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第10話 ―ロボ子と女子会―

「美佳ちゃん、誕生日……」

『おめでとー!』

 パンパンパンとクラッカーが鳴り響き、火薬のにおいが部屋に漂った。余りに盛大な祝い方に、美佳はへへっと照れくさそうに笑った。

「何かこんなに祝われるのは流石に初めてかも……」

 いつも溌剌としている美佳だったが、祝われる立場が照れくさいのか少しだけいつもよりしおらしかった。

「アタシの誕生日って夏休み中だからさーなかなか祝ってもらえないことも多いんだよね」

「あーそうなのですね。夏休みも良いことばかりではないです……」

 ロボ子が神妙な顔で言って、美佳は小さく吹き出した。そんな様子を見て、ロボ子は何か変なことでも言ってしまったのかと不思議な気持ちで首をかしげた。


 美佳の誕生日パーティーは静葉の家で行われた。メンバーは美佳に静葉、ロボ子、朱里の四人で、誕生日パーティーと称した女子会と言うコンセプトだ。ついでにそのまま夜はお泊り会に移行する予定だ。初めての女子会、初めてのお泊り会にロボ子は胸を高鳴らせていた。

「それにしてもさ、17歳だよ、アタシも。17の夏だよ、青春だよ」

「いきなりどうしたのよ」

「いやだって、17歳よ!? セブンティーン……分かってる?」

「分かってるわよ」

 いつになく浮かれた様子の美佳に、朱里はついつい笑ってしまった。

「なに笑ってるのよー、17の夏は一度しかないのよ? I am sixteen going on seventeenよ?」

 美佳はメロディーをつけて歌う。有名なミュージカル映画のワンシーンだ。「もうセブンティーンになってるけどね」と美佳は小さく笑った。ずいぶんとご機嫌なようだった。

「Baby, It's time to think.ですよ、美佳ちゃん」

「もう、分かってるわよ」

 静葉にツッコまれながらも、美佳はやたらと嬉しそうだった。朱里とロボ子は話についていけず、キョトンとして顔を見合わせた。


 誕生日パーティーは大いに盛り上がった。プレゼントを一個一個開封するたびに美佳は感嘆の声を上げ、送り主と楽しい会話が弾んだ。どこで買っただの、どうして欲しいものが分かったのだだの、そんな会話だ。

 ロボ子は美佳に小さな装飾のついた可愛らしいブレスレットを贈った。

「わ、可愛い! いかにもロボ子ちゃんって言うセンス!」

「えへへ、気に入ってもらえたなら良かったです」

 ロボ子はにっこりと微笑んだ。

「実はこれ、シューサクさんが一緒に選んでくれたんです。ロボ子はプレゼントを選ぶの慣れていませんでしたから」

「え、秀作?」

 美佳は少し意外そうに言った。

「へーっ、意外。あいつああ見えて、意外とセンスあんのね」

 それを聞いて朱里もクスクスと笑った。

「わかるわかる! プレゼント? まああいつにゃ食いもんでもあげときゃ喜ぶだろ。 なぁんて言いそう」

 朱里が秀作の声真似をすると、美佳は大声を上げて笑った。静葉も「それはちょっと可哀想ですよ」と言いながらも、朱里の物まねの完成度に笑いをこらえきれないようだった。しかしちょっとして、美佳が何かに気付いたようで「ちょっと待って、それってアタシにも失礼じゃない?」と言いながら朱里をペチペチと叩いていた。


 話が盛り上がるにつれて時の進みも軽快になり、気付けば夜も更けていった。四人はパーティーの後片付けをすると、西園寺家の大浴場へと向かった。

「うわー、何これ! 温泉じゃない!」

 大浴場の扉を開けた朱里は思わず声を上げた。それもそのはず、西園寺家の大浴場は全体が大広間と言えるほどの大きさを誇っていて、石造りの床に大きな檜風呂が悠然と横たわっていた。洗い場まで複数個用意してあり、初めから大人数で入ることが想定されているような作りだ。

「すごいです……お風呂、お風呂……?」

 ロボ子は温泉すら訪れたことがないものだから、自分の知っている亜司母家の風呂場と比較して多少混乱すらしていた。

「無駄に広く作られているんです、親戚などが集まることも多いですから」

 タオルで身体を隠した静葉が、少し照れくさそうに言った。

「でも普段は一人で入りますから、寂しく感じることの方が多いのですよ?」

「へー、アタシなら貸し切りみたいで気分が良いって思うけどねー」

 最後に浴室に踏み入れた美佳は、その豊満な身体を全く隠そうとはしていなかった。朱里は美佳の豊かな胸に目をやり、自分の胸元と比較して「ああ……」と悲痛そうな声を漏らした。

