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東方幻双夢  作者: クシャルト
邂逅編 第参章 大賢者
28/151

第二十八話

エピソード・リグルⅠ

 

 懐夢の二日酔いは永琳の薬によって一日で回復。

 翌日、懐夢はいつも通り寺子屋に行き、午前の授業を受けて、午前と午後の間の休み時間でチルノの出す問題を解いていた。

 問題はいつも通りの算数。内容は、『博麗神社にある百万円の価値のある壷を誰かが割ってしまい、霊夢が騒いでいたところ、永遠亭の永琳が弁償しにやって来たという。弟子のてゐが壷を割ってしまったらしく、てゐの代わりに壷を弁償すると永琳は言った。

 永琳の払う弁償金額はいくらになるか』という問題だった。


「……えっと……えっとぉ……」


 チルノの出した問題にミスティア、ルーミア、大妖精は頭を抱えた。

 どうやら百万円などという桁の大きすぎる数字を出されて混乱してしまっているらしい。そしてそんな三人を見てチルノはむふふと奇妙な笑いを浮かべていた。


「さぁて、いくらかなぁ~~?」


 三人が真剣に悩む中、懐夢はもう答えを弾き出せていた。

 前のバスの乗組員の問題の時と同じで、三人が悩むほど大きな数字ではなく、物凄く単純な"答え"だろう。

 その中、ミスティアがお手上げの声を上げた。


「もう駄目。わかんないや」


 ミスティアに続いてルーミアと大妖精もお手上げと言った。

 チルノは三人を見て大きく高笑いし、黒板を数回叩きながら言った。


「あっははは!やっぱあたいの出した問題は最強ね!」


 チルノはお手上げの三人を見た後、唯一お手上げの声を出していない懐夢と目を合わせる。


「懐夢は?懐夢だってお手上げでしょこんな問題」


 懐夢は首を横に振った。


「ううん。もう解けた」


 その一言にチルノは驚き、他の三人も一斉に注目を懐夢へ集め、ルーミアが声を出した。


「解けたの懐夢!?」


 懐夢はルーミアと目を合わせて頷いた。

 それを見てチルノは悔しがり、答えを要求した。


「じゃ、じゃあ何なのさ!答えてみてよ!」


 懐夢はチルノの方を見て人差し指を立てた。


「答えは……ゼロ円!」


 チルノはぎくっと反応を示した。出した答えは正解だったらしい。


「な、なんでわかったの!?」


 チルノの更なる要求に懐夢はまた答えた。


「簡単だよ。だって、博麗神社(うち)にそんな高価な壷ないもん」


 懐夢の答えに三人はひっくり返り、チルノは頭を抱えた。


「な、何故解かれたぁぁぁ……!」


 懐夢は軽く溜息を吐いた。


「あんな問題一回やらされればその人の思考パターンくらい掴めるよ。特にチルノの場合は常人よりもはるかに簡単に」


 懐夢の言葉にチルノは思い切り悔しがり、他の三人は苦笑いした。

 その後、懐夢はチルノの真上の壁にかけられている時計を見てチルノに言った。


「チルノ、もうすぐ午後の授業始まるよ。早く黒板消さないとまた慧音先生に頭突きされるよ」


 チルノは時計を見てほんとだと呟くと、黒板消しを持って黒板の文字を消した。

 そして、チルノが黒板の文字を消し終わって席に着いた直後に授業の開始時間となり、慧音が教室の中へとやって来た。


 慧音は教壇に上がると教室を見回し、やがて呟いた。


「……今日もリグルはいないか。もう十日近くになるな」


 リグルは住む森を七頭竜に襲われてからというもの、姿を消したままになっている。連絡もなければ、街にも姿を現さない。いくら待っても戻ってこないので、もう戻ってこないのではないかと慧音と学童達で心配していたところだ。

