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東方幻双夢  作者: クシャルト
黒花編 第捌章 天志廼
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第八十三話

「痛ぁ……」


 寺子屋の教務室で慧音から治療を受けながら、妖夢は頭を頻りに撫でて、呟いた。

 痛がる妖夢に、慧音は心配そうな表情を顔に浮かべて問うた。


「大丈夫か、妖夢」


 妖夢は慧音に掌を向けた。


「大丈夫です慧音先生。ちょっと腫れているだけですから」


「しかし君は竹刀が折れるくらいに強い一撃を頭に受け、さっきまで脳震盪を起こして動けなかったではないか」


 妖夢は返事をしなかった。

 妖夢は懐夢の一撃を受けて倒れ伏したのだが、その際に脳震盪を起こしてしまい、動く事が出来なかった。動けるようになったのは、その時からしばらく経った後だったのだが、立ち上がっても千鳥足で、慧音や学童達の肩を借りなければろくに歩く事さえ出来ない有様だった。


「だけど、八俣遠呂智やその眷属達との戦いと比べればどうって事ありません」


 慧音の顔に静かな怒りが浮かぶ。


「何故そんなものと比べるんだ。君をこんなふうにしたのは、君より六歳も年下の学童だぞ。こんな事、あり得るものか」


 妖夢は慧音に静かに問いかけた。


「慧音先生はご存知ではないのですか」


 突然の問いかけに慧音はきょとんとする。


「何がだ」


 妖夢は慧音の目を見つめた。


「懐夢君があんなふうになった理由です。私達は前に彼と一緒に温泉に行った事がありますが、あの時の彼と今の彼が同一人物である事が信じられません」


 妖夢の言葉には慧音も同じ気持ちだった。妖夢を叩きのめした時の懐夢は、今まで自分の授業を楽しそうに聞いてくれる勉強熱心な懐夢とは違うものに思えた。妖夢に竹刀で容赦なく斬りかかる懐夢の姿は今でも鮮明に思い出せるのだが、あの時の、唸り声を上げて、まるで飢えて狂った獣のように対象へ襲いかかる懐夢の姿を思い出すと、胸の中が冷たい氷水が流れ込んだように凍え、身の毛が毛羽立つような悪寒に襲われる。それほどまでに、慧音はあの時の懐夢が恐ろしくてたまらなかった。しかも懐夢があんなふうになってしまった理由は一切わかっていないから余計に質が悪い。

 慧音は顔を片手で覆って、妖夢に言った。


「同感だよ妖夢。私だって、あの時君に襲いかかったのが私の授業を聞いてくれていた懐夢と同じだなんて信じたくない。だが、あの子は間違いなく、私達の知る博麗懐夢だ」


 妖夢は「そうですか……」と言った後に俯いた。

 慧音もまた同じように俯き、黙ったが、すぐに妖夢が口を開いた。


「彼は」


 慧音は顔を上げて妖夢を見た。

 妖夢は声を小さくして続けた。


「<博麗の守り人>という、霊夢を守る存在になるべく、修行をしていたと言いました」


 妖夢は顔を上げて、慧音と目を合わせた。


「私は、その修行をしたが故に、懐夢君があぁなってしまったとしか思えません」


 また、慧音も同じ気持ちだった。

 懐夢は修行をしているというのは、懐夢がいない間に霊夢から聞いたからわかる。そしてその修行こそが懐夢をあんなふうにしてしまった最大の原因だというのは考えなくてもわかった。というよりは、修行以外に原因を見つける事が出来ない。


「そのとおりだよ妖夢。私も、修行が懐夢をあのような形にしてしまったとしか考えられない。彼のためにも、この事は明白にするべきだ。だが」


 慧音は額に指を添えた。慧音の仕草を見て妖夢が首を傾げる。


「だが、どうしたんですか」


 慧音は苦虫を噛み締めたかのような表情を浮かべて、妖夢に言った。


「懐夢はもう、午前の授業には、他の学童達の前には出せないかもしれない」


 慧音は妖夢の意識がしっかりしていなかった時に起こった事を全て話した。懐夢が獣のように妖夢へ襲いかかり、武道場の床を破壊し、妖夢を打ちのめした時、それを見ていた学童達は全員、化け物を見ているかのような恐怖を抱いた目で懐夢の事を見ていた。いきなりいなくなってしばらく経った後に帰ってきた友人が化け物のように指導者へ襲いかかり、打ちのめしたのだ、学童達の反応は当然のものだ。


