第四十三話
霊夢達は紅魔館のメイド長咲夜、白玉楼の庭師妖夢を加えて、瘴気によって闇に染まったかのように黒い街中を歩き続けていた。
しかし二人を加えて探し回っても一向に瘴気の根源は見つからず、そればかりか皮膚を通じて体内へ入り込んだ瘴気により一同は体調を崩しつつあった。中でも最も体が弱いと言っている早苗は顔面蒼白にして苦しそうに呼吸を繰り返し、先程の四人の中で最も体が強いとされる魔理沙も眩暈に似た症状を訴え始めていた。
そんな二人を見て、にとりが焦っている様子を見せた。
「二人共、大丈夫かい?」
魔理沙はにとりと顔を合わせた。
「具合がどんどん悪くなっていく……こりゃもうすぐ限界来るかも……」
早苗が俯いたまま答える。
「上手く息が吸えなくて……苦しい上に……頭が何だかぐらぐらします……」
妖夢が早苗と魔理沙に声をかける。
「大丈夫か?あまり無理をしないで退いた方が……」
早苗はゆっくりと顔を上げて妖夢と顔を合わせた。
「退けません……この瘴気の根源を探して倒し、この瘴気を打ち払わなければ……街の人達が……」
魔理沙が続く。
「今更退けないよ……私達がここで逃げれば、街は全滅だ……」
咲夜が二人を交互に見ながら腕組みをする。
「二人がこの有様か……」
その時、霊夢はふと歩みを止めた。先程から、身体が重りを付けられたかのように重く、怠く感じていたが、いよいよそれが我慢できないほど大きくなってきた。身体を動かそうとしてもあまりうまく動かず、目の前がゆらゆらと霞んでいる。足を動かし、一歩踏み出してみれば立ち眩みや眩暈にも似た感覚が頭に襲いかかってきてろくに歩けやしない。恐らく、顔も早苗と同じように顔面蒼白になっているだろう。
他の者達に迷惑や心配をかけまいと誰にも言わず、じっと我慢してきたが、とうとう限界が来た。
「あまり言いたくないけれど……二人じゃないわよ」
一同の注目が霊夢へ集まり、咲夜が声をかけた。
「霊夢?もしかして貴方も?」
霊夢は頷いた。
「えぇ……魔理沙や早苗と同じくらい体調がやばい……もうすぐ限界来るかも……」
霊夢は振り返り、咲夜と妖夢の顔を見た。二人の顔は自分達のように蒼白ではなく、健康の色を表していた。
「あんた達は大丈夫なの?私達よりも長いことこの瘴気の中にいるんじゃなかったかしら」
咲夜と妖夢は答えた。何でも、咲夜は紅魔館のメイド長であるためなのか、身体が常人の数十倍丈夫で、ちょっとやさっとの瘴気ではやられないらしく、妖夢に至っては半人半霊であるため瘴気の効果が薄く作用するそうで、そう簡単には侵されないそうだ。
それを聞いた霊夢は顔面蒼白のまま呆れたような表情を浮かべた。
「そりゃいいわね……この瘴気に苦しむ必要が無いなんて……」
直後、にとりが霊夢の前に躍り出て一同の方へ体を向けて提案をした。
「もう駄目だ!瘴気の根源を探すのは止めて撤退しよう。そうでないと霊夢達危ない!」
霊夢はにとりと目を合わせた。
「何言ってんのよ……ここでやめたら街の人達が死ぬのよ……」
にとりが表情を険しくして反論する。
「だからって、このままこの中にいたら霊夢達も死んじゃう。それじゃあ元も子もないでしょ!」
反論するにとりに魔理沙がさらに反論をする。
「じゃあ、街の人達には犠牲になってもらうっていうのか?私達だけのこのこ助かって、街の人達はこのまま死に絶えてもらうって……」
「そうじゃなくて……!」
妖夢がぎりっと歯軋りをする。
「くそ……万事休すか……」
咲夜がスカートの裾をぎゅっと握りしめる。
「どうしたらいいのよ……!」
その直後、最も重く瘴気に侵されていた早苗がついにその場に倒れ込んだ。一同はそれに驚き、早苗を取り囲むようにその周りに集まり、一番近い位置にいた咲夜が早苗へ声をかけた。
「早苗!しっかりなさい!」
早苗は苦悶の表情を顔に浮かべ、僅かに口を動かした。
「く……るしい……」
早苗は今自分が置かれている状況をまざまざと感じていた。
