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ガーネット・ブラッド  作者: 寄木露美
Garnet Blood
8/11

8

 次の日の昼のこと。図書室にてステラは本を読んでいた。内容は特筆することもない、ただの騎士物語だ。本のページを捲るたびにぱらりと室内に音が響き渡る。それ以外の音は殆ど聞こえてこなかった。

 物語を読み進めながら、少女はふと昨日のことを思い出した。大叔母の家が見つかったということ、突然両親の葬式後のことを思い出してしまったこと。そして、エリックが『お友達』だと言ってくれたこと。

 エリックの様子を思い出したところで、少女は頁をめくる指を止めた。頭の中に、男の表情と、深くて優しい声、自身の肩を握っていた腕の強さが甦った。慌てて頭を振り、それを忘れようとする。けれども、考えまいとすればするほどそれらは強く思い起こされたのだった。

「……やめよう」

 ステラは本を閉じ、椅子から立ち上がった。集中が出来ず、本の内容が全く頭に入ってこない。一度外に行って頭を冷やした方がいいかもしれない。少女は図書室を飛び出した。廊下を半分ほど走ったところで本を片づけていないことにステラは気づいたが、そのまま走った。何故だか頬がとても熱い。こんな姿を他の人たちには見られたくなかった。

 庭へと出てきたところで、木々の剪定をしているアロゾワールがステラに気付いた。一度手を止め、ステラの元ヘと近寄ってくる。

「随分走っていたけどどうしたんだい?」

「……ちょっと一人で考え事がしたいの。森の方へいってもいい?」

「ん、まあいいぜ。遅くならないようにしな」

 庭師はあっさりと許可を出してくれた。ステラの表情から、何かに気付いたのかもしれない。ステラはぺこりと小さく礼をして、そのまま屋敷の門をくぐり抜けて行った。



 森の中は静寂に包まれていた。木々は鬱蒼と生い茂り、日差しは枝の隙間からほんの少しだけ差し込んでいる。感じるのは草の匂い、そして草を踏む自身の足音だけだ。

 木々の間を歩きながら、少女は思いを巡らす。あの時、エリックは『お友達』であると言ってくれた。その優しさがとても心地よかった。一瞬、この人の傍にずっと居れたらどれだけいいだろうとまで思ってしまった。

 けれども、それはいけないことだ。ステラは何度も被りを振った。あの人は優しい人だ。これ以上甘えてしまったら、きっと迷惑をかけてしまう。

 けれども、どこに行けばいい? 何をすればいい? 大叔母様の家は見つかったけれども、きっと快く迎えてはくれないだろう。他の親戚の家だって同じだ。誰かを頼らないと生きていけない。けれども、誰も頼ることが出来ない。体が真っ黒なものに押しつぶされそうになる。

 ステラの足は止まっていた。体が重い。膝が折れ、そのまま地面に倒れ込む。頭の中がぐるぐると渦巻き、上手く立ち上がれない。

 そういえば、あの時もこんな感じだった。盗賊たちに襲われかけたことをステラは思い出す。急速にそれが頭の中に甦り、吐き気が込み上げた。頭の中に浮かぶ光景が嫌で、彼女は目をぎゅっと閉じた。もちろんこの場所がその場所じゃない。けれども、森の匂いが、木々の影が、彼女を拒絶して嘲笑っている気がする。誰か、誰か助けて。どうしようもなくなったその時だった。

「君、大丈夫? なんか気分悪そうだけれども、どうかした?」

 よく響くテノール。頭上から急に声を掛けられ、ステラは閉じていた目をゆっくりと開けた。

 最初に目に映ったのは黒いローブ。そして自分へと差し出された白手袋を付けた手。その手を取って起き上がると、しゃがみ込んだその人の顔がよく見えた。エリックの黒髪と対照的な鮮やかな金髪。蒼玉のような深い蒼の瞳。整った顔立ち。外見はまるで童話から抜け出した王子のようだ。

 歳は大体二十代前半くらいだろうか。全体的にすらりとした体躯をしている。黒いローブの下には白いシャツとズボン。履いているのは動きやすそうな乗馬靴だ。

 ありがとう、そう口にしようとしたところでステラの視線は男の腰のあたりに向かった。ベルトには数本の杭と槌、更に小型の銃が下げられている。何故、こんなものを付けているんだろう。少女は軽く首を傾げた。

