第2話 ―ロボ子と料理―
なんだかんだで、ロボ子は当面のあいだ亜司母家で生活することになった。
彼女は服を持っていなかったので、朱里はすぐ隣の自宅に戻って何枚か服を持ってきてくれた。
「ロボットだからって何も着ないってわけには行かないでしょ? 少ないけど、身長も同じくらいだから多分ちょうど良いかなって」
そう言って朱里は秀作をリビングから追い出し、ロボ子に服を着せはじめた。秀作が呼ばれて部屋に戻ると、ロボ子が朱里のシンプルなTシャツとハーフパンツに身を包んでいた。
どこか透き通るようで神秘めいた印象だった彼女が朱里のボーイッシュな服に包まれた姿はちょっとしたギャップを生んでいた。彼女の姿はさながら「部屋着の天使」とでも言ったところだった。
すらりと伸びた手足の綺麗さに、秀作は一瞬ドキリとする。先ほどは一糸まとわぬ姿も見ているし、シーツを巻き付けただけの危うい姿も相当に目の毒だったが、それとは違う健康的な魅力を感じさせる姿だった。
慌てて自分に「こいつはロボットだこいつはロボットだ」と言い聞かせつつ、そんな動揺を悟られまいと口を開く。
「サイズはちょうど良いみたいだな」
「ええ、アカリさんの言った通りぴったりでした!」
ロボ子の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「良かった。あんまり着なくなっちゃってた服だし、もったいなかったんだ」
役に立つことが出来て、朱里も満足そうだった。しかし、ロボ子は「でも……」と少しだけ表情を曇らせた。
「どうしたの?」
「あの……ピッタリなのですが、ちょっとだけこのあたりはピッタリすぎるかなあ、とか……」
ロボ子は胸元の布地をちょんと摘む。時が止まった。ロボ子は「あれ?」と困惑したように秀作に目を向けたが、秀作は思わず目をそらした。
「あ、あの……あれっ?」
「あはは、ごめんねロボ子ちゃん。私もそれ、ちょっと前に着てた服だしね。ちょっと前のね。うんうん、ちょっと前のだからさあーちょっと前のねー」
朱里はうんうんと頷きながら何とか笑顔を作ろうとしてるようだったが、割と失敗していた。頬の筋肉がぴくぴくと引きつっていて、微妙に怖い。
「あ、そうだー私今日夕食の当番だったんだーすっかり忘れてた! 急いで帰らないと! 秀作あとはよろしくねーバイバイー」
まくしたてるように言うと朱里は逃げるようにその場を立ち去った。
「あ、あの……ロボ子は何かまずいことを言ったのでしょうか?」
ロボ子は首をかしげる。
「あのな、誰も悪くないのにとても悲しい事件と言うのが、ときとして起こるんだ」
「悲しい事件、ですか?」
ロボ子はまだ納得しないようだったが、秀作は「さて俺も夕飯作らないとなー」と言いながらキッチンの方へと歩いて行ってしまった。残されたロボ子は不思議そうに、再び胸元の生地をちょこんと摘まんでは、首を傾げた。
秀作は冷蔵庫から食材を取り出しつつ、大事なことに思い至った。
「一人分で……良いんだよな?」
ロボ子は確かに人間そっくりだが、流石に食事は出来ないだろう。しかし何というか、ロボ子の目の前で自分の分だけ食事を作り、一人だけそれを食べるというのは何とも居心地が悪かった。
しばし考え込んでいると、ロボ子がトコトコと台所に入ってきた。
「あ、ロボ子、お前まさか飯とか食わないよな?」
「え、食べますよ」
「マジで?」
さも当然のようにロボ子は答え、秀作は戸惑う。
「はい! ロボ子は人間とほとんど変わらない生活を送れるように設計されていますから! ご飯も食べて、お水も飲みますし、夜はちゃんと寝ないとフラフラになっちゃいます!」
凄いでしょう、とロボ子は胸を張った。余裕のない布地が更に横に引き伸ばされる。
「え、いや確かに凄いけどさ……ロボットってこう、コンセントからパーって充電したら何時間も連続で動き続けられるーとか、そういうもんじゃないのか?
