彼の居ない所で
昼も近い、朝の終わり。
デイースト王国現国王ヴィルヘルム・デイーストは、朝から見かけない姿を探し、近衛騎士たちと共に廊下を進んでいた。
目指す部屋が近くなり、丁度曲がるべき角に差しかかった時。
「! これは、陛下」
「おお、ベルマードか」
角から現われ、驚きながらも見事な礼をしてみせたベルマード公爵に、国王ヴィルヘルムは人好きのする笑みで応えた。
彼の後に控えていた近衛騎士が、公爵であるベルマードに軽く会釈をする。それに初老の紳士らしく、好々爺とした笑みで返すベルマード公爵を嬉しそうに眺め、次いで、当初の目的を思い出した国王ヴィルヘルムは、知っていれば、と問いかけた。
「そうだ、ベルマードよ。ロワ公爵――アズマ様を見かけなかったかね?」
ベルマード公爵は当然として、今つき従っている近衛騎士たちもアズマの正体を知っているため、国王ヴィルヘルムは幼い頃からの呼び方に戻して、ベルマード公爵へとそう尋ねる。
今日は朝から姿を見ていないアズマの部屋は、先ほどベルマード公爵が曲がってきた角の廊下の先にある。それを視線でなぞっての国王ヴィルヘルムの問いに、しかしベルマード公爵は、好々爺とした顔に困惑を浮かべた。
「それが……実は私、さきほどロワ公爵の部屋に尋ねたのですが、応答が無く。もしや陛下の所にいらっしゃるのではと、それこそ今お伺いしようと向かっていたところでして……」
「なんと」
その予想外の言葉に、国王ヴィルヘルムもまた、困惑をその緑眼に浮かべる。
「いや、実は私もアズマ様を探していてな。王城魔法使いとして訓練をしているのかと思い訓練場をのぞいてみたが、そこには居らず。そう言えば朝から姿を見ていないと思い、部屋へと向かっていたのだが……。そうか。部屋にも居ないと」
この王城の中で、パーティーがあるわけでもない今日のような日に、日中アズマが居る場所など限られている。
そのどこにもいないとなると――と国王ヴィルヘルムが過去の記憶を辿りかけた時。
無言による沈黙を、ベルマード公爵の不安げな声が破った。
「……陛下。まさかとは思いますが、何らかの事件に巻き込まれていたりは……」
不穏を宿すその言葉に、ハッと表情を引き締める近衛騎士たち。
しかし、案ずる色を湛えて向けられたベルマード公爵の青眼に、当の国王ヴィルヘルムは、紡がれた言葉に危機感を覚える前に温かな視線を反射的に返していた。
ベルマード公爵は、元々誠実で聡い人物である。そんな彼が、近日の一件をきっかけに、アズマの成した偉業を知り、同時にその困難さを案じる、アズマの良き理解者となったことは、国王ヴィルヘルムも知るところ。
アズマを案ずるベルマード公爵の心情を覚り、改めて国王ヴィルヘルムは、努めて穏やかな表情で、確信を持って首を横に振った。
「いいや。それはないだろう。例えあったとしても、アズマ様のことだ。事も無げにあしらっているだろうさ」
「それは……確かに、そうですな」
実際アズマなら可能だろうと思い浮かべ、軽く笑ってそう語る国王ヴィルヘルムに、アズマの実力を垣間見てそう時間がたっていないベルマード公爵もまた、しみじみと同意する。
しかし、では一体どこにいるのだろう? とベルマード公爵含め、近衛騎士たちもが疑問を浮かべたところで、国王ヴィルヘルムが自らの意見を告げた。
「朝からすでに城にいなかったとなると……街に出かけている、といったところか」
「街に、ですか?」
思いがけぬ言葉に、青眼を瞬くベルマード公爵。
対し、平和であることをその身で証明するアズマへと思いを馳せ、国王ヴィルヘルムはふと笑む。
「自らが動く必要の無い些事しか無ければ、一日中自由気ままに過ごすことを好む方だからな。……いずれにせよ、あの方がこの城に居ないということは、少なくとも城内は平穏だということだ」
「――なるほど」
国王ヴィルヘルムの言葉を正確に受け取り、ベルマード公爵と近衛騎士たちは、ようやくその顔に、安堵の笑みを戻したのだった。