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東方幻双夢  作者: クシャルト
遠呂智編 第伍章 風雲
49/151

第四十九話

 リグル達を永琳の元へ預けてきた翌日の朝、霊夢は違和感を感じていた。

 懐夢に、元気がないのだ。これに気付いたのは朝食の時だったのだが、懐夢はどこか悲しそうな顔で食事を摂っていた。いつもならば、何の変哲もない表情か、どこか喜んでいるような表情を浮かべているというのに、今日はなんだかいつもと違うのだ。

 霊夢は懐夢が気になり、朝食後の皿洗いの最中、じっと考えていた。


(また、何か心配事があるのかしら)


 懐夢がこういう顔をするときは、何か心配事があったりするときでもある。今現在懐夢が心配しそうなものといえば、リグル達だ。リグル達は前に謎の感染症に感染し、別な妖怪と化して暴れまわった。そして今、リグル達は永琳の元で解析を受けている。きっと、リグル達が心配で、こんな顔をしているのかもしれない。

 思って、霊夢はすぐ隣で皿を拭いている懐夢の顔を見たが、そこで考えを変えた。


 違う。今の懐夢の表情は誰かを心配しているときに浮かべる表情ではない。

 これは、自分と初めて会って、共に生活を始めた頃によく浮かべていた、誰かに会いたがっている表情だ。大切な誰かに、心から会いたがっているような表情だ。それこそ、神獣と会う前の早苗がよく浮かべていたような……。

 そして、懐夢が今一番会いたいと思っている人といえば、言わずもがな、母親である愈惟だ。死別してしまった、最愛の、『おかあさん』。

 また、母親の事を思い出したのだろうか。そしてまた、前と同じように寂しい気持ちに襲われているのだろうか。

 霊夢は気になって、懐夢に声をかけた。


「ねぇ、懐夢」


 懐夢は顔を向けないまま答えた。


「なに」


「なんか貴方、元気ないわね」


「そうかな」


「そうよ。どうしたの?何か心配事?」


 懐夢は首を横に振った。


「別に心配事なんかない」


「じゃあなんで、そんな顔をしているの?」


 懐夢は目を逸らし、小声で言った。


「……神獣探し、意味なくなったから」


 霊夢は首を傾げた。


「神獣探しですって?」


 懐夢は頷いて、昨日早苗とした話を、話してくれた。

 なんでも、懐夢は早苗に、神獣を幻想郷の中で探して見つけると約束したらしく、自分自身も神獣が本当に早苗の言うとおりの姿をしているのか気になって見つける事を楽しみにしていたが、昨日神獣が早苗のもとに現れ、守屋神社に来ることを伝えたため、神獣探しをする必要がなくなり、神獣を見つけ出す楽しみのなくなってしまったのが残念で仕方がなかったそうだ。だから、あのような表情をしていたのだと懐夢は言った。


 それを聞いて、霊夢は思わず驚いてしまった。

 懐夢は今、嘘を吐いている。大切な人に会いたくて仕方がない時にしか浮かべない表情を浮かべているというのに、物事がうまくいかなくてがっかりしているのだと言っている。明らかに、表情と言ってる事が食い違っている。

 霊夢は呆れてしまった。まるでちゃんとした嘘を吐けていないのだから。


「貴方ねぇ、嘘は吐かないで生きるべきって母さんに」


 言いかけたその時、玄関の方から声が聞こえてきた。


「懐夢ー、懐夢いるー?」


 少しだけ幼げなその声は、ちょくちょくこの博麗神社にやってくる、紅魔館の主である吸血鬼の少女、レミリア・スカーレットによるものであると二人は即座に気付き、霊夢は水を止めると、懐夢に声をかけて連れ、玄関に向かった。

 玄関につくと、そこでレミリアが腕組みをしながら立っていた。

 懐夢はレミリアの姿を見るなり、声をかけた。


「レミリア」


 レミリアは笑み、腕組みをやめて掌を立てた。挨拶の意味を持つサインだ。


「ちょっとの間会ってなかったような気がするけど、元気にしてた?」


 懐夢は頷いた。


「元気してた」


 霊夢は腕組みをした。


「こんな朝っぱらから何の用?まだ後片付けの最中なんだけど」


 レミリアは懐夢の方へ一歩前に出た。


「ねぇ懐夢、私の妹に会ってみない?」


 懐夢はきょとんとした。レミリアの妹と言えば、気が触れていて会った人を粉々に打ち砕く能力を持っていて、その危険さ故に紅魔館の地下室に幽閉されているとレミリアが前に言っていた。だのに今、レミリアはそんな自分の妹に会ってみないかと言ってきた。


