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一握りの幸せ  作者: 天一神 桜霞
第一章
3/11

② 禍転じて幸を為す

 翌日、昨日と同じように大耀と登校してきた俺は、普通に教室へ足を踏み入れた。

 至極当たり前の出来事だが、昨日はそれすらできなかったことで悪目立ちしてしまい、おかげですっかり皆の印象に残ったらしく、真っ先に顔と名前を覚えてもらえたようだ。

 若干、含みのこもった笑いを堪えながら挨拶を交わす者もいたが、それはごく一部だ。大して気にするようなほどでも無い。

 それよりも、登校二日目にして、早くも教室内の空気が変わり始めていた方が気になった。

「ちょっとずつだけど、輪が出来始めてるな」

「女子は、特にグループ意識が高いって言うからなぁ。でも、ノブの言う通り、男連中も、それなりに集まりが出来てるみたいだな」

 一旦、自分の席まで行って荷物を置いてきた大耀は、自然と俺の席までやってきて話していたが、もちろん元から仲の良かった者同士の集まりばかりではない。

「昨日はさっさと帰っちゃったけど、他の奴らはその間にもう一緒に出掛けたりしたのかもな」

「アリウール」

 少し静かになって周りの様子を窺ってみれば、同じ部活をやっていて、試合で見かけた者同士や、同じ塾に通っていて顔見知りだった者が、それをきっかけに話し始めたらしく、まだ手探り感は否めない様子だった。

「まあ、男の方はともかく、問題はあっちだぜ」

 小さくジェスチャーをして示した先には、複数の女子グループが出来上がっていた。

 まだ2,3人の集まりが多いが、その中には注目あるいは注意すべき者たちもいる。

「よりによって、ああいう奴らが集まるのか」

「空気感もそうだけど、見るからに同類って分かるからな。それで、お互い寄ってくるんだろ。ヤーバっ、気の強そうな女が、一堂に集まってんぜ」

「類は友を呼ぶってことか」

 大耀の言い方もまだマイルドな表現ではあるが、親世代の古い言葉で言えば、ヤンキーとかDQNといった非社会的な人間という括りになり、もう少し新しい表現では陽キャなどといったスクールカーストの上位を占めるギャルという者たちだ。

 早くもそのマウントを取ろうとしているのか、周りにも聞こえるような声量で話しており、そのどれもが自分を誇示するもので、よくもまあそんな話を自慢気に話せるものだと、逆に感心してしまう。どこからその自信が湧いてくるのか、教えて欲しいくらいだ。

「皆もSNSやってるー?」

「もち、やってるやってるー。皆の教えてよ、フォローするから」

「オッケー。でも、うちちょっと自慢できるくらいフォロワーいるからね、ビビんなよ」

 佐出さんの下に集まった三人の中で一番ちんちくりんの明らかに背が低い少女が、その身長差をものともしないほど自分を誇示していた。

 確か、あずまとか名乗っていたその少女の身長は、椅子に腰掛けた佐出さんと大して変わらないほどなので、如何に小さいのかがよく分かる。もはや、本当に高校生なのか怪しいくらいだ。

