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ガーネット・ブラッド  作者: 寄木露美
Garnet Blood
5/11

5

 あの階段の前から立ち去った後、引き続きルーチェによる屋敷の説明が再開された。

 二階にあるのは、使用人たちの部屋がいくつかと、ステラの部屋、そしてエリックの部屋だった。一階に比べて二階の説明はかなり簡素であったが、基本的に居住スペースであるため部屋の中を紹介するわけにはいかないということもあったのだろう。あえて覚えるべきことがあると言うのなら、ステラの部屋は階段から中ほど離れた場所であり、屋敷の主人の部屋は一番奥にあるということだろうか。

「エリックさんは、部屋でお仕事をなさっているの?」

 全ての部屋を紹介し終えた執事に向かって、少女は問いかけた。

「ええ、そうです」

「少し、挨拶とかをしてきた方がいい?」

 ステラの言葉に、ルーチェは首を横に振った。橙色の炎が、少し小さくなった。

「いいえ、昼間にご主人様のお部屋には近づくべきではないです。ご主人様は一端物事に集中すると周りが見えなくなる方でして、お部屋に行かれてもお邪魔になるだけかと」

「何のお仕事なの?」

「さあ、わたくしたちは無学ですから……」

 それきり、燭台は口を閉じた。これ以上、この話はしないという意思表示だろう。ステラはルーチェを見ていたが、やがて諦めて彼から目を逸らした。

 二階の説明が終わった後は、外に出て庭園と門の説明を聞いた。庭園は昨日行ったばかりだったが、相変わらず綺麗な場所だった。途中、ステラに気が付いたアロゾワールが手を振ってくれたので、彼女も手を振り返した。さきほどまでのもやもやとした気分がなくなるような、そんな気がした。




 夕食は朝と同じようにステラ一人だけで取ることになった。夕食自体は豪華であったものの、一人で食事を取ることに彼女は少しだけ寂しさを覚えた。

 そういえばお父様とお母様がいた頃はいつも家族で食事をしていた、そのことをふと思い出す。いつも、テーブルにはお父様がいて、横にはお母様がいた。お父様はお魚が苦手で、お魚が出る度にお母様にあげようとして怒られていた。それを見る度に、いつもステラは笑ってしまうのだった。

 お父様は、大人なのにどこか少年のような雰囲気がある人だった。お母様は、お淑やかそうでいて強い意思のある人だった。

 どうして死んでしまったんだろう。悲しさと寂しさがあふれて、一筋涙が頬を伝う。『人形』たちにそのことを気づかれないように、彼女はこっそりと涙をナプキンで拭った。

 部屋へと戻った後、彼女は屋敷の主人に服の礼を言わなければいけないことに気が付いた。確かルーチェの話だと、屋敷の主人は夜の時間帯なら空いているとのことだった。

 エリックのことは、まだ、少しだけ怖い。しかし、服を貰ったことについては礼を言うべきだろう。彼女は腰かけていた椅子から降り、廊下へと通じるドアを開ける。そして廊下へと踏み出した。

 エリックはやはり、あの部屋にいるのだろうか。彼女はちらりとそんなことを考える。そういえば結局、日中はあの人の姿を一度も見なかった。仕事をしているとしたら、ずっとあの部屋にいて息がつまったりしないのだろうか。少なくとも、ステラ自身には無理だ。一日中部屋に籠っていたら、どうしようもなく退屈してしまう気がする。

 とりあえず、部屋に主人がいるのかルーチェに聞いてみよう。そう思って廊下を歩いていると、ルーチェはあっさりと見つかった。跪いて布で床を拭いている。おそらくまた蝋を溢してしまったのだろう。

「あ、あの」

「ひゃあ!」

 ステラの声に驚いたのか、彼はその場で大げさなまでに飛び上がった。その拍子に再び蝋が廊下に落ちる。

「な、何でございましょうか」

 平静を装って彼はステラに返す。しかし頭の炎は消えそうなほど揺らめき、声はひどく震えていた。

「エリックさんに服のお礼が言いたいんだけれども、どこにいらっしゃるか分かる?」

「あ、ああ。ご主人様なら自室にいらっしゃいます」

 燭台はそう言うと、再び床を拭く作業に戻った。あんなに驚いているルーチェを見たのは初めてだった。恐らくは、急に声をかけられてびっくりしたのだろう。

 少し悪いことをしてしまっただろうか、とステラは思う。しかしこの場にいても出来ることはなさそうだったので、彼女はエリックの部屋へと向かうことにした。

 廊下を進むにつれ、明かりは徐々になくなっていった。ステラは以前にやってきた時のように、暗い廊下を手探りで進んでいく。どうしてここの廊下は明かり一つないんだろう。暗闇に怯えながら彼女は歩く。

 そういえば、とある昔話をステラは聞いたことを思い出した。確か、幼い彼女に父親が話してくれたのだ。

 昔々、とある生き物が存在していた。その生き物は太陽の下では生きられず、闇の中でしか生きられないのだという。そして、それは生きるために人の血を飲まなければいけない。夜の闇を往き、人を襲って血を啜るそんな生き物は、確かに存在していたのだ。

