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東方幻双夢  作者: クシャルト
黒花編 第捌章 天志廼
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第七十七話

 霊夢は懐夢を連れて博麗神社に帰ってきた。

 しかし、博麗神社に帰って来れたのは黒犬を討伐した三十分も後になった。何故かというと、防衛隊が去って行った後に魔理沙と早苗と紗琉雫が懐夢に話しかけ、魔理沙と早苗への事情説明、紗琉雫への自己紹介などを始めてしまい、中々帰る事が出来なかったからだった。

 靴を脱いで玄関に上がり、廊下を歩いて居間へ来たところで、懐夢は辺りを見回した。

 居間の窓から見える中庭、台所、居間の様子。どれも神社を出た時から変っている様子はなかった。


「やっぱりいいな、博麗神社(うち)は」


 霊夢が歩いてきて、隣に並んだ。


「そうでしょう。一月も離れていたんだから、そう思って当然なはずよ。いいもんでしょ我が家っていうのは」


 懐夢は頷いた。


「そうだけど、それだけじゃないよ」


 言いかけて、懐夢は霊夢を見上げた。


「博麗神社は、霊夢がいるあったかい場所って感じがする」


 霊夢は一瞬きょとんとしたが、すぐに顔に微笑みを浮かべた。


「そりゃそうでしょ。貴方が帰ってきた時のために、あったかいの保つようにしてたんだから」


 霊夢は懐夢の頭へ手を伸ばし、ゆっくりと優しく撫でた。

 その時、霊夢は懐夢の頭を見て気付いた。懐夢が髪の毛をかなり小さくて短いポニーテールの形に纏めている。それが出来るくらいにまで、髪の毛が伸びてしまっているのだ。


「あれ、髪の毛伸びてるわね。切らなかったの?」


 突然問いかけられて、懐夢は「え?」と言って頭を押さえた。


「あ、うん。切らなかったよ。修行してる間に髪の毛伸びたから、この形にしたんだ。

 師匠(せんせい)は髪の毛も何も言わなかったから、ずっと伸ばして、この髪型にしてたんだ」


「へぇ……それにしても、これ私と同じ髪型だけど、この髪型には何か意味が?」


 懐夢は霊夢を見上げるのをやめて、下を向いた。

 霊夢は首を傾げた。


「あれ、懐夢?」


 懐夢はぼそりと呟いた。


「これ、霊夢とおかあさんの真似」


 霊夢は目を丸くした。


「私と、愈惟さんの真似? なんでまた?」


 懐夢は答えようとせず、ちらと霊夢の目を見た。

 その時に懐夢の少し寂しそうな表情が見えて、霊夢は懐夢の考えている事がわかって、「あぁ……」と小さく呟いた。

 霊夢は腰を落とし、懐夢と目の高さを同じにした。


「……修行してる間、寂しかったのね?」


 懐夢は胸の前で手を合わせて、ぎこちなく頷いた。


「こうしてると、寂しくなかった。髪の毛が、霊夢とおかあさんに似てるから。

 師匠(せんせい)は何も言わなかったから、ずっとこうしてた」


 霊夢は軽く溜息を吐き、少し呆れたような声で言った。


「よく言うわ。人に散々そういう思いをさせておいて」


 懐夢は目を丸くして、霊夢と顔を合わせた。

 霊夢は顔を下に向けて、続けた。


「人前じゃあんまり言えないけど、私も貴方がない間、寂しかったのよ。

 神社のどこを探しても貴方がいなくて、どんなに時間が経っても貴方が帰って来ないのが、たまらなく寂しかったわ。しかも連絡も取れなかったから、貴方が死んじゃったんじゃないかって思う時もあったのよ。貴方がいない間、寂しくて、不安で仕方がなかったわ」


