第9話 ―ロボ子と夏祭り―
『こちらで行われるこの夏祭りは例年通り大盛況です。今年も遠方からはるばる訪れた人々が……』
テレビにはどこか遠くの街の夏祭りの様子が映し出され、若いキャスターが楽しそうに解説していた。きらびやかな光景に吸い寄せられるように、ロボ子は掃除機をかけていた手を止めた。
その光景はとても華やかだった。色とりどりの浴衣に身を包んだ人々が大勢いて、それぞれが出店で食べ物を買ったり、金魚すくいやヨーヨー釣りに興じていた。初めてその光景を目にするロボ子には、それは小さなテーマパークのようにも見えて、何だか居ても立ってもいられない思いだった。
「シューサクさん! シューサクさん!」
画面に釘付けのままで、ロボ子は台所の秀作を呼んだ。呼ばれた秀作は手が離せないようで台所から「なにー!」と大きな声で返事をした。
「すごいですよ! おまつりです!」
「なにー、まつりー?」
「はいー! とってもきれいです!」
「それは良かったー!」
台所からはジューっと言う音が響き始め、肉の焼ける香ばしい匂いが流れ出した。更に口を開こうとしたロボ子は自分の声がその音にかき消されてしまうことに気付き、慌てたようにパタパタと台所まで駆けていった。
「シューサクさん、おまつりってとってもとっても楽しそうです!」
「ああ、まあそうか? 実際行くとすげー人が多くて疲れるけどな」
「人がいっぱいいるのも楽しそうです!」
「お前変わってるな」
「ロボ子は変わっているでしょうか?」
不思議そうにロボ子は首をかしげた。
「まあいいや、行きたいなら今度連れてってやるよ」
「ほんとですか!?」
「この街でもあるんだよ、夏祭り。テレビで見たものみたいに立派なものかはわからないけどな。たしかそろそろだったと思うし」
秀作は小さい頃に何度も足を運んだ夏祭りを思い出した。立派なものかは分からないと言ったが、実はそれなりに規模は大きかった気もする。ここ数年は足を運んでいなかったので何だか記憶も曖昧ではあったが。
「朱里に聞いといてやるよ。あいつは確か毎年行ってるから知ってるはず」
「わあ、ありがとうございます!」
喜んでぴょんぴょんと飛び跳ねていたロボ子は、秀作がフライパンを火から降ろしたのを見て慌てて食器棚に走った。そしてちょうど良い大皿を選び出して差し出し、そこに秀作が出来上がった鶏肉と野菜の炒め物を盛り付けた。そんな連携も近頃はお手の物になっていた。
数日後、秀作は神社の鳥居の前でロボ子たちを待っていた。夏祭りの件を朱里に話したところ、ちょうど美佳や静葉と夏祭りに行くことを計画していたのだそうだ。その上、ロボ子に浴衣を貸してくれるよう静葉に頼んでくれたらしく、秀作は改めてこの場所で待ち合わせをすることになったのだ。
鳥居の近くは沢山の人で溢れていた。夕方で気温も下がってきてるとはいえ辺りは結構蒸し暑く、この暑い中よくこんな人ごみに好んで出かけるなぁと秀作は少し感心してしまった。
「……遅い」
それにしても遅かった。秀作はもう何度目か分からない視線を腕時計に投げた。約束の時間より数分早く着いたとは言え、既にその時間も十分ほど過ぎていた。あんまり長いこと待っていると、段々自分が待ち合わせ場所を間違えているのではないかと不安にさえなってくる。秀作は思わず、ケータイを取り出して待ち合わせたときの朱里とのやりとりを確認した。待ち合わせ場所は合っていた。ケータイをポケットに滑り込ませると、秀作は腕組みをしてロボ子と朱里、美佳、それから静葉がやってくるのを待った。静葉……
試験前の勉強会以降、確かに静葉はもうロボ子について追及してくることはなかった。それどころか、あのような会話があったということすら感じさせないほど自然な彼女に戻っていた。しかしその自然さが、秀作にはむしろ少し不安ではあった。
