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東方幻双夢  作者: クシャルト
邂逅編 第壱章 流れ着いた半妖
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第五話

 冬が過ぎ、やがて春がやってきた。


 幻想郷中を覆い尽くしていた雪はすべて消えてなくなり、肌を刺してくるような寒さも、まるで肌を包み込んでくれるような暖かさへと変わり、冬眠していた動物達も春を感じ取って目を覚まし、洞穴から出て活動を始め出し、雪の下で春を待ち望んでいた植物達も、野原や丘を覆い尽くさんとするような勢いでその姿を見せてきていた。

 更に空を見てみれば、白を基調とした服を纏い、服と同じく白い羽を背中に生やし、頭に白い三角帽子を被った、金色の少し長い髪の毛の春の訪れを告げる少女の妖精、リリー・ホワイトが幻想郷の住民全ての耳に届く声で「春ですよー!」と言って喜びながら飛び回っている。

 彼女がどれほど春を待ち望んでいたのかは、彼の女その様子を一目見るだけで、よくわかった。


 そんなリリー・ホワイトが空を駆け、動植物が地上へ姿を現し始める一方、藍色と白を基調とした厚着を身に纏い、白いを帽子を被った、紫色の髪の毛の女性の姿をした妖怪であるレティ・ホワイトロックはその姿を消した。

 何故ならばレティは冬にだけこの幻想郷に姿を現す事が許されている"冬"の妖怪だ。その冬の妖怪が、それ以外の季節で姿を現しているのはおかしいのだ。

 だからレティは、冬が終わると同時にその姿を消す。おかしさを消すために。

 ――――まぁそのような事は誰も気にしはしないのだが。


 一方、冬の半ばから終り頃にかけて博麗神社にやってきて、博麗神社に住む事になった懐夢はすっかり博麗神社での生活と寺子屋の授業に慣れ親しみ、毎日が楽しいと思いながら過ごしており、春がやって来た事を大きく喜んでいた。

 暖かいから、厚着を着ないで外に出て友達の皆と遊ぶ事ができる。外に出てみれば、妖怪の嗅覚を持つ鼻に、嗅いでいて心地の良い"春の香り"というものが流れ込んでくるし、何より襲い来る寒さに怯える必要がない。

 懐夢にとって春は、最高の季節だった。


 今、懐夢は午後の授業を受けるために寺子屋に来ているのだが、少し早く来てしまい、時間を持て余していた。しかし早く来たのは懐夢だけではなく、チルノ、ミスティア、リグル、ルーミア、大妖精もそうで、その中のチルノが暇したくないと言い出して立ち上がり、黒板の方へ向かうと、黒板を使って算数の問題を集まる者達に出し始めた。

 懐夢はチルノに問題を出されるなり、それを解き明かして見せようと思い、問題を解き始めた。


 が、問題を解き始めたそのすぐ直後、壁にぶつかってしまった。しかし問題そのものがわからないのではない。この程度の算数は既に行商の知識として母から習った。だからこの問題そのものは簡単に解けるものだが、チルノの言った、『バス』という言葉が何を意味する言葉なのかわからないのだ。

 『バス』などという言葉は、様々な事を自分に教えてくれた母も、今自分に様々な知識を教えてくれる慧音からも教わっていない。

 懐夢は小さくうなりながらバスという言葉を理解しようとし始めた。しかしどんなに考えても知らないものは知らないので、バスという言葉は気にしない事にし、問題そのものを解く事にした。


 最初に紅魔館という場所からバスが出て、その紅魔館から三人、人が乗った。バスは三人を乗せると出発し、白玉楼という場所へ向かい、白玉楼に到着して、止まった。そこで、バスに乗った三人の内一人が降り、白玉楼から"半人"が乗った。バスはその"半人"を乗せると白玉楼を出発し、八雲さんという人の家の前に向かい、到着すると白玉楼の時と同じように止まった。そこで紅魔館でバスに乗った二人が降りた。