 霊夢は顔を上げて懐夢と目を合わせた後、懐夢の髪の毛を軽く撫でた。


「だから懐夢、もうあんなのはやめて頂戴。絶対に、やめて頂戴」


 懐夢は自分を撫でている霊夢の手を両手で掴むと、自分の顔のところまで持ってきて、霊夢の手の甲に頬を付けた。


「ごめんなさい。寂しくさせて、ごめんなさい。もう、しないから」


 霊夢は懐夢の行動に一瞬驚いたが、すぐに笑んで静かに懐夢の身体に手を伸ばし、そっと抱き寄せた。


「そうして頂戴。それと懐夢、寂しいのを我慢して修行をよく頑張りました」


 霊夢に抱かれたまま、懐夢は小さく呟いた。


「うん。早く霊夢のところに帰りたいって思って、頑張ったんだ」


「驚いたわよ。五ヶ月かかるはずの修行を一ヶ月で終えて帰ってきたんだから。しかも……」


 その時、霊夢はふと懐夢の放ったスペルカードの事を思い出してハッとした。

 懐夢のスペルカードは懐夢の身体の中に八俣遠呂智がいた時発動出来たものと同じものだったが、明らかに威力が上昇しているように見えた。なんたって、自分達を苦戦させた黒犬の防御力をいとも簡単に打ち破ってダメージを与えて見せたのだから。

 それだけじゃなく、懐夢は続けてそのスペルカードの応用強化型を繰り出して黒犬に甚大なダメージを与えた。博麗の巫女になるための修行を凝縮した修行と聞いていたから、さぞすごくなるのだろうなとは思っていたが、まさかあそこまで強くなるとは思ってもみなかった。


(だけど……)


 懐夢のスペルカードには疑問が残る。それは、懐夢のスペルカードが明らかに懐夢の身の程を超える出力を持ったものだった事だ。

 懐夢のスペルカードは自分が放つ霊符「夢想封印」のように強力で、実戦に使われれば非常に頼りがいのあるものだったが、どうやっても十歳の子供が出せるほどの威力と出力ではなかった。子供が使えるはずのない非常に強力なスペルカードを、懐夢が使えているという矛盾が起きていたのだ。

 もし普通の子供があんなスペルカードを放とうとするならば、そもそも放つ事が出来ないか、放つ事が出来たとしても身体に強い負担がかかって酷く疲れたり、悪ければ衰弱状態になってしまうかのどちらかだ。だが懐夢ときたらこのどちらにもならず、平然としている。

 しかもあれほどの高威力かつ高出力のものを放とうものなら狙いがぶれたり上手く飛ばなかったりする事も多いが、そんな事になっている様子さえもなかった。

 懐夢は完全に、あのスペルカードを使いこなしていたのだ。しかもその属性さえも、自分が使う力である博麗の力、即ち調伏の力であるように見えた。博麗の巫女だけが使う事の出来る調伏の力を、懐夢は使いこなしているのだ。

 更にそれをたったの一月で習得できているのだがら、もう規格外の領域に行ってしまっていると言ってもいい。

 それだけではなく、懐夢のスペルカードは、自分達が行う『弾幕ごっこ』に使うには程遠い、相手を殺傷する事に非常に特化したものだった。自分達のスペルカードも使い方を間違えれば、簡単に人や妖怪を殺傷する凶器となるが、懐夢のものは使()()()()()()()()()()()簡単に人も妖怪も殺す事が出来る、凶器そのものと言えるスペルカードだったのだ。

 それを扱う懐夢の姿はまさに、幻想郷の平安と秩序を守り、時に無慈悲に妖怪も人も隔たり無く殺し、異変も怪異も無に帰させる最強の存在、博麗の巫女のようだった。懐夢は本当に、第二の博麗の巫女と化しているのかもしれない。

 そして気になるのは、それを教えた存在の事だ。あれほどの力を教えれる者など、自分は自分の師匠くらいしか知らない。最近自分に修行を付けさせた仙人、茨木(いばらき)華扇(かせん)すらも、あれほど高度な術を他人に教える事は出来なかった。懐夢に修行を付けたのは、少なくとも華扇ではなさそうだ。


「ねぇ、懐夢?」


 霊夢は懐夢を離して、懐夢の両肩に手を乗せた。


「貴方はすごく強くなっていたわ。でも、何であんな高威力のスペルカードを?

