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悪癖




 「さっ……!!」


 思わず出た声に慌てて口を手で塞ぐが時すでに遅く、「あ、百合ー。おれだよ」と悟からドア越しに声がかけられた。

 しまった。

 いつも電話があるからと安心していたから、かなり油断した今の私の格好。居留守するには遅すぎるし、ちょっと待っててとしてもらうには不自然すぎる。

 ど、どうしたらいいの!?


 「百合……?」

 

 いぶかしむ悟の声。

 玄関で立ちすくむ私。

 ややあって、悟が「……ごめん」と話す。


 「百合、ごめん。怒ってるんだろ? いつもおれの都合ばっかり押し通してるから。怒っていてもいいから、せめて顔を見て謝らせて欲しいんだけど……ダメかな」


 必死な声色に、私は焦る。

 それもある。それもあるんだけど、今のこの、私の姿がまずいの!

 どうしよう、どうしよう、と心臓をバクバクさせながらなんと言おうか躊躇う私は、悟に注意を払っていなかった。

 カチッ。

 鍵が開けられる音。――そうだ、悟には合鍵を渡していたんだった!

 

 「や、やだっ!」


 私は慌てて、忘れていたチェーンをかけた。だって、この姿見られたら……!

 悟がドアノブを捻るのと、私がチェーンをかけ終わるのは同時だった。ガツ、と音がして、チェーンの鎖は一定の長さで止まり、それ以上ドアは開けられなかった。私は死角になる位置に体ごと寄せて隠れる。


 「百合?」

 「あっ……」


 自分のことに必死すぎて、悟に気を配っていなかった。見られたくない一心で拒絶する真似なんかしたら……

 

 「そうか……そうだね。百合は怒って当然だと思う。本当にごめん。夜遅いのに玄関先で騒ぐと悪いから、今日のところは帰る。おやすみ」


 僅かに開いた隙間にすら姿を見せない私に、悟は本気で怒っていると誤解したらしい。静かにドアを閉めてその場から去ろうという靴音が聞こえた。

 えっ、やだ、そうじゃない、そこを怒っているわけじゃないのに! 

 今日この場で誤解を解いておかねば、お互いの中で深い溝になりそうで嫌だった。私は悟が好きで、そこは一番揺るぎのない場所。独りよがりなプライドが邪魔をしたから、悟を排除するかのような態度を取ってしまい、傷つけたに違いない。

 私はいてもたってもいられず、チェーンを外して勢いよくドアを開けた。


 「悟! 待っ……て?」


 待って、の「て」のところで、気が抜けたのは。


 「わ、ちょっと、やだ、悟、どうして!?」

 「ふふーん。百合ならすぐ追いかけてくると思ったからだよ」


 開けたドアのすぐ横には、壁にもたれかかった悟がいた。私を見てにっこりと笑い、「捕まえたー」と言ってぎゅっと抱きしめられる。


 「ば、ばかあっ! 騙したわねっ!」

 「百合、かわいいー」

 「人の話聞きなさいよ!」

 「部屋、入れて? 廊下で騒ぐの近所迷惑だろ」

 「あっ……」


 築十二年のアパートは、内側はリフォームしてあるものの共有部分の廊下は吹きっさらしで、声がよく通る。おまけに駅近くということもあって隣家が近く、確かに近所迷惑になってしまいそうだ。

 私がそれに気をとられている隙に、悟は私の背とお尻の下に手を回して持ち上げ、玄関へ入った。

 

 「ちょっと、悟!」

 「意地悪する百合が悪いんだよ。ん? いい匂いするけど、ご飯これから?」

 「まっ……!」


 雑な髪型、眼鏡、気を抜いた服装……なのに、悟は何も触れることなく、靴を脱いでどんどん室内へ入っていった。

 あ、あれ? 悟、何も言わないの? だらしないって、気を悪くしない?

 私は拍子抜けしたように、言いかけた文句を喉の奥へ収めた。なんだか調子が狂ってしまう。いつもの“きちんとした”私じゃないのに、自然に流された。


 「百合ー。ねぇ、おれも食べたい」

 「ええっ!」


 普段はこのような実家の母親が作るような料理だけど、茶色が多いおかずだからちょっと恥ずかしい。だから、悟にご飯を作ることはあるが、大抵洋食を提供していた。いつも事前に連絡があるし、仕事のある平日はあまり訪れない。私としては手が込んだ見栄えのいい料理を、悟に食べさせたいと思っていた。それはつまり私の胃袋が欲する料理ではなく、お店の料理に近いものになる。それについて特に何も言われたことはなく、いつも「美味しいよ」と平らげてくれた。