「良ければ外湯もありますから、そちらも利用してもらって結構ですよ」

「露天風呂まであるの!?」

「へぇ、ホントに本格的だねぇ。アタシここに住んじゃおうかな……」

「お外なのに……お風呂……?」

 露天風呂の存在もロボ子には困惑だった。

「え、ちょっと待ってもしかしてアレって……」

 朱里の指差す先には木製の扉があって、はめ込まれたガラス窓から内部がうっすらと見えていた。

「ええ、一応サウナもあるんです。普段はあまり使いませんが……」

「ちょっと住む世界が違うわ……」

「でも、フィンランドでは各家庭にサウナがあるのは普通なんですよ?」

「ここは日本よ!」

 朱里に言われて静葉は「確かに……」としみじみとした顔で呟いた。もしかしたら本気で言っていたのかもしれない。


「はー、良いお湯」

 朱里は大きな檜風呂に肩までつかると、思わずほぅっとため息をついた。こんなに悠々と手足を伸ばすことが出来るお風呂と言うのも久々だったのだ。

「朱里、泳ぎだしたりしないでよ?」

「流石にしないわよ。いくつだと思ってんの」

 口をとがらせて反論する朱里の目の前を、ロボ子がすいーっと滑らかに泳ぎ去った。それを見て二人はプッと吹き出した。

「ほらほらロボ子ちゃん、秀作がいたら怒られるぞー」

「わわ、泳いではいけませんでしたかっ」

 ロボ子は慌てたように足をついて、ちょこんと大人しくお湯の中に座った。

「んまその前に、あいつがいたら大問題だけどね……」

 朱里の目には何やら凶悪な光が宿っていて、美佳は何かあったのか訊ねることが出来なかった。

「いえいえ、泳いでもらっても構いませんよ」

 後からやって来た静葉が笑いながら言った。

「ここには私たちしかいませんしね」

 静葉はゆっくりとつま先から、温度を確かめるようにお湯の中へと身体を滑り込ませた。彼女は美佳やロボ子のように豊かな胸を持っている訳ではなかった。むしろ少し心もとないほどの膨らみしか持っていないと言える。しかしその真っ白な肌とスレンダーな四肢はため息が出そうなほどきれいだった。朱里はそんな静葉と自分の身体を比べて、また「ああ……」と小さく声を漏らした。

「どうしたのさ朱里、ため息なんかついちゃって」

「みんなずるい」

 朱里は口元までお湯に沈んでブクブクと泡を立てた。

「ずるいんですか?」

 ロボ子が不思議そうに首をかしげる。

「ずるい。私だけおこちゃまのちんちくりんだ」

 ずるいずるいと朱里は子供の様に言って、ぷかぷかとお湯に浮かんだ美佳の胸をじいっと見つめた。

「まあまあ、デカけりゃ良いってもんじゃないよ。無駄に肩凝るしさぁ」

「イヤミ?」

「いやいやホントホント」

 美佳は笑いながら言う。

「それに男が好きなのは、ただデカいより形が整った美乳だって言うじゃない。その点ロボ子ちゃんには敵わないなー」

「へっ?」

 急に話を向けられてロボ子はキョトンとした様子だった。

「本人に自覚はないようですけどね」

「あんなに強力な武器持ってるのにねえ」

「ろ、ロボ子は軍事用じゃないですよ!」

 両手で水しぶきを上げながら慌てた様子でロボ子が言って、美佳も静葉も思わず吹き出した。事情を察した朱里だけはヒヤヒヤしながら苦笑いしていた。

「軍事用なんて、日常生活で久々に聞いたわ」

「ロボ子ちゃん、ときどき思いもよらないこと言いますよね」

「天然だよねーあはは」

 誤魔化すように朱里は笑った。

「まあさ、朱里にも朱里で武器がちゃんとあるんだから」

「私に、武器?」

「そう。スポーツやってる活発な子が好きだって男も多いでしょ」

「この中で運動部に入ってるの、朱里ちゃんだけですからね」

「さっぱりしたショートカットも結構評判良いし、あんた男子の間でそれなりに人気だよ? 知らないの?」

「え、え、そうなの?」

 初めて知ったと言う顔で朱里は言った。自分など全然女として見られていないと思っていたから、何だか照れくさくなってまたブクブクと口元までお湯に沈んでしまった。

「はあー、朱里結構鈍感だからね。誰かさんのこと笑えないわ」

「何よそれー」

 口を尖らせながらも、朱里はちょっとだけ上機嫌だった。

「あ、そういえばまだあるね、朱里の魅力」

 美佳が思い出したかのようにそう言って、朱里は「あまり期待してませんよ」と言う態度で彼女に目をやった。

「一部には凄い需要があるでしょ、ひんにゅ……」

 言い終わるか終わらないかのうちに、朱里は美佳の顔に向って勢い良くお湯を跳ね上げた。

「うぁっぷ! や、やめっ」

「やめない!」

「ごめん! ごめんって! ってなんで静葉まで!」

「自分の胸に手を当ててよーく考えてください。その大きなお胸に」

 静葉は相変わらず笑顔だったが、目は全く笑ってなかった。

「ごめんなさい! いや、マジでごめんなさい!」

 二人の上げる水しぶきから逃げ惑いながら、美佳は二度と静葉を怒らせまいと決意した。

 いつの間にかロボ子も目をキラキラさせながら、逃げ回る美佳に攻撃していたが、朱里から「アンタも敵よ!」と水しぶきを浴びせられ、その場は大混戦となった。西園寺家の広い大浴場に、四人の笑い声は長い間こだました。


「それじゃ、電気消しますねー」

 そう言って静葉は電気から伸びる紐を引き、小さな豆電球一つを残して灯りを消した。和室に四枚の布団を敷いてそれぞれ潜り込んだ四人は、散々遊び尽くしたお陰で心地よい疲労感を全身に感じていた。