「え、ウソっ!? 1万超えてるじゃん、すっご。うらやまー。あーしなんて、全然なんだけどー、マジフォロー頼むー、色んな意味で」

 それに対して、小さい者がいれば大きい者もいるように、切実にフォローを求める声を上げたのは、確か高橋と言っていた女子だ。

 女子にしては高めの170センチ近い身長がありそうで、周りの男子と比べても、そう変わらない。なので、東の隣に立つと、余計彼女の小ささが際立つ。

「でも、うちのフォロワー絶対ロリコンおじばっかだし、変態だらけで正直素直に喜べるもんでも無いんだよねー。マジキモーイ」

「そう? 母性本能くすぐられた女の人とかもいそうだし、フォロワーいるだけ良いじゃん。あーしにも、寄越せよー」

「そうそう。かわいい写真いっぱい上がってるもん、これなんて最高! 私、早速保存しちゃったもんね」

 一通り自逆風自慢もこなし、グループの中で唯一黒髪の田村さんからも褒められて得意気な少女は、小さい胸を張ってさらに背伸びをしていた。

 褒められて伸びるタイプなのかもしれないが、伸びているのは身長ではなく鼻の方だろう。

「ふふーん。あたしは、もっと多いけどねー」

 だが、世の中上には上がいたらしい。満を持して自らのスマホを見せつけた彼女の姿は、まるで印籠を見せつける水戸黄門を思い起こさせた。

「げっ…ウソっ!?」

「一、十、百、千、万…十万!? え、フォロワー、20万もいんの? えっぐ、マジえぐすぎだって、笑えない、ひっひっひ」

 笑えないと言いながら、思いっきり笑っている少女に「ワロとるやんけ」とツッコミを入れたい気持ちを我慢して、その数字の真偽を図っていた。

「無理無理、素人でそんないかないって。怜空れいあちゃん、ちょっとした芸能人レベルだよ」

「あー、これやってんなー。うーわ、ナニコレ。えっろ」

「こりゃ、フォロワーは9割男だろうなー。あーしが男だったら、絶対ほっとかない自信あるし」

「怜空ちゃん、スタイル良いもんねー。おっぱいおっきぃー、谷間えぐーい」

「まあ、そうでもあるかなー。あたしからすれば、これが普通だけどねー」

 昔はどうだったのか知らないが、現代においてマウント合戦で優位に立てるのは、フォロワーの数だと聞いたことがあったが、実際その通りだったらしい。

 数の暴力を見せつけ、俄然優位に立った彼女は、昨日大耀が言っていた通り、要注目株であったらしく、彼女らのグループの中でも一段と目立っている。

 こういったギャルの例に漏れず、明るい色をした髪を片方にまとめているサイドポニーはともかく、耳に飛び込んできた通り、明らかに主張が強い胸部の膨らみが特に目を引く。

 あのグループ内でいえば、東がツルペタ。高橋も同レベル。田村さんだけは、確かに膨らみを確認できるほどだが、それでも彼女に比べると見劣りする。

 しかも、それを自覚した上での行動なのか、若干だらしないと思うほど着崩したブラウスは、一番上のボタンが外されており、少し胸元が覗けるので、余計男の目が集まることになる。