 これがチルノの出した問題だ。

 そしてチルノは、八雲さんの家に到着し二人を降ろした時点で、バスの中に何人人が残っているのかを問いかけてきている。

 この程度の問題は、母から算数を数月前まで習っていた懐夢にとってはお茶の子さいさいなものだった。が、懐夢の思考はまた壁にぶつかった。

 チルノの言った『半人』という言葉の意味がわからないのだ。しかし今回は『バス』の時とは違った。

 『半人』という言葉が何を意味する言葉なのか、考えてみれば若干わかったような気がしたのだ。

 『半人』。多分これは、『半分が人で、もう半分が他の何か』というのを意味する言葉だ。ようするに、半妖と同じようなものだろう。

 これで本当に意味が合っているのかどうかまではよくわからないが、とりあえず、半人という言葉の意味は理解した。

 しかし問題はそこではない。問題は、その半人を人として数えてしまっていいのかという点だ。もしこのバスに乗っている人が半妖だったならば、一人として数える事が出来、簡単に答えを導き出せただろう。だがこの半人は、人として数えていいものなのかわからない。

もし半人を人として数えていいものならば、答えは一人だ。だがもし半人が人として数えていいものではないならば、半人は人外存在とされ、バスに残る人の数はゼロになる。どちらが正解なのか、どちらを言い出せばいいのか、懐夢には全く分からない。


「うー……うぅぅぅぅぅーっ」


 懐夢の唸り声はどんどん大きくなり、隣に座っているリグルとルーミアの耳にも届くほどの大きさになった。


「え……?」


 リグルは唸り声の聞こえる方向を見た。

 発生源は懐夢だった。必死に問題を解こうとしているのか、険しい顔をしていた。

 リグルは妙だと思った。普段の懐夢ならば、この程度の問題などすらすらと解いてしまうはずだ。だのに懐夢は今、唸り声を上げている。目を瞑り、いかにも問題が解けないと言っているような顔をして。


(どうしたんだろう懐夢……いつもならこんな問題、出題された10秒後くらいに答えを出すのに)


 算数が得意な懐夢の事だ。きっと計算そのものはできるのだろう。

 だが、懐夢がそんな簡単な問題を前に、唸り声を上げて悩んでいるという事は、問題の中に懐夢の理解できない物が混ざっているという事なのだろう。

 リグルはすぐに懐夢の理解できない物が何なのかを探ろうと、チルノが黒板に書いた問題を見た。

 そしてすぐに懐夢の理解できない物が何か、わかったような気がした。

 きっと、『半人』という言葉と『バス』という言葉だ。この二つの言葉は九年間ほぼ周りから隔離された大蛇里にいた懐夢にはてんで縁のないものだ。しかも『バス』は去年妖怪の山にやって来た者曰く、人を乗せて道を走る外の世界の乗り物だという。そんなものを懐夢が知っているはずがない。


 そしてもう一つの言葉、半人。

 恐らく懐夢は、半人を人として数えていいものなのかを悩んでいるのだろう。半人を人として小計していいのか、否かを。勿論答えは、「小計していい」だ。

 しかし、これらはあくまでリグルの推測であって、事実とは限らない。

 けれども、物は試しだ。リグルは自分の推測を信じて懐夢の耳元で囁いた。


(懐夢、半人は人として数えていいんだよ)


