③ 友に引かれて善行寺参り
先日の一件があった所為か、あれから雅君さんに話しかけられることが多くなった気がする。
同様に、大耀以外の男子からも増えた気がするが、かわいい女の子とむさ苦しい男どもでは、比べ物にならないほど有難みが違う。
登下校時のなんてことの無い挨拶はもちろん、また課題について聞かれたりする程度だが、それでも全く接点がない時に比べれば、徐々に刺激的な生活を送れている。
「ねぇ、古雲くん。さっきの数学のことなんだけど、また聞いても良い?」
何気なく前髪や横髪を掻き上げて耳に掛ける様は、古から男が好きな女の仕草として有名らしいが、その例に漏れず、俺も毎回密かにドキリとさせられていた。
「あぁ、良いよ。どこ?」
「それがねー、ここなんだけど…」
この間は世界史に関してのやり取りがあったものの、本来俺も社会系の世界史や日本史、公民などは得意な部類ではない。
昔から算数や数学の方が得意分野であり、所謂理系のカテゴリーに属する物の方が、テストの点数も軒並み高かった。
なので、より自信がある分野で頼られるのであれば、その分彼女の助けにもなれるだろう。
「え? これ、ヤバない?」
「うわー。怜空の垢、炎上してんじゃん。めっちゃ荒れてるんだけど、ウケるー」
例のヤンチャな三人組の女子たちが、各々スマホを手にして騒ぎ始めた。
「偽乳だったなんて、ショックです。騙されました。ファン辞めます。だってー」
「あれ、フォロワー数こんなだっけ? 更新する度に減ってんだけど。こっわー」
クラス中に聞こえるような大声で話している三人に対し、当の本人は、至って静かなものだ。
自分の席に座ったまま、虚ろな瞳でスマホをただ眺めているように見えた。
「どうなってんだ?」
「誰かが人気に嫉妬して、いらん誹謗中傷でも飛ばしたんじゃない?」
リアルの人間との対話はもちろん、ネットでの書き込みに対しても、発言には注意しろと授業でも言われていたし、親からも何度も言われて育った覚えがある。
発言者にとって何気なく書いた言葉でも、ネットを通して存在する相手側からみれば、酷い言われようをして大きなショックを受けることがあるという話だ。
既にネットが普及した時代に生まれてきた俺たちは、それが当然そこにあるものとして認識し、随分身近な存在ではあるが、それ故にネットリテラシーが重要視され、授業でも教わるようになったらしい。
とはいえ、罪と知っていても犯罪を起こす者が絶えない世界では、抑制されていたとしても、それを行ってしまう者がいるのも事実。
ろくなことにならないと痛感した俺や大耀は、早々にSNSから手を引いたが、現代の若者の中では、稀有な存在である。
さらに、男子よりも女子たちの争いの方が熾烈だと言われている所為か、依然として普及率は高く、依存度も高いのではないかと大人たちの間で噂されている。
「とはいえ、俺たちは佐出さんの垢も知らないしな…」
「あ、私知ってるよ。見てみる?」
「あぁ、ちょっと気になるし」
数学の話は、どこへやら。すぐにポケットからスマホを取り出した彼女は、慣れた手つきで操作し始めた。
「でも、佐出さんとそんなに交流があるようには見えなかったけど、良く知ってたね」
「あー、それはね。まだ入学して日が浅い頃、東さんたちのグループが自慢気に教えてくれたことがあって…」
「そういえば、そんな光景を見たような気もする…」
「まだ四人でいた頃か」
そして、いざ彼女のアカウントページまで飛んでみると、以前聞くつもりもなかったのに耳にしてしまったフォロワーの数に比べて、既に一桁減っていた。
「めっちゃ減ってるじゃん…」
「何があったんだろ? コメントも酷いものばっかりだね」
「炎上したんなら、その原因があるはずだ。なんか、それっぽい発言無い? 急にコメントが増えてるとことか、探してみて」
「うん、分かった」
雅君さんがスクロールしていく中でも、目につく画像はちょいエロなものばかりで、明らかに男受けを狙ったものだ。
自分のスタイルに自信があり、さらに性的な興奮を煽るような撮り方までできれば、フォロワーを増やす目的で効果的なのは分かる。
だが、これは自身の身を削る諸刃の剣であることも忘れてはならない。
「あ、これかも。リアルにあって確かめたけど、パッドで盛ってるだけだった。しかも、サバ読んでて、本当は30代。経験人数が、三桁越えてるって自慢してるようなクソビッチ…? 最後のはよくわかんないけど、酷い書かれ方してる」
「明らかに嘘が交じってるじゃないか。よくこんなの信じるもんだ」
「多分、この画像が原因だよ。加工したんだろうけど、わざと老けて見えるようにしてるし、胸もボリューム減らしてる。ほくろの位置も、本人と同じだし」
「どこの誰だよ、こんなデマを書き込んだの」
「うーん…、これ新規のアカウントだね。誹謗中傷だけ書き込んで、他に何も書いてないよ」
「それが分かれば、沈静化しそうだけど…」
「私、これ嘘だよって書いて、皆にも教えてあげるね」
「やめときな。今書いても、火に油を注ぐだけで、雅君さんまで片棒を担いでると思われて、酷い目に遭うかもしれないよ」
「でも…それじゃあ、佐出さんは誤解されたままになっちゃうよ」
「それは、そうだけど…雅君ちゃんまで嫌な思いをする必要はないって」
彼女の心優しい思いを無駄にしたくはないが、こればっかりはどうしようもない。
それだけ、ネットを通じた間接的なやり取りは曖昧なもので、信じてもらうのが難しいのだ。
「一応、手が無いわけじゃない。でも、おすすめはしないし、俺たちがすべきことでもない」
「どういうこと?」
「あの発言の中で一つでも嘘だと分かれば、信憑性が崩れる。でも、それを証明するには、裸同然まで映すか、制服姿や学生証を晒すか。ただ、個人を特定されるようなことにもなるし、リスクも大きい」
「そんなの…、かわいそうだよ……」
「…アンタたち、大きなお世話よ」
なんと間の悪いことに、俺の隣の席は、例の田村という女子で、そのさらに隣には佐出さんの席がある。
今は、中間にいる田村さんが席を外しているが為に、すぐ横を見れば、彼女の顔が窺えるのだ。
「あ、凍結されましたって…」
「どうせ、スカウトも怪しいものばっかりだったし、おっさんにチヤホヤされてるだけだったから、ちょうどいいわ。これを機にアカウント消すから。これで、問題なし」
「分かったら、変な目で見ないでくれる?良い子ちゃんぶってる女子も、下心見え見えで口ばっかな男子も嫌いなの」
一番傷ついているのは、間違いなく彼女だろう。せっかく、かなりの数のフォロワーを確保できたアカウントも手放すことになり、また新規で作り直すにしても、同じように集まるとは限らない。
