第八十九話
霊夢達は紫に連れられて、建物内の書物庫へやってきた。
書物庫の扉を開けた途端、魔法図書館や博麗神社の書物庫の扉を開いた時のような埃と黴と古紙が混ざり合ったような強い臭いがむっと鼻へ押し寄せてきたが、少し薄暗い書物庫の中が見えた途端、そんな臭いは気にならなくなった。
書物庫の中には、無数の巨大な本棚があり、その中に数えきれないほどの書物が格納されていた。しかもそれは、部屋の奥の方までずっと続いていて、部屋をほぼ埋め尽くしている有様だった。
書物庫のあまりの広さに紫を除く一同は愕然とし、そのうちの魔理沙が言った。
「な、なんだここは!? まるでパチュリーのいる魔法図書館みたいだぜ!?」
慧音が無数の本を目に映しながら、呟く。
「人間の里の、ありとあらゆる歴史書がある私の家の書物庫もこんなには広くないし、書物もここまで多くはない。なんなのだ、ここは」
紫が頷く。
「ここは天志廼の中で最も大きな書物庫よ。ここには様々な書物が格納されているわ。
それこそ、ありとあらゆる術式だとか、技の奥義書だとか、天志廼の歴史だとか、過去、幻想郷に起きた異変の資料だとか、歴代の博麗の巫女の記録だとかね」
紫の言葉の中に出てきた『過去の幻想郷に起きた異変の資料』という言葉を聞いた途端、霊夢は目の色を変えた。もしかしたら、この天志廼にしかない書物の中に<黒服>が犯人と思われる、今幻想郷に襲生きている異変の事が書かれたものがあるかもしれない。
霊夢は振り返り、紫に声をかけた。
「それって本当!? 異変の本はどのあたりにあるの!?」
紫は部屋の奥の方を指差した。
「異変に関する本なら奥の方よ。本棚の上の方に異変に関する書物みたいな事が書かれた紙が貼られているから、それを参考に探しなさい」
霊夢は頷くと、書物庫の奥の方へ飛び込むように走った。
その最中、本棚の上の方へ目を向けると、小さな紙が貼られているのが見えた。
そこに書かれている内容は本棚ごとに違っているため、この小さな紙で書物を整理しているのがわかった。『天志廼の歴史』、『製鉄の歴史』、『食物の歴史』と言った張り紙に目を配りながら歩いていると、そのうち紫が指差した場所へ辿り着いた。そこにある本棚の上部へ目を向けてみると、そこには『幻想郷を襲った異変の記録』と書かれた張り紙があった。棚の方には無数の古書が所狭しと言わんばかりに挟まっている。
(見つけた……!)
霊夢は早速本棚へ手を伸ばし、そのうちの一冊を取り出して開き、目を向けた。
そこには妖怪の名前と思われる者、その時の博麗の巫女の者と思われる名前、どういった事情が起き、どのような被害が出て、どのようにして解決されたかなどといった、『異変』の資料と思われる事柄がびっしりと書いてあった。それから察するに、昔の人々はかなり細かく『異変』を記録していたと思われる。
(こんなに細かく書くのね)
霊夢は呟いて本を本棚へ戻した。今とった本に目を通しても、今の幻想郷に起きている異変と似たような事は何も書かれていなかった。
霊夢は闇雲に探しても見つからないだろうと思い、立ち並ぶ本の背表紙に目を向ける事にした。
背表紙には古い日本語で様々な言葉が書かれていたが、霊夢はその内の二冊に注目した。そこに、ついこの前討伐した、八俣遠呂智の名前があったからだ。
(八俣遠呂智……!)