 リグルの囁きを聞いたその時、懐夢は閉じていた瞳をかっと開き、手を上げて大きな声でチルノに答えを言った。


「答えは一人!」


 懐夢の声が教室中に響き渡り、それまで答えを考えていたミスティア、ルーミア、大妖精、問題を出題したチルノの視線が一斉に懐夢の方へ向いた。


 紅魔館でバスに乗った三人は八雲さんの家に着いた時点で全員降りた。

 よってバスに残ったのは白玉楼で乗った半人一人。


 懐夢は何故答えがこうなのかも、チルノに説明をした。これで、間違いなく正解だと思った。


「ぶー! はずれだよ!」


 懐夢は驚いた。チルノが出した答えははずれだと言ってきたからだ。

 懐夢にヒントを与えた隣のリグルも驚いていた。


「え? えぇ!? はずれ!?」


 懐夢は思わず戸惑った。何故、自分の導き出した答えがはずれなのか。

 まさか、半人は人として数えてはいけないものだったのか。

 答えが気になり、懐夢はチルノに正解を催促した。


「じゃ、じゃあ答えは何なの?」


 チルノは堂々とこの問題の答えを言い放った。


「答えはゼロ人! 何故なら……幻想郷にバスなんて無い!!」


 これを聞いた懐夢は思わずその場にひっくり返った。

 そして、こんな問題として成り立っていない問題に真剣になっていた自分は馬鹿だと思った。


「ははは……ずっこけて当然だね懐夢」


 懐夢が盛大にひっくり返った様子を見てリグルは苦笑した。大妖精とミスティアもチルノの答えにひっくり返った懐夢を見て思わず苦笑してしまった。

 懐夢は皆から苦笑されるとひょいっと姿勢を元に戻して、大きな溜息を吐いた。


「よぉし! 次はもっと難しいのいくよ!」


 チルノは黒板消しで黒板の文字を消すと、再び問題を描き始めた。

 次はもっと難しい問題を出すつもりらしいが、懐夢はもう付き合いきれないと思ってふと慧音がいつもやってくる部屋の入口の戸の方を見た。

 懐夢は小さく呟いてきょとんとした。


「あれ……?」


 自分がチルノの問題に答えを出した時には閉じていたはずの戸が、開いている。

 何故戸が開いているのだろうと思ったその時、開けた戸の外から教師である慧音がやってきて、教室の中に入ってきた。

 懐夢、リグル、ミスティア、ルーミア、大妖精は慧音の登場に思わず呆然とした。

 寺子屋には午前の部と午後の部の間に休み時間がある。

 慧音が教室へやって来たという事は、その休み時間が終わったという事だ。

 更に寺子屋には、授業開始直前には必ず席に付いていなければならないという規則がある。これを守らねば、慧音の頭突きを受ける事になる。気絶するほどの衝撃が伴う頭突きを。

 ……にも関わらずチルノは問題を書く事に夢中になっていて休み時間が終わった事に気付かない。


 慧音はゆっくりと戸を閉めると同じようにゆっくりとチルノの元に歩み寄り、やがてチルノの真横に来てチルノを見つめた。それでもチルノは問題を書く事に夢中になっていて気付かない。

 その時、慧音は首を動かして視線を懐夢達の方へ向け、その内の懐夢と目を合わせた。

 懐夢は突然慧音が目を合わせてきた事にびくっとしたが、慧音が目を通じて何かを伝えようとしてきているような気がして、じっと慧音と目を合わせた。

 慧音は口パクし、声を出さずにチルノを気付かせろと言ったような気を感じた。

 懐夢は頷くと自分の鞄から一枚の白紙を取り出し、くしゃくしゃと手で丸め、チルノに向かって投げ付けた。

 紙の球はまっすぐチルノの元へ飛び、やがてチルノの頭に直撃した。

 チルノは頭に紙の球が当たるとぷいっと振り返って紙の球が飛んできた方向を見て怒った。


「誰今あたいにむかって物を投げたの!?」


 チルノは怒って自分に向かって物を投げたのは誰だと怒鳴ると、思わずきょとんとした。

 席に付いている皆が揃いに揃って右方向を指差しているからだ。

 右に何かがあるという事だろうか?

 皆に誘われるように右を見て、チルノは呆然とした。―――慧音が不気味な笑みを浮かべてこちらを眺めている。


「あ、あ、えと」


 しどろもどろになって、何でもいいから喋ろうと口を動かしたその時、慧音が両手をこちらに伸ばし、がっしりと頭を固定して、顔を近付けてきた。


「チルノ。規則を見なかったか?授業開始一分前には席に付いていなきゃいけないんだぞ?それに、前に言ったよな?黒板は使うなと」


 チルノは慧音に笑顔で寺子屋の規則を再説明されると、胸の中から底知れぬ恐怖が湧いて出てきたような気がした。


「あ、いや、えと、えう、あう」


 何とか誤魔化そうと、言い訳を言おうとしたが、慧音の恐怖の笑顔のせいで上手く言葉にならない。

 直後、慧音は息を大きく吸い、無言のまま頭を振り上げた。

 チルノはその時絶望感に襲われた。慧音が頭を振り上げたという事は、今にも頭突きを放とうとしているという事だ。頭はがっちりと強い力に固定されてて動かせない。つまり、避けようがない。