「お前な…、こっちは心配して…っ!」
「やめとけ。本人が嫌がってるだろ」
「でも、ノブ…」
「いいから、今は引け」
大耀の気持ちも分からなくはないが、本人がそれを望まないなら、部外者が口を出すことでもない。
こんな状況でも気丈に振舞うくらいだ。プライドの高い彼女は、かわいそうと思われたくはないのだろう。
俺も、そういう面があるから、彼女の気持ちの欠片くらいは想像できる。
「あ、先生来ちゃった。…またね、古雲くん」
後ろ髪引かれる思いで立ち去る雅君さんを見送り、授業が始まった後も、今回の一件について考えていた。
「……。先生、教科書忘れちゃったみたいなので、隣の席の人に見せてもらっても良いですか?」
「あら、仕方ないわねぇ。じゃあ、隣の佐出さんに…」
「ごめんねー、古雲くん。教科書見せてもらっても良い?」
「え? あ、あぁ…」
なぜか先生の言葉を無視して、早速机を寄せてやってきたのは、あの田村さんだった。
女子は女子同士で見せ合えばいいのではと思ったが、佐出さんとあのグループの田村さんでは、そういうわけにはいかないほど溝が深まっているのだろうと察した。
「あらあらぁー。最近の若い子は、やっぱり進んでるのねー」
いらぬお節介を焼き、妙な早とちりをしているようだったが、この先生は大抵そんな感じだったので、もはや慣れてしまっていた。
それよりも気掛かりなのは、さっきのことだ。
心無い発言を平気でする者は、リアルにしろネットにしろ一定数いるのは知っている。
誰ともわからない男女から、何らかの恨みを買った所為で炎上へと発展したなら、正に仕方ないというか、人間の愚かさを知るばかりだ。
しかし、これを経て、一体誰が得をしたのかといえば、首謀者が見えてくる。
まさか、自分よりフォロワーが多いからといって、他人のフォロワー数を下げるような行いに走り、より優位を得たかったとでもいうのだろうか。
いくらなんでもそれは無いだろうと思ったり、あんな分かりやすい嘘でそう上手くいくものかと考えていると、隣から不意に声を掛けられる。
「古雲くん。ちゃんと授業聞いてる?」
「え? あ、あぁ…ちょっと考え事してた」
よく考えれば、この子とこんなに近くにいるのは初めてで、ちゃんと話すのも初めてかもしれない。
中学の時と違って、普段は個々の席同士が、人が通れるほど離れているので、違和感があるというか、不思議な感じだ。
先生に気づかれないよう耳元に小声で囁いてきたことも、こそばゆく感じた原因の一つだろう。
「もう次のページに進んでるよ」
「あぁ、悪い」
自分でめくってくれても良かったのだが、彼女に指摘されてページをめくった。
以前から思っていたのだが、東・高橋、それに佐出さんまでいた時期を含めても、この子があのグループにいるのが少し妙な気がしていた。
他の三人は髪色を明るくしているのに対して、髪を染めずにいるから浮いているように見えるのもそうだが、一人だけ空気感が違うというか、一見清楚に見える彼女には合っていないのではないかと思っていた。
もし、無理して彼女たちに合わせているのなら、それは酷なことではないかと余計な詮索をしてしまう。
「…何考えてたの?」
「…いや、大したことじゃないよ」
「ふぅん…。佐出さんのことでしょ?」
「っ!?」
心の中を読まれたかのような衝撃を覚え、反射的に彼女の方へ視線を送った。
平然と授業を受ける一方で不敵に笑う彼女から、末恐ろしい何かを感じた気がする。
「余計なことは考えない方が良いよ。今は授業中だし、そっちに集中しないと…ね?」
ありがたい忠告と共にひっそりと重ねられた手は、恋人みたいに手を握り合うはずもなく、その手に握ったシャーペンから出る芯で、俺の手を軽く突き刺していた。
間違って当たってしまったのなら、仕方ない。そう言う準備はできていたが、それは間違いでも無く偶然でも無かった。
皆が黒板に目を向ける中、何度も刺され、手の甲にはいくつもの黒い小さなへこみが出来ている。
痛みはそれほどでもないが、声を上げるわけにもいかず、歯を食いしばって、平然を装った。
「私ね、賢い男の子は好きだよ。古雲くんも、そうであってくれると、嬉しいな」
「……」
彼女がかわいいか、かわいくないかでいえば、かわいいという部類だ。
しかし、そんなかわいい彼女の笑顔は、素直にかわいいといえる代物ではなかった。
「…返事は?」
「いっ…、分かったよ……」
見えざる彼女の本質に言葉を失っていたら、これまでで一番強く芯を突き付けられて、思わず声が漏れそうになった。
仕方なく彼女が求める返事を返し、さっさと解放して欲しいと願った。
「うん。そうそう、素直が一番だよ」
結局、その授業中は隣が気になって全くと言っていいほど授業の内容が頭に入ってこなかったが、あれ以降特に何をされるわけでも無く、妙に近かった距離も徐々に離れていった気がする。
ドッと疲れた四時限目も終わると、昼飯を求めて生徒たちが動き出す。
それは、彼女たちも同じらしく、例によって三人とも集まっていた。
「愛中ぁー、飯だ飯ー!」
「うん、今行くね」
「そういや、珍しいね、愛中が忘れ物なんて」
「あぁ、さっきの…?」
「あれ?あるじゃん、教科書。古雲から貰ったの?」
「違う違う。よく探したら、机の中にあったの」
「なんだよ、ドジっ子アピールかー?」
「あははー、違うって。ちょっとうっかりしてただけだよ」
田村愛中は艶めいた長い黒髪を靡かせ、先程の笑顔が嘘のように晴れやかに笑っていた。
「いいなー、ノブは。最近、女運がツイてきたんじゃないか?」
「そうだと良いがな…」
「はーあ、オイラと席変わって欲しいくらいだぜ。オイラの場合、教科書忘れてきたとしても、隣は杉田一人だからな。相手が男子じゃ、間違ってもあんな風にはならないぜ」
本当のやり取りをあずかり知らない大耀は、能天気なことを言っていたが、俺だってできることなら代わって欲しい。
そして、女難の相が憑いていないことを切に願った。
ある日の昼休み、いつものように机を突き合わせ、大耀と二人で昼食を食べていた。
学食の無いこの学校では、大抵の生徒が教室で昼食を済ましている。弁当持参だったり、登校前に買ってきていたり、校内に小規模な購買はあるので、そこで買ってきたりと様々だ。
おおよそ交流する相手が固まってきたことで、食卓を囲む者たちも一定となり、各々が仲の良い者同士でうるさいくらい喋りながら、この時間を過ごしている。
中学の時から仲の良い大耀と一緒なのはもちろんだが、それ以上友達の輪が広がらなかったのは、俺たちが部活に入らなかったことにも原因があるのだろう。
