第七十二話
懐夢がいなくなり、慧音と今後の事について相談し、藍と橙が補佐となってから数週間が経ち、夏は終わりを告げて月が長月となった。霊夢はまた異形が現れるのではないかと思っていたが、あの時から全くと言っていいほど現れず、黒服の霊夢や異形の探求は滞ったままだった。
黒服の霊夢は次々と現れるだろう黒い花を摘んで探究しろと言っていたものだが、その黒い花と思われる異形が現れないんではどうしようもない。霊夢は藍と橙と共に注意深く異形との戦いに備えていたが、あまりにそれが現れないものだから呆れてしまい、注意深く準備した事を後悔した。
それだけじゃない。懐夢の情報も全くと言っていいほど回ってこない。あれから数週間経ったというのに紫からの近況報告は一切なく、唯一紫と連絡が出来るであろう藍に紫の元へ連絡しろと言っても、全くと言っていいほど紫に連絡を繋げてはくれなかった。どうして繋げてくれないのだと尋ねても藍は「懐夢なら大丈夫だ」と一言言うだけで懐夢が今どのような状況に置かれていて、修行がどこまで進んでいるのか確認させてすらくれなかった。
こうしているうちに霊夢は藍と橙に苛つきを覚え始めた。いきなり懐夢を修行させるとか言い出して自分から懐夢を取り上げ、どこか自分の知らない場所へ隠し、懐夢の居場所を知っているくせに、聞かれても知らないだの教えられないとかしか答えない。
一体何だというのだろう。これではまるで嫌がらせではないか。自分にこんな嫌がらせをして、一体何のつもりなのだろうか。何の得があってこんな事を自分にやるのだろうか。一体、何故……。
「なんだってのよ、もう……」
縁側に寝転がり、夏のものから秋のものへ変わりつつある風を浴びながら、霊夢は呟いた。どうしてこんな状況になってしまったのか、どうしてこんな事になってしまったのか。もうどんなに考えてもその答えを出す事は出来なかった。それよりも強い思いが心の中で渦を巻いて、考えるのを邪魔してくるのだ。
その思いとは何なのか。それは、早く懐夢に会いたい、懐夢と一緒にまた暮らしたいという懐夢が神社からいなくなった時からずっと思い続けている思いだった。しかもこの思いは日が経つ毎に大きく、強くなっていって、ついにはこう考えない日がないくらいになってしまった。食事をしている時も、風呂に入っている時も、出掛けている時も少し気にかけるだけでこう思ってしまう。
(懐夢は……)
懐夢は自分と離れていて寂しくないのだろうか。自分と離ればなれになって、会えなくて、一緒に話しをしたり、ご飯を食べたり、寝たり出来なくて寂しがっているのではないのだろうか。
だが懐夢の事だから、修行に必死になりすぎてこういった事を忘れてしまっているという可能性も捨てきれない。しかし、いくら懐夢とはいえ後者はあり得ないだろう。あんなに感情が豊かな子が、修行のあまり全てを忘れてしまうなど、考えられない。きっと懐夢も自分と同じように寂しがっているに違いない。早く修行を終えて我が家である博麗神社に、自分の元に帰りたいと思っているに、違いない。
(懐夢……早く会いたいよ……)
霊夢は踞るような姿勢をして目を閉じた。そしてそのまま眠りに就こうとしたその時だった。
「霊夢、客だ」
神社の中から藍の声が聞こえてきて、霊夢は目を開き、身体をそっと起こした。声の内容を聞く限り、客がやって来たらしい。
参拝客を来客と勘違いしたのではないのかと心の中で疑問に思いながら、霊夢は立ち上がって、廊下へ向かって歩き出した。そして客が来ていると思われる玄関に着いたところで、霊夢は思わず仰天しそうになった。
玄関にいた客は、白くて薄い洋服を着て黒い半ズボンを履き、黒いマントを身につけた鮮やかな若草色のふさふさとしたセミロングほどの長さの髪で、頭から虫の触角を生やした十三歳くらいの少女だった。
その少女の姿を見るなり、霊夢は大きな声でその少女の名を呼んだ。
「リグル!?」
