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東方幻双夢  作者: クシャルト
邂逅編 第弐章 巫女と子
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第九話

 霊夢は引き続き、魔理沙と文を連れて森の中を歩いていた。

 森は鬱蒼と生い茂り、日の光があまり差して来なく、薄暗く、静まり返っていた。その異様な静けさが、森の不気味さにそのものに拍車をかけている。

 しかも、湿度はかなり高いようで、ジメジメと蒸し暑かった。


「何だか魔法の森よりも変な雰囲気の森ねぇ。ちょっと居て気持ち悪いかも」


「そうだな……じめじめしてて気持ち悪い森だぜ。妖怪も動物の気配もないし」


 妖怪と動物達は皆、突如として森の中に現れた竜の姿をした妖怪に襲われる事を恐れてこの森を逃げ出した。だから、森の中はこのように不気味なまでに静まり返っているのだ。

 ……まぁそのおかげで無駄な戦闘を行わず、手際よく森の中を進む事が出来ているのだが、やはり静まり返り過ぎていて気持ちが悪い。


「あぁ~もう気持ち悪い。さっさと妖怪倒してこの森出ましょう!」


 霊夢は一言呟くと歩行速度を速めた。魔理沙と文は突然霊夢が歩行速度を上げた事に焦り、置いて行かれまいと自分達の歩行速度も上げた。


 早歩きをしながら森の中を進んでいくと、広場のようなところに出た。

 しかし、そこはただの森の広場ではなかった。

 焼け爛れて崩壊した家屋があちこちに点在し、地面には多くの焼け爛れた木材が転がっており、広場の中心辺りには森の中へ続く小川が流れており、小川の上には木で出来た橋が架かっていた。

 更に、焼け爛れた家屋の近くの地面には畑の畝のように掘られた部分があり、ところどころに腐った野菜のようなものが転がっていた。

 ――まるで、村の跡地だった。


 霊夢と魔理沙と文は村の跡地を見るなり、呆然としてしまった。


「ちょっと……何……ここ……?」


「村の跡地……みたいだな。ここに、かつては村があったんだ」


 村の跡地を見て呆然とする二人の目の前に文が躍り出て口を開いた。


「ここはかつて、大蛇里という村が存在していた場所です」


 『大蛇里』。

 その言葉を聞いた途端、霊夢の中に強く、鋭い衝撃が走った。

 大蛇里……それは今神社で生活を共にしている懐夢の故郷の名。

 懐夢の口から何度も出てきた名。

 忌まれる理由など何もない、普通の村であったはずだと言うのに妙な連中によって破壊されてしまった哀れな村。

 まさか、今回の異変の地がそこの跡だとは思ってもみなかった。


 霊夢は何か、得体の知れない衝動に駆られて村の跡地の中央の方へと歩いた。

 途中魔理沙と文が呼びかけてきたような気がしたが、上手く聞き取れなかった。


 村の中央に来て、村をぐるっと見渡した。

 大蛇里の跡は無残だった。村の建物や家屋の壊され方を見るだけで、どれだけこの村が忌まれていたのかがよくわかった。そして、どれだけの憎悪をぶつけられて壊されたのかも、わかった。


 ……胸の中にひんやりとしたものが流れ込んできた。


 自分の役割は、博麗の巫女として幻想郷と幻想郷に住まう全ての存在を守る事。

 滅ぼされそうな存在があったならば、守らねばならない。絶対に。

 だのに、文の新聞を読むまで、この大蛇里の存在など知りもしなかった。

 結果として、この罪のない村の大蛇里は滅ぶ運命を辿ってしまった。

 自分がこの村を知らなかったばっかりに。

 その新聞を読んだ後、紫が神社にやってきて、自分を叱って来た。

 しかし、どんなに紫に叱られようが、全く反省する気にならなかった。自分の責任だとは思えなかった。

 何故ならば、滅んだ大蛇里などというところを、知らなかったからだ。大蛇里の存在は、滅亡の情報を聞いて初めて知った。それまで全く、大蛇里なんていう村も、そこに住まう住人の事も知らなかった。

だから紫から大蛇里の事をどうこれ言われても、何とも思わなかった。完全に紫の説教など聞き流していた。

 ―――過ぎてしまった事は、もう取り返しがつかない。だから、どう悔やんだってしょうがない。

 ずっと、そう思っていた。……懐夢に会い、大蛇里を目の当たりにするまで。


(懐夢がこれを見たら……どんな事になってしまうんだろう)