「午前の授業を受ける学童達は懐夢を恐れるようになった。そして誰一人、懐夢と同じ部屋で授業がしたいとは思っていないだろう」


 妖夢が目を見開く。


「それじゃあ、懐夢君の居場所がなくなったって事ですか」


 慧音は渋々頷いた。


「午前の授業は受けられないも同然の状況になってしまったんだ。受けれるのはチルノ達との午後の授業だけさ。彼女達ならば懐夢が強くなっている事に驚かない」


「そんな、帰って来て早々居場所がなくなるなんて……」


 慧音は眉を寄せた。


「どうしてこんな事になってしまったのか、私にもわからん。あの時の心情を本人から直接聞き出してみる必要があるが、それだけでは足りないだろうな」


 妖夢は首を少し傾げる。


「と、言いますと?」


「話を聞かなきゃいけないのは懐夢だけじゃない。懐夢の修行を知っている霊夢にも聞き込む必要がありそうだし、そもそも懐夢に修行を付けた本人である八雲紫に話を聞かなければ、彼がああなった原因を判明させるのは難しいだろうな」


 妖夢は驚いた。


「えぇっ、紫様に話を聞くつもりなんですか」


 慧音は顔を上げて、妖夢と顔を合わせた。


「だってそうだろう。この問題は、懐夢のためにも解決させなければならないものだ。

 そしてその解決のための鍵を持っているのが懐夢の師である紫なのであれば、聞いて原因を突き止め、対策を練らなければならない」


 妖夢は恐る恐る慧音に尋ねた。


「でも、慧音先生は紫様の住居がどこにあるのかご存じなんですか? 紫様は異変が起きた時か、幽々子様と話をされたくなった時くらいにしか私達の前に姿を現しませんよ」


 慧音は首を横に振った。妖夢と同じく、慧音も異変の時にしか紫の姿を見た事がない。だから、普段紫がどこで何をしているのか、そもそもこの幻想郷のどこに住居を構えているのか、全く知らない。


「勿論、紫の住居など知らない。だから、その辺りは霊夢に聞き出してもらう」


 妖夢があぁと呟く。


「確かに、霊夢ならいけるかもしれませんね。霊夢は、紫様とよく行動をしていますから」


「そうだ。昼からの授業は阿求に頼む。私は霊夢のところに行って事情を聴く」


 慧音は重い腰を上げるように立ち上がった。


「さてと、その前に本人と話だ。お前はしばらく休んでおけ。やられたのは頭だからな、大事にするんだぞ。具合が悪ければ横になっていた方がいい」


 妖夢ははいと言って慧音に笑顔を見せた。慧音は軽く溜息を吐いた後に教務室から出て、廊下を歩き、妖怪の学童達が使っている教室の前に来たところで立ち止まった。あの授業の後、懐夢にはこの部屋で待っているように指示を下した。懐夢は今、この部屋の中にいる。

 慧音は深呼吸をすると、戸に手をかけ、開いた。

 部屋の中は非常に見慣れた光景が広がっていたが、まるで森の中のように静まり返っていた。そしてその中に、懐夢はただ一人、自分の使っている机の前に頭を足の間に入れる形で体育座りをしていた。


「懐夢」


 慧音が軽く声をかけると、懐夢はぎょっとしたかのように顔を上げて、慧音と顔を合わせた。


「慧音先生……」


 慧音は戸を閉めると、懐夢の元にゆっくりと歩み寄り、目の前に来たところで、懐夢と同じように座った。


「どうして私がここへ来たか、わかるね」


 懐夢は頷いた。


「ぼくが、やってはいけない事をやってしまったからです」


 慧音は「そうだ」と言った。


「今日は運が良かった。半人半霊である妖夢が相手だったから、死なずに済んだ。

 だがもし、妖夢ではなくてただの人間、それもお前と歳が同じ、もしくはお前よりも上の歳、下の歳の者だったならどうなっていたと思う?」


 懐夢は俯いた。


「ぼくの攻撃を受けて、死んでしまっていたと思います」


 慧音は頷いた。


「そうだよ。お前は今日、ただの授業で死人を出していたところだったんだ。今日はたまたま運がよかったんだ。まぁこう言ってしまっては妖夢に悪いのだがな」


 慧音は少し懐夢に近付いた。


「懐夢、何故だ。何故あんな事をしたんだ。お前は、人を傷つける事を進んでやるような奴ではなかったはずだ。それとも、お前は修行の過程でそういう奴になってしまったのか?」


