第5話 ―ロボ子と台風―
『台風は太平洋上を北上しており、今夜十時ごろには関東地方へと上陸すると見られます。それに伴い……』
テレビには大きく日本地図が映し出されていて、台風の予想進路にはばっちり、秀作らの住む東京も含まれていた。
「ちょっと準備した方が良いかもなあ……」
秀作は崩れ始めた天気を見ながらぼそりと呟いた。隣でテレビにかじりついていたロボ子は、それを見て不思議そうに訊ねた。
「タイフー? って何か準備が必要なんですか?」
「ああロボ子、お前台風知らないのか」
「はい。研究所にいるときには見たことないです」
「そうなのか」
良く考えればロボ子がロボ子が台風の季節を経験するのはこれが初めてなのかもしれない、と秀作はようやく思い至った。
「お前、竜巻はわかるか?」
「はい! この前テレビで見ました!」
「簡単に言うと、アレのでっかい版だ」
「ええっ!」
ロボ子は目をまん丸にして驚いた。本当はちょっと違うんだけどな……と心の中で思いながら、秀作は続けた。
「しかも、めっちゃ雨が降る。道路とか川になる」
「そんな! おうちは大丈夫なのですか!?」
「ああ大丈夫だ。日本には毎年台風が来るから、それに耐えられるような家になってるんだ」
「すごいです! そんなに強いおうちだったのですね!」
ロボ子は目をキラキラさせて言った。秀作はロボ子の反応が段々面白くなってきて、ちょっと大げさに吹き込んでやろうと思い始めた。
そのとき、テレビが離島から台風の様子を中継するリポーターを映し出した。
「わあっ、これが台風ですか!」
「そうだな。この地域はもう暴風域みたいだ」
「この人危ないですよ! こんなところにいたらきっと死んじゃいます!」
リポーターは画面の中で、暴風雨に打たれて雨合羽を吹き飛ばされそうになりながら、必死に現地の様子をリポートしていた。
「大丈夫、彼らは特別な訓練を積んだエリートだ。それにどんなに危険な場所でも、その様子をきちんと世界に伝える、それが彼らの、誇りなんだ」
「かっこいいです……」
ロボ子は真剣な眼差しでテレビ画面を見つめていた。ホントに何でも信じてしまうのだなと、秀作は少しおかしくなってきた。
するとロボ子の目の前で再び画面が切り替わり、再び日本地図が映し出された。先ほどリポーターが居た辺りは、確かにちょうど暴風域に含まれているようだった。
「わあ、シューサクさん! 見てください!」
「どうした?」
「タイフーさん、どんどん大きくなってます!」
「いやそれは……」
進路予想では、台風が通過する可能性のある地域を順番に表示するので、まるで台風が膨らんでいるように見える。ロボ子は典型的な勘違いをしているようだったが、秀作は少し考えてあえてそれを訂正しないことにした。誤解していようといまいと、今やるべきことは変わらないのだ。
「そうだな。このままだとここに来るまでに、超巨大台風になるだろうな……」
「超巨大……」
「さあロボ子、急いで準備を始めるぞ!」
秀作が言うと、ロボ子は真剣な表情でコクコクと頷いた。
窓を開けて庭に出ると、風はもうかなり強くなっていた。まだ雨は降り出していないが、空もどんよりと曇り、心なしか空気も湿り気を帯び始めているようだった。
「急いだ方が良いなあ。ロボ子、手伝ってくれ!」
「もちろんです!」
あわてて予備のサンダルをつっかけると、ロボ子もパタパタと庭に下りてくる。
「この物干し竿とか、それから風で飛ばされそうなもの、あと植木鉢なんかを家の中に入れてしまわないといけないんだ」
秀作は指差しで、家の中に入れるものを指示していった。
