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東方幻双夢  作者: クシャルト
邂逅編 第参章 大賢者
29/151

第二十九話

文に異変発生。童子再び。

 縁側に座って団扇で顔を仰ぎながら霊夢は呟いた。


「童子さんのお酒、手に入れる事できないかしら」


 霊夢は温泉に行ってからというもの、そこで起きた懐夢が大嫌いなはずの酒を自ら呑んだという出来事が気になって仕方がなかった。あれ以来、懐夢に造った酒や街の酒屋で買ってきた酒の匂いを嗅がせてみたりしたが、懐夢はどの酒も呑みたがろうとせず、匂いを酷く嫌がり、温泉の時にやったという酒を自ら呑むという行動を起こす事はなかった。

 だが、まだ一つだけ懐夢に試していない酒がある。……童子の酒だ。

 懐夢はどんな酒でも嫌がる性質なのに、童子の酒にだけは引き付けられて、呑んだ。

 他の酒は嫌がるのに、童子の酒だけは嫌がらなかったという事は、童子の酒に懐夢が好む何かがあるという事だ。前にも思ったが、きっと人間ではわからないような違いがあの酒にあるに違いない。


(もう一回地底まで行ってみようかしら)


 霊夢がふと考えたその時、玄関の方から音と声が聞こえてきた。


「おーい!霊夢ー!」


 霊夢は吃驚してその方向に顔を向けた。

 耳を澄ませてみればどんどんという人が廊下を歩くような音が聞こえてきて、その音がすぐそこで聞こえるほど大きくなると、発生源が見えた。

 それは、今まさに会おうと考えていた童子の娘、萃香だった。

 霊夢は萃香の姿を見るなり、思わず驚いてしまった。


「招かざる客?」


 萃香はぽかんとして霊夢を見た。


「んー?霊夢どうしたんだー?」


 霊夢はハッと我に返り、首を横に振った。


「あ、あんたこそどうしたのよ。またお酒もらいに来たわけ?」


 萃香はニヤッと笑った。


「そうだよ。親父が霊夢の作ったお酒呑みたいって言い出してさ」


 それを聞いて、霊夢は即座に閃いた。

 童子に直接酒を持って行ってやれば、童子の酒を交換という形で手に入れる事が出来るかもしれない。

 萃香と同じで気のいい童子の事だ、断りはしないだろう。


「そうなの。なら、直接届けに行こうかしら」


 そう言って立ち上がると、萃香は少しきょとんとしたような顔をした。


「えぇっ。霊夢、親父のところに行くのか?」


 霊夢は頷いた。


「ええ。丁度童子さんに直接会わないと出来ない用事があったのよ。だから、行くわ」


 霊夢は萃香を連れて台所に向かい、手製の酒の入っている特別大きくて重い樽を簡易酒蔵から取り出して、どすっと床に置いた。


「ふぅ、重い。これを私の手で運んでいくのは無理ね」


 そう言って、霊夢は萃香をちらりと見た。

 萃香は霊夢に見られるなり震え上がった。


「……なんで私を見てるんだ」


 霊夢はにっこりと笑って萃香の方に体を向けて、数回樽を叩いた。


「萃香は鬼で、怪力でしょ?こんな樽、余裕で持ち上げられるわよね?それで、地底まで持っていけるわよね?」


 萃香は目を細めた。


「つまり、この酒樽を親父のところまで持っていけ、と?」


 霊夢はまたにっこりと笑った。


「そのとおりよ。お願い」


 萃香は怖くないはずの霊夢の笑顔を見て恐怖を感じたのか、頷き、酒樽を持ち上げた。

 鬼の怪力のおかげなのか、霊夢には萃香が身の丈を超える大きさの樽を軽々と持ち上げているように見えた。


「よぉし。さっさと行くわよ」


 霊夢はそう言って、萃香を連れて台所から、神社から出て境内に出た。

 背後を見てみると、萃香が大きな樽を持ってゆっくりと歩いて付いて来ていた。

 ……とても、きびきび動いているとは思えない。


「萃香、そんなんじゃ一日かかっちゃうわよ」


 樽の向こうの萃香から文句が返ってきた。


「だってこれ重くないんだけど、前見えないんだもん」


 霊夢は腕組みをした。


「でも、もっと動かないと地底に行くまでに日が暮れちゃうわ」


 樽の向こうからまた萃香の答えが返ってきた。


「そもそも、普通に二日はかかっちゃうよ……」


「いやいやそんなかからないでしょ。ほら、急いだ急いだ。早く地底に行かないと」


 霊夢が言ったその時。


「その必要はないぞ」


 どこからともなく声が聞こえてきて、霊夢は吃驚して辺りを見回した。


「誰?」