 昨日の自己紹介を聞いた限りでも、彼女が自信家であり、自分の可愛さを自覚しているような素振りは窺えたが、どうやらその見立ては間違っていなかったらしい。

「うー、なんか腹立ってきた! その巨乳揉ませろー!」

「あっ、ちょっとぉ! も、もう、ダメだってぇっ、くすぐったいぃっ」

 東の小さな手が彼女のふくよかな胸に沈み込み、柔らかそうな弾力を思わせる一方で、昨日の小森先生とのやり取りが一瞬脳裏にチラついた。

「どうせ、彼氏に散々揉まれてんだろー。良いじゃん、減るもんじゃないしー。てか、ちょっとはうちに分けろー!」

「そんなことないってばぁ! 今、彼氏いないしぃー」

「えー、そうなん? もったいなーい。男なんてホイホイ寄って来て、選び放題なイメージなんだけどー?」

「まあまあ、それくらいにしときなよ。それより、フォロワーもいっぱいいるし、スタイルも良いんだから、DMでスカウトとか来たりしないの?」

「あー、それなー。それが、結構来るのよ」

「えぇ? マジか」

「え? それで、それで!? 受けたの? どこの事務所? どの雑誌?」

 胸に手を伸ばしていた幼女は、今度は胸倉に掴み掛かって、食い気味に質問を向けていた。

「ちょ、ちょっと落ち着いて。どこも受けてないから」

「えぇー? もったいなーい。あーしなら、即受けても良いんだけど」

「うちもー。小学生モデル以外ならねー」

「あ、それはそれでかわいいかも」

「アンタねー!」

 沸点の低い子供は、また別の煽られた先に掴み掛かり、怒りの矛先を変えていた。

「それで、なんで受けないのさ? 芸能界に興味無いとか?」

「いやぁ…そういうわけでも無いんだけど、そういう話が多すぎるのよね」

「多すぎる??」

「あー、分かった。詐欺師が交じってんだ」

 身体が小さくとも、頭脳は大人だとばかりに、的確な予想をしたお子ちゃまは、行儀悪く机に座り、踏ん反り返っていた。

「そう、多分ね。あたしが気にしてんのは、正にそこよ」

「なるー。身体目当てのおっさんは、それこそフォロワーの数以上にいそうだしねー」

「そそ。それに、この間まで中学生だったっしょ? それもあってね、親にも止められてたし」

「高校生になれば、バイトがオッケーって学校も多いもんね。確かに、中学生だと余計不安かも。ちゃんと、中学生モデル使ってる雑誌もあるけど」

「そういうこと。どっちにしろお金はあって困らないし、読モとかで稼げるならそれに越したことはないけど、ちょっとリスキーな気がしてさー」

「おっぱいが大きいと大変ねー」

「ふーん、そういう苦労もあんだねー」

「私には、ちょっと縁遠い世界だから、知らなかったなー」

 彼女なりの苦労話を聞かされたにしては、三人の反応はどこか他人行儀というか素っ気なく思えた。

「てゆーか、なんか、さっきから妙に視線感じなーい?」

「分かりみー。いやらしいやつっしょー?」

「そりゃ、こんな話してるからじゃん? 男共が妙な期待して、そわそわ見てんじゃないのー?」

「うわっ、マジ? ワンチャン期待しちゃってる感じ?」

「あとは、机の上で胡坐掻いて座ってる子がいるからじゃない?」

「え? うち? 下履いてるから見えてもダイジョブだけど、そんなこと気にしてんの? キンモー」

 薄々そうだろうとは思っていても、期待を孕んだ視線を向けてしまうのが男の嵯峨であり、同じようにチラチラと気にしていた男たちは多かったのか、自然を装って顔を逸らす男たちは他にも何人かいた。

「ああいうのは、大っぴらに言わないで欲しいよな。なんか、こう…TPOをわきまえろっていうか…、下品なんだよな」

「そういうの、男が女に求める幻想とも言うらしいぜ。俺としても、その意見には賛成だけど」

「なんつーか、恥じらいが大事なんだよなー」

 なぜか、周囲の男子までその意見に賛同して頷いているような気がしたが、女子に聞かれたら何て言われるか分かったものじゃない。

「てか、このクラス全然イケメンいないじゃーん。マジハズレなんだけどー。課金するから、入れ替えてくれーって感じ」

「それなー。誰かさー、他のクラスのイケメン情報とか知らんのー?」

「知らん知らーん。あ、そだ。新しい制服でまだ撮ってなかったんだ。あぶねーあぶねー、忘れてた」

「撮るのは良いけど、上げるのはやめといた方が良いよー」

「あたしもそっちに賛成。最低でも、顔は隠しなよ」

「えー、ダイジョブだって。現役JKアピールした方が、食いつく男もいるっしょ」

「そりゃそーだけど、特定されても知らんぞー」

「特定されたところで、何も起きんって。むしろ、イケメンかもーん!」

「あっはは、マジでイケメン釣れたら、儲けもんじゃん。ウケる―!」

「おっ、なら…タグも付けとこ。イケメン彼氏募集中、っと」

 恥を恥とも思わないのか、彼女たちは思い思いの言葉を口にし続けていた。

「あぁ…、あっちは良いなぁ。オイラも、あの中に混ざりたいなぁ…」

 いつの間にか話が切り替わった彼の視線を追うと、やはり雅君さんの姿があり、彼女を含めたグループは先程のギスギスしたマウントの取り合いを行うグループと違って、和気藹々とした平和なものだ。

