第6話 ―ロボ子とお母さん―
日曜の昼下がり、秀作はお気に入りの紅茶を飲みながら優雅に本のページをめくっていた。亜司母秀作にとってこの時間は何より幸福なひとときだ。いつもと同じ、平和な日曜日だった。
いつもと同じと言うのは、とても大事なことの一つだ。毎日に特別な事を期待する人というのも存在するが、そう言う人の気持ちが秀作にはイマイチわからない。安心して今日と言う日が過ごせるからこそ、その中で小さな幸せを積み重ねることが出来る。
例えばこの紅茶、今日は蒸らし具合もちょうど良く、最高の出来だ。秀作はいつも紅茶はストレートで飲むことにしている。
以前ロボ子にも紅茶を淹れてあげたが、彼女はすぐさま大量のミルクと砂糖を投入した。あれは紅茶への冒涜だ。そんなに甘いものが飲みたいのなら午○の紅茶でも飲めば良いのだ。それ以来秀作の買い物リストには、今まで決して買わなかった午○の紅茶が加わった。
それからこの本。流れるような文章、美しい物語……それらに触れているときの幸福感は秀作の最も愛するものの一つだ。ゆっくりと腰を据えて読書を楽しむ事が出来るのも、ひとえにこの平和な日常のお陰なのだ。
ありがとう世界。ありがとう平和。秀作はこの世の全てに感謝しながら、ゆっくりともう一口紅茶を飲んだ。
ピンポーン
能天気な音を立ててインターホンが鳴ったのはそんなときだった。優雅なひとときを邪魔されて秀作は少し不満に思いながらも、本に栞を挟んで階段を下りていった。
「シューサクさん、誰か来たみたいです」
「ああ、聞こえてた」
リビングのドアから顔を覗かせたロボ子に、秀作は答えた。彼女には人が来ても勝手に出ないようにキツく言ってある。誰かに彼女の存在を知られるのは危険を伴うし、毎回「設定」を話して聞かせるのも骨が折れるからだ。
ロボ子の足元には黒猫のルビーがまとわりついていた。本当は台風の夜の一晩だけ家に入れてあげるつもりだったが、結局なし崩し的にすっかり居ついてしまった。あまりにもロボ子に良く懐いていて引き離すのが可哀想だというのもあったが、留守番の多いロボ子の寂しさが紛れるのならばと多目に見ることにしたのだ。今では首から小さな鈴をつけて、いつもロボ子の後ろをついて回っている。
秀作は玄関のドアの所まで歩いていき、まず誰が来たのか覗き穴から覗いてみた。ところが、玄関の前には人影はなかった。
一瞬インターホンは空耳だったのかと思ったが、リビングのロボ子もしっかりと聞いていたのでそれはないと思い直した。
秀作はとりあえずドアを開けて、周囲に誰かいないか確認してみた。しかし人影らしきものは特に見当たらない。「おかしいな」と独りごちながら、家の中に戻ろうとしたそのとき、開いていたドアの脇から勢いよく人影が飛び出した。
「ばあ!」
「……」
飛び出した人影を、秀作は冷えた目で見つめた。
「何してんの、母さん」
「んもぉー、釣れないんだからこの子は!」
飛び出した人影は秀作の母、亜司母瑞城その人だった。
「まったく、一体誰に似たのかしら」
「母さんではないだろうね」
かと言って父親に似ているというのも否定したい気持ちが秀作にはあった。彼は両親のどちらにも似ていない真人間であることを信条として生きているのだ。
「だいいち母さん、鍵持ってるだろ。忘れてきたの?」
「ううん、ちゃーんと持ってきてるわよ」
「じゃあ何で普通に入ってこないのさ。自分の家だろ」
「だってえー、そしたら感動の再会ごっこができないじゃなーい」
「……」
感動の再会ごっこがしたい人間は、出会い頭に息子を驚かせたりしないと思う。
二人が玄関で不毛なやり取りをしていると、声を聞きつけたロボ子がリビングのドアからちょこんと顔を出した。それから玄関に瑞城の姿を認めると、「わあ」と小さく声を上げ、嬉しそうにドアを跳ね開けて玄関まで駆け寄ってきた。
