第五十二話
紫の言葉に部屋は騒然とし、そのうち魔理沙が言った。
「わ、私達に、八俣遠呂智の封印をやれ!?」
紫は頷いた。
「そうよ。貴方達にはかつて私達大賢者が担った役である、八俣遠呂智の封印を担ってもらうわ」
一同は騒然とし、そのうちの一人である白蓮が挙手した。
「ちょっと待ってください!私達にそんな役をやれなんて、突然すぎます!」
同じく人混みの中からさとりが挙手する。
「それに、私達は八俣遠呂智を見た事も、その封印の場に立ち会った事もありません。どうすればいいかなんて、わかりませんよ」
妹紅が挙手する。
「そもそも、その役はお前達大賢者がやったんだろう?今回もお前達がやったらいいじゃないか!」
輝夜が挙手する。
「それに!私達なんかで足りるわけないでしょ!私達はあんた達大賢者よりも何倍も力が少ないのよ!」
その時、紫が突然怒鳴った。
「いいから、他人の話を最後までお聞きなさいッ!!」
あまりの声の激しさに、揉めていた一同はしゅんと静まり返った。
紫は険しい表情を保ちながらも少しだけ声を和らげ、説明を始めた。
「突然こんな場所に呼び出しておいて、突然こんな事吹っかけたのはすごく悪いと思っているわ。でもね、今はもうそんな事を言っている場合じゃないの」
まず、暴妖魔素。
暴妖魔素は今、幻想郷全土、どこへ行っても感染してしまうほど自己増殖をしており、幻想郷にはもう、どこにも暴妖魔素から逃れられる場所はない。もはや、幻想郷は暴妖魔素の養殖場のような場所になってしまっていると、紫が告げると、魔理沙が焦ったような表情を浮かべて挙手した。
「そんなに広がってるなんて、やばすぎんだろ!」
魔理沙の横でアリスが呟く。
「暴妖魔素は妖魔の身体に入り込んで、その心と身体を支配する恐怖の物質……それから逃れれる場所がもうないなんて……」
霊夢の隣にいる早苗が挙手する。
「妖魔達に安全な場所がないって事ですよね?それじゃあ、妖魔達はどうすればいいのですか?黙って、暴妖魔素の餌食になるしかないんですか?」
紫は首を横に振った。
「いいえ。そうではないわ。たった一つだけ、妖魔達を暴妖魔素から守る方法があるわ」
藍が声を上げる。
「本当ですか!?それはどういう方法で!?」
紫は懐から、束になった札を取り出した。そこには、霊夢が使っているものとほぼ同一の術式が描かれており、それを見た霊夢は驚いた。
「それって、私が使ってる札?」
紫は頷いた。今紫の手に持たれている札は、小さいながらも博麗の力場を発生させる結界札であり、これによって発生した結界は暴妖魔素を死滅させる力を持つという。つまり結界を展開し、その中に入れば暴妖魔素から身を守る事が出来るのだ。
紫は、霊夢が気を失っている間に博麗神社から勝手にこの札を持ち出し、大賢者の元へ配って回っていたという。今は、たくさんの人々と妖魔が暮らす街、西の町、天狗の里と河童の里がある妖怪の山、鬼達が暮らす地底、四季映姫が統べる地獄にこの札による結界が展開されており、安全地帯となっているという。
紫の説明が一旦区切られると、霊夢は不機嫌な表情を顔に浮かべた。
「私が寝てる間に随分と好き勝手やってくれたわね」
紫は苦笑いしたが、すぐに表情を険しいものへ戻した。
「でも、これらの結界はあまり長い間は持たない。結界が切れたら今言った場所も瞬く間に暴妖魔素に侵されて、陥落するわ。しかも、そこには大賢者もいる場所が混ざっているから、大賢者も暴妖魔素に晒される事になる」