呼吸が上手く出来ず息苦しく、全身が思うように動かず、意識が朦朧としてきている。ガスマスクをしたからもう大丈夫と思っていたが、前々そうでもなかった。このまま皮膚から入ってくる瘴気に侵され続ければ、いずれ意識が無くなり、最終的には死してしまうとのだろう。自分は今、死の淵に立たされている。
何と呆気のない最期なのだろう。自分の最期は、きっと寿命による老衰だろうと思っていたのに、まだ幻想郷に来て一年目で、たったの十六歳で死を迎えてしまうとは。これでは何のために幻想郷に来て何のために生きようとしていたのかわからない。
……まだ、死にたくない。
……まだ、死にたくなんかない。
徐々に消えていく意識の中で、早苗は心の奥底でふと思った。
―――こんな時に、神獣がいてくれたら、どうしてくれるのだろうか。
あの大きな翼で、この瘴気を吹き飛ばしてくれるのだろうか。
それとも気象を操る力を使って暴風雨を引き起こし、この瘴気を消してくれるのだろうか。
それとも今この場に現れて自分を掴み取り、瘴気の中から出してくれるのだろうか。
(神……獣……さま……)
神獣の名を心の奥底で呼び、瞼を閉じて目の前が真っ暗になったその時、ふと耳に大きな音が聞こえてきた。
それは指笛のように甲高く、尚且つ聞きなれた音で、それを聞くや否早苗はかっと閉じた目を開き、必死に目を動かして辺りを見回した。周りを見てみれば自分の周りを取り囲むように地面に腰を降ろしている者達も瘴気に寄って黒く染まる辺りを見回しており、そのうち魔理沙が呟いた。
「な、何だ今の音?」
妖夢が腰に携えた刀に手を添えて呟く。
「まさか……この瘴気を発生させている根源の咆哮か!?」
霊夢が首を横に振り、空を見上げる。
「違うわ……この声は……!」
霊夢が言った直後、前方から突風が吹いてきた。その強さは時折幻想郷にやってくる台風のように強く、地面に座っている霊夢達を風の前に置かれた塵のように吹き飛ばそうとしてきた。一同は突然の事に驚き、吹き飛ばされまいとその場に踏ん張り、目を覆ったが、あまりの風の強さに耐え切れず、吹き飛ばされてしまい、家屋の近くの地面を数回転がった後、家屋の柱に掴まって耐えた。そのうちの倒れていた早苗は咲夜が何とか抑え込み、吹き飛ばされずにいれた。
やがて突風が治まり、霊夢達は目を開いて、驚いた。
今まで視界を遮っていた瘴気が、すっかり消えてなくなっていて、街がよく見えるのだ。どうやら今の突風が全ての瘴気を吹き飛ばしたらしい。霊夢達はあまりに突然の事に唖然とし、そのうち霊夢が呟いた。
「瘴気が消えてなくなってる……何が起きたの……?」
咲夜が辺りを見回す。
「今の突風が、瘴気を吹き飛ばしたというの……?」
妖夢がさらに呟く。
「今の突風は何だ……妖怪の山の烏天狗がやってくれたのか?」
妖夢は突風の正体に文を挙げたが、早苗はどうも違うような気がしてならなかった。
確かに風を操る力を持つ文ならば強い突風を起こすことは可能だろう。だが、今の突風は明らかに文の力を超えていた。恐らく今のは、もっと『上の存在』が起こした突風だろう。そして何より突風が吹いてくる前に耳に届いたあの音……。
「あれ……何だこの空気……」
魔理沙が突然呟くと、一同は魔理沙の方を見た。魔理沙は今、にとりのマスクを外して呼吸を繰り返していた。しかも先程まで青白かったその顔が、すっかり元の色に戻っている。それを見たにとりは思わず焦りを浮かべて魔理沙に声をかけた。
「魔理沙駄目だよ!マスクをしてなきゃ!」
魔理沙はにとりと目を合わせた。
「その必要はないぜ、にとり。マスクを外しても大丈夫だ。それよりも、今ここに流れてる空気を必死に吸った方がいい」
一同は首を傾げたが、マスクを外そうとはしなかった。魔理沙の言葉があまり信じられるような内容ではなかったからだ。しかし、その中で霊夢だけは魔理沙の言葉を信じてみようと思い、マスクを外して徐に深呼吸をした。その様子を見て他の者達は驚きの声を上げ、そのうちの妖夢が声をかけた。
「霊夢よせ!瘴気にやられるぞ!」
霊夢は妖夢の言葉を無視して、もう一度深呼吸をしてみた。そして、驚いた。