「あ、やっぱり! ミズキ博士!」
「あらー、ロボ子ちゃん!」
ロボ子は瑞城に飛びつくと、瑞城はそれをしっかりと抱きとめる。彼女たちは玄関先で強く抱き合い、お互いに頬を押し当てたまま「会いたかったです」「私もよ」と涙ぐんだ様子で囁き合っていた。凄い、これが感動の再会ごっこ……
「元気にしてた? ご飯はちゃんと食べてる?」
「はい! ロボ子はとっても元気です!」
二人は身体を離すと楽しげに話し始めた。秀作には、まるで本当の親子様に仲睦まじく見えた。
ちりんちりんと鈴を鳴らしながら、リビングに置き去りにされたルビーがロボ子の足元に歩み寄ってきた。
「あら、このかわいこちゃんは?」
「ルビーちゃんです! ロボ子の大切なお友達です!」
「可愛いわねえ。それにしてもシュウちゃんが良く許したわね」
「シューサクさんはとっても優しいのです」
「だってよー優しいシュウちゃん」
「うるせえ」
意味ありげに秀作に目を向けた瑞城を、秀作はぶっきらぼうにあしらった。
「ミズキ博士、早くおうちに入ってください! 美味しいケーキを貰ってるんです!」
「あら、ケーキがあるの? 良いわねー。それじゃあ私がおいしい紅茶を淹れてあげるわね」
「やったー! あ、荷物半分持ちます!」
「うふふ、ありがとうロボ子ちゃん」
二人は仲良く話しながらリビングの方に歩いて行った。勢いに圧倒されている間に、秀作は一人玄関に取り残された形になる。全く、どっちが親子かわかんねえな、と秀作は思った。
それからは本当にてんやわんやだった。瑞城は秀作のとっておきの茶葉を勝手に、しかも大量に使おうするし、それを阻止しようとした秀作と揉み合いになった末に缶の中身を床にぶちまけた。
「てへっ♪やっちゃった♪」
と舌を出して言う瑞城の横で秀作は膝から崩れ落ち、床に散らばり駄目になった無残な茶葉たちを涙を流しながらかき集めた。
ケーキを食べれば秀作のいちごを横取りするし、しまいには散々ねだって秀作の分のケーキも半分以上横取りしてしまった。もちろん食器は全て秀作が洗った。
秀作が夕食の準備をしていると意気揚々とキッチンに現れ、腕まくりをして「手伝うわ!」と言うと、下ごしらえの済んでいたボウルの中身に片っ端から調味料を叩きこんで行った。「ママ流のアレンジよ♪」ではない。あっという間に食材はダメになり、亜司母家の食卓にはインスタントの味噌汁とふりかけが並ぶことになった。
それは瑞城が帰ってきたとき恒例の、亜司母家にとっては見慣れた風景だった。母親が帰ってきたときに繰り広げられるこの嵐のようなひとときが、秀作は大嫌いだった。彼は何より、平和を愛するのだ。
「ふりかけご飯だけど、みんなで食べると美味しいね♪」
「はい! 研究所にいたころを思い出します!」
向こうではどんな食生活してんだ……どんよりした顔で箸を動かしていた秀作は、より一層暗く沈み込むような顔をした。
母親が帰ってくるたびに、秀作にはあの堅物の父親がこんなとんでもないモンスターと結婚したのが不思議で仕方なく思われた。
「それにしてもロボ子ちゃんが元気そうで安心したわー」
のりたまご飯を美味しいそうに食べながら、瑞城は言った。
「寂しくてしょんぼりしてるんじゃないかって心配だったの」
「そんなに心配なら俺一人に押し付けるなよな」
何しろロボ子がやって来てから、瑞城も藍作も、一度も家に帰って来ていなかったのだ。
「だってえ、ロボ子ちゃんの研究が中止になって、新しいプロジェクト始まっちゃったから忙しかったんだもーん」
駄々っ子の様に瑞城は言った。
「それに今まで全然帰らなかった私たちがあのタイミングで無理やり帰宅なんてしたら、すぐに怪しまれちゃうのよ」