「ちょっと、それ大丈夫なの?」


 レミリアは少し首を傾げた。


「え?」


 懐夢はこの前の話をした。それを聞いたレミリアは「あー」と言って納得したように数回頷いた後、事情を霊夢と懐夢に話した。

 何でも、妹であるフランドール・スカーレットには調子がいい時と悪い時があり、調子が悪いとは言ってきたものを襲ったりするが、調子がいい時には普通に話ができるという。そして現在のフランドールの調子は、いいらしい。

 それを聞いた霊夢はなるほどと言った。


「それで懐夢をフランに会わせたいと」


 レミリアは頷いた。


「そうよ。それに、あの子にはあまり友達と呼べるものがいなくてね、いつも寂しそうにしてるのよ」


 レミリアは懐夢に目線を向けた。


「そこで、私と友達になってくれた懐夢に、フランとも会って話して友達になってくれるかどうか、尋ねに来たわけなのだけれど、どうかしら懐夢」


 レミリアに目線を向けられて、懐夢は一瞬考えた。

 フランドールは、レミリアの言っていた通りならば、目を褪せた途端に食い掛かってくる獣のような非常に会うのが怖い相手だ。正直、そんなのとは会いたくないし、襲われるのは嫌だ。

 だけど、もしそれが今まともに話せる状態で、その話を聞くことができる状態ならば、会ってみたいと思うし、話をしてみたいとも思う。それに紅魔館には姉のレミリアだっているし、メイド長兼レミリアの世話係の咲夜も、ヴワル魔法図書館で本を読んでいるが、いざとなった時は強いとされるパチュリーだっている。これだけの人がいれば、何か起きた時でも大丈夫そうだし、なにより、レミリアの妹はいつも寂しそうにしているというのが、自分は放っておけない。

 懐夢は考えるのをいったん止めると、レミリアと目を合わせた。


「わかった。行くよ。でも飛んでる最中に、その人の事よく教えてね」


 レミリアはほっとしたような顔をした。


「よかった、来てくれるのね。ひょっとしたら断られるんじゃないかと思っていたけれど、安心したわ」


 そのすぐ後に、懐夢は霊夢の方に顔を向けた。その顔には『行っていいか?行ってしまっても大丈夫か?』と尋ねているような表情が浮かんでいて、霊夢は少し苦笑いしながら答えた。


「行ってらっしゃい。調子いい時のフランは安全といえるし、何か起きれば紅魔館の連中がすぐさま対処してくれるから、大丈夫よ。安心して、いってらっしゃいな。片付けは私がやっとくから」


 懐夢はにっと笑って頷いた後、自分の靴を履くと、レミリアと共に玄関を出て、ひと声出した。


「いってきまーす」


 霊夢はそれに答えるように大きな声を出した。


「いってらっしゃーい」


 懐夢とレミリアが神社の中から境内に移動し、上空へ舞い上がって紅魔館方面へ飛んで行ったのを見て、霊夢は溜息を吐いた。

 今見た懐夢の笑顔は、いつものように自然に笑っているものではなく、どこか引きつっていて、まるで無理やり作り上げたようなものだった。きっと、あの笑みを戻せば先ほどと同じような表情になるのだろう。

 今まで共に過ごしてきてわかったが、懐夢がああいう表情を浮かべている時は、話を全くと言っていいほど聞かない。考えている事で頭がいっぱいになってしまって、他人の話を、外部からの情報を遮断してしまうのだ。これは、愈惟の日記にも書いてあったことだ。

 多分、今日はレミリアやフランドールなどといった紅魔館の者達と話しても、ろくに頭に入らず、あまりよく理解できないまま終わることだろう。寂しさに気を取られて、話を聞けずに、終わるのだろう。