人混みの中に紛れていた幽々子が挙手する。
「もしかして、その唯一の解決策というのが……」
紫は頷いた。
暴妖魔素は、八俣遠呂智の身体を構成し、八俣遠呂智自身が制御している物質。つまり暴妖魔素は八俣遠呂智がいるから存在できているものだ。だから、元である八俣遠呂智が死ぬか封印されるかすれば、暴妖魔素は生みの親と制御を失い、朽ち、死滅する。
この幻想郷から暴妖魔素を完全に消し去るには、生みの親兼制御している存在である八俣遠呂智を絶つしかない。即ち、封印だと紫が言うと、一同はまたざわめき始めたが、紫は凛とした声で伝えた。
「これには、幻想郷の命運がかかっているの。貴方達が出来なければ、暴妖魔素は妖魔達を蝕み、暴妖魔素に蝕まれた妖魔達は理性を失って暴走し、やがて別な妖怪になって、その中で八俣遠呂智は復活し、幻想郷は次こそ八俣遠呂智の手に落ちるわ」
紫の言葉に一同は黙った。が、その沈黙を引き裂くように文が挙手した。その顔には、恐怖の表情が浮かんでいた。
「もし……幻想郷が白の魔神に支配されてしまったら……どうなるんですか……」
紫は静かに答えた。
もしも幻想郷が八俣遠呂智の手に落ちたらどうなるのか。まず、八俣遠呂智は暴妖魔素を幻想郷中にばらまき、妖魔を一匹残さず感染させ、支配下に置き、人間や神を皆殺しにするだろう。だが、問題はそれだけではない。
八俣遠呂智はもともと、日本が『葦原の中つ國』と呼ばれていた頃に、外の世界で活動をしていた魔神だ。だから、外の世界の知識を持っている。
これが何を意味するのかというと、幻想郷と外の世界のを隔てる壁となっている博麗大結界は、外の世界の知識を持ったもののみ、通過する事が出来るのだ。つまり、八俣遠呂智がその気になれば、博麗大結界を食い破り、妖魔の軍隊を引き連れて外の世界へ侵攻する事が出来るのだ。科学技術を発達させる事には成功したが、神の力に勝る力は持ちえない外の世界の住民達は、八俣遠呂智とその軍勢に瞬く間に蹂躙され、すぐに外の世界も八俣遠呂智の支配下へ陥落する事だろう。
即ち、幻想郷が落ちれば、もう八俣遠呂智を止めるものはなくなってしまい、この世界と外の世界に暮らす者達は全て八俣遠呂智に駆逐されて、世界は八俣遠呂智が支配する闇の國となるだろう。
紫の言葉に一同は身震いし、そのうち早苗が言った。
「そんな……外の世界にすら攻め込めてしまうなんて……」
紫は頷いた。現に八俣遠呂智が博麗の巫女に封印されるまでは、八俣遠呂智は博麗の巫女と幻想郷の大賢者を殺したのち、外の世界へ攻め込む事を計画していた。八俣遠呂智の復活と暴妖魔素の拡散は、計画の再始動を意味する。
「だから、八俣遠呂智は確実に、私達幻想郷の民の手で封印しなければならないわ。そして八俣遠呂智の封印は、暴妖魔素の撃滅と感染者の治療と同意義よ」
その時、霊夢が挙手した。
「ねぇ紫、あんたのところには暴妖魔素感染者の情報は入ってきてないの?というか、この幻想郷に今何人くらい感染者がいるの?」
紫は答えなかった。霊夢は紫に軽く苛立ち、再度声をかけた。
「ねぇ紫ってば。どのくらいなのよ。暴妖魔素の感染者は」
紫は軽く溜息を吐き、少し悲しそうな表情を浮かべると、今まで暴妖魔素について話を進めていた永琳へ声をかけた。
「永琳、貴方、わかるでしょう?暴妖魔素の感染者が」
霊夢は永琳の方を向いた。永琳は険しい表情を顔に浮かべて、一同に言った。
「えぇわかりますとも。暴妖魔素の感染者を、これから発表するわ」
