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東方幻双夢  作者: クシャルト
邂逅編 第壱章 流れ着いた半妖
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第四話

「ん……」


 朝、霊夢はいつもどおり目を覚ました。

 時計の針はいつもの起床時間である、午前八時を指し示していた。

 霊夢は時計を見た後背伸びを始め、息を吸ってぐいっと体を軽く伸ばし、息を吐いて体を伸ばすのをやめると自分の隣を見た。そこは、新しく神社に住むことになった懐夢が眠っている場所。懐夢は神社に住むことになって以降、霊夢と同じ寝室で、霊夢の隣に布団を敷いて眠りに就いている。

 しかし、今そこに懐夢と懐夢の使っている布団の姿は無い。懐夢は霊夢よりも早起きだからだ。懐夢は霊夢が目を覚ます時刻よりも早い時間に起き、布団を寝室にある押入に片付けて、自分の行動を始める。その行動とは、寺子屋へ向かう準備や自分と霊夢の食べる朝食の用意などだ。


 今日は寺子屋の授業が無く、寺子屋へ向かう準備をする必要の無い日。にもかかわらず懐夢は霊夢よりも早く起きていつもどおり行動を始めていた。

 その心掛けに、霊夢は感心してながらも呆れていた。


「こんな早くからご苦労な事」


 その時、境内の方からタッタッタッという人が床を走るような足音が寝室の中へ飛び込んできた。その大きさからして音は懐夢が出しているもののようだ。


「足音……懐夢かしら?」


 足音が気になり、立ち上がって寝室の出入り口の障子戸を開けて廊下に出た。毎日降り積もる雪で化粧をした、いつもの神社の庭が見えた。

 しかし聞こえてきた足音は庭を歩くことによって生まれたものではなく、廊下の床を歩くことによって生まれた足音だった。――音の根源は庭ではなく、廊下だ。

 霊夢は音の根源を探して廊下を見回した。どこを探しても音を発生させたと思われるものはない。


「気のせいだったのかしら……って、ん?」


 霊夢がふと呟いたその次の瞬間、耳にまたタッタッタッという音が飛び込んできた。……気のせいではない、明らかに音は鳴っている。しかもそれは先程のものよりも大きい。

 霊夢は音がしっかり聞こえてきたことを確認すると再び辺りを見回した。先程見回した時にはなかった、明るい茶色をした球体のようなものが、こちらにかなりの速度で向かってきているのが見えた。


「ぅえっ!?」


 それは瞬く間に霊夢にぶつからんと言わんばかりの勢いで霊夢のすぐ近くまでやってきた。……普段ならばその程度のものなど避けれたかもしれない。

 しかし霊夢はあまりに突然のことにうまく対応できず、高速で動く明るい茶色の球体の突撃を許してしまった。次の瞬間、明るい茶色の球体は霊夢の脛を直撃。霊夢の脛にぶつかるなり球体はその場で急停止し、球体にぶつかられた霊夢はバランスを崩し、その場に前のめりになって倒れた。

 球体はそのまま、倒れた霊夢の下敷きになった。


 霊夢は経験したことの無い脛の強烈な痛みに地面に打ち上げられた魚の如く跳ね回ろうとしたが、今自分の脛にぶつかってきたものの上に乗ってしまっているせいで上手く動く事ができなかった。

 この痛みを齎したものは、相当硬いようだ。しかもかなり、大きなものだったらしい。


「いったたたたた……何だってのよ急に……」


「いたたたたたた! 動かないでぇ!」


 霊夢は下にあるものから声が聞こえてきたことに驚き、思わずそれを見た。

 まず見えてきたのは白い布。そしてその白い布から何かが出ているのも確認できた。白い布から出ていたそれは、ピンと伸びた人の両足だった。その大きさは大人のものではなく、子供のもの。

 霊夢はそれを見ただけでその足が、そして自分の下に居るのが何なのかを理解し、急いでそれから降りて、改めて今まで乗っていたものを見た。まるで何かに潰されたかのように、床にうつ伏せになって倒れ込んでいる懐夢がいた。しかも懐夢は寝巻き姿で、手には濡れ雑巾が持たされていた。

 あの自分の脛にぶつかって来て、やがて自分の下敷きになっていたのが懐夢だったということに霊夢は心底驚いた。


「ちょ……ちょっと懐夢、何やってんの!?」

 霊夢は焦って床に倒れ込んでいる懐夢の背中をさすって声をかけた。

 懐夢はハッと言って顔を上げて、周りを見回した。その様子を霊夢は呆れた目で見た。


「何やってたの?」


 懐夢は霊夢に気付き、霊夢の方を見た。


 懐夢がやっていた事とは、雑巾掛け及び掃除だった。何でも今日、大事な約束があるから、出来る限り神社を綺麗にしておこうかと思って、掃除をしていたらしい。

 冬の間霊夢が掃除をしようとしなかったがために神社にはかなりの量の埃が溜まりに溜まっていた。

 懐夢は約束のためにもそれを見過ごす事が出来ず、霊夢が起きる前に起き、神社のあちこちに溜まった埃を取り除こうと掃除をしていた。

 本当は霊夢が起きる前に終わらせるつもりであったが、神社の広さ、掃除をするのが懐夢一人だけというのがたたり、霊夢が起きる前に終わらせることは出来なかったそうだ。

 霊夢は懐夢の心がけに感心しながらも呆れた。


「男の子だっていうのに綺麗好きなのね。ちょっと意外だわ」


 懐夢はむすっとした。


「男の子だっていうのは余計じゃないの?」


 霊夢にとって懐夢のような綺麗好きな男というのは珍しかった。霊夢の見たことのある男といえば人里にいる様々な店の経営者や香霖堂の店主霖之助といった大雑把で綺麗さなどほとんど気にしない者達ばかりで、綺麗好きな男などいないに等しかった。