とは言っても、不自然よりは自然である方が良い。秀作が一番心配していたのは、静葉がロボ子に何か不信感を抱いて、そのせいで以前のように仲良くしてくれないということだった。しかし蓋を開けてみればそれも全くの杞憂で、彼女はロボ子と仲良くするどころか今日は浴衣まで貸してくれるという。その喜ばしい事実を素直に喜んでも良いものなのか、秀作はいまだに答えは出せずにいた。
「あ、秀作ー、いたいた」
声がした方に目をやると、人ごみの中で最初に美佳の姿が見えた。いつもポニーテールにしている髪を今日はサイドでふんわりとまとめた彼女は、赤い浴衣が良く似合っていた。
「ごーめんごめん遅くなって」
「少し着付けに手間取ってしまいまして」
そう言って朱里と静葉もカラカラと下駄を鳴らしながら歩いてきた。朱里の紺色に蝶の模様が入った浴衣には、秀作は何となく見覚えがある気がした。恐らく前にも一度浴衣姿の朱里とは顔を合わせているのだろう。
静葉の白地に朝顔をあしらった浴衣は、秀作のような素人の目から見ても上質であることがひと目で分かった。いつも下ろしている髪の毛は今日は綺麗なお団子にまとめられていて、普段は晒されることのないうなじの白さがどこか妖艶な雰囲気を放っていた。
そして最後のもう一人、ロボ子は二人の後ろから影に隠れるようにして歩いて来ていた。と言うより、むしろ朱里が「とっておき」とでも言うように、その姿を隠しているように秀作には感じられた。
「秀作あんた、ちょっと驚いちゃうかもよ」
「何だよ、それ」
「へへへ、それじゃあお披露目でーす!」
そう言って朱里はぴょんと身を翻すと、後ろに隠していたロボ子をぐいと前に押し出した。初めての下駄にまだ慣れないのか、ロボ子は慌てた様子で「わわわっ」と声を上げ、よろよろと秀作の前に躍り出た。その姿を見た途端、秀作の待ちくたびれてモヤモヤとした気持ちは嘘のように散っていった。綺麗だ、と、そう思った。
「どう? 凄いでしょう?」
朱里がとても楽しそうにそう言った。以前ロボ子の洋服を買いに行ったときにもそうだったが、彼女はロボ子を着せ替えることにある種の喜びを覚えている節がある。ただ秀作には、今その気持ちが少し分かってしまうような気がした。
「あ、あの……ロボ子、変じゃないでしょうか?」
ちょんちょんと浴衣の生地を摘みながら、不安そうな上目遣いでロボ子が訊ねた。秀作は思わず言葉を詰まらせながら「あ、ああ、大丈夫」などと情けない返答をして、女性陣からやれやれと肩をすくめられることになった。だがそんな言葉でもロボ子は少し気が楽になったようで、いつものように軽やかな笑顔を見せた。
実際ロボ子の姿は変であるどころか、余りにも出来すぎていた。水色に菖蒲をあしらった彼女の浴衣は、静葉のものと同様にひと目で上質なものだとわかるものだった。美しい金色の髪の毛は頭の後ろでふんわりとまとめられていて、浴衣と同じ水色の髪飾りが揺れる。そしてその色は彼女の透き通るような瞳の色ともまた同じで、まるでロボ子自身が初めからこの姿を想定してデザインされたかのような調和的な美しさを醸しているのだった。その上いつも天真爛漫で子どもっぽい印象を与える彼女は、借りてきた猫のようになっていることもあいまって、何だかとても大人っぽい印象を秀作に与えた。
「何見とれてんのよ!」
後頭部を朱里にぺチンと叩かれて、秀作は「うるせえ」とぶっきらぼうに答えた。照れくさくて仕方がなかった。
「実はちょっとだけ不安だったんです」
静葉が言った。
「ロボ子ちゃんって日本人離れしたお顔をしてるから、私の浴衣が似合うかどうか分からなくて……よく似合って本当に良かったです」