多くの漫画やアニメなんかでも、部活動を通じて青春を謳歌したり、友情を深めたりする印象はあるものの、いざ自分がやろうとすると、なかなかハードルが高かった。
もちろん、体験入部はいくつか行ってみたものの、中学でボール拾い部(テニス部)に籍を置いていただけの俺たちでは、テニスはもちろん、他の運動部でも初心者お断りみたいな空気を感じてしまったこともあり、今から始めたところで、運動のセンスがあるわけでもない俺たちでは、過去の二の舞になるとしか思えず、断念したわけだ。
好きを生かすという意味では、部活と称して遊べることから、ゲーム部があれば率先して入部しても良かったのだが、ようやくプロゲーマーという道が確立され始めた程度の昨今では、都心の高校でも無ければ、そんなコアな部活は無いらしい。
幸か不幸か、部活へ所属しなければいけないという強制的なしがらみがなかった為に、ここで出会ったクラスメイトたちと関係を深めるには至らなかった。
なので、部活仲間で構成された多くのグループがあっても、そのどこにも入るわけでも無く、一から交友関係を築き直すことの面倒さも感じてしまっただけに、大耀と二人で過ごすことに落ち着いていた。
とはいえ、互いに嫌っているわけではないので、何かあれば普通に話すくらいの広く浅い交友関係は築けており、学校生活の中では特に支障はない。
ただ、他の面々と放課後に出掛けたり、休日に遊んだりするようなことは無かった。
同じように高校デビューに躓いたものは他にもいるらしく、スマホをお供にして一人で静かに食事をしている者もいた。
その中には、佐出さんの姿もあり、日に日に威勢が無くなっていくようで、少し気掛かりではあったが、彼女が手を差し伸べられることを望んでいなければ、それはただのお節介になってしまう。
先程の交友関係についての話は、同性の男子に限った話だが、女子に至ってはさらに深刻で、男子同様深い仲を築けているはずもなく、ろくに話したことがない相手もいる。
しかし、残念ながら、それは今に限った話ではない。今までもそうだったことが拍車をかけて、現実はそんなもんだと認識されてしまっていた。
「おーい、暇そうなお二人さん。ちょっといい?」
だからこそ、彼女たちの誘いは完全に不意を突く結果となった。
「雅君ちゃんに、桑原ちゃんじゃないの。珍しいね、どうしたん?」
桑原という比較的気安い女子は雅君さんの隣の席で、同じグループに属しているらしく一緒にいる姿をよく見かける。
だが、大耀の言う通り、彼女たちがこのタイミングでやってくるのは珍しいことだ。
「うん…。ちょっと、頼み事があって…」
「ふーん」
「そうなんだ。まあ、そこ座んなよ」
「う、うん。ありがとう」
「いや、アンタの席でもないでしょ」
近くの空いている席から勝手に椅子を調達してきた大耀は、まるで自分の物のように扱って彼女たちへ勧めた。
食べ終わった弁当も片付けてしまい、机の上はスマホと飲み物が置かれただけの簡素な状態に戻った中、スカートの裾を握りしめ、意を決した彼女から話を告げられる。
「私、二つ上にお兄ちゃんがいるんだけど、もうすぐ誕生日なの。でも、何をプレゼントしたら喜んでくれるか分からないから、男の子に相談に乗ってもらいたくて」
「なるほど」
随分遠慮がちに話してくるから何事かと思ったものの、彼女には悪いが大した用ではなかった。
「オイラだったら、雅君ちゃんから貰えれば、何でも嬉しいけどなぁ?」
「俺もそう思うけど、妹だとまた違うのかな?」
俺は妹どころか姉もいない一人っ子なので、その辺は全く未知の領域だ。
「いやいや、かわいい女の子から貰えるなら、妹でも姉でも関係なく嬉しいっしょ」
「うーん…、そうかなぁ? …そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、具体的なものが分かった方が良いかなって。ほら、せっかくあげても、全然使わないようなものだと困るでしょ?」
「まあ、それもそうか」
「やっぱり、相談する相手を間違えたんじゃない? 他を当たろうよ」
「うわ、ひでぇ。そっちから聞いて来たのに、何その言い草」
「まあまあ、落ち着いて二人とも。今のは、千縁ちゃんの言い方も悪いよ」
お互いが何とも思っていない相手だからこそ、遠慮せずバチバチにぶつかり合っていたが、それを諫めるのは彼女に任せて、相談の内容に対して考えていた。
「二つ上となると、高3の受験生か…」
年下の相手なら、過去の自分を考えればまだわかりそうなものだが、未来の自分に欲しいものを聞くわけにもいかない。
「あ、そうだ。ねぇ、二人は今度のお休み空いてる? 一緒にお店行ってみて、実際に選ぶの手伝ってくれないかな?」
「え?雅君ちゃんとお出かけ? おっしゃぁっ! 行く行くー!!」
「えー、アンタも来るの? 頼りないなぁ」
「頼りないって何だよ。こちとら、めっちゃ役に立つっつーの。荷物持ちでもなんでもするし。てか、お前も来んのかよ」
「そりゃそうよ。アンタたちに志音を任せたら、どうなるか分からないし」
「おいおい、ひでーな。それが他人にものを頼む態度かよ」
喧嘩するほど仲が良いというが、すぐに口論になる二人は、意外と相性が良かったりするのだろうか。
「えっと…、古雲くんはどうかな? 来てくれる?」
「あぁ、いいよ。こいつが行くなら、俺も特に断る用は無いだろうし」
「やった…!」
「おい、ノブ。別に良いんだぜ、来なくても。オイラ一人で雅君ちゃんエスコートして、バッチリ役目を果たして見せるからよ」
彼女に返事をした途端、心なしか喜んでいるような素振りを一瞬見られたと思ったら、すぐ大耀に絡まれてしまい、遠巻きに来るなと言われてしまった。
「ダメダメ、アンタ一人じゃ当てにならないから、それだったらこの話は無しよ」
「だってさ。いい加減放せって」
「何だよ、ったくもー」
暑苦しい男に肩を抱かれるより、同じくらいの勢いで女の子に抱き着かれてみたいものだと思った。
「そういうわけだから、日曜は空けといてよね」
「どこ集合?」
「駅前で良いんじゃない? 前谷の方まで行くつもりだったし」
「あ、でも…古雲くんたちは、最寄り駅どこになるの?」
「俺たちは、山石だな」
「あー、そうなんだ。私は、那間桐だよ」
「あたしは、その中間だし…それなら、もう現地集合の方が良いか」
「そうだな。前谷で合流した方が良さそうだ」
「よし、決まりね。それじゃ、一応連絡先交換しておこっか。用もないのに、変なメッセージ送ってこないでよ」
「お、おう。分かってるって」
「ほら、アンタたちも」
