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東方幻双夢  作者: クシャルト
邂逅編 第参章 大賢者
22/151

第二十二話

エピソード・ルーミアⅡ

 慧音の話は終わった。

 ルーミアの過去は、今まで聞いた事が無いくらい凄惨な話だった。

 話が終わった時、心臓が喉の辺りまでせり上がって脈打っているような気がして、視界がぐらぐらと揺れているような気もした。

 

「じゃあ……元々その子は……瑠空っていう女の子で……ルーミアは……」


 話をすべて聞いた懐夢に慧音は言った。


「そう。瑠空の身体を奪って存在している妖怪だ。瑠空の人格はそのリボンによってルーミアの意識下に封印されていた」


 懐夢は続けて尋ねた。


「じゃあ……リボンを取った時にルーミアがあんなになっちゃった理由って……」


「廃人となった瑠空の人格の封印が解かれ、尚且つそこに追い打ちをかけるようにルーミアの記憶が雪崩れ込んだ。両親だけではなく、他の人間達を喰らった記憶が全てあの時、瑠空の人格に雪崩れ込んだのだ。……瑠空の人格は完全に崩壊したといえる」


 懐夢は顔を青褪めさせた。

 慧音はそれを見て更に言った。


「問題はそれだけではないよ。瑠空の記憶や感情もまた、ルーミアに雪崩れ込んだ。

 ルーミアは気付いてしまっただろう。自分の身体がかつて瑠空という少女のものだという事、そしてこの瑠空の両親を自分が食っていた事がな。

 そして瑠空の感じた悲しみ、虚しさ、絶望感に晒されてしまったに違いない」


「そ……んな……じゃあルーミアは……ルーミアはどうなったんですか……」


 慧音はルーミアを見た。


「……瑠空の心の崩壊に巻き込まれて、心を壊してしまったか……或いは、踏みとどまったか。

 そのどちらかだ。

 今は眠っているから何とも言えないが、リボンを付けた状態で目を覚まして前者ならばもういつものルーミアに戻る事は出来ないし、後者ならばいつものルーミアに戻る事は出来るだろうが、心に深い傷を負うだろう。この子は、人を喰らう妖怪だとしても純粋な心を持っているからな」

 

 懐夢は黙った。

 慧音の言う事は、自分がよくわかっていた。

 ルーミアは良くしてやれば喜ぶし、意地悪すれば怒る。

 お腹が空けばものを食べたがるし、笑い話をすればさぞ面白そうに笑ってくれる。

 懐夢はそんなルーミアを見ていつも、ルーミアほど純粋に生きている子はいないと思っていた。


 その後、慧音がまた溜息を吐いた。


「……まさかこんな事になってしまうとはな。

 私にも落ち度があったよ。お前は嘘は吐かないし、言いつけを絶対に守る子だったからついつい過信してしまった。それがまさか、こんな突拍子もない事をするとは……」


 懐夢は俯いた。

 慧音は懐夢に視線を戻した。


「顔を上げろ懐夢」


 懐夢は顔を上げて慧音と目を合わせた。


「お前は知る事に楽しみを感じる奴だ。

 知る事は、人間を成長させるとても良い事だから、それを楽しみにできているのは同じくとても良い事だ。しかしだな、お前は時に度が過ぎる。

 知らなくてもいいような事、または知ってはならない事を知ろうとして決まりを破ったり言われた事を無視したりして、時に取り返しのつかない事までやってしまう。

 お前は、私の言いつけを無視してルーミアのリボンを取ってしまった。もしルーミアが目を覚ましても、心が壊れてしまっていたら、お前の責任になる。取り返しのつかない罪を、お前は背負う事になる。

 ルーミアの心が壊れていたら、それはお前のせい」


「怒らないで!!」


 慧音が言いかけたその時、入口の戸が突然開き、外から中へ何かが転がり込んできて、それは懐夢の目の前に移動した。

 懐夢は驚いてそれを見た。

 やってきたそれは、先程慧音に部屋で待っていろと言われていたチルノだった。


 懐夢はチルノの登場に驚いていたが、慧音はやって来たチルノと目を合わせた。


「チルノ。何故来た。部屋で待っていろと言ったはずだぞ」


 チルノは座り込んで慧音に力強く言った。


「懐夢は悪くないんです!もとはと言えば、ルーミアのリボンを外そうって言い出したのはあたいなんです!」


 慧音は表情を変えぬまま言い返した。


「だからどうした。ルーミアのリボンを外してしまったのは懐夢だ」


「懐夢にルーミアのリボンを取れって言ったのもあたいなんです!