リグルはそっと顔を上げて、小さく頷いた。
その仕草を見て、霊夢はこの前の慧音の話を思い出した。リグルは懐夢が修行を始めて寺子屋に行けなくなった時から、あのメンバーの中で最も懐夢の事を心配していた。それは何故かというと、リグルは多感な年頃を迎えて、あのメンバーの中で唯一の異性である懐夢に恋愛感情を抱いていたからだ。その為なのか、リグルは懐夢が心配でも直接博麗神社に来て懐夢の安否を確認するという行動に踏み込めず、ただ心配するだけで博麗神社に行くという事が出来ずにいたそうだ。
しかしそのリグルがここへやって来たという事は、いつまで経っても現れない懐夢がいつも以上に心配になって、安否を確認しないでいられなくなったからに違いない。今まで博麗神社に来なかったのは懐夢と顔を会わせるのが照れくさかったからなのだろうが、そうも言っていられなくなったのだろう。
慧音の話を聞いてから黒服の霊夢より会いたくない人物となったリグルがこうして現れた事に霊夢が驚き戸惑っていると、リグルが閉じていたその口を開いた。
「懐夢、いるよね?」
霊夢はハッとして、リグルと目を合わせた。
「あ……懐夢は今……」
霊夢が次の言葉を言おうとしたその瞬間に、リグルが割り込むように言った。
「チルノ達が心配してたから、代表して来たんだ。懐夢、ずっと寺子屋を休んでるから……」
リグルの言葉を聞き、リグルの頬が少し赤く染まっているのを見て、霊夢はリグルの言葉が嘘である事にすぐに気付いた。もし本当にチルノ達の代表としてきたのであれば、そんなに頬を染めたりしないはずだ。リグルはチルノ達の代表としてきたのではなく、個人的に懐夢に会いたくなってきたのだろう。
考えていると、リグルが続けて言葉をかけてきた。
「ねぇ、懐夢はどうしてるの? あれだけ休んでるから、病気なの?」
霊夢はもう一度はっとして、リグルと顔を合わせた。
「懐夢はね……今ちょっと会えないのよ」
リグルは驚いたような表情を浮かべる。
「えぇっ! って事はやっぱり病気なの!? 」
霊夢は両掌を胸の前に出して横に振った。
「あ、いや、そういう事じゃなくて……」
「懐夢、結構長い間休んでた……やっぱり、すごく重い病気になってるの!?」
焦るリグルに霊夢は首を横に振った。
「そういう事じゃなくて……!」
「懐夢、どんな病気なの!?」
霊夢は噛み付くように言った。
「落ち着きなさいリグル! だいたい、なんでそんなに焦ってるのよあんたは!」
リグルはびくっとして焦るのをやめた。かと思えば、頬をさらに赤くして、身体を縮こまらせて霊夢から目を逸らした。
「だって……だって……だって……」
霊夢は両手を腰に当てた。
「だって、何よ」
リグルはちらと霊夢と目を合わせて、またすぐに目を逸らした。
「だって……だって……心配……なんだもん……」
リグルの反応を見て、霊夢は思った。この慌て方と、問い詰められた時の反応から察するに、リグルが懐夢に恋心を抱いているというのは本当のようだ。しかもこの反応を見る限り、恋心がかなり強いものであると推測できる。自分と懐夢が見ていないところでリグルは恋心を抱き、それを大きく、強くしてきたのだ。
それだけではない。リグルのこの慌て様と言葉を見る限り、リグルは相当懐夢の事を心配して、かなり苦い思いをしていたに違いない。
(やっぱりこの子には……)
リグルには本当の事を話さなければなさそうだ。懐夢は修行に出ていて、神社にはいないと教えてやった方が、きっとリグルの気も少しは楽になるだろう。
霊夢は深呼吸を吸ると、少し腰を落としてリグルと目の高さを合わせた。
「リグル、落ち着いて聞いて頂戴」
リグルはもう一度びくっとした後、霊夢と目を合わせた。
「え?」
「懐夢は今……博麗神社にはいないの」
リグルはきょとんとした。
「え? 懐夢、いないの?」
霊夢は頷いた。
「あの子は強くなるために私達の元を離れて、修行をしているのよ」
「修行……? 懐夢が修行?」