 チルノが絶望感を感じた後、慧音は頭を凄まじい速度で前へ倒し、チルノの頭にぶつけた。

 教室中に大きな打撃音が鳴り響き、その音の激しさに懐夢達はびくっと背を伸ばしてしまった。

 ……これこそが慧音の必殺技、頭突きだ。

 慧音の頭突きの直撃を受けたチルノはそのまま真っ直ぐ後ろへ倒れ込み、そのまま動かなくなってしまった。

 慧音の一撃によって意識が飛んでしまったのだ。

 慧音は一つ溜息を吐いて教壇に立ち、目の前にいる学童全員に声をかけた。


「……さて、授業を始めるぞ」


 学童達は、慧音がチルノを放置して授業を始めた事に戸惑っていたようだったが、すぐに紙と筆を用意して、授業を受ける姿勢をとった。学童達が授業を受ける姿勢をとったのを確認すると、慧音は本日の授業内容を書いた紙を開いて授業内容を軽く諳んじて、口を開いた。


「今日は歴史だ。八俣遠呂智についての勉強をしよう」


 学童達はほぼ一斉に首を傾げ、そのうちの一人であるルーミアが慧音の口にした言葉を繰り返した。


「やまたのおろち?」


「そうだ。八俣遠呂智というのは八本の首を持つ、巨大な蛇の怪物だ。この怪物の名には二つ漢字が存在する。一つは八岐大蛇、もう一つは八俣遠呂智だ」


 慧音は黒板の方を向くと黒板にものを書くための石膏「チョーク」を手に持ち、最寄りの位置に「八岐大蛇」という単語を書き、更にその下に「八俣遠呂智」という単語を書くと、学童達に見せた。


「八岐大蛇と……八俣遠呂智……何か違いがあるんですか?」


 リグルが尋ねると、慧音は待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべて、学童達に説明を始めた。

 「八岐大蛇」はそのままで、八本の首を持つ巨大な蛇、すなわち大蛇を意味する。一方「八俣遠呂智」は八本の首を持つ正体不明の怪物という意味だ。

 「遠呂智」の「遠」は峰、「呂」は接尾語、「智」は霊力を持つ生き物と言う意味で、外界で素戔男尊という神が退治した。

 伝説によるとこの素戔嗚尊は、八俣遠呂智に酒を飲ませ、べろんべろんに酔わせ、動けなくしたところでズバッと首を斬って倒したそうだ。

 ちなみにその八俣遠呂智の姿だが、目は鬼灯のように紅く、背中には苔や木が生え、腹は血で爛れて、八つの峰に跨るほど巨大な姿だったという。


「まぁ本当かどうかまではよくわからんがな」


 慧音が八俣遠呂智についての説明を一通りしてくれたが、懐夢はその説明の途中の部分からずっと違和感を抱いていた。

 懐夢の住んでいた場所には、『ある怪物の伝説』があった。懐夢は幼少の頃からその伝説を大人達から聞かされており、伝説の内容は今もなお懐夢の頭の中にしっかりと残っていた。