 生まれ育った故郷の変わり果てた姿を見て、呆然とする懐夢の姿が、安易に想像できた。

 そして自分もまた、懐夢を見て呆然としている。声を掛けれず、ただ呆然と……。


「おい、霊夢!」


 魔理沙に呼びかけられ、霊夢はふっと我に返った。

 振り返ってみると、魔理沙と文が、すぐ近くまでやってきていた。


「え……あ、なに?」


 振り返った霊夢を見て、文は首を傾げた。


「どうしたんですか霊夢さん。私が大蛇里って言葉を口にしたあたりから、貴方変ですよ?」


 霊夢は苦笑した。

 考え事をするのに夢中になってて、二人の存在、及びここに来た目的を忘れてしまっていた。

 文と魔理沙に声を掛けられたことによってようやく、二人の存在とここに来た目的を思い出した。


「何でもないわよ。ただ、酷い有様だと思っただけよ」


「そうだよな。ここ、忌まれる理由も何もない平穏な村だったのに、頭のおかしな連中に忌まれて、最後壊されちまったんだよな。村人達も、全員殺されて……ひどいもんだ」


 霊夢は首を傾げた。


「あれ、何であんた大蛇里の事知ってるの?」


「今文から聞いたんだよ。霊夢は聞かなかったようだけど、大丈夫なのか?」


「大丈夫よ。大蛇里の情報なら文の新聞と懐夢からみっちり得たから」


 魔理沙は首を傾げた。


「懐夢から?」


「えぇ。だって懐夢は……」


 霊夢の言葉を遮るように、大きな音が村の跡を中を木霊した。

 音は雷鳴にも似た、何かの鳴き声のようだった。


「な、何です!?」


 文が慌てて辺りを見回す中、霊夢の勘は動いた。

 ―――この声は、恐らく未確認妖怪の声だ。未確認妖怪は、このすぐ近くにいる。

 霊夢が文と同じように辺りを見回すと、魔理沙が少し焦ったような声を出した。


「霊夢、この声って!」


「えぇ。間違いないわ。これ、未確認妖怪よ。山から動物と他の妖怪を追い出した暴れん坊のね。文、注意なさい!」


 一斉に武器を構え、戦闘態勢を取ったその時、目の前の砂地の砂が突然舞い上がり、地響きがした。―――近くにあった少し高い丘の上から、何かがものすごい勢いで飛び降りてきたのだ。突然の事に三人は驚き、突如現れ砂埃の中に隠れている何かに対して身構えた。

 やがて砂埃が晴れると、その降ってきた何かの姿が露わになった。

 霊夢達の目の前に振って来たのは、青い鱗に身を包み、蜥蜴のような形をした大きな一つの身体から三つの頭を生やした竜の姿をした妖怪だった。勿論、こんなものを霊夢と魔理沙と文はこれまで見た事がない。

 紛れもなく、討伐対象の未確認の妖怪だった。

 霊夢は竜の姿を見るなり、微笑して構え直した。


「現れたわねぇ……未確認妖怪!」


 竜の姿を見て魔理沙と文は驚いた。


「なんだこいつは……!?」


「こ、こんな妖怪見た事がありません!」


 竜は大きな声を出して威嚇をしてきた。

 まるで、我が縄張りから出て行けと言っているようだった。


「なるほど。ここはもう自分の縄張りだとでも言いたいわけ。結構なご身分ね」


 霊夢が言った途端、竜の頭の内の1つがかっと口を開けた。

 次の瞬間竜の口内から火炎弾が発射され、それは真っ直ぐ霊夢の元へ飛んできた。


「ッ!」


 霊夢は飛んできた火炎弾を素早く回避した。

 火炎弾は霊夢から外れるとそのまま飛んでいき、焼け爛れた家屋に直撃すると爆発して焼け爛れた家屋を吹っ飛ばした。


「喧嘩っ早いこと! 魔理沙、文、やるわよ!」


 霊夢の声を皮切りに霊夢、魔理沙、文は上空へ舞い上がった。

 竜の首は上空へ舞い上がった三人の方を向き、がうっと吼えた。


「あっちは地上オンリーか!なら、空を飛べる私達の方が優位だな!」


 魔理沙は地に縛り付けられている竜を混乱させるかのように飛び回った。


「えぇ! スピードで引っ掻き回して目を回させてやりましょう! あと、動きが遅すぎて、撮影チャンスありまくりです!」


 文は高速移動しながらカメラを構えてシャッターを押し、竜の姿を何度も撮影した。


「文ったら相変わらずね!」


 文の様子に呆れながらも霊夢もまた同じように高速で飛び回った。しかし、意外にも竜の首は素早く飛び回る三人の動きについてきており、全く三人の動きに目を回している様子はなかった。

 それに三人は気付いておらず、飛び回り続けていた。


「今だ! 一気にスペルカードを仕掛けるぞ!」


 魔理沙の声を皮切りに、三人一斉に速度を緩め、スペルカードを発動させ、


「神霊「夢想封印」!!」


「光符「アースライトレイ」!!」


「突風「猿田彦の先導」!!」


 放とうとしたまさにその時、三つの竜の頭が三人の方向を向き、口を大きく開いた。

 次の瞬間、竜の口内より火の弾、冷気の弾、雷の弾が放たれ、三人はそれらの弾の直撃を諸に受けてしまい、大きく吹っ飛ばされ、地面に落ちて転がった。


 しかしその直後三人は何とかして受け身を取り、体勢を立て直した。


「こいつ……なんで私達の戦法を打ち破ったんだ!?」


「あんなに早く動き回ったっていうのに……!?」


 魔理沙と文が焦り、兢々とする中、霊夢は竜の攻撃によってできた傷の痛みを感じながらじっとあの竜について考えた。

 ……あの竜は霊夢達が高速移動から攻撃に転ずる瞬間を正確に捉えてカウンターを仕掛けてきた。

 いや、というよりも魔理沙が「仕掛けるぞ!」と言った瞬間に狙いを定め、スペルカードの発動に転じようとした瞬間に攻撃を仕掛けてきたような気がする。

 この事から、ある一つの答えが導き出せた。


(こいつ、こんな、見た目をしておきながら人の言葉を理解できている……!?)