 あたいじゃルーミアのリボンが取れなかったから、懐夢にやらせたんです!」


 チルノは正座をして頭を下げ、慧音に言った。


「お願いです、懐夢を責めないで!責めるならあたいを責めて!

 頭突きも、打つのも、皆あたいにやってください!」


「チルノ……」


 小さく懐夢が呟くと、チルノは顔を上げて慧音と目を合わせた。


「チルノちゃんだけじゃありません!」


 その次の瞬間、また外から何かが転がり込んできてチルノの両隣に並んだ。

 それは、大妖精とミスティアだった。

 二人はチルノの両隣に並ぶとチルノと同じように頭を下げた。


「私達も、ルーミアさんのリボンを外そうとしました。悪いのはチルノちゃんと懐夢さんだけではないんです。私達も、悪いんです!」


「私達も同罪です。だから、怒るのをチルノと懐夢だけにしないでください!」


 懐夢は思わず呆然として目の前に並ぶ三人を見た。

 慧音はまた溜息を吐いて、こちらに頭を下げる三人を見た。


「……お前達が責任を負うか否かはこいつが目を覚ましてからだ。今は何とも言えないよ。だが、お前達がやってはならない事をしてしまったのは確かだ。今日は帰って、反省しろ。今日の授業は明日へ持ち越す」


 慧音に言われて、懐夢はリボンを慧音に渡すと、他の三人を置いてその場を去った。

 途中三人に呼び止められたが、懐夢は気にせず寺子屋を出て、街の人の中を掻い潜るように速やかに博麗神社に向かって歩いた。


 慧音がルーミアの心が壊れてしまったかもしれないと言われてから、頭の中が何だか麻痺しているような気がして、まともに物事を考えられない。

 けれどこれだけは思えた。


 ―――誰とも会いたくない。誰とも話したくない。一人でいたい。一人でじっとしていたい。と。


 そう思いながら歩き続けているとあっという間に街を抜け、博麗神社の石段の前まで来ていた。


(霊夢いるかな……)


 今頃香霖堂に出かけているか、はたまた異変の解決に出かけているかで、はたまた誰かに会いに行っているかのどちらかで、きっと霊夢はいないだろう。

 丁度いいと思いながら、懐夢は石段を上がり始めた。



    *


 

 その頃霊夢はというと、博麗神社を出て、街のはずれの方にある命蓮寺へ向かっていた。

 というのも、霊夢の元へ突如住職の白蓮から手紙が来たのだ。

 話があるから命蓮寺へ来るようにと書かれた手紙が。

 霊夢は何の事についての話なのかさっぱりわからなかったが、とりあえず聞くだけ聞こうと思い、命蓮寺へ向かう事にしたのだ。


(何の用事なのかしら……とくに変な事はした憶えないけれど……)


 そう思いながら飛んでいると、下方に命蓮寺が見えてきた。

 霊夢は命蓮寺を見つけると早速その方へ高度を下げ、命蓮寺の前の方に降りた。

 命蓮寺の近くの一面は森閑としていた。まぁいつもの事なのだが。

 霊夢は誰かいないかと思って辺りを見回したが、その中で竹箒を両手に握って石段を掃除している少女を見つけた。

 それはこの前の異変で、異変解決に向かう自分の前に立ち塞がってきたため叩きのめした幽谷響子だった。

 霊夢は早速、響子に近付いて声をかけた。


「響子」


 響子は驚いたような反応を示し、霊夢の存在に気付いて、その方を見た。


「あ、霊夢さん。いらっしゃったんですか」


「えぇ。あんたの師匠に呼び出されてね。んで、あんたの師匠は今どこ?」


「白蓮さんなら中にいらっしゃいます。呼んできましょうか?」


 霊夢は首を振った。


「その必要はないわ。直接行く」


 霊夢はそう言うと、響子を無視して命蓮寺の中へ入り込んだ。

 本堂の仏壇に添えられているのか、むっとお香の匂いが鼻へ流れ込んできたが、人や妖怪の気配はまるでなく、外と同じくらい森閑としていた。

 