「まあコレだけ素材が良いとどんなものでも似合うんだろうねぇ、羨ましいなあこのぉ」
美佳がロボ子の後ろから抱きついて、ロボ子は恥ずかしそうに身をよじらせた。その光景は余りに眩しすぎたので、秀作は思わず目をそらした。
お祭りの出店の列に入っていくと、改めてその活気の大きさが感じられた。お面が沢山並んだお店があり、なにやらゴテゴテと景品が飾られたくじ引きのお店があった。わた菓子の甘い匂いが漂っていて、小さな子どもが美味しそうにそれをほおばっている。出店の中、割り箸の回りに少しずつ白い雲のようなものが作り出される様子にロボ子は不思議そうに見入っていた。秀作が一つ買ってあげると、ロボ子は子どものように喜んだ。当初の緊張などいつの間にかどこかに吹き飛んでいて、ようやくいつもの無邪気さを取り戻したようだった。
「シューサクさん、あれは何ですか?」
「ん、あれか。ああ金魚すくいだな」
ロボ子の指差した先には大きなたらいの中で泳ぐ金魚たちと、それを掴まえようと構えている少年の姿があった。少年はなかなかスジが良いらしく、器用な手つきでひょいと金魚をすくい上げ、お椀の中へと放り込んだ。その様子を見て、ロボ子はわぁっと感嘆の声を漏らした。
「あのお魚は食べられるのですか?」
どうもロボ子は魚を見るとすぐに食べることを考えてしまうらしい。
「食べないよ。飼うんだ」
「なるほど、育てるのですね」
ふむふむと頷くロボ子の目の前で、少年がまたひょいと一匹金魚をすくった。再びロボ子はわぁっと声を上げる。
「なになに、ああ、金魚すくいじゃん」
後ろから追いついてきた美佳が言った。
「懐かしいなぁ、小さい頃親が絶対やらせてくれなかったんだよね。家で飼えないからって」
懐かしむように目を細めて、美佳は「ははっ」と笑った。
「うちもちょっと飼うのは難しいなぁ。水槽ないし、ルビーもいるからな」
とは言ったものの、猫が金魚を食べることがあるのかどうかは秀作は良く知らなかった。
「そうですか……」とロボ子はしゅんとしてしまったが、どうやら会話を聞いていたらしい出店のおじさんがそんなロボ子に声をかけた。
「お嬢ちゃん、持って帰れないなら戻しても大丈夫だよ」
頭にタオルを巻いたおじさんはとても人が良さそうだった。ロボ子に声をかけながら、少年のすくった金魚を小さなビニールに入れ、手馴れた動作で口を縛って少年に手渡した。
「やるだけやってみるかい?」
「あ、えーっと……」
少し迷うような様子を見せて、ロボ子は秀作の方をおずおずと見つめた。そんな顔で見つめられれば秀作もまあ一回くらいは良いかと言う気持ちになってくる。「しょうがないな」と言いながらおじさんにお金を渡す。ロボ子は嬉しそうにポイを受け取った。
「袖、濡らさないようにな」
ロボ子は「はいっ」と返事をして袖を捲くり、真剣な表情でたらいと向き合った。
「えいっ」
タイミングを見計らって振り下ろされたロボ子のポイは正確に金魚をとらえたが、水の中でふやけてしまったらしく、金魚をすくい上げられずに破れてしまった。
「ああっ……」
「あー、残念、惜しかったねぇ」
おじさんも残念そうに声をかけた。
「あの男の子はとっても上手だったのに……」
「そうだねえ。今時あんなに上手な子は珍しいなあ」
しみじみしたという様子でおじさんは少年の走り去った方を眺めていた。
「ちょっとしたコツみたいなものがあるんだよ」
秀作は前にどこかで、そんなのを読んだ気がした。
「そうなんですか?」
「うん。おじさん、僕も一回やってみても良いですか?」
「へい、どうぞどうぞ」
おじさんは気前良く返事をして、新しいポイをごそごそと取り出した。