 今日も、リグルは姿を現さなかった。寺子屋にいる学童は、チルノ、懐夢、ルーミア、ミスティア、大妖精の五人だけだ。


「……まぁ、いない者は仕方ない。出席を取るぞ」


 慧音はそう言うと出席簿を開き、学童達の名を呼んだ。


「チルノ」


 チルノが明るい返事をする。


「百詠懐夢」


 懐夢が少し静かな返事をする。


「ルーミア」


 ルーミアが少し明るい返事をする。


「大妖精」


 大妖精が静かな返事をする。


「ミスティア・ローレライ」


 ミスティアが普通な返事をすると、慧音は出席簿を閉じて、授業の内容を書いたメモを開き、学童達に声をかけた。


「これより授業を開始する。今日は」


 慧音が言いかけたその時、教室の出入り口の戸が開いた。

 何事かと一同はそこに注目を集めて、驚いた。

 外から教室の中へ入ってきたのは、黒と白を基調とした洋服と黒いマントを身に纏い、少しぼさぼさとした深緑色のセミショートヘアーの、頭から二本の黒い蟲の触角を生やしたどこか少年のような少女だった。そう、それはまさに……。


「リグル!!?」


 一同が大声を上げると、リグルは頷き、慧音に言った。


「……ただいま、戻りました」


 直後、チルノ、懐夢、ルーミア、大妖精、ミスティアは立ち上がり、リグルに駆け寄った。

 そして全員でリグルを囲むと喜びの表情を浮かべ、やがてチルノが言った。


「リグル!どこいってたのさ!」


 大妖精が続く。


「お帰りなさい!無事だったんですね!」


 ルーミアが続く。


「リグルだ!本当にリグルだ!!」


 ミスティアが続く。


「戻って来れたんだねリグル!」


 懐夢が最後に言う。


「皆で心配してたんだよ!怪我してない?」


 喜びの表情を浮かべる一同を見て、リグルは笑んだ。


「怪我もしてないよ。全然、大丈夫」


 リグルの言葉を聞いて、学童一同は「よかったぁ」と言って肩を落としたが、その中一人だけ懐夢はリグルの目を見て違和感を感じた。


(あれ……)


 リグルの笑い方がなんだかおかしい。 

 動いているのが口元だけで、目が笑っていない。

 心から笑っていないような笑い方をリグルはしている。

 何でこんな笑い方をしているのだろう。気になる……。


「あの、リグル」


 懐夢が声をかけようとしたその時、割り込むように、顔に柔らかな微笑みを浮かべた慧音がリグルの元へやって来た。


「よく戻ってきたなリグル。皆で心配していたんだぞ」


 リグルはもう一度微笑む。


「時間がかかりましたが、何とか戻ってこられました。授業、受けれます」


 慧音は笑顔を浮かべて答える。


「そうか。おいお前達、席に戻れ。授業を始めるぞ」


 慧音の声に学童達は「はい」と答え、それぞれの席へ戻った。

 そしてリグルは、今まで空き続けていた懐夢の隣に座ると持ち前の鞄から道具を取り出して授業を受ける姿勢を取り、慧音は学童達の準備が完了したのを確認すると、授業を開始した。


 今日の授業は国語で、慧音の用意した教科書から読まれる物語を、書き取るというものだった。

 その慧音の話す物語だが、「平家物語」というらしく、鎌倉時代に完成したとされる物語で、平家という一族が栄えて滅んでいく過程が書かれている物語なんだそうだ。

 慧音はそのことを説明すると、その冒頭を読み上げた。


『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす、おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し、猛き者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の散りに同じ』


 聞いても、学童達はその意味をまるで理解できず、首を傾げた。

 慧音は黒板に全て書き写し、この言葉の意味を述べた。


『祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きがある。釈迦が入滅した際に白色へ変化したとされる沙羅双樹の花の色は、盛る者もいつか必ず衰えて滅びてしまうという道理をあらわしている。権勢を誇っている人も永遠には続かない。それはまるで春の夜の夢のよう。勇猛な者の最後には滅びてなくなってしまう。それは風邪の前に置かれた塵と全く同じである』という意味なんだそうだ。