 その伝説に登場する怪物の名前は、今慧音が口にした八俣遠呂智という名だ。

 その伝説には八俣遠呂智の力や容姿についての説明をする部分もあったのだが、懐夢はここで違和感を感じた。

 慧音の言った八俣遠呂智についての説明と、伝説にあった八俣遠呂智についての説明の内容が、大きく食い違っているのだ。


「先生」


「なんだ懐夢」


「八俣遠呂智の説明が間違ってます」


「なんだって?」


 懐夢が挙手し、慧音の説明を否定すると、慧音はむっとして、懐夢の言葉を取り下げるように答えた。


「そんなはずはない。これは歴史に記されていた説明だ。八俣遠呂智の説明はこれで間違いない」


 慧音が八俣遠呂智についての説明はこれで間違いないのだと言っても、懐夢は首を横に振った。


「いいえ、違います」


 慧音はその時、懐夢を見てふと思った。懐夢が自分の施した八俣遠呂智の説明を間違いだと言っているという事は、懐夢は独自の八俣遠呂智の歴史を知っているという事だ。

 それが、感情の豊かな子供の考えたただ作り話なのか、あるいはここいらに出回っていない、隠されし本当の歴史なのか、わからない。

 だが、己の学者肌が動いたのか、その話を聞いてみたいという気になった。

 懐夢の事だ、聞かせてくれと言えば、素直に話してくれるだろう。


「ほぅ……では懐夢、お前の知っているその八俣遠呂智の伝説、聞かせてもらおうか」


 懐夢は「はいっ」と答えて、席を立ち、周りの友達の注目を集めると、里の大人達から聞いた伝説をほぼそのままの形で話し始めた。


「八俣遠呂智は……幻想郷の妖怪達の頂点に立つ、妖魔の支配者と言われていた」


 懐夢が少し伝説を話したところで、慧音と気絶しているチルノを除く一同が驚きの声を上げた。


「え!? 妖魔の支配者!? それってどういう事?」


 懐夢の語りに驚いたミスティアがそれはどういう事なのかと尋ねたが、懐夢はほぼ無視して語り続けた。昔、父より聞いた伝説を。


 八俣遠呂智は素戔嗚尊に倒された後、妖力と妖気になって蒸散した。

 その後、丁度今幻想郷のあるところに流れて、そこで気が遠くなるほどの年月をかけて復活を果たした。

 元々幻想郷のある位置は不思議な力が渦巻く場所であったから、惹かれてやって来たのだろう。

 そこで八俣遠呂智は渦巻いていた不思議な力に触れた。

 その瞬間、八俣遠呂智の姿は変わった。禍々しい黒い鱗は忽ち真っ白な色に変わり、それぞれの首も姿を変えた。力もそれまでとは比べ物にならないくらい大きなものになった。

 そう……八俣遠呂智が触れたのは神様の力。

 八俣遠呂智は妖怪の王から、魔神に進化した。


 また一同が驚きの声を上げた。


「魔神……?」


 その時には先程まで驚きの声を上げていなかった慧音も加わっていた。

 しかし慧音の驚いた事とは、懐夢の語る話の内容ではない。

 慧音は、周囲の里から隔離されていたに等しい環境で幻想郷全体の事など全く知らずに育った懐夢が、幻想郷の起源の地について知っている事に驚いたのだ。

 ―――幻想郷の起源の地。それは元々、日本のある場所にある、広い盆地だった。

 当時そこには不思議な力場が常に渦巻いており、更にそこには、人を喰らう妖怪が出現し、言ってしまったら帰れないという噂が立っていた。

 幻想郷の起源の地は、周辺の村民からは「魔の地」と言われて、忌まれ、恐れられていた。

 そんな中、時代が進んで妖怪という存在が人々から信じられなくなられ、忘れ去られ始めると、日本各地にいた妖怪達は住処を捨て、不思議な力の渦巻く場所、幻想郷の起源の地に集まり始めた。

 そして全ての妖怪達が幻想郷の起源の地に集まると、起源の地と周囲を分断する結界が張られ、起源の地は完全に周囲の世界から遮断された。

 これこそが幻想郷に伝わる、「幻想郷の誕生の瞬間」である。

 これは、幻想郷に住まう極一部の者だけが知る話だ。懐夢のような者が知っているはずのない、話だ。


「待った」


 慧音は続きを語ろうとする懐夢に待ったをかけた。懐夢は待ったをかけられると、ピタッと語るのをやめて慧音と目を合わせた。

 懐夢は如何にも「何でしょう?」と慧音に用件を尋ねているような表情をしていた。


「何故、お前はそんな事を知っている?幻想郷の起源の地の事を」


 懐夢曰く、霊夢が懐夢に幻想郷の起源の地の事を教えたという。

 それを聞いた慧音は納得した。霊夢は幻想郷の大結界を司る巫女。幻想郷の起源の地の事など知っていて当然だ。それに少し口の軽い霊夢の事だから、懐夢に言われて、特に何も考えずに幻想郷の起源の地の事を話したのだろう。


「そ、そうか。邪魔してすまなかったな。続けてくれ」


 慧音が軽く謝って話を続けるよう言うと、懐夢は止めていた語りを再開した。


 八俣遠呂智の力は強大になりすぎて、誰にも止められなくなった。

 八俣遠呂智の放つ妖力はあまりに強力で、妖怪の自我を壊して無理矢理従わせるほどのものだったそうだ。

 八俣遠呂智に妖力に当てられた妖怪達は何もかも忘れて、人間達を襲いだした。

 八俣遠呂智が吼え、妖怪達が暴れ狂い、殺戮の宴が繰り広げられるそんな中、一つの剣がそこに持ち込まれた。

 その名は剣の名は……草薙剣(くさなぎのつるぎ)というらしい。


「草薙剣だって?」


 懐夢の口から出た草薙剣という単語。―――それはかつて素戔嗚尊が八俣遠呂智を退治した時に、その尾から出てきた大きな太刀の名。草薙剣の刀身には魔を払う強い霊気と神通力が宿されており、それはまさしく聖剣の特徴だった。