 その生き物の名前を彼女が尋ねると、父親は確かこう言った。彼らの名前は、吸血鬼。元々人でありながら、闇に生きざるを得なくなってしまった生き物だと。

 もしかしたらこの廊下にもそれは潜んでいるのかもしれない。そう思いかけて彼女は頭を左右に振った。吸血鬼は物語の中の存在だ。そんなものがこの屋敷にいるわけがない。

 けれども、頭の中で別の声はささやきかける。この屋敷の家具たちは動いて喋るのだ。吸血鬼がいないだなんて、そんなものは思い込みに過ぎない、と。

 そう思いながら歩いていくうちに、彼女は一番奥の部屋――屋敷の主人の部屋にたどり着いた。緊張しながら扉を叩く。少しした後、ドアの向こうから黒髪翠目の男が姿を現した。

「何か、用か?」

 男は無表情に彼女を見下ろした。無言の威圧感を感じて、彼女は少しだけ体を震わせる。

「あの、服のお礼が言いたくて」

「……入るといい」

 言葉に詰まりながら彼女は言う。それを聞いて、彼は彼女を部屋の中に招き入れた。

 部屋は昨日と同じようにある程度きちんと整理されていた。部屋の窓からは月が上った夜空が見える。ステラの部屋の窓に比べ、この部屋の窓は随分と大きい。どこか、ゴシックの教会のものを彷彿とさせる形をしている。

 どこに居ればいいのか分からず扉の近くにいると、男にソファに座るように促された。彼女は緊張しながら彼の向かいに座る。二人の間にはテーブルが置いてあり、そこには数冊の本と途中で放り出されたチェス盤があった。

「え、ええと。その、服、ありがとうございました」

 どもりながらステラは彼に言う。彼は静かな眼差しで彼女を見た。緑柱石の目はひどく真っ直ぐで、彼女は射抜かれるような気分になる。

「気に入ってくれたのなら良かった」

 男はそう言って黙った。そのまま二人の間に沈黙が流れる。それが少し気まずく感じられて、彼女は彼に話しかけようとした。何か話題はないだろうか。そう思っている矢先に、机の上に転がったチェス駒が目に入る。

チェス。お父様が、わたしが好きなもの。もしかして、この人も好きなのだろうか。

「ええと、それ、チェスですよね」

彼女がそう言った瞬間、彼の纏っていた圧迫感が少しだけ和らぐ。

「……好きなのか?」

「はい!」

 ステラは即答する。

「お父様が居たころ、いつも相手になってもらっていたんです。最近は全然していなかったんですけれども……」

 再び落ちる沈黙。しかしそれを破ったのは男の方だった。

「今まで屋敷にはチェスが出来る者は居なかったから、新鮮だ」

 男は、そう溢した。その目が、少しだけ暖かな光を帯びている。

「えっと、じゃあ今までどうしていたんですか?」

 相手がいないのなら、どうやってチェスを行っているのだろう。少女は小首をかしげた。

「一人で指していた」

 ステラの脳内に、一人でチェス盤とにらみ合う男の姿が浮かぶ。その姿が妙にしっくりときて、彼女は少し笑ってしまった。怖い人だと思っていたけれども、やっぱり違う気がする。

「あの、良かったら一局指しませんか。わたし、お父様が亡くなってからチェスをしていなくて。久しぶりにしたくなったので」

 ステラがそう言うと、彼は少しだけ驚いた顔をした。直後に彼はゆっくりと頷く。彼女はにこりと笑ってチェス盤へと手を伸ばした。

 ステラは白の駒を、エリックは黒の駒を取った。初めはポーンから、白黒の盤面を二つ前進させた。対する屋敷の主も、黒い駒を一つ進める。

「そういえば、執事さんにお屋敷を案内してもらいました」

 盤面を進めつつ、彼女はエリックに話しかけた。男は、何も言わずちらりと彼女を見る。

「えっと、どの部屋も素敵でした。特に、図書室が凄く立派で。わたしの家は、お父様の書斎に本がいっぱい置かれていたんですけれども、それよりもずっと本が置かれていて。上手く言えないんですけれども、すごかったです!」

 凄かったです、という一言が室内に木霊する。しまった。思わず大きい声を出してしまった。ステラは思わず手で口を覆った。部屋の中が、一瞬で静かになる。

 意外なことに、口火を切ったのはエリックの方だった。

「気に入った本があるのなら、好きに読んでも構わない」

「ほ、本当ですか!」

「ああ」

「ありがとうございます、嬉しいです!」

 少女の顔が、目に見えて明るくなった。対する男は、特に表情を変えずに黒のナイトを手に取る。置いた先には、白のポーンがいた。あっ、という間もなく、一つ駒が取られる。どうやら油断していたようだった。

 それから約15分後。結論から言うと、ステラは完敗した。

 情け容赦という言葉が見当たらないほどに、男は彼女を叩きのめした。ステラは苦笑いしながら、自身の盤面を見る。ここまで徹底して負けてしまうと清々しい。勝負には負けたのに、彼女は不思議と嫌な気分ではなかった。