 しかし、意味を説明されても学童達はまだ理解できず、そのうちのチルノが慧音に尋ねた。


「えっとぉ……つまりどういう事なんですか?」


 慧音は呆れたような表情を浮かべて答えた。


「つまり、どんなものにも終わりがあり、永遠に続くものなどないという事だ。どんな者にも、どんな世界にも文明にも死があり、終わりがある」


 慧音が言うと、ルーミアの顔に唖然が浮かんだ。


「そ、それって……」


 慧音は頷いた。


「そうだよ。私達自身にも、この街にも、私達の住むこの幻想郷にも、いずれは死が訪れるという事だ」


 慧音の言葉に、学童達は表情に不安を浮かべ始めた。慧音はそれを見て苦笑し、言った。


「おいおい大丈夫だ。ここが滅ぶのなんて何千年も先の事だ。そんな顔をしなくたって大丈夫だよ」


 慧音の言葉が通じたのか、学童達はひとまず不安そうな表情を浮かべるのをやめると、そのうちの懐夢はふと考え事をしながら、横にいるリグルを見た。


 そこで、懐夢は思わず驚いてしまって、考え事をやめた。

 リグルが、一切筆を動かしていない。黒板を見ず、ただ俯いている。

 

(リグル……?)


 授業が始まれば基本的に筆記帳に黒板の文字を書き写す作業に没頭するリグルが、何もやらずにただ俯いている。その瞳を見てみれば、焦点が合っておらず、暗い影のようなものが見える。

 こんなリグルを見るのは初めてだ。


(それに……)


 リグルは何だか来た時からおかしかったような気がする。

 笑った時も目が笑っていなかったし、普段ふさふさな髪の毛も何だかぼさぼさとしている。

 一体どうしたというのだろう。

 何があって、こんなふうになってしまっているのだろう。


「そもそもこの物語は、平家という一族の栄華と没落を描いた軍記物語で……」


 慧音が話をしているが、リグルは俯いたまま動かない。

 筆も動いていない事から、慧音の話など全然耳に入っていないようだ。


(しょうがないな……)


 懐夢は慧音の方を向き、リグルがいなかった時と同じように慧音の話を筆記帳にメモし始めた。

 

    *


「よし、本日の授業はここまで!」


 慧音が授業の終わりを告げると、一同は「ありがとうございました」と言って礼をした。


「お前達、気を付けて帰るんだぞ」


 慧音はそう言うと教室を後にし、その直後、チルノ達が立ち上がり、リグルに近寄った。


「リグル―――!会いたかったよ―――――!!」


 チルノが最初に言い、ルーミアがその後に続く。


「どこ行ってたんだよぉ!みんな心配してたんだよ!」


 さらにミスティアが続く。


「もう一回言うけど、お帰りリグル!」


 さらに大妖精が続いた。


「お帰りなさい。お待ちしていましたよリグルさん!」


 リグルは笑んだ。


「ただいま。皆には本当に心配をかけたね。ごめん」


 一同は同じように笑み、チルノがリグルに尋ねた。


「ところで、リグル今まで何してたの?」


 リグルは説明した。

 リグルは住む森を炎を吐く竜の妖怪に焼き払われてしまったため、新たな住処を探して街から離れて幻想郷を駆け巡り、ようやく住処となる森を見つけ、住居を整え終わって戻って来れるようになったからこうして街へ戻ってきたという。

 それを聞いてルーミアがへぇと言った。


「そーなのかー」


 リグルが笑んで相槌を打つ。


「そーなんだよ。だから時間かかっちゃったわけ」


 大妖精が笑顔を浮かべた。


「でも、無事で何よりでした」


 一同が笑う中、懐夢だけは笑わずにリグルを見ていた。

 やはりだ。リグルは笑っていない。

 他の皆は気付いていないようだけれど、口だけで笑って、目が虚ろなままで全然笑ってない。

 住む森を焼き払われて新しい住居を見つけたから戻ってきたとリグルは言っているが、その過程で何かあったのだろうか。リグルがこんなふうになってしまうような、大きな出来事が……。