霊夢はもう一度頷いた。
「えぇ。見違えるほど強くなって戻るって言ってたわ。だから、ここに懐夢はいないのよ。
寺子屋に懐夢がいけないのはそのためなの。違うところで、勉強してるのよ」
リグルは首を傾げた。
「でも……何のためにそんな事を?」
霊夢はきょとんとした。
「え?」
リグルは続けた。
「何で、懐夢は修行してるの? どうして、強くなろうと思って修行を始めたの?」
言われて、霊夢は答えに困った。懐夢が強くなるために修行を始めたのは、自分と一緒に異変を解決できるようになりたいという自分への思いが発端だ。懐夢は自分のために強くなろうとして、今必死に修行に打ち込んでいる。決してリグルのためなどではないし、懐夢自身リグルなど視野には入ってはいないだろう。
もしここで自分のために強くなろうとしているとリグルに告げれば、リグルは相当なショックを受けて、懐夢への思いを潰してしまうかもしれない。そうなってしまったら、リグル自身にも酷だし、何より懐夢とリグルはギスギスとした関係になってしまう。
それに、懐夢はリグルに恋心は抱いていないが、リグルを友達として好意的に思っている。ここで真実を告げてしまえば、懐夢の友達を一人奪う事になる。そんな事は、あってはならない。
霊夢は考えを纏めると、リグルの問いかけに答えた。
「懐夢は……みんなのために強くなろうって思ったのよ」
リグルは「え?」と言って首を傾げた。
霊夢は続けた。
「そっか。あんたはまだ知らなかったわね。懐夢がどういう目に遭って私の元に来たのか……」
霊夢はリグルに懐夢の身に起きた事を全て話した。
そして話が終わると、リグルは唖然としたかのような表情を浮かべて、呟いた。
「懐夢……そんな目に遭ってたの?」
霊夢は頷いた。
「そうよ。あの子は親も友達も帰るべき家も全部失って私のところに来たの。だからあの子は八俣遠呂智の異変が終わって落ち着いたところで修行を選んだのよ。全てを失った後に出来た友達であるあんた達を護れる力を手に入れるために」
リグルは俯いた。
「私達を護るために強くなろうとして、私達のところを離れたの?」
霊夢はもう一度頷いた。
「そうよ。だから、懐夢は今ここにはいないわ」
リグルは黙った。霊夢もまた黙り、沈黙が辺りを覆った。しかし、すぐにまたリグルが口を開いた。
「懐夢……そんな大事な事、どうして教えないでいなくなったの」
霊夢は答える。
「あの子なりの考えがあったからなんでしょうけれど。今は連絡さえ取れないからなんとも言えないわ」
霊夢はリグルに声をかけた。
「リグル、ちょっと顔をあげてくれる?」
リグルは顔をあげて霊夢と目を合わせた。
きょとんとした表情を顔に浮かべているリグルに、霊夢は問いかけた。
「リグルはさ、懐夢に会いたい?」
リグルはびくりとして、頬を赤く染めた後霊夢から目をそらし、首を横に振った。リグルの正直じゃない答えに霊夢は苦笑いして、もう一度リグルに問いかけた。
「嘘を言うんじゃないわよ。あんた、本当は懐夢に会いたいんでしょう?」
リグルはちらと霊夢を見て頷いた。
「会いたいよ。懐夢に会いたい。懐夢が心配だから。でも……」
「でも?」
リグルは胸の前で手を組んだ。
「会いたいんだけど、会ったときの事を考えると、胸が苦しくなるの。それに、なんだか、恥ずかしいんだ。懐夢に会うの……」
霊夢はきょとんとしてしまった。ある人物の事を考えると胸が苦しくなり、会うのが恥ずかしくなるるなんて、恋をしている他ない。リグルは本当に、懐夢に恋をしている。いや、恋をしてしまっている。見せてくる顔だって、明らかに『恋する乙女の顔』だ。
「そ、そうなの。じゃあ、それがどうしてなのか、あんたわかる?」
「わかる……わかるんだ。でも、言いたくない」
霊夢はふぅんと言った。どうやら、リグルは自分が懐夢に恋心を抱いている自覚があるらしい。それがわかったその時、霊夢は自分の胸に針が刺さったかのような痛みが走ったのを感じた。しかし霊夢はそれを顔に出さないように我慢すると、右手の人差し指を立てた。