確かに彼女の言うのも一理あるような気がした。
「未だにそっちは、何とかなりそうにないのか?」
「うん、上はどうしても頭が固くってね……パパやラボのみんなも頑張ってくれてるんだけど、ちょっと時間がかかりそう」
「そうか……」
ロボ子をスクラップにしてしまう、そういう研究所の方針は、今の秀作には最初よりずっと重くのしかかってきていた。それなりに長い時間を一緒に過ごし、秀作の中でロボ子はもはや「人間そっくりの機械」以上の意味を持ちはじめていたのだ。
「まあまあ、パパとママに任せておきなさいって。こう見えて私たちは天才科学者なんだからね!」
瑞城はえっへんと胸を張った。自分で自分を天才と称するのもなかなかに大胆だが、確かに彼女たちにはその権利があると秀作も認めていた。
「それにしても気になってたんだけどさ、どうしてロボ子を女の子に作ったんだ?」
「え、そんなの決まってるじゃない」
瑞城は少し意外そうに言った。決まってる、と言われて秀作は少し戸惑う。自明な理由なんて、結構考えたけど浮かんでは来ていなかった。
「ママは昔から娘が欲しかったのよー!」
そう言うと瑞城はロボ子を抱きしめ、すりすりと頬を寄せた。幸せそうにのりたまご飯を口に運んでいたロボ子は、急に抱き寄せられて「あわわわ」と慌てた様子だった。危うく茶碗を取り落しそうになるも、ギリギリのところで握りなおしていた。
「パパは男の子が良いって言ったんだけどねえ、シュウちゃんがいるから良いでしょ! って言ったら納得してくれたのー!」
「……」
秀作は何だか複雑な心境だったが、楽しそうにじゃれ合う二人の姿を見ていたら不思議と何も言えなくなってしまった。
「ああー、良いお湯。湯船に浸かるのなんていつぶりかしらー」
瑞城は入浴剤で白濁した湯船に肩まで身体を沈めると、うっとりとした声を出した。彼女の肌やプロポーションは既に四十代に突入したとは思えないほど若々しく、その童顔と天真爛漫な性格も相まっていつも年齢よりずいぶんと若く見られる。
「お湯加減いかがですか?」
「ええ、ばっちりよロボ子ちゃん」
「えへへ、良かったです」
ロボ子はすりガラスの扉を開けて浴室に入ってくると、洗い場の水道の前に腰かけ、シャワーを出して全身にお湯をかけ始めた。その様子を浴槽のふちに顎を乗せた瑞城が、興味深そうに見ていた。
「ロボ子ちゃん、やっぱりあなた良い身体してるわねえ」
「そうですか?」
ロボ子は不思議そうに首を傾げた。張りのある肌の上をシャワーの水は玉になって流れ、濡れた髪の毛が張り付いてメリハリのある身体のラインはより一層色っぽく強調されていた。
「うん、凄く綺麗だわ。羨ましいくらい。はあー私も若い頃はもっと魅力的な身体だったのになー」
瑞城はブクブクと湯船に沈んだ。
「ミズキ博士はまだまだお若いですよ!」
「あら、嫌味かしら?」
「そ、そんなことはっ!」
ロボ子は水しぶきを飛ばしながら、手をバタバタさせて否定した。
「うふふ、冗談よ。ロボ子ちゃんはホントに素直でいい子ねー」
そう言いながら瑞城は、ゆっくりと湯船の中から立ち上がった。表面をお湯が流れ落ちる彼女の身体は、実際ロボ子に負けず劣らずメリハリがはっきりしていて、とても四十代のプロポーションとは思えないくらいに魅力的だ。
「ロボ子ちゃん、髪の毛洗ってあげるわね」
「え、良いんですか?」
「任せなさーい♪」
瑞城はロボ子の後ろに膝をつくと、ボトルを二回プッシュして掌にシャンプーを出し、ロボ子の髪の毛をごしごしと泡立てた。ロボ子は気持ちが良さそうに目を細める。
「かゆいところはないですかー?」
「はーい、気持ちいいですー」
「こうやって娘の髪の毛を洗ってあげるの、夢だったのよねえ」