 萃香が首を一生懸命動かして左右を見ながら呟いた。


「この声……」


 萃香が呟いた次の瞬間、突如霊夢と萃香の目の前に色のついた霧が立ち込めた。

 霊夢が突然の事に驚いていると、その間に霧は見る見るうちに形を作り上げ、固形化した。

 霊夢はその固形化して現れた者を見て、思わず声を上げた。


「童子さん!?」


 そう。霊夢と萃香の目の前に現れたのは今まさに会いに行こうとしていた萃香の父親の童子だった。

 童子はゆっくりと閉じた瞳を開き、樽で隠れている萃香を見つめた。


「萃香、樽を置け。それは私が持っていく」


 父親に言われ、萃香はどすんと大きな樽を石畳の上に置いた。

 その後、萃香は同時に声をかけた。


「親父、どうしてここに?霊夢の酒は私が届けるって言っただろ?」


 童子はふっと鼻で笑った。


「お前の事だ。きっと身の丈を超えるような樽を何日もかけて運んでくる事になると思ってな。こうして直接受け取りに来たんだ。博麗の巫女に用件があるついでにな」


 萃香は苦笑いし、童子は霊夢と目を合わせた。


「突然押しかけて済まないな、博麗の巫女」


 霊夢は首を横に振った。


「とんでもない。私も貴方に用件があって地底に行こうとしてたところよ」


「ほぅ?それはなんだ?私に何の用件がある?」


「貴方の持ってるお酒を分けてほしいのよ。貴方が温泉に入っている時に呑んでたやつ。それを私に少し分けてくれないかしら?」


 童子は首を傾げた。


「私の酒が欲しいだと?別に構わないが……まさか、呑むというのか?」


 霊夢は首を横に振った。


「いくらなんでもそんな鬼用のお酒を呑んだりしないわ。少し、貴方のお酒で試したい事があってね」


「試したい事?料理か?」


「まぁそんなところ」


 童子は「そうか」と呟くと、背中に背負っている巨大な瓢箪を霊夢の目の前に置いた。


「この中にある酒があの時私の呑んでいた酒だ。何か器はないか?そこに注いでやろう」


 霊夢は「わかったわ」と言うと台所へ戻り、酒蔵にある気持ち小さめの空樽を抱えると童子の元へ戻って、童子の前に置いた。

 童子は霊夢の持ってきた樽を見るなり目を丸くした。


「なんだこれは。こんなに小さくていいのか」


 霊夢は頷いた。


「ええ。そんなに必要ないからね」


 童子はまた「そうか」と呟くと瓢箪の栓を抜き、傾けて霊夢の持ってきた小さな樽の中に酒を注ぎ、樽の中がほぼ満杯になったところで酒を注ぐのをやめた。

 霊夢は樽の中を満たした酒の匂いを早速嗅いだが、あまりに強い匂いに思わず顔を顰めて、蓋を閉じてしまった。


「すごい匂い……あの子が嗅いだら鼻がもげそうなレベルね」


 童子はまた首を傾げたが、霊夢は童子を見て軽く頭を下げた。


「ありがとう童子さん。助かるわ」


 童子は微笑んだ。


「礼には及ばぬ。お前の酒と交換だ」


 直後、童子は真顔になった。


「ところでだ巫女よ。お前に見せたい……いや、見せなければならない事がある」


 霊夢と萃香はきょとんとした。


「え、何よ」


「霊夢に見せたいもの?そんなのあるのか?」


 童子は頷く。


「あぁ。今後も博麗の巫女として過ごし、幻想郷を守っていくお前に、私達大賢者から見せなくてはならない事があるのだ」


 霊夢は腕組みをする。


「貴方達大賢者が私に見せなくてはならない事……それは何なの?」


 童子は目を閉じ、やがて開いた。


「……八俣遠呂智の封印の地だ」


 その言葉を聞いて、霊夢と萃香は思わず驚いた。


「や、八俣遠呂智の封印の地……?」


 童子は頷く。


「そうだ。お前が博麗の巫女である以上、お前はかつて幻想郷を手中に落とさんとした巨悪の封印されている場所を知らねばならない」


 萃香が恐る恐る童子に尋ねた。


「お、親父。そんな場所に行っちゃって大丈夫なのか?」


 童子は萃香を見て微笑んだ。


「大丈夫だとも。八俣遠呂智の封印は我々大賢者でしか解けない特殊な術式の元で構成されているからな」


 霊夢が尋ねた。


「まぁいいけど、それ、どこにあるの?」


 童子は霊夢を見た。


「それはだな」


 童子が答えようとしたその時、博麗神社の石段の方から声が聞こえてきた。


「霊夢ー!」


 三人は少し吃驚して、その方向に顔を向けた。

 そこには懐夢と文がいて、こちらに向かって歩いて来ていた。

 

