきた。
「おっ…と、まだ身体の方は平気じゃなさそうだな」
乙女の秘密が暴かれる心配は無くなったようだが、まだ足取りが覚束ない様子だったので、ふらふらする彼女を慌てて二人で支えた。
「このまま保健室行った方がいいか。腹の辺り、まだ痛むんだろ?」
「うん、そうする…」
「そうと決まれば、さっさと行こうぜ」
生憎、お姫様抱っこをしてやれるほど俺たちは身体を鍛えていないので、両側から彼女を支え、保健室まで連れて行くことになったが、その間彼女の身体へ触れることになり、不可抗力で彼女の膨らみが当たってしまうこともあった。
感じたことの無い感触を味わえて、嬉しいような申し訳ないような複雑な気持ちだったが、大耀の奴はあからさまに鼻の下を伸ばし始めていたので、厳しく指摘された上に一度突き飛ばされている。
おかげで、その分も俺の方にしわ寄せが来ることになり、顔に出ないよう気を付けないと奴の二の舞になると思うと、なかなかしんどい時間が続いた。
「おや、今日は三人かい? しかも、この間とは別の子だ」
「誤解を招くようなことは、やめてくださいよ。それより、彼女をちょっと寝かせておいてくれませんか?」
「ほぅ…それは別に構わないが、もうこんなかわいい彼女が出来たのかい。キミも隅に置けないね」
プライドの高そうな彼女のことだ。事細かに事情を説明されるのも嫌がるだろうと思って、あえて伏せておいた。
「なんで、オイラの彼女だと思わないんすか?」
「ふむ…そうだね。女の勘という奴かな」
一応許可も取ったことで、ベッドまで支えて行き、彼女を寝かせる。
こんな時までスカートの皺を気にするあたり、女の子だと思うものの、彼女のしたい様にさせた。
任を終えた大耀は、久しぶりに会った美人養護教諭の方に興味があるらしく、すぐさまそちらへ向かっていった。
「まだ、身体痛むよな…?」
「うん…、ちょっとね…」
ベッドへ横になり、余計な力が抜けた彼女は普段の様子とはまるで変わっていて、こんなに弱弱しい姿を見ることになるとは思いもよらなかった。
「そうか…。悪かったな、遅くなっちまって」
「ううん…。古雲くんが悪いことなんて、なんにもないよ」
「そう言ってくれると助かるが…。まあとにかく、今はゆっくり休むと良い。次に目が覚めた時には、悪い夢から覚めて、楽しい学校生活を送れるさ」
「…古雲くん、………」
「ん?」
何かを言おうとしたみたいだったが、か細い声だったばかりに聞き取れなかったので、もっと耳を近づける。
「ありがと…、ちゅっ…」
彼女が言いたかった言葉は聞き取れたが、頬に感じた感触のおかげで、右から左へと吹き抜けてしまった。
「……」
「ほぅ…」
それこそ、こんな時どういう顔をして、なんと言葉を返していいか分からなかったので、ただただ茫然と立ち尽くしてしまった。
「な、なに? どうかした? 何かあったの?」
ちょうどこちらに背を向けるように先生と話していた大耀は、決定的瞬間を見逃したらしいので、ある意味助かった。
「いやなに。私がいる前で、堂々とベーゼを交わすものだからな。最近の若い子は、大胆なものだと思って」
「ベーゼ…って、確か…キスのことだったような……ん? んん? んんんんんんんっ!?!?」
思い当たる行為と相手に合点がいくと、激しく動揺した大耀が、目をこれでもかと見開いて取り乱した。
「まぁ、口と口ではなかったようだが…」
「ノブばっかり、ずりぃー! オイラにも、チューしてくれよ。何なら、マウストゥマウスでも大歓迎だぜ」
「ダーメ、カッコよかった古雲くんだけ。あたしの唇は、安くないんだから」
「そりゃないぜ。オイラも一緒だったのに…」
「まあまあ、あんまり弱った女の子を前に長居するようなものじゃないよ。女の子は、大概弱ったところを見られたくないものだからね」
「そうだな。オイラ紳士だし、その辺は弁えてるぜ。あっ! もうほとんど昼休み残ってないじゃんか! 早く戻らないと、マジで昼飯抜きになっちまう!」
保健室にあった時計を見れば、彼の言う通り、のんびり食事している時間は無さそうだ。
「おっと、いけね…。じゃあ、またな。ゆっくり休めよ」
「うん…」
横になったまま小さく手を振ってくれた彼女に見送られながら、急いで教室へと戻っていった。
「私もいるんだがな…」