 相手は未確認妖怪だ。人語を理解できるほどの知力を持っていたとしても不思議ではない。


(ならどうしよう……どうやってこいつを倒そう……よりによって属性三つ持ちだし……)


 恐らく、単純な方法でこいつを倒す事などできないだろう。

 どうにかして作戦を立てねば。

 と思っていた矢先、文が先程の仕返しと言わんばかりに竜に向けてスペルカードを発動させた。


「風符「天狗道の開風」!!」


 文は持ち前の紅葉型の扇から暴風を放った。放たれた暴風は真っ直ぐ竜の元へ向かい、やがて竜の身体に直撃したが、竜はびくともせず、暴風を飛ばしてきた文の方を向いて口を開き、再び冷気の弾を放った。


「っと!」


 文は冷気の弾の接近を確認すると持ち前の素早さで冷気の弾の射線から逸れ、もう一度スペルカードを発動させた。


「突風「猿田彦の先導」!!」


 文が叫んだ瞬間、文の身体が暴風に包みこまれた。そして文は、全身が暴風に包まれたのを確認すると持ち前の速度を持って竜の身体に突進を仕掛けた。

 もう少しで文の突進が竜の身体に炸裂しようとしたその時、竜はぐおんっと身体を回した。その時、竜の身体と共に回った尻尾が身体に迫った文に直撃。

 文の身体は尻尾を叩き付けられると大きく跳ね飛ばされ、轟音を立てて地面に激突した。


「文!」


 霊夢は文に飛びかけたが、文から答えは返ってこなかった。

 どうやら文は今の攻撃を受けて戦闘不能になってしまったようだ。


「なんて奴だ……文の攻撃にカウンターを仕掛けるなんて」


 魔理沙は驚きを隠せなかった。

 幻想郷最速を名乗る文の突進を、あの竜は弾いた。幻想郷最速の文の攻撃を、あいつは弾き飛ばした。そして、戦闘不能に陥らせた。

 その強さ、反射神経は明らかに、普通の妖怪の域を脱している。

 体が震えてきた。

 もしかしたら自分よりも強い妖怪かもしれない……。


「魔理沙!あいつに接近戦を仕掛けては駄目よ!遠距離攻撃に徹して!」


 その時、霊夢の声が耳に入ってきた。

 魔理沙は霊夢の指示を聞くと、竜の方を見た。

 確かに、あいつに接近すれば、今の文のように尻尾による反撃を喰らう事になるだろう。あんな一撃を喰らおうものならば、一溜りもないだろう。

 ここは霊夢の指示通り、遠距離攻撃に徹してあいつを倒すしかない。

 だが、本当にそれで大丈夫だろうか。

 あいつは先程、火炎弾、冷気の弾、雷の弾をこちらに向けて撃って来た。

 ……もしかしたらあいつは遠距離攻撃にも対応できる奴なんじゃないか。

 胸の底から不安が迫り上げてきたが、魔理沙は首を振ってそれを払い、竜の方を見直した。―――とにかく、攻撃するしかない。そして、倒すしかない。


「わかった!」


 魔理沙は頷き、再び箒に跨って地面から浮かび上がり、竜から距離を取った。

 竜はそれを素早く察知して飛び上がった魔理沙に向けて多量の火炎弾、冷気弾、雷撃弾を放った。

 魔理沙は飛んできた弾を避け続けたが、その途中で服と帽子のところどころを火炎弾、冷気弾、雷撃弾が掠めた。

 火炎弾、冷気弾、雷撃弾を掠めてしまった部分の服は吹き飛んだが、魔理沙は竜の放った全ての弾を避けきり、スペルカードを発動させた。


「星符「メテオニックシャワー」!!」


 魔理沙が持ち前のミニ八卦炉を前に突き出すと、ミニ八卦炉の中心から無数の星型の光弾が放たれ、星形の光弾はまるで流星群のように竜の体に襲いかかった。光弾の襲撃を受けた竜は、仰け反ったが、倒れはしなかった。


「続けていくぜ! 魔符「スターダストレヴァリエ」!!」


 魔理沙は続けて箒にしっかりと跨ると、星屑が伴う光を纏って流星のように飛び回り、そのまま竜の首三本に突進した。魔理沙の突進を受けた竜の首達は、脳震盪を起こしてふらついた。