「すごいですね! わたし、ここまで完敗したの初めてです」

 目を輝かせて言う彼女が可笑しかったのか、彼の口元が緩む。負けたのに全く怒ったり悲しんだりしないどころか、彼女は羨望の表情で彼を見ていたからだろう。

「……もう一局、指そうか」

「はい!」

 ステラは元気よく返事をした。チェスをしたのはいつぶりだろうか。いいや、チェスだけじゃない。両親が亡くなってからは人とこんな風に楽しい時間を過ごすことすら出来なかった。

 両親のいなくなった屋敷の中は哀しみや憐みや欲望でぐちゃぐちゃとしていて、彼女はただ縮こまって頭を抱えていることしか出来なかった。だからこそ、久しぶりに人と関われることが彼女は嬉しかった。『両親を亡くした少女』という対象に対する憐みややっかみという感情を抜きにして、純粋に楽しいことをするということがただ嬉しかったのだ。

「……主人様、ご主人様」

 二人がもう一局指そうとしたまさにその時、扉の外からルーチェの声が聞こえた。無言で男は立ち上がり、扉を開ける。

「盛り上がっていらっしゃる所、申し訳ありません。もう夜も遅いので、ステラ様をお迎えに上がりました」

 名残惜しく思いながら、ステラはソファから立ち上がった。扉を抜けて部屋を出る直前に、彼女は振り返った。そして、男に問いかける。

「あ、あの。また、チェスをしにきてもいいですか?」

 琥珀色の瞳は、やや躊躇した様子でエリックを見ていた。その奥には、不安と期待が入り混じっていた。

 男は一瞬だけ、少し戸惑ったような顔をした。けれども、それは一瞬で消える。やはり迷惑だっただろうか、ステラがそう思いかけた時だった。

ステラは何かを言おうとする前に、エリックは口を開いた。深みのあるバリトンが部屋の中に響く。

「構わない」

彼女の言葉に、彼は静かに頷いた。その答えを受けて、ステラは少しだけ驚いた顔を浮かべる。けれどもそれはすぐに消え、彼女の顔は満面の笑みで溢れた。嬉しくて仕方がない。そんな顔だ。そして扉の向こうに彼女は消えた。

一人残されたエリックは、彼女が去った後も扉の奥を見ていた。その口元がどこか緩んでいることに彼自身は気づいていなかった。




 ルーチェに部屋に送り届けられた後、彼女は入浴をしてネグリジェに着替えた。今日は楽しい日だった。特に、夜のチェスはとても楽しかった。ふとそのことを思いだして、少女の口元は緩んだ。

 ベッドに入った後、ステラは少し寝付けずにいた。楽しい気分が残っているからだろうか。それとも、未だに分からないことが多いからだろうか。

そういえば、結局誰が自分を助けてくれたのだろう? 天蓋を見つめながら、彼女はぼんやりと考える。

 盗賊に襲われた直後のことを、ステラはほとんど覚えていない。しかし意識を失う前に、誰かが彼女を抱き上げてくれたことを彼女は覚えていた。

 暗がりに居たせいでほとんど顔を見ることは出来なかったけれども、自分を抱き上げるその人の腕の強さや、少し低めの体温は朧げながら記憶に残っている。その人が、柘榴石のように赤い瞳をしていたことも。

 最初はエリックが助けてくれたのだと思っていた。しかし彼の目は柘榴石の赤ではなく、緑柱石の翠だ。まさか瞳の色が自由に変わるわけではないだろう。

では彼女を屋敷まで運んでくれたのは一体誰なのか。疑問が相変わらず湧き上がってくる。

 考えていても仕方がない、夜も遅いし寝よう。そう思って目を閉じ、眠りの世界に入ろうとしていた時だった。

 こつん、と何かがどこかにぶつかる音がした。ステラは思わず目を開けてベッドから飛び降りる。周りを見渡すと、ふと窓枠の辺りに小さな何かが動いているのが見えた。鳥か何かが窓にぶつかったのだろうか。そっと窓に近づいてそれを見る。

 そこに居たのは小さな動物だった。ふわふわとした丸みを帯びた体にやや大きめの三角の耳。羽毛の無い特徴的な翼。一匹の蝙蝠が、窓枠にしがみ付いていた。

 ステラは思わず窓を開けて手を伸ばした。蝙蝠はよろよろとした足取りで彼女の掌の上に乗った。ふわふわとした体毛が掌に触れて妙にくすぐったい。彼女は小さく笑い声を上げた。

「大丈夫、怪我はない?」

 ステラの言葉に蝙蝠は首を傾げる。どうやら何ともないらしい。蝙蝠の喉元を指先で擽ってやると、それは彼女の手に体を摺り寄せた。

「あなた、かわいい子ね。もし良かったらわたしと友達になってくれる?」

 蝙蝠はそれに返事をするように、くぅ、と小さな鳴き声を上げた。その愛らしさに思わずステラの頬は緩んだ。

 そっとベッドに蝙蝠を連れ込み、胸元に抱き寄せる。蝙蝠は少し擽ったそうにぱたぱたと羽を動かした。小さいけれども、暖かい。その温度に少しだけ安堵しながら、ステラはゆっくりと意識を手放した。



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