 そう思っていると、脛に痛みが走り始めた。

 霊夢は、懐夢に激突された事を思い出して懐夢を睨んだ。


「それはそうと……貴方の頭突き、かなり痛かったわよ。貴方、見かけによらず足が速くて石頭なのね」


 懐夢はすまなそうな顔をして謝った。


「……ごめんなさい」


 懐夢にぶつかられた脛は今でも軽く痛んでいる。よほど強くぶつかられたのだなと霊夢は思いながら脛を撫でた。

 その次の瞬間、懐夢は一度小さなくしゃみをした。

 無理もなかった。懐夢はただでさえ寒さに弱いというのに寝間着で気温の低い神社の中を掃除していたのだから。


「ほーら見なさい。薄い寝間着で掃除なんかしてるからよ。風邪引く前にちゃちゃっと着替えなさい」


 懐夢はうんと一言答え、雑巾を持ったまま懐夢用の着替えのある居間の方へ歩いていった。懐夢に続き、霊夢も寝間着から普段着に着替えようと思い、着替えのある寝室へ戻ろうとしたが、頭の中を何かが過ぎり、今やろうとしている行動をやめて立ち止まった。


 霊夢の頭を過ぎったもの、それは懐夢がしたという約束についてだ。 

 懐夢は今日の約束のために霊夢の起きる時間よりも早い時間に起き、掃除をしていた。


 ……約束とは何だろうか。

 そもそもそれは誰とした約束であろうか。

 そして何故約束のために神社を掃除しなければならないというのか。


 懐夢の約束について考えた挙げ句、霊夢の持つ勘が動き出し、霊夢にある一つの答えを導き出させた。

 まさか懐夢は寺子屋で出来た人間の友達と神社で遊ぶ約束をしたのではないか。

 だから神社を出来るだけ綺麗にしようとしていたのではないか。


 霊夢は答えを導き出すなり懐夢の向かっていった居間の方を見た。

 そして見られれば気持ち悪いと一言言われそうな笑みを自然に浮かべた。

 ――そのうちやって来るという子供達に、神社のための賽銭をある程度賽銭箱へ投げ入れてもらおうではないか!


 霊夢は思い付くなり寝室に入り込んで寝間着を一気に脱いで普段着ている紅白の二色を基調とした衣服を身に纏うと寝室を飛び出し、懐夢のいる居間に駆け込んだ。


「懐夢!!」


「うわぁっ!」


 懐夢は霊夢の突然の登場に大声を上げて驚いた。

 懐夢は今寝間着から普段着へ着替えている最中であり、霊夢がやってきた時には上半身裸の状態だった。

 懐夢は霊夢に登場されるなり頬を赤く染めて急いで上着を羽織り、その場で縮こまって、霊夢を横目で見ながら要件を尋ねた。


「な、なに霊夢?」


「貴方の約束って寺子屋で出来た友達と神社で遊ぶ事でしょ?」


「……そ、そうだよ……友達と神社で遊ぶ約束……したんだ」


 霊夢の勘は的中した。懐夢の約束とは、神社に友を呼び、一緒に遊ぶことであった。子供がする典型的な形の約束だ。

 そうとわかるなり霊夢はにぃっと笑み、懐夢に続けて言った。


「じゃあ、その友達にお金持ってくるよう言っておいた?」


 霊夢の妙な問いかけに懐夢は戸惑った。

 何故友達に金を持ってきてもらわねばならないのだろうか。

 何故家に来て遊ぶだけだというのに金が必要になるのか。


 と懐夢が戸惑ったその時、頭の中を何かが過ぎった。

 それは、この神社の賽銭についてだ。

 この博麗神社は今、参拝客がほとんどいないせいで神社そのものの経営に必要な賽銭が不足してしまっている。しかし、これからその人の来ない博麗神社に友達が来ようとしている。