 これが、同じ教室内に同居しているというのが不思議で堪らないが、実際に目の前で繰り広げられているのだから、疑う余地は無い。

「あっちは面倒そうだからな。あのくらい平和な方が、そりゃいいだろう」

 平凡な答えと共に漠然と眺めていたら、不意に彼女と目が合って、昨日の保健室の去り際と同じように笑顔を向けられる。

 突然巻き起こった想定外の出来事を目にして、一瞬胸がドキッと高鳴った。

「い、今オイラのこと…! なわけないよな…。おい、ノブ。やっぱり昨日なんかあったんじゃないのか?」

「え…? 気のせいだろ? 大した事した覚えもないし」

「ホントだろうな?」

「ホントホント。マジのマジだって」

「ですよねー」

 モテない男の僻みは凄まじく、見たこともないような形相で睨みつけられたが、すぐに誤解は解けたらしく、まるで何事もなかったかのように解放された。

「はーい。皆、席ついてー。HR始めるわよー」

 簡単に納得してくれたのは良かったが、どこか不服が残る中、先生がやってきたことで、話は強制的に終了させられた。



 波乱を生んだ幕開けも、時が過ぎれば薄らいで、それが新たな日常となり、当たり前の光景へと変わっていく。初めて出会った者同士の仲も、会話や時間を重ねることで、少しずつ近づいて行ったらしい。

 特に、部活が始まってくると、同じ部活に籍を置く者たちは、共有する時間が長くなり、共通する話題もあるので話が弾むのだろう。初期の集まりから、だんだんと部活間での集まりに置き換わってきている。

 入学から二週間近く経てば、授業にも慣れ始めてなんとなくお互いのこともわかってくる。

 誰が何が得意で、何が苦手なのか。運動にしろ勉強にしろ、その人の個性が見えてきて、分からないことや困ったことがあった時、誰に何を聞けばいいのか、というのがおおよそ決まりつつあった。

 そして、俺の見聞きした感覚としては、雅君さんはちょっと抜けているというか天然っぽいところがあるらしく、時々ポカをやらかしている姿も目撃していた。

 勉強も運動も得意ではないようだったが、それを愛嬌で補っているらしく、クラス内での人気はすこぶる高かった。

 一方、彼女と男子内の人気を二分する存在が、やはり佐出さんだった。

 彼女の方は、クラス内でもトップクラスに頭が良くて、運動もそつなくこなせるみたいだったが、いつの間にかあのギャル集団からは切り離されて一人でいることが多くなっていた。

 類は友を呼ぶが、同族嫌悪という言葉もある。同類に思えた彼女たちの中でも、ウマが合わなかったのだろう。他の三人は常に一緒にいる印象があるものの、彼女が自ら彼女らに話そうともしないので、そこへ戻ろうとも思っていないようだった。

 女子の間の交友関係はともかく、男好きする身体とそれを自覚しているかのように色香を振りまく彼女は、多くの男の目に留まり、彼らのスケベ心をくすぐってやまない。

 科目によっては隣のD組と合同で授業を行うこともあり、また新たな顔ぶれを見ることになったが、大耀の独自調査も含めれば、学園内でも一,二を争うのは、やはりあの二人だという見解が導き出されていた。