永琳は霊夢と目を合わせた。
「特に霊夢。貴方は……少し覚悟をして聞いて頂戴」
霊夢が「どういう事?」と聞く前に永琳は暴妖魔素に感染してしまったものについての話を始めた。
今のところ確認できた感染者は、二人。
まずそのうちの一人はかつてこの幻想郷を紅い霧で覆い、日光を遮るという異変、「紅魔異変」を起こしたレミリア・スカーレット。レミリアは突如としてメイドの咲夜に襲いかかかり、退けた後美鈴とフランドール、パチュリーにも襲い掛かって痛めつけた後、奇妙な竜の姿へと変身し、紅魔館を飛び出してどこかへ飛び立ったという。永琳はその話を聞くなり、レミリアは暴妖魔素に感染したと断定した。ちなみにレミリアに襲われて怪我をした咲夜達だが、今は博麗神社の本堂にて治療中だという。
更に、その中の美鈴とフランドールだが、博麗神社に来る途中で突如として吐き気を訴え、嘔吐をしたらしい。永琳は博麗神社にやってきた彼女達からその話を聞いた後、美鈴とフランドールにリグル達と同じ術を施したが、そこでも暴妖魔素が発見されたという。しかし、美鈴とフランドールは体調不良を起こしただけで、暴妖魔素によって引き起こされる狂暴化や変化の症状を起こす事はいつまでたってもなかった。
永琳はこの事に疑問を抱いたが、その時にチルノとミスティアに、以前の自分達がなった症状と同じであると言われて、更に二人の身体から暴妖魔素が検出されたにも関わらず二人が症状を起こさなかった事を思い出した。
「この事から私は、あの二人は暴妖魔素に感染しても大丈夫な妖魔、そして大丈夫な妖魔を見つけ出す方法を確立させたわ」
白蓮が挙手する。
「突如として吐き気や嘔吐の症状を起こす妖魔ですね?感染しても大丈夫な妖魔は」
永琳は頷く。
「そうよ。その他の症状や共通点があるかもしれないけれど、今のところ見つけた点はそれ。その子達は、暴妖魔素の症状を起こさないわ」
永琳が説明を終えると、紫が言った。
「まぁそれも、ここ博麗神社に来て暴妖魔素を死滅させれば心配なくなるのだけれどね」
紫が言い終えると、霊夢が挙手する。
「それで、二人目は?二人目は誰なのよ」
霊夢がそう言った途端、永琳と紫の表情が少し悲しそうなものに変わった。
よく見れば、他の一同にも同じような表情を浮かべている者がいる。
霊夢は少し戸惑い、周りをきょろきょろ見回しながら声をかけた。
「ど、どうしたのよみんな」
霊夢の問いかけに、永琳は答えた。
「霊夢、覚悟して聞いて頂戴」
霊夢は永琳の方を見た。
永琳は軽く深呼吸をした後、目を瞑った。
「……感染者二人目。それは貴方達が地底の新しい温泉で会い、博麗神社に霊夢とともに住んでいる半妖……百詠懐夢」
そう聞いた途端、霊夢は頭の中が痺れたようになって、呆然とした。
永琳は今、百詠懐夢と言った。
懐夢が、暴妖魔素感染者であると、言った。いや……聞き違いだろうか。
霊夢は思うと、永琳に話しかけた。
「永琳、今なんて?」
永琳は目を開き、霊夢と目を合わせた。
「百詠懐夢。懐夢が、暴妖魔素に感染してしまったのよ」
霊夢は目を見開いた。永琳は確かに今、懐夢が暴妖魔素に感染してしまったと言った。
(そんな……)
懐夢は、自分と喧嘩して神社を飛び出した後に、暴妖魔素に感染してしまったのだ。自分と喧嘩をして、神社を飛び出してしまったがために……いや、自分が真実を話さずにずっと隠して、嘘を吐いていたばっかりに、懐夢は危険な病の元に入られてしまった。
霊夢は呆然としながら、永琳に尋ねた。