「あ、あぁ、そうだな」
「う、うん…」
何の因果か、もしかしたら一生知ることもないだろうと思っていた雅君さんの連絡先を教えてもらった。
ついでに、桑原のも知ることになったが、そちらは然程興味が無かった。
それは大耀も同じだったようで、明らかにやり取りの温度差があった。
「おっしゃー!! 雅君ちゃんの連絡先ゲットしたぜー!! うおおおおっっー!!」
「なにぃ!?」
気持ちが高ぶり過ぎたのか、大はしゃぎで廊下まで出て行って、さらに大声で叫ぶものだから、おそらく彼女を狙っているのであろう他のクラスの男子生徒まで押し寄せて来て、むさ苦しい集まりが出来ていた。
「すげえ人気だ」
「そんなに大騒ぎするほどかな…?」
「だー、もう…これだから、自覚無し子は……」
自覚の無い本人より、傍にいる桑原の方が余程心配そうにしていた。
当の本人は混乱に戸惑いつつも、ほんわかと笑顔を浮かべながらスマホを握りしめており、嬉しそうに見えるので、多くの男に好かれるのも満更ではないと思っているのかもしれない。
まあ、考えてみれば当然のことだ。
俺が同じ立場になって、多くの女の子にチヤホヤされれば、悪い気はしないに決まっている。
「マジか!? マジなのか!?!?」
「俺にも教えろー!」
「ダメダメ! 許可なく教えたら、オイラの株がだだ下がりっしょ! 絶対教えなーい!」
「なんだと!? このっ!」
「お前の株なんて、最初から最安値だろうが!」
「やっちまえ!」
「うわっ、やめろ…! やめっ、やめてぇっ!! あっ、アッー! お尻は、らめぇー!!」
教室にいても廊下の騒動が聞こえてくるほどヒートアップしていたが、巻き込まれたくないので、彼の貞操が無事なまま帰ってこられることを大人しく祈るとしよう。
「あーあ。やっぱ、失敗だったかなぁ…」
「そんなことないよ、上手くいったもん」
「え? まだプレゼント何も決まってないけど?」
「あ、う、うん…。こっちの話。えへへ」
「…ふーん」
何が何だかよくわからないが、彼女たちの連絡先を入手し、後日一緒に出掛けることになったのは確かな事実だった。
現実味を帯びない約束をしてから数日後、例の日曜日がやって来た。
男同士で遊んだり、どこかへ出かけるくらいなら、そう気負うこともないが、クラスの女子と出掛けるなんてイベントは初めてだったので、何を着ていくべきなのかと今更思っていた。
実際、デートというわけでもないのだから、気合を入れ過ぎても勘違い男として認定され、後でバカにされそうな気もするし、かといってラフ過ぎてもどうなのかという悩みに頭を抱える。
悩んだ末に、結局頼れるのは親しい友達であり、前日の夜に連絡を入れたが、同じように悩んでいた男と悩みを共有するだけになって、大した解決方法は出てこない。
結果、よく考えたら、こういった状況に合った小洒落た服など持っていないことに気づき、諦めて普段よりちょっと着飾ったくらいの格好で行くことにした。
いつもより念入りに歯を磨き、深呼吸して妙に緊張する身体を落ち着かせてから、最寄りの駅に向かう。
一度、そこで大耀と合流し、二人で電車に乗って行こうという話になっていたのだが、早く着きすぎてしまったのか、奴の姿はまだ見えない。
相手が女の子であれば、多少待つのも吝かではないものの、男相手だと厳しくなってしまうのは、同性ならではの感じ方なのだろうか。
「まあ、あいつが遅いのは、いつものことか…」
時間にルーズというか、待ち合わせ時間以降に来る印象があるのが、大耀だ。
ただ、今日に限っては妙に張り切っていたので、遅れず早めに来るかと思いきや、そういうわけでも無かったらしい。
「催促でもしてやろうか…、ん?」
奴と連絡を取ろうとスマホを確認したところで、通知が届いた。
すぐさま開いてみると、案の定送り主は大耀だったが、寝坊でもしたのかという予想とは違っていた。
「悪い! なんか家の用事で今日行けなくなった! 雅君ちゃんのことは頼んだぞ! でも、あんまり仲良くすんな!!」
彼の本当は行きたかったという意思は十分感じ取れたが、自分のいない間に一歩先へ進まれるのも気に食わないというのが表れている辺り、素直な気持ちなのだろう。
脊髄で会話するような頭の悪さは直した方が良いと思うものの、自分の気持ちを素直に言えることは評価できる。
「どうしろってんだよ…」
急に大耀が来られなくなったことを女子二人にも伝えなければいけないのだが、生憎わざわざ今日の為にグループチャットを組んではいなかったので、どちらかに直接連絡を入れなければいけないことになる。
既に奴自身が連絡を入れているとは思うので、近いうちに連絡が来なければ、予定通りの流れになるのだろう。
男一人で女の子二人を相手にするのは、なかなか慣れないハードワークだが、わざわざちょっと気合を入れて服を選んでここまで来たのに、俺一人では頼りないとか言われて、今日はやめようという流れになるよりはよっぽどマシだ。
通知が来ないかチラチラとスマホを確認しながら、改札を抜けて電車に乗り込んだ。
休日故に、同じような目的で田舎の都心に向かおうとする者たちが集う電車にしばらく揺られた後、前谷駅に到着した。
予定の時間より1,2本早い電車に乗ったらしく、構内に吊り下げられた時計を見れば、まだ待ち合わせの時間には余裕がある。
以前は、大勢の同級生と来たものだが、それも次第に数が減り、今では一人で来たことを思うと、友達が減ったのか成長したのか分からなく思いながら、二人が来ていないか目で追った。
一通り近辺を探してみたが、さすがに20分近く前についてしまったこともあり、まだ来ていないようだった。
既に到着した旨を伝えておいても良かったのだが、早く着きすぎてしまったこともあって、相手を急かしたり、気合を入れ過ぎているように思われるのも嫌だったので、それはやめておいた。
今のうちにトイレに寄って、緊張のあまり催してきた尿意をスッキリさせてから、再び改札口の近くへ戻る。
これから彼女たちが来るのなら、改札口から見える場所にいた方がお互いに見つけやすいだろうと思い、柱に背を預けて改札口を行き交う人々を眺めていた。
待っている間、おそらく彼女たちは制服では来ないと考えていたが、だとすると初めて私服姿を拝むことになると気づき、嬉しい反面、探す手掛かりが減ってしまったことを懸念した。
とはいえ、全く失礼な言い分だが、桑原くらいの女子ならともかく、学校でも目立つほどの可愛さを誇る雅君さんであれば、有象無象に囲まれたところですぐに分かるような謎の自信があった。
「お、あれかな」