 以前、女子の集まりで、このクラスはハズレだと言われてしまった覚えがあるが、その反対に彼の言い分としては当たりだという。

 確かに、登下校時や廊下ですれ違う女子を見ても、彼女たち以上に目を引く存在はいなかったように思うので、俺もその答えには概ね同意した。

「ノブ―、世界史の課題やったー?」

「あぁ、やってあるけど?」

「じゃあ、頼むから写させてくれよ。あの先生、いつも当て方がよく分かんねーから、当たっちまうかも知れないし」

「だったら、やってこいよ」

「それはそれ、これはこれよ。昨日だって、オイラがカバーしてなかったら勝ててなかったんだしさぁ」

「それこそ、全然違う話だろ…。全く、もう時間もないし…しょうがねーな」

「おぉっ、心の友よ!」

「大袈裟だぜ、それともネタか?」

「どっちでもいいじゃん。てか、見せるならもったいぶらずにさっさと見せてくれれば良いのに…」

「お前なぁ…」

 我が物顔で課題の答えを書き写す大耀に呆れていると、後ろの席の男子からも声を掛けられた。

「あの、古雲くん。僕も良いかな? 忘れちゃっててさ…、世界史苦手で…」

「あぁ、良いけど。間違ってても恨むなよ」

「うん、助かるよ」

 大耀に続いて、福島も書き写しているが、実はこの光景は今に始まったことではない。

 他のクラスメイトの学力や運動神経がおおよそ分かったように、俺の評価もされていたというわけだ。

 どうやら、クラスの男子の中では、成績が上位だったらしく、度々こういったことが起こり始めていた。

 グローバルな現代社会から取り残されそうに思えるほど苦手な英語はともかく、他はそこそこ分かっているつもりだし、頼りにされるのは悪い気分ではないが、その一方で良い様に使われている節も否めない点や、この小さな空間での上位であって、真に頭の良い奴は他にいくらでもいることを知っている為、自惚れているわけではない。

 親や祖父母世代まで遡れば、それでも胸を張れた時代はあったらしいが、ネットやSNSで日本どころか世界中と身近なところで繋がっている社会では、ちょっとやそっと頭が良くてもまるで誇れるものではない。

 仮に、このクラスで一番の成績をとっても、クラスのレベルが低いだけだった場合、学年単位でみれば二桁まで順位が落ちたり、さらに全国規模でみれば、三桁どころか四桁、五桁の順位になっても何ら不思議ではない。

 その事実を知ってしまうと、如何に自分がちっぽけな存在かと思い知らされて、何も偉そうな口を叩けなくなる。

 こんな生きにくい世の中であれば、親世代などの昔の時代に生まれたかったと思う日もあるほどだ。

「ねぇ、古雲くん。私も、見せてもらっていいかな?」

「雅君さん…!?」

 突然現れた意外な訪問者に驚いたのは大耀も福島も同じで、さらに近くの席に座っていた男子たちも同様だった。

「やってくるの忘れてきちゃって…、友達に見せてもらおうとしたんだけど、自信無いからダメって言われちゃって困ってるの…。最近当てられてないから、そろそろ当てられそうな気がして…、お願い!」

「そりゃあ…、良いけどさ。間違ってたら、ごめんな」

 かわいい女の子の頼みを断る男など、いないだろう。俺もその例に漏れず、断るという選択肢がすっぽり抜け落ちて、二つ返事で承諾してしまった。

「ううん、古雲くんが謝ることじゃないよ。写させてもらってるのは私の方だし、何なら私が出した答えよりも、古雲くんの方が合ってそうだもん」

「ん、んん…。そ、そうかな…? そんなことないと思うけど…?」

「そんなことあるよー。あ、早く書かないと、そろそろ先生来ちゃうかな」

「あ、ひ、古雲くん。ありがとね」

「あぁ、いいって」

「ノブ、オイラも終わったから、そろそろ戻るぜ。ボチボチ時間だしな」

 あれだけ目を付けていた相手だというのに、いざ傍に来られると身を引いてしまうダメダメな男どもが早々に去ってしまう中、俺はどこかに逃げるわけにもいかないので、引くに引けない。

 彼女の付き添いと思われる女子が雅君さんの隣で控えていることもあって、男子のたまり場から女子が二人も居付いてしまっている状況へ早変わりし、余計不慣れな事態に頭を悩まされる。