「あれ……白蓮どこかしら」


 辺りを見回していると、霊夢の視線から右方向の奥の廊下の方から足音が聞こえてきた。

 誰だ?と思って見ていると足音はどんどん近くなり、やがてその発生源が姿を現した。

 それは、霊夢を呼び付けた命蓮寺の住職、聖白蓮だった。


「あら霊夢。来てくれたんですね」


 霊夢は頷く。


「えぇ来てやったわよ。んで、話って何?」


「ここでは話し辛いでしょう。居間へ案内しますから、付いてきてください」


 白蓮は元来た方向へ歩き出した。

 霊夢は一瞬首を傾げたが、白蓮が案内してくれるというので、その後を追った。

 ちょっと歩いていると、白蓮は廊下を曲がり、部屋に入った。

 霊夢もまた、その後を追って廊下を曲がり、部屋の中に入り込むと、部屋の少し奥の方に白蓮がこちらを向いて座っていた。


「どうぞ、お座りください」


 霊夢は言われるまま白蓮の前に座った。


「んで、話って何?」


 白蓮は表情を少し険しくした。


「博麗神社で貴方と共に暮らしている懐夢についてです」


「懐夢についてですって?」


 白蓮は頷いた。


「えぇ。彼について、知っている事を話してほしいのです」


 霊夢は首を傾げた。


「なんであんたに話す必要があるの?」


「貴方が話してくれたら、理由を話します」


 霊夢は顔を(しか)めた。

 何故白蓮が懐夢の事を知りたがっているのかわからないが、どうやら白蓮は懐夢についての追加情報を掴む事に成功しているらしい。

 自分でもわからないような事を、知っているようだ。


「……わかったわよ」


 霊夢は白蓮に懐夢について全て話した。

 懐夢といつ、どんな形で出会いを果たしたか、どうして博麗神社に住む事になってしまったのかを、全て。

 