「へえ、秀作がこういうのやるなんて珍しいじゃん」
美佳は少し意外そうにそう言った。
「そういう気分の時もあるんだよ」
おじさんにお金を渡してポイを受け取ると、秀作はロボ子の隣にしゃがみこんだ。そんな秀作の手元を、ロボ子は食い入るように見つめる。
「こうやって全体は濡らさずに、端っこを上手く使って、なるべく水とは水平に……」
ロボ子に説明しながら、えいっとポイを振るうと、秀作のお椀に金魚がきれいに吸い込まれた。
「わあっ! シューサクさん上手です!」
お椀の中の金魚と秀作を交互に見つめながら、ロボ子は大袈裟なほどに驚いて見せていた。正直なところ秀作も実際に出来るかどうかは不安だったので、上手く行って少しホッとしていた。
「へぇ、彼氏さんの方は上手なもんだなあ」
おじさんが感心したように言って、美佳が「彼氏だってよ」とニヤニヤしながら秀作を小突いた。秀作は「あはは、彼氏じゃないんですけどね……」とやんわり否定しながら、ロボ子にポイとお椀を渡す。
「ほら、やってみて良いぞ」
「良いんですか?」
秀作が小さく頷くと、ロボ子は嬉しそうにそれを受け取って再び真剣な表情で金魚と向き合った。
「えっと、濡らさず……端っこ……水平に……」
口の中で小さく呟きつつ、ロボ子は慎重にタイミングをうかがった。気付けばそんな様子を秀作や美佳、出店のおじさんまでもが緊張の面持ちで見守っていた。
ようやく決心したように、ロボ子はポイを振り下ろした。思い切ったように勢いがあったが、丁寧で正確な動きだった。そしてポイは上手く金魚をとらえ、重さを枠に分散させるようにしてすうっと水の中から抜き取られる。ちゃぽんと小さな音を立てて、お椀の中に金魚が吸い込まれた。
「わ、やったあ!」
ロボ子は自分のすくいあげた金魚を、信じられないような面持ちで見つめ、それから顔を上げて笑顔で喜んだ。
「シューサクさん、ロボ子にも出来ましたよ!」
「ああ、やったじゃん」
あまりにも無邪気に喜ぶロボ子を見ていたら、秀作の頬も自然と緩んだ。
金魚すくいを終えた頃にちょうど静葉と朱里が追いついてきた。二人とも水風船のヨーヨーをぶら下げていて、朱里は焼きとうもろこしを美味しそうにかじっていた。
「あ、やっとみふけたー」
とうもろこしにかじりつきながら、朱里が言った。いかにもお祭りを満喫していますと言う様子だった。
「はぐれてしまってごめんなさい。でもどうせ追いつくかなと思いまして」
「ああ大丈夫大丈夫、俺らも金魚すくいとかしてたからさ」
「ロボ子も金魚すくえました!」
嬉しそうにロボ子が報告すると、静葉は「良かったですね」と優しく微笑んだ。
「秀作のやつ、彼氏と間違われて喜んでやがるの」
そう言いながら美佳が秀作の腕を肘でぐいぐいと押すので、秀作はぶっきらぼうに「喜んでねえよ」と否定した。そんな様子を見て静葉も朱里もクスクスと笑い、秀作はバツが悪くてぷいとそっぽを向いた。
「良いじゃないですか、あんな可愛い子の彼氏だと思われたんなら」
「そうよそうよ、贅沢よ」
齧っていたとうもろこしを興味深々という様子で見つめるロボ子に渡しながら、朱里も口を挟んだ。
「ていうか秀作、今の状況分かってる?」
「何だよ、それ」
悪戯っぽく笑って訊ねる美佳に、秀作は逆に問い返した。
「こんなに可愛い浴衣の女の子四人もはべらせて……」
「はべらせって……お前っ」
確かに言われてみれば、先ほどから周囲の男の目が痛い気がした。ここでこうしている五人のうち男は秀作一人だし、四人の女の子は力也が言っていた通りみんなそれなりにきれいどころなのだ。それが四人とも浴衣で着飾り、秀作の周りを取り囲んでいる。考えれば考えるほど、秀作は自分がかなりマズい状況の中にいるのではないかと思えてきた。