 これが出たその時、懐夢は閃いた。


「まさか霊夢、友達からお賽銭請求するつもりじゃ!?」


 霊夢は笑んだ。


「あら、よくわかったわね。そのとおり! せっかく来てもらうんだから、お賽銭入れてもらわないと」


 懐夢が咄嗟の思い付きで霊夢に言ったところ、それは見事に当たった。やはり霊夢は懐夢の友達に賽銭を請求しようとしていた。

 ……まぁそんなことだろうとは思っていたのだが。

 霊夢のものとほとんど同じ形をしているが、色は正反対の黒と蒼の袖を腕に付け、懐夢は答えた。


「お賽銭なんて無理だと思うよ。お金持ってるの、二人くらいだから」


 霊夢は顎に指を当てた。


「二人くらいか。まぁそれくらいでも構わないけれど、そもそも貴方が呼んだ友達って何人なの?」


「五人だよ。皆時間ぴったりに来るんだってさ」


「何時くらいに来るの?」


「九時頃だって」


「そう。ということは、あと一時間くらいで友達来るわね。ところで懐夢、貴方朝ご飯の用意やってた?」


 懐夢は首を横に振った。


「ごめん、やってない。掃除で手一杯だったから」


 普段朝食の準備は早起きである懐夢が霊夢の起床に合わせて粗方やるのだが、今日は掃除により殆ど出来ていない状態だった。


「はぁ……まぁ貴方が掃除してた時点で、そんなことだろうとは思ってたけど…しょうがない、今日は私が用意するから、手伝って頂戴」


     *


 霊夢と懐夢は何とか約束の時間に間に合わせようと急いで朝食を作り、出来た朝食を早めに食べ、朝食で出た食器などの後片付けも急いでやった。

 二人が出来る限り急いでやったのお陰か、これらは約束の時間のギリギリ手前の時間で終わった。

 二人は朝食が関連した行動を全て済ませると少し寒い台所を出て暖かい居間へ戻り、何とか約束の時間の前に終わらせることが出来たなと炬燵に入って一息吐いていた。


「はぁ~……朝っぱらから疲れたわ。こんなに早く準備して、こんなに早く朝ご飯食べて、こんなに早く後片付けしたの、多分生まれてこの方始めてかも」

 

 懐夢は時計を見た。


「でも約束の時間までに終わられて良かったよ。そろそろかな…」


 居間の時計の針は、まもなく約束の時刻を指そうとしていた。


 とその時。突然居間の廊下への出入り口の戸が開いた。

 それはこの前の慧音の突然の来訪の時によく似ており、二人はまた慧音が来たのかと思った。

 しかしいざやってきた人物を見てみたところ、それは黒と白を基調とした洋服と黒いマントを身に纏い、ふさふさとした深緑色の髪の毛で、頭から蟲の触角を生やし、体の彼方此方に雪を付けた少女であった。


「り、リグル!?」


 二人は少女の姿を確認すると、同時にその少女の名を呼んだ。

 そう、突然居間へやってきたのはついこの前寺子屋で懐夢と出会った蟲の妖怪、リグルだった。

 リグルはぶるぶると体を震えさせ、ゆっくりと目線を懐夢へ向けて口を開いた。


「おはよう懐夢……突然で悪いんだけど、炬燵の中入れてくれない……?」


 霊夢が答えを返した。


「……その様子だとあんた今普通じゃ無さそうね。いいわよ。とりあえず入りなさい」


 許可を得たリグルは凄まじい速度で炬燵の中へと入り込み、炬燵の温もりを感じたのか、大きな溜息を吐いた。


「あ……暖かい……」


 リグルが炬燵で温まっている中、霊夢が目を半開きにしてリグルに神社へやってきた理由を尋ね、できれば帰ってもらいたいと頼み込んだ。

 人間の恐怖の対象の妖怪であるリグルが神社にいては、神社へ賽銭を持って来ようとしている懐夢の友達も慄いてすぐに人里へ逃げ出してしまうだろう。それではせっかくの賽銭入手の楽しみが台無しになってしまう。

 問われるとリグルは首を傾げて霊夢を見た。


「ほぇ? 私懐夢と遊ぶ約束をしたから来たんだよ?」


 それを聞いた霊夢もまたどういうこととリグルと同じように首を傾げた。

 しかし霊夢はすぐにリグルの言った言葉の意味を理解し、驚いて懐夢に話しかけた。


「懐夢貴方、リグルと友達になったわけ!?」


「そうだよ。この前寺子屋で会って友達になって、今日遊ぶ約束をしたんだ」


 懐夢は霊夢の問いかけに素直に答え、答えを聞いた霊夢は少し驚きながらも納得した。

 かつての異変の際自分と敵対したリグルがまさか懐夢の友達になっていたとは思っていなかったからだ。

 懐夢は早速、やって来た友達であるリグルに声をかけた。


「それにしてもリグル、予定の時間より少し早めに来たね? そして随分と雪を被ってたけど、何かあったの?」


 リグルは懐夢と目を合わせた。


「あぁそれ? それは、私って貴方と同じで寒さに弱いから、冬の空を長時間飛ぶの辛くてさ。それにほら、神社には炬燵あるって懐夢教えてくれたじゃない。予定の時間よりも早く着けば、炬燵で暖まれるかなぁって思ってチルノ達よりも早めに来たんだ」


 リグルは蟲の妖怪であるため、冬の寒さや降り頻る雪に弱い。懐夢とすぐに仲良くなれたのも、これのおかげで気が合ったからである。

 リグルの説明を聞いた霊夢は、きょとんとした。


「チルノ達? あんたに続いてチルノ達が来るわけ?」


 霊夢はリグルに尋ねたが、それにはリグルではなく懐夢が答えた。


「そうだよ。チルノ、ミスティア、大妖精こと大ちゃん、ルーミア、リグル、僕のメンバーで遊ぶ約束なんだよ。っていうか霊夢、チルノ達のこと知ってるんだ?」


 チルノ、大妖精、ルーミア、ミスティアの四人は、リグルと同じくかつて幻想郷全体を巻き込んだ異変にて異変を解決しようと動いた霊夢の目の前に立ち塞がり、霊夢の力の前にのめされた者達である。


「知ってるわよ。異変の時に私の目の前に現れて、ぶちのめされた子達よ。大して強くも無かったから、そんじょそこらの雑魚妖怪と同じように忘れようとしたんだけど、異変の後、その四人が結構な頻度で人里に出没してねぇ。