随分長く感じた数分間を経て、待ち合わせの時間より10分ほど前になると、一目でわかるほど周りから浮いた存在である女の子が現れた。
予想通り制服ではなかったので、いつもとは少し印象が違ったが、白とピンクを基調とした可愛らしい服装は、より彼女を惹き立てているように思えた。
あんな子が電車に乗っていたら、痴漢に遭ったりしないのだろうかと、余計な心配をしているうちに、彼女は改札を抜けて、キョロキョロと辺りを見回していた。
より近くで見ると、間違えようもない。紛れもなく、俺の知る雅君志音本人だろう。
普段の制服姿も良いけど、私服姿もかわいいぜ。と本人の前では言えないような感想を抱きながら、彼女を迎えに行く。
「誰か探してるのかい、お嬢さん?」
「え、は、はい…って、古雲くん。もう、ビックリしたよぉ」
安堵して甘い声を出す彼女を引き連れ、改札の近くから少し離れた。
すると、途端に鋭い視線を感じ、負のエネルギーが押し寄せてきている気がした。
俺は、嫌でもその正体がすぐに分かった。嫉妬である。
周りの男どもから、なんでそんなかわいい子と一緒にいるのが、こんな冴えない男なのだと妬まれていることだろう。
おそらく、同じ立場に置かれたら、俺や大耀も似たようなことを思うので、理解は早かった。
しかし、それが分かったところで、どうしようもない。
その視線を知って知らずか、いつも以上に親し気に話してくる彼女の横で、針の筵になりながら耐える他無かった。
「ごめんね、待った?」
「いや…、今さっき来たとこだから」
「そう? なら良かった。…ところで、桐灯くんは一緒じゃないの? てっきり、一緒に来るのかと思ってたんだけど」
「あれ?あいつ連絡してなかったのかな? なんか、急に家の用事が入って行けなくなったって、さっき連絡来たけど」
「あ、そうなんだ。じゃあ、もしかしたら、千縁ちゃんの方に連絡したのかも。千縁ちゃん、まだなんだよね?」
「あぁ、桑原なら会ってないよ」
「そっか。ちょっと連絡してみよ」
「あぁ、任せた」
「……」
「……」
何となく雰囲気で喋っていたが、落ち着かないったらありゃしない。
スマホに視線を落として桑原と連絡を取り始めた彼女は、俺のすぐ隣にいるし、会話が一度途切れてしまうと、その静寂に耐えきれなくなって、何か喋った方が良いのかとあくせくしてしまう。
大耀といる時は、話したいことをただ話して、話題が無くなったら静かになってしまうこともあるが、その時はお互いに平然としており、特に何とも思ったことは無いが、相手が変わっただけでこれだけ思うことが違った。
そっと隣から見下ろして彼女のスマホに視線を向けようとしたが、覗き見自体にも罪の意識が過ぎった上に、これまで見たことの無い位置から彼女を眺めることになり、横顔や少しだけ空いた胸元の方へ視線が向いてしまう。
意識し過ぎたせいか、彼女から香ってくる匂いまで気になって、鼻息が荒くなっていないかと自分を戒める。
手を伸ばせば、すぐそこにいる彼女を抱き寄せることもできるが、そんなことをすれば一発で嫌われてしまうのは分かり切っているので、妄想はそのくらいにして自重した。
「えぇ!?」
「な、なんだ?」
表には出さないよう動揺を隠していたのに、突然声を上げた彼女に驚いて、俺まで変な声を上げそうになってしまった。
「千縁ちゃん、今朝から急に熱が出て、今日は来れないって…。ど、どうしよっか…、古雲くん…?」
「ど、どう…って言われても……っ!?」
彼女とは少し身長差がある所為で、振り返った彼女がこちらの顔を見上げると、自然に上目遣いとなり、その破壊力に目を見張った。
困った様子で救いを求める姿も相まって、今すぐ抱きしめたい衝動に駆られたが、順序を間違えれば一瞬でご破算になると、さっきも自重したはずだ。
「お兄ちゃんの誕生日は今週だし、次の休みまで待ってられないから…、古雲くんさえ良ければ、予定通り…付き合って欲しい、かな?」
「あ、あぁ…もちろん。雅君さんが良ければ…、俺は構わないよ」
「うん…。じゃあ、改めてお願いしようかな」
「お、おう…」
“付き合って欲しい”という言葉が、もうちょっと違う意味であって欲しかったと心底思ったものの、実質デートみたいなことにすり替わったのはとんでもない展開だ。
怪我の功名というか、棚から牡丹餅というか、とにかく女運が向いてきたのかもしれない。
「それで、最初はどこへ行くつもりだったんだ?」
「あ、うん…。とりあえず、駅南のショッピングモールに行けば、なんかありそうかなって」
「そうだな、あそこなら色々あるし」
「じゃあ、行こっか」
突然降って湧いた出来事だが、緊張してばかりいては楽しめないと考えを改め、彼女の隣を歩き出す。
しかし、彼女と俺は、特別親しいわけでも無く、ましてや恋人同士でも無いので、手を繋いで歩いたり、腕を組む筈もない。
肩が触れ合わない程度の絶妙に空いたその距離は、二人の心の距離を示しているようにも思えて、これが果たして近いと思うべきなのか、遠いと感じるのが正しいのか、頭が混乱してきそうだった。
これで俺の一人相撲だったら悲しいな、と天国から地獄へ叩き落されそうな不安を抱えていたが、案外そうでもないらしい。
よく見てみれば、頬を赤らめた彼女が、先程から周囲を気にしながら、チラチラとこちらへ視線を送っている。
おかげで、思春期真っ只中の年頃であれば、男女問わずこんなものなんだと開き直ることができた。
目的の場所へは何度か友達と出掛けたことがあるので、迷いなく足を進めていたが、いつもの調子で歩いていると、徐々に彼女の姿が下がっていくことに気づき、少しゆっくり歩くことを意識した。
女の子と出掛ける時は、そのくらいのことは気を付けろという初歩中の初歩であることすら、最初は気が回っていなかったが、今日はそもそもデートのようでデートではなく、別の目的で来たのだと思い直す。
彼女が兄に送る誕生日プレゼントを一緒に考えて欲しいという話だったが、何分情報が少なすぎて、アドバイスしかねるのが現状だ。
高3といえば、受験生でもあるが、青春真っ只中の年頃でもある。というか、人によっては既に彼女の一人や二人作っていてもおかしくないと思うので、まず彼について色々情報を集めてみないと、見当違いの結論へ辿り着いてしまいかねない。
「一つ聞いておきたいんだけど、付き合ってる人とかいるの?」
「え!? い、いないよ! そ、そもそも、か、彼氏なんて、居たこともないのに。ただ…、気になってる人はいる…といえば、いるけど…」
「彼氏?」
一気に顔が真っ赤になって、慌てて言葉を紡ぐ彼女の発言で、思わぬ情報を得ることが出来た。
しかし、気になってる人って、一体誰のことなんだ…?