思い切り深呼吸をして辺りの空気を吸い込んでみたところ、瘴気にやられて重くなっていた身体が瞬く間に元の感覚に戻り、頭のぐらつきも、息苦しさもあっという間に消えてしまったのだ。まるで、身体の中に留まっていた瘴気が吸い込んだ空気によって浄化されてしまったかのように。
この事実を知るや否、霊夢は最も瘴気にやられていた早苗の方を向いた。早苗は今、咲夜に背を摩られながら地面に座り込んでいた。
「魔理沙の話は本当よ。早苗、今すぐマスクを外して空気を吸いなさい」
早苗は真っ青の顔を上げて、小さく「え?」と呟いた。
マスクを外した方がいいのにマスクを外さずにいる早苗に霊夢はすぐに痺れを切らし、早苗の顔に手を伸ばして無理矢理マスクを剥ぎ取ると、再度指示を下した。
「早苗、深呼吸!ゆっくりでいいから、とにかくやって」
早苗は小さく頷くと、息を大きく吸い、やがて吐いた。たったそれだけの事で身体の具合がよくなった事に驚いたのか、早苗は目を見開き、数回深呼吸を繰り返した。そして早苗が深呼吸をやめる頃には、その顔色はすっかり元通りに戻っていた。
それを確認するや否、咲夜と妖夢とにとりもマスクを外し、深呼吸をした。少しだけ蒼かった三人の顔も、この空気を吸う事によって瞬く間に元に戻った。
身体の具合がすっかり良くなった事に魔理沙は安心の声を出した。
「はぁ~、助かったぜ」
妖夢が続く。
「本当だ……身体の重さがあっという間に……」
にとりが安心したように笑みを浮かべる。
「まさに九死に一生を得るだね」
他の者達が瘴気が消え去った事に喜んでいる中、霊夢は顎に手を添えて下を向く『考える姿勢』をしていた。
確かに、魔理沙の言うとおり助かった。このまま瘴気に侵されていれば、そのうち自分も早苗のように道の真ん中で行き倒れていたところだろう。しかし、突然吹いてきた突風といい、この吸うだけで身体が軽くなる空気といい、一体何が起きたのだろうか。最初に来た突風から考えるに、あれが瘴気を吹き飛ばし、この空気を運んできたのだろうけれど、一体何がその突風を起こしたというのだろう。
そしてこの吸うだけで身体が軽くなり具合の良くなる空気。空気を吸う限り、どうやらこの空気は先程街を包み込んでいた異常濃度瘴気と同じように街全土を包み込んでいる。
この空気の正体も何なのだろう。何かの回復術の一種か何かだろうか。だとすれば、街そのものを包み込んでその民全員に効果を与えるというこれまで見た事が無いほど桁外れに高度な術だ。こんな術を使えるのは、早苗の神社にいる八坂神奈子や守矢諏訪子といった八百万の神々、紫や童子や大天狗などといった幻想郷の大賢者くらいだろう。だが、今のは前者でも後者でもない気がする。何故ならば、突風の前に、聞いた事のある音が耳に飛び込んできたからだ。空から聞こえてくる指笛にも似た甲高い音……指笛のような甲高い音と言えばあの積乱雲の時の……。
考えていたその時、すぐ近くにいる早苗から声が聞こえてきた。
「この空気……この感じ……この匂い……」
霊夢は早苗を見た。早苗は何かを探しているかのように首をきょろきょろと動かし空を見ていた。
霊夢はそんな早苗を不思議がり、声をかけた。
「早苗?どうしたの?」
早苗は答えなかった。
「ねぇ早苗」
霊夢がもう一度声をかけたその時、街の広場の方を見ていた妖夢が声を上げた。
「皆!瘴気だ!瘴気がまた立ち込めようとしているぞ!!」
一同は驚き、妖夢が差す方向を見た。そこで街の広場の方から、突風によって吹き飛ばされて消えたと思われていた黒々とした瘴気が全域へ広がろうと動いている光景が見えた。
その光景を見て次の瞬間、霊夢の中に鋭い光が閃いた。
街の広場の方から瘴気が発生して街の全域に広がろうとしているという事は、そこに瘴気の根源があるという事だ。今まで自分達が必死に探していても瘴気の闇の中に隠れて全然見つからなかった瘴気の根源が、己の身体を覆い隠してくれていた瘴気を打ち払われてしまった事によりはっきりと姿を現しているのだ。その今ならば、瘴気の根源を見つけ出し、潰す事が出来る!