「懐夢。それに文」


 言うと懐夢は霊夢へ駆け寄ってきたが、途中で立ち止まって童子を見て、驚いたような顔をした。


「あれ……貴方は……」


 童子は懐夢を見た。


「おぉ。お前はあの時の」


 懐夢は軽く上を見た。


「僕にお酒をくれた……えっと……」


 名前を思い出そうとしている懐夢を見て、霊夢は苦笑いしながら言った。


「伊吹童子さんよ。萃香の父さんで、鬼の頭領さん」


 懐夢はまた驚いたような反応を示す。


「萃香のおとうさん!?」


 童子は頷く。


「そうだ。お前は確か百詠懐夢だったな」


 懐夢はきょとんとした。


「え、僕の名前知ってる?」


「あぁ。巫女から聞いたのだ」


 童子は少しすまなそうな顔をした。


「あの時はすまなかったな。私がお前に酒をやってしまったせいでお前は随分酷い目に遭ってしまったそうだな」


 懐夢は首を横に振る。


「そんなことないです。第一あの時は僕が……」


 懐夢は言いかけて黙り、俯いてしまった。

 童子がそれを見て首を傾げると、懐夢は顔を上げた。


「……とにかく、もう大丈夫ですから気にしないでください」


 懐夢はそう言うと霊夢のすぐ傍まで歩いた。

 その様子を見て、懐夢以外の全員がぽかんとしてしまったが、そのうち霊夢が懐夢に声をかけた。


「そういえば貴方、どうしたの?随分早く帰ってきたけど」


 懐夢によると、今日慧音が熱を出して休みで、授業は丸潰れだったらしく、街の子供達と話をして粗方時間を潰した後チルノ達の家に行って今日は寺子屋は休みだよと声をかけて回り、戻ってきたらしい。

