第一章 少年期編 第五話 「ソノモノキエル②」
「帰ってない……?」
やっとの思いで帰宅して、父さんの最初の言葉は、僕の胸をえぐるような回答であった。
ルミナスは、まだ帰ってきていない。
いや、落ち着け。
まだ、ルミナスの身に何か起こったと決めつけるのは早計だ。
いつもと違う場所で、近所の子供達と遊んでいるのかもしれない。楽しくなりすぎて、時間を忘れているんだ。そうだ………。そうに違いない。
「ルドルフ? ルミナスは……?」
お父さんが、玄関までやってくる。
アレッサを抱っこしながら。
いつも通りの、にこやかな顔だ。
瞬間、僕は全身が凍えるような悪寒に襲われる。
答えたくない。
でも、答えなくちゃ……。
胸の奥が、ズキズキと、痛む。
「み、見つからなかった……」
少年の声が小さかったためか、うまく聞き取れなかったのであろう。父は、息子の言葉を聞き終わっても数秒沈黙していた。しかし聞こえた言葉の切れ端から、何を言っているのかは、すぐに理解が及ぶ。
ルドルフは、さぁーっと、父の顔が青ざめるのが、分かった。
無理もない。
いくら都会と言えども、ボルドーほど栄えていても、夜になれば治安が良いとは言い難い。
正常な父親であれば差し迫る夜の訪れに、肝を冷やすだろう。
「見つからなかった……? 一時間以上も探して、ほ、他の子供達は!?」
「いなかった……ひょっとしたら、他の場所で、一緒に遊んでいるのかも………」
父はカッっと目を見開くと、すぐに、冷静な目に戻る。いつもの、優しい目だ。
「ルドルフ、もう後一時間もすれば、あたりは暗くなる。お父さんが探してくるから、ルドルフはアレッサの面倒を見てあげて。ご飯は、作ってあるのを自分で食べなさい。いいね?」
「………ごめんなさい」
「ルドルフのせいじゃない。ルミナスにうまく説明してやれなかった、お父さんが悪いんだ。ちゃんと連れて帰ってくるから、落ち着いて家で待ってるんだよ」
ちがうんだ。
お父さん、違うんだよ。
僕は、自分の考えが正しいと思って、
お父さんとママの言いつけを深く考えてなくて。
買い物なんてしてたから、ルミナスの行方も分からなくなって。
だから。
ちがうんだよ——————————
「…………うん」
鉄っぽい匂いがする。
泣いてるのか? 僕は。
「じゃあ、行ってくる」
お父さんは、まるでふらっと果物でも買いに行くかのような、穏やかな顔で出て行って。
それから、二日経っても、ルミナスも、父も、帰ってはこなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
父とルミナスが帰るよりも先に、ママが帰宅した。
今回はカステル共和国まで陸続きの商売だった為か、思ったより早く帰宅できたそうだ。
ルミナスがいなくなって、一日と半日が過ぎ、朝日が昇り切った頃だった。
「それで、パパは出て行ったっきり、帰ってこないのね?」
「うん……」
「わかったわ。ママ、警ら隊にお願いしてすぐ帰ってくるから、それまでは待っていなさい」
ママは、怖い顔をしていた。
僕が事情を話し始めると、徐々に怖い顔になっていったが、最後まで黙って聞いてくれていた。
僕の、言い訳じみた説明も。
全部。
「私は、必ずすぐ帰ってくるから、ちゃんとお家で待っているのよ。アレッサを、お願いね」
「アレッサは、任せて。いってらっしゃい」
アレッサは、基本静かな子だ。
僕は滅多に泣かなかったそうだが、アレッサもほとんど泣かないし、手のかからない赤ちゃんだ。
僕一人でも、面倒は見れる……。
…………。
「やっぱり、僕も行くよ」
ルミナスが見つからないのは、僕の責任でもある。
せめて、僕も、間接的でもいいから、探さなくちゃ。
「………わかったわ。アレッサは、ママが抱っこするから、離れずについてきなさいよ」
ママは少し悩んだが、すぐに承諾してくれた。
それに、ここから一番近い警ら隊の駐屯所のすぐそばには、ルフィーノの果物屋さんがある。
大通りの店構えから常に往来する人々を見ている彼ならば、何か情報を持っているかもしれない。
警ら隊の駐屯所についた。
南北東西、街の四方に一際大きな駐屯所があり、点在する治安所の本部となっている。
街の中心地にある王城が総本部であるが、今僕たちは、北の駐屯所に足を運んでいた。
「お願いしますッ!! 娘と夫が行方不明なんです!! 探してはもらえないでしょうか!?」
「行方不明……わかりました。迷子の報告がないか各支部に確認しますので、今しばらくお待ちください」
確認? 今から?