「大きいのは俺が運ぶから、ロボ子はこの小さいのを玄関の中に入れてきてくれ」
「わかりましたっ」
元気良く返事をすると、ロボ子はテキパキと動き始めた。こう言うとき、作業を手分けすることが出来るのはとても助かるなと秀作は思った。
外に置いてあったものはあらかた運び終え、秀作は額に浮かんだ汗を拭った。ちょうど空からも雨がポツリポツリと落ち始めたところだった。
「ありがとうロボ子、助かったよ。それじゃあスリッパも中に入れるから玄関から――」
「あっ、ルビーちゃん!」
ロボ子が突然声をあげ、秀作の言葉を遮った。秀作がロボ子の視線の先を追うと、そこには以前ロボ子が家に入れていた、赤い目をした黒猫の姿があった。ロボ子はその後も何度か、庭に遊びに来る黒猫にこっそり食べ物を与えていることを、秀作は知っていた。
黒猫をじっと見つめていたロボ子は、切実な表情で秀作を振り返った。
「シューサクさん、今晩だけルビーちゃんおうちに入れてあげてください」
「えっ、それは……」
「タイフーが来たらきっと辛いですよ! それにもしかしたら死んじゃうかも……」
「いや大丈夫だって。毎年ちゃんと台風をしのいでるんだから」
「でも、超巨大タイフーなんですよ!」
「うーん……」
さっきのが裏目に出たな、と秀作は思った。腕組みしてどうしたものかと考えていると、黙ってこっちを見ていた黒猫がそっぽを向いてトコトコと歩き去っていった。
「あ、待って!」
「ちょっと待てロボ子!」
門の外へと歩いて行った黒猫を追って、ロボ子も外へと飛び出した。それとほとんど同じタイミングで、ポツポツと降り始めていた雨が急に雨足を強め、ザーッと音を立てて地面を叩き始めた。
「ったくあいつは……」
秀作は玄関から傘を二本引っつかみ、そのうち一本を開いてロボ子のあとを追った。風が強くて安物の傘は大袈裟なくらいに良くしなった。
ロボ子が門から飛び出すと、少し離れた所を、尻尾をぴょこぴょこと振りながら黒猫が歩いているのが見えた。
「ルビーちゃん、待ってください!」
追いかけようとしたところで急に雨が強くなったものの、傘を取りに戻っていたらきっと見失ってしまう。ロボ子は少し悩みながらも、思い切って黒猫の後ろ姿を追いかけた。
すぐに全身はずぶ濡れになり、長い髪の毛やブラウスが肌に張り付き始めた。初めは少し気持ち悪かったが、完全に濡れねずみになってしまってからは逆に気にならなくなった。
家から少し離れた公園に、黒猫が走りこむのが見えた。ロボ子も追いかけるように公園に入ったが、そこで黒猫の姿を見失ってしまった。
「あれ、ルビーちゃーん、どこですかー」
呼びかけてみるが反応はない。滑り台の下や、遊具の陰などを探してみたものの、黒猫の姿はなかなか見つからなかった。
「どこに行っちゃったんですかー」
呼びかけるロボ子の声は、降り注ぐ雨に吸い込まれるように消え入ってしまう。ロボ子は「どうしましょう……」と小さく呟く。相変わらず雨は激しく全身を叩き、風もさっきよりいくらか強くなったようだった。
しばらくそうして黒猫の姿を探していたものの、どうやら公園の中には既にその姿は見当たらないようだった。ロボ子はがっくりと肩を落として、もと来た方に向かってとぼとぼと歩き始めた。
そのとき、公園の入り口付近で植え込みがガサッと揺れた。ロボ子は思わず立ち止まると、しゃがみこんでその場所を覗き込んだ。
「あー! こんなところにいたんですね!」
ようやく黒猫の姿を見つけて、ロボ子はぱあっと明るい声を上げた。黒猫は入り口近くの植え込みの下で、のんきに毛づくろいをしていた。覗き込んだロボ子に気付くと、その猫は「にゃー」と可愛らしく鳴いた。