「ねぇリグル」


 懐夢がリグルに声をかけようとした時、チルノが割り込むように言った。


「よぉし!また六人で遊ぼう!時間もまだまだたっぷりあるし!」


 ルーミアが目を輝かせる。


「あ、いいねそれ!また皆で遊ぼうよ!」


 ミスティアが挙手する。


「賛成っ!」


 大妖精が笑みを浮かべる。


「また六人でですか。いいですね、遊びましょう!」


 チルノが最後にリグルと懐夢に言った。


「リグルも懐夢も賛成だよね?」


 懐夢はぎこちなく頷いたが、リグルは苦笑いした。


「ごめん皆。私、今日パスする」


 リグルの意外な答えにチルノ達は一斉に驚いた。


「えぇー!なんでー!?」


「そんなー!」


「なんでー!?」


「そんな事仰らずに、遊びましょうよ!」


 皆に言われようとも、リグルは首を横に振った。


「ほんとにごめん。でも、どうしても外せない用事があるんだ」


 チルノ達は更に「えぇー!」と言ったが、懐夢がそれに答えるように言った。


「仕方ないよ皆。リグルはこう言ってるんだからさ」


 チルノ達が「むぅ……」と言ってしょんぼりすると、リグルは筆記用具を全て鞄の中へ仕舞い込み、立ち上がった。


「それじゃ、皆。また明日」


「また明日ー」


 リグルは皆に別れを告げると、寺子屋を出て行った。

 直後、チルノが「むー!」と言って軽く頬を膨らませた。


「なんだよリグル!付き合い悪いなぁ!」


 ルーミアが残念そうな表情を浮かべる。


「遊んでくれたっていいじゃないかー」


 リグルと遊べない事を残念がる皆に、懐夢は声をかけた。


「ねえ皆、リグルの様子、なんだかおかしくなかった?」


 チルノ達は懐夢に注目を集め、首を傾げた。


「おかしいって……リグルさんがですか?」


 大妖精の問いに懐夢は頷く。


「髪の毛はぼさぼさしてたし、目が虚ろだった。皆は気付かなかったの?」


 一同は首を傾げ、その後腕を組んで上を見た。

 そのうち、チルノが呟いた。


「うーん、あたいはわからなかったなぁ」


 大妖精が続けて呟く。


「何かあったんでしょうか……」


 懐夢が答える。


「その可能性は高いだろうね。何があったのかまではわからないけれど」

 

 その時、ルーミアが提案をした。


「後を追っかけてみればわかるんじゃないかな」


 懐夢は首を横に振った。


「無理だよ。リグルは飛ぶの結構速い子だから、すぐに見失っちゃうだろうし、というか、もう追いかけたところで見つからないと思う」


 ルーミアは残念そうな顔をした。

 直後、ミスティアが言った。


「でも、気になるよね。リグルがどうしてあんなふうになっちゃってるのか……」


 一同は難しい表情を浮かべた。

 しかし、すぐにチルノが叫び声にも似た声を出し、皆に言った。


「あぁんもう、気にしてたってしょうがないよ。リグルの事は明日聞き出すとして、今日は遊ぼうよ」


 一同はそれに賛成し、懐夢が言った。


「確かにわからない事をいつまでも考えていたって仕方がない。今日はひとまず遊んで明日考える事にしよ」


 懐夢が言うと皆頷き、筆記用具をそれぞれの鞄に仕舞って持ち、教室から出た。


     *


 午後六時半 博麗神社


「え、リグルが帰ってきた?」


 霊夢が茶碗を片手に、口にご飯を運びながら言うと、懐夢は味噌汁の入った椀を片手に持って頷いた。


「今日午後の授業を始めた瞬間に来たんだ。その時は皆で大喜びしてさ。慧音先生もすごく喜んでた」


 霊夢はへぇと言って夕飯のおかずの(きじ)の切り身の味噌焼きを口に運び、もぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み込むと懐夢に尋ねた。


「どこ行ってたとか、何してたとか聞き出せた?」


 懐夢は首を横に振った。


「ううん。聞き出せなかった。喋ってくれたのは最初のうちだけで、後はずっと黙ってた。それに、なんだか様子がおかしかった」


 霊夢は首を傾げた。


「どういう事?」


 懐夢によると、リグルは普段は勉強熱心で、慧音の話や黒板に書かれた事とか漏らさずに書くそうだ。しかし、今日は俯いたまま全く動かなかったらしく、不思議に思った懐夢が声をかけてもほとんど反応してくれなかったらしく、それに普段はふさふさな髪の毛もぼさぼさで、目も虚ろだったという。