「違うわ妖夢、それに皆。あそこよ……あそこがこの瘴気の根源、この異変の元凶が居るのよ!」
魔理沙が納得したような声を上げる。
「あ、そうか!瘴気が晴れてる今なら、確かに瘴気の根源がわかるな!」
にとりがニッと頬を上げる。
「そうとわかれば即行動だ!あの瘴気の根源、潰さなきゃ!」
「えぇ皆、行くわよ!」
霊夢が瘴気の溢れてくる街の広場方面へ走り出すと、他の者達もその場所に向かって走った。
そして街の広場に辿り着くと、一同はそこで足を止め、もう一度マスクをした。広場の中央から、先程と全く同じものとされる瘴気が湧きあがっていたのが見えてきたからだ。
もくもくと先程の瘴気を溢れさせているそれを見て、霊夢は呟いた。
「あれが瘴気の根源……」
姿は完全に瘴気に隠されてしまっていて、よく見えない。そのせいで鉄や石などの無機物なのか、それとも植物や動物のような有機物なのかもわからない状態だ。
そんな瘴気の根源を見て、早苗が呟く。
「何なんでしょう……あれ……」
にとりが腕組みをする。
「わからないね。如何せん瘴気で隠されちゃって何が何だか……」
その中、魔理沙が一つ提案をした。
「試にスペルカードとかで攻撃してみればよくね?そうすれば瘴気が吹き飛んであれの姿がわかるかも」
妖夢が焦ったように魔理沙に言う。
「駄目だろそれは!そんな事をして、瘴気がまた広がったらどうする!」
魔理沙が妖夢の方を向いて顰め面をする。
「じゃあどうしろっていうんだよ。お前には何か作戦があるのか?このままじゃ手も足も出せないぜ」
妖夢も困ったような表情を浮かべる。
「私に聞かれても困るのだが……」
その中、一人黙っていた咲夜がようやく口を開いた。
「いいえ、魔理沙の言うとおりよ。ここは一か八か攻撃してみましょう」
妖夢が吃驚したような顔をして咲夜の方へ身体を向ける。
「ほ、本当にやるのか?」
妖夢の問いかけに答える前に咲夜は懐から一本のナイフを取り出し、それを一度きらりと光らせるとひゅっと瘴気の根源に向けて投げた。咲夜の手から放たれたナイフは真っ直ぐ飛び、やがて瘴気の中へと消えたその直後、カツンという硬い何かに同じく硬いものがぶつかったような音が瘴気の中から聞こえてきた。その音を聞いた咲夜は目を細くして呟いた。
「当たったみたい」
霊夢も同じように瘴気の根源を見る。
「わかるわよ。でもあれが動くものなのか動かないものなのか……」
霊夢が言おうとした直後、瘴気の根源は突然動きだした。一同は瘴気の根源が動くものだった事に驚き、それぞれの武器を構え、そのうち魔理沙が焦ったように呟いた。
「う、動いてるぞあれ!」
妖夢が刀を構える。
「という事は、瘴気の根源は移動できる!?」
早苗が大幣を構える。
「でもまだ瘴気に包まれていて姿が……」
早苗が言った直後、早苗の言葉が届いたのか、瘴気の根源が放つ瘴気が徐々に薄くなり、今まで見える事のなかったそれの姿が露わになり、その姿を見た一同は思わずまた驚いてしまった。
瘴気の根源は、瘴気のように黒い鱗が重なってできた甲殻を身に纏い、その隙間から瘴気を発生させ、翡翠色の長い鬣を頭の周辺と項から生やし背中から特徴的な翼を六枚生やし、前方向に曲がった角を生やしたドラゴンという言葉から連想される容姿をした小型の竜だった。瘴気の竜は、ぐるぐると恫喝のうなり声を出しながら霊夢達の事を睨んでいた。しかし霊夢達は竜が唸り声を上げていようと気にせず、竜の身体のある部分をじっと見ていた。
……そこにあったのは、翼。その翼の形が、この前リグルと同じような症状を訴え、行方不明となったチルノの親友、大妖精のそれの形と非常によく似ている。それを見て、魔理沙が霊夢へ声をかけた。