 あんなの、私が言ってた凶器そのものじゃないの」


 懐夢は首を横に振った。


「凶器じゃないよ。この力は師匠(せんせい)がくれた、霊夢を守る力だよ。数々の異変を解決させる博麗の巫女と同じ、調伏の力」


 霊夢は懐夢の答えを聞いて顔を蒼くした。やはり懐夢の使う力は自分と同じ調伏の力であるらしい。

 この事から考えるに、まさかとは思うが、懐夢を教えた人とは……。


「ねぇ懐夢、質問を変えるわ。貴方を教えた師匠(せんせい)っていうのは、誰の事? 名前とか種族は何なの?」


 霊夢の表情に懐夢は吃驚(びっくり)して、しどろもどろした。

 更に霊夢は表情を険しくした。


「もしかしてとは思うけど、その人は男性で、全身銀色ので尻尾が四本の藍みたいな狐で」


 霊夢は一度言葉を区切ると、口に出すのもの嫌な言葉を吐き出すように言った。


「……伏見(ふしみ)凛導(りんどう)っていう名前じゃないでしょうね?」


 懐夢はまた驚いたような表情を浮かべた。


「凛導さんを知ってるの?」


 霊夢は「え?」と言った。もし今口にした名前が師匠(せんせい)だったなら、凛導師匠(せんせい)と呼ぶはずだ。だがそうでないという事は、師匠(せんせい)は今口にした名前の人物ではないという事だ。

 それがわかると、霊夢は溜息を吐いて下を向いた。


「凛導じゃないのね?」


 懐夢は頷いた。


「うん」


「じゃあ誰に、教わってたの? せめてそれだけ教えて頂戴」


 懐夢は自分の師匠(せんせい)を霊夢に説明した。

 まず勉学。術を使う上での勉学や歴史などは紫に教わっていたそうだ。紫は膨大な知識を持つ幻想郷の大賢者である存在だから、当然と言える。ちなみに懐夢は修行をしている間、紫の事を紫師匠(せんせい)と呼んでいたそうだ。

 次に武術や戦術。懐夢にあの高威力、高出力のスペルカードを会得させたのは、霊紗(れいさ)という人物らしい。

 聞き覚えのない名前を聞いて、霊夢は首を傾げた。


「霊紗?」


 懐夢は頷いた。


「なんだか霊夢に似てる服を着て、髪の毛を霊夢やおかあさんみたいな髪型にしてた。多分二十歳後半くらいだと思う」


「その人が貴方に武術や戦術を?」


「うん。修行の時は厳しかったけど、優しい人だったよ。それに、とっても強いんだ。紫師匠(せんせい)もそう言ってたし。でもあまり弾幕とかは得意じゃなくて、格闘技とかが得意なんだって。ぼくもちょっと教えてもらった」


 霊夢は手を懐夢から離さないまま下を向いて考えた。

 霊紗。自分と似ている名前だと思うし、懐夢の話によれば自分によく似た服を身に纏っていたらしい。それから考えるに、かつての博麗の巫女か、またはそれを模した何かと推測できる。

 何故かつての博麗の巫女であると推測できるのかというと、自分の母である先代巫女は異変を解決してそのまま帰らぬ人となったが、それよりも前、即ち先々代巫女の情報は全くと言っていいほど入ってこなったため、生死もわからない。博麗の巫女という役割を母に託して今もどこかで生きていると考えても間違いではない。

 しかし、懐夢に教えていたのがその先々代巫女ならば、先々代が二十代に見えるというのはおかしい。何故なら母は十五歳の時に博麗の巫女の座を受け継ぎ、十七歳の時に零歳の自分を育て、二十八歳の時に死に、自分に博麗の巫女を継承させた。先々代はそれよりも前に活躍していたというのだから、現在は少なくとも四十代なはずだ。だからその霊紗という人物を先々代巫女と決めつけるのは浅はかというものだろう。懐夢を教えていたのは、きっと、博麗の巫女を模した服を着た武闘家に違いない。