 霊夢はその話を聞いて思わず驚いてしまった。あの慧音が熱を出すとは、思っても見なかった。


「慧音が熱を出すなんて、明日雨でも降りそうね」


 懐夢は首を横に振った。


「そんな事ないよ。慧音先生近頃辛そうだったし、ほぼ毎日僕達の授業をやってたし……」


「ついに身体を壊しちゃったってパターンか。それで、文とはどうして一緒なの?」


 懐夢が答えようとすると、文が駆け寄ってきた。


「それは私が説明します」


 文曰く、霊夢のところに取材に行こうと博麗神社に向かっていたところ、同じく博麗神社を目指して飛んでいた懐夢を見つけて会い、そのまま一緒にここまで来たという。

 文の話を聞いて、霊夢はまた腕組みをした。


「なるほどねぇ。それで文、私に何の取材?」


 文は首を横に振った。


「いえ、それは今のところどうでもよくなりました。霊夢さんよりも取材のし甲斐のある童子さんがいますから!」


 文はそう言って、童子に駆け寄って河童に作ってもらったという道具『シャーペン』と手帖を取り出して声をかけた。


「童子さん、貴方にお聞きしたい事が結構あります!」


 童子は腕組みをして文と目を合わせた。


「何だ新聞の天狗娘。答えられる事であれば答えてやろう」


 文は目を輝かせて感動したように「おぉー!」と言った。


「私の新聞読んでくれてますか!!いいでしょう私の新聞は!」


 童子は目を細めた。


「……うむ。私の嫌いな嘘がびっしりと書かれていて不快になったな。一回読んだだけでもう読んでいない」


 萃香が続けて言った。


「私も親父と同じだな。お前は友達として好きだけどお前の書く新聞は嫌いだ」


 文はがっくりと肩を落として俯いたた。


「そんなぁ……香霖堂の森近霖之助さんは考察が出来て知識が深くなるって言って読んでくれてるのにぃ……」


 童子はフンと鼻を鳴らした。


「私としては、大天狗の書いた新聞の方が偏向も嘘も無くて好きであったな」


 その時、文が顔を上げてじっと童子を見た。

 突然睨むように見てきた文と目を合わせて童子は首を傾げた。


「む?どうかしたのか」


 文はハッとしたように反応を示し、手帖を閉じて、俯いてその両端を軽く握った後口を開いた。


「……なんでもないです」


 童子は「そうか」と言って、他の三人は文の背中を見ながら軽く首を傾げていた。

 その時、霊夢はある事をふっと思い出して童子に言った。


「そうだ童子さん。それで、例の場所ってどこなの?」


 童子は霊夢と目を合わせた。


「あぁ。場所は妖怪の山の奥地にある。だが、そこの前には大きな扉がある。しかもそれは私達大賢者の持つ特殊な鍵が三本無ければ開かない扉だ」


 霊夢は腕組みをした。


「大賢者の持つ鍵……それって貴方や紫も持っているのよね?」


 童子は頷く。


「そうだ。……鍵を借りる相手は私と八雲紫、そして大天狗辺りが妥当であろうな」


 直後、文が反応を示したように童子と霊夢を交互に見た。


「え?お二人共、どこかに行かれるんですか?」


 霊夢は文と目を合わせた。


「えぇ。八俣遠呂智の封印の地。あんたも一緒に来ない?」


 霊夢は軽く目を閉じて、右手の人差し指を立てた。


「八俣遠呂智が封印されてる地の事を書いた特大スクープ新聞でも作れば、大人気になるんじゃないかしら?」


 霊夢は閉じた目を開いて、驚いた。

 輝く目で話に食いついてくるかと思っていた文が、血の気の抜けた顔で、童子と自分を交互に見詰めていたからだ。よく見てみれば懐夢と萃香も文を見て呆然としている。きっと文の反応があまりに意外過ぎていたからだろう。

 霊夢は懐夢と萃香と童子を見た後、文に歩み寄った。


「え……あ、文?どうしたのよ?具合でも悪くなった?」


 その時、文の口元が微動したのが見え、小さな声が耳に届いてきた。


「八俣遠呂智……白の魔神……」


 小さな声で呟く文に童子が声をかけた。


「どうしたというのだ?急にそんな顔をして……」


 文は霊夢と童子を交互に見て、また小さく言った。


「霊夢さんに童子さん……八俣遠呂智の封印されている場所に行くんですか……?」


 霊夢はぎこちなく答える。


「え、えぇ。そのつもりだけれど?」


 文は霊夢を見た。


「そ、そんなところに行って……八俣遠呂智の封印が……解けたりしないんですか……?」


 童子は少し顔を顰めた。


「そんな事はない。そんな事で解けるほど、八俣遠呂智の封印は弱く作られてはいない」


 文は黙った。

 そんな文を見て霊夢は、ふと思った。

 八俣遠呂智の封印の地と言ってから、文の様子がおかしくなった。まるで、何かに怯えているような表情を浮かべてぎこちなく喋っている。

 いつもの明るい笑顔の文はどこに行ってしまったのだといいたくなるくらいの目まぐるしい変化だ。


 その変化に気付いたのか、懐夢も文に声をかけた。


「文ちゃん、どうしたの?何か、怖いの?」


 文は黙った。

 続けて萃香が声をかける。


「どうしたんだよ。なんかお前、変だぞ?」


 その時、文は俯いた。


「……皆さんは知らないんですよ……あの白の魔神がどれほど恐ろしいのか……」


 それを聞いた童子は驚いたような表情を浮かべ、文を見た。


「まさかお前、復活した八俣遠呂智を知っているというのか?」


 文は答えないが、今までの文の様子から霊夢は文が八俣遠呂智について何か知っている事に確信を抱いていた。

 しかし、そこで、ある矛盾点を見つけ出した。


(あれ……文は……)


 八俣遠呂智の話を童子から聞いたのはこれが初めてではない。文は温泉の時に童子と初めて会い、その時に自分達と一緒に八俣遠呂智の話を聞いた。しかしその時はこんなに怯えたりもせず、ただメモを取っていた。そして話が終わった後も、平然として自分達と話をしていた。

 もしも、あの時から八俣遠呂智の事を知っていたというのであれば、この反応はあの時にも示したはずだ。だのに、文はあの時は何の反応も示さず、今になって妙な反応を示している。

 

(……何故)


 あの時、反応を示さなかったのだろう。あの時は八俣遠呂智の事をよく知らず、後々調べ上げて八俣遠呂智の恐ろしさを知り、怯えるようになったとでも言うのだろうか。

 いや、それはないだろう。文の今の怯え方は、まるで八俣遠呂智に直接会い、その恐ろしさを全身で味わった事があるような怯え方だ。あんな怯え方は、調べて恐ろしさを知った程度ではしない。