「まだまだ行くぜ! 光符「ルミネスストライク」!!」


 魔理沙が再度持ち前のミニ八卦炉を前に突き出すと、ミニ八卦炉の中心から巨大な光弾が竜の体に向けて発射され、光弾の直撃を受けた竜の体は大きくふらついた。


 ……まだ、竜は倒れない。


「くそ……まだ終わらないのかよ!」


「いいえ! 次で終わらせるわ!」


 魔理沙は攻撃を終えた後、霊夢の方を見た。見てみれば、霊夢の横に先程竜の攻撃を受けて倒れていたはずの文の姿があった。

 魔理沙はいつの間にか復活している文に驚いた。


「あ、あれ文!? お前さっき戦闘不能になったんじゃ?」


 文はウインクした。


「霊夢さんが回復の札を使って起き上がらせてくれたんですよ! 魔理沙さんが竜の注意を引いてくれてる隙に」


「えっ! 霊夢お前そんな札持ってたのかよ!?」


 霊夢は誇らしげに札で扇子を作って自分を仰いだ。


「えぇ持ってたわよ。使わなかっただけで。ありがとう、あいつの気を引いててくれて」


 魔理沙は溜息を吐いて苦笑し、霊夢の隣に並んだ。


「なんだよ……持ってるなら持ってるって言えよ! っていうか、あの時お前文を回復させてたのか。道理でお前の攻撃が来ないなって思ったよ」


「えぇ。あのまま放っておいたら、色々とやばそうだったから。それよりあいつだけど……」


 三人は魔理沙の攻撃を受けて脳震盪を起こしている竜の方を見た。

 竜はふらついて、こちらを捉える事すら出来なくなっている。

 文は今だと言わんばかりにカメラのシャッターを押しまくった。


「おぉ! 丁度いいタイミング! パシャパシャパシャ」


「いつまで撮ってんのよ」


 霊夢は起きて早々写真を撮りまくっている文の頭に拳骨した。

 文は霊夢の拳骨を受けると拳骨を受けた頭を押さえて痛がった。


「まだ撮り足りない?」


「今終わりました。これだけあれば十分です……」


 文は霊夢の問いかけに答えて竜の方を見た。


「今あいつはふらついて、私達を見る事すら出来なくなってる。倒すなら今しかないと思うぜ」


「えぇ。間違いないわ。倒すなら、今だけね」


「撮影も終わりましたし、一気にやっちゃいますか!」


 三人は言い合うと竜へ突撃を開始した。


「まず文のスペカであいつを上空に打ち上げて魔理沙のスペカで追撃して私のスペカで止めを刺す三位一体でいくわ! それでいいわね!?」


 霊夢が戦法を魔理沙と文に伝えたその時、竜が目を覚まし、三人に向けて三つの首それぞれから放たれる火炎弾、冷気弾、雷撃弾による弾幕を展開した。

 三人は弾幕の接近を確認すると、弾と弾の間を縫うように通り抜けて弾幕の中を脱した。

 そして文はその素早さで竜が気付く前に竜の腹の下に潜り込みスペルカードを発動させた。


「竜巻「天孫降臨の道しるべ」!!」


 文が叫ぶと文を中心に凄まじい竜巻が発生し、竜の身体は巻き起こった竜巻によって宙に打ち上げられた。そしてそれを待ってましたと言わんばかりに魔理沙が竜のいる上空よりも更に上でスペルカードを発動させた。


「星符「ドラゴンメテオ」!!」


 魔理沙が再びミニ八卦炉を竜に向けて構えると、ミニ八卦炉の中心より魔理沙の身の丈を遥かに超えるほどの太さの光線が発射された。光線は竜の体に直撃し、光線を受けた竜はまるで水に押し流されるかのように地面へ真っ逆さまに落ちていき、轟音を立てて地面に激突した。

 そしてその直後、無防備になって倒れている竜の腹に霊夢が上空よりすたっと降り立ち、スペルカードを発動させた。


「神技「八方鬼縛陣」!!」


 霊夢が叫んで竜の腹に両手で札を張り付けると、霊夢を中心に上空へ立ち上る結界が発生し、膨大な霊力が竜の体の中に流れ込んだ。

 竜は霊夢の結界を受けると、そのまま動かなくなった。


 魔理沙は上空から地面へ降り、箒から降りた。

 文もまたそれに続いて霊夢の隣に降り立った。

 魔理沙は霊夢の隣まで歩くと、霊夢に話しかけた。


「やったのか?」


 霊夢は頷いた。


「……随分と強い奴だったわね」


「そうだな……こんな奴、初めて見るぜ」


 死体となった竜の妖怪を見ていると、文が再び上空へ舞い上がって竜の死体をカメラで撮り始めた。

 ……もう霊夢と魔理沙は気にはしなかった。


「それにしてもこいつ……一体何なのかしら。突然変異か何かかしら?」


 霊夢はまじまじと竜の体を見つめた。ここ幻想郷の妖怪は、突然変異して性格も姿も全く違うものになる事がある。しかし、妖怪がどれだけ突然変異して姿を変えても、変異する前の面影は必ず残る。それによってこの妖怪が元々何の妖怪だったのかがわかるのだが、この妖怪はどんなに姿を見ても、変異元の妖怪が思いつかない。