霊夢は思わずそのうちの一冊を取り、開いて読んだ。
そこには古い日本語で、八俣遠呂智の異変に関する事がびっしりと書かれていた。
『突如大いなる山へ現れ出でた白ひ魔の神。八つの頭を持つ蛇の姿を持つそれを、我らはかつて高天原の神、素戔嗚によって滅された八俣遠呂智と断定し、八俣遠呂智と呼称す。八俣遠呂智が吼へれば幻想の郷に異質な魔の気広がり、それに触れた妖怪達は狂ひ、人妖問はず襲ひ、八俣遠呂智の眷属となりふる』
昔の日本語であったが、そこに書かれていたのはかつて自分が母から教えてもらい、つい最近文の母親である大天狗と萃香の父親である童子から更に詳しく教えてもらった八俣遠呂智の伝説が書かれていた。
霊夢はその先が気になり、更にページを捲った。
『八俣遠呂智を倒すべく、代々幻想郷の原初の地を守り天照大神の一族の末裔、立ち上がる。
一族の末裔、草薙剣と呼ばれし神器を手にし八俣遠呂智に斬りかかる。八俣遠呂智、力を行使し一族の末裔ぶつかるが、一族の末裔の手により封印される。以後、この封印は幻想郷の大賢者達が護る』
霊夢は驚いた。この本には、八俣遠呂智に挑んだのは天照大神の一族の末裔とあった。
しかし、童子と大天狗から聞いた話によれば、八俣遠呂智に挑んで、封印したのはその代の博麗の巫女だ。即ち、その時の博麗の巫女は天照大神の末裔であったという事になる。それだけでも十分に驚けることだが、霊夢は天照大神の末裔などという者が存在していた事に驚いていた。それも、一族で存在していたというのだから更に驚きだ。
(天照大神の末裔かぁ……そんなものが、博麗の巫女をやっていた事もあったのね)
霊夢は更に頁を捲ろうとしたが、首を傾げてしまった。
そこから先がないのだ。いや、先はあったのだろうけれど、頁が千切り取られたかのように、根元だけが残っている。これは即ち、記録が抹消されているという事だ。
(記録が消されてる……?)
霊夢は手に持った本を戻すと、もう一冊の方を取り出してページを開いた。しかしそこには今仕舞い込んだ本の続きと思われる事柄は書いておらず、八俣遠呂智と素の眷属達、自分達が命名した暴妖魔素の事が図鑑のように細かく書いてあるだけで、八俣遠呂智が倒された後に起きた事件の事などは一切書かれていなかった。
(どうなっているの……)
霊夢は懐夢から聞いた話を思い出した。懐夢の話によれば、八俣遠呂智を封印した後、その時の博麗の巫女は『大罪』と呼ばれる事変を起こし、大賢者達の手によって八俣遠呂智のように封印されてしまったという事だ。以前はここまでしか知らなかったが、この前大天狗から、博麗の巫女が妖怪の山の妖怪達を、無差別に殺戮したというものが、博麗の巫女の犯した大罪であると聞いた。
あの頁は多分、博麗の巫女の大罪の事が書かれていた頁だ。それを誰かが遺していては拙いと考えて、破り捨て、完全に隠蔽したのだ。
(何で隠蔽なんか……ここは一般の図書館じゃないから遺しててもいいはずなのに)
いったい誰がそんな事をしたのだろう。
それに、そもそもあそこに書かれていた事はおかしかった。――巫女の名前がないのだ。
もし、博麗の巫女が八俣遠呂智を討伐したのであれば、天照大神の一族の末裔ではなく、博麗何某と書くはずだ。なのにあそこには名前も、博麗の巫女という事も書かれておらず、ただ天照大神の末裔である事しか書かれていなかった。
(その巫女、どんだけ都合悪い人物だったのかしら)
霊夢はそう思って、手に持っていた書物を本棚に戻し、ひとまず巫女について考えるのはやめる事にした。――今は幻想郷に起きている道の異変に関する資料を探すのが先決だ。
他に本はないかなと思って調べていると、また目を引く事柄が背表紙に書かれている本を見つけた。
(<黒獣>事変……?)
霊夢は聞いた事もない言葉が背表紙に書かれた本を取出し、頁をめくった。
紙は紙というよりも傷んだ布のような手触りだった。八俣遠呂智の本と同じように、古い日本語が達者な筆遣いで書かれている。
霊夢はこれならどうだと思い、文字を目で追った。
『妖怪、妖魔と言った魔の物達が集まる、我らの幻想郷で、かつての八俣遠呂智のものとは比べ物にならない異変起こる。
突如として、身体に花のような模様を描きし黒き獣現る。獣は妖怪、人間、問はず襲い、どんなに弓矢を射掛け、剣で斬り付けようとも立ち上がる。幾つもの兵達が倒れ、いよいよ博麗の巫女が現れた時に、黒き獣つひに息絶へる。かと思へば、黒き獣霧となりて消えゆ。黒き霧の中より、人間が現る』
霊夢は驚いた。ここに書かれている事は、今幻想郷で起こっている『黒い花』の異変そのものだ。
