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東方幻双夢  作者: クシャルト
第一期のあとがき
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第六十一.九話

 懐夢が『博麗』の姓名になってからの最初の寺子屋の日。

 昼間から少し前、霊夢は台所で昼食の準備をしていた。

 懐夢は昼になると一旦神社に戻ってきて、昼食を摂ってから寺子屋へ戻っていく。だから昼食は普段通り二人分作る必要があり、少し早くから準備をしなければ懐夢が帰ってくる時刻に間に合わない。帰ってくる懐夢のためにも、早いところ昼食を作り終えなければ。

 ……と、思って霊夢は準備を進めていたが、徐々にその速度を落としつつあった。

 外から入ってくる暑さと室内に籠りきった熱が、少し動くだけで体温を上昇させ、汗を噴出させて体力を消耗させる。体力が減れば、やる気も一緒に消える。このまま作り続けたら、昼食を作り終える前に体力を使い切ってしまいそうだ。

 昼食は簡単なおにぎりにしようと思ったが、食べても暑くなるだけなのでやめた。

 ここは一つ、食べれば涼しさを感じられる素麺にしよう。懐夢だって文句はないはずだ。

 そう思って霊夢は鍋に水を張り、コンロ台の上に置いて、コンロの火を付けた。その間に食器棚の下の段にしまっておいた素麺の袋を取出し、開いてテーブルの上に乗せた。

 しばらくして鍋の水が沸騰を始めると、袋の中から取り出した二人分の素麺を湯気を放つ鍋の中へ入れた。袋には『沸騰したお湯二分で出来上がる』と書いてあったので、すぐに出来るだろう。

 霊夢は時計を見た。時計の文字盤は、十二時を指していた。


「丁度いい時間になったわね」


 霊夢は台所から縁側へ出て、軽く外を眺めた。

 懐夢はほぼ十二時ぴったりに帰ってくる。十二時になったらこうやって外に出て、境内の方を見れば懐夢が帰ってくる様子が見れる。霊夢は素麺が出来上がる時間までじっと境内を見ていた。

 しかし、素麺が茹で上がる時間になっても懐夢が帰ってくる様子はなかった。

 霊夢は少し気になったが、友達と話でもしているのだろうと思い、台所に戻って素麺を器に盛り付け、麺汁を冷蔵庫から取り出してテーブルに置いた。そうしても懐夢はなかなか帰ってこないため、霊夢は椅子に腰を掛けて素麺を眺めた。

 素麺の器には水が張られているため、時間が経つ毎に素麺は水を吸い込んで伸びていく。伸びた素麺はあまり美味しくないため、出来れば早いうちに食べてしまいたいところだが、懐夢が帰ってこないのでそうはいかない。

 霊夢は肘を立てて、頭に手を当てた。


「こんな事なら、懐夢が帰ってきてから準備すればよかったわ」


 てっきりいつもの時間に帰ってくると思っていたのに、何かあったのだろうか。

 懐夢は頭がいいから補習を受ける事はないだろうし、力も強いしスペルカードを使えるからいじめっ子にいじめられたりもしないし、お金は持たせて無いから買い物をしてるわけもないだろうし……。

 考えていたその時、玄関の方から声が聞こえてきた。


「ただいまー」


 聞きなれた声。懐夢の声だ。

 霊夢はいつもどおりに言葉を返した。

 

「おかえりー」


 ようやく帰ってきたなと思って椅子から立ち上がった直後に、懐夢は台所に入ってきた。

 そこで、霊夢は少し驚いてしまった。懐夢はがっくりと肩を落とし、下を向いている。今朝は元気いっぱいな様子で出かけて行ったというのに。

 落ち込んでいる懐夢に、霊夢は近付き、声をかけた。


「ど、どうしたのよ懐夢。何か嫌な事でもあった?」


 懐夢は顔を上げた。

 