 霊夢は右手で左腕の関節を掴んだ。

 愈惟の日記を拾って、諳んじた時から、自分は懐夢にあの表情をさせないよう、母親に会いたいという気持ちを感じさせないように、日記から情報を集めて、好きな食べ物も沢山作ってやったし、泣き出した時、慰めるためのおまじないもやってあげてきた。その時どうしてと聞かれたら自分も小さい時に母にやってもらっていたと言って、自分の子供の時と共通点がたくさんあると思わせてきた。母の日記を手に入れて、それを参考にしながら接している事は隠し、様々な工夫を凝らして、懐夢に寂しさを感じさせないようにしてきた。

 けれど、それでも尚あぁいう表情をするという事は、まだ寂しいと思う時があるという事だ。即ちそれは、自分は懐夢の寂しさを完全に癒す事ができていないという事を意味する。


(何が……)


 何が足りないというのだろう。やはり自分では、懐夢の寂しさを癒すことなどできたしないのだろうか。どんなに懐夢から好かれ、懐かれようとも、家族のように接しても、その心が抱く寂しさというものを消す事はできないというのだろうか。本当に、何が足りないというのだろう。


 霊夢はふと寝室の方を見た。寝室には愈惟の日記が隠されていて、懐夢がいない時にそこから取り出して、ちょくちょく見ているが、まだ見ていないページもそこそこある。何せ、懐夢の九年分の記録が書かれているのだから。


(もしかしたら……)


 自分の見ていないページに、まだ何かあるかもしれない。懐夢に関する、懐夢の心を慰める要素が書かれたページが、まだあるかもしれない。

 霊夢は思い付くと台所に行って残った片づけをそそくさと終らせると、寝室に向かい、自分の着替えなどが入っている箪笥の下から五番目の段を開け、畳まれた衣服の奥に隠してある日記を取出し、諳んじた。

 まだ、何かないか。まだ、見ていない方法はないか。霊夢は無我夢中になって、日記を諳んじ続けた。

 だが、読み続けても、これだと思えるような方法が書かれたページは見つからず、霊夢は溜息を吐いた。やはり、自分が今まで読んだので全てだったらしい。


「……これ以上どうしろと……」


 もうだめかと思い、日記を閉じようとしたその時だった。何やら、他のページとは違うものが書かれたページを見つけた。

 なんだろうと思ってもう一度見返してみたところ、ページの下部に五線譜が引かれていて、そこにいくつもの音符が書いてある図があった。どうやら、何かの楽譜らしい。……知識がないので、全然読めないが。

 霊夢は何の曲だろうと思い、ページ上部に書いてある部分を読んだ。


―――記入日 水無月五の日(懐夢八歳)

 今日は懐夢に歌を教えた。私の一族が、遥か昔から伝えているという歌を、懐夢に。

 というよりも、懐夢にこの歌を歌ったのは、今日が最初じゃない。

 前に、懐夢が泣き出して、いつもの『だいじょうぶ、だいじょうぶ』のおまじないが聞かなかった時があって、その時ふと歌った時がある。先祖代々伝わる歌を。それを聞くや否、懐夢は泣き止んで、笑ってくれた。どうやらこの歌にも、懐夢の心を落ち着かせる効果があるらしい。その歌を、とうとう懐夢に今日教えたんだ。

 私がこの歌を知ったのは、丁度懐夢と同じくらいの年の時だ。お母さん曰く、この歌は先祖代々、子供が十歳くらいになった頃に親が子供に教えるものらしい。だから、私もこの歌を懐夢に教えた。懐夢はさぞかし気に入ったみたいで、何度も何度も繰り返し歌った。

 けれど、私はこの歌を不思議だなと思う時が結構多い。だってこの歌、歌って言っておきながら『歌詞』がないんだもの。歌詞がないから、メロディだけ。メロディだけを鼻歌で歌って、子に伝える。

 私の一族は先祖代々からこの方法でこの歌を伝えてきたらしいんだけど、何で歌詞がないんだろう。もしくは、歌詞は最初あったけど、伝えるうちに消えてしまったとかそのあたりかな。まぁ、もう気にしたって仕方がないのだけれど。

 でも、私は結構忘れっぽいから、このまま何にも記録しないで歳を取ったらこの歌すら忘れてしまうかもしれない。そうなったら、流石にお母さんや懐夢に申し訳が立たない。楽譜読めるし書けるから、ここに書き残しておこう。やれやれ、楽譜の読み書きができて、助かった!