 これから察するに、この妖怪は突然変異した妖怪ではなく元からこの姿、この強さを持った妖怪だったのだ。


「突然変異じゃない……じゃあ元からこんな妖怪だったっていうの……?」


 霊夢が顎に手を添えて呟くと、魔理沙が横目で霊夢を見た。


「そもそもこいつは妖怪なのか?見た感じ妖怪じゃないような感じするぜ?」


 霊夢は魔理沙を横目で見返した。


「こいつは歴とした妖怪よ。こんな姿をしてはいるけれど、ちゃんと妖怪の持つ"気"を感じとれたわ。問題は何故こんなのがいきなり現れたのかなんだけど……」


 霊夢は竜の体を再び見てこの妖怪の事を考えようとしたが、いくら考えても答えが浮かぶ事はなかった。


「あぁん考えても答え出てこないわ。考えるのやめたッ。こんなのがまた出てこない事を祈って帰りましょう」


「そうだな。疲れたし、さっさと帰るに限るぜ」


 魔理沙がため息交じりに言うと文が霊夢の隣に降りてきた。

 文はカメラを両手に持ってにこにことしていた。


「いっぱい撮れた?」


「はい! 明日の新聞はこれで決まりです!」


「そりゃよかったわね。じゃあ、帰りましょう」


 霊夢が言い、魔理沙と文が元来た森の入口の方へ向かい出し、霊夢も同じように元来た森の入口の方へ向かおうとしたその時、地面のある部分が光ったのが見えた。


 霊夢は不思議に思い、その光った地面に近付き、しゃがみ込んでその地面を見た。

 何かが埋まっていて、その角と思われる部分が地中から地面へ出ている。


「なにこれ?」


 霊夢はそれに手を伸ばし、掴むとそのまま引っ張り上げた。

 霊夢に引っ張られて地中から出てきたそれは、角に鉄の装飾が付いた木箱だった。

 箱は少し焼け爛れていて、地中に埋まっていたため土がついていた。


「何か入ってるのかな?」


 中身が気になり、開けようとしてみると箱は簡単に開いた。

 中には、人里の文房具屋に売っている緑色表紙の筆記帳が入っていた。木箱に入っていたおかげか、無傷だった。

 霊夢は筆記帳を手に持ち、表紙を眺めた。―――表紙には何か文字が文字が書いてあった。

 そしてその文字を見た途端、霊夢は頭の中が麻痺したような気になった。


―――筆記者 百詠愈惟―――


 百詠。懐夢と同じ姓名だ。

 愈惟。懐夢の母親と同じ名だ。


「百詠……それに愈惟……これって……!」


 間違いない、懐夢の母親の遺品だ。

 まさか遺品が残っているとは思ってもみなかった。


「何か書いてあるかな……?」


「おーい霊夢ー! どうしたんだー!?」


 霊夢が筆記帳を開こうとしたその時、魔理沙の声が聞こえてきた。

 見てみれば、魔理沙と文が森の入り口でこちらの方を向いて手を振っていた。どうやらこちらを心配して声をかけてきたようだ。


「何でもなーい! 今行くー!」


 霊夢は筆記帳を懐にしまうと魔理沙と文の元へ駆けた。筆記帳の中身はとりあえず神社に戻ってから確認する事にした。



                  *



 大蛇里のあった森を去り、神社まで帰ってきた。帰ってくる頃には日はすっかり暮れて、夜になっていた。


「……なんであんた達までついてきてるわけ?」


 霊夢は溜息を吐いた。何故なら、魔理沙と文が自分の住まいに帰らず、神社までついてきたからだ。

 霊夢の何故帰らないという問いかけには、霊夢の目の前に躍り出た文と魔理沙が答えた。


「博麗神社の新たな住人、百詠懐夢さんに顔を合わせておこうと思いまして。ほら、私まだ懐夢さんと顔を合わせた事がなかったので」


 文は懐夢が博麗神社に住まい出した一週間後辺りに懐夢の情報と存在を知っていたが、まだ懐夢と直接顔を合わせた事はなかった。だからこの機会に博麗神社の新たな住人、懐夢と接しておこうと考えたのだ。

 文の言い分を聞いた霊夢はとりあえず文の事情を把握した。


「なるほどねぇ。で、魔理沙は?」


 魔理沙は笑って答えた。


「私は懐夢にきちんと文を紹介するために来たぜ。文は突撃取材天狗だから、会って早々突撃取材されて懐夢が怖がらないか心配でな」


 霊夢は再び溜息を吐いた。


「そう。勝手にするといいわ。でもね、ついてきたからには、夕飯の準備、手伝ってもらうわよ」


 霊夢が表情に怪しげな笑みを浮かべて言うと、魔理沙と文は意外にも文句を言わずに頷いた。

 霊夢はとりあえず魔理沙と文を連れたまま、玄関に上がって帰って来た事を懐夢に伝える「ただいま」を言ったが、「おかえり」は返ってこず、神社の中は静まり返っていた。


「あれ? 懐夢いないのか?」


「わかんない。さっき神社の台所の方に明かりが灯ってたのが見えたから、いるとは思うんだけど」


 こんなに暗くなったと言うのにまだ出歩いているのかと不安になりながら魔理沙と文を連れて明かりが灯っていた台所へ行ってみると、台所の椅子に腰を掛けて俯いている懐夢の姿を見つけた。懐夢を見つけた途端、不安は消え去った。


「なんだ、懐夢いたんじゃない。ただいま」


 霊夢が言うと懐夢は霊夢と目を合わせた。


「……おかえり……」


 霊夢は首を傾げた。普段元気な声を出す懐夢が耳を澄まさなければ聞こえないくらいの小さな声を出して答えを返してきた。表情も普段はお日様のように明るいというのに、今は曇った夜空のように暗い。