「志音、急いで。あと1分くらいしかない」

「あぁーん。待って待ってぇ、私ももうすぐだから、まだ行っちゃダメぇ…」

 意味深に聞こえる甘い声と共に、小さくお尻を振るものだから、余計男の目を引く。

 しかも、先程からお互いに向き合うような位置関係で、彼女が屈みこんで答えを写していた為、胸元が少し緩くなってしまい、意外と大きい彼女の膨らみを目撃してしまったのだが、その膨らみが揺れることで、さらに弾力を見せつけてきて目を逸らせずにいた。

 幸い、本人は全く気付いていなかったらしく、他の生徒も慌てて次の授業の準備をしている者たちばかりなので、今のところ咎められてはいない。

 特等席からの眺めは最高だったが、罪の意識や背徳感に襲われるのも事実だった。

「よし、できた。ありがとね、古雲くん」

「あ、あぁ…」

 こちらこそお礼を言わなければいけないような気がしたが、そんなことしたら、さすがの彼女でも気づいてしまうだろう。

 そうなれば、もう彼女との距離を近づけることは絶対に無理だと、嫌でも分かる。

 彼女が去ったのと時を同じくして先生が教室へ入ってくると、それどころではなくなり、顔がにやけていないか心配しながら平静を装った。

 チャイムが鳴ったのに合わせて号令が掛かり、形式だけの挨拶が執り行われる。

「はい、じゃあ今日は…フランス革命の辺りだな」

 そして、ガラガラと椅子を引く音が響いた後に、恒例の課題を確認する時間がやってきた。

 なぜか世界史の授業だけは、初回の授業を除き、毎回このような流れになる。ただ、これは先生の意図というよりは、家でも勉強しろと言わんばかりに、授業ペースに合わせて数ページごとに2,3個問題を設けている教科書側の作りにあるといえる。

「ん、これは根本的な質問だな。問1,フランス革命は、そもそも何を求めて革命を起こすことになったのか。はい、じゃあ…雅君」

「はい」

 悪い予感ほど当たるものらしく、速攻で彼女が指名されてしまった。

 だが、彼女の挙動には不安や動揺が表れているようには思えない。寸前で写しておいたことが功を奏したとばかりに、書き写した答えを口にする。

「えっと、少数の貴族の為に厳しい重税を課す絶対王政を崩し、平民にも自由を与えられるように求めたため…です」

「うん、まあ良いだろう」

 難を逃れた彼女は、ホッとした様子で座りなおすと、先生が次の指名者を考えている僅かな間に、そっとこちらへ顔を向け、目が合った俺に「ありがと」と言っているようなアイコンタクトを送って来た。

 それで済めば、少しは好感度が上がっただろうと思って、今日はよく眠れそうな気がしていたが、そうは問屋が卸さなかった。

「じゃあ、次。同じ問題を…斜めに飛んで、古雲」

「(げっ…!)」

 彼女の鋭い直感と違い、自分には当たらないだろうと高を括っていたら、このザマだ。

 完全に不意打ちを食らった形になったが、とりあえず立ち上がりつつ、状況を整理する。

 万が一、指名されても大丈夫なように、いつも課題は一応やってきている。それが正しい答えかどうかは知らないが、やってきていれば、とりあえずの面目は保たれるわけだ。

 しかし、今自分の教科書に書かれている答えは、先程彼女が答えた内容と丸っきり同じである。彼女がこれを写したのだから、当たり前のことだ。

 だが、それをそのまま言うわけにもいかない。十人十色、人にはそれぞれ違う考え方があるように、一つの問題に対しても思うことは人によって様々だ。

 時に、同じような意見が意図せずに被ってしまうことももちろんあるが、一言一句同じ答えではなく、飾る言葉が変わってくる。

 その理屈で言えば、同じ内容の答えであっても、言い方を変えれば済む気もするが、もし疑いをかけられたら、困るのは俺も彼女も同じだ。

 どちらが写したか、あるいは写させたかは問題ではない。それを黙認したお互いが問題なのである。

 では、どうすればいいのか。一応、やってきませんでしたと開き直ってしまう手もあるが、本来俺が考えてきたはずなのに、それを無かったことにされてしまうのも自分のプライドが許さず、その選択肢は取らなかった。