 この聖剣を手に入れた素戔嗚尊は故郷の高天原に帰り、自らの姉且つ最高神である天照大神に奉納した。

 後にこの聖剣は天孫降臨の際、天照大神の孫であるニニギ に手渡され、日本のどこかに祀られたという。

 これが、草薙剣の伝説である。慧音は、本日の授業で八俣遠呂智の事と共にこの伝説を学童達に教えようとしていたが、懐夢によってそれは今中断されてしまっている。まぁ懐夢の話が終わったら授業を再開できるので、あまり中断されている事を気にしてはいなかったが。


「そうらしいです」


 懐夢は伝説を語り続けた。

 草薙剣は八俣遠呂智の体から出てきたもの―――つまり八俣遠呂智の弱点なのではないかと人々は思った。

 考えた人々は、試しに草薙剣をこの地に渦巻く不思議な力に触れさせたところ、あっという間に草薙剣の形は変わり新緑色の刀身の両刃の剣になった。

 そう、八俣遠呂智と同じように草薙剣も進化した。

 人々は草薙剣が進化した姿を見ると、草薙剣が八俣遠呂智の弱点なら、八俣遠呂智を封印できるのではないかと考えた。

 そしてその考えは見事正解だった。

 進化して魔神になった八俣遠呂智は同じく進化した草薙剣によって封印された。

 自我を失った妖怪達もまた、草薙剣の力を受ける事によって、その自我を取り戻した。


「その草薙剣を振るい、八俣遠呂智を封印し、妖怪達を元に戻し、平和を取り戻したのが……」


 懐夢がある程度語り終えると、目と口を閉じて黙り込んだ。

 懐夢の話に釘付けになっていた一同は続きが気になり、その内の一人であるルーミアが懐夢に言った。


「え! なんなの!? その草薙剣を振ってたのって!」


 懐夢は目を開き、やがて口も開いて、言った。


「……博麗の巫女」


 語っている懐夢と気絶しているチルノを除く一同の顔に驚愕の色が浮かび上がった。

 リグルが上ずったような声を懐夢へ立てた。


「草薙剣を振るって八俣遠呂智を封印したのが、博麗の巫女!?」


 懐夢は頷き、語った。


「そうだよ。当時の博麗の巫女が草薙剣を持って八俣遠呂智と妖怪達に立ち向かい、八俣遠呂智を封印した。でも……」


 懐夢の目がかすかに揺れて、表情が少し悲しそうなものになった。


「その巫女は……後々……大罪を犯した」


 懐夢の語りに一同は静まり返った。やがて、ミスティアが不思議がるような顔で言った。


「え? えぇ? 大罪? 大罪ってどんな?」


 懐夢は首を横に振った。


「わからない。伝説はここで終わっているんだ。だから、その博麗の巫女が犯した大罪が、どんなものなのか、わからないんだ」


 懐夢は席に着いた。


 慧音は先程からじっと懐夢の話を釘付けになって聞いていた。

 懐夢の話した伝説は、これまで読んできた歴史の中にはないものだ。

 どこにある伝わる歴史なのか、気になった。


「……懐夢、それはどこに伝わる伝説なんだ?」


 懐夢は慧音の方を見た。


「ぼくの住んでた場所に遥か昔から伝わる伝説です。小さい頃に何度か、おかあさんから聞かされました」


「え……」


 慧音の胸の中に、妙な疑問が湧いて出た。

 何故、そんな伝説が伝わっているのだろうか? そんな歴史は、幻想郷最大の街であるこの人里にも伝わっていないというのに。


 慧音はふと、この伝説は懐夢の創作した作り話なのではないかと思った。

 しかし、それはすぐに否定された。何故ならば、作り話にしてはよく出来過ぎているし、それに懐夢は……決して嘘を言わない子だからだ。

 この二月の間、じっと懐夢の事を観察してきたが、懐夢はいっぺんたりとも嘘を言った事がない。

 嘘を言って他人を騙したり、何かに失敗した際に嘘を吐いて、誤魔化したりしなかった。

 そんな懐夢が、こんな嘘話をするわけがないと自然に思えたのだ。


 それに、懐夢を観察し続けて、わかった事がある。

 彼は誰にでも気軽に声をかけ、誰とでも仲良くできる子だ。それは一人の人としてはとても良いものである。

 しかし、それを裏返して考えてみれば、彼には全くと言っていいほど警戒心というものがない事になる。

 彼は両親を殺され、自分も殺されかけた。その時、相当な恐怖を味わったはずだ。普通ならば、その後殺されかけた事がトラウマとなって、人を恐れたり、接触する事を避けたりするようになるはずだ。