「ああ良かった、良かった。急に倒れて動かなくなったからどうしようかと思ったんだ。こんな場所で倒れられても俺は救命方法なんてしらないからなぁ」

 フードを被った青年はため息をついてそう言う。

「そもそもこんな深い森の中で倒れているんだから驚いたよ。てっきり化け物の類かなんかだと思ってさ。その割には普通の女の子みたいだし」

 急に現れた男にどう接すればよいのか分からず、ステラは困惑した。あの屋敷にやってきてから自分とエリック以外の人を見るのは初めてだったということもあったのだ。

 ステラの様子など気にせず、男はぺらぺらと喋っている。一通り言葉を吐き出したところで彼は口を閉じ、少女を見た。

「ところで君は誰? こんな森に一人でいるなんて、どちらにしろただ者じゃあなさそうだけれども」

 青年は訝しげな様子で青い目を細める。眉間の辺りに少しだけ皺が寄っていた。

「……ステラ・メイウェザー。多分、ただの人です」

 おずおずとステラは青年に返答した。その言葉を聞いて、青年の張りつめた目が緩む。

「うん。ご丁寧な返事をくれるあたり、やっぱりただの人みたいだ。普通の化け物なら、俺がこんな問いかけをしたところでばくり、だろうし」

 随分とお喋りな人だ。金色の髪の毛といい、お喋りな様子と言い、エリックとは全て正反対。唯一共通しているところといったら、常人より少し白めの肌くらいだろうか。

「ちなみに俺はデイビッド・R・バンクス。ただのしがない吸血鬼狩人さ」

 青年はにやりと笑ってそう言う。吸血鬼狩人。聞いたことのない言葉が男から飛び出し、少女は戸惑った。聞いたことがないけれど、妙に重々しい響きを持った言葉だ。

「……吸血鬼狩人?」

「ああ、そうさ。俺のいる組織は吸血鬼狩りを生業としていてね。この辺りに吸血鬼が出没すると聞いて俺はやってきたんだ」

 吸血鬼。確か、お父様が昔教えてくれた存在だ。元々は人間で、夜の中でしか生きられない生物。

「あの」

「ん、なんだい?」

「吸血鬼は、物語に出てくる生き物じゃないんですか?」

 ステラの問いかけに対しデイビッドは暫し目を瞬かせ、やがていたずらっ子のように笑って見せた。

「あー、それ、よく言われるんだ。吸血鬼は空想上の生き物に過ぎない。君たちは只の詐欺師じゃないのかってね」

 けれども、とデイビッドは続ける。透き通るような青色の左目が、一瞬金色の光を帯びた気がした。

「残念ながら、吸血鬼は実在する。現に俺たちはそいつらを殺すことを生業にしてるんだから。奴らはとても狡猾で、大抵は人間に化けて隠れている。だけど夜になると本性を現して、人々の血を毎夜啜って殺すのさ。本当に奴らは悪魔のような生き物だよ」

 わざとらしくため息を吐いて、彼はそう溢した。少し大きめの犬歯が口元からちらりと見える。

「そういえば、君はどうしてここにいたんだい? 若いお嬢さんがたった一人でいるにしては、ここは随分と過ごしづらい場所じゃないかと思うんだがね」

「……えっと。訳あって、この先のお屋敷に厄介になっているんです」

 ステラの言葉を聞いたデイビッドの眉間に皺が寄る。二人の間に暫し沈黙が降りた後、彼は口を開いた。

「そいつは妙だ」

「……え?」

デイビッドは首を傾げる。右耳に付けられた十字架のピアスが光を反射してきらりと光った。

「なんでこんな深い森の奥に屋敷がある? 普通森に屋敷があるといってももっと人里に近い場所にあるのに」

「えっと……」

 そう言われて彼女は言葉に詰まった。彼の言っていることは確かに正しい。普通なら生活必需品が手に入りやすい場所に住宅を構えるものだ。こんな森の中では、色々と不便だというのは事実である。