 しかし、夜はここからだ。電気を消すとは言っても、誰一人としてすぐさま眠りに就く気などなかった。いや、正確にはロボ子だけはすぐに寝るものだと思っていたようだったが、美佳の「ふふふ、ここからが本番ね……」という言葉で慌ててまぶたを開けた。

「本番……ですか」

「そうよ、本番よ!」

 美佳は待ってましたと言わんばかりの勢いだった。

「コイバナよ、コイバナ。お泊り会に夜更けのガールズトークは必須じゃない!」

 そう言う美佳は何とも楽しそうだった。その声の弾み方は、まるでこのときを待っていましたと言わんばかりのものだった。

「それでその言いだしっぺさんは」弾んだ声で、静葉が言った。「一体誰に恋をしてるのかしら?」

「あ、アタシから!?」

 不意を突かれた美佳は思わず声を上ずらせる。

「あ、私も気になってた! てか美佳、もしかして実は彼氏いたりして……?」

「わわっ、そうなのですかっ?」

「い、いないわよ!」

「じゃあまだ片思い、ということですね」

「ううう……」

 いつになくしたたかな静葉の追及に、美佳はたじたじだった。もしかしたら風呂場での一件をまだ根に持っているのかもしれない。

「てかさ、この際だから聞いておきたいんだけど」

 朱里は言った。

「実際杉原とはそう言うのじゃないの?」

「は、力也?」

「お二人は息ピッタリ、と言う感じですよね!」

「いやいや、ないないない。アレはただの腐れ縁よ」

 美佳は呆れたように言った。

「そもそもあいつ、静葉のこと好きじゃん」

「え、そうなの!?」

「そうだったのですか?」

「なに、静葉も気付いてなかったの? バレバレじゃん。あんなの誰でも気付くよ」

「普通は気付かないよ。やっぱり杉原のこと良く見てるねえ」

「あーかーりー……」

「ごめん、ごめんてっ、ちょっ」

 暗闇の中で美佳にくすぐられ、朱里は声を上げながら必死で身をよじった。

「それで、シズハさんはリキヤさんのことどう思ってるんですか?」

「そうそう、どうなのよそこのとこ」

 興味津々と言った様子で三人の目が静葉に注がれる。

「ええっと……優しくて良い人ですよね」

 静葉の当たり障りのない返答を聞いて、美佳は「ああ……」と気の毒そうな声を漏らした。

「ま、あいつ確かに良い奴なんだけどね。ちょっと知性に欠けるからねぇ……」

「なるほど、美佳ちゃんは知的な男性が好みなのですね?」

「うっ」

 思わぬところに突っ込まれて美佳は少しうろたえたようだった。

「例えば、秀作くんとか?」

「えっ、美佳あんた、そうだったのっ?」

「いやないない、あんな奴。ちょーっと頭は良いかもしれないけどあんな朴念仁、ねえ……」

 呆れたように美佳は笑い飛ばした。

「それじゃあもしかして、藤原くんですか?」

「……んん?」

 良く聞こえなかった、と言うように美佳は曖昧に笑い、どこからどう見ても誤魔化そうと言う様子にしか見えなかった。

「あら、図星みたいですね」

「そうだったの! へえ、何か意外!」

「ほわあ……」

「ちょ、ちょっと! アタシはまだ何も……」

「それじゃあ、違うのですか? 藤原くんのことは好きでもなんでもない?」

「もー! 何よそれー!」

 室内は薄暗かったが、美佳が顔を真っ赤にしていることは誰の目にも明らかだった。

「そうよ、アタシはあいつのことが好きなの。悪い?」

 ムキになったように美佳は言って、「あーもう、言っちゃった……」と枕に顔を埋めてしまった。

「それにしても意外。もっとこう、イケイケなのが好みかと思ってたよ」

「どういう意味よ」

 美佳はムスッとした様子で顔を上げた。

「どんなところが好きなんですかっ?」

 そんな彼女にロボ子は興味津々と言った様子で訊ねた。

「どんなところって……ミステリアスで、かっこいいじゃない」

 ボソボソと恥ずかしそうに、美佳は言った。どうせバレてしまったのだからと思って諦めたのかもしれない。

「もう良いでしょ、白状したんだから。それより……」

 開き直った様子で、美佳は言った。

「朱里、あんたこそそろそろはっきりさせなさいよ」

「何をよ」

「秀作のこと、実際どう思ってるかってことよ」

「だからー」やれやれと言うように朱里は答えた。「あいつとは幼馴染ってだけで……」

「はいダメダメ、今回はそう言うのナシよ」

「ナシって言われてもねえ」

「では実際、朱里ちゃんは秀作くんのこと、少しも男の子として見ていないと言うことですか?」

「ま、まあ、そういうことだけど」

「それじゃあ例えばロボ子ちゃんが……」

 急に名前を呼ばれて、ロボ子がビクッと反応した。

「秀作くんと付き合っても何も文句はないのですね?」

「ロボ子が……シューサクさんと……」

「ちょ、ちょっと待ってよ! どうしてこの子が出てくるのよ」

「え、だってロボ子ちゃんと秀作って、最近すっごく良い感じじゃん」