 その四人ったら会う度に声かけてきて、振り払おうとしても、何度も何度もちょっかいを出してきてねぇ……おかげで忘れようにも忘れられなくなっちゃったのよ。まさかそんな子達と貴方が友達になるなんて、思ってもみなかったわ」

 

 霊夢が溜息混じりにチルノ達との関係を話すと、それを聞いた懐夢とリグルはふぅんと一言言った。なんとなくだが、霊夢とチルノ達の関係を理解した。


「かぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃぃむぅぅぅぅぅぅ!!!」


 神社の境内から少女のものと思われる大きな声が聞こえてきた。

 そしてそれは、聞き覚えのあるもので、リグルと懐夢は真っ先にそれに反応を示した。


「この声って……」


 懐夢は炬燵から出て立ち上がってリグルが入ってきた境内への戸を開いて境内へ顔を出し、その声の主を呼び寄せるような声を出した。


「おーい! こっちこっち! こっちだよぉ!」


 そして懐夢が炬燵へ戻ろうとしたその直後、神社の境内より四人の子供が居間へ転がり込んできた。

 その四人の子供とは勿論、懐夢との約束で神社に遊びに来ることになっていたチルノ、ミスティア、ルーミア、大妖精だった。

 四人は居間に入って懐夢とリグルと霊夢を見つけるなりチルノ、ルーミア、ミスティア、大妖精の順で三人に挨拶をした。


「おはよう懐夢! それにリグルに霊夢!」


「おはよ懐夢リグル霊夢!」


「おはよう三人とも!」


「おはようございます懐夢さんにリグルさんに霊夢さん」


 三人は四人の挨拶に答える形で挨拶を返し、そのうちの一人である霊夢は如何にも気乗りしていなさそうな感じで挨拶をした。


 三人が挨拶を終えるとミスティアが懐夢に話しかけた。


「しっかし驚いた。まさか懐夢、本当に博麗神社に住んでたんだね」


「そうだよ。嘘じゃなかったでしょ?」


 懐夢が寺子屋の午後の授業に出るようになったその日の授業前、懐夢は慧音の勧めによってチルノ達に自己紹介を行った。その際、懐夢は自分の住んでいるところも話したのだが、その時チルノ達は大いに驚いた。

 あの守銭奴の博麗霊夢と共同生活しているなど、信じがたかったからだ。

 しかし、いざ遊ぶ約束をして神社に来てみれば、それは本当の話だったのだと確信できた。


 懐夢が答えた直後、リグルが今の外の気象について、チルノに尋ねた。


「そういえばチルノ、来る時雪降ってなかった? 私が来たときはかなり降っててきつかったんだけど」


 チルノは笑んだ。


「雪なら止んでたよ。だから、結構スイスイ来れたんだ」


 チルノ曰く、リグルの来た時に降っていた雪は、今止んでいるそうだ。

 リグルは今の気象を知るなり、懐夢に話しかけた。


「そっか。それじゃあ、あれの練習出来るね懐夢」


 懐夢は不安そうな表情を浮かべた。


「う……うん。出来るけど……僕に出来るかなぁ?」


 それを端から見ている霊夢だが、リグルの言う『あれ』が何を指している言葉なのかさっぱり理解できなかった。

 "あれ"とは何なのか、そして何の練習なのか、いくら勘を働かせてもその答えを導き出せない。


「出来るよ! さぁ外に出るのだ!」


 その最中、ルーミアは不安な表情を浮かべる声をかけ、そそくさと居間から境内へ出て更に境内を飛び出し、中庭に降りた。

 それに続いてミスティア、リグル、大妖精も居間から境内へ出て、中庭に降りた。居間には霊夢と懐夢とチルノが残され、やがてチルノが不安そうな表情を浮かべて座る懐夢に近付き、その手を掴んで引き、立ち上がらせると力強く言い放った。


「ほら行くよ懐夢! あれが出来るようになれば本当に楽しいんだから!」


「え……わ、わかったよ。でもその前に厚着着させて」


 懐夢はチルノに一言断り、手を離してもらうと外出用の厚着の入っている箪笥へ向かい、箪笥を開けて中から外出用の厚着を取り出すとそれを身に纏い、霊夢に一言いってきますと言い残しチルノと共に中庭へ走って行った。