 霊夢は諳んずるのをやめて、少し驚いたような表情を浮かべた。


「……今、泣いている懐夢に効果があるって……!」


 確かに、書いてあった。この歌は、懐夢の心を落ち着かせる効果を持つと。

 その部分を再確認したところ、霊夢の中に一筋の光が入った。

 もしこの方法が本当に有効なのだとすれば、揺らいでいる懐夢の心を落ち着かせる事ができ、懐夢の心に救う寂しさを取り払う事ができるかもしれない。まぁ勿論その時に懐夢は吃驚して自分に何故その歌を知っていると尋ねてくるだろうが、その時はこれまでと同じ対応をすればいい。今までずっと通ってきた方法だ、失敗はないだろう。

 霊夢は思い付くや否、じっと楽譜を見た。百詠という一族が今世まで伝えてきたとされる、一族しか知らない歌のメロディが乗せられている楽譜を。

……しかし、どんなに見ても模様や変な記号が羅列しているだけに見え、メロディが浮かんでくる事などなかった。というか、今まで生きてきた中で楽譜を読んだ事などほとんどないので、何が書いてあるかすらわからなかった。これは、楽譜の読める人に当たらなければ、メロディを知る事は出来ないだろう。


 霊夢は日記を片手に持ったまま『考える姿勢』をした。自分の知り合いの中で、楽譜が読めそうな者といえば、歌う事を趣味とするミスティアだが、ミスティアがきちんと楽譜を読んで歌を歌っているところなど見た事がないし、あまり頭がよくないミスティアの事だ、多分楽譜を読む事が出来るほどの知識は備えていないだろう。きっといつもの歌は、感覚で歌っているようなものなんだろう。

 では、プリズムリバー三姉妹はどうだ。楽器を演奏している彼女らなら、楽譜などスラスラ読む事が出来るかもしれない。……と霊夢は思ったが、直後に駄目だと思った。

 何故なら、自分は彼女らがどこにいるのかわからない。前の異変の時だって、ぱっと自分の目の前に現れてすっと姿を消した。あまり自己紹介もしなかったし、されなかったものだから、彼女らが普段どこにいるのか、どこに住んでいるのかなどもわからない。

 霊夢はさらに思考を巡らせた。しかし、これらの人物以外に楽譜が読めそうな者など、思いつかなかった。他に楽譜を読めるほど音楽の知識を持った者など、どこにいるだろうか。

 思いつかず、うんうんと唸りだしたその時、居間の方から声が聞こえてきた。


「おーい!霊夢、いるかー?」


 霊夢は居間の方を見た。今の声はこれまで何度も聞いてきて、ついこの前も聞いた声だった。

 

「何かしら」


 霊夢は軽く溜息を吐いた後、日記を腋に挟んで居間へ歩いた。

 居間に来てみると、外の廊下に魔理沙とアリスが立っていて、霊夢は少しきょとんとした。やってきたのはいつもと同じように魔理沙一人だけだと思っていたからだ。しかし、意外にもアリスもいた。