 今更何をというように、美佳が言った。

「この前もお祭りのとき、カップルと間違われたのですよね?」

「そうそう。それに花火のときもやけにべったりって感じでさ、アタシ妙に遠慮しちゃったもん」

「わわ、そんな……」

 唐突に話の矛先が自分に向いて、ロボ子は慌てたように俯いた。

「待って、待ちなさいよ。ロボ子ちゃんは秀作と親戚同士なのよ?」

「でも法律では、いとこ同士でも結婚出来るんですよ?」

「そうそう。親戚って言っても遠い親戚でしょ?」

「遠くたって親戚は親戚、法律がどうとかじゃなくて、やっぱりマズいでしょ?」

「そんなことはないと思いますよ」

 静葉ははっきりと言い切った。

「世の中にはそう言う例もあるわけですし、中には法律で認められなくても、兄妹や親子で愛し合う人達もいるんですから」

「で、でもそんなのは極端な例で……」

「まあまあ、どっちにしろ、大事なのは二人の気持ちってことでしょ? それで……」

 美佳はさっきから俯いてしまっているロボ子に目を向けた。

「本人はどう思ってるのかな?」

「ええっと……」

 水を向けられたロボ子は、困ったように言いよどんだ。そんな様子を三人は、それぞれ違った思いで見つめているようだった。

「ロボ子にはまだよくわからないのです……恋とか、そういうの……」

 ロボ子の様子は、誤魔化しているとかそういうのではないようだった。

「秀作くんのこと、好きではないのですか?」

「シューサクさんのことは好きです。でも、ロボ子はアイサ……お父さんとか、お母さんとか、それにシズハさんやアカリさん、ミカさんのことも大好きですし……」

「たしかに、それも『好き』だもんね……」

「スキとコイは、何が違うのですか?」

「うわ、それはまた難しい質問を……」

 美佳は思わずうむむと唸って考え込んだ。先に口を開いたのは静葉だった。

「例えば、秀作くんとキスしたいと思いますか?」

「き、きすですか……ちょっと、想像できません……」

 ロボ子はテレビなどでキスシーンを見たことはあったが、自分がしてみることなど考えたこともなかった。

「では質問を変えましょう。秀作くんと手を繋ぐのは、どうですか?」

「えっと……手を繋いだときは確かに幸せな感じがしました……でも――」

「え、ちょっと待って」

 朱里が口を挟んだ。

「繋いだの?」

「は、はい」

「わお、秀作のやつ意外とちゃっかり?」

「本当ですね。全然知りませんでした」

 意外な展開に美佳と静葉はにわかに沸き立った。

「それいつ?」

「えっと……」

「いつ?」

「まあまあまあ、落ち着きなって朱里」

 問い詰めるような朱里を、美佳が笑いながらなだめた。

「アンタなに焦ってんのさ」

「や、別に焦ってるわけじゃないわよ」

 朱里の声は少し不機嫌そうだった。

「幼馴染が全然知らないところでそんなことしてたら、ハッ? って感じになるでしょ」

「なるかなぁ……」

「なるわよ。そういうもんなの」

 そうきっぱりと朱里は言い切った。

「それはそうと、アタシもその手を繋いだ状況とやらを知りたかったり」

「私もそれは気になります」

「……」

 三人の視線がロボ子に注がれる。

「あ、でもアレは事故みたいなもので……」

「事故?」

 手を繋ぐことと事故との間に何ら意味のある関係が見出せず、美佳は首をかしげた。

「そうなんです。えっとあれはお祭りの日、たこ焼きを買った後なんですが……」

 ロボ子は三人に、花火の上がる直前の出来事を話した。

「……ということがあったのです」

「そんなことがあったんだ……」

 朱里は驚いたようにそう言った。事情を知ったことで少し機嫌が直っていることには、自分では気付いていないようだった。

「へぇ、秀作にそんな男気があったとはね」

「意外な一面ですね」

 美佳と静葉は少し感心したようにそう言った。

「それで、そのときってやっぱりドキドキした? 王子様が助けに来てくれた、みたいな?」

 いつのまにかノリノリになった様子で、美佳がたずねた。

「ドキドキ、ですか? うーん……」

 ロボ子は少し考え込んだようにして言った。

「あのとき、ロボ子とっても怖かったので、よく覚えてないです……」

「あーなるほどね、そりゃそうかー」

「でも、シューサクさんの顔を見たとき、何だかホッとしたのは覚えてます。だからそれからもずっと、ドキドキというよりもホッとした気持ちだったと思います」

 そう言ってロボ子はにっこりと笑った。そんなロボ子に何だか三人は、好きだとか何だとか無理矢理問いただすのも少し違う気がしてきたのを感じた。

 ただ朱里は、何となくそんなロボ子の話を聞きながら、秀作は自分のときにでも、同じように助けに来てくれるのか……そんなことを考えて少しだけ複雑な気持ちになってしまった。そしてそんなことを考えてしまったことに対しても、何とも言えないモヤモヤした気持ちを感じるのだった。