「何するつもりなのかしら? まぁいっか。彼の事情だし、私には関係ないか」


 霊夢は懐夢を見送るとぐいっと背伸びをし、背伸びを終えるとそのまま体を後ろに倒してごろんと寝転がった。

 普段やっている掃除も今朝自分が眠っている間に懐夢にされてしまい、やることが完全になくなった。

 残っていることといえば、寝ることくらいだ。

 冬眠する動物でもないのに冬は眠くなって仕方がない。

 大きな欠伸をし、霊夢はゆっくりと瞳を閉じた。


「……ほら! もうちょっと! そうだよ! もっとしっかり!」


「え!? えぇ!? こう!? それともこう!? これであってる!?」


 瞳を閉じ、今にも眠ろうとしたその時、先程子供達が出て行った中庭の方から声が聞こえてきた。

 声を聞くや否、霊夢は閉じたばかりの瞳を再度開いて起き上がった。

 眠ろうとしたところで子供達の声がそれを邪魔してきて、ろくに眠れやしないのだ。


「何なのよもう……というか、何して遊んでるのかしら……?」


 ふと子供達の遊びが気になり、それを確認しようと炬燵から出て立ち上がり、居間から境内へ出て子供達の遊んでいる中庭の方を見た。

 そこには、先程神社の居間へやってきて、遊ぶために居間から出て行った子供達の雪の降り積もった地面の上で元気に遊んでいる姿があった。


 霊夢はその子供達のうちの一人である懐夢に目を向けた。

 懐夢は周りにいるチルノ達の注目と言葉を浴びながら空を目指すかのようにジャンプをし、宙に軽く上がって、やがて雪の上に着地するのを繰り返している。

 懐夢は何故雪の上で飛び跳ねるのを繰り返しているのだろうか。

 その最中、雪の上を飛び跳ねる懐夢にリグルが声をかけた。


「ほら! もっと体を軽く思って! 自分の体は軽いって思うのよ」


 懐夢は少し混乱してリグルの方を見て飛び跳ねながら答えを返した。


「えぇ? 体を軽く思う? 君達ってそんな思いで空を飛んでるの?」


 懐夢は引き続き、ジャンプを繰り返した。

 ……本当に、何をやろうとしているのか霊夢はさっぱり掴めない。

 霊夢は境内から中庭に遊ぶ子供達に届くように大声を出し、子供達に何をして遊んでいるのかを尋ねた。


「何やってるのよー?」


 霊夢の声は子供達の耳に届き、子供達の視線はほぼ一斉に霊夢の元へ集まり、その子供達の一人であるチルノが霊夢の尋ねに答えた。


「懐夢と空を飛ぶ練習してるのよー!」


 霊夢は返ってきた答えを聞いて首を傾げた後、すぐに靴を履いて境内から中庭に降り立つと雪の上を歩き、飛ぶ練習をしている子供達の内の懐夢に話しかけた。


「懐夢、何でまた空を飛ぶ練習なんてしてるの?」


 懐夢は答えた。

 懐夢は大蛇里からあまり出たこと無いから幻想郷のことあまり知らない。そのことを皆に話したところ、幻想郷を知るには空を飛べるようになればいいと言ってきたそうだ。懐夢はそれに賛成し、知らないことで溢れているこの幻想郷のことをもっと知りたいがために空を飛べるようになろうと練習をしていたという。

 霊夢は一通り話を聞くと、ふむふむと頷いた。


「なるほどねぇ……でも空を飛べるようになるのって案外難しいのよ?」


 懐夢が飛ぶ練習をしている理由を知った霊夢はそれに対する答えを返した。

 霊夢が懐夢に答えを返すや否、チルノ達が首を傾げた。


「あれ? あたい達飛ぶのに苦労したっけ? ねぇ、ルーミアとかみすちーとかリグルとか大ちゃんとかは飛ぶの苦労した?」


「いや? 私はそんなに苦労しなかったよ?」


「私は気付いたら飛べるようになってた」


「私もミスティアちゃんと同じだよ」


「私もルーミアとみすちーと大ちゃんと同じだよ?」


 チルノ、ミスティア、ルーミア、大妖精、リグルの順で言うと、霊夢は溜息を吐いた。チルノ達がなぜ空を軽々と飛べるのか。―――それは、チルノ達が妖怪だからだ。チルノ達妖怪は客観的に見れば魔力の塊みたいなものだ。だから、魔力を制御することによって空を飛ぶ事が出来る。

 しかし、懐夢は違う。懐夢は半分が妖怪で半分が人間の半妖だから、魔力の制御する力なんて生まれついてない。だから魔力を制御して空を飛ぶことなんてできない。

 空を飛べるようになりたいんなら、まず魔力を扱えるようにならないといけない。

 霊夢がチルノ達と懐夢の違いを説明すると、懐夢は驚いた。


「えぇっ! っていうことは、まずは魔力とかを操れるようにならないといけないの?」


 どうやら、皆が魔力を制御して空を飛んでいるとは思っていなかったらしい。

 霊夢は、驚く懐夢に答えた。


「そうよ。だから、今空を飛ぶ練習なんてしても無意味。やるんなら魔力を操れるようになる練習をしなさいな」


 それを聞いたチルノは視線を霊夢の方から懐夢の方へ向けた。


「わかった! それじゃあ懐夢、魔力を使えるようになる練習しよう! 霊夢が言ってるんだから!」


 霊夢の言葉を聞いたチルノ達は一斉に懐夢に視線を向けて懐夢に魔力の練習をしようと言い出した。当然と言うべきなのか、懐夢は練習内容を急に変えられて焦っていた。


「えぇー! わ、わかったけど……急だなぁ……」


 子供達は先程と同じようにまた何かしらの練習を始めた。今度は空を飛ぶ方法の基礎である魔力の制御の練習だろう。しかし、それは懐夢に関係することであって、霊夢には関係のないことだ。


 霊夢は子供達が魔力を使う練習を始めるのを見た後、すぐに身体を神社の方へ向け、子供達に何も言わぬまま歩き出した。

 これ以上自分の関係していない子供達の遊びに付き合っていても仕方がない。

 これならば、神社に戻って炬燵に入って眠っていた方が心地がいい。

 霊夢はそう思いながら、神社の境内を目指して雪の上を歩いた。


 と、その時、霊夢は自らの体の、ある部分に違和感を感じて立ち止まった。

 違和感の感じている場所は胸。正確には胸の中だった。

 それは蟲か何かが動いているような、何とも言えぬもので、まるで胸の中で何かが動いているような、これまで感じたことの無い違和感だった。

 霊夢は違和感を気味悪がり、ふと違和感の根源である胸に手を当てた。


「……?」


 次の瞬間、違和感はぴたりと止んで消え去った。まるで胸の中で動いていた何かが、突然死んだように。


 霊夢は軽く首を傾げた。

 今のはなんだったのだろうか。

 何故手を当てたら止んだのだろうか。


 わからない。恐らく気のせいか何かだろう。


「……気にしないでいいか」


 霊夢は胸の違和感の正体に関してあまり深く考えぬまま境内へ歩き、やがて境内に上がって靴を脱ぎ、居間に入ると暖まった炬燵の中へ体を入れて座り込み、そのまま姿勢を倒して寝転がり、瞳を閉じた。