 何の用事やらと思っていると、すぐに魔理沙が口を開いた。


「おはよう霊夢。元気そうだな」


「えぇいつも通り元気よ。それで、何の用事?」


 と尋ねた直後、霊夢はふと思いついた。

 ひょっとしたら、この二人のどちらかに、楽譜を読めるほど音楽の知識を持ったのがいるんじゃないだろうか。霊夢は思い付くなり、二人へ声をかけた。


「丁度よかったわ。二人とも、聞きたい事があるの」


 アリスが首を傾げる。


「何よ、藪から棒に」


 霊夢は日記を開き、楽譜のあるページを開いて、二人に見せた。


「二人とも、楽譜読める?ちょっとこのメロディを知りたいのだけれど」


 二人は少し驚きながらも書かれた楽譜を諳んじた。直後、魔理沙が言った。


「これ、懐夢の母さんの日記だな。楽譜まで書いてたのか……」


「そうなの。読んでたら、楽譜が出てきてね、そこに書かれたメロディが知りたいんだけど、生憎私、音楽の知識とか、楽譜の読み方とか全然わからなくて……」


 アリスは顎に軽く手を添えた。


「なるほどねぇ……懐夢の母親はほんっとに色んな事を、懐夢に教えようとしてたのね……」


 霊夢は二人を交互に見た。


「ねぇ二人とも、この楽譜、読めない?」


 魔理沙は顔を少し顰めた。


「私は読めないな。霊夢と同じだ」


 霊夢は少ししょぼんとしたような表情を浮かべた。


「そうなの……」


 二人でも駄目か。と思ったその時。


「ふー……ふふふー……ふーふー……」


 アリスが突然鼻歌を歌いだして、霊夢と魔理沙はきょとんとした様子でアリスを見た。

 アリスは二人に視線を向けられようとも気にせず、ただ楽譜を注視しながら、鼻歌を続けた。


「ふー……ふふふー……ふーふーふー……ふーふふふー……ふーふふふー……ふーふーふーふー……ふふふー」


 アリスはしばらく似たようなメロディを歌い続け、やがてやめると、一言呟いた。


「随分単調なメロディね。同じような旋律を三回くらい繰り返してる」


 隣で驚いていた魔理沙が、恐る恐るアリスへ声をかける。


「アリス?もしかして読めたのか?」


 アリスは魔理沙を横目で見ながら頷いた。

 アリス曰く、趣味は主に人形作りや小道具作りだが、たまに音楽を歌ったり楽器を弾いたりする事もあるので、楽譜を読めるくらいの音楽の知識はあるそうだ。

 それを聞いた霊夢は、少し驚いたような表情を浮かべた。


「意外な事もあるものね……」


 アリスは少し困ったような顔をする。


「そんなに意外がる必要あるかしら」


 隣にいる魔理沙も霊夢と同じような表情をした。


「いや、私も今初めて知ったぞ。お前が音楽の知識持ってるなんて」


 アリスは軽く溜息を吐いた後、霊夢の方へ視線を向けた。


「とにかく、この楽譜に書かれたメロディは今のよ。霊夢、わかった?」


 霊夢は苦笑いした。


「ごめんアリス、もう一回歌ってもらえる?」


 アリスはもう一度溜息を吐いた。


「わかったわ……いい?しっかり聞いててね」


 そう言った後、アリスは再度鼻歌を歌い始めた。同じフレーズを三回ほど繰り返し歌う結構単調なものだが、どこか聡明さや穏やかさを感じるようなメロディだった。そして、一回しっかり聞くだけで覚える事が出来るくらいに、覚えやすいものでもあった。

 やがてアリスが歌い終えると、霊夢は頭の中に歌がしっかりと残ったのを感じた。


「今ので全部だけど……霊夢、わかった?」


 アリスに聞かれるや否、霊夢はアリスが今歌い、愈惟が懐夢へ伝えた歌を、歌ってみせた。アリスの歌い方も丁寧だったし、曲そのものも覚えやすい構成だったので、ほぼアリスから聞いたそのままの形で歌う事が出来た。

 やがて歌い終えると、アリスはうんと頷き、魔理沙はほぇーと言った。


「不思議な歌だな。これを懐夢の母さんは懐夢に教えたのか。っていうかこれ、歌詞がないのか?」


 霊夢は頷いた。


「そうらしいわ。歌詞は最初からなかったみたいで、懐夢の母さんも気にしてたみたい。それと、この歌なんだけど、懐夢、好きみたい」


 アリスはふぅんと言った後、霊夢に尋ねた。


「それで霊夢、どうしてこの歌を知ろうとしたの?」


 霊夢は「え?」と言った。

 アリスは続けた。


「だから、どうしてこの歌を知ろうとしたのって聞いてるの。懐夢の家系にしか伝わっていない歌を、何で貴方は知ろうとしたの?」


 霊夢は少し俯いて、答えた。


「これが、あの子の寂しさを癒す方法だと思ったからよ」


 アリスと魔理沙は首を傾げた。

 霊夢は、これまで懐夢に対してやってきた事を、全て二人に話した。


 話が終わると、アリスが呟いた。


「母親が彼にやっていた事を彼に施し、何故と聞かれたら自分も小さい時にされていたと言って、共通点がたくさんある人間だと彼に思わせ、尚且つ彼が懐けるように、まるで家族のように接してきた……か」