「永琳……懐夢は今どこに?」
永琳は答えた。何でも、今懐夢は本堂で寝ていて、慧音とチルノ達に看病されているらしい。霊夢はそれを聞くや否、先ほど通った廊下へ戻り、本堂に続く廊下を通って、本堂に入るや否大声を出した。
「懐夢ッ!!」
霊夢は慌てて部屋の中を見回した。本堂の中央辺りに布団で寝ている懐夢、その近くに座って、こちらを見ながら吃驚している慧音達の姿が見えた。よく見れば、部屋の隅のあたりに今永琳の話に出てきた咲夜達が座っていて、同じように霊夢を見ながら吃驚したような顔をしていた。
霊夢は寝込んでいる懐夢を見るなり部屋の中をかけ、飛び込むように懐夢の近くに駆け寄った。
「懐夢!懐夢ッ!!」
霊夢が声を上げるや否、慧音が声をかけてきた。
「おぉ霊夢、目を覚ましたのか」
霊夢は慧音を無視して懐夢に声をかけた。
「懐夢!懐夢!!」
懐夢は答えない。顔色を見てみれば青白く、息もどこか苦しそうだった。
霊夢は懐夢が答えを返さないことを察すると、キッと慧音を睨んだ。
「懐夢は今どんな状態!?どこにいたの!?いつ頃ここに運ばれてきた!?それから何時間経ってる!?というかいつ頃こうなった!?」
「お、落ち着け霊夢。順を追って話す」
慧音は懐夢についての話を始めた。
まず一つ目、懐夢はどこにいたのか。
懐夢は昨日の夜の七時三十分頃、慧音とチルノ達のいる永遠亭の八意診療所に突然やってきて、突然慧音に抱きついて泣き出したらしい。どうしてここに来たのかと尋ねたところ、霊夢にずっと騙されていたと言った。
二つ目、懐夢は今どのような状態なのか。
懐夢は今暴妖魔素に侵され、意識がない状態だという。だから話しかけても無駄だそうだ。
三つ目。いつ頃こうなったのか。
懐夢が永遠亭に突然やってきてから一時間の八時三十分付近、突然懐夢が意識を失って倒れ、永遠亭で緊急の治療を受けていたが、永琳から移動の指示が出され、博麗神社に移送した。博麗神社にやってきたのは朝の六時頃なので、この状態になってから十時間近く経っているらしい。
それを聞くや否、霊夢は戸惑いを顔に浮かべた。
「懐夢……どうして……」
「そこなんだよ、霊夢」
慧音に言われて、霊夢はきょとんとした。
「そこって?」
「懐夢だよ。懐夢は何故こんな状態になったのか、誰にもわからないんだ。調べた張本人である永琳もな」
慧音は話した。永琳によると、暴妖魔素は妖魔にのみ感染するもので、人間と妖怪の要素が入っている半妖は暴妖魔素に感染しないらしい。その証拠に、香霖堂の霖之助が暴妖魔素の満ち満ちているところを通っても、感染した時の症状は起こさなかったらしく、更に博麗神社に来たところ、暴妖魔素は全て死滅していたという。
しかし、懐夢は霖之助と同じ半妖であるにもかかわらず暴妖魔素に感染し、意識を失うという未知の症状を発症させた。現に永琳が先ほど懐夢の身体の暴妖魔素濃度を、術を使って調べてみたところ、半妖からは検出されないはずの暴妖魔素が見つかったという。しかも、今まで術をかけて調査したどの妖怪達よりも圧倒的に高い濃度で。
それを聞いた霊夢は驚き、先ほどと同じように呆然とした。
……自分のせいだ。自分がちゃんと懐夢の事を考えていなかったから、懐夢の事を何もわかってなかったから、懐夢にショックを与えてしまい、博麗神社から出させ、暴妖魔素に感染させてしまった。自分がもっとしっかりしていれば、懐夢が暴妖魔素にやられる事などなかったはずなのに。