                *



 神社にチルノ達が遊びに来たその日の夕暮れ時。


 チルノ達は十八時になると、それぞれの家に帰っていった。


 霊夢と懐夢はというと、朝はあまりにせかせかとしていたので、せめて夜くらいは余裕を持ちたいという霊夢の提案で、二人は余裕を持って台所で夕餉(ゆうげ)の準備を進めていた。

 今日の夕食の主食は、ミスティアが懐夢にと持ってきてくれたヤツメウナギの蒲焼。その他はいつもと変わりの無いもの。

 思わぬ収穫に、霊夢は上機嫌だった。


「今日は儲かったわね。まさかあのミスティアが、おかずをプレゼントしてくれるなんてね」


「よかったよ……ほんと」


「あら、貴方もそう思う?」


 懐夢が答えを返してきたことに反応を示して霊夢は懐夢の方を向いて、その顔を見て、霊夢は思わず「ん?」と小声を出した。

 懐夢の表情が、ただミスティアからおかずを貰ったことだけに喜んでいるようなものではなく、もっと大きなもの喜んでいるようなものだったからだ。


「ん……?」


 懐夢もまた、霊夢の顔を見て不思議に思った。霊夢が、自分をさぞ不思議そうに見ているからだ。

 今自分は、何か変な事を言ったり、していたりするのだろうか。


「どうしたの?」


 霊夢は首を横に振って苦笑した。


「あ、いや……なんでもないわ。ただ、貴方がこのミスティアのくれたおかず以外のことで喜んでいるように見えたから、つい。変なふうに見てごめんね」


 懐夢は霊夢から視線を逸らし、やがてまた口を開いた。


「ううん。そのとおりだよ。僕、嬉しいんだ。ちゃんとチルノ達と、里の皆と友達になることが出来たから……初めて神社に来て、住むことになった時、実は不安だったんだ。ちゃんと霊夢と一緒に暮らせていけるかな、友達ちゃんと作れるのかなって」


 懐夢の話に霊夢はまた少し驚いた。懐夢がこの神社での生活について悩んでいたことに全くと言っていいほど気付かなかったからだ。

 そのあたりは九歳の子供らしく、気楽に考えていると思っていて、まさか人知れず悩んでいたとは思っていなかった。


「……まだ、不安?」


 まだここでの生活について不安があるかと尋ねると、懐夢は再び霊夢の方を向いてにっこりと笑った。


「全然! 寧ろ、これからの神社での生活が楽しみなんだ」


 懐夢のあどけない笑顔を見て、霊夢も釣られて笑みを浮かべ、その中ふと心で思った。

 たった一週間ほどしかこの子と共に過ごしていないというのに、愛着というか、情が移ってしまって、いつの間にかこの子を手放したくはないと思っていた。

 寧ろ、この子と同じように、これからの生活が楽しみで仕方がない。


「そう。それはよかったわ。それじゃ、準備さっさと終わらせて、ご飯にしましょうか」


「はぁーい」


 霊夢が声をかけると懐夢もまたそれに答え、二人はぱぱっと夕餉の準備を進め、それらを全て終わらせると台所に置かれている椅子と机に座り、夕餉を食べ始めた。


 二人での夕餉を終えた後、霊夢は食器の後片付けをささっとこなして終わらせ、風呂の準備を始めた。博麗神社に設けられている風呂は、竈の中に薪をくべて湯を沸かす方式のもので、霊夢と懐夢は、一人が入っている間に残った一人が竈へ薪をくべて湯を冷たくしないようにするという方法をとっていた。

 だが、大概先に風呂に入るのはいつも霊夢であり、残された懐夢は必然的に霊夢の入った後の仕舞い湯を使っていた。

 何故このようなことになっているのかというと、霊夢が一番風呂だけは絶対に譲らないと言って懐夢より先に風呂に入ってしまうからだ。懐夢はそんな霊夢に逆らえず、ただただ従って、仕舞い湯に入っている。まぁそれをあまり嫌がってはいないのだが。


「あれ、霊夢? お風呂の用意なら僕がするよ」


 風呂に繋がっている竈の中の火の中に薪をくべる霊夢に懐夢が話しかけた。


「いいのよ。今日は貴方が先に入りなさい。私は貴方が入った後に入るから」


 霊夢がそっけなく答えを返すと、懐夢は少し驚いた。

 いつも先に風呂に入りたがる霊夢が、先に風呂に入る権限というものを譲ってきたからだ。

 絶対に一番風呂だけは自分へ譲ろうとしない霊夢が。

 