 霊夢が全て話し終えると、白蓮は少し悲しげな表情を浮かべた。


「彼……あの歳で故郷とご家族を亡くしていたんですね……可哀想に……」


「そうよ。行く宛もないから私の神社に住ませる事にしたの。んで、今は私があの子の保護者」


 白蓮は表情を戻した。


「なるほど……彼の生い立ちについてはわかりました。

 それで、私が貴方に彼について尋ねた理由なのですけど……」


「何?」


 白蓮は改まった様子で言った。


「霊夢。貴方は彼を普通の半妖の子(・・・・・・・)だと思いますか?」


 霊夢はきょとんとした。


普通の半妖の子(・・・・・・・)?なにそれ?」


 白蓮は答える。


「私はこれまでに子供から大人まで、結構な数の半妖の人を見てきました。

 半妖というのは、人間の気と妖怪の気が混ざり合った特赦な魔力と妖力の流れを持っているのですが、彼にはもう一つ他の何かがあるみたいなんです」 


 霊夢は首を傾げた。


「他の何か?」


 白蓮は頷く。


「えぇ。彼は人間のものでも、妖怪のものでも、半妖のものでもない魔力の流れを持っているのです。貴方はこれの正体が何なのか、わかりますか?」


 霊夢は思わず考え込んでしまった。

 白蓮によれば、懐夢の中には人間のものでも、妖怪のものでも、半妖のものですらない魔力があるらしい。

 そんな話を聞いたのは初めてだし、感じた事もなかった。毎日一緒に暮らしているというのに。


「待って頂戴。私、それ初耳なんだけど」


 白蓮は驚いたような顔をした。


「え?貴方、知らなかったんですか?」


 霊夢は頷く。


「というよりも、あんたの気のせいじゃない?私、一日であの子と接する時間かなり長いけどそんなものを感じた事はこれまで一度もなかったわ」


 白蓮は表情に戸惑いを浮かべた。


「……そうかしら……でもあの時感じたのは確かに……」


「いつ感じたのかは知らないけれど、それが気のせいじゃないかって言ってんの」


 霊夢に言われて、白蓮は俯いた。が、そのすぐ後に顔を上げた。


「なら、彼の異常な回復力についてはご存知ですか?」


「え?どういうこと?」


 白蓮は懐夢が命蓮寺へやって来た時の事を全て話した。


「大きな傷を負っていたのに数分後には無くなってた?」


「はい。こればかりは流石に異常としか思えなくて……何か知りませんか?」


 そう言われて霊夢は懐夢と初めて会った時の事を思い出した。

 あの時、懐夢は高熱を出していて、とても動けるような状態ではなかったし、瀕死だった。

 しかしその数分後、懐夢は起き上がって、今まで瀕死だったのが嘘のように動き回れていた。

 高熱も、まるで最初からなかったかのように消え去っていた。

 あの時からずっと思っていたが、あれは異常だ。

 それに後々、懐夢は普通の妖怪ならば取得に十ヶ月かかってしまう空を飛ぶ術とスペルカードを、僅か二ヶ月で取得できてしまった。

 これも、異常としか思えない。


「……思い当りまくってるわ」


 霊夢はこの事を全て白蓮に話した。

 霊夢の話を聞いて白蓮は驚いた。


「やはり、あの子の異常な回復力は確認されてたんですね。それに、空を飛ぶ術とスペルカードの取得をそんな短期間でやってしまったなんて……」


「えぇ。本人はチルノ達友達のおかげなんだって言ってるんだけど、私はどうもそうは思えないし、あの子達の教師の慧音も同じ事を言ったわ。その言い方からして、あんたも異常だって思うでしょ」


 白蓮は頷いた。


「やはりあの子は……普通の半妖の子ではないですね……」


「えぇ……間違いなくね。でもね」


 霊夢が言いかけると白蓮は霊夢と目を合わせた。


「あの子がどうであれ、私はあの子の家族のようなものになって生きていくつもりよ。あの子の異常もみんな背負ってね。そして、これからずっとあの子を守り続ける」


 白蓮はきょとんとした。


「ど、どうしたんですか急に」


 白蓮に言われて、霊夢は思わずハッとした。

 懐夢の事を思っていたら、自然と口に出てしまった。


「な、なんでもないわよ。ただ、私はそう決心してるの」


 霊夢は頬を赤らめて、白蓮から視線を逸らした。

 白蓮はぷっと吹き出し、それを抑えると霊夢に言った。


「やはり貴方は、彼の素敵なお姉さんなんですね」


 霊夢は「えっ」と言って白蓮を見た。

 白蓮によると、懐夢と話していた時、何度か霊夢の話が出てきたらしい。

 霊夢との暮らしは楽しいとか、霊夢と出会えてよかっただとか、霊夢の作る料理は美味しいとか、霊夢の匂いはいい匂いだとか、色々と言っていたそうだ。

 白蓮はこれを見て、懐夢は霊夢をまるで姉のように慕っていると確信したという。


「あの子ったら……そんなに……」


 白蓮は微笑んだ。


「彼は貴方が大好きなんだそうですよ。まるで本当のお姉さんと思っているようにも見えました」


 そう言われて、霊夢は不思議な感覚を感じた。

 嬉しさや喜びにも似た温かいものが、次々と心に流れて、満たしていっているような感覚だった。

 ……どうやら自分は今、喜んでいるらしい。

 懐夢の姉のようと言われた事が嬉しいらしい。

 

 しかし、何故嬉しいのか、何故言われて喜んでいるのかわからなかった。

 自分の気持ちだというのに、理由が掴めなかった。

 どうして嬉しいんだろう。

 どうして喜んでいるんだろう。

 どんなに考えても答えが浮かんでこなかった。


「……あ、そう」


 曖昧な答えを返すと、白蓮はまた微笑んだ。


「それに彼はとても友達想いの子ですね。怪我をしているというのに、森に残された友達の事を心配して飛び出そうとしたり、自分が動けないとわかったら私に行ってくださいって必死にお願いしてきたんですよ」


