わかれ道
不倫は、既婚者が配偶者以外と関係を持ち、配偶者を裏切ることだ。言わずもがな、不貞行為であり、どんな理由であれ許されることではない。
だけど、不倫すると分かっていて結婚を選ぶ人はいないだろう。いたとしても、明らかに少数派だ。
この人となら一生一緒にいたい。
どんなことでも乗り越えていける。
そう思って、永遠の愛を誓うのだ。
だけど、現実は時に残酷だ。良くも悪くも人間は、時間の流れによって変化をしてしまう。そして、変化をしないことに苛立ちを感じてしまうこともある。逆に変化に対して寂しさを募らせることもある。多くの場合、それは自分に対してではなく、相手に対してだ。
結婚をし、恋人から夫婦になる。子どもができれば、パパママと呼ばれ、親になる。
仕事、家事、育児に追われ、気付けば永遠の愛を誓った相手を「家族」としてしか見られなくなる。
私だってそうだ。
慶介と出会って、恋をして、プロポーズをされて……。
結婚式で両親や友人たちに見守られ、永遠の愛を誓った。
慶介となら一生一緒にいたい。
添い遂げられる。
なにがあっても裏切らないし、許し合えるし、愛し合える。
そう思っていた。けれど――。
時間の流れはやはり残酷だ。
同棲していた頃はほぼ分担できていた家事も、夫婦になってからはだんだんと私の負担が大きくなっていった。
仕事をしながら家事をする。それは想像以上に大変だ。
仕事に行く前にお弁当と朝食作り、洗濯物を干して身支度を整える。仕事から帰り、すぐに夕飯を作り、お風呂を洗い、簡単に部屋の掃除をする。
一日中、休憩せずに働いているみたいだった。
ごくたまに、慶介が先に仕事から帰っている日に夕食を準備してくれることもあった。
「今日は俺が作ってあげたよ」
その言葉に違和感を持ったのはいつからだっただろうか。
同棲していたときはそんな言葉、聞かなかったのに――。
妊娠が判明すると、違和感はどんどん大きくなった。
つわりで身体が思いどおりに動かない。
何も食べられない。
四六時中、身体がだるくて何もできない。
慶介は最初こそ「大丈夫?」と労りを見せてくれた。
しかし、つわりが想像以上に酷く、仕事に支障が出てしまったことで、私は退職を決意した。妊娠を機に専業主婦になった私に対し、慶介はだんだんと横柄な態度を取るようになった。
「1日中家にいたのになんで掃除してないの?」
「洗濯物も畳んでないよ」
「夕飯も作れないの? またコンビニ?」
なかなか終わらないつわりとだるさ、次第に大きくなるお腹のため、なかなか思うように行動できない。そんな私を責める慶介の言葉は私の心をナイフのように切りつける。
一日中家にいるのに何もできない。
そんな状況に1番苛立ち、辟易しているのは私自身だった。
子どもが生まれてくる準備もそのための知識を身に付けることも、慶介は非協力的だと言えた。
母親は胎内で子を育てている間から「母」になれるが、父親は子が生まれてから初めて「父」の自覚が出てくる。
そんな言葉を思い出し、慶介もきっと子どもが生まれたら「父親」としての責任を持ってくれると信じていた。
慶介は出産には立ち会ってくれた。何時間も陣痛に苦しむ私の腰をさすってくれたり、手を握ってくれたり……「がんばれ」と応援してくれた。
子どもが生まれた瞬間は涙を流して喜んでくれた。「父親としての自覚が芽生えたのかな」なんて思った。
だけど、すぐにその思いは裏切られる。
里帰りが叶わず、悪露も終わらない時期から家事をこなし、3時間おきの授乳とオムツ換え、理由も分からず泣いている子どもをあやし、寝かしつけをする。そうこうしている間に次の授乳の時間になる。
いつ眠れば良いのだろう……。
回らない頭で「この子だけは守らなければ」と気を張る。
「この小さな命を守らなければ」
「死んでしまわないように私が頑張らなくては」
そう思えば思うほど私は追い詰められていく。でも、慶介はそんな私を心配することはなかった。そればかりか、慶介は仕事から帰ると溜め息をつくようになった。
「なんで洗濯物がこんなに溜まってるの?」
「子ども見てるだけでしょ? なんで家事できないの?」
「家にいるんだからさ」
「こんなんじゃ家に帰りたくなくなるよ」
言葉は刃物のように産後の傷ついた身体を切り刻む。
感情が無になっていくのを感じた。
独身の頃、よくネットで見ていた「ダメ夫」の記事。私の目の前にいる人はそれそのものだ。
「結婚前に見抜けない方が悪い」
「そんな男を選んだ方が悪い」
そんな風なコメントもあった。
いまなら分かる。結婚前に見抜けるはずがない。
結婚したから変わったのだ。
結婚したのに変わらないのだ。
子どもができたから変わったのだ。
子どもができても変わらないのだ。
いつの間にか私は慶介に対して、期待することをやめた。離婚の文字は何度もよぎるが、行動に移すエネルギーが無い。
慶介はそんな私の変化に気付かない。だから「2人目作ろうよ」と誘うのだ。
私は産後、一度も彼を受け入れていない。心も身体も彼を拒否するのだ。
それは私自身、寂しく、虚しい感情だった。愛しているはずなのに。あんなに恋い焦がれた男性なのに。
そんなとき、既婚者限定のマッチングアプリの存在を知った。不倫を助長するものではないといいながらも、目的のなかにはそれも該当するだろう。
婚外恋愛。セカンドパートナー。オープンマリッジ。
どんな綺麗な言葉を並べたところで、既婚者が配偶者以外の人間と身体の関係になってしまえば、それは紛れもなく不倫だ。
なのに、私はどうしようもなく惹かれてしまう。
誰かに認められたい。
誰かと話をして、共感してもらいたい。
性欲というよりは、承認欲求に近いそれ。
私――斉藤千穂は震える指で『登録』という文字をタップした。
これから待ち受けるのは甘美な癒しか、泥沼の地獄か――私には分からない。
ただ、選ぶ道が決して正しい道ではないことだけは解っていた。
もしかしたら今後、これを題材に長編を書くかもしれません。