 その後もあれやこれや、クラスの誰と誰が付き合っているとか、実は誰は誰のことが好きだとか、そんな話が続いた。気付けば夜もすっかり更けて、そのうち会話も途切れがちになり、一人、また一人と穏やかな寝息を立てていった。最初に寝息を立て始めたのは、もちろんロボ子だった。

 本格的に夜も更けた頃、不意にロボ子は目を覚ました。トイレに行きたくなったのだ。ロボ子はロボットではあるが人間とほぼ同じ活動をするように設計されている。だから夜中にトイレに行きたくなるということも別段珍しいことではない。今日はパーティーの時に沢山ジュースを飲んでしまったので、いつもよりトイレも近くなってしまったのかもしれない。 寝ぼけ眼をこすり、暗い部屋の中で誰かの手足を踏みつけてしまわないように注意しながら、ロボ子はふすまを開けて部屋を出た。寝ぼけた頭に鞭打って教えてもらったトイレの場所を思い出しながら、長い廊下をふらふらと進んだ。

 用を済ませて部屋に向う頃には、ロボ子の頭もすっかり冴えていた。普通はトイレに起きてから部屋に戻るくらいの間は終始ふらふらで、すぐにまた夢の世界に戻れることも多いのだが、今日はいつものように慣れ親しんだ家ではない。しかもこんなに大きくて注意しないと迷子になってしまいそうな立派な家だということも、ロボ子の意識をいち早く眠りから引き戻していた。

 暗い廊下はなんだか心細かった。板張りの床はまだ夏にもかかわらず、どこか無愛想な冷たさを持っていた。

 ここの角を曲がれば寝室に戻れる。そう思って角を曲がった瞬間、ロボ子は小さく息を呑んだ。一瞬「幽霊がいる」とそう思った。自分自身は科学の結晶であるにもかかわらず、それを見たとき、ロボ子にはそうとしか思えなかった。暗い廊下に静かに佇むその姿が、あまりにも典型的な「幽霊」の姿と上手に重なったものだから。そう思ってしまうくらいに彼女は、西園寺静葉の姿は、儚く今にも消え入りそうな空気を漂わせていた。

 月明かりだけが照らし出す廊下の中で、静葉はロボ子のほうへとゆっくりと視線を向けた。ロボ子の足がピタリと凍った。

「ロボ子ちゃん」静葉がそう言って、次の言葉までの時間はロボ子には無限にも感じられた。「少しだけ、お話しても構いませんか?」

 ロボ子は少し戸惑いつつも、「はい」と小さく頷いた。眠気も覚めていたし、ここで静葉としばらく会話するくらいは何の問題もないと思った。その方が気持ちよくもう一度眠りの世界に戻れる、そんな風にすら思えた。少し心がざわついたような気もしたが、そんな不可解さには気付かなかったことにした。

 静葉は音も立てず縁側に腰を下ろして、ロボ子も自然とその隣に座った。明るすぎるほどの月明かりが二人を照らした。

 それからしばらくの間、二人は言葉を交わさなかった。話をすると言った静葉も、それっきり黙ったままだった。時折木々を撫でる風の音だけが、二人の間を涼しげに通り抜けた。

 そうしているうちに、ロボ子はあの日のことを思い出した。今日と同じように、この同じ場所に、西園寺家の縁側に腰掛けて、そしてきれいな花火を見た日のこと。あのときロボ子の隣には秀作がいて、それから朱里や美佳や静葉も一緒に居て、みんなで同じ花火を眺めた。信じられないくらいにきれいな花火だった。焼きそばもお好み焼きもやきとりもたこ焼きも、どれもびっくりするくらいに美味しくて、これ以上のものはどこにもないんだって疑いもなく信じることが出来た。あれはそういう夜だった。


「ねえ、ロボ子ちゃん」

「はいっ」

 静葉は唐突に、でも決まりきっていたように声を上げて、ロボ子は少しだけたじろいだ。

「……ふふ、そんなにかしこまらないでくださいよ」

 彼女の声は親しげだったが、ロボ子にはどうしても、心の中の小さな引っ掛かりをうまく処理してしまえない気がした。でもなんだかそんな気分も、自分が夜中に起き出したせいだという気もして、それからまだ頭が少し寝ぼけてるのかもしれないとも思えて、ロボ子にはもう何が何だか分からなかった。

 随分と長い時間が経った気がした。虫の声が何より静かだった。

「秀作くんが好きです」

 言葉は聞こえた。意味も分かった。でもロボ子には、分からなかった。静葉のことが、隣にいる少女のことが何も、何ひとつとして分からなかった。

「ねえ、ロボ子ちゃん」

 目が合った。どうしてそちらを見てしまったのだろうと、ロボ子は小さく後悔さえした。彼女の目は本当にまっすぐで、月の光に照らされてキラキラと砕け散ってしまいそうで、そしてどこか吸い込まれそうで恐ろしかった。

「私はね、ずっとあの人のことを見てきたんです。多分あなたが彼と出会うずっと前から、私は彼のこと見てきた」

 静葉の声は淡々としているのに、それでも芯には激しい熱を秘めているような、そういう響きを持っていた。

「私は小さい頃から一人だったんです。兄弟もいない。仲のいい友達もいない。そういうのって、こんな家に生まれてしまった宿命なのかもしれませんけど、やっぱり私には耐えられなかった。だって一緒に遊ぶ友達も、悩みを分かち合える親友も、愚痴をこぼしあえる悪友も、誰一人としていなかったんです。一生ひとりなんだろうって思った。そう思って諦めるしか、私にはもう道はなかったんです。だから私はどんどん塞ぎこんで、わかってくれる友達なんて作ろうともしないで、静かに自分の世界に閉じこもるしかなかった」