「ほら、こんなところにいたら大変です。超巨大タイフーが来てますから」
ロボ子は黒猫に向かって両手を差し出した。
「おうちに入れてって、一緒にシューサクさんにお願いしましょう」
黒猫はロボ子の顔を見て目をぱちくりとさせると、トコトコと歩み寄って彼女の手の中に身体を滑り込ませた。
「よしよし、良い子ですねー」
抱き上げた黒猫は温かく、ロボ子はずぶ濡れなのも忘れて満足げに笑った。身体を丸めた黒猫を抱えて立ち上がると、降り注いでいた雨が不意に途切れた。ロボ子が振り返ると、秀作が頭上に傘を差し出してくれていた。
「傘も持たずに飛び出す奴があるか」
「ごめんなさい……」
秀作に怒られて、ロボ子はぺこりと頭を下げた。
「台風が来てるんだから、早く帰るぞ」
「あ、あのっ、シューサクさん……」
ロボ子は言いにくそうに、腕の中の黒猫を見ながら言った。
「この子……」
「帰ったら」
秀作はロボ子の言葉を待たずに口を開いた。
「まず風呂場でちゃんと泥を落とすこと。足をしっかり洗って、それからきちんと身体も乾かすこと。家の中水浸しにしたら怒るからな」
「あ、あのそれじゃあ!」
ロボ子は俯いていた顔を上げて、パッと笑顔を見せる。
「一晩だけだぞ」
「はい、ありがとうございます! 良かったねルビーちゃん」
ロボ子に言われて、黒猫は嬉しそうに喉を鳴らした。
家に帰り着くと二人はすぐに洗面所に向かった。ロボ子は風呂場の中に黒猫を降ろし、秀作は棚の中からタオルを取り出してロボ子に手渡した。
「ちゃんと着替えて、髪の毛も良く拭くんだぞ。風邪ひかないように」
「はい! あれ、でもロボ子も風邪ひくんですかね?」
「ん、確かに」
良く考えたらどれだけ人間らしいとは言え、ロボットが風邪をひくというのもおかしな話だった。
「まあ腹も減るくらいだから風邪だってひくかもしれんだろ」
「確かにそうかもしれないですね」
そう言うとロボ子はプチプチとブラウスのボタンを外し始めた。濡れて張り付いていたブラウスの生地がめくれ、胸元がはだけて露わになっていく。この前朱里と買いに行っていた、シンプルだが可愛らしい下着が小さく顔を覗かせる。
「ああ待て待て! 今着替えを持ってきてやるから!」
秀作は慌てて洗面所の外に出てドアを閉めた。相変わらずロボ子は無防備で困る。何度言ってもロボ子のそう言うところは治らず、こう言う場面には度々出くわしていた。
やれやれと思いながら、秀作は走ってロボ子の着替えを取ってきた。ドアの隙間からそれを差し入れると、しばらくしてロボ子から「もう良いですよ」と言う声がかかり、ようやく脱衣所の中に戻る事が出来た。
恐る恐ると言った調子で秀作がドアを開けると、秀作の持ってきたTシャツとハーフパンツに着替えたロボ子が風呂場にしゃがみこみ、早速シャワーで黒猫を洗っているのが目に入った。
「はいはーい、大人しくして下さいねー」
逃げ出したり暴れたりはしないものの、ロボ子の手の中でシャワーを浴びながら、黒猫はキョロキョロと落ち着かない様子だった。全身の毛が濡れて張り付き、思っていたよりも身体は細かった。そんな黒猫の姿を、秀作はちょっと新鮮に感じた。
秀作が歩み寄ると、ロボ子が見上げるように振り返った。
「ルビーちゃん、とってもお利口さんですよ」
「ホントに大人しいんだな。猫ってもっと風呂嫌がるかと思ってた」
しゃがんで覗き込むと、黒猫は秀作の方をじっと見つめた。その目は赤く宝石のようにきれいで、ようやく秀作にもルビーと言う名前の意味が分かった。