「なに赤くなってんのよこのスケベ」
「いってっ!」
朱里に下駄でむこうずねを蹴飛ばされ、秀作は飛び上がった。
「あ、ゴメン下駄なの忘れてた」
ぺろりと舌を出して笑う朱里を、秀作は「お前なあ……」と恨めしそうに睨んだ。ロボ子は一生懸命とうもろこしにかじりついていた。
それから五人でいくつかの出店を回り、ロボ子と朱里の射的対決ではいくつかのお菓子の景品をゲットし、輪投げで子供向けのオモチャをもらって、気がついたら結構な時間が過ぎていた。
秀作は元々ロボ子の付き添いのつもりでそんなに気乗りもしていなかった。しかし、金魚すくい以来自分で遊びに参加はしないものの、祭りを楽しむロボ子たちの姿を見ているだけでも、少しずつ来て良かったと思い始めていた。
みんなが散々遊び尽くして満足した頃に、どこからともなく放送の声が聞こえてきた。
『ご来場の皆様、間もなく本日最大のイベント、真夏の納涼花火大会の時間が迫ってまいりました。河川敷は非常に混雑が予想されますので、是非早めの移動と安全の確保をよろしくお願いします。なお、地域美化のため必ずゴミは各自でお持ち帰り……』
放送が流れ初めて、周囲の人々も花火の存在を思い出し、少しずつ移動を始めたようであった。秀作も放送を聞くまで、この夏祭りの最後には花火大会があるということをすっかり忘れていた。
「ああ、花火か」
「シューサクさん、花火って何ですか?」
「そっか、お前見たことないのか」
不思議そうに訊ねるロボ子に、秀作は花火を説明しようとした。
「えーっと、花火ってのはこういう夏祭りとかのときに、こう……」
「こう?」
「……いや、見た方が早いわ。とにかくきれいなやつだ。後で見れるんだから楽しみにしとけ」
どう説明しても何か上手く伝わらないような気がして、秀作は説明を途中で切り上げてしまった。そんな投げやりな説明にもかかわらず、ロボ子はいかにも楽しみだという様子で「はいっ」と元気良く返事をした。
「なあ、花火ってどこで見るんだ? 河川敷行くのか?」
花火大会のときの河川敷は非常に混雑しており、それに今から人の流れに混ざりながらそこまで移動すると考えると、秀作は少し気が進まなかった。
「いいえ」
答えたのは静葉だった。
「実はうち縁側から、毎年きれいに花火が見えるんです。是非皆さんもそこで一緒にどうですか?」
「え、ホントに!?」
朱里が嬉しそうに食いついた。彼女も人ごみの中、河川敷で花火を見るというのはあまり気が進まなかったのかもしれない。
「良いね、特等席じゃん!」
「秀作くんも、それで良いですか?」
「ああもちろん。悪いな、何度もお邪魔させてもらって」
「良いんですよ、是非みんなで一緒に見たいですので」
静葉の言葉に朱里もうんうんと頷いた。
「あ、でもその前に食べ物買って行こうよ!」
「お前さっきとうもろこし食ってたろ」
「それはそれ、これはこれ」
朱里は右手と左手を交互に掲げて「それ」と「これ」を表現した。別腹ということなのだろう。
「アタシもお腹すいちゃったよ。焼きそばとかお好み焼きとか、あとで買おうって思ってたんだよねー」
「ロボ子もお腹空きました! あれ、あれが食べたいです!」
彼女の指差す先にはたこ焼きの出店があった。看板には大きくタコのキャラクターが描かれていて、そのコミカルさがロボ子の注意を引いたのかもしれない。
「うーんでも、焼き鳥も捨てがたいのよね……ぼんじり……」
困ったという様子で額に手を当てて、朱里がうんうんと唸り始めた。食べることに関して、彼女は非常に熱心なのだ。「太るぞ」と秀作が言うと、無言で蹴りが飛んできた。