 それに、文はこう見えて幻想郷が誕生する前から生きている天狗だ。幻想郷が外界から隔離されて一つの世界となった数年後に現れた八俣遠呂智を実際に見て、会っていても別に不思議ではない。


「文」


 霊夢が声をかけると、文は血の気の抜けた顔で霊夢と目を合わせた。


「あんた、八俣遠呂智と会った事でもあるの?」


 文は黙って俯いた。

 霊夢は追い打ちをかけるかのように更に尋ねる。


「答えなさい文。あんた、八俣遠呂智と会った事あるんでしょう?」


 その時、懐夢が袖を掴んで引っ張った。

 霊夢が袖を引く懐夢と目を合わせると、懐夢は首を横に振った。――これ以上はやめるべきだという意思表示だ。

懐夢の意志表示を見て、霊夢は口を閉じて文を見た。文は相変わらず俯いたまま黙っていて、もはや質問に答えを返す様子はない。

しかし、文は俯いたまま口を開き、小さく言った。


「……私は」


 霊夢、萃香、懐夢、童子は文に視線を向けた。

 文は顔を上げ、血の気の抜けた顔で霊夢を見た。


「私は……八俣遠呂智の封印の地には行きません……でも、大天狗様にお会いになる時はそこまで案内いたしますので……」


 霊夢は微笑んだ。


「えぇ。お願いするわ」


 文は続けて童子と目を合わせた。


「童子さん……また今度取材をさせてくださいね……」


 文はそう言うと、博麗神社の石段の方へ戻り始め、文の背中を見て萃香が声をかけた。


「お、おい。帰るのか?」


 文は立ち止まり、頷いた。


「今日は何だか調子が悪くなってしまったので……帰って少し休みます……」


 懐夢が続けて声をかけた。


「無理しないでね」


 文は頷くと、石段を下りて行った。

 長い沈黙が辺りを覆い、風の音が鮮明に聞こえる中、童子が口を開いた。


「あの天狗娘……まるで八俣遠呂智の恐ろしさを直接味わった事があるような様子を見せたな」


 萃香が答える。


「親父は知らないだろうけど、あいつはああ見えて幻想郷が生まれる前に生まれて、幻想郷の誕生に立ち会って今まで生きてる天狗なんだよ」


 萃香に言葉に懐夢は驚いた。


「えぇっ!文ちゃんってそんなに長生きの妖怪だったの?全然そんなふうには見えないのに……」


 霊夢が少し呆れたように言った。


「この幻想郷じゃ千年生きてる人なんてざらよ。貴方が会った事のある輝夜、永琳、妹紅、白蓮だって千年は生きてるし、レミリアやフランなんて五百年近く生きてる。そこにいる萃香や童子さんだって、千年近く生きてるのよ」


 霊夢の言葉を聞いて懐夢は唖然とした表情を浮かべ、童子は顎に手を添えた。


「ならば……八俣遠呂智が幻想郷で復活した日の事を知っていてもおかしくはないか……」


 その時、童子は何かを閃いたような仕草を見せて、かっと口を開いた。


「まさか……あいつは……!」


 懐夢が童子に声をかけた。


「え?文ちゃんがどうかしたんですか?」


 童子はハッとし、首を横に振った後、霊夢を見た。


「いや、なんでもない。……博麗の巫女よ。今日の内に私から八雲紫に声をかけておく。明日、私と八雲紫とで妖怪の山の大天狗の元へ向かうぞ。忘れずに封印の地の鍵を持って来るからな」