「霊夢、あいつの翼……」
霊夢は顔を険しくした。先程のチルノの発言を聞く限り、あれは、リグルと同じ感染症に感染し、別な妖怪へと変化してしまった大妖精だ。そしてそれはあの時と同じように人間を積極的に襲い、人間を殺し尽くそうとしているに違いない。
「間違いないわ……あいつは、大妖精よ。それも、別な妖怪に姿を変えてしまった」
それを聞いた咲夜は驚いたような表情を浮かべて霊夢の方を見た。
「大妖精!?あの霧の湖に出るあの!?」
霊夢は頷いた。
「大妖精の事を見た事があるならわかるでしょ。あいつの翼、大妖精のものと同じよ」
咲夜は霊夢に言われるまま瘴気の竜の背中を見て、目を見開いた。
「確かに……あれは大妖精の翼……」
妖夢が霊夢へ声をかける。
「しかし、何故大妖精のような存在があのような事に?大妖精は、瘴気を出す事が出来るような妖精だったのか?」
妖夢の問いかけに霊夢が答えようとしたその時、瘴気の竜がその口をかっと開け、その口内より霊夢達へ向けて勢いよく何かを吐き出した。それは黒い光弾のようなもので、突然それが飛んできた事に一同は驚きながらも咄嗟に飛んできた黒い光弾を回避した。黒い光弾は霊夢達から目標を逸らすと勢いよく地面へ激突し、勢いよく瘴気を噴出して破裂した。
その一部始終を見ていたにとりは驚きの声を上げた。
「瘴気!?」
妖夢が刀を構え直す。
「濃縮瘴気弾か……まぁ瘴気を生み出すのだから当然と言えば当然だが……何故……?」
霊夢がそれに答えるように札と大幣を構える。
「大妖精がどうしてこうなってるかの説明は後!今はこいつを大人しくさせるわよ!」
霊夢がたんっと地面を蹴り上空へ舞い上がると他の者達も一斉に上空へ舞い上がり、地上に残された瘴気の竜もその翼を羽ばたかせて上空へ飛び上がり、霊夢達と向き合った。
(ッ……またこんな戦闘か……)
霊夢は近頃の戦いに苛立ちを覚えてきていた。ここ最近、まともな弾幕ごっこ、遊び感覚で出来る戦闘を一切していない。やっているのは、こんな本当に殺すか殺されるかの戦闘。元来博麗の巫女にはやっていけないはずの、正真正銘の戦闘。それを繰り広げてくるのはいつだって未確認妖怪や封印の守護者や今目の前にいるような見た事のない感染症に感染して暴走した妖怪だ。いつになったら、こういうのが終わるというのだろう。いつになれば、また元の弾幕ごっこで済む戦闘に戻るのだろうか。
そう考えていたその時、魔理沙が声をかけてきた。
「霊夢!どう攻める!?」
霊夢はハッとし、首を数回横に振ってそれまで考えていた事を振り払うと、瘴気の竜を見た。瘴気の竜は全身を黒い鱗で形成された甲殻で守っており、更にその甲殻には一切の隙間もない。この辺りはリグルが蟲の竜になった時とほとんど同じで、もしもあの時とほとんど同じならば、また熱を加えて甲殻を砕いてやるのが効果的だろうけれども、今回の瘴気の竜は蟲の竜と体格も違えば大きさも違うし、鱗や甲殻の感じも全然違う。恐らくこの前仕えた戦法はもう使えないだろう。一先ず攻撃してみて様子見し、違う戦法を立てるべきだろう。
「ひとまず全員のスペルカードによる術をぶつけてみましょう。それから様子見!」
霊夢の指示は全員に行き渡り、霊夢がスペルカードを発動させたのと同時にそれぞれが持つスペルカードを発動させた。
「霊符「夢想封印」!!」
「天儀「オーレリーズソーラーシステム」!!」
「幻符「インディスクリミネイト」!!」
「秘術「一子相伝の弾幕」!!」
「幽鬼剣「妖童餓鬼の断食」!!」
「洪水「デリューヴィアルメア」!!」