「そうですね……それじゃあ」静葉がピンと指を立てて提案した。「みんなで手分けしてごはんを買ってから、私の家に集合しませんか? 今だとどこも行列してますから、順番に買っていたら花火も始まってしまいますし」
「あ、それ名案! さっすが静葉ちゃん!」
唸っていた朱里はピシりと人差し指で静葉を指差した。
「そうと決まればアタシは焼きそば買ってくるよ、また後でー」
「私はお好み焼きを」
「やきとりやきとりぃ」
「ロボ子たちはたこ焼きです! 行きましょうシューサクさん!」
それぞれが各々の買出しに向うと、ロボ子は秀作の腕引いてたこ焼きの屋台へと吸い寄せられて行った。ロボ子だけは財布を持っていないので、自然と誰かと一緒に行動することになるのだ。秀作は「わかったから、走るなって」とロボ子をなだめながら、たこ焼きの列の最後尾に並んだ。
静葉の言ったように、この時間の食べ物系屋台はどこの店も混雑しているようだった。時間的にみんな夕飯になるものを買い求めているというのもその要因だ。それから先ほどのアナウンスを聞いて、秀作たちと同じように「食べ物を買ってから移動しよう」と考えた人も少なくないのだろう。
「人がいっぱいですね……皆さんたこ焼きを買うんでしょうか?」
「たこ焼きの店だからな」
「大人気です……」
ふむふむと何かに納得したようにロボ子は頷いた。秀作には彼女が何に納得したのかはさっぱりわからなかった。
列は思ったよりスムーズに流れているようだったが、ちょうど秀作たちの少し前でパック詰めのストックが全てなくなってしまった。ねじりハチマキの店主|(彼はタコに似ていた)が「今焼いてるからちょいと待ってくれなー」と言いながら、新しいたこ焼きと格闘していた。少し待つことにはなるが、その分焼き立てが買えるならまあ良いかと秀作は思った。
店主の手さばきは大したもので、たこ焼き用鉄板の上に並んだ生地に素早くたこが放り込まれると、それを鮮やかな手つきでクルクルとひっくり返していった。随分と熟練した焼き手なのだろう。そうしてただの液体だったものがきれいな丸いたこ焼きに変わって行く様子を、ロボ子は食い入るように見つめていた。ロボ子は冷凍のたこ焼きなら食べたことがあったが、こうして目の前でたこ焼きを作る姿を見るのは初めてだったのだ。
「わぁ……魔法みたいです」
ロボ子がそう呟くと、聞こえたらしい店主が「へへ、ありがとよお嬢ちゃん」と照れくさそうに笑った。
たこ焼きはしばらくすると焼き上がり、店主と、その手伝いをしていた女性|(おそらく奥さんだろう)が手早くパックに詰めてくれた。秀作とロボ子はそれを2パック買ってから静葉の家に向った。家の場所は漠然としか覚えていなかったが、あれだけ大きい屋敷なので近くまで行けばすぐ分かることは間違いなかった。
「シューサクさん、ホカホカですよ!」
「出来たてだからな」
「ソースの匂いも美味しそうです!」
ロボ子はたこ焼きのパックを鼻先に持ってくると、クンクンと子犬のように匂いをかいだ。
「あーお腹ペコペコです。一個だけ食べちゃダメですかね?」
「もう少し我慢しなさい」
「はーい」
残念そうにそう言ってロボ子がパックから顔を離したのを見ながら、秀作は不意にあることに気付いた。
「しまったな、つまようじ多めにつけてもらうの忘れてた」
2パックを2人で買ったものだから、当然のようにつまようじも2本だった。みんなで回せばいいかもしれないが、流石に女の子四人の中で少ないつまようじをやりくりするというのは秀作には気が引けた。
「ちょっと走ってもらってくるから、ロボ子はここで待っててくれ!」
そう言うと秀作はロボ子を残し、屋台の方に走って戻ってしまった。
「あ、シューサクさん!」