 懐夢は身を縮こまらせた。


「……わかりません。ぼくも、あの時の事はよく覚えていないんです」


 慧音は首を傾げた。


「なんだと? どういう事だ」


「わかりません。ただあの時は、途中で色んな感覚がなくなって、ただ、剣を振るっているっていう感覚だけが残っていました」


 慧音は顰め面をする。


「剣を振るっている感覚だけだと? つまりお前はあの時我を忘れて攻撃をしていたという事か」


 懐夢は頷いたが、すぐに何かに気付いたような表情を浮かべた。


「あ、いいえ。完全に忘れていたわけではないんですが……ただ……」


「ただ?」


「『攻撃しなければならない相手には容赦するな』っていう言葉が、頭の中にずぅっと響いていました」


「その言葉は、なんだ。自分の言葉か? それとも他の人の言葉か?」


「師匠の言葉です。修行をした時には、まずこれを最初に習いました」


「師匠……八雲紫の事か」


 懐夢は首を横に振った。


「紫師匠もそうなんですけど、一番よく教えてくれたのは、霊紗っていう師匠です」


 聞き覚えのない名前に、慧音は首を傾げる。


「霊紗? 何だその人物は」


 懐夢は何かを躊躇うような表情をした後に、口を開いた。


「ぼくに、格闘術や剣術を教えてくれた人です。その人が、ぼくにこの教えをくれたんです」


 慧音は懐夢から軽く目を逸らした後に、再度懐夢と目を合わせた。


「ちょっと待て懐夢。お前は何の修行をしていたんだっけ」


 懐夢はきょとんとした。


「え、霊夢を守る存在、<博麗の守り人>になるための修行ですが」


 慧音は目を鋭くして、懐夢の藍色の瞳と合わせた。


「<博麗の守り人>か。それがどういうものなのか、話せるか」


 懐夢は頷いて、慧音に自分が知っている<博麗の守り人>についての事情を慧音に話した。

 懐夢の話が終わるなり、慧音は顎に手を添えて小さく言った。


「異変の際に博麗の巫女と共に飛び立ち、博麗の巫女を助け、守り、巫女や自分に攻撃してくる者には酌量のない攻撃で制裁する……博麗の巫女と同じ力を持つ、もう一人の博麗の巫女と言っても間違いはない存在……それが<博麗の守り人>……」


 懐夢は頷いた。


「そういうふうにぼくは教わりました」


 慧音は顎から額へ指を動かして、思考を巡らせた。

 あの時の懐夢の動きは、明らかに試合をしているという動きではなかった。……あれは、自分の目の前にいるものを殺そうとしている動きだった。その証拠に、懐夢は動きを重ねる毎に剣道の構えを失い、まるで妖怪か何かと戦っているかのような戦闘体勢へと変え、最後は殺意を剥き出しにして斬りかかり、妖夢を叩きのめした。

 そもそも、あのような事をするのは、人間では難しい。大人でも、子供でさえも人を殴ったり斬り付けたりするのは心にかなりの抵抗がある。ついかっとなって相手に殴りかかったり、泣きわめきながら拳を振り回して叩きあったりする事は出来ても、それが相手の顔や腹に当たった時には快感や爽快感などよりも先に恐怖と不快感と嫌悪が沸き立つ。

 だから、人間はそうそう他の人を殴ったり傷付けたりする事は出来ない。それが出来るのは、心の奥底にある一線というものを超えてしまった者だけだ。そして、子供にそういう者が現れるのは、非常に極稀な事、通常ではありえない事なのだ。――懐夢はまさしくそれだった。