「目が赤いからルビーなのか」
「そうですよ! 良く分かりましたね!」
名前の由来を言い当ててもらって、ロボ子は嬉しそうだった。
「シューサクさんも洗ってあげますか?」
「あ、ああ……」
少し迷ったが、大人しくロボ子に洗われているルビーを見ていて、秀作も少しだけ触りたくなっていた。家に上げるのをためらうだけで、元々猫は結構好きなのだ。ロボ子からシャワーを受け取ると、秀作はそろそろとルビーに向かって手を伸ばした。
そのとき、今まで大人しくしていたルビーは急にぴょんと飛び跳ね、秀作の手からシャワーを叩き落した。シャワーは水圧で翻り、見事に秀作の顔面を直撃。そのまま秀作の全身をずぶ濡れにした。秀作の口から思わず「うぶぉっ」と情けない声が漏れ、ロボ子が慌ててシャワーを止めた。
「わわわわっ! シューサクさんごめんなさい!」
「……」
秀作は不満そうにしながら、ロボ子からタオルを受け取ると濡れた髪とごしごしと拭いた。今度はロボ子ではなく、秀作の方が着替えなければならない羽目になった。
「もう、ルビーちゃん! ダメでしょう!」
ロボ子に叱られながらも、ルビーは風呂場の隅で「にゃー」とのんきそうに鳴いた。その様子は何だか秀作を馬鹿にしているようだった。秀作は密かに「結構可愛い奴だ」と思い始めていたのだが、それを取り消した。
夜になるといよいよ暴風雨となった。締め切った窓はガタガタと鳴っていたし、風鳴りの音もそれなりにうるさかった。
秀作はいつものように、ベッドに入ってから寝るまでの間に本を読んでいたが、窓のガタガタのせいでであまり集中できず、今日はもう早めに寝てしまおうかと考えていた。そのとき、控えめにドアがノックされた。返事をすると、ルビーを抱きかかえたロボ子がドアの隙間から顔を覗かせた。
「シューサクさん……」
「どうした?」
「怖くて眠れません……」
ロボ子は今にも泣き出しそうな顔でそう言った。
「一緒に寝ちゃダメですか?」
「いや、一緒にってお前……」
秀作は自分のベッドをちらりと見る。どう見ても二人で寝られる広さではないし、そもそもロボットとは言え、男女が同じベッドで寝ると言うのは流石に気が引けた。
「ルビーもいるんだし、このくらい我慢して――」
その瞬間、カーテンの隙間がパッと明るくなり、一瞬遅れて轟音が鳴り響いた。
秀作も少しビクッとしたが、ロボ子の驚き方はそれとは比べ物にならなかった。小さく声を上げた彼女はぺたりと床に座り込むと、目に涙を一杯ためてふるふると震えていた。
そんなロボ子を見ていると、秀作は段々か可哀想になってきた。考えてみれば、彼女は今まで台風も雷雨も経験したことがないのだろう。秀作の方はそんなものもう慣れてしまっているが、確かに初めてこんな状況に出会ったら怖くて眠れなくなるのも仕方ないのかもしれない。
「分かったよ、しょうがないな」
秀作は読んでいた本に栞を挟むと、ベッドから立ち上がった。
「布団持って来てやるから、ちょっと待ってろ」
「え、あっ、待ってくださいっ」
ロボ子の脇をすり抜けて階段を下りようとしていた秀作を、ロボ子が慌てて追いかけてくる。
「ロボ子も行きます……」
一人になるのが怖いのだろう、ロボ子は秀作に追いつくと、彼のTシャツの裾をちょこんと摘んですぐ後ろから着いてきた。少しだけ歩きにくかったが、秀作は何も言わなかった。
いつもロボ子の寝ている客間に入り、秀作は手際よく彼女の布団を三つ折りに畳んだ。それを重ねて持ち上げると、足元に気をつけながらもと来た道をゆっくりと戻り始める。良く考えたら客間にもう一枚自分用の布団を敷けば良かったなと、階段を登りながら気付いた。