「……乗り気じゃなかったんじゃないの?」


 懐夢は首を横に振った。

 

「そんなふうには見えなかった。きっと何かあったんだよ。僕達の前から姿を消している間に、何かがリグルの身で起きたんだ」


 霊夢は味噌汁を軽く啜って答えた。


「どんな出来事?」


 懐夢は俯いた。


「それはわからないけれど……」


 懐夢の表情を見て、霊夢はその気持ちを感じ取った。

 懐夢は今、"人を心配する顔"をしている。自分が悪夢で目覚めた時とか、リグルがいなくなった時などにした事のある顔で、人を心配する時には決まってこの顔をする。懐夢は今、帰ってきたと言うのに様子が普段と違ったリグルを心配しているのだ。


「……リグルが心配?」


 微笑んで尋ねると、懐夢は頷いた。

 霊夢は軽く溜息を吐いて懐夢に言った。


「大丈夫よ。あの子は結構強い子みたいだから。今日様子がおかしかった理由も、日が経てば話してくれるはずよ」


「そうかな……」


「そうよ。さぁさぁ、そんな辛気臭い顔してないで、食べましょう。せっかく作った料理が冷めちゃうわ」


 懐夢は顔を上げて笑み、夕食を口に運び始めた。

 その様子を見て霊夢が微笑み、同じように夕食を続けようとしたその時、玄関の方から戸を叩く音が聞こえてきた。

 二人は箸を止めて、玄関の方を見た。


「……今の音……」


「誰か来たみたいね。まぁまだ明るいから不思議じゃないけれど」


 霊夢は箸を置くと椅子から立ち上がり、廊下を通って玄関まで来ると、戸を開けた。


「あれ、貴方は……」


 玄関の前にいたのは今まさに話に出てきていたリグルだった。

 リグルは霊夢と目を合わせるなり、軽く頭を下げて上げ、少しくぐもったような声を出して言った。


「こんばんは。懐夢いるかな?」


 リグルは懐夢に用事があってやって来たらしく、それを聞いた霊夢は台所の方を向いて懐夢を呼んだ。


「懐夢、ちょっとー。貴方にお客さんよぉー」


 数十秒後、懐夢が台所の方からやって来て、リグルの姿に驚いたような顔をした。


「あれ、リグル」


 リグルはそっと微笑んだ。


「いたんだね懐夢。よかった」


 懐夢は首を傾げた。


「いたけど……何の用事?」


 リグルは答えた。


「ちょっと貴方に見せたいものがあるんだ。今からあるところまで付いて来てもらいたいんだけど、良いかな?」


 懐夢は霊夢と目を合わせた。今から外出してもいいかなと目で尋ねているのだ。

 懐夢のその目を見て、霊夢は苦笑いした。


「行って来てもいいわよ。まだ六時半だし、夏だからしばらく明るいしね」


 懐夢は笑み、リグルを見た。


「わかった。いくけど、ちょっと待ってて」


 懐夢はそう言うと神社の中へ戻っていった。

 そしてその一分後、懐夢は鞄を担いで戻ってきた。


「準備できたよ。どこ行くの?」


 リグルはくるりと外の方を向いた。


「付いて来て」


 リグルはそう言うと玄関から離れ、石段の前まで来ると石段を降り始めた。

 懐夢は霊夢に行ってきますというと、リグルの後を追うように走り出し、石段を駆け下りて行った。

 その後ろ姿を見て、霊夢はいきなりやってきて、そのままどこかへ行ってしまったリグルの事について考えた。


(今のリグル……)


 あえて言わなかったが、懐夢の言うとおりだった。

 自分と合わせてきたリグルの目は虚ろだったし、見慣れたふさふさの髪の毛もなんだかぼさぼさしていたし、それにいつもははきはきと喋るのに今日は何だかくぐもらせたように喋っていた。明らかに、普通な状態ではなかった気がする。

 そんなリグルに懐夢はついて行ってしまったが、大丈夫なのだろうか。


(何もなければいいんだけど……)