 ロボ子はしばらく何も答えることが出来なかった。

「でもそれがまたいけなかったんです。自分は誰にも分かってもらえない。自分は誰のことも理解は出来ない。自分だけはこの世界から切り離されちゃってるんだって、そう言う気持ちを強く持ってしまった。表面上の付き合いくらいはもちろんします。でもいつも、クラスが変わればそれでおしまい。きっと死ぬまでそうなんだろうなって、近くにいる人とは「近くに居いる」と言うだけで仲良くなって、「近くなくなった」というだけで仲良くなくなる、そう言う人生だと思っていたんです。この人と一緒にいると楽しいとか、この人と一緒にいたいとか、そう言うことを考えることすら許してもらえなかった。そういうのって、想像できますか?」

「……」

 ロボ子は答えられなかった。質問が難しいのもあった。自分がどのように他人と関わってきたのか、それについて意識的になって質問に答えるというのは、決して簡単に出来ることではない。

 しかし、ロボ子についてはそれだけではなかった。ロボ子は、ついこの前初めて世界に出てきたロボ子には、そんな問いかけはあまりにも難しすぎた。

「そんな私にとって、親しみを感じられる人なんていうのはほとんどいませんでした。いるのは本の中だけ……。私が本を読んでいる時、その登場人物が、その作者が、私に親しげに語りかけてきました。そう言う人達の気持が伝わってきて、そのときだけ私は何だかひとりじゃないって言う気がして、そして少しだけ安心できたんです。そういうのって馬鹿みたいだと思うかもしれませんけど……」

 静葉の声は痛々しくて、今にも泣き出してしまいそうで、ロボ子は自分までいつ涙をこぼしてしまわないか気が気でなかった。「でもいつまでもそうではなかったんです。私は自分を高い壁で囲っていたけど、それを越えてきてくれる人がいた。そして全部が変わりました。私の閉じこもっていた壁は、外からはとっても硬かったけど、内側からはびっくりするくらい簡単に崩れるものでした。その人が内側から壁を壊してくれたおかげで、私の何もかもが変わりました。本人にはそんな自覚はなかったのでしょうけど、でも私には、それは大きな事件でした」

「それが、シューサクさんだったんですね」

「そうです。きっかけは何でもないことです。私が教室で本を読んでいて、彼もその本を読んだことがあった。オスカー・ワイルドの童話集、『幸福な王子』です。読んだことは?」

 ロボ子が首を横に振ると、静葉はあらすじを話してくれた。幸福な王子の立派な像が、ツバメに協力してもらい、自分を犠牲にして貧しい人々を救った。しかしみすぼらしくなった王子の像は町の人たちに取り壊されてしまい、ツバメも力尽きて死んでしまう。でも最後には神様が王子とツバメを天国に連れていってくれる。そういう話だった。儚くて良いお話だなと、ロボ子は思った。

「とても有名な本ですから、読書が好きな人なら読んでいてもそうおかしくない、そういう本です。だからそのこと自体はあまり特別な出来事ではなかった。少なくとも私の壁を崩すような出来事ではなくて、むしろ翌日にはすっかり忘れているようなタイプの出来事でした。でも彼の言葉は特別でした。それ、皮肉な話だよね、彼はそう言いました。私はびっくりしたんです。きれいな話でも悲しい話でも切ない話でもなく、皮肉な話だと彼は言ったのですから。そういう風に考えている人を自分以外には知らなかったので、私は思わず舞い上がりました。それから彼と沢山話をしました。彼は色んな本を読んでいて、私たちは同じ本もたくさん読んでいました。私たちは本の貸し借りをして、それから感想を交換しました。いつしか私は彼と話すのが楽しみで、そのために本を読むようになっていました。ひとりになるためじゃなく、ひとりに馴れるためじゃなく、誰かと一緒にいるために本を読むようになりました。それに気づいたとき、同時に気付いたんです。私の心の壁がすっかりなくなっていることに」

 彼女の語り口は少しずつ優しさを帯びてきていることに、ロボ子は気付いた。

「私の心はちょっとだけ止まってしまっていただけだったんです。決して死んでしまったわけではなかった。一つだけ認めれば良かったんですよ、私はひとりじゃないって。そんな簡単なことが出来ないせいで私はずっと苦しんでいた。彼が気付かせてくれなければ多分今も……」

「シズハさんは、ひとりじゃないですよ」

「ええ、分かってます」

 静葉はにっこりと笑って「ありがとう」と言った。

「今はもうそれが分かるんです。秀作くんが分かるようにしてくれたから。でも昔の私には分からなかった。きっと言葉にして言われても届かなかったでしょう。秀作くんがいなければ、彼が私を変えてくれなければ、あの勉強会も、お祭りも、今日のお泊りも、どれひとつとして実現しなかった」