とロボ子が声をかけたときには秀作はもう走り始めていた。慣れない浴衣と下駄の姿では上手に走れそうになかったので、ロボ子は鳥居の辺りに一人取り残される形になってしまった。秀作の姿はすぐに人ごみに紛れて見えなくなった。
「行ってしまいました……」
一人で取り残されて、少しだけ心細い思いでロボ子は呟いた。そうは言っても屋台を離れてからまだ少ししか歩いていなかったのだから、きっとすぐに戻ってくるだろうと思い、ロボ子は鳥居に寄りかかって秀作が戻るのを待つことにした。下手に動くとすれ違って上手く合流できなくなってしまうかもしれない。
鳥居の周囲はそれなりに混雑していた。行き交う人々は両手にわた菓子やお面、金魚すくいですくった金魚、射的の景品らしきおもちゃや水ヨーヨーなんかをぶら下げていて、それぞれが満足そうな笑顔を見せていた。小さい子供が一生懸命りんご飴をかじっていて、もう片方の手でお父さんの手を一生懸命に握っていた。その姿を見ていたら、ロボ子は何だか自然に笑顔が溢れてくるようだった。
そうしてぼんやりと周りを眺めていると、ロボ子の肩にポンと手が置かれた。秀作が帰ってきたのだと思いロボ子が笑顔で振り返ると、そこに立っていたのは知らない男だった。一瞬状況が理解できず、ロボ子の表情が固まった。
「ねえねえ、君ひとり?」
「これから花火が上がるんだけどさ、俺らと一緒に見ない?」
短い髪の毛を金髪に染めピアスをした男と、その連れらしいキャップを被った男が交互に声をかけた。二人はやたらと距離が近く、ロボ子はそれを怖いと感じた。
「あ、あの……花火は、静葉ちゃんたちと……」
「なになに、友達も来てるの? 良いじゃん、じゃあその子も呼んでさ」
「てか君可愛いね、外国人? 日本語上手だね」
ロボ子は上手く言葉が出てこず、それでも必死で喋ろうとしたが、男は二人とも彼女の返事など聞こうとはしていなかった。しまいには男のひとりがロボ子の腕を掴み、無理矢理引っ張って連れて行こうとし始めた。
「や、やめてくださいっ……」
ロボ子は抵抗しようとするが、恐怖で身体が強張り、上手く声が出せなかった。そんなことは初めてだった。身体が震えて、目には涙が滲み始める。
「おい!」
大きな声がして、ロボ子と二人の男は同時に振り返った。走って戻ってきたらしい秀作が厳しい目つきで立っていた。それを見た瞬間、ロボ子の顔に少しの安堵が広がった。何か言おうと彼女の口が少し開いたが、まだ上手く言葉は出てこないようだった。
「なにやってんだお前ら」
「ああん、誰だおめえ?」
ロボ子の腕を掴んでいた男が秀作を睨みつける。ひどく嫌な目つきだった。それをまっすぐ見据えたまま、秀作はロボ子の方へと歩み寄った。
「彼女、嫌がってるだろ」
「んだと……」
キャップを被った男が凄んだが、秀作はそれを無視した。そのままロボ子のすぐ近くまで来ると、ピアスの男の手を払いのけ、ロボ子の手を取った。
「行こう、ロボ子」
「シューサクさん……」
ようやく声が出たロボ子が、泣きそうな声で秀作の名を呼んだ。それを聞いて、二人の男は「ちっ、男連れかよ」と悪態をつく。それで諦めたのか、秀作たちを追って来ようとはしなかった。秀作はロボ子の手を引いて、早足でその場を立ち去った。ロボ子は歩きにくそうだったが何とかついて来て、やがて男たちは人ごみの中に見えなくなった。
そのまま二人は人ごみの中を黙って歩いた。ロボ子は少し前を歩く秀作の、自分の手を引くその手を見た。自分が震えていて気付かなかったが、彼の手もまた、小刻みに震えていた。それに気付いた瞬間、ロボ子は何だか泣き出したいような気持ちになってしまった。
気がつくと、周囲の人通りはまばらになっていた。混雑した夏祭りの会場からはもう大分遠ざかっていた。早足だった歩調も、いつのまにか普通の速さに戻っていた。