「うーん、確かにそうかもしれないですけど、ロボ子はそうはなってないのですよ。今もお腹がペコペコです!」
ニコニコと笑いながら彼女は言うが、秀作は内心、彼女をスクラップにしたがった研究所の意向もちょっとだけ分かってしまう気がした。人間そっくりのロボットとして彼女は確かに完成度が高いのだろうが、人間の欠点までそっくり実装されていれば「道具」としての目的からは外れている。
「それじゃあとりあえず、二人分食事作れば良いんだな。好き嫌いするなよ?」
色々と考えていても仕方ないので、秀作はそそくさと夕飯の用意に入った。二人分の食事を作るというのは、材料が増えるだけで一人分と手間はそれほど変わらない。
予定していた二倍の食材を冷蔵庫の中から取り出し、秀作は鍋を火にかけた。米は冷ご飯にするつもりで多目に炊いておいたので多分間に合うだろう。
「何作るんですか?」
「しょうが焼きと味噌汁に、あとは豆腐が余ってるから冷やっこだな」
「ショーガヤキ……ヒヤヤッコ……」
「もしかして、知らないのか?」
「はい、まだ食べたことがないです」
むむむ、と真剣な面持ちでロボ子は頷いた。
「味噌汁はわかるのか?」
「はい! あの袋を開けて、お湯を注ぐと完成です!」
「……」
「あれ、ロボ子間違いました?」
「いや、完全に間違いってわけじゃないんだけど……」
秀作にも段々分かってきた。恐らくロボ子は、研究所でなかなか不健康な食生活を送ってきたのだろう。
「まあとりあえず、食えば分かるから大人しく待ってな」
そう言って秀作は沸かしたお湯にかつお節を放り込んだ。粉末のだしを使わずに自分でだしをとるのは、秀作のちょっとしたこだわりだ。
「あの、ロボ子にもお手伝いさせて下さいっ」
「ん、お前料理出来るのか?」
「出来ません」
おいおい。
「でもお料理覚えたいです! 少しでもシューサクさんのお役に立ちたいですので!」
ロボ子は小さくこぶしを握って主張する。
「んー、まあ良いか。とりあえず手伝ってもらおうかな」
秀作は少し迷ったが、今後家に置くのだったら、少しでも手伝いをしてもらえるのは良いことかもしれないと思った。それならば、人数が増えた分の負担も分散できる。それどころか、何なら一人のときよりも幾分か楽になる。一人で生活すると言うのは結構色んな面で効率が悪いのだ。
「じゃあ、戸棚の一番下の引き出しにエプロンが入ってるから、とりあえずそれを着てくれ。一応借り物の服だし汚したら悪いからな」
「わかりました!」
手伝いを許可されたロボ子は嬉しそうな足取りで戸棚に近づき、引き出しを覗き込むとエプロンを見つけて取り出した。
「これですね!」
「そうそう、それだ。着方、わかるか?」
「うーんと……ちょっと待ってくださいね!」
そう言うとロボ子は目を閉じ、こめかみ辺りを押さえながら黙り込んだ。そして「うん、分かりましたっ」と小さく呟くと、おもむろにTシャツをたくし上げ始める。ほっそりした腰のくびれと小さなおへそ、それから豊かな膨らみの曲線までもがあらわになり始めた。
「ちょ、待て待てストップ! 何してんだお前!」
秀作は慌ててタマネギを刻んでいた手を止めた。ロボ子もそのまま動きを止めて、キョトンとした様子で秀作の顔を見つめた。相変わらず眩しいほど白い肌はむき出しのままで、その光景は秀作を目のやり場に困らせる。
秀作が思わず言葉に詰まっていると、火にかけていた鍋が吹きこぼれ始めた。
「うおっと、しまった!」
秀作は慌てて火を止める。
「とりあえず、服を戻しなさい」
「はい……」
ピタリと動きを止めていたロボ子は渋々と言った様子でTシャツの裾を元に戻し、指先でちょんちょんと皺を伸ばした。
「お前は一体何をやっているんだ?」
「えっと……エプロンの着方が分からなかったものでですね、ちょっと検索をしてみたのですが」
「検索?」
「ロボ子はインターネットに接続して情報を検索する機能を持っています!」
先ほど目をつぶっていたのはそういうことだったのかと、秀作は思い返す。
「検索したところ、エプロンを着るときには他の衣服は全て脱ぐというスタイルが、非常に高い評価を得ていることが分かりましたので――」
「それは歪んだ情報だ!」
「えっ、そうなんですか!?」
秀作は頭を抱えた。現代社会の闇だ。
「よくわからんが、今後検索は禁止だ。分からないことがあったら俺とか朱里に聞くか、本で調べなさい」