 静葉は遠く、庭のどこかを見つめているようだった。そういう楽しかった出来事を、ひとつひとつ思い出しているのかもしれない。

「私は秀作くんが好きです。私の世界を変えてくれたあの人が、私を壁の中から連れ出してくれたあの人が、誰よりも好きです。彼とずっと一緒にいたい。彼の為なら何だってする。彼にならどんなことをされても構わない。ロボ子ちゃん、それが恋です」

 静葉はまっすぐにロボ子を見つめた。その目は燃えるようだった。恋はこんなにも激しいものなのかと、そのときロボ子は初めて知った。そんなものを、ロボ子はまだ知らなった。

「でもね、私は半分諦めていたんです。だって秀作くんには朱里ちゃんがいましたから」

「アカリさんが?」

「ええ。二人はいつも一緒でした。そして二人は幼馴染で、朱里ちゃんは彼のことを何でも知っていました。ずっと一緒だったんだから当然ですよね。二人が私の知らない昔話で二人が盛り上がるたびに、私の心はキリキリと痛みました。朱里ちゃんが私の知らない彼の話をするたびに、私の心は嫉妬で焦れました。二人が恋人同士になることを考えるたびに、私は死んでしまうほど苦しかった。でもそれは仕方ないんです。彼女にはその権利があると思っていました。だって私なんかが彼を知るよりずっと前から一緒なんですから。いきなり出てきた私が、彼を横取りすることなんて許されないって、そういう風に考えていました。でも……」

 静葉はそこで一度言葉を切った。そして一呼吸の後に、再び口を開いた。

「あなたが現れたんです、ロボ子ちゃん」

「ロボ子が……」

 小さく呟いて、なんだかロボ子はそのまま消えてしまいたいような気持ちになっていることに気がついた。

「ええ、ロボ子ちゃん。あなたは突然現れて、そして秀作くんの隣にすっぽりと収まってしまった。朱里ちゃんがぐずぐずしている間に、いつの間にか彼女もはじき出されてしまっていた。今秀作くんは、ロボ子ちゃん、ほとんどあなたが独り占めしているようなものです」

「そんな! ロボ子はそんなつもりじゃ……」

「分かってます。ごめんなさいね、意地悪な言い方して。あなたに悪気がないことも、秀作くんに自覚がないことも分かっています。でもね、傍から見るとはっきりと分かるんですよ。だから耐えられない」

「……」

 ロボ子はだんだん泣きだしてしまいそうな気持ちになってきていた。何も考えずにやっていたことが、ただ幸せだと思っていたことが、誰かを苦しめていたなんて。自分の幸せは誰かから奪ったものだなんて。そんなことは今まで、一度も考えたことがなかった。

「責めているわけではありません。でもね、考えちゃうんです。それなら私にも権利はあるんじゃないかって。相手が幼馴染の朱里ちゃんなら、私も我慢しようと思いました。でもそうじゃない、他の人に取られるくらいなら、私は……」

 静葉の言葉は途切れた。でも途切れた先にどんな言葉があったのか、ロボ子にはそれは分かっていた。それから静葉はロボ子の目を覗き込むようにして言った。

「ロボ子ちゃん、秀作くんを譲ってはくれませんか?」

「え、そんな……シューサクさんは、物ではないです。譲るとか、譲らないとか……」

「ふふ、分かってますよ。言ってみたかっただけです」

 小さく笑って、静葉は言った。

「それに、最終的に決めるのは秀作くんですからね。でも、ちゃんと言っておきたかったんです。その方が、正々堂々と勝負できるから。私はあなたにも、朱里ちゃんにも、もう遠慮する気はありません。それでも良いですか?」