魔理沙も懐夢の異変に気付いたようで、首を傾げていた。

 しかし、そんな二人を跳ね除けるかのように文が興奮した様子で懐夢に近付き、話しかけた。


「おぉー! 貴方が博麗神社の新住人の百詠懐夢さんですか! 話には聞いてましたが実物を見るのは初めてです!」


 懐夢は突然迫ってきた文に吃驚した様子を見せた。文はそれを悟ると、おっとと言い、懐夢に名乗った。


「いきなり迫ってしまってすみません。私は文々。新聞を発行している新聞記者の烏天狗、射命丸文という者です。私を呼ぶ時は文ちゃんと呼んでくださいね」


 懐夢は文の自己紹介を受けると何も言わず頷いた。


 文と懐夢が初対面し合うその最中、霊夢はある事に気付いた。

 懐夢の座る椅子の前のテーブルに一人分の食事が出ているのだ。―――この前と同じように懐夢が作ったのだろうか。

 料理が気になった霊夢は懐夢に声をかけた。


「この料理……貴方が作ったの?」


 懐夢は首を横に振った。


「……慧音先生が……作っていってくれた……僕は……食べた……」


 霊夢は軽く驚いた。テーブルに乗るこの料理の数々は、慧音が作っていったというのだ。


「慧音が? なんでまた?」


 懐夢は答えず、俯いた。

 霊夢がもう一度声をかけてみると、懐夢は椅子から立ちあがり、居間の方へ歩き出した。


「ちょっと、懐夢!」


「……お風呂……沸かして……くる」


 懐夢は一言言うと、今を通り過ぎ、風呂場の方へ去っていった。

 その様子を、三人は首を傾げてみていた。


「な、なんだかとてもクールな男の子ですね」


 文が苦笑すると、魔理沙は首を横に振った。


「違う。懐夢はもっと明るくて元気な奴だ」


 霊夢はそれに頷いた。


「あの子……落ち込んでるわ。あの子は普段、もっと明るい子なんだけど……あんなになってるって事は、何かあったに違いないわ」


 先程懐夢の口から慧音の名が出てきたから、慧音に怒られたのだろうか。

 そしてなぜ、その慧音は自分と懐夢に夕飯を作っていってくれたのだろうか。

 ……考えたら、頭の中がこんがらがってしまった。先程の竜との戦いのせいか、上手いこと頭が回ってくれない。


「慧音に怒られて落ち込んでんだよきっと。そのうち元の調子に戻るって」


 魔理沙はじっと風呂場の方を見る霊夢の肩に手を置いた。

 意外と立ち直りの早い懐夢の事だ。心配しなくともすぐに立ち直ってくれるだろう。


「ところで霊夢さん。霊夢さんの分の食事はありますけど、私達の分の食事は……」


「ない」


 霊夢が堂々と言い放つと文と、肩に手を乗せていた魔理沙は肩から手を離してずっこけた。


「そりゃないぜ!」


「そりゃあるわよ。だって私の分の食事もう出来てるんだもん。ご飯が食べたいなら自分ん家帰えりなさい。もう目的済ませたでしょう?」


 霊夢が言うと、魔理沙と文は顔を合わせて表情を暗くした。

 そういえば、もう懐夢と会うという目的は達成されていた。よって、もう博麗神社にいる意味はない。


「わかったよケチ巫女! じゃあな!」


「懐夢さんが立ち直ったらまた来ますね!」


 魔理沙は不貞腐れた様子で、文は少し嬉しそうな様子で、台所から境内へ出て、夜空へ飛び立ち自分の住処へ帰っていった。台所には、霊夢一人だけが残された。


「さてと……何があったか……話してくれるかしらあの子」


 霊夢は懐夢の向かって言った風呂場の方を見た。



                *



 食事を終え、食器を片付け、懐夢の向かった風呂の方に行って見ると、竈の前に懐夢の姿はなかった。

脱衣所に入り、衣服を脱いで風呂場に入り、懐夢の沸かしてくれた風呂に入ってみると、湯の中に懐夢の垢と髪の毛が僅かに浮いていた。

 どうやら、霊夢が食事をしている間にささっと沸かしてささっと風呂に入ってしまったようだ。

 別に嫌な気はしなかった。懐夢が風呂を沸かして戻ってきたら、先に入れてやるつもりだったからだ。

 ……まぁ言う前に入られてしまったが。


 風呂から上がり、寝間着を着て火と湯の始末を終えて寝室に戻ってくると、懐夢が布団を敷いて眠っていた。見てみれば、ちゃんと霊夢の布団も敷かれている。


「聞く前に寝ちゃったか」


 霊夢は苦笑して布団に腰を下ろした。懐夢はくぅくぅと寝息を立てて眠っている。

 霊夢は懐夢が完全に寝入っている事を確認すると、今までずっと持っていた懐夢の母親、愈惟の筆記帳を取り出して開き、一ページ目をめくった。


「さてと……何々……」


――記入日 水無月の十五の日(六月十五日)

 今日私は結婚した。式を挙げ、皆にお祝いされる中で私は矢久斗と結婚した。

 昔からの言い伝えで水無月に結婚をすると幸せになれるということもあってか、母さんと父さんは結婚式を水無月に選んでくれた。

 私と矢久斗は幼馴染だ。彼のことなら何でも知っているつもり。だって小さい頃からずっと一緒だもの。趣味も、得意な事も、好きな食べ物も、癖も、特徴も。みんな知ってる。

 そんな彼と私は結ばれたのであった。―――


 一ページ目にはそう書かれていた。

 これは、日記帳だ。懐夢の母親の、日記帳だ。


 霊夢は次のページをめくった。


――記入日 文月十二の日(七月十二日)

 私達は母と父の仕事を継ぎ、行商を始めることにした。

 二人で旅をしながら一ヶ月に二~三度里に戻る。

 色んな所に行って、色んな物を売って、色んな人に会える、楽しい仕事だ。

 何よりも、矢久斗と一緒なのがいい。二人きりで、旅ができるのだもの。

 でも、もう一人……ほしいかな……?――


 霊夢は翌年までページを飛ばし、興味深いところを見つけてそこを読んだ。


――記入日 皐月一の日(五月一日)

 ……やっちゃった。

 私達……やっちゃった。

 私、まだ一八なのに……やっちゃった。

 何をしたかは、恥ずかしいのであまり詳しく書かない……。

 あぁもう、もう書くのやめるっ。――


 霊夢は吹き出し、笑いを押し殺すと少しページを飛ばし、開いた。


――記入日 皐月一五の日(五月二五日)

 吐き気がひどい。今日だけでも三回も戻してしまった。ほんと、急に来た。

 矢久斗が吐き気に聞く薬草を取ってきてくれて、煎じて飲ませてくれたけど、あまり効果は見られなかった。

 でも、いいんだ……これで。だってこれ……つわりだもの。

 行商はひとまず休む事になった―――


 霊夢はまた数ページを飛ばして開いた。


――記入日 長月一七の日(九月一七日)