 だが、その霊紗という人はどんな人なのだろうか。懐夢から話を聞いたくらいでは全くと言っていいほど想像が付かない。――実際に会ってみたい。


「そうなの。その人は今どこにいるの?」


 懐夢は小さく呟いた。


「……天志廼っていう街」


 霊夢は目を丸くした。天志廼といえば、街に新しく開店した装飾品屋の商品の製造元だ。この幻想郷のどこかにあって、大規模な踏鞴製鉄所があり、良質な刀や金属が製造される場所だという。


「天志廼ですって? 天志廼ってところにその人はいるの?」


 懐夢は頷いた。そもそも、懐夢が修行をしていた場所が、天志廼の中にある神殿のような場所だったらしい。

 それを聞いて霊夢は懐夢を探し出せなかった理由を理解した気になった。


「貴方、天志廼にいたのね?」


「うん。人間の里の街みたいに大きな街だったよ。そこにある神殿みたいな場所で、紫師匠(せんせい)と霊紗師匠(せんせい)から修行を付けてもらってたんだ」


 懐夢は心許ない表情を浮かべて霊夢と目を合わせた。


「その時なんだ。凛導さんに会ったのは」


 霊夢は顔色を少し青いものにした。


「凛導に何かされたの?」


 懐夢は首を横に振った。

 凛導はちょくちょく懐夢と霊紗と紫のいる神殿にやって来ては紫と霊紗と何かしらの話をして、出て行くのを繰り返していたらしい。その時に懐夢がいても全くに気にせず話をし、懐夢の事は横目で見る程度だったらしい。しかし、それだけでも懐夢は凛導をよく思わず、嫌な雰囲気を持つ人だと思って近寄らなかったそうだ。


「それに、なんだか嫌な目つきの人だった。刀みたいに鋭いっていうか、何かに囚われて抜け出せなくなったような……そんな目をしてる人だったよ」


 霊夢は頷いた。


「そうよ。凛導はそういう奴よ。目つきがおかしいくらいに鋭くて、何も言わないような、そんな奴」


 懐夢は首を傾げた。


「霊夢は凛導さんの事を知ってるの?」


 霊夢は俯いて、歯を食い縛った。


「……知ってるも何も、私に博麗の巫女を継承させて修行させたのは、凛導なのよ」


 懐夢は唖然としてしまったかのような顔をした。


「凛導さんが、霊夢の師匠? え、それって」


 霊夢はもう一度頷き、静かな怒りを込めた声で言った。


「そうよ。先代巫女(わたしのかあさん)と一緒に異変に出かけて、見殺しにした張本人」


 霊夢の静かな怒りに満ちた表情がちらと見えて、懐夢は瞳を揺らした。

 最初に会った時からなんだか嫌な雰囲気の人だなとは思っていたけれど、まさかあれが霊夢に技術を教えて、霊夢の母を見殺しにした人だったとは考えもしなかったし、思いもよらなかった。