「え? なんで? いつも一番風呂に入りたがるのに」


「なんででもよ。ほら、譲ってあげるって言ってんだから、さっさと入りなさい」


 質問をしてくる懐夢を霊夢は少し鬱陶しく思い、質問を跳ね除けて懐夢に言った。

 懐夢は霊夢に言われるなり、黙った。


「……返事は?」


「……はーい」


 懐夢は閉じていた口を開いてそれに答え、居間の方へ向かっていった。

 数十秒後、懐夢は手に体を洗うためのタオルと、風呂から上がった際、濡れた体を拭くために使うタオルを持って戻ってきて、霊夢に一声かけて風呂場と隣接している脱衣所へ通じる扉を開き、脱衣所の中へ入り込んで戸を閉めた。


 霊夢は懐夢が脱衣所に入っていったのを確認すると、薪を三本ほど手に取り、中で火が燃え盛っている竈へ投げ入れて一息吐いた。

 その後、今風呂に入っている懐夢のことについて考え始めた。

 懐夢は本当に不思議な子だ。頼みごとをすれば、よほどのことがない限り嫌な顔せずにやってくれるし、掃除や洗濯や自分の手伝いなども、面倒くさがらずにやろうとする。面倒くさがりな霊夢とは真逆であった。

 それに何より、懐夢の基本的な礼儀作法、人と接する時の態度、人にものを頼む時の態度は、九歳の子供とは思えぬほど高度で丁寧なものだった。これから察するに、きっとあの子は、行商人である親に、厳しく躾けられていたのだろう。


 霊夢はやって来たのがそんな懐夢でよかったとずっと思っていた。

 もしやって来たのが懐夢ではなく、礼儀作法もろくにできない生意気で好き勝手な子供だったならば、寝てる隙に平気な面をして人間を食らうルーミア辺りに差し出して食わせてやって、切り捨てていたことだろう。そして、何とも思わなかっただろう。

だが、懐夢は違う。懐夢は全くと言っていいほど手間がかからないし、礼儀作法はできてるし、掃除洗濯 家事はやってくれるし、共に生活していて、楽しさを感じれる、俗にいう『完璧な子』だ。切り捨てる気など、更々、無い。

 それに懐夢は、特殊な思い入れに似たものがあった。


「霊夢ー、少しお湯ぬるいー。もうちょっと熱くしてー」


 と考え始めたその時、竈と繋がる風呂の方から懐夢の声が聞こえてきた。

 霊夢はハッと我に返って懐夢の声に答えを返さぬまま懐夢の要望通り湯の温度を上げるべく、火の中へ薪をくべた。


「霊夢ー? 聞こえたー?」


 懐夢の再びの問いに面倒くささを感じて霊夢は答え、やがて懐夢に向けて問い返した。


「聞こえたわよ。薪入れたわ。っていうか一々答え返さなきゃわかんないわけ?」


 懐夢の声が返ってきた。


「わかんなーい」


「……そう」


 安直な懐夢の答えに霊夢は軽く溜息を吐いて再び薪をくべた。

 先程まで考えていた懐夢のことを、考えるのもやめた。

 懐夢の言葉に溜息を吐いた直後、再び風呂場から懐夢の声が聞こえてきた。

 どうやら、霊夢に何か言いたいことがあるようだ。


「ねぇ霊夢」


「何よ」


 そっけなく何の用だと尋ね返してやると、再び声が風呂場から聞こえてきた。


「どうして一番風呂を譲ってくれたの?いつも霊夢が一番乗りで入ろうとして譲ってくれないのに」


 懐夢はどうやら、まだ霊夢が一番風呂を譲ってくれたことを気にしているようだった。

 「まだ気にしていたのか」と思うと、懐夢のように素直に理由を言った。


「貴方、今日チルノ達と空を飛ぶ練習やら魔力の操作の練習やらしてたじゃない。それで疲れたんじゃないかなって思って一番風呂を譲ってあげたのよ」


 霊夢の言ったことこそが懐夢を一番風呂に入れた理由だった。

 懐夢は今日、朝から一日中チルノ達と共に空を飛ぶ練習をして、次の魔力の操作の練習をしていた。

 霊夢はその様子を博麗神社の居間からちらほらと見ていた。

 最初の方は別に見る価値もないと思って放っておいていたが、中庭から聞こえる必死に飛ぼうとしている懐夢の声、そしてそれを手助けしようとしているチルノ達の声を聞いて、だんだん放っておく気にはなれなくなり、気付けば昼餉時と昼寝をしている時以外、じっと懐夢とチルノ達を見ていた。


「見てたの?」


 霊夢は薪をくべた。


「えぇ。昼ご飯の時と昼寝している時以外ずっとね」


 もう話す気がなくなったのか、懐夢はもう言葉をかけては来なかった。


 その三十分後、懐夢が寝間着姿で風呂から、脱衣所から出てきた。手には風呂に入るまで来ていた服を持っていて、頭には体を拭くタオルをかけていた。

 懐夢は出てくるなり横で竈へ薪をくべている霊夢の方を向き、「いい湯だった」と一言言うと、大きな欠伸をしながら居間の方へ戻っていった。

 懐夢が立ち去ったのを確認すると霊夢は余った薪をまとめて竈の中へ投げ込み、それまで腰を掛けていた床から立ち上がると、近くに置いておいたタオルと寝間着を手に持ち、脱衣所の戸を開いて、中へ入り込んで脱衣所の戸を閉めた。

 そしてぱぱっと服を脱いで、部屋の隅に置いてある籠の中に寝間着と服と体を拭くタオルを入れると、風呂場用のタオルを手に持って脱衣所の中央から左側にある風呂場への戸を開けて風呂場に入り込んだ。