 なのに、懐夢には全くと言っていいほどそれがない。まるで、人や妖怪を恐れていない。

 平然と人と過ごし、友達を気軽に作り、人と妖怪を全く警戒せず、里に伝わる伝説を気軽に話す。

 懐夢は、何故こうなのか。いっその事、彼の『保護者扱い』である霊夢に尋ねてみた方がいいかもしれない。霊夢にならきっと、自分に話していない事を、話しているはずだ。

 慧音は胸で決めると、懐夢へ言った。


「そうか……中々にいい勉強になった。まさか、教師である私が学童に勉強をさせられるとはな。よぉしお前達、今懐夢の言った伝説、幻想郷の起源に関わる歴史を、正確に書き写せ。その後、授業を再開する」



          *



 懐夢は今博麗神社に続く石段を上がっていた。寺子屋の授業を終え、帰ってきたのだ。

 今日の授業は、酷く疲れたような気がした。難しい課題がいくつか出たのだ。

 そのうちの一つに、自分の話した伝説を白紙に書き写せと言うものがあった。大蛇里の伝説は、頭の中にあったため、書写するのは極めて簡単であった。

 しかしまるっきりそんなものを聞いた事のない友人達にとっては、これはひどく難しい課題で、皆ひぃひぃ言って筆を走らせていた。

 その最中に、友人達は何度も自分に伝説を話すよう言ってきた。そんな友人達に何回伝説を話してやったか、覚えていない。だが、それはあまり苦にはならなかった。

 問題はその後だ。八俣遠呂智に関連した神とその他の神の名を書写し、五回音読して覚えるという課題があった。

 魔神こと八俣遠呂智、最高神こと天照大神、武神こと素戔嗚尊、素戔嗚尊の妻の櫛名田比売(くしなだひめ)、その両親の足名椎命(あしなづち)手名椎命(てなづち)と、慧音が黒板に描いた神の名を書写し、音読したのだが、これらはまだ可愛い方であった。三種の神器を手にして天孫降臨をした天照大神の孫の神、ニニギの本名に比べれば。

 ニニギ神の本名は、(あめ)()()()(くに)()()()(あま)()()()()()()()()()(ぎの)(みこと)と、異常なまでに長く、難しい漢字がいくつも出る名前だった。