「え? …あっ!! も、もしかして…お兄ちゃんの話だった…?」
「あぁ、そのつもりで聞いたんだけど…ごめん、聞き方が悪かった」
自分の中では考えと繋がっていたので、普通に聞いたはずだったが、主語が抜けていたために、彼女が勘違いしてしまうのも無理はない。
「むぅ…。お兄ちゃんなら、多分…彼女さんが出来たって話を聞いた覚えもないから、いないと思うけど…。そういう古雲くんは、ど、どうなの!?」
むくれた彼女は、顔を真っ赤にしたまま、お返しとばかりに、今度は俺に詰め寄って来た。
彼女がいる男なら、必然的に必要になるであろう極薄のゴムが一番実用的だろうと思っていたのだが、よく考えたら、妹からそんなものを貰っても、どう反応していいか分からないだろう。
もしかしたら、勘違いして万が一の事態が起きうる可能性もある。
「どう、って?」
「だ、だから…今、お付き合いしている人がいるとか、いないとか…そういうこと、だよ?」
自分の恋愛事情をバラされたので、俺のことも聞いてやろうという魂胆なのだろうが、話すまで逃がさないと言いたげに腕を掴むので、そちらの方が気になってしまう。
というか、なんで自分から聞いてきたのに、彼女の方が恥ずかしそうに目を背けているのだ。
「あぁ、いないいない。俺も、彼女なんてできたことないよ。かわいい彼女がいれば、大耀みたいな男とばっか遊んだりしてないって」
「へぇ…、ちょっと意外。てっきり、古雲くんなら、中学でも彼女さんがいたりするのかと思ってたから」
どこをどう見ればそう思うのか聞いてみたいものだが、当の彼女は若干拍子抜けしているようだった。
男は初めての女を求め、女は男の最後になりたがると聞いた覚えはあるが、彼女の中で、女性経験のなさすぎる俺の評価がだだ下がりしてしまったのではないかと無駄に落ち込んだ。
「そう? そんなこと言われた試しが無いけどな…。というか、それを言うなら、雅君さんの方がよっぽどでしょ。中学でも散々告白されたんじゃない?」
「そんなことないよ。…私、おちょこちょいなとこがあるみたいで、小学生の頃からそれで…イジられることがあって…、中学でもそんな感じで、男の子からも揶揄われてばっかりだったよ」
彼女は手を離すと、今度は恥ずかしそうに頬を掻いていたが、それはおそらく、本音を言いたくても勇気が無くて言えなかった男子たちの照れ隠しだろうと思えた。
しかし、そうやって揶揄われ続けてきた所為なのか、佐出さんや東とは違ってあまり自分に自信が無さそうなこともあり、現状でもモテていることすら、ちゃんと自覚していないのではないかと疑われる。
「でも、それにしては、さっきから古雲くん落ち着いてない? 私なんて、さっきからドキドキしっぱなしだよ。同い年の男の子と、こうやって出掛けることなんて初めてだもん…」
「あぁ、それは…。周りが泣いてると、逆に冷静になって泣けなくなるって話分かる?」
「うん。卒業式とかでよく聞く話だよね。…ん? …ってことは?」
「俺も緊張してるけど、雅君さんが意識しすぎて顔赤くなってる姿を見たら、逆に冷静になったってわけ」
「もぉ~、バカバカ! 古雲くん、意地悪だよぉ…」
軽く胸板を小突いてくるいじらしい姿は、無邪気な彼女の素の一面が見れたようで、本人は不服だろうが嬉しかった。
「悪い悪い。でも、こうして普通に話せるようになったのは、雅君さんのおかげってことだよ。感謝してんだから」
「…ずるいよ。そんな風に言われたら、もう何も言えなくなっちゃう」
つい、帽子の上からポンポンと頭を撫でてしまったが、案外気に障らなかったようで、いつも以上の笑顔を取り戻した。
そんな甘酸っぱく初々しいやり取りをしながら10分ほど歩き、目的地へ到着すると、点々を店を練り歩いた。
この辺りでは有数のショッピングモールということもあって、日曜の昼間は老若男女問わず人が行き交って賑わいを見せており、その中で出店している店も様々だ。
ファッション、雑貨、文房具、他にもゲームセンターが入っていたりするので、ここで一日過ごそうと思えば、簡単に潰れてしまうような規模である。
時代の流れにそぐわないと言われているゲームセンターは、全国でも数が減っていると言われているが、その一方で誰でも簡単にスマホで写真が撮れるようになった世の中でも、同じ年頃の女子たちの間でプリクラを利用するというのが不思議でならない。
それはともかく、先月まで中学生だった俺たちでは、プレゼントを買う為とはいえ、予算はそう多く捻出できない。
手頃な値段でも安っぽく見えず、気に入ってもらえる物を探していたが、男女問わず買い物の途中で本題から逸れてしまうことはあるらしい。
「あ、これかわいい~」
お前の方がかわいいよ。なんて歯の浮いたセリフを言えるはずもなく、頭に浮かんだそのセリフを片隅に追いやって、彼女の手元へ視線を動かした。
何かと思えば、某国民的アニメとなったモンスター育成系RPGが原作のキャラグッズだった。
近年、その何百種類といるモンスターの一部をフィーチャーして売り出しているような話は聞いていたが、専門店でなくても、その手のグッズが置かれるようになっていたらしい。
プレイヤーの育成方法によって、何通りかある進化パターンのうち、いずれかに姿形を変えるモンスターたちで、人によって好みが分かれるとも言われているし、ネットにはそれを元にした性格診断まであるという。
「ねぇ、古雲くんも知ってるでしょ?」
「そりゃもちろん」
今でもやってると言うのは、ちょっと子供っぽく思われる風潮があるので、その言葉の続きは言わないでおいた。
というか、俺も彼女も同い年なのだから、同じ世代で生まれ育ってきたので、当然流行り物も同じはずだ。
俺に限らず大耀ももちろん知っているし、小学生くらいになると、きっと誰しもが一度は通る道なのではないだろうかというほどだ。
「私ね、この子が好きなんだー。リンフィー」
彼女が手に取ったのは、如何にも女の子が好きそうな偏見を思い浮かべるリボンが巻き付いたイメージの犬らしきモンスターだ。