「霊夢、どうしよう……空、飛べなくなっちゃった」


 霊夢は目を丸くした。


「え? 空飛べなくなったの?」


 懐夢は頷いた。


「それだけじゃないよ。スペルカードも使えなくなっちゃった……」


「スペルカードまで使えなくなったの? なんでまた?」


「わからない……」


 霊夢は考え込もうとしたが、その瞬間に答えが出てきた。

 そうだ、懐夢は以前、八俣遠呂智に取り憑かれていて、凶悪な物質『暴妖魔素』を放出していた。だがしかし、同時に病気しなくなる、怪我がすぐに治るようになる、十歳の半妖が使えるスペルカードとは思えないスペルカードを使えるようになるなど、様々な恩恵を得ていた。その中に空を飛ぶ術とスペルカードが含まれていたというのなら、八俣遠呂智が消えた今、それが使えなくなってもおかしくはない。

 懐夢は今、当たり前のように使えていた術が使えない事に混乱しているのだろう。


「どうしよう霊夢……これじゃあ、いつもみたいにチルノ達と遊べないよ……」


 懐夢に迫られて、霊夢は返す答えに迷った。

 懐夢は大蛇里にいた時とほとんど同じ状態に戻っている。空を飛ぶ事が出来なければスペルカードを撃つ事もできない状態に。これでは、これまでと同じようにチルノ達と遊ぶ事などできない。

 チルノ達と遊べるようになるには、また空を飛ぶ術とスペルカードを取得しなければならないが、かなり時間がかかってしまうだろう。

 かつてのようにチルノ達と一緒に特訓するのもありかもしれないが、それでもチルノ達と一緒に飛べるようになるにはかなりの時間を要するに違いない。

 霊夢は考えを纏めると、ようやく懐夢に答えた。


「そうねぇ……また特訓するくらいしか、対策は思い付かないわ。とりあえず、当分は飛べないわね」


 懐夢はまた俯いた。


「そんな……もっと強くなって霊夢と一緒に異変を解決できるようになりたかったのに……」


 霊夢は目を見開いた。


「え……何言ってるのよ懐夢」


 懐夢は服の裾を握りしめた。


「ぼく……霊夢と家族になったから、ううん、霊夢がぼくを家族にしてくれたから、そのお礼に強くなって霊夢と一緒に戦えるようになりたかった。でも……もう……」


 霊夢は驚いてしまった。まさか、懐夢がこんな事を考えていたとは思ってもみなかった。自分と一緒に異変を解決できるくらいに強くなろうとしていたなんて。

 だが驚いた半面、霊夢は嬉しさも感じて、姿勢を落とし、懐夢と目の高さを同じにした。


「いいのよ懐夢。貴方がそんな事をしなくたって、私一人で何とかなるわ。これまでそうだったしさ」

 

「でも……」


「大丈夫よ。貴方は、そんな事をしなくていいの。だから、そんな事を気にするのはやめにしましょう」


 霊夢が話を終わらせようとしたその時だった。


「いいえ、諦めるのはまだ早いわ」


 台所に聞き覚えのある声が木霊した。

 二人が辺りを見回したその次の瞬間、目の前の空間に裂け目が出来、中からぬっと人が出てきた。

 その人物の姿がはっきりするや否、霊夢は声を上げた。


「紫!」


 紫はゆっくりと瞼を開き、霊夢の隣にいる懐夢へ視線を向けた。


「聞いていたわ懐夢。貴方、空を飛べなくなって、スペルカードも使えなくなったそうね」


 懐夢は頷いた。


「はい。何にも出来なくなりました」


 紫は霊夢と同じように腰を落とし、懐夢と目の高さを合わせた。


「そう……質問を変えるけど、貴方、今言った事は本当かしら?」


 懐夢はきょとんとした。


「え?」


「ほら、強くなって霊夢と一緒に戦いたかったって言ったじゃない。それは本当なのって聞いてるのよ」


 懐夢は紫から一度目をそらし、もう一度合わせてから頷いた。


「はい。霊夢と一緒に戦って、一緒に異変を解決できるようになりたかったです」


 紫は表情を険しくした。


「……もしそれが実現できるなら、貴方はそのために、これまでにないくらいに頑張れるかしら?」


 懐夢は首を傾げた。

 紫は続けた。


「懐夢、貴方にはとても大きな才能があるの。貴方が八俣遠呂智に憑かれていた時のスペルカードは、発動こそ八俣遠呂智が起こしていたものだけれど、カードそのものは貴方の才能が生み出したものなのよ」