 夏が過ぎ、涼しくなってきたころ、お腹が大きくなってきた。

 私と矢久斗の間に出来た赤ちゃんが、今私の中にいる。

 小さな命が、私のお腹の中でしっかりと育っている。

 生まれるのはいつ頃になるかな。

 早く生まれてきてね……――


 霊夢は呟いた。


「小さな命……なるほど、これが……」


 霊夢はまた数ページ飛ばして開き、開いたページを諳んじた。


――記入日 師走十一の日(十二月十一日)

 秋が過ぎて寒くなって、雪が舞い始めた頃、お腹はもっと大きくなり、中の赤ちゃんが動いたり、お腹を蹴ったりするようになった。

 本来矢久斗は冬になると冬眠を始めるけど、私の妊娠もあってか、我慢してくれた。流石にこれにはびっくりした。

 矢久斗とお腹の子はどんな子に育ってほしいかっていう話になって、矢久斗は明るくてやんちゃで元気な子がいいと言った。

 でも私は違った。私は優しくて、素直な子に育ってほしいと言った。矢久斗も、頷いてくれた。

 もうすぐ……もうすぐ会えるね……待ってるよ。―――


 霊夢はまた数ページ飛ばして開き、諳んじた。


――記入日 如月十二の日(三月十二日)

 暖かくなり、色んな動植物が顔を出し始めた頃。

 とうとう、出産予定日二日前になった。もう二日すれば、赤ちゃんを産める。

 ようやく、赤ちゃんに会う事が出来る。私達の子に…会う事が出来る。

 でも、なんだか不安で仕方がない。本当に無事に産めるか……怖い。

 けれど、ここまで頑張って来たんだ。無事に……産むぞ。

 私と矢久斗の―――~~~----~~~--~~--~~~~~~-~~~~~~~~~~


 霊夢は驚いた。途中で文字が乱雑な線に変わっているのだ。


「書いてる最中に何かあったの……!?」


 霊夢は慌てて次のページを開いた。


――記入日 如月十五の日(三月十五日)

 生まれた。とうとう生まれた。

 大勢の人に囲まれる中、私と矢久斗の子が……赤ちゃんが一三の日に生まれた。

 私と矢久斗と両親は飛ぶように喜んだ。

 赤ちゃんの産声を聞いたその時、私と矢久斗は泣いてしまった。

 里のお医者さんの話では、赤ちゃんは男の子らしい。とっても……可愛い子だ。

 おっと、今日はこの辺にしておこう。赤ちゃんが泣き出しちゃった。


 霊夢は微笑み、次のページをめくった。


――記入日 如月十六日(三月十六日)

 私達は困っていた。そう、赤ちゃんの名前だ。

 生んだはいいものの、この子の名前の事などすっかり忘れていた。

 一応この子は蛇の妖怪と人の間に生まれた子だから、蛇にまつわる名前を矢久斗が提案してくれたが、どれもしっくりこなかった。

 近所の人達にも相談してみたけれど、全然駄目。いい名前が全然出てこない。

 私も同じように考えたけれど、まるで駄目。

 困ったなぁ……この子の名前、考えておくんだった。

 馬鹿だなぁ、私……―――


――記入日 如月十七の日(三月十七日)

 私と矢久斗は赤ちゃんを連れて、博麗神社に向かった。

 この神社の御利益は知らないけれど、お賽銭箱にお賽銭を入れて、この子がすくすく成長してくれる事を祈れば、きっとそのとおりになるはず。

 石畳を上り、神社の前に来てみると、小さな女の子とその親と思われる女性の姿が石畳を箒で掃除しているのが見えた。

 女性に聞いてみたところ、女性は博麗神社の巫女さんで、この女の子は巫女さんの娘らしく、八歳で、名前は霊夢ちゃんというそうだ。

 霊夢。霊に夢と書いて霊夢。

 いい名前だと思っていると、赤ちゃんがあうあうと動き出した。どうやら霊夢ちゃんが気になったらしく、霊夢ちゃんに向けて手を伸ばしている。

 そういえばこの子は誰にでも興味を持って手を伸ばしたり笑ったりする。その事から、近所の人気者になっている。人懐こい……のかな。

 私はこれらのことと霊夢ちゃんの名前にぴんと来た。

 人懐こいの懐に、霊夢ちゃんの夢、懐く夢、懐夢(かいむ)と言う名前ができあがった!

 早速矢久斗に言ってみると、矢久斗も大喜びして頷いてくれ、お参りを済ませて里に帰って両親、近所の皆に言ってみたところ、同じようにいい名前だと頷いてくれた。

 ……百詠懐夢。それがこの子の名前だ!―――


――記入日 如月十九の日(三月十九日)

 今日、懐夢について村長に呼ばれた。

 村長が言うからには懐夢は不安定な体質らしく、病気にかかれば人や妖怪よりも簡単に死んでしまうかもしれないらしい。半妖だから……

 私はそれを聞いて少し悲しくなった。せっかく生まれてきたのに、すぐ死んじゃうかもしれないから。

 でも、村長の言っていた事を現実にはしたくなかった。

 だって、懐夢は……私達の間に生まれてきてくれたたった一人の子だもの。

 何としてでも、この子を立派な子に育て上げてみせる。

 村長の言っていた事を、裏切ってやる!


 霊夢は数ページ飛ばして諳んじた。


――記入日 卯月二十の日(四月二十日)

 懐夢だけど、色々な事がわかってきた。

 懐夢は私似だ。髪の毛の色も瞳の色も、私と同じ色だし、顔のつくりも私にそっくりだ。

 懐夢は少食だ。お乳をあげても、一回に少ししか飲まない。

 栄養が足りなくなったりしないのだろうかとお医者さんに相談してみたところ、大丈夫だと言われた。単純に、多く食べない子なんだそうだ。

 懐夢は夜泣きしない子だ。他の赤ちゃんがよく夜泣きするのに対し、懐夢はほとんど夜泣きしない。

 懐夢は可愛い子だ。色んな人に手を伸ばして、可愛い笑顔を見せる。

 もう、可愛くて仕方ない!