そう言って瑞城はうふふと笑った。彼女はいつものおどけた表情ではなく、優しい母親の顔をしていた。傍から見ている人がいれば、二人が親子であると言うことを疑いはしなかっただろう。
「それじゃあ流しますねー」
「はーい」
瑞城はシャワーの温度を確かめると、ゆっくりとロボ子の髪の毛を流していった。金色の綺麗な髪の毛をさらさらと泡が流れ落ちていく様子は、幻想的な趣きすらあった。彼女は洗い残しのないように、少しずつ丁寧に泡を洗い流した。
「よーし、それじゃあ次は身体を洗ってあげるわね」
「わわ、大丈夫ですよ!」
「良いから良いから。背中は自分じゃ良く洗えないでしょう。ママに任せなさいっ」
「は、はい……それじゃあ」
ロボ子は少し恥ずかしそうに、長く綺麗な髪の毛をアップにしてまとめ始めた。瑞城はその間にタオルをしっかり泡立てると、ロボ子の身体をごしごしと洗い始めた。しっかりした手つきだったが、それは同時にとても優しく、丁寧な手つきでもあった。彼女の泡立てたタオルはロボ子の背中を泡で覆い、それからほっそりとしたきれいな首筋、肩、両腕、豊かな胸と万遍なく泡で覆っていった。
「もうホントに、女の私でもうっとりしちゃうくらい綺麗な身体ねえ」
「そ、そんなことは……」
「そんなことあるわよー。お顔もとってもきれいだし、男の子なんてイチコロね」
「イチコロ……ですか?」
「一発でノックアウトってことよ」
ノックアウト……とロボ子は小さく呟く。彼女には、それが格闘技の用語であるという以上の意味を知らなかった。
「シュウちゃんには目に毒かもねえ」
「あ、だからシューサクさんはロボ子が服を着ていないと不機嫌になるんですね? 申し訳ないことをしました……」
ロボ子が神妙な顔でそう言うと、瑞城はプッと噴き出した。
「えーあの子、不機嫌になっちゃうんだー」
おっかしーと瑞城はクスクスと笑った。
「そうなんです。ロボ子はご迷惑をかけていたのですね」
「ううん、ロボ子ちゃん。それは迷惑って言うことではないのよ」
「そうなのですか?」
「そうよ。あの子は照れちゃってるのよ。ホントは嬉しいくらいだと思うわ」
「嬉しい……ではもっと見せてあげた方が良いのですか?」
「違う違う。そんなことは絶対にしちゃダメよ?」
「ダメなのですか……うむむ、難しいです」
「ロボ子ちゃんにはまだ難しいかもねえ」
瑞城はロボ子の細くてきれいな指の間を丁寧に洗いながら、とても優しい声で言った。
「男の子に裸を見せるっていうのは、とっても恥ずかしいことなの」
「あわわ、そうだったのですね……ロボ子はちっとも知りませんでした……」
ロボ子は俯いて頬を赤く染めた。ロボ子にはまだ、そのような羞恥の心が芽生えていないのだ。彼女の心はまだほんの子供で、無邪気な子供が裸であるのを気にしないのと同じように、彼女もそのことを全く気にしていなかった。
「ロボ子ちゃんにもきっと、いずれ分かるわ。だからこれからは気を付けるようにね」
「はい、気を付けます!」
「良い子ねー。はい、足を上げて―」
ロボ子が言うとおりにすると、瑞城は丁寧にロボ子の足を洗っていった。
「ロボ子ちゃん、何か困ってることとかはない?」
「困ってることですか? うーん、特にないですねえ」
ロボ子は人差し指を顎に添えて考えるような仕草をしたが、特に思い浮かばないようだった。
「シューサクさんがとっても良くしてくれるので」
「そう、良かった。あの子が意外としっかりやってくれてるみたいで」
瑞城は満足そうにうんうんと頷いた。
「困ったことがあったら何でも言っていいからね? 私は滅多に帰ってこないけど、ロボ子ちゃんの為なら何でもしちゃうんだから。はーい、流していくわねー」
そう言うと瑞城はシャワーでロボ子の泡を流し始めた。泡で包まれていた身体が、少しずつ地肌を現していく。