「えー、どうしてですか! せっかく便利なのに……」
「どうしてもだ。ネットの情報を扱うのにはそれなりの知識が必要なの。お前にはまだそれがないみたいだからな」
「そんなあー」
ロボ子はしょんぼりとする。秀作は何だかかわいそうになったが、今後も同じようなことが何度も起こっていてはたまらない。
今まで「子供からインターネットを取り上げる」とか「フィルタリングをかける」みたいな話には反対だったのだが、たった今、秀作はその気持ちが分かってしまった。子供にはネットは危険だ。ロボ子は多分まだ、中身がほんの子供なのだ。
「ほら、正しい着方教えてやるから、こっちに来い」
「はい!」
ロボ子は秀作に歩み寄ると、エプロンを手渡した。
「まずここをこうして、紐は背中でクロスさせてだな……」
秀作は手際よくエプロンを着せていく。ロボ子の長い髪がさらさらと流れて、少しだけ良い匂いがした。
「ここを結べばほら、完成だ」
「わあ、すごいです! こうやって着るんですね!」
不思議そうな顔でなすがままにされていたロボ子は、エプロンを着られたのが余程嬉しいのか、エプロンに包まれた自分の身体を見下ろしてくるくると回った。
「ほら遊んでないで、準備ができたらさっさと料理するぞ」
「あ、はい!」
元気良く返事するとロボ子は秀作の隣に駆け寄ってきた。
「これはしょうが焼きの下ごしらえ。材料はだいたい切ったから、ロボ子はこれを混ぜておいてくれ。ちゃんと手を洗ってからな」
秀作は下味をつけた豚肉と片栗粉の入ったボウルを差し出す。ロボ子は手を洗うと、菜箸を手にしてボウルと向かい合った。
「形がなくなるまでですか?」
「いや形は残してくれ……」
秀作はドッと疲れを感じた。
「その粉が全体に馴染む位でいいから、優しくな」
「分かりました!]
言うが早いか、ロボ子は丁寧にボウルの中身を混ぜ始めた。実際にやってみると、意外とその手つきは繊細で秀作は少し安心した。
ロボ子が混ぜている間に秀作は調味料を混ぜ合わせる。醤油、みりん、酒に砂糖としょうがを混ぜると、簡単にタレが出来上がった。ロボ子のほうのボウルもしっかり混ざったようで、準備は万端だった。
「よし、じゃあ焼いていこうか」
フライパンを火にかけて、サラダ油をひく。
「うん、そろそろかな。ロボ子、ここにそれを入れてくれ」
「はい!」
ロボ子がボウルの中身をフライパンに入れると、ジュウっと小気味良い音が鳴って美味しそうな匂いがふわっと立ち上る。音を予想していなかったのか、ロボ子は小さく「わわっ」と声を漏らした。
秀作は肉が焦げないように手早くかき回すと、全体にしっかり火を通していく。
「それじゃ、今度はそこのタマネギを入れて」
「これですね!」
ロボ子がタマネギの入った小皿から、中身をフライパンへと移す。少しするとタマネギにも火が通ってきて良い具合に色が変わり始めた。
「よしそれじゃあ、最後にそのボウルの中身を入れてくれ。なるべく全体に広がるようにこう、ぐるっと」
「こ、こうですか?」
おっかなびっくりという様子ながら、ロボ子はタレをフライパンに「回し入れ」る。さっきよりも少し低いジュワーッと言う音が広がり、しょうが焼きの良い匂いが一気に強くなる。秀作は鍋をゆすって味を全体に馴染ませると、「そろそろ良いかな」火を止めた。
「よしロボ子、そこの食器棚から大皿を出して」
「わかりました!」
ロボ子は小走りで食器棚に向かうと、扉を開けた。
「えっと、このくらいので良いですか?」
「おう、完璧だ。それじゃそこのテーブルに置いといて、あと茶碗も――」
「わわっ!」
大皿を運ぼうとしたロボ子の手が滑り、皿がこぼれ落ちそうになる。秀作はハッとして思わず遠くから手を伸ばそうとしてしまう。しかし、ロボ子は間一髪、取り落としそうになった皿を何とか支えることに成功した。秀作はホッと胸をなでおろす。
「せ、セーフです」
「気をつけてくれよ……」
ロボ子は申し訳なさそうに「えへへ」と笑った。
しょうが焼きを大皿に移し、味噌汁とご飯を二人分よそい、豆腐を切ってかつお節と少し残しておいたしょうがをのせて冷やっこも完成した。それらの料理を食卓に並べると、夕飯の準備が出来上がった。
「よし、出来たな」
「出来ました!」
ロボ子は小さく拍手をする。
「凄いですねえ、ロボ子、こんな豪華な食事初めて見ました!」
「いやいや、これが豪華って……」
研究所の食生活はそんなに酷いのか……
