鬼の夜
まず、世界観ありきで執筆した作品です。
直射日光の下では生活が出来なくなり、「ドーム」と呼ばれる限定された居住区の中で生きている人々の世界。
この一作にとどまらず、様々な人間模様を描いていきたいと思っています。
僕たちの暮らすドームHは旧市街(世界地図にはN3と表示されている)に程近い所にある。
というより、N3がそこにあるからドームHがここに建てられたと言うべきだろう。
このドームはかなり初期のもので、生活のためというよりは一時的な避難を目的とした、シェルターとしての役割を重要視した造りになっている。
そのため、一応ドームという呼び名がついてはいるけれど、世界のあちこちにある生活圏として用意されたドームとは仕様が全く違うのだ。
天井にあるのはただの発光灯で、時間に合わせて色合いが変わるなんて高等技術はないし、ほとんど地下に埋まった建物は螺旋状に降りる階段に沿って横穴があいただけの、機能と利便性重視のそっけない造りだ。
ドームは円柱計で、大きさは直径二キロはある。地上10階くらいまでせりだしていて(それは通風孔としての役割のためで、地上はおろか、地下でも5階より上に居住している奴はいない。太陽光線は年々恐ろしい殺人光線となっている)地下は100階には達していないけど、でもそのくらいの深さ。
縦穴の中央は吹き抜けになっていて、昔はそこから地上に向かって飛空挺が飛んでいったとも言うけれど、本当かどうか。
まあ、それがもしも本当だったとしてもこのドームにはもう飛行艇を操縦できる奴はいない。
地上に出る出入り口は四ヶ所。
東西南北にゲートがあり、外部から来る人はまずそのゲートに設置された通信システムで地下8階にあるセンターと交信しなければいけない。
センターは遠隔操作で赤外線チェックやら、登録コードの確認やらをして問題がなければゲートが開くって仕組み。
まあ、今の時代、昼日中なんかに人を外にほっぽり出すなんてのは殺人行為だし、この辺りには難民を輩出するような欠陥ドームもないから、そんな審査は形だけ。
それに夜は夜でここには招かれざる客が来る。
遠隔操作でできるその設備は、遠方から来た人間の為に取り付けられたものではない。
「今日は満月だしね、奴らも大人しくしてるんじゃないの?」
夜埜の言葉に僕が「そういうものなの?」と首を傾けると、「そういうモノだといいんですけど」と僕の隣に立っていた来雪が軽く目を抑えながら答えた。
「奴らは僕たちよりも敏感ですからね。月光といえど結局は太陽光を反射したものですし、辛くないわけがないと思いますよ。」
そういう来雪のほうが辛そうだ。
僕の言葉に来雪は「そう、僕が今身を持って辛い事を証明してるんですよ」と小さく笑った。
細められたその目元には、細い血管が何本も青く浮いている。
頬より下は何の異常も見受けられないのに、目の周囲だけは血管や筋肉の形をはっきりと見て取れるのだ。
瞼を開ければ、彼の顔面は三分の一を血管の浮き出た眼球に占められる。
「辛いなら無理せずつけてろ」
そう言って来雪にサングラスを投げ渡したのは獅土。だけど来雪はそれを掛けずに上着の釦穴に挿した。
「いくら満月でもこんなの付けたら本当に視界が悪くなる。それじゃ僕がここにいる意味がないでしょう。」
僕たちがいるのはサウスゲートと呼ばれる、旧市街に面したゲートの見張り台だ。昼間ならこんなところに今みたいに突っ立っていたら一時間もしないうちに紫外線で体中が腫れあがり、無残な姿になるだろうけれど、完全に太陽が沈んだ今なら防護服と防護マントを身につけているだけで何とかなる。
僕たちは奴らからこのドームを護っている。
ドームには何千という人が暮らしていて、そんな人々に奴らを接触させてはいけないから。
奴らは一般には「鬼」と呼ばれているけれど、その正体を知っている者は「奴ら」と呼ぶ。
「来ましたよ」
来雪の言葉に、夜埜が「うそ、信じらんない。勘弁して欲しいよね」と言った。
僕の視界にはそれの姿は見えない。
いくら満月とはいえ夜だ。多分夜埜にも、獅土にもまだ見えていないはず。だけどそれが見えるのが来雪だ。
「どこだ」
獅土の言葉に(やっぱり獅土にも見えていなかったんだ)来雪はその細い人差し指で一転をさした。
「旧市街の大通り、センターラインに沿って歩いています。距離は三キロ。明らかにこちらを目指していますね…ああ、目が合いました」
少しおかしそうに、来雪はフフ…と息を漏らして笑う。
それが本当に笑い声かどうかは僕には分からない。
ふいに獅土が体を覆っていたマントを脱ぎ捨て、足元にあった鉄製の直径が15センチ、長さが1メートルはある槍を右手に取った。