「なあ、ステラ。君はその屋敷にいつから住んでいる? 君が生まれた時から? それとも、実はつい最近かい?」

「……大体、一ヶ月くらい前です。色々あって、森の中で倒れていたところを拾ってもらって」

ステラの答えにデイビッドは黙り込んだ。再び、その場に沈黙が降りる。何とも言えない居心地の悪さに、ステラはただただ耐えていた。

しばらくしてデイビッドは口を開いた。最初の方の飄々とした様子はなりを潜め、ひどく真面目な顔をしている。

「なあ、ステラ。その屋敷の主人は普通の人に比べて様子がおかしかったりしないか?」

「おかしいっていうのは、その、どういうことですか?」

「例えば日中に姿を現さない、食事をとっている姿を見たことがない、流れる水を渡ることが出来ない、傷がすぐに治っている、といったところかな。他にも奴らは色々な特性を持っているけれども」

 日中に姿を現さない。一緒に食事をとったことがない。何をしているか分からない。デイビッドの言葉を聞き、頭の中にエリックの姿が急に浮かぶ。

ステラの表情が一瞬変わったのを彼は見逃さなかった。さらに畳みかけるように彼は続ける。

「もしかして、君の住む屋敷の主人はこれにあてはまるんじゃないか?」

その言葉に少女はかぶりを振った。違う、と何度も繰り返す。

「違います、エリックさんは吸血鬼なんかじゃないです! わたしのことを襲ったことなんてないし、血だって飲んでいるところを見たことがないんだもの!!」

「それは君に隠しているだけさ。誰だって餌に警戒されて、抵抗をされたりしたくないだろ」

「……違います。それでも、違うんです」

 ステラの言葉の勢いが弱まった。確かに、彼の言う通りだ。

もしも彼が吸血鬼だったとしたら。自分を拾ってくれたことも、優しくしてくれたことも全て納得がいくのだから。

「いつも吸血鬼が使う手だ。最初は優しいふりをして、油断させておく。そして相手が吸血鬼を信頼しきったところを襲うんだ。そうやって犠牲になっていった人たちを何人も俺は見てる。君は騙されているんだよ」

彼はじっと彼女の目を見た。表面的には優しげでいて、それでいてその奥に得体のしれない何かを含んだ瞳。それがひどく恐ろしくなり、ステラは目を逸らそうとした。しかしながら、彼の目はそれを許さない。ただ、ステラの瞳を見つめている。

「……なあ、ステラ。もし良かったら俺に協力してくれないか?」

「……協力?」

 訝しげな様子で、少女は首を傾げる。

「簡単なことだよ。その屋敷の主人とやらの正体を、君に見極めてほしい」

 デイビッドは笑顔でそう言う。自分の言葉を拒絶することを許さないような、そんな声で。彼の口元は笑っているけれども、目は全く笑っていない。

「でも、どうやって? わたしはそんな、吸血鬼を見極められたりしないですし……」

 だから出来ない。そう言おうとしているのに、言葉が上手く出てこない。

「いいや、吸血鬼を判別するのは簡単なことだよ。彼等は皆棺を持っているんだ。日中に安息を得るための棺をね」

「……棺?」

「ああ、棺だ。吸血鬼は昼間の間、棺の中で眠って過ごすのさ。屋敷の主が吸血鬼だったとしたら、屋敷の中に棺があるに違いない。だから、君には棺を探してもらいたいのさ」

「でも棺が見つからなかったら?」

「これを使えばいい」

 彼はにやりと笑って懐から手鏡を取り出した。裏側には十字架や様々な記号が刻まれている。銀色のそれは光を反射して、きらりと光った。

「……鏡?」

「ああ、そうだよ。これは俺たち吸血鬼狩人が持参している特殊な鏡だ」

 デイビッドはにやりと笑ってみせる。

「吸血鬼は鏡に映らないという特性を持っていてね。最も大抵の吸血鬼は自分たちの魔力をこめた鏡を使ったり、周りの人間に暗示をかけたりしているから通常ならその手は使えない。でも、この手鏡は違う。聖人の骨が練り込まれた銀を使っているから、吸血鬼の使う暗示も効かないんだ」