「私のせいだ……私が……この子の事をもっとしっかりわかってあげられなかったから……こんな事に……」
慧音は首を横に振った。
「それよりもだ。聞いてくれ」
霊夢はゆっくり顔を上げて慧音と目を合わせた。
「懐夢はこの通り意識を失って寝たきりになってしまっている。しかも身体の中は暴妖魔素でいっぱいだ。これは今言ったように、おかしいんだ」
慧音は懐夢がおかしい状態にある事についての説明を始めた。
まず、懐夢は半妖は感染しないはずの暴妖魔素に感染してしまっている。そのせいなのか、意識がなく、寝たきりの状態になってしまっている。何故同じ半妖である霖之助は感染せず、懐夢は感染してしまっているのか。永琳は調べたそうだが、やはり答えは出なかったらしい、だが問題はそこではないのだ。
問題は、懐夢の身体の中にいる暴妖魔素が博麗の力場の中枢である、ここ博麗神社にいても死滅しないという点だ。普通、暴妖魔素は博麗の力に弱く、博麗の力場に入ってしまえばたちまち死滅してしまうというのに、懐夢の身体の暴妖魔素はどんなに長時間博麗神社にいても動きが沈静化するだけで死滅しない。
即ち、懐夢の体内には調伏の力に触れても死滅しない暴妖魔素がいるという事だ。
「死滅しない暴妖魔素ですって?そんなのが懐夢の中に?」
慧音は頷いた。
「永琳の話を聞く限りではな。だが、永琳が調べても、私が調べても懐夢の中の暴妖魔素が死滅しない理由は不明だ。そもそも、半妖である懐夢の体内に何故暴妖魔素が存在できている理由そのものが不明なのだがな」
霊夢は慧音の話を聞いた後、考える姿勢をとった。
何故、半妖であるはずの懐夢が暴妖魔素に感染したのか。同じ半妖である霖之助は感染しなかったというのにだ。しかも、懐夢の中の暴妖魔素は博麗の力場である博麗神社にいても死滅しないと聞く。何故、こうも彼の身体には他とは違う出来事が起きているのだろうか。
そもそも、懐夢は出会った時から他と違う点が非常に多かった。短期間で空を飛ぶ術を会得したり、同じくスペルカードを習得したり、傷蛾すさまじい速度で治ったり、博麗神社の外から出ると妙になったり、髪の毛と目の色がある時を境に変わってしまっているなど、他と比べておかしい点が多い。
だが、その理由は後々明らかになった。それは、懐夢の身体に別な妖怪が取り憑いていて、それが懐夢に能力の成長を与えていたのだ。傷の再生も、術の会得も、全てその妖怪によって齎されたものだ。その妖怪がどういう意図をもって懐夢にそのような力を与えているのかまではわからなかったが。
(まさか!?)
その時、霊夢は懐夢に取り憑く妖怪という言葉に閃いた。そうだ、懐夢の身体にいるのは妖怪、即ち妖魔の類だ。
そして暴妖魔素は、妖魔にのみ感染する八俣遠呂智の身体を構成し、八俣遠呂智が操作する物質だ。この事から考えるに、懐夢が暴妖魔素に感染しているのではなく、懐夢の中の妖怪が暴妖魔素に感染しているのではないだろうか。そして懐夢がこうなっているのは憑いている妖怪が暴妖魔素に侵され、その弊害を受けているからなのではないだろうか。そして懐夢の中の暴妖魔素が死滅しない理由は、暴妖魔素に感染しない半妖の体中に閉じ込められているからなのではないだろうか。まるで、水の一部が凍ってしまい、氷の中に閉じ込められてしまった水生生物のように。
霊夢は思い付き、内容を纏めるや否、慧音にこの事を話した。
慧音は驚いたような表情を顔に浮かべた。
「なんだって?懐夢の身体の中の妖魔が暴妖魔素に侵されて、懐夢はその弊害を受けているだと?」
