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ガーネット・ブラッド  作者: 寄木露美
Garnet Blood
4/11

4

 誰かが名前を呼んでいる。遠いようで近い、手を伸ばせそうで伸ばせないような場所からの声であるように聞こえる。

「……きてください。ステラ様、起きて下さい!」

 誰だろう。ブラッドリーだろうか。でも、ブラッドリーは確かいないのだ。あの屋敷で、彼女を見送った筈だから。

 でも、それだとしたら誰が名前を呼んでいるのだろうか。微睡の中で、彼女は考えようとする。けれども、やはり頭は働かない。もう少しこのぼんやりとした中でうずもれていたい。そんな風に思いながら寝返りを打とうとしたその時だった。

 がば、という音と同時に何かが引き剥がされた。自分の身体を覆っていたはずのぬくもりが、一瞬で消える。

「いい加減起きて下さい!」

 ぬくもりが消えた直後、声が耳元で聞こえた。その勢いに押され、ステラは思わず目をあけた。

 ベッド脇のテーブルから、燭台の執事が彼女を見下ろしていた。炎の色は濃い赤色で、蝋受け皿の上で煌々と燃えている。ベッド横には陶器人形のメイドたちがいて、ベッドから羽毛布団を無理やり引っぺがしているところだった。

「おや、ようやく目が覚めたようですね。おはようございます」

「……おはよう、ございます」

 頭の中はまだ寝ぼけたままだったが、ステラは体を起こした。これ以上ベッドに寝そべっていたら、それこそベッドから床に引きずりおろされかねない気がした。

 ベッドから降りようとした時、彼女は見慣れないものがあることに気付いた。部屋の真ん中に置かれたテーブルの上に、白くて大きな箱が置いてある。確か、昨晩はなかったものだ。よく見ると、箱の上には小さなカードが置いてある。そこに書かれていたのは彼女自身の名前だった。これは一体何なんだろう。不思議に思いながら、ステラは箱へと近づいてその蓋を開けた。

 中に入っていたのは、一揃いの服だった。レースのついた生成りの色のブラウスに、深い臙脂色のビスチェとスカート。ビスチェは背面がリボンで編み上げられており、スカートは脛の中ほどといった長さだろう。更に、このスカートの下に合わせるためアンダースカートまで入っている。こちらは、ブラウスと同じ生成り色だ。

 箱の中にはもう一つ、最初のものの半分ほどの大きさの箱も入っていた。こちらに入っていたのは紐で編上げられたブーツと、スカートと同じ臙脂色のリボンである。

「それらは、ご主人様からの贈り物です」

 いつテーブルから降りたのか、ルーチェは彼女のすぐそばに立っていた。

「あの」

「どうしましたか」

「こんな立派な服、どうして?」

 見たところ、服は随分と上質なもののようだった。縫製がしっかりとしており、生地もきちんとしたものである。

「貴女は着の身着のままこの屋敷にいらっしゃいました。服が一着しかないというのも不便な話でしょう?」

 ルーチェの言うことは一理ある。けれども、こんなにも立派な服を貰ってしまってもいいのだろうか。ステラは少し申し訳のない気持ちになった。

「気にするようでしたら夜にでもご主人様の元に行って、御礼を言えばいいと思いますよ」

「は、はい」

 ステラは小さく頷いた。

「下着や靴下類はこちらの袋に入っています。着替えられたら朝食といたしましょう」

 そう言って燭台は頭を前後に揺らす。融けた蝋がぽたりと床に落ちた。脇に居た陶器人形がすかさず懐からハンカチを取り出し、床を拭く。その様子がおかしくて、ステラはくすりと笑った。




 服を着替えた後は、昨日と同じように朝食を取った。屋敷の主だけが住んでいるわりには、食堂は随分と広い。テーブルだって、十人は絶対に座れるだろう。昔、誰かが住んでいたのかしら。紅茶を飲みながら、彼女は考える。

「お食事の後は、屋敷を案内します」

「案内?」

「ええ。しばらくはこの屋敷で過ごすのです。部屋から出る度にいちいち迷子になっていたりしたら大変でしょう?」

 ルーチェの言葉に、彼女は赤面した。一昨日に迷子になったことを思いだしたのだ。

 紅茶を飲み終えた後は、ルーチェによる屋敷の案内が始まった。

部屋へと歩いている途中、ステラは廊下で屋敷を掃除している使用人たちとすれ違った。もっとも彼らの姿はモブキャップやヘッドドレスを身に着けた動くモップやバケツである。ステラの知っている『使用人』の姿をしたものは誰もいない。

「この屋敷の物ってすごいのね。皆動いたり会話が出来るんだもの」

「物、というのは少し間違っておりますよ。わたくしどもは皆ご主人様によって創造された『人形ゴーレム』でございます。故にわたくしどもは意思を持っておりますし、自由に動くことも出来るのです」

「……『人形ゴーレム』?」

 ステラは首を傾げた。

「ええ、なんと例えていいのかは分からないのですが。とりあえず、この屋敷のものの多くは動いて喋ると考えてもらって構いません」

 本当に、この屋敷はおとぎ話に出てきた家そのものだ。そうだとしたら、『人形』を作り上げた屋敷の主は一体何なんだろう。魔法使いか、それとも妖精の国の王様だろうか。きっと悪い人ではないのだろうけれども。