 霊夢は頷いた。


「わかったわ。明日、よろしくね」


 童子はフッと笑い、萃香に声をかけた。


「萃香、帰るぞ。博麗の巫女の酒を、共に呑もうではないか」


 童子が霊夢の作った酒の入っている樽を軽々と持ち上げると、萃香はそのすぐ隣に駆け寄った。


「いいねぇそれ。そんじゃ、霊夢に懐夢。またな」


 萃香が二人に別れを告げると童子は樽を抱えたまま上空へ舞い上がり、萃香もそれに続いて上空へ舞い上がると、地底に通ずる洞窟のある方角へ飛び去って行った。

 霊夢は二人が飛び去ったのを確認すると腕組みをし、呟いた。


「……八俣遠呂智の封印の地か……」


 その後、懐夢を見て尋ねた。


「懐夢、貴方も行く?」


 懐夢は答えず、俯いている。その顔を見てみれば、とても不安そうな表情を浮かべている。その顔を見ただけで、霊夢は懐夢が今何を考えているかわかった。


「文が心配なのね?」


 懐夢は頷いた。


「あんなふうになった文ちゃん、初めて見た。

……どうして、あんなふうになっちゃってるんだろう」


 霊夢は軽く上を見た。


「……私達にわからない事だと思う。八俣遠呂智なんてつい最近知ったばかりだし、それが幻想郷を支配しようと動いていた時代に生まれてるわけじゃないから」


 そう言って、霊夢は視線を懐夢に戻した。


「それに、聞こうとしたら貴方に止められちゃったからね」


 懐夢は顔を上げて霊夢と目を合わせた。


「僕だって文ちゃんがどうしてあんなふうになったのか聞きたかった。でも……あの時の文ちゃん、本当に辛そうで、これ以上聞いたら、もっと辛い思いをさせちゃいそうな気がしたんだもん……」


 それを聞いて、霊夢は少しきょとんとしてしまった。


「懐夢……貴方、本当にそう思ったの?」


 目を丸くする霊夢に懐夢は頷く。


「うん」


 それを聞いて霊夢はまた目を丸くしてしまった。

 前の懐夢ならば文がどうしてあんなふうになったのか、知りたくて仕方が無くなり、文に聞き込んでいたところだろう。しかし、今回懐夢はそんな事はせず、文の様子を見てその欲を抑え込んだ。


(……懐夢が、また成長してる……)


 それを確信した途端、胸に喜びと嬉しさが込み上げてきて、霊夢は顔に笑みを浮かべて姿勢を落とし、懐夢と目を合わせた。


「懐夢……貴方、偉いわ」


 懐夢はぽかんする。

 霊夢は続けた。


「前の貴方だったら色んな事を知りたがって、あんなふうになった人からも聞いたりしちゃうのに、今回はその人の事を傷つけたくないと思って、聞いたりしなかった」


 懐夢は苦笑いした。


「ルーミアの時で懲りたんだ。もうあんな思いしたくないし、人にさせたくもないから、もう無理に聞いたり知ろうとしないって決めたんだ」


 霊夢は懐夢の肩を両手で掴んだ。


「それよ!貴方は前に犯した過ちを繰り返さない選択が出来るようになったのよ。貴方は、大きく成長したの」


「そう……なのかな」


 霊夢は頷く。


「そうよ。貴方が成長してくれて私、嬉し」


 言いかけたその時。


「いッ……ぁ……ぐぅ――――――ッ!?」


 突然、背中から胸へとてつもなく強い痛みが走った。


(ま……また……きた……!!)


 心臓を掴まれて握られ、更に胸に何かが噛み付いて食い破ろうとしているような痛みに霊夢はその場に倒れ込み、脂汗を顔から吹き出しながら叫び声を上げた。


「ぐぅ……あぁぁ……あぁぁぁぁぁッ!!!」


「れ、霊夢どうしたの!?しっかりして!!」


 懐夢の声が耳の中に入ってきたが、とても小さな音に聞こえた。

 痛みのあまり呼吸が出来ず、息苦しさが容赦なく襲いかかってきて、叫び声すらかすれてきて目の前がぐらぐらと揺れて、ぼんやりとぼやけている。

 そして耳鳴りが始まった。まるで頭の中で何万もの蝉が鳴いているような、これまで体感した事のない大きくて強い耳鳴りだった。目の前が銀色と金色に光っているような気すら感じる。


「ぐぅあ……あぁぁぁぁぁぁあが……!!」


 脂汗と冷や汗を垂らしながら苦悶をしているうちに、痛みは徐々に引いてきて、痛みが完全に消えると霊夢は胸を抑えながら大きな声を出して呼吸した。


「はぁッ……はあっ……」


 霊夢は声を混じらせた呼吸をして、目を閉じて開いた。

 視界はまだぼんやりとしていて、ものがよく見えなかった。


「霊夢!霊夢っ!!」


 霊夢は首をゆっくりと動かし、声の聞こえてくる方向を見た。

 ぼんやりと霞んだ視界が元に戻ってくると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった懐夢の顔が見えてきた。


「か……いむ……」


 霊夢はしばらく懐夢の顔をぼんやりと見ていたが、そのうち、懐夢は唇を震わせ始めた。


「霊夢……死んじゃうかと……思ったぁ……!」


 安堵したせいなのか、懐夢はガタガタと震えながら大きな声を出して泣き出した。


「懐夢……」


 霊夢はゆっくりと起き上がると懐夢をそっと抱きしめ、少し疲れたような声を出して言った。


「……びっくりさせちゃったわね……ごめんね……」


 懐夢は霊夢の胸の中で尋ねてきた。


「だいじょうぶ……なの……?」


 霊夢は答える。


「えぇ……もうなんともないわ……」


 霊夢はそっと懐夢の頭に手を伸ばし、その髪の毛を撫でた。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」