 紫は目を少し鋭くした。


「貴方の持つ潜在能力は類稀なものよ。もしそれを開花させる事が出来れば、貴方は霊夢と一緒に戦って、異変を解決できるくらいに強くなるでしょう。貴方の夢は、現実に出来るわ」


 紫は懐夢の肩を両手でつかんだ。


「懐夢、もし貴方にその意志と覚悟があるなら、私はそれに協力するわ」


 霊夢は少し戸惑ったように紫に声をかけた。


「紫、何を言っているの?」


 紫は気にせず続けた。


「貴方に意志があるなら……博麗の巫女を育てる際に行われる修行を凝縮したものを、貴方に施すわ。そうすれば貴方は、霊夢には及ばないけれど、異変を解決できるくらいの力を手に出来るわ。

 ……懐夢、貴方が頑張り屋さんなのはわかっているわ。でも、普通の博麗の巫女よりも短期間で行うから、かなり険しくて厳しい修行になるでしょう。ついて来れるか怪しいわ」


 紫は静かに言った。


「懐夢、貴方はどうしたい? このまま非力でいる? それとも強くなって霊夢と一緒にいる?」


 懐夢はごくんと息を呑んだ。

 その横で、霊夢は唖然とした。

 博麗の巫女を育てる修行と言えば、その名の通り博麗の巫女に選ばれた少女を幻想郷最強にするための修行だ。それを懐夢に施すという事は、懐夢をもう一人の博麗の巫女にするという事とほとんど同じ意味だ。


「ま、待ちなさい紫! あんた、懐夢を博麗の巫女にしようっていうの!?」


 そこでようやく紫は霊夢へ視線を向けた。


「違うわ。彼には、『博麗の守り人』になってもらうの」


 霊夢はきょとんとした。


「『博麗の守り人』? 何よそれ、初耳なんだけど」


 紫は答えた。


「要するに、貴方を守る存在よ。彼を『もう一人の博麗の巫女』にする事によって、貴方を危険から守るの」


「私を危険から守る?」


 紫は頷いた。


「これまでの異変だったら、こんな事をする必要はなかったわ。レミリアの異変、幽々子の異変、輝夜の異変、早苗の異変にさとりの異変。どれこれも、女の子と一部女性の弾幕ごっこというお遊びで解決するようなものだった。

 でも一昨日まであった八俣遠呂智の異変。あれは貴方にとってお遊びと言えるものだったかしら?」


 霊夢は首を横に振った。現に霊夢はあの異変の中でこれまでにないくらいの危険に晒され、何度も傷だらけになり、ついには八俣遠呂智に殺されかけた。

 あれはいつものお遊びではなく、本当の戦闘、殺し合いだった。


「お遊びで解決できる異変ではなかったわね。っていうかあれをお遊びって言える人がいるとは思えない」


 紫は頷いた。


「そうでしょう。あの異変の中で貴方の命は何度も危険に晒されたわ。それは何故か。

 貴方を守ってくれ、一緒に戦ってくれる強力な助っ人という者がいなかったからよ。今回貴方は死にはしなかったけれど、もし次に似たような異変が起きた時、今度こそ貴方は命を落としてしまうかもしれない」


 紫は目つきを鋭くした。


「だからね、貴方には貴方を守ってくれる存在っていうのが必要なの。

 懐夢を選んだ理由は、懐夢に言った通りよ」


 霊夢は懐夢を見て、考えた。

 確かに自分はあの時、八俣遠呂智に殺されかけたし、その前にも未確認妖怪や暴妖魔素妖怪に命を狙われた。あぁいうのが現れた時、もし自分を守ってくれる人がいるなら心強いし、戦死する可能性も大幅に減少するだろう。