 だから気を抜いた私の料理を目の当たりにして、何が言われるかと構えていたら――これも流された。


 「百合……これ、おれへのあてつけだったりする?」


 悟の視線の先には――豆ごはんと五目豆。


 「ち、違うってば! たまたまなの!」

 「ふーん。『マメ橋なんてこうしてやるー!』ってことかと思った」


 自分が食べたいものを適当に籠に放り込んでいたら、たまたま豆料理が重なっただけだ。そんなつもりはなかったけれど、無意識にそう思ってたとしたら……そ、そんなことない! ……はず。


 「でも悟、夕飯をあの人と食べてきたんじゃないの?

 「ん? むこうの幹事と? いや、食べてない。コーヒー飲みながら打ち合わせて解散だよ。あ、でも彼女、百合んちから駅を挟んで反対側だって。世の中って案外狭いな」


 おかずに手を伸ばそうとする悟を「こら!」と窘め、手を洗いにいくよう促す。

 その人を……送ってからこっちへ来たのかしら。たまたま私の家が近いからって寄ったのは、別に深い意味があるわけじゃないわよね? 私のところに来たいと思ったから、来てくれたのよね?


 ――邪推が止まらない。


 幹事を引き受けて以来、私と悟の時間が減った。減った分、あちらの幹事との時間が増えているということだ。

 幹事の人……とても綺麗な人だった。

 結婚式の二次会で面識はあるが、モデルといわれても納得できる面立ち、その上ここの近辺で一番大きな病院の受付嬢をしている気配り上手な女性だ。後輩の子の一番の相談相手だったようで、その結婚相手の課長も彼女に取り計らいを頼むほど、とても信用の厚い人なんだろう。

 社内でも社外でも、悟がその彼女と幹事になったと聞いた途端、合コン参加者が目に見えて増え、その処理に追われた。日程の調整、メンバーの調整だけでも相当時間が取られる。

 『マメなマメ橋』というあだ名の通り、マメに様々な案件を同時進行する処理能力は、同僚として見ても目を見張るものがある。

 もちろん参加者のひととなりもキチンと判断するため、情報収集にも出かける。ふらりと食堂へ、喫煙所へ、飲み会へ。

 便利に使われている、と忠告してくる人もいるけど、私はそう思わない。使われているだけじゃなく、その後その人脈が役立ったり、知識を生かした営業力で頼りにされたりとプラスの面の方がが多いくらいだ。悟が何のために忙しくしているか分かるだけに、私の『ただ逢いたい』という我が儘を言ってはいけないと自制する。


 「百合ー。洗面所にタオルないよー」

 「あっ、ごめんなさい」


 悟の声でハッと我に返った。

 いけない、落ち込む姿なんて見せられないわ。ぺちぺちと頬っぺたを軽く叩いて、洗面所にタオルを持っていく。手を拭き終えた悟からスーツの上着を受け取り、さっとブラシで払ってからハンガーに架けて置き、食事の準備を始めた。

 出来立てのおかずがあるので、汁物とあともう一、二品作ればよさそうだ。

 半冷凍になっていたニラを沸騰したお湯にザッといれ、味噌で味を付けたら溶き卵を流しいれる。仕上げに刻んで冷凍しておいた万能ねぎをパラッとかけた。沸騰直前に後輩の子から教わった削り節の粉を軽くかけて火を止める。冷蔵庫に半把残っていた小松菜を、冷凍庫にしまおうとしていた油揚げで煮浸しも作る。

 そして今日は新しいのを作ったので、在庫の冷凍キノコを取り出す。バターをフライパンに乗せてキノコを焼き、最後にぐるっと醤油をひと回しして完成。

 豆ご飯、ニラと卵の味噌汁、バター醤油キノコ、五目豆、切り昆布の煮付け、小松菜と油揚げの煮浸し。一人前ずつ小鉢に取り分けて食卓に並べたいけれど「おなかすいたー」と悟が急かすので、大きめの皿や椀によそった。

 肉や魚もメインに据えたいところだけど、料理に熱中するあまり時刻はすでに夜の九時前。重いものは明日に響くから、とやめておく。


 「わー、うまそ! いっただきまーす!」

 

 悟は、地味な料理だけど何も言わず、もりもりと料理を口に運んだ。私は、「年寄りの食事じゃねーんだよ」とか言われないかと気が気じゃなかったのに、そんな様子は微塵もない。

 どんどん減っていくおかず。

 嬉しいはずなのに、どうして気持ちが塞ぐのか――


 あっ。


 思い当たるのは、元彼。

 年寄りの食事、と言ったのは、元彼だった。

 ――地味な格好してんじゃねーよ、みっともねぇな!

