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生きたくない彼女の未来を、憎む私は望まない  作者: 菜央実


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第三十三話 移りゆく心 (8)

 車に戻ったときには既に太陽は沈み、屋上から見た空には細い月が浮かんでいた。


「すっかり遅くなったわね」

「本当だね」

「夕貴、楽しかった?」

「うん」

「それなら良かった」


 あれから二人でゲームセンターや雑貨屋など何軒も回り、最後は夕食も済ませてきた。私達の手にはクレーンゲームのぬいぐるみやお菓子の入った袋が幾つもある。車の後部座席に荷物を置くとさすがに疲れたのか、ほっとしたように息をつく声が聞こえた。

 車のヘッドライトが次々と流れる夜道に、満ち足りた気分のまま静かな車内でハンドルを握る。やがて駐輪場に車を停め、エンジンを切ったところで、いつしか雰囲気の変わった夕貴に名前を呼ばれる。


「セイ」


 夕貴が思い詰めたようにこちらを見ていた。真剣な眼差しをちらりと受け止めて何も言わずに彼女の言葉を待つ。


「…………お願い。契約の事、考え直して。

 私、セイに死んでほしくない」


 いつか言われると思っていた言葉に、思わずくすりと笑ってしまった。


「ごめんね」


 顔を歪める夕貴はそれでも視線を離さないまま震える声を重ねる。


「………………どうして?」

「契約した以上、もう変えられないのよ。麗もそれは分かってる」

「っ!」


 彼女の表情に、夕貴が私をどれ程思ってくれたかが分かってしまう。僅かな明かりの中で俯いた夕貴が身体を震わせているのが見えた。


「ありがとうね、夕貴」


「…………………い、やだ」


 話を打ち切って車から出ようとする私を夕貴が掴む。そのまま夕貴の方へ引き寄せられると、離さないとばかりに抱きつかれた。


「嫌だ! 絶対に嫌っ!!」


「…………」


「ねぇ、セイ、お願い!! 契約なんて無視してどこか遠くに逃げようよ!!

 お金が要るなら私のお金をあげる!それでも足りないなら、何でもするから!! 私、セイがいない世界なんて考えたくないっ!!」


 堰を切ったように訴える夕貴の表情に、自分の胸の奥がずきりと痛む。涙目の夕貴を見つめながら、彼女の見せる表情は、笑顔より泣き顔が多かったことに気がついた。私がどれ程頑張ってみても、結局夕貴を泣かせてしまう現実に、もうこれ以上夕貴を悲しませたくなくて……覚悟を決めた。


「駄目よ、夕貴」


 頭に手を置いてさらさらの髪を撫でてやる。涙できらきらと輝く瞳を見返して微笑むと、私を掴んだ腕に力がこもった。


「私の事は心配しないで。遠くに引っ越しするのだと思えば良いわ。それなら寂しくないでしょう?」

「何で!? そんなのおかしいよ………

 だって、セイはこのままじゃ殺されるんだよ?

 ねぇ、生きてよ! 私、ずっと一緒にいたいの!!」


 夕貴が必死で詰め寄ってくる手を優しくほどくと、身体を離して向き合った。自分の暴れる心の内を決して態度に出さないように注意して、いつものように振る舞って。


「夕貴はもう自分の家に帰りなさい」


「っ!?

 な、……何で?」

「夕貴が心配しないといけないのは自分の事でしょう。私の事は私が決めるわ」

「私の事はどうでも良い!!

 セイ、どうして死のうとするの!!」



「私、好きな人がいたの」


「えっ!?」

「その人はね、関係ない借金を背負わされて、返済に苦しんでいた。私の仕事は彼女の借金の取り立てで、身辺調査だったの。初めて見たとき、身体が震えたわ。一目惚れだった。気がつけば彼女の事ばかり考えて、会いたくて……こんな感情を抱くんだって、自分でも驚いた。彼女の為ならどんな事でもしてあげたい。…………そして、出来ることなら、ずっと一緒にいたいって思った」


「セイ……?」


「最初、私の身元を明かして、貴女危ない人達に狙われていますよって正直に告げたわ。だけど、全然相手にしてもらえなくて、それでも説明するために毎日会いに行った。顔を見るだけで嬉しかったし、少しでも近くに居たかったから」


「いつまでも進捗のない調査に借金取りが業を煮やして送ってきたチンピラを返り討ちにした時、ようやく信用してくれて、それから色々な話をしてくれた。娘の成長が唯一の楽しみで、いつもその話になると凄く嬉しそうに笑ってくれたの」


「私、それから彼女に告白したわ。彼女は困ったように笑った。好きになってくれてありがとうって。だけど、私の気持ちを受け入れることは出来ないって言われたの」


「…………」


「だから、私、彼女に迫ったわ。

 私が借金を帳消しにする。その代わりに、貴女が欲しいって。心がもらえないなら、身体だけで構わないからって」



「そして、良子さんは私の提案を了承した」


「………………」


 わざとらしくため息をつくと夕貴の顎を持ち上げて瞳を覗きこんだ。動揺と混乱が見える夕貴にふてぶてしく笑う。真実と嘘を上手い具合に混ぜこめば、よりリアルな物語になり、夕貴はきっと信じてくれるだろう。


「そろそろ話しても良い頃合いだと思っていたの。これ以上一緒にいても面倒だし、私も色々と準備しないといけないから。だから、丁度良かったわ」


「セ、セイ…………?」


「私は良子さんの為にあなたの面倒をみたに過ぎない。

 結局、彼女を脅して抱いたようなものだし、さすがに罪悪感もあったからね。

 だけど、これだけは言える。彼女のいない人生は私にとって何も意味のないものよ。だから、死ぬことを願ったの。


 ねぇ、夕貴。こんな私があなたと一緒にいる必要なんてないでしょう?」


 それだけ言うと、夕貴の顔を見ないまま車から降りて、荷物を取り出す。アパートに向かう私の後ろを夕貴がついてくる事はなかった。

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