 だけど、それは同時にその人の命も危険に晒されるという事だ。下手すれば、自分を庇う形で命を落としてしまうかもしれないし、死にはしなくても瀕死の重傷を負わされてしまうかもしれない。それに懐夢になるなんて、絶対に駄目だ。


「駄目よ懐夢! 今言ったでしょう、貴方はそんなふうに戦う必要はないって! 貴方は、私のようにならなくたっていいのよ!」


 懐夢は答えなかった。かと思いきや、懐夢は顔を上げて紫に声をかけた。


「……ぼく、それやりたいです」


 霊夢と紫は懐夢へ視線を向けた。

 懐夢を続けた。


「ぼく、異変に振り回されて傷だらけになる霊夢なんか見たくありません。

 ぼくがそれになって、霊夢と一緒に戦う事でそういう事を無くせるなら、ぼくは頑張れます」


 霊夢は焦って懐夢に声をかける。


「懐夢! 何言ってるのよ!!」


 紫は霊夢を無視して懐夢に尋ねた。


「……本当なのね? すごく厳しい修行になるわよ? 泣いて逃げ出したくなるかもしれないわよ? それでもいいのね?」


 懐夢は頷いた。


「大丈夫です。ぼくは、悲しい時しか泣きません」


 霊夢は怒鳴った。


「懐夢! いい加減になさい!!」


 紫は霊夢へ顔を向けた。


「大丈夫よ。彼には自宅通いしてもらうから。ただ寺子屋が変わる程度よ」


 紫は続けた。


「懐夢の修行期間は五か月。途中で私の方で駄目だと判断した場合、修行は中止するわ。

 それに、懐夢の飲み込みが早かった場合は、修行期間はもっと短くなるわ。修行料金は取らないし、彼を友達と遊ばせるために週一日は必ず休みを入れるわ。不慮の事故が起きた場合は全力で対処するし、修行している間は私が彼を守るわ」


 霊夢は紫を睨みつけた。


「本当に、大丈夫なの?」


 紫は頷いた。


「大丈夫よ。幻想郷の大賢者の名において、保証するわ。それに、彼は必ず帰ってくるから、心配もいらないわ。五か月経った頃には、彼は貴方よりも下だけど、貴方を守れるくらいに強くなってるはずよ」


 霊夢は懐夢へ視線を向けた。


「懐夢……本当にやる気なの?」


 懐夢は頷いた。


「やりたい。ぼく、霊夢を守れるようになりたいんだ。ぼくを家族だって言ってくれた霊夢を」


 霊夢が小さく懐夢の名を呟いた後、紫は立ち上がった。


「霊夢、貴方はどうするの? 彼はこう言ってるわけだけど」


 霊夢は考えた。

 懐夢の目を見たところ、懐夢はこれまでに何度か見せてきた、何かを成し遂げようとしているような目をしていた。多分、本気で自分を守れる存在になろうと考えているのだろう。こういう目をしている時の懐夢には、出来れば邪魔になるような事はしたくない。それに懐夢自身が強くなれば、異変の解決は前よりも遥かに楽になるだろう。

 だが紫の言っている事にはかなりの危険が伴っている。下手すれば大怪我をしてしまうかもしれない。出来れば行かせたくないが、たまに頑固なところのある懐夢の事だ、言っても聞かないだろう。

 霊夢は考えを纏めると溜息を吐き、紫に答えた。


「……認めるわ。懐夢をお願い」


 霊夢は懐夢を見つめた。


「懐夢、辛くなったらやめなさいね。これは全部貴方が決める事だから」


 懐夢は頷いた。


「大丈夫。ぼく、諦めない!」


 紫は苦笑いをした。


「何故長い間お別れになるみたいなやり取りしてるの。自宅通いだって、言ってるじゃない」


 紫は懐夢の手を取った。


「それじゃあ懐夢、修行の場所を教えるわ。付いてきて頂戴」


 懐夢は頷き、紫と共に神社の外へ向かった。

 霊夢は窓から顔を出し、神社を出ていく懐夢と紫の姿を見ていた。


「本当に……大丈夫なのかな……」


 


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