プロローグ
学校。教室。一番後ろの窓側の席。授業は雑音にしか聞こえない。窓の外をみる。今日も青空が目に突き刺さる。教科書。ノート。真っ白だ。
「…じゃあこの問題を…千本木。」
「…わかりません…」
「おいおい、授業きいてるかー?じゃあ…和久田。」
滞りなく進む授業。雑音が苦痛でしかない。
キーンコーンカーンコーン
「しっかり復習しとけよー。あと、千本木ー。後で職員室こい。」
呼ばれる理由はわかっていた。ゆっくりと席から立ち、ふらふらと職員室にむかった。
職員室では数人の教師が机に向かい仕事をしていた。
入り口近くの席に担任はいる。
担任がこちらに気付き、話し出す。俺を見つめるその目は心配の色がうかがえる。
「千本木。辛いのはわかるが、お前にも将来がある。ゆっくりでいい。悩みがあるなら相談してくれ。助けになりたいんだ。」
「…ありがとうございます…」
もう何度繰り返されたかわからない同じような会話にいつもの返事をし、俺は職員室をでた。
まるで生気を感じない渉が職員室を出ていく始終を見守っていた担任は、背もたれにおおきくよりかかった。
「…ふぅ…流石に難しいか…。ただ、テストは全部満点なんだよな……。」
試験の答案用紙を整えながら大きなため息をついた。
日が落ち始め、辺りがオレンジ色に染まりだす。家に帰る足取りは重く、気分は最低だった。
帰路の途中にあるいつもの公園に寄る。学校帰りにこの公園でだらだらするのが日課だった。小学生くらいの子供が元気に走り回っている。
公園に1つしかないベンチに座り、自動販売機で買ったコーラをあける。
にゃー
猫がよってきた。いつもののら猫だ。餌をやったらなつかれたようで、ここに座るといつもどこからかやって来る。猫はまっすぐみつめてくる。
「猫になりたいなぁ…。」
この猫が唯一の友達だった。他に友達はいない。前の友達は引っ越しと同時に音信不通だ。猫のあたまを撫でると喉をならす。温かく、ふかふかだ。
この猫と触れ合う時間は、かけがえのない時間だった。
「ただいまー」
「お帰り!お兄ちゃん!」
世界一可愛い妹が出迎えてくれる。
「お帰り。ご飯、できてるわよ。」
母さんの手料理はうまい。
「お兄ちゃん早く早く!ご飯さめちゃうよ!」
カバンを置き、手を洗い、席に着く。
「ワタル、今度父さんと一緒に釣り行こうぜ」
父さんは釣りが下手だった。
「また釣り?こりないわねぇ」
「お兄ちゃん!今日ね!今日ね!」
「…いただきます…。」
ただ一人、席につく。
それは脳裏に焼き付いた懐かしい声。耳の奥から離れない。
昨日のことのように思い出されるのはあの惨劇。
死体。三つの死体。
玄関で抵抗したであろう父の死体。
妹をかばうように倒れていた母の死体。
そして大好きだった妹の死体。
三人の死体の頭は食卓テーブルに並べられていた。
なにも知らずに学校から帰った俺は、その第一発見者だった。ありのまま。すべて。目に刻まれた。
「ウッ…」
ビチャビチャッ
吐いた。もう、何度吐いたかわからない。自分の気持ちがわからなかった。怒り?悲しみ?洗面所の鏡にうつる自分の顔は最悪だった。目に大きなくまがあり、頬はこけ、肌の色は真っ白、まるで屍だ。
「…はは……ははは」
自分の顔が自分の顔ではないようで、なんだか面白くて笑った。
「どうして俺も一緒に殺してくれなかったんだ…。」
やり場のない感情が溢れ、涙を流す。
「どうして俺も殺してくれなかったんだっ!」
洗面所の鏡を殴り割った。
部屋に戻る。
犯人はまだ見つかっていない。
当時は色々考えたが、今はもうなにもやる気が起きずにいる。
ベッドにたおれこみそのまま眠る。
この脱け殻のような生活をずっと続けていた。
季節は紅葉がきれいに整い出し、人はコートを押し入れから引っ張り出す。夜が早く来るようになった今日このごろ、学校からいつものようにふらふらと帰っていた。辺りはまだ、明るい。空は茜色に染まっている。夕焼けの暖かさは慰めにはならなかった。
いつもの公園のいつものベンチにあののら猫が座っていた。じっとこちらをみつめている。ちょうど外灯の電気がつき始め、世界は闇に包まれはじめる。俺と猫しか存在しないような、異様な雰囲気を感じる。
「……なんだ?」
不意に不気味さを覚えさせる。
猫がベンチから飛び降り、どこかへ歩き出した。すると立ち止まり、振り替えってこちらをじっとみつめる。
「……誘ってるのか?」
自然にそう思う理由はわからないが、ついていこうと思えた。
いつの間にか外灯もなくなり、月明かりが道を照らす。辺りはなにもない。あるのは今自分がいるこの道だけ。
猫は俺がついていくのを確認すると、歩みをすすめた。
俺はただ、ついていった。一歩、一歩、おそるおそる、しかし確実に。
辺りは真っ暗だが、道だけははっきりと見える。
辺りは真っ暗だが、進むべき道がわかる。
辺りは真っ暗だが、先に何があるかわかる。
いつの間にか猫はいなくなっていた。1人で歩く。一歩、一歩、確実に。
気づけば道もなくなった。完全なる闇に包まれる。月の明かりもない。完全なる孤独。1人。ここには1人しかない。
俺は落ち着いていた。居心地が良いとさえ思える。目をつぶる。静かに広がる闇。本当の闇。自分の鼓動を感じる。
そして目をあけると、岩があった。しめ縄がされており、巨大だ。
俺はそれに触れた。
瞬間、闇が音をたて崩れ落ち、視界が一気に開けた。
空は雲におおわれ、辺りは霧に包まれている。
俺は崖の上にいる。
眼下に広がるのは大きく荒れている海。
そして俺は見ている。
遠く、遠く水平線近くにいるその大きな何かを。
遠くにいるのに俺はそれを見上げている。
どこまでもどこまでも高くあるそのてっぺんは確認できない。
人なのか物なのか、漠然とそれをみている。
『 』
次第に俺の鼓動は早くなり息が切れる。
胸が苦しくなり脂汗が滲む。
そして意識は遠くなり、また、闇につつまれた。
月の明かりが俺を照らし、冷たい風が吹き抜ける。ぼんやりとした明るさに目がなれ、もとの公園にいることにきづいた。そして、ベンチの上には冷たくなった猫の死骸があった。
俺はそれを抱き抱え、深く深く地中に埋めた。
悲しみの涙は流れなかった。
学校。教室。一番後ろの窓側の席。いつもの授業。窓の外をみる。今日も青空がきれいだ。教科書。ノート。真っ白だ。
「…じゃあこの問題を…千本木。」
「え!?あー、わかりません…」
「おいおい、しっかりしろー?じゃあ…和久田。」
滞りなく進む授業。やっべ、油断してた。今日の日付からみて俺に当たるわけないと思ってたのに。あーだるいなー今日晩飯なに食おっかなーまえはカレー作ったけどうまくいかなかったしやっぱあくとらないとだめかなアク取りのやつかったほういいか
「…おい千本木きいてるのか?」
「っうぇあはい!」
「…まったく。」
あの日以来、なんたが変わったねとよく言われるが、自分ではよくわからない。
「今日もコーラ買って帰ろう。」
窓の外は雪がつもっていた。