 霊夢は懐夢を心配しながら、博麗神社の中へ戻った。



        *


 懐夢はリグルの後を追って飛んでいた。

 最初は街に降りるのではないかと思っていたが、リグルの目的地は街ではなかったらしく、今は街を越えた先にある森の上を飛んでいる。そこでもまだ、リグルは降りる気配を見せようとはしなかった。そればかりか、話しかけても全然反応を示さず、リグルはただ黙って飛び続けている。


「ねぇリグル、どこまで行くの?結構飛んできたみたいだけど……」


 懐夢が尋ねたその時リグルは突然高度を落とし始めて、やがて森の中に入ってしまった。

 懐夢はリグルが突然森の中に降りた事に驚き、焦りながらリグルの後を追って森の中へ入り込んだ。


 薄暗い森の中の木々の間を抜けながらリグルの後を追っていると、リグルは徐々にそのスピードを落とし、やがて地面へ着地。懐夢も慌ててスピードを落として地面へ着地し、リグルに駆け寄った。


「ねぇリグルってば!ここどこなの?」


 懐夢が怒鳴るように言うと、リグルは人差し指を立てて唇に当ててシーッと言った。『静かにしてくれ』という意思表示だ。

 懐夢はリグルに従って口を閉じ、それを見たリグルは目の前を指差し、懐夢に見てごらんと声をかけた。

 リグルに言われるまま目の前を見てみると、そこには大きな水瓶があったが、特にこれと言って変わったことのない、ただの水瓶だった。

 

 懐夢がここがどうしたの?と首を傾げたその時、水瓶の傍にある茂みから無数の小さな黄緑色の光の玉が飛び出し、水面を飛び交い始めた。


「わあぁ……」


 懐夢は思わず息を呑んだ。

 飛び出して来たのは、蛍だ。今まで見たことのない数の蛍が、水瓶の上を綺羅星のように輝きながら飛び交っている。夜の闇の中を蛍が飛び交う光景は大蛇里にいた時に父や母、友達と何回か見た事があるが、これほどまでの数の蛍を見るのは初めてだ。

 まるで、夜空に瞬く星々がこの水瓶まで降りてきて輝いているような光景に、懐夢は思わず釘付けになってしまった。


「懐夢、こっちに来て」


 リグルの声で懐夢ははっと我に帰り、リグルの元に駆け寄ると、リグルが座ってと言ってその場に座り、懐夢もその後に続くようにリグルの隣に腰を下ろした。

 その後、リグルは言った。


「ここね、私が新しく住む事になった森の一角なの」


 懐夢はへぇ~と言って蛍を見た。


「すごいねこの蛍の群れ。こんな大きな蛍の群れは見た事ないよ」


 はしゃぐ懐夢にリグルは微笑んだ。


「綺麗でしょ?」


 懐夢は目を輝かせて頷いた。


「うん。とても綺麗!……でもリグル」


 リグルは顔を懐夢と合わせた。


「なぁに?」


「なんで、僕だけを誘ったの?」


 リグルは首を少し傾げた。


「え?」


「ほら、いつもならチルノ達とかも呼ぶのに、今日は僕だけ呼んだからさ。気になっちゃって」


 理由を話すと、リグルはまた蛍達の方を見た。


「……貴方だけなのよ。私の家族の宴を見た事ないの」


 懐夢は目を丸くした。

 リグルは続けた。


「チルノ達にはもう見せた事あるんだけど、貴方にはまだなかったから、貴方だけを誘って、うんと驚かせてあげようって思ってたの。……()()()()()()()()()()()が起こす宴を」


 そう言われて、懐夢はハッと気付いた。


「リグルの生まれた森……もしかして!」


 リグルは俯いた。


「そうよ。あの竜の化け物に焼き払われた森。あそこが、私の誕生した森だったの」


 リグルは語り始めた。

 

 リグルは蟲の化身としてあの森で生まれ、蟲達と共に育った。

 リグルが生まれた時、森中の蟲達がリグルの誕生に歓喜し、祝福し、自分達は貴方の家族で、貴方と共に生きる存在であると言ったという。リグルはその言葉を受けて家族と自らの力を認識し、自分の誕生を喜び、祝ってくれた"家族"を外敵から守りながら暮らす事を決めた。