獅土の右腕はその左腕に比べると倍以上にの太さがある。皮膚は限界にまで伸びきっていて、彼が槍を構えた時には内側の二の腕は筋肉の筋をはっきりと象った。
獅土はその槍を、その場でひょいと、軽々投げる。
月光を反射して夜闇を切り裂いた槍はすぐに僕の視界から消え、少しの間をおいて、遠くに火柱が立った。
「どうだ?」
獅土の言葉に、来雪は首を振った。
「多分手前に落ちたと思います。命中はしていないと…」
その来雪の言葉が終わらないうちに、僕はあの声を聞いた。
「来るよ!」
それに反応したのは夜埜。彼は見張り台の柵を越えて一瞬のうちに10メートル下の地上に降り立ち、旧市街に向かって走り出す。同時に来雪が叫んだ。
「いました!走って来る!待って!」
来雪が制したのは再び鉄槍を構えかけた獅土に対してだった。
「夜埜が接触しました!」
はるか彼方で白いものが揺らめいている。あれは多分夜埜のマントだ。
鳴き声が聴こえる。
泣き声が聴こえる。
僕の耳に、嘆き声が聞こえる。
夜埜は、少しずつこちらに近づいてくる。
夜埜の仕事は奴の退治じゃない。奴があの驚異的なスピードで一気にこの場所に飛び込んでくるのを抑えているんだ。
闇夜に跳ねる白いマントの影に、黒い物体が見え隠れする。大きさは夜埜より大きい。
夜埜はその自分より大きな物体の頭上を、軽々と跳ねながら奴を翻弄する。
「いけないっ!」
来雪の声とほぼ同時に僕の耳に夜埜がうめく声が聞こえた。
マントが宙でバランスを崩す。
「馬鹿が…、調子に乗りやがって!」
獅土が毒づく。
マントは宙で一回転して地面に降り立つ。横で来雪がため息をついた。多分それほど大きな傷は追っていないんだろう。「大丈夫だよ!」夜埜の声が僕の耳に届いた。
「大丈夫って言ってる」
「大丈夫じゃないですよ」
その言葉を伝えた僕を、来雪が否定した。
「腹部をやられています。足じゃなかったのは幸いですけれどね。」
「大丈夫だ」
「だから、大丈夫じゃないですって…」
獅土を振り向いた来雪は「ああ、」と呟いた。
「大丈夫なんですね?」
槍を構えなおした獅土が「この距離ならいける」と頷く。
僕は来雪の合図をもらって夜埜の無線を開いた。
「獅土が投げるよ。離れて」
夜埜は「簡単に言わないで欲しいよね」って呟いて、そして僕の眼でも分かるくらい長距離を、助走も無しでポンって跳んだ。
マントが10メートルくらい、まるで吹き飛んだかのように奴から離れた。
奴は一瞬戸惑ったみたいだったけど、また夜埜を追おうとしたみたいだった。
それで僕は笛を吹いた。
その音はとても小さく、僕や、奴に聴こえるくらいの音しか出ない。
だけど奴は反応した。影が、こちらに向かって歩き出した。
獅土が棒を振りかぶる。
銀色の線が闇を貫いて、奴に届いた。
轟音が響く。そして、それは燃えた。
闇にうかぶ炎の中で、来雪の目と、獅土の右腕と、夜埜の両足と、僕の耳と同じ物を持つそれは、そしてそれ以外の部分も醜く盛り上がったそれは、炎の中で悶え、あっけなく燃え尽きた。
「大人しくしていれば良かったのにさ」
いつの間にか戻って来ていた夜埜が呟く。
「何があるか知らないわけじゃないだろうに」
「それでも、戻りたいんですよ」
来雪がサングラスをかけてため息をついた。
奴らは嗅覚も敏感だ。一匹でも燃やせば、他の奴らはその晩だけは警戒して近づいてこない。
「彼らの家もまた、ここなんです…」
獅土は何も言わず、残った槍の点検をしている。
「僕は嫌だな。拒絶される事を分かっていてわざわざ来たりしない。」
夜埜の言葉に、来雪が「是非そうしてください」と笑った。
「君を退治するのも後味が悪い。」
だけどここにいる誰もが知っていた。ここにいる4人の中では来雪こそが最も奴等に近づいている。
僕たちの変質。
罪が肉に形になる。
「鬼は、穏って書けるんだって…」
ぼくの呟きに、皆が振り向いた。
「僕らは、全てをこの身に隠されるんだね…」
僕の耳に、旧市街から低く鳴き声が聞こえてきた。
鬼の鳴き声は泣き声である事を果たしてどれだけの人が知っていたのか。
それは言葉を失った彼らが意思表示をするための最後の手段だったという訳だ。
その「言葉」がどんな意味を持っているのかは僕たちには理解できなかったけれど、それはそんなにたいした問題じゃない。
理解できたとしたら僕たちは仕事に支障をきたすだろう。だってそう、あの鬼退治こそが僕らの仕事なのだから、意思の疎通なんて図れたが最後、僕たちは僕たちの良心と戦わなければならなくなる。
それにそんなに慌てなくたって大丈夫。
時がたてば僕らだってあの泣き声を理解できる様になるさ。
あの鳴き声を発するようになるさ…。