「あの人が……それだったんだ……」


 霊夢は歯を食い縛った後に呟いた。


「えぇ。幻想郷のどこを見てもいないからどこにいるんだかって思ってたけど、天志廼にいたのね。

 道理で見つからないわけだわ」


 懐夢が震えた声で言った。


「霊夢は」


 霊夢は顔を上げた。

 懐夢は続けた。


「霊夢は凛導さんに会ってどうするつもりなの」


 霊夢は首を横に振った。


「いいえ、会わないわ。あんな奴にはもう絶対に会わないって決めたのよ。というか会いたくもないし、顔を合わせるのだって虫唾が走るくらいに嫌よ」


 霊夢はしっかりと懐夢の肩を掴んだ。


「いい懐夢。凛導の事なんか忘れなさい。あんな奴の事なんか覚えてる必要はないの。

 だから忘れなさい。いいわね」


 霊夢の硬い響きの混ざった声と険しい表情に懐夢は少し圧倒されて、すぐに頷いた。


「うん。わかった」


 霊夢は溜息を吐いて懐夢の肩から手を離した。

 懐夢はもう一度胸の前で手を組んで、顔を下に向けてから静かに言った。


「……妖怪とかだけじゃなくて、そういう人からも、霊夢を守らなきゃいけないんだね」


 霊夢は首を傾げた。

 懐夢は顔を上げて霊夢と目を合わせると、凛とした声で言った。


「霊紗師匠(せんせい)が言ってた。お前はもう『博麗の守り人』なんだって。博麗の巫女を守る刃、盾なんだって。

 だから、何かあったらぼくが霊夢を守る。妖怪からも、そういう人からも」


 霊夢の力強い眼差しを受けて、霊夢は目を見開いた。

 懐夢の眼差しは、時にとても強い意志を感じさせるものではあったけれど、今の懐夢の眼差しは、それよりも強い意志を持ったものへ変化を遂げていた。

 懐夢は強い眼差しのまま、続けた。


「異変が起きたらぼくも一緒に行って、ぼくも一緒に戦う。何があっても霊夢を守るから。

 もう、霊夢を一人になんかさせない」


 霊夢は呆然として懐夢を見つめていたが、心の中で嬉しさと頼もしさと不安が混ざり合った複雑な気持ちが湧き出てくるのを感じた。

 確かにあの非力だった懐夢が自分を守るために強くなり、共に戦うと言ってくれているのは嬉しいし、とても頼もしいと思える。しかしそれと同時に、懐夢が危険に晒されてしまうという不安もある。

 近頃起きている異変はこれまで起きてきた異変よりも凶悪且つ危険で、一歩間違えば簡単に死んでしまうような異変ばかりだった。そういうものが起きた時、懐夢は神社とかに避難していたから、危険に晒されることはなかったが、今回から共に異変に立ち向かうと懐夢は言った。それは、死の危険を孕む戦いの異変に身を投じるという事、一歩間違えば命を落としてしまう危険を被るという事だ。そして、懐夢が命を落としてしまう瞬間は、安易に想像出来た。

 だが、そう考えて、戦うのやめてくれと言ったところで懐夢はもう止まりはしないだろう。何故なら懐夢は自分と一緒に戦う事を目標立てて、自ら修行しに行って強くなり、戻ってきて先程の戦いに身を投じた。

 もし懐夢の中に躊躇いがあるならば、あの戦いの時点で足を止めていただろうけれど、懐夢は止まらずに黒犬に挑み、黒犬の身体を斬り付けて、スペルカードを放った。……もう、自分と一緒に戦っていたのだ。

 だからもう何を言っても懐夢は止まる気を見せないだろう。どんなに叩いて怒鳴りつけたところで、変えたりはしないのだろう。

 霊夢は強い志を抱いた眼差しでこちらを見続けている養子(おとうと)の身体に手を伸ばし、そのまま抱き締めた。


「ありがとう懐夢。すごく嬉しいわ。でもね、一つだけ約束してほしい事があるの」


 懐夢は霊夢に抱かれたまま首を傾げた。

 霊夢は続けた。


「懐夢、貴方が私と一緒に戦うっていう事は、いつ死ぬかわからないところへ行くという事なのよ。近頃は弾幕ごっこじゃすまされないような異変ばかり起きているから尚更。

 だからさ、そう言ってくれるのは嬉しい。嬉しいけれど、これだけは約束して」


 霊夢は懐夢の身体を少しきつく抱きしめた。


「私は貴方を失いたくない。だから、絶対に死なないで。お願い、だから」


 懐夢は霊夢に抱かれて黙っていたが、やがて口を開いた。


「死なないよぼくは。だって霊夢が傍にいるんだもん。それに」


 懐夢はそっと霊夢の背中に手を伸ばした。


「霊夢の事も死なせない。だってそれが役割だから」


 霊夢は心の中に嬉しさが満ちるのを感じた。

 けれども不安は残り続けていた。

 きっとこの不安は異変が解決されて、起きなくなるまで続くだろう。だけど、この不安は懐夢に見せないようにしなければならない。聡いこの子の事だから、これに気付いたら、心配をし始めて役割どころじゃなくなってしまうだろう。