 だが、すぐに"家族"とリグルは引き裂かれた。蟲の寿命は、妖怪や人間のそれと比べて馬鹿みたいに短く、リグルの誕生を祝ってくれた蟲達はすぐにその命を終わらせてしまった。

 しかし蟲達はそのまま死にはしなかった、蟲達は死ぬ前に子孫を産み、やがて生まれた子は親と同じように蟲の化身リグルと儚い一生を過ごし、やがて子を産み死んでいく。そしてまた生まれた子は親と同じようにリグルと共に儚い一生を過ごし子を産み死ぬ。リグルが今まで生きてきた中で、この循環はほぼ無限に行われてきた。

 その中で、リグルは何度も自分という存在に虚しさと孤独を感じた。自分の誕生を祝ってくれた蟲達は死に際に礼を言ってくれたが、それ以降の蟲達は何も言わずにただ子を産んで死んでいくだけだった。

 脅威から守ったところですぐに何も言わずに死んでいく蟲達に守る価値などあるのだろうかと思い、守るのをやめようかとリグルは考えるようになってしまった。

 

 私は何者なのだろう。


 私の使命は何なのだろう。


 私が存在している意味は何なのだろう。


 そのうちリグルの頭の中にこの考えが常に浮かぶようになり、リグルの行動が曖昧になり始めたある時、死に際の蟲から声が聞こえた。

 

「今まで一緒に生きてくれてありがとう。自分達はいつまでも貴方の家族です」


 この言葉を、死に際の蟲から聞いた時、リグルは驚いた。

 そしてその後、もっと驚くべき事が起きた。

 死に行く蟲達が、死に際に必ず同じ言葉を言うのだ。


「今まで一緒にいてくれてありがとう」、「一緒に生きてくれてありがとう」、「もっと一緒にいたかったよ」、「自分達はいつまでも貴方の家族です」、「生まれ来る子供達をよろしくね」と。

 