慧音はそれすらも正確に書き写して正確に音読しろなんて言うものだから、学童達全員でひぃひぃ言いながら書き写し、五回も音読した。

 その際、三回も舌を噛んでしまった。その時、舌は腫れ、痛みを放つようになってしまった。

 今もまだ舌を動かすと鈍い痛みが舌に走る。ただ、喋るのには支障がなかったため、大して気にはしていなかった。


 石段をあがる最中、ふと空を見上げてみると、どんよりとした分厚い雲が空を埋め尽くしていて、周囲は暗かった。

 それに、周囲の草木の匂いに紛れて、雨の匂いがする。これは、一雨来そうだ。

 生憎傘は持ち合わせてないし、今降られたら、びしょ濡れになってしまう。急いで神社に駆けた方が良さそうだ。

 石段を駆けあがると、一気に神社の前に出た。そのまま神社の石畳を走って、神社の玄関口に来ると靴を脱ぎ、玄関口の戸を開けて神社の中に入り込んだ。


「ただいまー……」


 懐夢は帰って来た時の挨拶を言った。普段は、外から帰って来た時、ただいまと言えば霊夢の声でおかえりが返ってくる。

 しかし今回、霊夢の声のおかえりは、聞こえてこなかった。


「ん? 霊夢ー?」


 懐夢は、おかえりが返ってこなかった事に軽く違和感を抱き、神社の中を歩き回った。

 神社の中は、静まり返っていた。どうやら霊夢は、どこかへ出かけているようだ。神社の戸に鍵もかけずに。

 懐夢は霊夢の不用心さに呆れながら居間へ戻ってきて、部屋の中央にあるテーブルの近くに鞄を置くと、その場に座り込んだ。


「さてと……宿題終わらせなきゃ。慧音先生の頭突き受けたくないし」


 鞄を開き、中から寺子屋の宿題の書かれた紙を取り出してテーブルの上に置くと、続けて筆を取り出して手に持つと、懐夢は宿題を始めた。

 寺子屋には、出た宿題は絶対に終わらせなければならないという規則がある。もしやらなかったり、忘れたりした暁には、慧音の頭突きが待ち構えている。喰らえば一瞬で気を失う頭突きが。

 ……考えるだけで背筋が凍りつく。そうならないためにも、さっさとやって終わらせねば。


 宿題を進めていると、外から雨音が聞こえてきた。やはりあの雨の匂いは、これから雨が降る事を知らせる合図だったようだ。

 雨音は短い間に大きくなり、しとしとという音から、ぼつぼつという音になり、やがて、どぉぉぉぉぉという轟音に変わった。


 懐夢は筆をテーブルに置いて立ち上がり、境内に続く戸を開いて外を見た。

 外はほぼ真っ暗で、水の入った桶をひっくり返したような土砂降りの雨が降っていた。

 雨を見て、懐夢は少し不安を抱いた。こんな雨の中、霊夢はどこに出かけているのだろうか。もしこんな雨の中を飛んでいたならば、びしょ濡れになってしまっているだろう。


「ただいまー」


 と思った矢先、玄関先から声が聞こえてきた。

 声に導かれるように向かってみたところ、そこにいたのは案の定、どこかへ出かけていた霊夢だった。

 懐夢は驚いた。霊夢は、頭の先から足の先までびっしょりと濡れていた。この土砂降りの雨に打たれたようだ。


「霊夢、びしょ濡れじゃない!」


「えぇ……なるべく濡れないように急いで飛んできたんだけど……雨脚が強すぎて、びしょ濡れになっちゃったわ」


「今タオル持ってくるね。それと、お風呂沸かしてくる!」


 懐夢はそう言って、すたこらさっさと神社の中へ走って行ってしまった。このまま神社の中へ上がると神社の中を濡らしてしまって面倒なので、とりあえず霊夢は懐夢が風呂を沸かしてくれるまで、玄関先に留まる事にした。

 水を大量に吸い込み、ぽたぽたと水滴を垂らす服を雑巾のように絞ってみると、水が大量に出てきた。

 それを見て霊夢は思わずぎょっとしてしまった。こんなに大量の水を服が吸い込んでいたとは思っていなかったからだ。

 自慢の長く、黒い髪の毛も、服と同じように絞ってみると、また同じように大量の水が出てきた。

これは流石に放っておけない。多分このまま放っておいたら確実に風邪を引く事が出来るだろう。


「はい霊夢! タオル!」


 思った矢先、懐夢がタオルを持って戻ってきた。


「ありがとう。助かったわ」


 礼を言って懐夢からタオルを受け取ると、手ぶらになった懐夢は風呂場に駆けて行った。風呂を沸かしてくれるようだ。


「ふぅ……やっぱり気が利く子だわ」


 タオルで髪の毛を拭きながら、霊夢は懐夢の駆けて言った風呂場の方を見て呟いた。

 頼んでもいないのに、他人の様子を見ただけで、自分が何をすべきなのかを悟って行動を起こす。とても気を利かせるのが上手な子だ。

 もしも彼が女の子であったならば、次期の博麗の巫女に任命される可能性を持っていたかもしれない。


「霊夢ー! お風呂、沸いたよー!」


 そうこれ思っていると、風呂場から声が聞こえてきた。

 髪の毛を拭きながら、考え事をしている間に風呂が沸いたようだ。いくらなんでも早すぎるような気がしたが、別に気にする必要はない。早く風呂に入らねば明日風邪を引く。


「ありがとうー」


 霊夢は水溜りの中に突っ込んだかのようにびしょ濡れになった靴を脱ぎ、なるべく水滴を垂らさぬよう、神社の中を歩いて、風呂場へ向かった。



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