 もしも懐夢が前の懐夢のままであったならば、試合の途中で自分が剣道の構えを崩している事や、妖夢を過多に追い詰めてしまっている事に気付いたりして、自分の行動を省みて、全ての行動を止めていただろう。だが、あの時の懐夢は、もはや自分が剣道の試合をしている事も、相手である妖夢が剣道の指導者である事も忘れ、飢えて狂乱した獣のように竹刀を振り回し、そして妖夢に怪我をさせてしまった。しかも懐夢はその時の事をあまり詳しく覚えていないと言っている。


(まさか……)


 懐夢は<博麗の守り人>になるために戦闘訓練もしたのだろう。

 もしかしたら懐夢は、<博麗の守り人>になる事は出来たけれど、()()()()()()()()()()()()が出来ていないのではないのだろうか。だから、剣道の試合の最中に戦闘をしている時と同じ気になり、容赦のない攻撃を仕掛けてしまったのでは、ないのだろうか。

 だけど、それだと不自然な点が浮かび上がる。それは、通常の修行をしたのならこんな事にはならないという事だ。

 通常、こういう強い力を手にする修行をする時には、必ず精神修養も同時に行う。精神を鍛え上げ、修行で得た力を、些細な事で出してしまわないようにするためだ。

 だが、懐夢の場合はそんなものはなかったように思える。今の懐夢は、自分に危機が迫れさえすれば、たとえ相手が何であろうと容赦なく力を振るうような状態、即ち精神の修行を欠いて力だけを手に入れたような、そんな状態だ。

 こんなの、懐夢の修行は不完全としか言いようがない。懐夢は完全な修行をしていたと思い込んでいるようだが、実際には不完全な修行をしていたのだ。だから、あの時あんな事になってしまったのだ。


「何という事だ……」


 慧音が頭を抱えると、懐夢が驚いたような顔をした。


「何がですか」


 慧音は懐夢の両肩を掴んだ。


「懐夢、お前に技術を教えたその霊紗という人は今どこにいる」


 懐夢は「え?」と言った。慧音は噛み付くように再度尋ねた。


「霊紗というのが今この幻想郷のどこにいるのかと聞いているのだ」


 懐夢は首を横に振った。


「教えられません」


「何故だ」


「教えるなって、言われたんです」


「どうしても教える事は出来ないのか」


 懐夢は挑むような顔をして、慧音の目を睨んだ。


「慧音先生は、ぼくに霊紗師匠のいる場所を尋ねて、どうするつもりなんですか」


 慧音は表情を変えずに言った。


「尋ねるのだ。どうしてお前は懐夢に修行を施し、あのようにしてしまったのかを、な」


 懐夢は目を見開いた。


「修行は、ぼくが言ったから始まったんです。霊紗師匠はあくまでぼくに技術を教えてくれてただけで……」


「本当にお前がか? お前が修行というのを思い付いて、霊紗に頼んだのか?」


 懐夢は首を横に振った。


「いいえ、修行の話を持ちかけてきたのは紫師匠です。紫師匠が、ぼくには才能がある、鍛えれば霊夢の隣に並んで戦えるくらいになる、霊夢を守れるようになるって言ったから、ぼくはそれを信じて、それに乗ったんです。だからぼくは、あんなに強くなったんです」


 懐夢は訴えかけるように言った。


「確かに妖夢さんには酷い事をしてしまいました。でも、ぼくはあそこまで強くなれたんです。慧音先生は見ていなかっただろうけど、この前の防衛隊の皆を滅茶苦茶に傷付けた妖怪を、霊夢と一緒に倒しましたし、一緒に街を守りました。博麗の巫女と肩を並べれるんですよぼくは、霊夢と一緒に戦えている」


 慧音が懐夢に割り込むように言った。


「じゃあお前は」


 懐夢は言葉を切った。慧音は続けた。


「お前は何故、妖夢との試合の時に、妖夢に怪我をさせたんだ。どうして、怪我をさせる前にやめる事が出来なかったんだ」


 懐夢は瞬きをした。

 慧音は続けた。


「修行というものは身体を鍛えたり技術を学んだりして強さを上げるだけじゃなく、自分に戒めをかけて、精神を鍛え上げる行為なんだ。そして、普通な修行をしていた者は、修行で得た力を目的以外で使えばどうなるか、わかっているから使わないんだ。だが、お前はそれを全くと言っていいほどやらなかった。違うか」