 窮地に陥った時ほど頭はよく回転するらしく、幸いここまで考えるのに数秒で済んでおり、まだ教壇に立って教科書に目を落としている先生が不審に思っている様子もない。

 一方で、直前の休み時間に彼女が俺の答えを写していたのは、おそらくクラスの半数程度は知っているのだろう。

 その所為か、彼女や大耀だけでなく、他のクラスメイトの視線まで異常に感じる緊張感の中、もう一度問題文に目を通し、改めて考えを構築すると、そっと口を開いた。

「貴族や平民といった階級による格差を無くし、平等であるべきだと考えたから…ってとこですかね」

「あー、まあそういう面もあるな」

 授業開始早々、僅か数分で妙な疲れを感じたが、反対に何とか乗り切ったことで清々しさすら感じさせる。

 それは、教科書で前からの視線を隠しながら、再び俺の方へ振り向いて手を合わせている彼女の姿を見たおかげかもしれない。

 おそらく、謝っているつもりなのだろうが、俺は謝って欲しいわけでも無く、彼女の窮地を救えたことに満足していたのだ。

 安堵した様子で小さく頷いて返事をした後、なるべく顔を動かさず、大耀の方も見てみれば、先生からは見えないように親指を立てて、俺の小さな頑張りを讃えていた。

「……」

 その際、視界には別の生徒からの視線も映っていた。中でも、目を引いたのが、つまらなそうに授業を受ける中で、こちらに視線を向けていた佐出さんである。

 何を言うわけでも無かったが、彼女も今のファインプレーを評価してくれたのだろうか。

 一難去った後は、いつもと変わらぬ授業風景で、冷や汗を掻くような事態にはならなかった。

 全く興味のない世界史を延々と聞かされる時間が終わり、先生が立ち去ると、数人の生徒が足早に俺の元へ駆け寄ってきた。

「いやー、危なかったな。どうなることかと思ったぜ」

「あぁ、俺もビックリした。上手くいって良かったわ」

「ホントホント。見てるこっちがヒヤヒヤしたー。うわ、やべーって。でも、ナイファイだったな」

「古雲GJ」

「いや、でも言うほど大したことしてないって。なんか、その場でそれっぽい答えを言っただけだから」

「それを、サラッとやってのけるから良いんだよ」

「オイラだったら、忘れましたーって言ってたぜ、多分」

「でも、そういったところで、じゃあ今考えてみろ…って言われそうな気もすんぜ」

「あー、分かるわー。あの先生なら、言いそう」

 謙遜していたが、周りの男たちがはやし立てるから、ちょっとした英雄気分で内心はホクホクだ。

「あの…、古雲くん」

 騒々しいくらい騒いでいた男たちは、近寄ってきた一人の少女の声が聞こえると、途端に静まり返った。

「雅君さん…。予感、当たったみたいで、良いのか悪いのか。まあ、とにかく…役に立てたんなら、良かったよ」

「うん。さっきは、ありがとね。助かっちゃった」

「ん、あぁ…良いってことよ」

 かわいい女の子に笑顔を向けられれば、それだけで満足してしまう。男ってのは、そんなどうしようもない生き物なのだ。

「またまたー。謙遜しちゃってー」

「羨ましいぞ、このコノヤロー」

「そうだ、代われ代われぇ!」

 そして、そんな男ってやつは、他の男が良い思いをしてると思うと、冷やかしたり邪魔をしたりするものだ。

「あっ、ちょっ…お前ら、やめろ! 放せって! あ、おい、どさくさに紛れてシャー芯パクんな!」

「ふふ、皆仲良いんだね」

 今の状況を見て、果してそう思うものなのかと疑問に思っていた傍らで、誰とも知らない声が返事をした。

「もちろんさ!」

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