「リンフィーか、いいねー」
「でしょ? かわいいよねー」
俺のいいねと言った理由は、以前ゲームでもパーティに入れていたことがあり、この類似種の中では、なかなか汎用性が高く、まずまずの活躍を見せてくれていたからだ。
「リンフィーも良いけど、俺はこっちの方が好きだな」
そういって手に取ったのは、水を連想させる青色に全身を覆われたモンスターだ。基になったイメージが、人魚と噂されていることもあって、かわいくも美しいクールな印象を抱かせる。
デフォルメされたマスコットは、キーホルダーにもなっていて、手のひらに納まるサイズだ。
彼女の言うように、かわいくはあるが、高3の兄に送るプレゼントとしては、余程このゲームやキャラが好きでなければ、気に入ってもらえないだろう。
「確か、イーシャだよね? そっちもかわいいし、古雲くんが好きなのも何となく分かるかも」
「そう? まぁ、最初に育てた時に、イーシャになったってのが大きい気はするけどね。思い出補正ってやつ」
「あー、分かるー。私も、そうだったもん。どの子になるのかなーってドキドキしてたけど、リンフィーになった時は嬉しかったなぁ」
昔の思い出に浸る彼女のように、純粋に楽しめている頃は良かった。
それが行き過ぎて、対戦に熱を入れ始めると、知れば知るほどモンスターたちがキャラクターではなく、数字の集まりにしか見えなくなってきて、なかなか以前のように楽しむことが出来なくなってしまったからだ。
「そうそう、よくクリスマスの時期になると、サンタさんに頼んで買ってもらったの覚えてるよ」
「サンタさん、ねぇ…」
「どうかしたの…? あんまり良い思い出ない?」
楽しそうに語る彼女とは反対に、遠い目をして返事をしたので、彼女もその違和感を察したらしい。
「いや、まぁ…ずっと彼女もいないし、それもあるけど、ミニスカサンタは好きさ」
「うんうん、かわいいデザイン多いよねー。でも、実際に着てみたら、絶対寒いんだろうなー」
楽しそうにしている彼女に、わざわざ水を差すようなことを話すべきか迷いながら、手持ち無沙汰になって、イーシャを手の中で転がした。
縫い付けられたゴマみたいに真っ黒な瞳は、何も語ってはくれない。ただジッと、真っすぐに見つめていた。
「もしかして…クリスマスプレゼント、もらえなかった…とか?」
「貰えたには貰えたよ。でも、それはサンタさんからじゃないだろ…?」
「それは…」
高校生にもなれば、サンタクロースと言われる偶像の正体を知る機会はあっただろう。
しかし、店内の子供たちに配慮したのか、それ以上何も言わなかった。
言い淀んだ彼女に、そんな顔をしてほしくはない。でも、彼女には俺を知って欲しいと思ってしまった。
「雅君さんは、嘘には悪意のある嘘と優しい嘘の二種類があるって話、聞いたことある?」
「ううん…。でも、なんとなく言いたいことは分かるよ」
「そう。優しい噓っていうのは、相手のことを思って吐く嘘とも言われる。だから、その嘘は悪く思われにくい。でも、その一方で、嘘吐きは泥棒の始まり。そう教えられた覚えもあるでしょ?」
「うん。小さい頃、言われたと思う」
「この時点で、矛盾してるんだよ。平気で噓を吐いている大人が、嘘を吐くのは悪いことだ。嘘を吐くんじゃないってね。不条理だと思わないか?」
「だから、俺は嘘が嫌いなんだ。優しい嘘であっても、他人を騙しているのは同じだからね」
「そっか……。だから、サンタさんに対しても、快く思ってないんだね…。ごめんなさい、変なこと聞いちゃって…」
「いや…、俺が勝手にしゃべっただけだから、雅君さんが悪いわけじゃないよ。こっちこそ、ごめん…」
「……」
「……」
勢いで話してしまったばっかりに、気まずい空気になってしまった。もはや、さっきみたいに普通に話すことも叶わなければ、彼女と視線を合わせることも難しい。
やはり、女の子と二人でいる時に、わざわざ話す内容ではなかったと後悔する。
「…私、ちょっとお手洗い行ってくるね!」
「あっ…!」
やってしまったと不甲斐ない自分を呪っていたのが仇になり、トイレに行くなら商品は置いてきなよと言いそびれてしまった。
まぁ、万引きするような子ではないだろうし、何かあっても事情を話せば分かってもらえるだろう。
「はぁ…。だから、俺はモテないんだろうなぁ…」
空気も読めない。女心も分からない。むしろ、一体どこにモテる要素があるのかと疑問に思う。
俺に彼女が出来ないのは、偶然ではなくて必然だったのだと感じながら、時間を持て余し、ふとスマホを手にすると、一件の通知に気づく。
何のことは無い。大耀から、メッセージが入っているだけだった。けれども、そこにいつもの日常がある気がして、妙な安心感を覚えた。
「今頃は、両手に花で楽しんでる頃か? あとで、どんな感じだったか教えろよー」
こちらの気も知らず、いい気なものだ。ちょうどいいから、少し相手をしてもらうとしよう。
「桑原は、急に熱が出たとかなんとかで来てないぞ」
「え? じゃあ、今雅君ちゃんと二人きり? むしろ、チャンスじゃん! あー! やっぱ、無理してでも行くべきだった! てか、そこ代われ! 今すぐにだ!!」
「代われるもんなら、代わってやりたいよ…」
「なんだ…? そんなおいしい状況にいるのに、何が不満なんだ?? あ、まさか…、調子に乗って尻でも触ったんじゃないだろうな? 気持ちは分かるけど…ダメだぞ、そういうのは抑えとかないと、身体目的だと思われちまうからな!」
「アホか。そんなわけないだろ。ただ…ちょっと、会話が上手くいかなかっただけだよ」
「なにぃ? 何だかんだでその辺は上手くこなしそうなイメージがあったけど、長男のお前さんでもダメだったか…。安心しろ、骨は拾ってやる」
「もう、どんな顔して会えばいいか分からないぜ…」
「笑えばいいと(略」
「ごめん、お待たせ」
半ば、ネタの応酬になっていたところで、雅君さんが戻って来た。