 霊夢は頷いた。


「えぇ……これが、あの子の寂しさを取り払う一番の方法だと思ったから」


 アリスは唇の近くに指を添えた。

 確かに、自分と同じような事をしてもらってきた人って聞けば、それだけで親近感が湧く。そして、その人がまるで家族のように接してくれるようなら、その人を信じ、接する事によって家族のいない寂しさをその人で消す事が出来る……小さい子供ならば、尚更だ。

 霊夢はある意味、懐夢が無垢な子供である事を利用していたとも言える。

 アリスは少し考えた後、口を開いた。


「なるほどねぇ……確かに彼のためっていえばそのとおりだけど……」


 魔理沙が少し悲しげな表情を浮かべる。


「それって、懐夢に一時からずっと嘘を吐き続けてるって事じゃないか。そして懐夢は、自分が騙されてるって事に……」


 霊夢は俯いたまま答えた。


「気付いてるわけないわ……あの子、完全に私を信じてるみたいだから……」


 部屋を重い沈黙が覆った。

 しかし、その直後に霊夢は言った。


「でも……懐夢に寂しさを感じてもらいたくない、私を家族のように思ってもらいたい、家族のように信じてほしいって、思ってたのは事実よ。どんなに嘘を吐こうとも、その二つだけは本気でやってた」


 アリスは俯く霊夢を見た。


「霊夢……貴方どうしてそこまでして……」


 霊夢は小さく呟いた。


「……似てるのよ……ううん、同じなのよ……あの子が……すごく……」


 アリスは続けて尋ねた。


「似てるって……何に?」


 霊夢は答えなかった。

 直後、魔理沙が軽く溜息を吐いた後、霊夢に声をかけた。


「……まぁどんな事情にせよ、これだけはわかるな」


 魔理沙は霊夢に近付くと、その手を取り、顔に笑みを浮かべた。


「お前は、すごく懐夢を大切に思って、大事にしてるんだな」


 霊夢はきょとんとしたが、すぐに頷いた。


「えぇ、それだけは揺るがないわ……あの子は、私の大切な子よ」


 魔理沙はにかっと笑った。


「じゃあ、それをそのまま続けろよ。お前が懐夢を大事に思う、それこそ懐夢のためだと思うぜ。たとえ、嘘を吐いててもな」


 霊夢は小さく「魔理沙……」と呟いた。

 直後にアリスも微笑みを浮かべた。


「私もそう思うわ。貴方に大切に思われる事こそが、あの子の幸せだと思う。これからも、その姿勢を続けて頂戴」


 霊夢は視線をアリスへ向けたが、そのすぐ後にアリスは少し表情を険しくした。


「でもね霊夢。今はばれずに済んでるけど、いつか必ずその嘘がばれる日は来ると思う。いいえ、貴方自身が、その嘘を懐夢へ打ち明けなければならない時が、遅かれ早かれ来るわ」


 魔理沙は少し悲しげな表情を浮かべた。


「そうだな……今はまだいいかもしれないけれど、いつまでも嘘を吐いてるわけにもいかないもんな……」


 霊夢はまた俯いた。


「その時は……どうしたら……」


 アリスは答えた。


「貴方は、貴方の気持ちを全て彼に打ち明ける。それだけ。

 後は彼次第ね。貴方に嘘を吐かれ続けてきたってわかって、一番ショックを受けるのは彼だから」


 霊夢は答えを返さなかった。

 しかしそのすぐ後に、アリスは表情を和らげた。


「でも、魔理沙の話を聞く限りじゃ、大した事にはならないんじゃないかしら。きっとそのまま、打ち解け合う事が出来るわよ貴方達なら」


 霊夢はまたまたきょとんとして、顔をあげた。

 その横で、魔理沙が安心したような表情をして腰に手を当てた。


「だな。お前達、ほんとの姉弟みたいだもん。それにあの懐夢の性格だ、きっと大丈夫さ」


 霊夢は少し自信がなさそうな顔をした。


「本当に……?」


 魔理沙はもう一度頷いた。


「そうだぜ。そうでなきゃ、お前達の過ごしてきた日々は何だったって事になるぜ?」


 言われて、霊夢はハッとした。

 考えてみれば、懐夢を養う事を決めて、神社に住ませた日から、自分の小さい頃と共通点があるという話以外では一つも嘘を吐かず、出来るだけ一緒に過ごしやすい環境を神社の中に作り、幻想郷中の危険から守りながら、懐夢を大切に思って一緒に暮らしてきた。その日々に比べれば、あの嘘は遥かに小さいものだ。