身体を流してもらっている間、ロボ子は何か真剣に考えているように口を閉ざしていた。それから少しなやんでから、おもむろに口を開いた。
「あの、ミズキ博士……」
「ん?」
控えめな様子でロボ子が言って、瑞城は手を止めて彼女の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「え、えっと……」
ロボ子はもじもじして言いにくそうに続けた。
「少しだけ……わがまま言っても良いですか?」
「ん、良いわよ。何でも言って」
上目遣いで訊ねるロボ子に、瑞城は優しい笑顔で答えた。
「あの、ロボ子はですね……」
ためらいがちに、ゆっくりと、ロボ子はその願いを口にした。彼女の「お願い」に瑞城はちょっとだけ驚いたが「任せなさい♪」とそれを快く受け入れた。ロボ子の顔が、パーッと明るくなった。
翌朝、秀作が制服に着替え、学校に向かう頃にようやく瑞城はリビングに現れた。彼女は秀作の姿を見つけると「あらーシュウちゃん、おはよー」と言って大きな欠伸をした。首の伸びきったTシャツはだらしなく方からずり落ちていて、一見してそれが天才科学者の姿だとは誰も思わないだろう。
「朝飯、テーブルの上にあるから。食器は水につけておいてくれよな。俺はもう学校行くから、きちんと戸締りしてから出るように」
「ふぁーい」
「今日から向こう戻るんだよな?」
祈るような気持ちで秀作は訊ねた。
「うん、でもまあ、ゆっくりで良いわー」
そう言いながら彼女はぼんやりとした様子でテーブルに着き、テレビをつけてから秀作のトーストをかじり始めた。彼女が研究所に戻ると聞いて、秀作は心の中でホッと安堵の溜息を洩らした。
「へー、じゃあ昨日はおばさん帰って来てたのね」
「そうなんだよ」
「しかも一人で帰って来てたと」
「おう。お蔭で月曜日だってのにもうへとへとだ」
「あはは、お疲れさま」
朱里はちょっとだけ気の毒そうに笑った。昔から家族ぐるみで付き合いの深い彼女は、瑞城のハチャメチャな性格も良く知っていた。そしてそれが、藍作のいない時には手の付けられないレベルに達することも。
朝礼前の教室は生徒たちの楽しそうに雑談する声で満ちていた。特に月曜日の今日は、週末にどんなことをして遊んだだの、どこに行っただの言う会話でみんな楽しそうに盛り上がっていた。その中で秀作だけは、げっそりした様子で机に突っ伏しているのだった。
ホームルームの鐘が鳴り、散らばっていた生徒が各々の席に戻り始める。秀作の机のところに来ていた朱里も、斜め後ろの自分の席に静かに戻っていった。
各々が席に着いてからもしばらくはざわざわと会話する声は途絶えない。それはいつもの光景だった。やがてガラガラと音を立てて年配の担任がドアを開き、それに反応して生徒たちも口をつぐむ。そこまではいつも通りだ。しかし今日は、そこから少しだけ様子が違っていた。
一度静まったはずの教室が、もう一度、一際大きい喧騒に包まれ始めた。斜め後ろから明かりの「えっ」と言う声が聞こえて、机に突っ伏したままだった秀作もようやく何事かと顔を上げた。そして信じられない光景を目にして、思わず言葉を失った。
年配の担任は出席簿で教卓をパンパンと叩くと「しーずーかーにー」と教室に呼びかけた。注目を集めるとき、彼はいつも教卓を叩く。ざわついた教室は少し静かになったものの、相変わらず生徒たちは小声でひそひそと耳打ちをしあっていた。
「えーっと今日は、転校生を紹介します。ほら、自己紹介して」
担任に言われて、少女は一歩前に歩み出た。
「はじめまして、転校生の安藤ロボ子と言います! みなさん、よろしくお願いします!」
ペコリと頭を下げ、満面の笑みで、ロボ子は言った。
秀作は頭を抱えた。