「そう。ならいいわ。ところでどうする? 懐夢と連絡取れたらあんたに会わないように言っておこうか? あんた、懐夢と会うの恥ずかしいんでしょう?」
リグルは驚いたような表情を浮かべて、霊夢と目を合わせ、噛み付くように言った。
「やめて! 言わないで! この事、懐夢には言わないで!」
突然声を上げたリグルに霊夢は驚いた。
リグルはそれに気付いたのか、ハッとした後霊夢から目を逸らして俯いた。
「……懐夢にこの事は言わないで。ううん、他の人達にも言わないで……お願いだから……」
霊夢は顔を少し顰めた。
「何でよ」
「懐夢が聞いたら、きっと吃驚するだろうから。私が病気なんじゃないかって、心配し始めるかもしれないから。それに、この事は誰にも知られたくないの。だから、私の事は何も言わないで……誰にも、言わないで」
霊夢は思わずリグルの言葉に納得してしまった。確かに懐夢はその性格上、友人や家族に何かあった時にはすごく心配する。そのうえ、懐夢はかなり聡い子だから少しでも具合が悪そうなところを見せたりすれば、すぐに気付かれてしまう。きっと懐夢が今のリグルを見たら、リグルが病気なのではないかと心配し始めてしまうだろう。
「懐夢には余計な心配をかけたくないわけね。でもどうするのよ。あんたはあの子に会いたいんでしょう?」
リグルは頷いた。
「会いたい。でも、会いたいって言ってたなんて言ってほしくない」
霊夢は溜息を吐いた。恋する乙女は不思議で複雑な事を言い出すものだと聞くが、ここまでその話の通りだとは思っても見なかった。だが、リグルの言葉を聞いているうちに、リグルの恋心がどれだけ大きくて強く、そして脆い物なのかよくわかった。これを誰かに話すのは、阿呆か外道のやる事だと、流石の霊夢でも思えた。
「全く、どっちなのかよくわからない子ね。まぁいいわ。この事は秘密にしておいてあげる」
リグルは顔を上げて、大声を上げた。
「本当に!?」
霊夢はびくっとして、頷いた。
「えぇ。ここだけの話にしておいてあげるわ。でも、懐夢が帰ってきて一段落したら、それは懐夢に話さなければならないと思うわ」
リグルは「え?」と言ってきょとん、とした。
霊夢は顔を少し険しくして、続けた。
「そうでしょうが。あんたその思いが何なのか、自覚あるんでしょう? なら、それがいつか懐夢に告げなきゃいけないものだってわかるはずよ」
リグルは縮こまって頬を更に赤くした。
「そう……だよね……でも……でも……」
霊夢は首を傾げた。
「何よ?」
リグルは震えながら、小さく呟いた。
「そんな勇気……ないよ……懐夢にこれを話す勇気なんてない……」
霊夢はもう一度溜息を吐いた。
「何も今すぐ言いなさいって言ってるんじゃないんだけど」
「でも……いつか……言わなきゃいけない……」
「その『いつか』はあんたが決めなさい。懐夢が帰ってきてからか、その数か月後か、数年後か。
もしくは諦めるか。決定権はあんたが握ってるって事を自覚しなさい」
リグルは小さく頷いた後、顔を上げた。
「わかった。考えてみる……。
でも霊夢」
霊夢は首を傾げた。
「何よ」
リグルは小さな声で言った。
「懐夢は、いつ頃帰ってくるの?」
霊夢は両掌を上に向けて目を閉じた。
「わからないわ。修行期間は先月も含めて五ヶ月って聞いてたけど、あの子の飲み込みが早くてそれよりも早い期間で終わりそうなんだとか。それでもいつになるか……」
霊夢は目を開いた。
「っていうか、何でこんな事聞くのよ」
リグルは静かに首を横に振った。
「……ただ、知りたかっただけ」
リグルはそう言い残して、身体を出口の方へ向けた。
そのまま静かに歩き出し、神社を出ようとしたその時、霊夢はリグルを呼び止めるべくその名を呼んだ。
「ちょ、待ちなさいリグル!」
霊夢が声をかけてもリグルは止まらず、そそくさと神社を出て行ってしまった。