確認するって言ったって、たとえ馬で効率よく各支部に行き、往復してきても半日以上はかかるはずだ。まるで直ぐにでも確認ができるような言いぐさだ。
ママも、怪訝な顔をして、疑問を口にする。
「あの……確認って、どれぐらいで終わるのでしょうか?」
「すぐです」
「直ぐって……どうやってすぐに確認がとれるのでしょうか?」
「それは、お答えできません。国の、軍事機密に該当します」
「軍事機密……?」
「はい。それでは、そちらでお掛けになってお待ちください」
受付の女性は、それだけ言うと奥に引っ込んでしまった。
………大丈夫なんだろうか?
「よくわからないけれど、仕方がないわ。待ちましょう」
「………わかった」
受付前の長椅子に腰掛ける。
…………沈黙がつらい。
「あ、あの! ママ、ほんとうにごめ…」
「言わなくていいわ」
すっぱりと、僕の言葉は遮られた。
熱くはないのに、背筋に汗粒が流れるのがわかる。
口の中は、カラカラだ。
「言わなくていいわ……ルドルフは賢い子よ。ルミナスを見つけようと、何かしら頑張ってくれたんでしょ。悪いのはパパよ。あなたとアレッサを残して二日もいなくなるなんて……」
苦悩の表情で爪を噛むママ。
ママのこんな姿は、これまでで初めて見る。
違うんだよママ……。
「お待たせをいたしました。確認がとれたようです」
親子の冷たい空気にすっと通る声。
気配もなく、受付にはまたあの女性が立っていた。
「ルミナスは!? 見つかりましたか!? 夫は、どうなんです!?」
母親は、ひどく取り乱した様子で受付に詰め寄った。
それもそうだろう。
もしここで何の情報も得られなければ、それは文字通り、この母親にとっては《絶望》以外の何物でもないのだから。
受付の女は、母親と大局的にいたって冷静であった。
否、その目は、冷徹とまで言っていいほどに、感情のない目であった。
抑揚の少ない、しかし訛りなど一切無い綺麗なエーテルメニア語で、女は口を開いた。
「落ち着いて聞いて下さい奥様。貴方の夫、ディエゴと娘、ルミナスはこのボルドー内で未だ行方不明です」
「行方不明…………?」
「はい。迷子の情報、そして七歳から八歳ほどの女児が、一人で出歩いている所を見た隊員は一人としておらず、魔族の男に同じ内容で駐屯所に依頼された情報も、ございません」
「そんなワケないわ! いくらなんでも、あの人が、娘がいなくなって警ら隊に尋ねないなんて、そんなこと……もう、二日も経つのよ………そんなこと………」
「ご依頼は以上でしょうか?」
無機質な声だ。
まるで、早くこの場を終わらせたいような、そんな声……。
「ほ、本当に全部調べて頂けたのでしょうか……? あまりにも結論を出すのが早すぎて、私、正直信じられないんですけど……」
「我々の調査、警ら活動は常に報告、統制されております。間違いはありません」
「あの、もう一度、調べてほしいです! 流石に、いくらなんでも……」
ママは聞こえていないのかな。
この人今……ママが喋ってる途中で、ため息、ついてた。
「ご依頼は、以上でしょうか?」
またしても、抑揚のない声。
母親は、一気に頭に血が昇る。
不安と心配の感情が、全て怒りへと変わっていく。
「あなたねぇ!! 娘と夫がいないのッ! 行方不明なのよ!? そんな対応……!!」
「我々は、慈善団体ではありません。あくまで、軍隊が名を変えて治安活動を行っているに過ぎないのです。我々が見ているのは個人ではなく、この街、しいてはこの国そのものです。貴方の問題は、我々の治安活動に含まれません。これ以上の説明は、機密上控えさせて頂きます」
「機密機密って……ッ!! 私の家族だって、この街の人間よッ!! 一体何を言って…!」
「お取引願え」
「ハッ!」
後ろを振り返ると、屈強な男が二人。
統一された警ら隊の制服をぴちっと着て、その腰には帯刀をしている。
男二人は両脇からママの腕を捕まえると、力づくで出入口まで引きずっていく。
「お願いしますッ! お願いしますッ!! 私に出来ることなら何でも……!! だから、私の家族を、探して………」
広いロビーに、ママの声が響く。
周りの隊員は、気にならないのか。
こちらを向くこともない。
そのまま僕らは、強制的に外へと出された。
ママは、駐屯所のすぐ外で、蹲っている。
泣いているのか、その肩は震えていた。
「ママ……ルフィーノと、叔父さんの所にも、行こう? 警ら隊じゃ知らないことも、ひょっとしたら知ってるかも……」
しばらくは沈黙していたが、動き出さないといけない気がして、ママに声をかける。
「………そうね、まだ二日、だもんね。誰かが見つけて、保護してくれる可能性も、あるわよね」
ママは、無理をしている。
絶対そんな気分ではないだろうが、僕を安心させる為だろう。
にっこりと、笑った。
僕は、何故だか笑わなきゃいけない気がして、
「うん! とりあえず、近い所から行こう! ルフィーノの果物屋さんに!」
精一杯の、作り笑いをした。