霊夢は頷いた。
「私が考える限りではね。真実は違うかもしれないけれど」
慧音は苦しそうに呼吸を繰り返している懐夢の青白い顔を見て、ハッとしたような表情を浮かべ、やがて何かに納得したかのような表情を浮かべた。
「なるほど……そういう事だったのか。それが、原因だったのだな」
霊夢は首を傾げた。今、慧音は明らかに自分が話した内容以外の事で納得したような表情を浮かべた気がする。
「どういう事?私、懐夢がそうなってる理由を言っただけで……」
慧音は首を横に振った。
「違うよ。私がずっと気になっていた事が、ようやくわかったんだ」
慧音は言った。何でも、慧音は懐夢と出会った時から、懐夢から人間のものでも、妖怪のものでも、半妖のものですらない妙な魔力の流れを感じ、更に懐夢の術の会得速度が尋常でないことに疑問を抱いていたそうで、それがずっと喉に小骨が引っ掛かったようになって、気になって仕方がなかったらしい。そして今、自分が言った話で、今まで感じていた魔力の流れがその妖魔によるものであった事がわかり、すっきりしたそうだ。
それを聞いた霊夢は力が抜けたようになってしまい、思わず苦笑いした。
「なるほど、そういう事だったのね」
「あぁ。喉に引っかかっていた小骨が胃の腑に落ちたような気分だよ」
わからなかった事がわかってすっきりしたような、爽やかな表情を浮かべる慧音に、横でじっと話を聞いていたチルノが首を傾げた。
「なにがー?なんでー?」
その最中、慧音達の話を理解したのか、リグルが驚いたように言った。
「懐夢の中に、もう一匹妖怪がいるんですか?」
同じように話を理解したと思われる大妖精が続く。
「そんなこと、あり得るんですか?」
慧音は学童達の方を見て、苦笑いした。
「そのあたりの話はこの暴妖魔素騒動が収まってから授業で教えてやる。もう少しの間だけ、喋るのを我慢してくれ」
学童達は頷いて口を閉じ、直後、霊夢は表情を引き締めて言った。
「それで、この推測なんだけど、あってると思う?」
慧音は霊夢の方を向きなおして、表情を引き締めた。
「私には何とも言えない。だが、暴妖魔素が取り憑き型の妖怪にも感染するものならば、あり得ない話ではないかもしれないな。そしてそれが真実ならば、懐夢がこうなっている理由にも頷ける。つまり懐夢を元に戻す方法は……」
慧音が言い切る前に、霊夢は頷いた。そうだ、懐夢の中にいる妖魔の暴妖魔素を消し去るには暴妖魔素の親玉である八俣遠呂智を封印し、暴妖魔素の機能を停止させ、自然に死滅させる事だ。
「八俣遠呂智の封印を再度かける事ね。紫の言ってた」
「そのとおりよ」
背後から聞こえてきた声に霊夢はびくりと驚いて姿勢を崩し、素早く背後を確認した。そこには、居間で皆と話をしていたはずの紫の姿があった。
「紫、いつの間に!?」
紫は答えず、霊夢の隣まで歩み寄ると座り込み、眠っている懐夢の頬に掌を当てた。
やがて紫は小さく口を開いた。
「霊夢、貴方の推測は大当たりよ」
霊夢は「え?」と言った後、更に続けた。
「私の推測って、あんた、私の話を聞いてたの?」
紫は頷いた。
「えぇ。永琳の時と同じようにスキマを通してね。それで霊夢、懐夢の身に起きていること、そしてその対処方法は貴方が言った通りよ」
慧音は驚いたように言う。
「本当なのかそれは」
紫はもう一度頷いた後、霊夢の方へ顔を向けた。