七色に輝く光弾、レーザー光線、無数のナイフ、無数の光弾、剣撃、大水がそれぞれ霊夢、魔理沙、咲夜、早苗、妖夢、にとりが目の前に発生させた魔法陣より放たれ、それらは一斉に瘴気の竜へ襲いかかり、やがて大爆発を引き起こした。もくもくと煙りがあがり、瘴気の竜の姿が見えなくなると、魔理沙が目を細めてそこを見た。
「どうだ……?」
煙はすぐに晴れ、隠れていた瘴気の竜の姿が再び露わになった。その時、霊夢は驚いた。瘴気の竜の甲殻に、もう皹が入っていたからだ。どうやら、蟲の竜と比べて甲殻の耐久力がかなり低いらしい。元々強い力を持たない大妖精が変化して生まれた妖怪であるからなのだろうか。
そう考えていると、皹の入った甲殻を見た魔理沙が声をかけてきた。
「なんだあいつ、もう甲殻が割れてるぞ!」
霊夢が答える。
「えぇ、思ったよりもあいつの甲殻は弱いみたい。それに……」
魔理沙が霊夢の顔を見る。
「それに?」
霊夢が魔理沙の顔を見返す。
「どうやらあの妖怪達は、元になった妖怪の強さが」
霊夢が言いかけたその時、妖夢が声を出した。
「おい!あいつの身体から瘴気が!」
霊夢と魔理沙はもう一度瘴気の竜の方を見た。―――瘴気の竜の割れた甲殻の隙間から、どす黒い煙のような瘴気がもくもくと上がっている。しかもその瘴気は、先程までこの街を覆っていた瘴気を超える濃度のものらしく、とてつもなくどす黒い。
瘴気の竜から上がる瘴気を見て、魔理沙が身震いした後呟いた。
「あいつ……甲殻の下にあんなのを溜め込んでやがったのか」
早苗も身震いをした。
「あんな瘴気……こんなマスクで防げるんですか……?」
にとりが顔を険しくする。
「あれだけ濃度が高いとなると、このマスクでも防ぐのは難しいかもしれない」
咲夜がナイフを構え直してから続く。
「それに、あれがさっきのよりも濃い瘴気を放出してるとなると、即座に倒さないとまずいわね。あんなのを広められてしまったらどうしようもなくなるわ」
霊夢は頷いた。瘴気の竜は今、先程よりも濃い瘴気を身体から放出している。もしもあれを先程と同じように街に広められてしまったら、今度こそ街は全滅する。それだけは何としてでも阻止しなければならない。
しかし、どうやってあいつを倒せばいいのだろうか。あのとてつもない濃度の瘴気はあいつの割れた甲殻の亀裂から出てきている。恐らく、あいつの甲殻の下に瘴気を放出する器官があるのだろう。下手に攻撃を加えればあいつの甲殻を更に割ってしまい、更に瘴気を放出する器官を刺激してしまって、瘴気の放出量を増やしてしまうかもしれない。
どうすれば、と考えたその時、魔理沙が呟いた。
「霊夢、どうしよう。あいつを攻撃したらあいつの甲殻を割っちまって、瘴気が……」
魔理沙に言われた途端、霊夢の中に一筋の光が走った。
そうだ、攻撃してもいいのだ。そもそも、あの瘴気の竜は身体を甲殻で守っている。つまりあの甲殻を全て剥いでしまえば、あいつは完全に無防備になる。確かに瘴気を溢れさせるかもしれないが、そうなった時こそがあいつを倒すチャンスであるはずだ。
霊夢は決めると、指示を飛ばした。
「皆!あいつの甲殻を全て割って!!」
霊夢の指示に、一同は驚き、そのうちの妖夢が答える。
「馬鹿な!そんな事をしたらあいつの身体の瘴気が溢れ出るぞ!」
早苗が続く。
「そうですよ!あの瘴気をばら撒かれてしまいます!」
霊夢は今考えた事を全て一同に話した。一同の反論はその際止まり、全員が納得し始め、やがて咲夜が言った。
「なるほど……確かにあの甲殻を剥いでしまえば瘴気はばら撒かれるものの、あいつの身を守る物を無くす事が出来るわ」