 霊夢は考えを纏めると、不安を表に出さないように、ごくりと息と唾を呑み込んだ後、声を柔らかくして懐夢に言った。


「……ありがとう、懐夢。一緒に頑張ろうね」


 懐夢は霊夢の胸の中で頷いた。

 しばらくすると、霊夢は懐夢を離し、ある事を思い出した。

 そう、藍と橙だ。藍と橙は自分の補佐として博麗神社に滞在していた。だが帰ってきてからというもの、二人の姿が見当たらない。


「藍に橙、どこに行ったのかしら」


 霊夢が呟いたその時だった。


「私をお探しか」


 背後の廊下の方から声が聞こえてきて、霊夢と懐夢は驚いてその方向に目をやった。

 そこには髪の毛をくしゃくしゃと掻いている藍の姿があった。

 藍を見るなり、霊夢は少し顔を紅くした。


「もしかして、見てた?」


 藍は目を霊夢から逸らし、溜息交じりに言った。


「何のことかな。先程まで紫様と緊急の連絡をしていたんでな。来たのは今だ」


 霊夢は「そう」と一言言ってから、藍に口煩く言った。


「何やってたのよ藍。私『黒い花』と戦ったけど、あんた私の補佐とか言っておきながら出てこなかったじゃないの」


 藍はすまなそうな表情を浮かべた。


「すまない。ちょっと野暮用があって出てこれなかったのだ」


「野望用ですって? 全く何のための補佐だったのよあんたは。しかも懐夢帰ってきたからあんたの役割終わっちゃったわよ」


 藍は懐夢と目を合わせた。


「あぁ懐夢か。えらく早く帰ってきたな。五ヶ月かかる修行を一ヶ月で終わらせたもんだから、お前の師匠且つ私の主人は酷く魂消ていたぞ。素晴らしい才能の持ち主だよお前」


 懐夢は何も言わなかった。

 藍は腕組みをした。


「さてと霊夢。急だが私と橙は紫様の元へ戻るよ」


「はぁ? なんで?」


「紫様から緊急の命令が出た。すぐに帰還せよってな」


「あ、そう。結局一緒に戦わず、一月一緒に過ごしただけだったわね。まぁ、黒い花の異変が起きなかった事が一番の原因なんだけどね」


 藍は頷いた。


「共に戦えなくてすまなかった。だがきっと私達が手を合わせて戦う時はあるだろう。

 その時はよろしく頼むぞ」


 霊夢は呆れたかのような声を出した。


「そんな時があったらね」


 藍は苦笑いした後、凛とした声で懐夢に言った。


「懐夢、霊夢をしっかり守るんだぞ。何があってもな」


 懐夢はいきなり言われてきょとんとしたが、すぐに頷いた。


「わかりました」


 藍は「よし」と言って、霊夢に視線を戻した。


「それではな、霊夢」


 藍はそう言って、玄関の方へ歩いていき、やがて神社から出ると地面を蹴って上空へ舞い上がり、幻想郷の空へと消えて行った。神社の中を確認しても橙の姿はなかったため、橙は既に外に出ていて、藍と共に飛び去って行ったのだろう


 霊夢は藍のいた廊下を見つめて、静かに呟いた。


「何しに来てたのかしらあの二人」


 懐夢が首を傾げる。


「何で藍さんと橙が神社にいたの」


「異変の時に私の補佐になるとかで一緒にいたんだけど、別に気にしなくていいわ」


 霊夢はぱっと表情を明るくして腰を上げ、懐夢と顔を合わせた。


「さてと懐夢。今日の夜は何食べる?」


 懐夢は軽く下を向いてから、顔を上げて笑んだ。


「……おかあさんの蒸し料理が食べたい」


 霊夢は「あぁ」と言った。懐夢の言う『おかあさんの蒸し料理』というのは愈惟の日記に書かれていた料理の事だ。懐夢がここに住み始めて日が浅い時に作ってやった料理であるし、懐夢の好きな食べ物の一つでもある。


「わかったわ。それじゃあ夕方になったら街へ出かけましょう。さっきの黒い犬の化け物の騒動も夕方には落ち着いてるだろうし」


 懐夢は頷いて、にっこりと笑った。

 霊夢と懐夢の暮らしが再び始まった瞬間だった。

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