「エリックさんは、すごい人なのね」

「ええ、凄いでしょう! わたくしたちを創造したご主人様は偉大でございますよ!」

ルーチェは興奮したのか、炎を明々と燃やし始める。その勢いで蝋がみるみる融け、蝋受け皿はいっぱいになった。

 屋敷は彼女が住んでいたものよりもかなり広かった。玄関は吹き抜けのホールとなっており、二階へと続く階段が続いている。階段のすぐ傍のテーブルには高価そうな壺が置かれており、色とりどりの薔薇の花が活けてある。一階には大広間を始めとして応接室、食堂、図書室、音楽室など様々な部屋があった。どれも彼女が見たこともないくらい立派であり、上品な趣向の調度品で統一されていた。

 その中でも彼女が一番気に入ったのが図書館だ。壁という壁に本棚が並び、そこにぎっしりと本が詰められている。本棚の背はとても高く、天井ぎりぎりにまで達している。ただ本棚の隅に移動式の階段が取り付けられているので、本を取るのに苦労するわけではなさそうだった。

「素敵な本棚! こんなにもいっぱい本があるなんて!!」

 図書室に入った瞬間、ステラの胸は躍った。思わず本棚と本棚の間へ走りそうになる。

「……図書室内は、走るのは禁止」

 そんな彼女に対し、背後から声がかかる。若い女性のような声は、ステラに対してやや咎めるような口調だった。

「あ、ごめんなさい」

「分かってくれたらいい」

 ステラは足を止め、振り返る。そこにいたのは、柄の先のあたりに青いリボンを巻いた羽はたきだった。

「えっと、あなたは?」

「ああ、ご紹介しましょう。彼女はシェヘラザード。この図書室の秘書です」

 口を開いたのは羽はたきではなく、燭台の方だった。穏やかな橙の炎が、ふわりと揺れる。

「……ルーチェ。ここは、火気厳禁」

「ああ、すみません。わたくしとしたことが」

 そう言っているうちに、ルーチェの蝋受け皿から融けた蝋が一滴垂れた。見るからに羽はたきの纏っている雰囲気が冷たいものになる。

「ごめんなさい、すぐ出て行きます!」

 ステラは慌ててハンカチを取り出し、床の蝋を拭った。そのままルーチェの腕にあたる部分を引っ張り、図書室の出口へと速足で歩いていく。燭台の執事は何か言いたげだったが、彼が口を開くに図書室の扉が締められた。残されたシェヘラザードはというと、しばし扉の方を見つめた後、再び業務に戻ったのだった。





 一階の部屋を全て見終わり、彼女は一人廊下を歩いていた。ちなみにルーチェは前の部屋を出る直前にメイドに呼びとめられていた。何やらトラブルが発生していたらしい。よって彼女一人で玄関ホールへと戻るようにと言われたのだ。

広い廊下を一人歩いている最中、図書室の近くでふと横道となっている廊下を彼女は見つけた。先ほど案内された時は何も言われなかった場所だ。一体何があるのだろう。気になった彼女は廊下の奥へと向かうことにした。

 今まで通った廊下は窓から入ってくる日光で比較的明るかったのに対して、この廊下は窓一つない。そのせいかこの廊下だけ昼間であるのに薄暗く、屋敷の中にいるのにやけに空気が冷たい。そしてその冷たさは廊下の奥に行くにつれて増しているようだった。

 何故だろう。ふつふつと、冷気が彼女の体を上っていく。それは空気の冷たさだけではない。例えばこの先に見てはいけない何かがあるような、そんな予感がステラにはあった。

 廊下を歩きだしてからどれくらいの時間が経ったのだろう。ついに、彼女は突き当りへとたどり着いた。

 薄暗い廊下の突き当たりには、こじんまりとした階段があった。どうやらそれは地下へと続いているようだ。

 どうしよう。心臓が、どくりと脈を打つ。まるで、見てはいけないものを見てしまったかのようだ。けれども、不思議と引き付けられずにはいられない。意を決して階段へと踏み出そうとしたまさにその時、背後から静止の声が響いた。

「この先に入るのは禁じられております。ここらで帰ったほうがよいですよ」

 びくりと肩を震わせてステラは振り返る。背後では燭台が煌々と明かりを灯しながら立っていた。

「どうして? 向こうにもまだ何かあるんでしょう」

「ええ。でも駄目です。向こうの階段は老朽化していましてね、腐っていていつ壊れるか分からないのですよ」

「どうしてさっき教えてくれなかったの?」

「どうしてと言われても……。この下は只の物置ですし、階段も危険ですのでお教えするまででもないと思ったのです」

 さあ、戻りますよと彼は踵を返す。胸に釈然としない思いを抱きながらも、彼女は反論できなかった。執事の声色は、有無を言わさないようなものであったのだ。この先にあるものは、決して見てはいけない。見たら、どうなるかわからないぞ。そんなことを言われているような気がした。

 ステラがついて来ていないことに気が付いた燭台が、ちらりとこちらを振り返る。その炎の色が、一瞬青色になった。これ以上ここに居てはいけない。彼女は直感する。

 ステラはちらりと螺旋階段を見た後、無言でその場から立ち去った。まとわりつく冷気を振り払うようにして、彼女はルーチェの元へと足を速めたのだった。


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