にとりが続く。
「そうなった時に、皆で一斉攻撃を仕掛けてあいつを倒すか……いいだろう!その作戦乗ったよ!」
にとりを皮切りに一同は霊夢の作戦に賛成という声を上げた。それを聞いた霊夢は頼もしさを感じてにっと笑い、その後ぎゅっと顔を引き締めて瘴気の竜の方を向き、スペルカードを構えた。
「それじゃ、行くわよ……一斉攻撃開始!!」
霊夢の声に他の者達も一斉にスペルカードを構え、発動させた。
「神霊「夢想封印」!!」
「恋符「マスタースパーク」!!」
「秘法「九字刺し」!!」
「幻世「ザ・ワールド」!!」
「獄界剣「二百由旬の一閃」!!」
「水符「河童の幻想大瀑布」!!」
七色に輝く巨大な光弾、極太のレーザー光線、光と雷撃、無数のナイフ、巨大な剣撃、怒涛のような水が、それぞれ霊夢、魔理沙、早苗、咲夜、妖夢、にとりの発生させた魔法陣より放たれ、それらは一目散に瘴気の竜へ襲いかかり、やがて瘴気の竜へ辿り着くとその鱗と甲殻を焼き、崩し、斬り、破壊し、最後止めと言わんばかりに先程の爆発を超える大爆発を引き起こした。その際砕け散った甲殻は細かくなって土煙のように舞い上がり、瘴気の竜の姿を隠した。
瘴気の竜の姿が隠れると、妖夢が呟いた。
「どうだ……あれだけの攻撃を撃ち込めば……」
その時、霊夢がある事に気付いて目を見開いた。……瘴気の竜の姿を隠す煙が、どんどんどす黒くなっていっている。どうやら憶測は当たったようで、今瘴気の竜からとてつもないの濃度の瘴気が溢れてきているらしい。だが、それと同時に全ての甲殻は剥がれた。今攻撃すれば、あいつを倒す事が出来るはず。いや、瘴気を広められる前に倒してしまわねば。
「皆!もう一度よ!もう一度スペルカードを仕掛け」
霊夢が言いかけたその時、瘴気の竜の咆哮から猛烈な風が吹いてきて、霊夢達は驚いて思わず目を覆って行動を止めてしまった。更に風に乗って瘴気の竜を包み込んでいた黒い煙が猛烈な速度で霊夢達の元へ流れ込み、すっぽりと霊夢達を覆い隠した。霊夢は目を開いて、目の前が真っ暗になっている事に風が吹いてきた時よりも驚いた。
「な……これは……!?」
恐らくこの煙は瘴気だ。だが、その濃度は街を覆っていた物とは比較にならないほど高く、全然前が見えない。それに、目に瘴気と共に先程砕いた瘴気の竜の甲殻の破片が入ってきて、目に激痛が走り、涙があふれ出てきて、目を開ける事も出来なくなった。唯一出来る事と言えば音を聞く程度だが、瘴気の竜が、そして自分と同伴していた者達が今どこにいるのか全くわからない。
「皆……どこ……!?」
霊夢が呟いたその時、耳に重いものが硬いものに衝突したかのような鈍い音と悲鳴が飛び込んできた。
「きゃあぁッ!!」
その悲鳴は、早苗の声によるものだった。
「早苗!?」
直後、同じような鈍い音が二度響き、二度悲鳴が聞こえてきた。
「ぐあぁッ!!」
「うわぁッ!!」
「あぁッ!!」
それは、咲夜と魔理沙とにとりの声だった。
「咲夜に魔理沙ににとり!?」
更にその直後、金属が何かにぶつかるような音が聞こえてきて、すぐに前と同じ鈍い音が飛び込んできて、悲鳴が聞こえてきた。
「ぐああぁぁッ!!」
最後に聞こえてきた悲鳴は、妖夢の声によるものだった。これで、自分を除いた全員の悲鳴が聞こえてきた。一体何が、起きているのだろうか。それを確認したくても、瘴気のせいで何も見えない。
「どうなってるのよ……」
霊夢はその時考えた。この瘴気はあいつが風でこちらに飛ばして来ただけで、まだそんなに広範囲に広がってはいないはず。少し飛べば、この瘴気から抜け出す事が出来るはずだ。
(一か八か……!)