 無数の蟲達の言葉を聞いて、リグルは気付いた。

 自分は、蟲達の言葉に気付いていなかったのだ。

 蟲達はちゃんと意志を持ち、自分が生まれた時を祝福してくれた代からそれをずっと今まで伝え続けていたのだ。それに、ただ自分が気付けていなかっただけだったのだ……。

 リグルはそれ以来吹っ切れ、自分の守るべきものと使命を再確認した。


 自分の守るべきもの。それは蟲達の遺す"意志"だ。


 そしてそれを途絶えさせないようにする事こそが蟲の化身たる自分の使命だ。


 以来リグルは、蟲達の遺す"意志"とそれを持つを守るために、生きるようになった。



「……そうだったんだ……」


 リグルの過去に懐夢は軽く唖然としてしまった。

 普段何気なく見てきた蟲達にも人に劣らぬ意志があったとは、知りもしなかった。

 そしてリグルはその遺志を守るという使命を背負って生きてきたのだと、初めて知った。


「あの森に生きる全ての蟲達にこの意志は宿ってた。あの森そのものが、私の家族だったといっても過言じゃないわ」


 リグルは俯いた。


「……でも、それは全部なくなってしまった」


 リグルによれば、あの竜の化け物の襲撃時にリグルの住む森は多大な被害を受け、そこにいた蟲達は一匹残らず全滅してしまったという。

 つまり、リグルの"家族"は一匹残らずいなくなってしまったという事だ……。


「そんなっ……」


 懐夢はリグルを見た。

 リグルは肩をぶるぶると振るわせていた。


「私がいけないんだ。私が非力だったからあの化け物を追い払えなかった。倒せなかった。だから、皆死んじゃった。意志を残さず、何もかも……死んじゃった」


 リグルは声を震わせ、やがて泣き出した。


「ごめんね……ごめんね……みんな……ごめんねぇ……」


 懐夢は泣き出すリグルの手を掴み、首を横に振った。


「違うよ。リグルは悪くない。悪いのはあの化け物だ。あいつさえいなければ、こんな事にはならなかったんだから……リグルは悪くないよ!」


 リグルは懐夢の手を振り払い、体育座りをすると脚の間に頭を入れてしゃっくり混じり言った。


「でも、私が、あいつを、追い払えるくらい、強かったら、こんなことに、ならなかった……みんな、死ななかった……」


 懐夢は言葉を詰まらせた。


「ごめんね……みんな、ごめんなさい……!!」


 リグルは大声を出して泣き始めた。

 懐夢はいつも自分を抱いてくれる霊夢の真似をするようにリグルを抱き、言った。


「リグルは悪くないよ!リグルは精いっぱい戦った……死んじゃった蟲の皆だって、リグルを責めてなんかいないはずだよ」


 リグルは不規則な呼吸をして答える。


「わたし……もうまもるもの……ない……ひとり……ぼっち……」


 懐夢はリグルから一旦目を離し、やがて戻して言い返した。


「違う!リグルの守るものはなくなってなんかいない。リグルの"家族"は、いなくなってなんかいない!」


 リグルは「え?」と小さく言った。


「だって……見てごらん」


 懐夢はリグルを抱くのをやめてリグルに目の前を見させた。

 リグルの目の前に、先程まで水面を飛び交っていた蛍達が集まってきていた。

 しかも、全ての蛍がまるでリグルを心配しているかのように不規則に飛んでいる。

 リグルはそれを見て唖然とし、懐夢は口を開いた。


「この蛍達、皆リグルをすごく心配してる。まるで、家族を心配してるみたいに。これってこの蛍達に意志があるからなんだよね?」


 リグルは立ち上がり、数歩前に歩いてふわふわと浮かぶ蛍達に声をかけた。


「私……貴方達の住む森にいきなり来て住居を立てた。貴方達の住む場所を侵してしまったかもしれないのに……貴方達は私の心配をしてくれるの……?」


 リグルの目の前にいた蛍達はリグルの身体のすぐ近くまで寄り、ふわふわと飛び始めた。

 それを見てリグルは目を丸くした。


「私を……家族だって思ってくれてるの……?」


 蛍達はリグルの身体に更に近付き、ふわふわと飛んだ。

 それを見た懐夢はリグルに言った。


「今なら蟲達の声が聞こえるんじゃない?」


 懐夢に言われてリグルはそっと目を閉じた。

 そしてその閉じた目をリグルはゆっくり開くと感涙の表情を浮かべた。


「言ってる……皆私の事を蟲の化身だってわかってる……皆、私を家族だって言ってくれてる……!!」


 リグルは胸の前で手を組むと頭を下げて、そのまま泣いた。


「ありがとう……みんなありがとう……」


 懐夢はそれを見て、リグルに言った。


「でも、意志を持っててもその子達は強くない。誰かが守ってあげなきゃ、遺志を次に受け継がせる事が出来ないまま、死んじゃうかもしれない。そうはさせないのが、君じゃなかった?」


 リグルは振り向き、頷いた。


「私……この子達を守る。この森に住む全ての蟲達とその意志を……守って生きる」


 リグルは首を横に振った。


「ううん、幻想郷全ての蟲を守って生きる」


「すごいねそれは。でもリグルならできると思う」


 リグルの笑みを見て、懐夢はある事に気付いた。

 リグルの虚ろだった瞳が、元に戻っている。

 どうやらあれは、自責の念によってなっていたものだったらしい。

 そして今、それがなくなったから、元に戻っているのだ。


(よかった……リグル、元に戻った)


 元に戻ってくれた友の姿を見て、懐夢はにっこりと笑んだ。

 その後、懐夢はある事を思い出してリグルに近付き、鞄の中から筆記帳を取り出してリグルに差し出した。


「リグルこれ」


 リグルは懐夢の声に反応して懐夢の方を向き、筆記帳を受け取って首を傾げた。


「これ、懐夢の筆記帳?」


 懐夢は頷いた。


「うん。今日の授業とリグルが抜けてた間の授業内容を全部記録しておいたやつ。貸すよ」


 リグルは驚いたように言った。


「えぇっ、もしかして私いない間にずっと授業内容とってくれてたの?」


 懐夢は笑んだ。


「帰ってきたらリグル困りそうだったから、とっといた」


 リグルはニッと笑って、懐夢に軽く頭を下げた。


「ありがとう懐夢!すっごく助かるよ!」


 二人は互いににっこりと笑った。



リグルがようやく帰ってきました。

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