その時のリグルの後ろ姿を見て、霊夢は溜息を吐いた。
あの様子から察するに、リグルは懐夢に本気で恋をしていて、懐夢の事を必死に求めているようだ。それこそ、自分のように。
「何よ……何よ……」
霊夢は歯を食い縛って、ぎりっと歯を擦り合わせた。胸の中に冷たい水が流れ込んで、渦を巻いているような何とも言えない感覚に襲われている錯覚を感じた。
何故リグルがあんなに懐夢を心配しているのだ。
何故リグルが出会ってまだ数カ月しか経っていない懐夢に恋をしているのだ。しかも懐夢はリグルの三歳も下だ。
何故リグルがあんなに懐夢に会いたがっているのだ。
一番懐夢に会いたいのは自分なのに。
懐夢と一緒に暮らしたいのは自分なのに。
懐夢を一番心配しているのは自分なのに。
懐夢を欲しているのは自分なのに。
気に入らない。
気に入らない。
どうしてああなってるのか、気に入らない。
どうして懐夢にすり寄ろうとするのか、気に入らない。
どうして自分から懐夢を奪おうとするのか、気に入らない。
心の中で何度も呟いたその時、霊夢は自分の考えている事に気付いて、顔を青白くさせた。
「やだ……何考えてるの私……?」
今、自分はリグルに激しい憎悪にも似た感情を抱いていた気がする。これまでリグルにそんなものを抱いたりする事など無かったというのに、懐夢の事が絡んだ途端、いつの間にかそんな事を考えていた。
「何で……何で私こんな事を……?」
どうして、と自分に問い詰めたその時だった。霊夢の脳裏に、黒服の霊夢の言葉が蘇り、木霊するように響き渡った。
――貴方は本当に彼が家族を必要としていると考えて、彼を養子にしたのかしら?
彼を養子にしたのは彼のためというのは建前。本当は、自分自身のため。
貴方が懐夢を独占できる形にするために、養子という形で彼を家族にした。
そうすれば、誰も彼を奪ったり出来ない。彼を自分だけのものに出来る。
そう思ったのに、八雲紫が懐夢をどこかに連れ去ってしまった。それが許せないし、彼がいないのが寂しくて仕方がない。
黒服の霊夢は、自分が懐夢を大事にするのは独占欲があるからだと言っていた。
もしかして、リグルが懐夢に恋をしているのが許せないのはこのためだというのだろうか。自分は懐夢を独占したくて仕方がないから、リグルが恋心を抱いているのが許せないのだろうか。
自分は、懐夢を独占したいと思っているのだろうか。何故か、自分で自分の気持ちがわからなかった。
(いや)
でも、そんな事はないはずだ。多分、懐夢に会えないうえに情報が回ってこない事に苛立っているからこんな事を考えてしまっているに違いない。懐夢がちゃんと帰ってくれば、こんな事を考える事はなくなるはずだ。
自分が懐夢に独占欲を持っているだなんて、そんなの嘘に決まってる。
「何考えてんだが、私ったら……」
霊夢は自分に溜息を吐くと、身体を縁側の方へ向け、歩き出した。暑くもなければ寒くもない中々のぽかぽか陽気のせいか眠くなってきた。昼寝したって藍と橙は怒らないはずだ。それに、もし異変が起きれば藍が強制的に叩き起こすだろうから問題はない。
歩みを進めて玄関から廊下に出ようとしたその時だった。
「ごめんくださいー」
玄関からもう一度声が聞こえてきた。どうやらもう一度客人が来たらしい。
やれやれ、今度は一体誰が来たんだと思って霊夢は振り返ったところ、そこにはリグルとは違う翡翠色の長髪で、髪の毛に蛙の形をした愛らしいものと、白い蛇の形をした髪飾りを付けて、白と青の巫女服を身に纏った少女が立っていた。それは紛れもなく、妖怪の山に立つ神社『守矢神社』の巫女で、この前黒い虎の異形との戦いで共闘した東風谷早苗だった。
「早苗」
霊夢が声をかけると、早苗は軽く礼をした。
「こんにちは霊夢さん。ぽかぽか陽気のいい日ですね」
霊夢は早苗の方へ身体を向け、玄関へ戻った。
そして早苗の目の前まで来たところで、霊夢は両手に腰を当てて立ち止まった。