「霊夢、懐夢を助けたいと思っているならば、八俣遠呂智の再封印を、やるしかないわ。さもなくば、この子は暴妖魔素に侵された体内の妖魔に身体を奪われてしまい、暴妖魔素に感染した妖魔達と同じようになるわ」
ルーミアが不安そうな表情を浮かべる。
「そ、そうなったら、懐夢はどうなっちゃうの?」
紫は目を閉じた。
「この子はこの子でなくなるわ。貴方達の事も、霊夢の事も、全部忘れて、ただ暴れ狂うだけの存在となるでしょうね」
紫の言葉を聞いた途端、霊夢の中に強い衝撃が走った。
頭の中に、別な妖怪となって暴れ狂い、殺戮を繰り返す懐夢の姿が、鮮明に映し出された。自分達の事など忘れ、自分が百詠懐夢という名前の半妖である事も忘れ、他の妖魔や人間達を襲い、殺す姿が。
それが見えた次の瞬間に、腹の底から震えが来た。
そんな事、絶対に許さない。懐夢を、リグルやルーミアや大妖精のような事になど、させてたまるか。
霊夢は思うと、紫に言った。
「そんなの、私が許さないわ。紫、八俣遠呂智の封印、やってやろうじゃないの」
紫は目を開いて、横目で霊夢を見た。
「本当に?本当にやるの?」
霊夢は頷いた。
「えぇ本当よ。っていうか、八俣遠呂智の封印って、前は私からかなり前の博麗の巫女がやったんでしょ。
それって、博麗の巫女の施す術じゃなきゃ封印できないとかいう仕組みなんでしょ?」
紫は霊夢の方へ顔を向けて、少し驚いたような表情を浮かべた。
「あら、なんでわかったの?」
霊夢は人差し指を軽く額に当てた。
「一応、勘。っていうか、壮大な儀なんて、博麗の巫女がいなきゃ出来ないっていうのがざらじゃない」
紫は苦笑いした。
「確かに貴方の言う通りよ。八俣遠呂智の封印もまた、博麗の巫女しか施せないの。
それを踏まえてあの場で話をしようとしたんだけど、貴方ったらいきなり感染者の話をしたり、部屋を飛び出したりするものだから……」
霊夢はしゅんとした。
「ごめん」
紫は笑みを浮かべた。
「別に怒ってなんかないわよ。さ、乗り気になってくれたのなら、戻って話を続けようと思うのだけれど」
霊夢は頷いた。
「えぇ、あんたの話の続き、聞こうじゃないの」
「よろしい。じゃあ、部屋へ戻りましょう」
紫が立ち上がり、霊夢も続いて立ち上がったその時、本堂の隅にいた紅魔館の者達もまた立ち上がり、そのうち咲夜が紫へ声をかけた。
「待って頂戴。私達も行くわ」
続けて慧音も立ち上がる。
「私も行こう。幻想郷の一大事というならば、ここでこうしてはいられない」
「わかったわ。来て頂戴。貴方達の力も必要だから」
紫はそう言って、居間へ続く廊下へ歩き出し、霊夢や紅魔館の者達、慧音もまた立ち上がり、慧音はどこか不安そうな表情を浮かべる自分の学童達へ指示を下した。
「お前達、懐夢を頼んだぞ」
学童達は頷き、それを確認した慧音は軽く微笑んだのち、紫の後を追った。
そして皆が集まっている居間に辿り着くと、霊夢は先ほど同じ場所へ、慧音は妹紅の隣へ、紅魔館の者達は集まる一同の中へ入り込み、紫はもう一度皆の前に出て、そこで説明を再開した。
突然の事に一同はどこかせわしなく騒いでいたが、紫の説明が始まると共に静粛にし、聞き始めた。
八俣遠呂智の封印は、幻想郷を元の姿へ必要不可欠である。では、それはどうすればそれが出来るのか。
その方法はただ一つ。博麗の巫女が八俣遠呂智の弱点である神器、草薙剣を握って草薙剣から調伏の力を受け取り、博麗の力を強化し、封印の術を施す事だ。草薙剣の持つ力で増強された調伏の力が八俣遠呂智の持つ暴妖魔素を破壊、死滅させ、幻想郷から消し去ると同時に八俣遠呂智へ強固な封印を仕掛けるのだ。前に八俣遠呂智が幻想郷に現れた時も、この方法で博麗の巫女が八俣遠呂智を封印し、自己増殖を続ける暴妖魔素を幻想郷から消し去り、平和な日々を取り戻した。