相変わらず後ろから着いてきたロボ子は秀作を手伝おうとしたが、その為には抱きかかえたルビーを手放す必要があり、迷っているうちに作業は終わってしまっていた。彼女は小さく「ごめんなさい……」と呟いた。
「よし、これで良いだろう。ちょっと狭いけど我慢しろよ」
「シューサクさん、本当にありがとうございます」
布団を敷いてしまうと、元々そう広くない秀作の部屋はほとんど床が隠れてしまっていた。部屋の隅に残された細い床の部分をルビーがトコトコと歩き、本棚の匂いをクンクンと嗅いでいた。
「おい、悪さするんじゃないぞ」
秀作にそう言われて、ルビーはプイとそっぽを向いた。相変わらず愛想のない猫だ。
「ロボ子、ベッドの方で寝るか?」
「いいえ、いつもお布団ですから。それに……」
ロボ子はベッド脇の窓の方に目をやった。カーテンの向こうで、窓が相変わらずガタガタ鳴っていた。
「ああ、窓から遠い方が良いのか」
秀作が言うと、ロボ子はコクコクと頷いた。彼女の表情は真剣そのもので、秀作は思わず笑ってしまった。
「何で笑うんですか!」
「ごめんごめん」
秀作は謝ったが、ロボ子は不満そうに頬を膨らませた。
そのとき、唐突に電気が消えた。
「きゃっ」
ロボ子は短く悲鳴を上げると、思わず秀作に抱きついた。その勢いでバランスを崩しそうになるが、秀作はギリギリで踏みとどまった。パジャマの生地を通して柔らかい感触が伝わり、髪の毛からは女の子の匂いがして思わずどぎまぎしてしまう。
「お、おいただの停電だって……」
そう言いながら秀作は、ロボ子が停電も知らないのであろうことに思い至った。
「テーデン……」
「大丈夫だから、な。良くあることだよ。多分すぐ元に戻る」
「うう……」
秀作になだめられて、ようやくロボ子は身体を離した。秀作は手探りでカーテンをめくり、外の様子をうかがった。他の家も軒並み電気が消えてしまっているようだった。この周囲はほとんどが停電していると言うことなのだろう。真っ暗になってしまうと、暴風雨の音はより一層大きくなったように感じられた。
「危ないから、ちょっとじっとしてろよ」
そう言うと秀作は、懐中電灯を取り出すために手探りで引き出しの所まで歩いた。途中でルビーがどこかにいることを思い出し、踏んづけてしまわないように注意する。ほぼ真っ暗な室内では、黒猫の姿は全く見えなくなってしまうのだ。
「あった」
引き出しをあさると、すぐに懐中電灯は見つかった。幸い電池はまだ生きていたようで、スイッチを入れると光の筋が細長く部屋を照らした。
「良かった、生きてた」
「ええっ、テーデンで死んじゃうこともあるんですかっ」
「いや違うよ、これの電池がだよ」
「もう、驚かさないでください!」
泣きそうな声で言うロボ子がおかしくて、秀作はまた笑ってしまった。
部屋の中を照らしてみると、ルビーは布団の上で身体を丸めていた。元々夜目が利くのだろう、ライトで照らされると眩しそうに秀作を見た。
「よし、ルビー発見」
「あ、ルビーちゃん」
ロボ子はルビーに歩み寄って抱き上げた。ルビーを抱いたことで、ロボ子は少しだけ安心したようだった。
「それじゃ、ちょうど電気も消えたし寝るか」
そう言うと、秀作はベッドに入った。暗くて時計は見えないが、きっと結構良い時間になっているのだろう。そろそろ秀作も眠くなってきたところだった。
ロボ子の布団の方を照らしてやると、彼女も慌てたように布団へともぐりこんだ。枕元でルビーも身体を丸めた。どうやらその場所で寝るつもりらしい。