「えぇいい日ね。んで、何の用事?」
早苗は苦笑いした。
「早速用件を尋ねるんですか。えっと、あの例の黒い異形の事なのですが……」
霊夢は目を少しだけ見開いた。
黒い異形との戦いの後、異形の事を調べるように早苗にも言っておいたが、何か見つけたのだろうか。
期待を胸に寄せながら、霊夢は早苗に問いかけた。
「えっ、何か情報が見つかったの?」
早苗は首を横に振った。
「いいえ。何の情報も得られていません。そればかりか、あれを最後に黒い異形は現れていません」
霊夢はがくりと肩を落とした。
「まぁそんな事だろうとは思ったわ。確かにあれはあの時を境に現れてないから、情報を集めるってのは無理かもね」
霊夢は顔を上げた。
「という事は、何しに来たのあんたは」
早苗は神社の中を眺めるように見た。
「あの、懐夢くんはいらっしゃいますか?」
霊夢は「え?」と言った。
「え、なんで懐夢?」
早苗は微笑んだ。
「私と霊夢さんと懐夢くんで街に買い物に出かけようと思いまして。
今日はその用件で来ました」
霊夢は首を傾げた。
「私と懐夢とあんたで、街で買い物?」
「はい。私達、一緒に戦いはしましたけど、こうして買い物をしたりした事ってあまりなかったじゃないですか。
たまには戦いとか異変の解決以外で一緒に行動したいなって思いまして」
言われて、霊夢はそのとおりりだと思った、
確かに自分達は共に凶暴な存在と戦ったり、異変を解決したりしているが、街で気楽に買い物をしたりじっくり話をしたりした事はあまりない。
「そういえばそういう事はあまりしてこなかったわね。たまにはいいかもねそういうの」
早苗はにっと笑った。
「そうでしょう! それで、今から街へ出かけたいところなのですが、懐夢くんは今どちらに?」
霊夢はうっと言ってしまった。先程のリグルの時もそうだが、今は懐夢はいない。
面倒だがこの事を早苗にも話さなければならない。
「懐夢は……懐夢は今ね……」
早苗は首を傾げた。
霊夢はリグルにも話した懐夢の修行の事を、早苗にも話した。
霊夢の話が終わると、早苗は口元に手を添えた。
「懐夢くん、霊夢さんのために修行へ?」
霊夢は頷いた。
「えぇ。強くなる事を選んで……何も告げずに修行に打ち込み始めたそうよ。
だから今懐夢は神社にはいないわ」
早苗は悲しそうな表情を浮かべた。
「霊夢さんに何も言わずに、ですか……」
「そうよ。残念だけど、懐夢はいないわ」
早苗は黙った。霊夢も同じように黙ったが、早苗はすぐに何かを思い付いたような表情を浮かべて、霊夢と目を合わせた。
「それじゃあ、私達二人で行きましょう!」
霊夢はきょとんとした。
「え? 私達二人で?」
早苗は頷いた。
「はい。私達二人で出かけましょう。懐夢くんにはちょっと悪いですけど。
たまには買い物をして、美味しい物を食べて、羽を伸ばす事も大事なんですよ」
霊夢は思い出した。
そういえば近頃は異形との戦いの準備、黒服の霊夢の調査と探究ばかり考えていて、そういう事は全く考えなかったし、やってこなかった。
たまにはそういうのを忘れて街へ出かけるというのも、悪くないかもしれない。いや、いいかもしれない。
「いいわねそれ。乗った」
早苗はにっこりと笑った。
「よかった! それじゃあ、早速出かけましょう!」
霊夢は頷くと、神社の中に戻って寝室に行き、財布の入った少し小さい鞄を肩にかけると、藍に街へ出かけると告げて玄関へ戻った。
霊夢が玄関に戻って来て靴を履くと、早苗が霊夢へ声をかけた。
「準備できましたか?」
「えぇばっちりよ」
「それじゃあ、行きましょう!」
直後、早苗は霊夢の手を取り、そのまま外に向かって走り出した。
霊夢は突然手を取られた事に驚いたが、抵抗する事なく、早苗に引かれるまま神社の外に出た。
そして二人揃って神社に出たところで、地面を蹴り上げて上空へ舞い上がり、そのまま街の方角へ向かった。
次回久々のほのぼの回