しかし、その方法には欠点がある。それは、八俣遠呂智を封印するには博麗の巫女と草薙剣だけでは力不足に陥るという点だ。
八俣遠呂智は圧倒的な魔力と、巨大な体躯を持つ魔神。そんなものを博麗の巫女ただ一人が封印するなど、不可能だ。
紫がいったん説明を切ると、魔理沙が挙手した。
「え、どうすんだよそれ!八俣遠呂智の封印は、出来ないって事じゃないのかそれは?」
紫は軽く溜息を吐いた。
「えぇできないわ。このままだとね」
一同が首を傾げると、そのうち早苗が何かを思い付いたように手をぽんと叩いた。
「わかった!そこで、他の皆さんの登場ですね!」
紫は早苗の方を向き、頷くと説明を再開した。
博麗の巫女と草薙剣だけでは八俣遠呂智を封印する事は出来ない。そこで、他の妖魔や神、人間達の登場だ。その者達の多数が博麗の巫女と草薙剣へ力を送り込み、残った者達が八俣遠呂智の方へ術を仕掛け、その力を抑え込むのだ。そうする事によって博麗の巫女の力が八俣遠呂智の力に勝り、八俣遠呂智へ封印の術が施されるという事だ。
現に、前に八俣遠呂智の封印を行った博麗の巫女も、八俣遠呂智を撃破した後に幻想郷の大賢者達から力をもらい、八俣遠呂智の力を抑えつけてもらった事で、八俣遠呂智を封印する事に成功したのだ。
それを今回、幻想郷の大賢者ではなく、幻想郷にて異変を起こした事があるくらいに術力のある者達大多数で行う。そのために、この場にかつて幻想郷にて異変を起こした者とその関係者達を集めたのだと紫が言うと一同から納得するような声と、戸惑うような声が上がった。しかし、紫はそれを静粛にの一言で抑え込んだ。
直後、さとりが呟いた。
「なるほど、確かに私達全員が力を合わせれば、幻想郷の大賢者にも匹敵する力となるでしょうね」
慧音が挙手する。
「私達が力を合わせれば大賢者に匹敵する力となり、八俣遠呂智の封印にも対応できるという点はわかった。
しかし、お前達大賢者はどうしたんだ。何故ここでお前達が出てこない?」
紫は答えた。
大賢者達は自分達が暮らす場所、統治する場所に住まう人々、妖魔達を暴妖魔素から守る事で精いっぱいで、博麗の巫女と幻想郷の民による八俣遠呂智の封印の時には立ち会えない、協力する事は出来ないらしい。だから、八俣遠呂智の封印は大賢者抜きでやるしかないのだと紫が告げると、霊夢が挙手した。
「八俣遠呂智の封印がどういった仕組みなのか、わかったわ。でも、鍵となる神器の草薙剣はどうすんのよ。
あれは封印の地の最奥部にあって、今も尚八俣遠呂智の封印を支えているもので、抜いたら拙い代物だったわよね?どうやってそんなものを使うのよ」
紫は答えず、突然部屋を出た。
紫の行動に一同が首を傾げた直後、紫は両手で何かを抱えて居間へ戻ってきた。
その、紫の両手に抱えられているものを見て、霊夢は思わず声を上げてしまった。
「ちょ、それって!」
紫の手に抱えられていたものとは、少し複雑な形をした新緑色の両刃剣だった。それはまさしく、あの封印の地で、最奥部に突き刺さっていた草薙剣だった。
草薙剣の存在を知らない他の者達は首を傾げて、そのうちの魔理沙が霊夢へ声をかけた。
「霊夢、あの剣、なんだ?」
霊夢は静かに呟いた。
「あれこそが……八俣遠呂智の封印の鍵である神器……草薙剣よ」