どう対処していいか分からなくなってしまい、口に出す言葉さえ悩んでしまったが、彼女はそんな俺に一つの包みを手渡す。
「はい、これ。受け取って」
「なんだ、これ? 特に貰うような覚えはないが…」
俺の誕生日は当分先だし、もちろん彼女の兄である筈もない。
「気分を悪くさせちゃったお詫びと、今日買い物に付き合ってくれたお礼だよ」
むしろ、お詫びは俺がするべきではないのかと思いつつも、あんな話を聞かされた上で、そんな風に言ってくれるのが嬉しかった。
「…そう言われると、無下に扱うわけにもいかないな」
手の平に納まるような小さな包みは軽いが、その中に詰まっているものは、実際の重さとは違って軽いものではなさそうだ。
「開けてもいいか?」
「うん。それは良いけど…、お店の外に出てからじゃないと、怒られちゃうよ」
「それもそうか」
「もうお兄ちゃんへのプレゼントも買ってきたし、外行こっか?」
「え…? いつの間に…?」
「へへっ、ビックリした? あ、お手洗いのことも嘘じゃないからね。お会計済ませてから、ちゃんと寄って来たから」
「いや、それは別に言わなくていいけど…」
「あ…、そ、そうだよね…。はしたないって思った?」
「ううーん、なんか…おちょこちょいだなって」
「あー、それはそれで、ちょっとイヤかも」
トイレの件辺りから、どう言葉を返してもハズレくじを引きそうな気がしたが、案の定だった。これで、ドジとか彼女らしいとでも言ってしまった日には、手渡されたこの包みも、没収されていたかもしれない。
「でも、結局プレゼントには、何を買ったんだ?」
「んー? ナイショ」
「ふーん。まぁ用が済んだなら、別にいいか」
「もう、ちょっとは興味持ってよぉ」
「教えてくれるんなら、それでもいいけど、教えたくないことを詮索されるのも嫌でしょ?」
「それはそうかも…。ふふっ…」
「なんだよ、その笑いは」
「ううん、何でもなーい。それより、次行こ?」
「次…って、もう用は済んだなら、帰るんじゃないのか?」
「えー? 古雲くんは、もう帰りたいの? せっかく来たんだし、もうちょっと色々見てからでも遅くないでしょ?」
「まぁ、俺は構わないけど」
「あ、そうだ。ゲームセンター行こっか? 私、プリクラの用でしか行ったことないし、男の子は行くことも多いでしょ? 色々教えて欲しいな」
「別にいいけど、金吸われるから、ウィンドウショッピングよりも質悪いぞ。気に入るようなものがあるとも限らないし」
「いいのいいの。行こ行こ、ほーらぁ」
一応用が済んだというのに、積極的に連れ回そうとする彼女の姿は、先程とは別人のように生き生きしているように見えた。
「トイレ行ってる間に、誰かと入れ替わってないか?」
「あー、失礼だなぁ。私は、古雲くんと楽しもうと思っただけだよ?」
そういわれてみれば、彼女の頬の赤らみはとっくに薄れて、普段桑原たち女子グループと接している時の雰囲気に似ているかもしれない。
さっきまでよりも、むしろ距離が近くなった彼女は、肩が触れ合うほど近寄って来ており、ただのクラスメイトというには疑問が残る距離感だ。
店を出て、彼女の要望通りショッピングモール内のゲーセンに足を運んでいる途中、隣からの熱い視線を感じながら包みを解いた。
「あっ…」
中に入っていたのは、先程手に取って見ていたイーシャのマスコットだった。
心なしか、さっき見た時よりも、嬉しそうな表情を浮かべているように見える。まるで、また一緒に冒険できることを喜んでいるみたいに思えた。
そして、そのつぶらな瞳と目が合うと、まだ純粋な気持ちでゲームをプレイしていた当時を思い出し、初心に返らせてくれるようだった。
「気に入ってくれたかな?」
「ぁぁ…。大事にするよ…」
イーシャは所詮、ゲームの中のモンスターであり、データとして打ち込まれた数字の集合体でしかない。空想上の物語の中に存在する、架空の生き物だ。
でも、俺が過ごしたイーシャたちとの時間や思い出は本物だ。
同じ世界で過ごしたいと願った気持ちも、紛れもない本心だ。
なのに、俺がそれを蔑ろにしてしまったら、誰がそれを肯定してくれるんだ。
きっと、彼女はそこまで思ってこれをくれたわけではないだろうが、色んな思いが重なって、彼女から貰ったプレゼントは、大切な宝物へと昇華した。
「古雲くん…、どうしたの?」
「いや、ちょっと…目にゴミがな……」
「そう。目薬あるよ?」
「大丈夫、俺も持ってるから」
彼女の優しさに触れつつ、気を取り直して、ゲーセンに足を踏み入れた。
その後、キャイキャイ言いながら、俺も久しぶりに訪れたゲーセンで、新しいゲームやプライズ品が入っているのを見かけたり、ナンバリングが増えてるだけで大して変わっていない筐体を眺めたりしながら、彼女とのひと時を楽しんだ。
多少気は遣っていたものの、途中から大耀や男友達と過ごしている時のような感じになってしまったので、後から振り返ると彼女が楽しめたのか不安が残るが、無邪気な笑顔が印象的だったことから、満更でも無かったのだろうと思いたい。
ゲーセンに行った後も、足を休めるために休憩を挟みながら、まだ立ち寄ってなかった店を転々と回っていたが、あんまり遅くなっても良くないだろうと思い、日が暮れる頃には電車に乗って帰り、今日はお開きとなった。
「今日は、楽しかったな…」
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った夜、暗い家の中で、一人佇む少女がいた。
彼女の視線の先には、今日とある男の子にプレゼントした物と同じマスコットが鎮座していた。
「プレゼント、喜んでくれたかな…。喜んでくれたよね…?」
彼女が問いかけても、暗闇の中のイーシャは、何も答えてはくれない。
それでも、彼女は言葉を続けた。
「好き…。好きだよ…。ずっと、ずっと…永遠に、好き…好きなの…。でも…」
彼女は、堪らず目を伏せる。
「ごめんね、古雲くん…。私も、嘘吐きなんだ――」