足肉は脳下垂体の振りをする
脳下垂体に腫瘍が見つかったのは20代の前半だった。ホルモンバランス崩した私は第二次性徴期を迎えぬままに成長を遂げ、それを当たり前の様に受け入れてきたのだが、ある日その生活も終焉を迎える……骨の異常発育、足が外れたのである。
救急車で搬送された私は、その車中で気絶した。最後の記憶は『救急隊員うざい』である、意識を保つためにあれこれ話しかけてくる私の事を助けようとしてくれた隊員に対して大変失礼な感想だが、思ってしまったものはしょうがない。
それからは怒涛の入院生活、検査に継ぐ検査、全裸で写真を撮られ、医師に胸を握られて自分の乳首から乳白色の液体が滲み出るという性の危機、麻酔なしでドリルで足に穴を開けられ、足を牽引された為に仙骨部に褥瘡を作る。
老朽化した国立病院の飯は刑務所以下(推測)で、夜中に目覚めると節足動物門昆虫綱であるGの群れがカーテンからカーテンに大移動するアトラクション付き、そして外には壁しかないはずの場所でずっとラップ音が鳴り、ナースに聞いても無視される余計に怖い反応。
そんな中、楽しみもあった。歩ける同室者から回される院内ご禁制のタバコ、綺麗なナースとの何気ない会話(最初綺麗と思わなくても、性格を知ると綺麗に見えてくるから不思議である)絵に描いた様な院長回診の大名行列、母の持ってきてくれるお土産の寿司、そして訪れる強烈な睡魔。
入院中は兎に角よく寝た。朝起きて検査を受けると寝て、昼飯を食べると寝て、誰かが来て起こされても帰るとすぐに寝て、晩飯を食べるとすぐに寝る。一日に15時間以上は寝ていた気がする。
後は本を読んだ。同じ本を繰り返し何度も読んだ。一つはT&TというTRPGの本、もうひとつは椎名誠さんの「水域」
想像の中で何度も冒険をした。勝手にオリジナルのヒーローを夢想した。彼らは異世界で剣を振るい、荒廃した未来世界の海を漂った。
そんな夢現の世界にも終わりが来る。心配しないで欲しい、下垂体に出来た腫瘍は良性だったのだ。
体の各骨を手術した後、肝心要の脳下垂体腫瘍摘出手術とあいなった。
その説明を受けた時小さな疑問が生まれる、太ももの筋肉を腫瘍を取り去った空間に詰めるという。
肉を埋める? 私は買ってきたパック肉を頭に詰める連想をした。腐らないのか? と疑問に思ったが、そんな事を聞く雰囲気ではない。
医者も両親も神妙な顔でたまに心配そうにこちらを見てくる。
私は申し訳なくて、深刻そうに顔を伏せると悲しむ振りをして、黙って医者のスリッパを眺め続けた。
その晩夢を見た。足から切り取られた肉片君が突然脳味噌の下にお引越しをさせられる。肉片君は大脳君や海馬君にイジメられながらも持ち前の辛抱強さで乗り越えると、立身出世、脳下垂体として地位を確立する。だが、彼には精腺刺激ホルモンを作り出す事は出来ない。頼りの脳下垂体は完全に潰れて再生不能……そんな絶体絶命の所で目が覚めた。
悪夢ともつかない夢に、だがしかし疑問は有耶無耶に消え去った。
手術は無事成功、退院して今に至る。
だが、今でも太ももの傷跡を見る度に思い出すのだ、
『脳下垂体の振りをする彼は腐っていないだろうか?』と。