秀作はテーブルを挟んで向かい側に腰を下ろしたロボ子を、少し哀れな気持ちで見つめた。彼女はそんなことお構いなしに、目の前の食事にキラキラと目を輝かせていた。
「まあ、冷える前に食べようぜ。いただきます」
「いただきます!」
秀作のマネをして手を合わせると、ロボ子は早速しょうが焼きに手を伸ばした。上手に、とまでは行かないが、たどたどしいながらも器用に箸を扱って豚肉を口に運ぶ。
「熱いから気をつけろよ」
と言う言葉が届くころには、ロボ子は口元を押さえて「はふっはふっ」と目を白黒させていた。
「言わんこっちゃない。大丈夫か?」
「は、はひ……だいようぶれす……」
ロボ子は涙目で答えた。それにしても、こいつホントに飯食えるのか……と、秀作は改めて感心する。
「熱いですけど、とってもおいしいです! ロボ子、こんなにおいしいの初めてです!」
「んな大げさな」
力説するロボ子に思わず笑いつつ、秀作も火傷しないように気をつけながらしょうが焼きを一口食べてみた。ちょうど良い塩気としょうがの風味が口の中に広がる。うん、美味しい。
「大げさじゃないですよ! シューサクさんは料理が上手なんですね!」
「いやいや、しょうが焼きってのはな、不味く作る方が難しいんだよ」
あまり褒められて、秀作は少し照れくさくなってしまう。誤魔化すように味噌汁の方にも口をつけた。そちらも割と美味しく出来ていた。
その様子を見て、思い出したかのようにロボ子も味噌汁に口をつける。
「わー、美味しいです。これがお鍋で作る味噌汁なのですね……初めて見ました」
「て言うか、こっちが本家だから」
「そうなんですか!」
「お前ホントに何も知らないんだな」
目を丸くして驚くロボ子に、秀作は思わず吹き出してしまう。
「あ、そうだ。冷やっこにはこのしょうゆをかけて食べるんだぞ」
秀作はテーブルの上にあったしょうゆを自分の冷やっこにかけてみせる。それから箸で小さく切って食べてみせた。
「隣のソースと間違えないようにな。悲劇が起こる」
「こっちがおしょうゆですね! わかりました!」
ロボ子は秀作の手からしょうゆさしを受け取ると、慎重に自分の冷やっこに傾ける。
「わわっ」
思わぬ勢いでしょうゆが出て、ロボ子は慌ててしょうゆさしを戻す。
「うーん、難しいです」
「そういうときはな、後ろの穴をこう指で塞いで、ちょんちょんって」
秀作がしょうゆさしを受け取り自分の豆腐にやってみせると、ロボ子は目を丸くして驚いた。
「すごいです! そんな技術が存在するのですね!」
「技術と言うほどのもんじゃないけどな。ちょっとした生活の知恵だよ」
ひとつひとつに大げさなほど驚くロボ子が、秀作は段々ほほえましく感じてきていた。
「えーっとこうやって……あ、ロボ子にも出来ました!」
嬉しそうに無邪気な笑みを向けるロボ子に、秀作は笑いながら「おめでとう」と返した。
しかしロボ子は、今度は豆腐の柔らかさに苦戦し始めてしまった。何とか一口サイズに切ったものの、つまんで口に運ぼうとしても力が強すぎて割れてしまったり、弱すぎて持ち上げられなかったりしてしまう。
「うう、うまくいかないですね……」
「箸の持ち方が良くないんじゃないか? ほら、もう少し上の方を持って……」
「このあたりですか?」
「そうそう。それから二本とも動かして挟み込むんじゃなくて、こっちの箸は動かさないんだよ。それでこっちの箸で……」
秀作が実演しながら説明すると、ロボ子は「うんうん」と相槌を打ちながらそれを真似していった。少しするとロボ子の箸使いもいくらかまともになり、ようやく豆腐を口に運ぶ事が出来た。
「んん! できまひた! おいひいれす!」
「ほらほら、口に物を入れたまましゃべるんじゃない」
秀作に言われてロボ子はコクコクと頷いた。何だかロボットの同居人と言うより、手のかかる妹が出来たような気分だった。
考えてみれば、誰かと夕食を食べるというのも久々だなと、秀作は思い至った。両親はめったに帰ってこないし、帰って来たときにもこんなににぎやかな食卓になることはほとんどない。
それに、自分だけのために食事を作ると言うのはやはり味気ないものだ。食べてくれる人が、まあ人ではないのかもしれないが、誰かがいると言うだけでも少しだけ料理にやりがいが生まれる。
こういう生活も悪くないのかもしれないな、と考えながら、秀作は味噌汁を一口すすった。少し吹きこぼしてしまったが、いつもより美味しかった。