彼は銀の手鏡を彼女に手渡した。見かけによらずずっしりとした重さを持っている。

「俺は二三日の間、この近辺で野宿する予定だ。もしも棺が見つかったらここまで知らせに来てくれ」

「棺がなかったら?」

「どっちにしろ鏡を返してもらわなきゃいけないしなぁ。三日以内にここに来なかったら、俺が君を探しに行くとしようか」

 青年はにこりと笑った。とてもではないが断れる雰囲気ではない。ステラはやや躊躇した後、青年の手から鏡を受け取った。

 ああそれと、と彼は付け足す。

「このことはくれぐれも内密に頼むよ。もしこのことが吸血鬼にばれたら俺の命はもちろん、君の命すらも一瞬で奪われてしまうだろうからね」

 どくり、と心臓が脈打つ。

デイビッドは口の端で笑って見せた後、その場から踵を返した。足音と共に、彼の姿は森の奥へと消えていく。その場にはステラだけが残された。

「……どうしよう」

 弱弱しい声で、彼女はぽつりと呟く。冷たい風が、木々の葉をゆらしていた。




 結局、その日彼女は棺を探さなかった。手渡された鏡も部屋のチェストの中だ。

 夜になっても彼女の気分は晴れず、普段のように応接室に行くこともなかった。部屋にルーチェがやってきたものの、気分が悪いと言って帰ってもらっている。今、部屋には彼女ただ一人だけだった。

 エリックが吸血鬼だという言葉を、彼女は信じたくなかった。あんなに優しい人が、そんなものであるわけがない。人を襲って血を啜るだなんて、そんな真似をするわけがない。ベッドに寝転がりながら、少女は強く目をつぶる。

 エリックは吸血鬼なんかじゃない。そう信じていたいのに、デイビッドの言った言葉がぐるぐると頭の中を回る。

『最初は優しいふりをして、油断させておく。君は騙されているんだよ』

 嘘だ。本当はあの時、そう言いたかった。けれども否定するにはデイビッドの言葉は真を突きすぎていた。昼間に屋敷で姿を見かけないことも、ステラが食事をするときに一緒にいないことも。彼の言葉は思い当たることばかりだったのだ。

「……わたしは、どうすればいいの?」

 ぽつりとそう彼女は呟いた。そのまま腰かけていたベッドに倒れ込む。もう何も考えずに、このまま眠ってしまいたかった。

 その時どこかからくぅ、と小さな鳴き声が聞こえた。閉じかけた目をぱちりと開け、ステラはベッドから上体を起こす。周りを見渡すと、いつものように窓際に小さな蝙蝠の姿を見つけた。彼女がそこまで歩いて行くと、蝙蝠はぱたぱたと羽を動かした。

「蝙蝠さん」

 ステラの声に蝙蝠は鳴き声で返事をする。彼女が手を伸ばすと、蝙蝠は手の上に飛び乗った。ふわふわとした毛並みを通して暖かい体温が掌へと伝わる。ステラは小さく微笑んだ。

「蝙蝠さん、一つ聞いてくれる?」

 ステラの問いに、蝙蝠は目を瞬かせた。黒曜石のように黒くて丸い瞳が、ステラの瞳をじっと見つめる。

「もしも、もしもだけれど。信じていたい人が、私を騙しているかもしれなかったら。そのときはどうすればいいのかな」

 蝙蝠は不思議そうに小首を傾げた。蝙蝠の背中を指で撫でながら彼女は続ける。

「騙されてたとしても、受け入れたほうがいい? ……あの優しさが嘘だったとしても、本当だったって信じていた方が幸せなのかしら」

 くぅ、と鳴いて蝙蝠は急に羽を動かし飛び上がった。そのままステラの肩に着地し、彼女の頬を舐める。その時初めて彼女は自分が泣いていることに気づいた。

 エリックが吸血鬼だったとしたら、彼女はただの餌にすぎないかもしれない。けれども、信じていたいのだ。彼はそんな存在ではないと。利用するために優しくしたわけではないのだと。

 ふと、ステラの頭の中にある考えが浮かんだ。例えるのならそれは、「魔がさした」とでもいうものだろうか。ステラは一瞬頭を振ったが、その考えはじわじわと彼女の思考を呑みこんでいった。

 信じることができないのなら、信じられるだけのものを確かめればいい。そう、棺が見つからなけれないいのだ。棺さえなかったら、もしくは昼間の屋敷にエリックが居たのなら、彼は吸血鬼ではないのだろう。

 彼女は密かに決意する。小さな手を握り締め、ステラは一度頷いた。棺を探そう。彼を、自身を信じるために。

 蝙蝠は彼女を見つめ、小さく鳴いた。その様子がどこか不安げだったのは、恐らくは気のせいだろう。




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