霊夢は思い付くと目を開けないまま咄嗟に前へ飛んだ。数秒程度飛んでいると、瘴気に触れていた時の煙たさというか、そんな感覚が消えた。そこでようやく霊夢は溢れ出てきた涙を拭い、痛む目を開いた。目の前はうっすらと瘴気が立ち込めていて、微妙に黒く染まっていたが、そこに瘴気の竜と同伴していた者達の姿はなかった。
「皆……どこに……!?」
霊夢は咄嗟に下の方を見て、驚いた。先程まで飛んでいたはずの魔理沙が、咲夜が、早苗が、妖夢が、にとりが、地面に倒れていたのだ。しかも、どの者も全く動く気配を見せていない。
霊夢はすぐに何があったのかを理解した。あの時の皆の悲鳴は、皆が攻撃を受けて地面に叩き伏せられてしまった時に発せられたものだったのだ。そして、皆をそんな状態にしたものと言えば先程から姿の見せていない瘴気の竜だろう。
「どこ!?どこよ大妖精!!」
霊夢は咄嗟に周りを見渡し、背後を見た。そこではあの瘴気の竜が起こした瘴気の煙幕が立ち込めていた。しかも、よく見てみれば中で瘴気がもくもくと生き物のように動いているのが見える。……間違いなく、あの中に瘴気の竜が隠れている。
霊夢は瘴気の中に瘴気の竜が隠れている事に確信を抱くと、即座にスペルカードを構え、発動させた。
「そこね……霊符「夢想封印」!!」
霊夢が腕を前に突き出すとその腕の前に魔方陣が出現し、そこより七色に輝く光弾がいくつも発射された。発射された光弾は真っ直ぐに空中に立ち込める瘴気へと向かい、やがてその中へと飛び込んだ。が、そのほぼ直後に光弾は瘴気の中から出てきて、やがて破裂して消えた。
その有様を見て、霊夢は驚いた。光弾が瘴気の中から飛び出してきたという事は、何も当たらずに瘴気の中を通り抜けたという事で、つまりあの中には何もいなかったという事を意味する。
「あの中には何もいない……じゃあ、あいつは……!?」
瘴気の竜を探してもう一度辺りを見回したその時、光弾が向かっていた空中に立ち込める瘴気を突き破るようにして何かが高速で飛び出してきた。それは、いないと思われていた瘴気の竜だった。瘴気の竜は瘴気の中から飛び出すなり高速で霊夢に向けて突進を仕掛けようとしていたが、瘴気の竜が突然現れた事に霊夢は大いに驚き、思わず動きを止めてしまった。
「ッ!!」
霊夢は止まってしまった体を必死に動かし、瘴気の竜の突進を避けようとしたがそれを瘴気の竜の突進速度が上回り、霊夢の身体に瘴気の竜の身体が激突した。どすっという鈍い音が響き渡り、霊夢の全身を重いものに激突されたような鈍く、重く、大きな痛みが凄まじい速度で駆け回り、にとりのマスクが弾け飛んだ。
「かはッ……」
直後、霊夢の身体は吹っ飛ばされ、高速で地面へと向かい、やがて激突し、仰向けの状態で倒れた。その際にも重く、鈍く、大きな痛みが全身を駆け回り、みしみしっという音が身体の中から耳に届くのを感じた。更に肺に大きな負担がかかったらしく、息を吸う事も吐き出す事も出来なくなり、強い息苦しさに襲われた。
「が……ひが……」
息苦しさに見舞われながら、霊夢は目を開いて上空を見た。そこには、六枚の翼を羽ばたかせ、身体からどす黒い瘴気をもくもくと出しながら今にもこちらに止めを刺そうとしている瘴気の竜の姿が見えた。
霊夢は必死に身体を動かそうとした。しかし、息苦しさと痛みがより強くなるだけで、全く動く事などできなかった。その場から逃げだす事など、出来ない。
今の自分に出来る事と言えば……あいつの攻撃をまともに受けて、ここで死ぬことだろうか。
(まさか……ここで……終わり……?)
そう思ったその時、上空を飛んでいた瘴気の竜の身体が突然爆発し、どこかに吹っ飛ばされるようにして自分の眼中から消えた。あまりに一瞬の出来事で、霊夢は何が起きたのかさっぱり理解出来ず、瞬きを何度もした。
「な……なに……?」
呟いた直後、耳に大きな音が飛び込んできた。それは先程も聞こえてきた、指笛のように甲高く鋭い音だった。この大きさからして、音の根源はかなり近くにあるらしい。
「またこの音……」
眼中に何かが入って来た。その姿を見て、霊夢は唖然とした。
それは、背中から巨大な六枚の羽毛の翼を生やし、人の髪の毛にも似た蒼白い鬣を生やし、首筋の辺りから空のような色をした何枚もの羽衣のようなものを生やした、白金色の毛並みの巨大な狼だった。
その姿を見て、霊夢は『ある名』を呟いた。
「……神……獣……?」