 それに懐夢自身も、どんなにいざこざがあっても自分を本当の家族のように思ってくれていた。きっとその時だって、いつものように進むはずだ。いつもどおり話が進んで、いざこざが終わって、いつもどおりまた一緒に過ごす……。

 そう思うと、立ち込めていた霧が晴れたように、心の中がすっきりしたのを感じた。


「そう……よね」


 霊夢が顔を明るくすると、アリスが頷いた。


「貴方達なら、きっと大丈夫よ」


 魔理沙が続く。


「そうさ。お前達なら、どんな隔たりだってすぐ壊せるさ」


 霊夢は微笑む魔理沙とアリスを交互に見て、身体が熱くなるほどの嬉しさを感じ、やがて頭を下げた。


「二人共……ありがとう。いつかこの事をあの子に話す事になったら、私、全部しっかり伝える」


 頭を上げると、二人はにっこりと笑っていた。

 と思いきや、アリスが突然表情を引き締めた。


「それはさておき……霊夢、次は私達がここに来た要件を話すわね」


「何よ」


 アリスは続けた。


「この前、貴方が私達に依頼した時の事、覚えてる?」


 霊夢は首を傾げた。


「この前の依頼?」


 魔理沙もまた表情を引き締めて頷いた。


「そうだ。ほら、この前、私達に懐夢の身体に取り憑いてる妖魔について情報を集めてくれって頼んだじゃないか」


 言われて、霊夢は思い出した。近頃リグル達の感染症やそれの対応によってすっかり忘れていたが、前にアリスや魔理沙に懐夢の身体に取り憑いている妖魔について調べてくれと頼んだ。しかし、頼んだ者達は一向に報告に来ず、忘れられていると思っていた。

 霊夢は「あー」と言って二人を見た。


「確かに頼んだわ。それで、何か収穫はあったの?」


 アリスと魔理沙は首を横に振り、そのうちアリスが困ったような表情を浮かべた。


「パチュリーと一緒に調べたけれど……収穫はゼロよ」


 魔理沙もアリスと同じような顔をする。


「色んな書物を時間かけていくつもいくつも読み漁ったけど、懐夢の身体にいるのみたいなのはなかったよ。多分、完全な新種だぜ」


 霊夢は少し残念そうな顔をした。

 まぁそうだろうとは思っていたが、何もなかったのはやはり悔しい。


「そう……情報なしか……」 


 残念そうな顔をして俯く霊夢に、アリスが声をかけた。


「そっちは?」


 霊夢は顔を上げた。


「そっちって?」


「懐夢の事よ。懐夢に何か変化はなかった?」


 アリスに聞かれて、霊夢は考えた。そういえばあれ以来、不思議な事に懐夢の身体に異変は起きていない。新たなスペルカードを取得する事もなかったし、これといった異常行動を起こした事もなかった。