黒い身体を持ち、そこに花のような模様があり、凶悪な力を持ち、力尽きると黒い霧となって消える正体不明の存在が『黒い花』だ。やはり、過去にも『黒い花』の異変は起きていた。
霊夢は先が気になり、文字を追い続けた。
『その人間は、心に強き負の感情を宿していた。黒き獣は続けて現れ、博麗の巫女の手によって息絶へさせられると、今度は霧の中から妖怪現る。その妖怪もまた、心に強き負の感情を宿す。
この事から、我々は強気負の感情を宿す者、黒き獣となると推測す。そしてこの人妖問はず変化する黒き獣を<黒獣>』と呼称す』
霊夢は息を呑んだ。あの黒い花は、昔は<黒獣>と呼ばれていたらしい。
確かに、人間だけではなく、妖怪すらも変化してしまうから、妖魔とは呼べない。<黒獣>という呼称は『黒い花』に非常に合致しているものだと言える。
そして、<黒獣>は強い負の感情を宿すものが突然変異を起こして、出現するものだとある。
(強い負の感情を抱く者が、変化する……)
霊夢は片手で本を持ち、もう片方の手を顎に沿え、これまでに現れた<黒獣>について考えた。
まず黒い虎の姿をした<黒獣>。あれが倒した時には、酷い苛めを受けていて、両親を怪我させられた西の町の少年が中から出てきた。あの時の少年は慧音によると、自分を苛めて、両親を怪我させた苛めっ子達へ強い復讐心を抱いていたとの事だ。復讐心……立派な負の感情だ。
次に二つの頭を持つ黒い犬の姿をした<黒獣>。あれを倒した際には、防衛隊の女性が出てきた。その時居合わせた防衛隊の青年によれば、その女性は強さが身に付かず、隊長から苦言を受けていたという話だ。……この事から、多分その女性も何らかの負の感情を心に募らせていたのだろう。
(負の感情を持ち合わせていた者が、<黒獣>になる……)
だけど、それだとおかしい事になる。これまで、この幻想郷で強い負の感情を抱いていた者をごまんと見てきた。だというのに、誰一人として<黒獣>になるなどという事はなかった。<黒獣>が現れたのはごく最近だ。
そもそも、何故負の感情を抱いた事によって<黒獣>になってしまうのだろう。何が原因で<黒獣>が生まれるのか、それが何よりも気になる点だ。
霊夢はまだ何かないかと思い、本に目を向けた。
『何故<黒獣>が現るのかは不明。そして<黒獣>の身体がどうなっているのかも、不明。
ある者はある神が生み出しているものだと唱え、またある者は魔神の眷属だと唱え、またある者は異界の者だと唱えるが、どれにも信憑性無し。
我々は調査を続けたが、誰一人として<黒獣>の正体、及び発生条件を突き止める事叶わず、<黒獣>は幻想郷より姿を消す。それ以降、負の感情を抱きし者が現れても<黒獣>にはならず。
しかし、いつまた<黒獣>が現れるかは不明。よって、今後も<黒獣>の動きに注意していく』
霊夢は眉を寄せて、思わず「えぇっ」と言ってしまった。
<黒獣>がどうして生まれるのか、不明と書いてあったからだ。これでは、<黒獣>の正体が何なのか、どうして強い負の感情を抱くものが<黒獣>となってしまうのか、わからない。
「何で肝心な事が書いてないのよ……!」
だが、わかった事はあった。強い負の感情を抱いた者は、<黒獣>になる。そして、昔の人々が解き明かす事が出来なかった<黒獣>の異変が今再びこの幻想郷で起こっているという事だ。そして更に、その異変の真実を突き止めなければならないのは、自分であるという事だ。
しかし、自分は昔の人々よりも一つ多く、この異変を解決させるための鍵を見つけている。それは、<黒獣>を生み出しているのは<黒服>だという事を知っている事だ。<黒服>は自らが<黒獣>を生み出しているような口ぶりを見せていたから、間違いない。
この資料と併せて考えるに、<黒獣>は強い負の感情を抱いた人や妖怪に、<黒服>が何らかの手を加える事によって誕生するのだ。だから、この異変の中央にいるのは間違いなく<黒服>だ。<黒服>こそが、この異変を起こしている張本人に他ならない。しかもそれが自分と同じ姿をしているのだから、更に不快だ。
「あいつを倒せば……この異変は終わる……」
だが、<黒服>はそんな簡単には姿を現さない。しかも、<黒服>は自分よりも強い力を持っていて、本気を出しても倒せるかどうか怪しい。
だけど、自分には仲間がいる。共に、八俣遠呂智という強大な敵を倒した、仲間が。その仲間達と力を合わせれば、<黒服>だって倒す事が出来るはずだ。
いつ<黒服>が現れるかはわからない。だが、あいつの口ぶりから察するに、<黒服>は自分が辿り着く事を望んでいる。<黒服>と再び戦う時は、そんなに遠くないはずだ。
「ちょっと、頑張ってみようかな」
霊夢はそう言って、本を閉じた。




