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明らかにストレスとしか考えられない。半年足らずで二十キロだ。
まず衣服が全て合わなくなった。
ジーンズはもちろん、ジャージにいたるまで全てである。仕方なく借りていた旦那のジーンズもいつの間にかチャックが上がらなくなっていた。
ここまで劇的に体重が増えると体が動かせなくなる。ともかく肉が重いのだ。
立ち上がるだけでも膝が震える。二階まで上がるには階段の中ほどで一息入れなくてはならない。
何よりもやばかったのは心臓だ。二、三歩歩いただけでバクバクと音を立て、少し走れば胸に手を置く必要も無いほどに鳴動する。
それでも大人なのだから仕事中は泣き言など許されない。
気力だけで肉を引きずり、家に帰れば動けないほど疲れきって床に臥しがちな生活が続いた。
免疫力も低下していたのだろう。あまりにひどい風邪だと思って病院へいったら肺炎だと診断された。ちなみにこのあと2年は毎年のように肺炎を患ったが、体重が落ちた後は一度もかかっていない。
そのまま店長に休みたいと電話を入れたら「代わりを見つけない限りは這ってでも出て来い」と言われた。いや、まじで。
座薬と点滴で症状を抑えて、どうにかその日のシフトはこなした。だが、アザとーはストレスの要因の一つであるこの店長と決別することをこの日誓った。
実は太ったときに影響されるのは身体面だけではない。精神も確実に蝕まれる。
デブはイライラしやすい。
今は本来の温厚さと適当感を取り戻しているアザとーではあるが、当時は些細なことが癇に障った。
何が、ではない。全てがむかつくのだ。
時間的にはたっぷりと寝たはずなのに起き抜けから体はだるく、やらなくてはならないことがあっても体は思うように動かない。デブは足元が見えないと言うが、腹の肉に遮られるからではない。体を曲げることすら肉が阻むからだ。腕を上げようにも、足を下げようにも肉が筋肉の動きを阻害する。
当たり前にできていたことができなくなった焦燥感と身体的疲労感がイライラの原因であることは明白だ。
そんな中で一人前にこなせることと言えば八つ当たりだけであった。
夫に当たり、子供に当たり、義母に当たり、表に出ても全てが八つ当たりの対象でしかない。そしてひとしきり当り散らした後に訪れる嫌悪感……正直死んだ方がマシだと幾度思ったことか……。
そのイライラのせいで食い気に走る→デブだから動けない→ますます太るの無限地獄ループだ。
ただし、デブはこのループの原因を表の世界に求める。痩せようと思うのならまず必要なのは内省であり、安易に食べものや運動不足に原因を求めるべきではない。
義母も出てゆき、新しいパート先も決まったある日、アザとーは風呂場で泣いた。
精神的重圧から開放された安息ではない。単純に浴槽にぴっちりと収まるおぞましい肉塊と化した己の身が哀れだったのだ。
体を曲げれば深く折り込まれた腹肉が二本の皺を作る。丸太のような太ももはパツンパツンに張り詰め、足をぴったりと閉じることもできない。
それに何より、浴槽がきつい……
湯の中にぼろぼろと涙を落とせばネガティブになっている思考はぐるぐると巡る。
義母が出て行ったのは俺の扇動もあってのことだが、もっと穏便な方法もあったのではないだろうか。いや、いっそ俺が出て行けば全ては丸く収まったような気もする。
パートだって、結局店長と喧嘩別れで中途半端なやめ方をした。大人の対応と言うものがあったはずなのに我儘を通して、結局迷惑をかけたのは店長にではなくて、一緒にシフトに入っていた仲間に、では無いか。
……今からでも遅くない。死のう……
湯から上がろうとした俺は、浴槽の壁に擦れる肉が急に憎らしいもののように思えた。
(この肉がなければ)
俺の体はもっと動くはずだ。子供たちに八つ当たりなどしなくても玩具ぐらい俺が片付ければいい話だし、夫にデブと罵られて夜中に泣き喚きながら家を飛び出す必要もなくなるはずだ。
(痩せよう)
回復へと向かっている精神は俺に健全な答えを選ばせた。でなければ俺は今頃ここには居ないのである。