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はい、隠してました。
ごめんなさい。
でも俺も、見栄とかあるしっ?
実は太っていたころ、本気で死ぬんだと覚悟したことが一度だけある。
あれは特に忙しく労働した翌日のこと、息子を学校に送り出して娘を幼稚園に送り届け、義母と夫も仕事に出かけた後のことだった。
俺は掃除機をかけていた。
(おかしいな?)
異常に早い心音をいぶかしむのと床に倒れるのはどちらが先だっただろうか。気がついたときには俺はフローリングに頬をこすりつけて悶えるハメに陥っていた。
息苦しい。呼吸がとまっている?
心臓の音は大きく響いているのに、手足まで血の届く感覚が無い。むしろ冷たい感覚が全身に広がってゆく。
悶え、もがくうちに気を失っていたらしい。正気を取り戻した俺の横で、スイッチが入ったままの掃除機は虚しく音を立てている。
俺は自分の手首を掴んで脈を確かめた。
(普通だ)
痩せていたころは50に届かないほどの貧脈であったが、太っていたこのころは実に100近い脈拍数である。少し早めのリズムは既に慣れたものであったし、一般的な正常値からはみ出すものではない。
思えばバカな話だ。いくら正常の範囲内とは言っても、元の数値を考えれば多すぎるだろう。ちなみに今は安静時70程度、不調も起こらず過ごせている。
俺は明らかに『痩せる必要があった』人間だ。見た目などの問題ではない。
そして、あの御仁を笑うことはできない。アザとーも大概バカなのである。
まあ死の代わりにダイエットを選んだ、そして今までの自堕落と決別する覚悟を決めてのことであったのだから当然ではあるが……実は取っ掛かりに断食を敢行した。
断食と言うものは素人がむやみな自己判断でやっていいものではない。
人間は水と塩の摂取があればかなりに長期間の絶食に耐えられるが、これは理論上のことであり、遭難でもしたときにのみ適用される特例だ。
確かに外部からの栄養を断たれると人間の体は己の内側を喰らうように仕組まれている。ところが、我々が一番消費したい脂肪を喰らうようになるのはある程度大事な組織を喰らった後である。つまりそのサイクルに合うように体を準備する必要があり、断食開けには傷ついた体を癒しつつ肉をつけない正しい栄養管理を行わなければ、ダイエットとしての効果など望めないのである。
だがもともとが自傷行為的な意図で始めたダイエットだ。アザとーは何の予備知識も無しにいきなり食を断った。一日二日の短期間のつもりである。その程度じゃ人は死なない。
だから体内の変化がどうのこうの吟じるつもりは無いが、この行為、当たり前だが腹が減る。空腹は精神的にもよろしくない。
もともとデブ性のイライラを患っている上に空腹のイライラが加算されるのだ。頭をかきむしり、床をのた打ち回り、部屋の隅で意味も無くしくしくと泣いたりもする。ともかく精神が不安定におちいる。
さらに襲い掛かる倦怠感……低血糖状態だ。
もちろんこれを見越して仕事のない日を選んだのだが、一日中を鬱々として過ごすハメになった。
仮眠のために横になれば、眠気はあるのに眠りは浅い。現と悪夢を行き来する感覚はまさしく泥中に沈むように底知れない。
混沌と混迷の中でアザとーがひたすらに思ったのは食べ物のことばかりであった。
(ああ、炭水化物……白いご飯の上に輝くほどの筋子を一切れ……)
茶碗にふんわりと盛られた銀舎利の夢。紅い魚卵は幻の中でてらりと誘う。
思わず中空に手を伸ばしたその瞬間、しびれきっていた脳髄に突然の閃きが降った。
……これが悟りと言うものか……
思考を覆っていた粘膜を洗い流すような爽快感。
まあ、それで宇宙の真理とか、なんか壮大なことを啓けないのはさすがに俗人だが。
アザとーが思い当たったのは『なぜ食わねばならぬのか』と言うことである。もちろん生きてゆくためだが、果たして生命活動にどれほどの食物が必要なのだろうか。
それを突き詰めて考えることからアザとーのダイエットは始まった。