 ――俺の前では、いつでも“ちゃんと”してろよな。

 ――大皿料理? 大家族じゃあるまいし、貧乏くせぇ。分けろよ。

 地味な格好、といっても流行をそう外したものではないし、私が食材を買ってきて、私が作ったものなのに、一から十まで文句を言われる。ちゃんとしてろ、とは親にも言われていたため、確かにそうだな、と薄化粧を施し、いつでもどこか緊張して過ごしていた。月日が経つにつれ、私に対する扱いがぞんざいになり、送ってくるメールは用件のみ。すぐに返事をしないと烈火のごとく怒り出すのはいつものこと。

 交際を申し込まれた前後の優しい彼を忘れられず、いつかまたあの頃の彼に戻ってくれるんじゃないかと期待して、言いかけた反論はぐうっと喉の奥に押し込む。

 いつか、わかってくれるだろう。

 いつか、きづいてくれるだろう。

 言いたいことを言わず、彼に尽くせばいいと思い込んでいたあの当時。

 ――しかし結局心が限界に達し、同僚の悟に飲み会の席で愚痴とも悩みとも取れない思いを洗いざらい話してしまった。

 そこから、悟が上手に取り計らってくれて、あっけないほど彼と別れることができたのだ。

   

 あれから、私は変わった? 変わることができた?


 思えば『自分で何かしよう』ではなく、『察して』欲しいだけだったのかもしれない。

 元彼は、言わなければ気付かないタイプ。

 悟は、言わなくても気付くタイプ。

 ――だから、私の事も同情して……?

 

 ことん、と箸を置く私に、悟は「どうした?」といぶかしむ。

 

 「あ……うん、なんでもな――」

 「なんでもなくないだろ」


 いつものように『なんでもない』と終わらせようとする私を、悟はピシャリと遮った。いつも温和な表情を崩さないのに、少し怒ったような顔で私をじっと見つめる。普段と違う真剣な顔に、私はびくりと肩を揺らした。自然と顔が俯き、下唇を噛んだ。

 同情から――そうよね、そう考えると自然かもしれない。

 マメなマメ橋だから、“同僚の一人として”陰鬱な考えに沈む私に気付いたのかもしれない。可哀想でみていられないから。可哀想だから。だから、手を差し伸べてくれたのかしら。元彼を吹っ切れるその日まで、傍にいて……

 幹事の彼女とよく連絡を取り合っているけれど、ひょっとして……

 そんなことを考えていると、悟が汁椀を持って啜りながら、「そうだ」と話し出した。


 「百合、あとで話があるんだ」

 

 「はな……し……?」


 ぽた。


 ひとつぶ、テーブルに滴が落ちた。

 

 ぽたたっ。


 ふたつ、みっつ……


 「ゆっ、百合!?」


 慌てて箸を置いた悟は私に近づき、蛇口が壊れたように泣き出した私を、ぎゅうっと抱きしめた。その温もりが、いまは辛いの……!


 「離して、悟」

 「どうした?」

 「お願い、離して!」

 

 語気を強めた私の口調に、悟はゆっくり私の背中に回した腕を解いた。

 解いてもらったくせに解かれたことが寂しいなんていえない私は、その空間を埋めるよう自分で自分を強く抱える。


 「百合、急にどうした? おれ何かした?」

 「……っ、ご、ごめんなさい……もう、大丈夫だから」

 

 子供みたいにボロボロ泣いてしまい、うまく喋ることが出来ない。こんな素の自分なのに、取り繕うことすら出来ないほど私は追い込まれる。

 言葉も、いつものように一旦考えてから口することが、出来なくなっていた。


 「もっ、もう、わたっ……私は、いい、の。いいから、さ、とるは、自由に……して?」

 

 自由に。

 同情から責任感に移ったのだろうけど、もう大丈夫。至らなさに気付くことが出来たし、早く解放しないと、彼女に堂々と会えない……でしょ。

 話がある、なんて改まっていうのは……きっとそういうことよね?

 苦しい。苦しい。

 けれど、私の我が儘で引き止めるのはいけない。

 自分の肩をぎゅううと力をこめて、まるで自分の殻に閉じこもるかのように小さくなった。

 それなのに、悟は――


 「…………へっ!?」


 目を丸くして、素っ頓狂な声を上げたのだった。





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