                *



 体を洗い、冬の寒さによって冷え切った体を湯で温めると、霊夢は湯から出て風呂場を去り、脱衣所に来て籠の中に置いておいた体を拭くためのタオルを手に取って、一通り体に付いた湯を拭き取ると、同じく籠の中に置いておいた晒と下着を手に取って身に付け、続けて寝間着を手に取って身に纏い、体を拭くためのタオルを頭に被った。後で濡れた髪の毛を拭くためだ。

 寝間着を身に纏うと霊夢は既に使った風呂場用のタオルを、脱衣所に備え付けてある洗濯物を入れるための籠(以後洗濯物籠と表記)の中に入れた。洗濯物籠の中には既に懐夢が使ったと思われる濡れたタオルが入っていた。まぁ別に気にするようなことでもなかったため霊夢は無視して自分の使ったタオルを入れたのだが。


 脱衣所を出て竈の方へ向かうと、服を一先ず置き、竈の近くに備えておいた火消用の水の入った桶を手に取り、桶の中に揺れる水を火と薪が燃え盛る竈の中へ投げ入れた。水を被ったことにより燃え盛っていた火は消え、竈には真っ黒になっていた濡れた薪が残った。


 火が消えたのを確認すると霊夢は火消用の桶をその場に置き、逆に置いておいた服を片手に取って、もう片方の手を頭に乗っているタオルにおいて、タオルの下にある髪の毛を拭きながら居間の方へ向かい出し、やがて居間へ戻ってきた。


「……懐夢?」


 その時、霊夢は居間の炬燵の傍に寝転んでいる懐夢の姿を見つけた。

 呼んでも返事をしないので、眠っているのだろうかと思って近付いてみたところ、案の定懐夢はくぅくぅと寝息を立てて眠っていた。――今日の練習で疲れていたのだろう。

 しかし、こんなところで眠っていては風邪を引いてしまう。自分もかつて懐夢と同い年の頃に居間で眠って、翌日風邪を引いて熱を出してしまったことがある。


「こんなところで寝ちゃって……」


 霊夢は腰を落とし、近くに服を置くと懐夢の背中に手を乗せ、そのまま摩った。

 しかし懐夢は霊夢に背中を摩られようとも起きなかった。


「む……ほーら、懐夢起きなさい。こんなところで寝たら風邪引くわよ」


 霊夢は今度は声を加えて懐夢の体を揺すった。しかし霊夢がどんなに声を出して揺すろうとも、懐夢は起きそうになかった。深々と寝入っているのだ。

 霊夢は本日何度目かわからない溜息を吐き、すぐに頭の中でどうするべきかを考えた。

 やがて、一旦懐夢をここに置いて寝室に向かい、布団を敷いて戻ってきて、懐夢を抱きかかえて寝室へ戻り、寝かせるという方法を思い付いた。

 ……というより、これ以外のいい方法というものが思いつかなかった。

 霊夢は思い付くなり立ち上がり、髪の毛を拭きながら寝室へ向かい、寝室に来ると髪の毛を拭くのをやめて寝室の中を歩き、霊夢と懐夢の使う布団が仕舞われている押入れの戸を開け、中から霊夢の使う布団、懐夢の使う布団を取り出し、寝室の畳の上に並べて敷いて押入れの戸を閉めた。あとは懐夢を寝かすだけだ。

 霊夢は懐夢のいる居間へ戻ってきた。


 懐夢は相変わらずすやすやと寝息を立てて眠っていた。


「……手間かけさせちゃって」


 霊夢は呟くと、懐夢が初めて博麗神社にやって来た時のように懐夢を両手で抱きかかえ、ついさっき通った居間から寝室へ続く廊下を歩き、やがて寝室へ辿り着くと、抱きかかえている懐夢を懐夢の使っている布団の上に降ろし、掛け布団をかけてやった。

 霊夢は懐夢を寝かせると、また溜息を吐いた。正直、疲れたような気がした。

 まさかまた懐夢を抱きかかえて寝室へ向かうようなことが起きるとは思っていなかったからだ。

 それでも懐夢がまだ抱きかかえられるほど体重の子だったから、あまり負担を感じずに済んだのだが。


「……変な手間を掛けさせるわね……」


 霊夢は懐夢への認識を改めた。懐夢は人と接する時の態度が良く、礼儀作法ができる子ではあるものの、抜け目のない子とは言い難い子だ。

 『完璧な子』ではない。

 『ほんの少しだが、手間のかかる子』。

 霊夢はそう認識し直した。


「ん……んー……」


 その時、懐夢が小さな声を出した。霊夢は懐夢が声を出したことに反応をして、懐夢の顔を見た。

 懐夢は何とも言えぬ、愛らしい寝顔をして寝息を立てていた。


「……くすっ。可愛い顔しちゃって……」


 霊夢は微笑んで、何も言わずに懐夢の顔にそっと手を伸ばし、前髪と額を軽く、優しく撫でてやると、また認識を改めた。


 懐夢は、人と接する態度が良く、礼儀作法ができる子であるものの、抜け目と少しの可愛げがある子だ。まぁこの可愛げはいつ消えるかわからないものだが。


「……さてと。やることもないし、私も寝るかな」


 霊夢は呟くと、押入れから自分の布団を出して敷き、敷布団に寝転がって掛け布団をかけ、枕に頭を乗せた。

 そして瞼を閉じると、あっという間に霊夢は深い眠りに吸い込まれていった。



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