 霊夢は感がるのをやめると、首を横に振った。


「何もなかったわ。懐夢の身体にいるの、意外にも大人しくしてるみたい」


 アリスは「そう」と言い、直後に魔理沙が言った。


「でもさ、ほんとに何なんだろうな。そいつの正体とか目的とか、気になって仕方がないんだけど」


 霊夢が腕組みをする。


「私だって気になるわよ。だけど調べても全然出てこないのよそいつに関する情報が」


 アリスは下唇に右手の人差し指を当てた。


「困ったものね……正体がわからないうえに、情報がないなんて」


 魔理沙はアリスと霊夢を交互に見た後、言った。


「でも情報の模索は続けて、どうにかして懐夢の身体から出す方法を見つけよう。今は大人しくしていても、またいつ動き出すかわからないからな」


 霊夢もそれには頷いた。


「そうね……二人ともありがとう、もう一度頼むわ。あと、まだ文と早苗が来てない。あの二人の情報も待つ事にするわ」


 魔理沙とアリスは頷いた。



     *



 午後七時、夕食後。

 午後五時くらいに懐夢は博麗神社へ帰ってきた。

 何でも、初対面であるフランドールに会い、話が出来ていつもより楽しかったそうだ。懐夢曰く「あんなにいい子なのに普段話が出来ないのがもったいない」だそうだ。

 そんな話を懐夢は楽しそうに、笑顔で話していたのだが、その最中、霊夢は気付いていた。

 懐夢の笑顔は今朝と同じように、引きつっていたのだ。多分、居間の懐夢の顔から笑みを消せば、今朝と同じような表情が残るのだろう。やはり懐夢は、朝の事をずっと引きずったまま紅魔館に行き、その住民達と話をしていたのだ。懐夢の話を聞く限り、紅魔館の者達は気付かなかったようだが。

 それを理解して、霊夢は少し残念だと思った。懐夢の心を癒してから、紅魔館へ送り出してやればよかったと思った。もし懐夢の心をいつもと同じような状態にしておけば、うんと今日という日を楽しませる事が出来たというのに、それが出来なかったのが悔しいと感じながら、霊夢は夕食の食器を洗っていた。隣で、懐夢は皿を拭いている。しかも……今朝と同じような表情だ。今もなお、引きずっているらしいが懐夢は一向にその事を話そうとはしなかった。

 霊夢は溜息を吐いて、声をかけた。


「懐夢、何か隠し事」


 言いかけたその時、玄関の方から声が聞こえてきた。


「霊夢さんー、懐夢さんー、いらっしゃいますかー?」


 その声質は非常に聞き覚えのあるもので、昨日も聞いていたものだった。

 朝と同じように、霊夢は水を止めると、懐夢を連れ玄関に向かった。

 玄関につくと、そこで早苗が立っていた。

 早苗は二人がやってくると、小さく頭を下げた。


「こんばんわ。お二人とも」


 霊夢は腕組みをした。


「こんな時間に何の用?まだ夕ご飯の後片付けの最中なんだけど」


 早苗は表情をきりっと引き締めた。


「お二人にお話ししたい事があって来ました」


 霊夢は少し首を傾げた。


「私達に話したい事?何よそれ」


 早苗は表情を変えないまま言った。


「神獣様との関係の、話です」


 懐夢が早苗に声をかける。


「それって、前の話の続きですか?」


 早苗は懐夢に目線を向けて、頷いた。


「そうです。あの話の続きを、前に、私の話を聞いてくれて、神獣様を実際に見たことのあるお二人だけにお話ししたくて、このような時間にやってきました」


 聞いて、霊夢はちょうどいいと思った。懐夢の事もあったが、今しがた、神獣の姿がどうして変わっていたのかも気になっていたところだった。

 その謎も、早苗の話を聞けば、すっきりと晴れるかもしれないし、何より早苗と神獣の関係も前から気になっていたものだ。ずっと謎だと思っていた早苗と神獣の関係の謎も今日、晴れるに違いない。

 霊夢はそう思うと、腕組みから腕を戻して、早苗に声をかけた。


「よし、わかったわ。入って頂戴。話、じっくり聞こうじゃないの」


 そう言うと、早苗はまた軽く頭を下げて、ありがとうございますと礼を言った。

 そのすぐ後に霊夢は早苗と懐夢を神社の中に入れて、居間に案内し、居間に着くと、二人を座布団の上に座らせ、やがて自分も座ると早苗に声をかけた。


「それで早苗、全部、話してくれるのよね?」


 早苗は頷いた。


「話します。ただ、一つだけ条件が」


「何よ」


「この話は、霊夢さんと懐夢くんだけの秘密にしてください。あまり、他の人に知られたくない話なので」


 言われて、霊夢はこの前の話を思い出した。早苗が突然話をやめた時に、何故だと尋ねてみたところ、これ以上先は身内の話になるからだと答えた。その話をこれからするというのだから、秘密にしてくれと頼むのもわかる。

 霊夢はうんうんと頷いて、笑みを浮かべた。


「大丈夫よ。他の人に話す気なんて更々ないし。だから、安心して話しなさい」


 懐夢も同じように笑んだ。


「僕もここだけの秘密にします」


 早苗はもう一度ありがとうございますと礼を言うと、話し始めた。これまで誰にも話してこなかった話を。



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