 静葉にじっと見つめられて、ロボ子はコクリと頷いた。その瞬間ロボ子の瞳から、小さく涙がこぼれ落ちた。自分がどうして泣いているのかも、ロボ子には良く分からなかった。

「もう、泣かないでくださいよ。私がいじめてるみたい……」

 そう言って笑いながら、静葉はロボ子を抱き寄せた。背中に手を回すと、ロボ子は小刻みに震えていた。

「ロボ子ちゃんはとってもいい子ですよね」

 しみじみといった声で、静葉は言った。

「私、ロボ子ちゃん大好きです。純粋で、優しくて、まっすぐで……私なんかよりずっといい子。あなたみたいな子が秀作くんには相応しいのかもしれません」

 ロボ子の髪の毛を、静葉はゆっくりと撫でた。金色の髪の毛はサラサラと流れて、自分と同じシャンプーの匂いがした。

「でも私、秀作くんのことが本当に大好きなんです。だから、ごめんなさい」

 しばらくそのまま時間が流れた。静葉がゆっくりと身体を離すと、ロボ子の涙はもう止まっていた。

「こんな私って意地悪だと思いますか?」

 ロボ子は答えようとして上手く声が出せず、ふるふると首を横に振った。

「ごめんなさい、そんな質問の仕方は意地悪でしたよね。私はこんなズルばっかり……」

 静葉がゆっくりと目を伏せると、長いまつげが物憂げなその目を覆った。

「今日はもう寝ましょう。私も、眠くなって来てしまいました」

 そう言って静葉は笑い、ゆっくりと立ち上がった。それからくるりときびすを返して、部屋の方へと歩き出そうとした。

「あ、あの……」

 ロボ子に呼び止められて、静葉は踏み出そうとした足をピタリと止めた。ロボ子の方を振り返ると、彼女はまっすぐな瞳で静葉を見上げていた。

「ロボ子も……シューサクさんが好きです」

 はっきりと、芯のある声だった。

「ロボ子も、恋してます」

 月明かりに照らされて、彼女の潤んだ瞳はきらきらと輝いていた。金色の髪が夜風に舞った。ロボ子の姿は純粋にきれいで、静葉は何だか心が安らぐように感じた。

「それじゃあ、ライバルですね」

「はい」

「負けませんよ?」

「ロボ子も、負けません」

 静葉が優しげに笑って、ロボ子も同じように笑った。なぜか二人とも、少しだけ清々しい気分だった。


 ロボ子は玄関の前に立って、大きく深呼吸をした。朱里と一緒に歩いていたときには大丈夫だったのだが、家の前で彼女とわかれ、こうして一人になってみると途端に秀作と顔を合わせるのに緊張を感じ始めた。昨晩の会話のせいで、考えないといけないことが沢山あった。

 昨日は気持ちも高ぶってもう眠れないかと思ったが、布団に入ってしまうと意外と自然に眠ることが出来た。ロボ子は少し泣いてしまっていたから、そのせいもあったのかもしれない。

 朝から目を覚まし、みんなで買い物に行き、お昼ご飯を食べるまでも思った以上に自然に振る舞うことが出来た。最初は静葉とどう接すれば良いか戸惑いもしたが、静葉の方は昨晩の出来事などなかったかのようにとても自然に接してくれた。ロボ子は一瞬、もしかしたら全部夢だったのだろうかとも思った。しかし、わかれ際の静葉の笑顔はどこか意味ありげで、ロボ子はようやくそれが現実だったと確信した。

 ロボ子はもういちど、大きく深呼吸した。インターホンを押して秀作が出てきたら、どんな顔でただいまと言えば良いかを考えた。いつもはどんな顔をしていただろうか。多分笑ってはいた、とロボ子は思った。でも意識して笑顔になろうとしても、それもまた難しかった。試しに表情を作ってみるも、なかなか上手く行かない。うむむ……と小さく唸りながら、ロボ子はいくつか表情を作っては崩した。


「お前、何してんだ?」

「へっ!?」

 唐突に隣から声が飛んできて、ロボ子は思わず飛び上がった。声のした方を見ると、秀作が庭に出て洗濯物を干していた。

「しゅ、しゅ、シューサクさん! いつからそこに!」

「え、ずっといたんだけど」

「ずっと!? そ、それはいつからのずっとですか!?」

「何そんなに慌ててんだ。最初からだよ。ロボ子が深呼吸をして、百面相を始めるよりずっと前」

「どうして声をかけてくれなかったんですか!」

「だって俺洗濯物干してたし……」

 困ったように秀作は言った。ロボ子は「あわわわ……」と真っ赤になった顔を覆ってしゃがみこんでしまった。

「何だお前、変な奴だなー」

 秀作はそう言うとTシャツをパンパンとはたいてから丁寧に干した。どうやらそれで洗濯物は全部干し終わったようだった。

「よし、完璧完璧。天気も良いし、最高だ」

 ご機嫌な様子で部屋に戻ろうとして、秀作は思い出したかのように口を開いた。

「あ、ロボ子、さっきアイス買ってきたから早く手え洗ってこいよ。チョコとバニラどっちが良い?」

「え、アイスですか!?」

 ロボ子はぴょこんと元気よく立ち上がった。

「えーっとロボ子は、うーん、うーん……チョコが良いです!」

 それを聞くと秀作は「へいへい了解」と手をひらひらと振りながら、サンダルを脱いでリビングへと入っていった。しかしその直後、また思い出したかのように窓から顔を突き出した。

「あ、そういえばロボ子」

「はい」

 今度は何だろうと、ロボ子はキョトンとした顔で秀作の言葉を待った。

「おかえり」

 秀作はいつもの澄ました顔でそう言った。でもロボ子は、それが秀作なりの笑顔なのだということを知っていた。それはロボ子の大好きな顔だった。

「ただいまですっ」

 元気良くそう言ったロボ子も、今度は自然に笑えていた。

簡潔でテンポのいいお話にするつもりが、思わず長くなってしまいました。

さて、そろそろやっとラブコメに出来そうです。

なるべくどろどろにはならないように頑張ります。


―追記―

『幸福な王子』のくだりですが、筆者自身が皮肉な話だと解釈していたりします。

 気になった方は是非自分で読んで感じて欲しいのですが、まぁ一応それについて少しだけ書いておきたいかなとか。

 オスカー・ワイルド自身が皮肉屋だったのもあるのですが、作品集に収められている童話はどれも皮肉なテイストを持っています。その中でどうして恐らく最も有名な「幸福な王子」まで皮肉かと言いますと、神様の描き方と王子の本当に望んでいたことがキモになると思うのです。

 そう言う視点であの作品をまた読んでもらえると、ちょっと物語の見え方も変わるのかなとか。

 美談、ハッピーエンドとして扱われている童話ですが、結構読み応えもあり考えさせれると思います。

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