「それじゃ、ライト消すぞ」
「はい」
秀作が懐中電灯を消すと、再び部屋の中は真っ暗になった。相変わらず外からは台風の音が聞こえていたが、秀作は気にせず寝ることにした。それよりも、いつも一人で寝ている部屋に他に人の気配があることの方が、何となく落ち着かなかった。
しばらく静かに眠りにつこうとしていたが、なかなか上手く行かなかった。どのくらいの時間が経ったかは分からないが、落ち着かない様子でもぞもぞと身体を動かしていたロボ子が口を開いた。
「シューサクさん、起きてますか?」
不安そうな、小さな声だった。
「起きてるよ」
秀作がそう返すと、ロボ子は「良かったです」と言った。ロボ子のもぞもぞは、少しだけ少なくなった。
そんなやりとりを何度か繰り返したが、その度にロボ子の声には少しずつ眠たそうな響きが加わり、やがて小さな寝息が聞こえてくるようになった。秀作がこっそりとベッドの下をうかがうと、暗闇に慣れた秀作の目に、すやすやと眠るロボ子の姿がぼんやりと見えた。それを確認すると秀作も何となく安心して、それからすうっと自然に眠ることができた。
翌朝、秀作が目を覚ますと暴風雨はすっかり過ぎ去ってしまったようだった。窓はもうガタガタも鳴っていないし、外からはチュンチュンと小鳥の鳴き声も聞こえてきた。カーテンを開けてみると、昨日の台風が嘘のように眩しいくらいの快晴だった。
「ふあー……眩しいです……」
カーテンを開けたことで朝日が差し込み、眠っていたロボ子も目を覚ましたようだった。彼女は布団の上で身体を起こし、眠そうな目をこすっていた。
「ああ、ロボ子も起きたか」
「はい、おはよーございます……」
秀作に声をかけられて、布団の上で伸びをするロボ子は、台風に怯えていたことなどすっかり忘れていると言う様子だった。
カリカリと音がした方を見ると、ルビーが外に出たそうにドアを引っかいていた。
「ああちょっと待て、今開けるから」
ドアに引っかき傷がつくのを恐れ、秀作は慌ててドアを開けた。ルビーは待ちきれないと言う様子でドアの隙間から飛び出すと、勢いよく階段を駆け下りていった。秀作もその後を追うように、階段を下りてリビングに向かった。
一番心配していた、リビングの大きな掃き出し窓も無事だった。カーテンを開けると眩しいばかりの光がリビングを明るく照らした。
「よいしょ、よいしょ……」
廊下から声がして見てみると、ロボ子が畳んだ布団を抱えて階段を降りてきていた。小さな彼女に布団は大きく、下りの階段ではおそらく足元がほとんど見えていない。
「ああロボ子、危ない危ない」
秀作は慌ててそれに駆け寄ると、下から支えるようにして布団を受け取る。何とか無事に下まで降ろすことができて、秀作はホッと胸をなでおろした。
「ありがとうございます、助かりました」
彼女はにこやかにそう言うと、再び布団を受け取ってえっちらおっちら客間まで運んでいった。そんな彼女の後ろを、ルビーがトコトコと追いかけて行って、何だか微笑ましい光景だと秀作は思った。
家中を見て回ったが、台風の影響はほとんどなかった。冷凍庫を開けても中の氷は溶けておらず、停電も短時間だったことがわかった。
「よし、じゃあ玄関を片付けようかな」
玄関には昨日運び入れたものが雑然と並び、足の踏み場がなくなっていた。これを片付ければ全て元通りだ。
「ロボ子ー手伝ってくれー」
「はーい、今行きまーす!」
ロボ子が駆け寄ってくる足音を聞きながら、秀作はサンダルを履いて玄関を開けた。台風一過、夏の朝の心地よい風が吹き込んできて、太陽のにおいがした。
暑い一日になりそうだった。