 小さく『おまじない』を言ってやると懐夢の鳴き声はどこか穏やかになった。

 どうやら懐夢は安心してくれたようだが、霊夢の中には黒々とした不安が渦を巻いていた。

 また、あの痛みが来た。それも、前よりもひどくなって。

 あまりに日が開いていたので治ったのではないかと思っていたが、治ってなど、いなかった。

 やはり自分は病気なのだろうか。


(もう一回……永琳に診てもらおうかしら)


 霊夢はそう思いながら懐夢が泣き止むまでその身体を抱いていた。


      *


 

 霊夢の胸痛はすっかりよくなり、発症して痛みが消えた数分後には霊夢は元通り動けるまでに回復した。

 その日の夕暮、霊夢は懐夢を連れて買い出しに来ていた。

 そして今まさにその買い物を終えて、博麗神社に帰ろうとしていたところだった。

 

「さてと……買うものみんな買ったし、後は帰るだけね」


 霊夢は買い物袋を手に下げながら隣を歩く懐夢を見た。


「懐夢、何か欲しい物とかない?」


 懐夢は首を横に振った。


「いらない。お菓子とかも神社にあるし」


 霊夢は苦笑いした。


「そうだったわね。それじゃ、他に買う物もないし、さっさと帰るとしましょうか」


 霊夢がそう言って歩みを早くしたその時、懐夢が突然立ち止まった。

 霊夢は突然立ち止まった懐夢を不思議がり、声をかけた。


「あれ……懐夢どうしたの?やっぱり欲しいものあった?」


 懐夢は俯いた。

 霊夢はますます懐夢を不思議がり、更に声をかけた。


「どうしたの?もしかして具合悪くなった?」


 直後、懐夢の口が開いた。


「け……たい……」


 懐夢の言葉は蚊の羽音のように小さく、上手く聞き取れなかった。

 霊夢は少し顔を顰めた。


「よく聞こえないわ。もう一度言ってごらん?」


 懐夢ははっきりと言った。


「お酒……呑みたい……」

 