二人ともしばらく、どんな言葉を発して良いのかよく分からなかった。お互いに自分のつま先ばかりを見て歩いた。
「……ごめんな」
先に口を開いたのは秀作の方だった。
「ひとりにするべきじゃなかった」
「そんな……悪いのはあの人たちですよ。シューサクさんは悪くないです」
「でも……」
「シューサクさんが来てくれたとき、とっても嬉しかったです。シューサクさん、かっこよかったですよ」
「かっこいいだなんて……だって俺、あの時かなりビビッてたんだぜ」
秀作は自嘲気味に笑った。
「分かってます」
そう言ってロボ子はにっこり笑ったので、秀作は意外そうな目で彼女を見た。
「分かってましたよ、そんなの。だからかっこよかったんです」
そんなことを言われて秀作はどう返せば良いのか分からず、「そっか」と小さく呟いて仏頂面で俯いてしまった。少し言葉を交わしただけだったが先ほどまでの気まずさはすっかり消えていて、穏やかな空気が二人を包んでいた。
秀作はふと、人ごみの中からずっと手を繋いだままだったことに気付いた。でも今更それを解くのも何だか違うような、少し照れくさいような気がして、そのまま繋いでおくことにした。
「楽しかったですね、お祭り」
ついさっきのことなのに随分懐かしむように、ロボ子は目を細めて言った。
「楽しかったな」
「あんなに楽しいの、ロボ子初めてでした」
「それは良かったよ」
連れてきてやって良かったなと、秀作は思った。ここ最近は来てなかったけど、お祭りもそう悪いもんじゃないなと、そう思った。
そのとき、背後でパンパンパンと弾けるような音がして、少しだけ足元が明るくなった。二人とも立ち止まって振り返ると、夜空に花火が咲いていた。建物に隠れて全部は見えなかったけれど、それはとても綺麗な花火だった。
「わぁっ……」
ロボ子は言葉を失くしたように、小さく口を開けてその光景を見ていた。彼女のキラキラとした瞳にも、花火のきらめきが映り込んでいた。
「あ、始まったな」
「これが……花火ですか」
「ああ」
「花火って、あれ……どうやってるんですか?」
「ええっと……」
秀作は説明しようと知識を引っ張り出した。丸い玉の中に火薬を詰めて……なんて考えた所で、そうじゃないなと思った。
「職人さんが作ってるんだ。一個一個、手作りで」
「職人さんが……」
「うん」
「だからこんなにきれいなんですね」
「きれいだな」
「きれいです。とっても」
ロボ子がとても嬉しそうに笑って、笑顔が花火で照らされた。
静葉の家はすぐそこだったけれど、二人はしばらくその場に止まって花火を見た。色んな色の花火があった。色んな形の花火があった。二発三発連続して打ちあがるものもあった。一発だけど、とっても大きなものもあった。途中で色が変わるものがあった。一度弾けて、それからパチパチと小さく弾けるものもあった。考えてみれば、こうしてじっくり花火を見るのなんていつ振りだろうと、秀作は思った。
「シューサクさん」
「ん?」
「また来年も来たいですね」
そう言われて、秀作は少しだけ言葉に詰まった。どうしても考えずにはいられなかった。ロボ子はいつまで、こうしてここに居られるのだろうか。来年もまだ、自分のそばにいるのだろうか……
ちらりと隣に目をやって、ロボ子と目が合った。彼女はじっと、秀作の答えを待っていた。その青く透明な瞳を見たとき、秀作の心がカチッと音を立てた気がした。秀作はゆっくりと、でもしっかりと頷いた。
「来年もまた来よう」
自分に言い聞かせているようだった。
「来年も連れてくるよ」
ロボ子は満足そうに微笑んで、それからまた花火の夜空に目を戻した。この花火は忘れないだろうなと、秀作はそう思った。