 霊夢は数十ページ飛ばして諳んじた。しおりが挟まっていて、「懐夢一歳」と書かれていた。


――記入日 霜月二十九の日(十一月二十九日)

 寒くなり始めた頃、懐夢が熱を出してしまった。

 どうやら、寒さに滅法弱い体質らしい。これ矢久斗譲りだな。

 矢久斗は寒さに弱い蛇の妖怪。だから、冬眠する。冬眠して寒さから身を凌ぐ。

 でも懐夢は違う。懐夢は、人間寄りの半妖だから、冬眠する事はできない。

 寒さから身を守る事が出来ない。誰かの手に頼らなければ。

 冬の間は矢久斗が居なくなるに等しいから、私一人で懐夢の世話をする事になる。

 頑張らなくちゃ。私が頑張らなかったら誰が頑張るんだ。

 懐夢を精一杯守ってあげなきゃ!


 霊夢は数十ページ飛ばして諳んじた。しおりが挟まっていて、「懐夢六歳」と書かれていた。


――記入日 睦月七の日(一月七日)

 懐夢はすくすくと育っている。私が望んだ素直で優しい子に、育ってくれている。

 日中は厚着を着て里の子供達と寒さを吹き飛ばす勢いで遊び、夜になると私から色んな事教わる。

 これまで、色んな事を懐夢に教えた。料理の仕方、掃除の仕方、軽い計算の仕方、洗濯、家事、縫い物、文字書き、人と接する時の礼儀作法等々、数えたらきりがない。

 懐夢はこれらすべてをしっかりと覚えてくれた。教えた事は一回で覚えて、忘れない。

 悪い事をして、叱ってやると、それ以降もう絶対にそれをしない。

 私は魂消ながらも喜んで懐夢に色んな事を教えた。懐夢に物事を教えるのが、楽しくて仕方なかった。

 矢久斗が冬眠から目覚めたら、色んな事を覚えてこなす懐夢に驚くだろうな。

 それと懐夢はよく、夜になると甘えてくる。

 聞いてみたら、村で一番大好きなのは私なんだそうだ。

 六歳になっても、まだまだ甘えん坊のお母さんっ子だ。


――記入日 睦月十九の日(一月十九日)

 懐夢の事で、少し困った事があった。

 この子は本当に人懐こい子なんだけど、警戒心がまるでない。

 誰も疑わず、ほいほいと信じてしまう。例え他所の人でも、怪しい人でも。

 それで里の意地悪な子供にからかわれたり、問題に巻き込まれることが何回かあった。

 なんでだろう?なんでこの子には警戒心がないんだろう?もしかして、育て方が悪かった?先天性?後天性?

 ……とにかく、この子の警戒心は著しく低い。

 厳しく躾けて、養わなきゃ。そうでないと、この子はきっと生きていけない。

 人懐こいとはいえ、少しは人を疑わせ、警戒するように教えてあげないと。

 矢久斗が起きたら矢久斗にも協力してもらおう!

 頑張らなきゃ!


 霊夢は日記を閉じた。

 霊夢は日記を寝室の角の方にある棚の中に仕舞うと、すやすやと眠る懐夢の枕元に腰を降ろし、その額へ手を伸ばし、ゆっくり、優しく撫でた。


「まさか貴方の名前のモデルが私で、九年前の三月のあの時に神社に来た夫婦に抱かれてた赤ちゃんが貴方だったなんてねぇ……」


 そして何より、懐夢は両親からたっぷり愛情を注がれて育てられた。愛し、愛されて、育ったのだ。きっとあのまま襲われなければ、もっともっと愛情を注がれながら成長していった事だろう。

 けれど、懐夢は愛情を注いでくれる人達からもぎ離された。気の狂った奴らによって。


「……あんなに愛されてたのに……愛してくれる人と村を奪われてしまったなんて……愛してくれる人からもぎ離されてしまったなんて……」


 さぞ、辛く、悲しく、苦しかっただろう。

 ……やるせなさが胸の底からこみあげてきた。自分でも、瞳が揺れているのがわかる。

 懐夢の額を撫で、額から頭へ手を移したその時、懐夢の口がかすかに動き、懐夢の少し開いた口から声が出た。


「……お…………かあ……さ……ん……」


 その一言を聞いて、霊夢は手を止めた。

 懐夢はきっと今、亡き母と一緒にいる夢でも見ているのだろう。

 懐夢はきっと、寂しいのだ。両親を失った時、心に出来た生々しい傷はまだ癒えていない。

 懐夢は常に人の事を考える子だから、自分や皆に心配を掛けまいと、自分や皆の前ではそれを無理矢理押さえ込んで我慢して、素直で優しい、元気な少年として振る舞っているのだろう。

 寂しさを、じっと我慢しているのだ。


 霊夢は懐夢の額から手を離すと、懐夢の体を少し左に動かした。

 そして掛布団を捲り、懐夢の布団の右側に滑り込んで、左を向いて寝転がると、掛け布団を元に戻し、懐夢を右に向かせ、そのまま慣れない仕草で懐夢を抱いた。


(この子寂しさを……どうにか癒してあげられたら……)


 霊夢は瞳をゆっくり閉じた。


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