 その言葉を聞いて、霊夢は思わず驚いてしまった。


「何言ってるのよ貴方。この前二日酔いになって痛い目見たばかりじゃない」


 懐夢は顔を上げた。


「でも呑みたい……我慢……できない……」


 霊夢は懐夢の目を見て、軽く驚いた。

 なんだか、懐夢の目つきがいつもと違う気がする。

 色は変わらぬ赤と藍色なのだが、その目つきはまるで別人のようになっている。


「……懐夢?何か貴方変よ?」


 懐夢は答えずじっとこちらの目を見ている。


「ねぇ、懐夢ってば」


 懐夢は答えない。


 そんな懐夢を見て、霊夢は軽く溜息を吐いた。


「……わかったわ。うちに帰ったらとびきりすごいのを呑ませてあげる」


 霊夢は懐夢の腕を掴み、そのまま引っ張るようにして博麗神社へ歩き出し、街を抜け、石段を上がった。


 そして神社に帰ってくると霊夢は懐夢を連れて台所に向かい、買った食材を置くと棚からコップ一つを取り出し、そこに童子から貰った酒を注ぎ、懐夢に差し出した。


「懐夢、はいお酒。呑んでいいわよ」


 そう言った次の瞬間、懐夢は鼻を袖で覆い、顔をそむけた。


「ひ、ひどい匂い……鼻がもげそう」


 霊夢は吃驚して懐夢に尋ねた。


「懐夢?どうしたのよ。ほら、お酒。呑みたかったんじゃないの?」


 懐夢は首を横に振った。


「呑みたくない……いらないっ……」


 霊夢はまた首を傾げた。


「さっきまで呑みたいって言ってたじゃない。なんで急にいらないなんて言い出すのよ」


 懐夢は横目で霊夢を見た。


「そもそもそれ、何なの?他のお酒と比べてかなり匂いがひどいんだけど……」


「童子さんのお酒よ。アルコール度数が馬鹿みたいに高くてすごく匂いの強いお酒」


 霊夢はコップをテーブルに置くと、懐夢の目の前まで歩いて目を合わせた。


「懐夢。貴方、一体どうしたのよ。急にお酒が呑みたいって言い出したり、急にいらないって言い出したり。天邪鬼(あまのじゃく)にでもなったの?」


 懐夢は鼻から袖を外し、霊夢の問いかけに答えるように言った。


「……わからないんだ」


 霊夢が首を傾げる。


「わからない?どういうことよ?」


 懐夢によると、街に出ている時に突然酒が呑みたいと言う気に襲われたが、博麗神社に戻ってきた途端その気が失せ、逆に酒など呑みたくないという気持ちになったらしい。

 霊夢は懐夢の言葉を聞いて思わず唸ってしまった。なんというか、全く懐夢の言い分が理解できない。


「どういう事なのそれ……全っ然わかんないんだけど……」


 懐夢は俯いた。


「僕にもわからない……なんであんな気持ちになったのか、わからないんだ……」


 霊夢はそこである事を思い出した。

 懐夢が温泉に行った時の事だ。あの時懐夢は、童子の酒を見た途端、その酒を呑み干したいという欲に呑まれて酒を呑み干してしまったと言っていた。もしかしたら……。


 霊夢は腰を落とし、目線を懐夢の目の高さと同じ位置まで持ってくると懐夢と目を合わせながら尋ねた。


「懐夢……もしかしてその時の気持ち、前に温泉に行った時と同じ気持ちだったりした?」


 懐夢は頷いた。


「同じような感じ……した」


 そう聞いて、霊夢は考えた。

 どうやら懐夢は時々酒を呑みたい衝動に駆られる事があるらしい。

 けれど、普通に考えたらそれはおかしい衝動だ。何故なら懐夢はまだ十歳だし、過去に酒を呑まされたこともないと言っていたし、第一酒の匂いをかなり嫌っている。そんな子が、酒を呑みたいなどという衝動に駆られる事はないはずだ。……だのに、懐夢は酒を呑みたい衝動に駆られる。

 何故だというのだろう。懐夢は過去に酒を口にした事があるというのだろうか。

 だがそんなことがあったならば、愈惟が日記に残していそうなものだが……。

 それに懐夢が衝動に駆られていた時、目つきが変わっていたような気がする。あれは一体何だったのだろう。どうして、あの時目つきが変わっていたのだろうか。もしかしてこれも衝動と何か関係があるとでも言うのだろうか。


 考えていたその時、懐夢は霊夢から目線を逸らして自らの肩を抱いた。


「僕……怖い……」


 霊夢ははっと我に返り、懐夢に尋ねた。


「何が怖いの?」


 懐夢は震えながら答えた。


「大嫌いなお酒を……呑みたいなんて思っちゃうから……なんだか……僕の中に僕じゃない何かがいるような気がしてきて……」


 懐夢は霊夢と目を合わせた。その瞳は大きく揺れていた。


「霊夢……僕……怖い……怖いよ……」


 霊夢は懐夢の揺れる瞳をじっと見て、思わず「あぁ……」と言ってしまった。

 懐夢と出会って、一緒に住み始めてからというものの、懐夢の怪我や病気が瞬く間に治ったり、習得に十ヶ月もかかってしまう術やスペルカードをたった二ヶ月で習得できてしまったりなど、普通ではありえないような事が次々と起きた。そして懐夢に出会った数人が懐夢の中から「異様な魔力を感じる」と言っていた。

 霊夢はこれらを見て聞いて、懐夢の身体に何かがいて、そしてそれが懐夢の異常を引き起こしているのではないかと思っていたが、今の懐夢の言葉を聞いて確信を抱いてしまった。

 やはり、懐夢の中には懐夢以外の何かがいる。そして今回、それがまた懐夢に異常を起こさせている。

 それが一体何者なのかはわからないが、懐夢の中に何かが取り憑いている。他人の感じる異様な魔力というのも、恐らくそれが放っているものなのだろう。

 ……だが、わかったところでこれは懐夢に話してはならない事実だろう。

 不安や恐怖に弱い懐夢の事だ、懐夢に話してしまったら、自分の中に得体の知れない何かが憑いているという恐怖と不安で心を壊してしまうかもしれない。ここは、それは思い違いであると言って誤魔化し、安心させてやった方がいいだろう。

 霊夢は穏やかに微笑むと日中の時のように懐夢を抱き寄せて、静かに声をかけた。


「大丈夫よ。貴方の中には貴方しかいないわ。もし貴方の中に貴方以外の何かがいるのであれば、私が何とかしてあげる。だから、そんなに心配しなくたっていいわ」


 懐夢は小さく尋ねた。


「本当……?」


 霊夢は頷き、言った。

 

「ええ。貴方は私が守ってあげる。だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

 霊夢はそう言って、懐夢の不安を取り去るかのように髪の毛をゆっくり撫でた。


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