 懐夢は肩をすくめた。

 慧音は眉を上げた。


「お前は完全な修行をしていたと思っていただろう。だがな、実際お前は不完全な修行をしていたんだよ。だから、妖夢にあんな怪我をさせて、皆を怖がらせたんだ」


 ぎりぎりと音が鳴るくらいに歯を食い縛り、肩をぶるぶるとふるわせながら、慧音は言った。


「お前はさっき、自分が化け物扱いされているのではないかと言っていたな。あの時は否定したが、あれは撤回しよう。今のお前は……」


 慧音は俯き、力強く言った。


「戦闘じゃない時も戦闘をやってる気になって、容赦なく襲いかかる、<博麗の守り人>という名の『化け物』だ」


 慧音の言葉が森閑とした部屋の中に響き渡り、懐夢は天と地がひっくり返った光景を見たかのように茫然とした。

 慧音はすぅっと息を吸い込み、吐くと、声を弱くして懐夢に言った。


「私は、お前に学問を教える教師として、お前に修行を付けさせた者を知らなければならない。いや、お前を獣に変えた者が許せない」


 慧音は茫然としている懐夢に問うた。


「懐夢、もう一度聞くぞ。霊紗という人物は今どこにいる」


 懐夢は顔を下に向けて茫然としていたが、わずかに口を動かした。


「天志廼……天志廼っていう街にいる……」


 譫言のようだったが、天志廼にいると言うのが聞き取れた。

 天志廼と言えば、鉄の取引場所の一覧に突然出現していて、良質な金属を扱っている街と書いてあるから調べてくれと街の装飾品屋が言っていた街だ。

 そこについて調べてはみたけれど、良質な鉄を作る事で斬る踏鞴製鉄所があるという情報があっただけで、それ以上どんなに調べても。場所や歴史などといった詳しい情報を知る事は出来なかった。


「天志廼か。私はその天志廼という場所を知らない。どこにあるんだ」


 懐夢はもう一度譫言のように言った。


「紫師匠が……知ってる……」


 慧音は頷いた。紫が知っているという事は、霊夢を尋ねればいい。


「わかった。時が来たら一緒に天志廼へ行こう。そして霊紗に会い、お前を獣から半妖へ戻す」


 懐夢は静かに頷いたが、やがて慧音に問うた。


「先生、ぼくはどうしたら……」


 慧音は懐夢の頭に手を乗せた。


「このまま帰るもよし、部屋に残るもよしだ。全部お前が選択しろ。

 ただ、この場に残って午後の時間を待ってやった方がいいかもしれない。あいつらが、お前の顔を見たら喜ぶだろうからな。それに、あいつらなら、お前がこうなった事も知らないだろうからな。冷たく当たる事もない」


 懐夢はもう一度静かに頷いた。


「……ここで、みんなを待ってます」


 慧音は懐夢から手を離すと、ゆっくりと立ち上がり、部屋を出た。

 そして教務室の前へ戻ると、そこでぎりぎりと歯を食い縛った。


「再三酷い目に遭って生きてきた、あんな小さな子供を、化け物にするとはな……」


 慧音は目の前にある戸を、激しい怒りを込めて叩いた。ばんっ、という木にものがぶつかったような、大きな音が廊下に木霊したのを聞いた後、慧音は静かに言った。


「男なのか女なのか知らないが、霊紗という奴は、余程殴り飛ばしたくなるような顔をしているらしいな」



            *




「ねぇ、懐夢?」


 慧音の言葉を聞いてから、ずっと意識が朦朧としていたが、声を掛けられた事で、意識が戻ってきた。

 声の聞こえてきた方向から察するに、自分に声をかけてきたのは目の前にいるらしい。

 誰だろうと思い、顔を上げてみると、そこには、黒と白を基調とした洋服と黒いマントを身に纏い、ふさふさとした深緑色のセミショートヘアーで、頭から二本の黒い蟲の触角を生やした、見慣れた少女の姿があった。

 そして少女は、心配そうな顔で自分の事を見つめている。

 その少女の名を、懐夢は小さな声で呼んだ。


「リグル」


慧音、激怒。

懐夢とリグル、再会。

そして天志廼の霊紗とは。

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