 霊夢は頷く。

 確かに懐夢は友達想いだ。自分とチルノ達に何かあれば、自分の事をそっちのけてチルノ達の心配をする。

 それがどうしてなのか、霊夢はわかった気がした。


「あの子は……家族も友達も全部失っちゃってるからね。だから、新しく出来た友達を守ろうとするんだと思う」


「でしょうね……何だか、貴方と話したらほっとしましたよ。貴方なら、懐夢の異常を何とかできるような気がします」


 霊夢は苦笑いした。


「そんな信頼されるような事したかしら私?」


 白蓮は笑む。


「しましたよ。あの子の家族のようなものになるという決心を見せてくれた事です。あの時の貴方の目は真剣そのものでしたからね。とにかく、彼の事が少し心配だったので、話が聞けて良かったです」


 直後、白蓮はある事を思い出した。


「あっと、訊き忘れるところでした。実は、もう一つ貴方に訊きたい事があったんです」


 霊夢は「え?」と言った。

 白蓮は表情を戻して、尋ねた。


「貴方、彼と居て吐き気を感じた事はありませんか?」


 霊夢は思わず首を傾げる。


「吐き気?え、なんで?」


 白蓮によると、白蓮と共に懐夢の世話をしたナズーリンが突然吐き気を訴えて、その場を去り、トイレで嘔吐をしたらしい。

 白蓮はこれを見て、懐夢のせいではないかと思ったそうだ。

 霊夢はこれには流石に呆れた。

 懐夢が吐き気を催させるものとは思えないし、どう考えてもナズーリンの嘔吐は急な体調不良による偶発的なものだとしか思えない。

 その急な体調不良を懐夢のせいにするのは、滅茶苦茶だ。


「それはいくらなんでも無いわ。それ、ナズーリンの体調がたまたま悪くなっただけでしょ。ったく、そんなものを懐夢のせいにしないで頂戴」


 白蓮は「そうですよね……」と呟いた。


「さてと、もう話はない?」


 霊夢の問いに白蓮は頷く。


「えぇ。貴重な話をありがとうございました」


 白蓮が一礼すると、霊夢も軽く一礼した。

 直後霊夢は立ち上がり、部屋を出て来た道を戻り、やがて外に出ると上空へ舞い上がり、博麗神社を目指して飛んだ。



    *



 霊夢は博麗神社に戻ってきた。

 石段を数歩歩き、玄関に入ったところで霊夢はある事に気付いた。

 玄関に並ぶ靴の中に、懐夢の靴がある。


(どうして懐夢の靴が……?)


 この靴があるという事は、今懐夢はこの神社の中にいるという事だ。

 しかし、今懐夢は寺子屋の午後の授業に出ているはずで、神社に帰ってきているなどないはず。

 それとも、途中で体調を崩してしまい、止むを得ず帰って来たのだろうか。

 

 霊夢はふと、懐夢の名を呼んだ。


「懐夢ー?」


 答えは返ってこない。

 やはり、懐夢はいないのだろうか。

 では何故この靴があるというのだろう。


「懐夢ー?いるのー?」


 靴を脱いで玄関に上がり、廊下を歩きながら懐夢の名を呼ぶが、全く返答がない。


「いないのかなやっぱり……」


 呟いて縁側に出た時、霊夢は「あ!」と言ってしまった。

 縁側で三角座りをして足の間に顔を入れている懐夢の姿がそこにあったからだ。

 やはり、懐夢は帰ってきていた。


「どうしたのよ。こんな時間に帰ってきて」


 歩み寄って声をかけても、懐夢は反応しない。


「懐夢?具合悪いの?」


 一向に懐夢は反応を示さない。


「ねぇ、懐夢ってば」


 その時、懐夢はようやく顔を上げてこちらを見てきたが、霊夢はそれを見て驚いてしまった。

 懐夢の目が、真っ赤に腫れていたからだ。


「れいむ……れい……むぅ……」


 直後、懐夢は突然霊夢の胸へ飛び込み、しっかりと霊夢に抱き付いて泣き出した。

 霊夢はまた驚いてしまったが、ひとまず懐夢が落ち着くまで待とうと思い、何も言わずに懐夢を抱き、よしよしとその頭を撫でた。


 

 しばらくすると懐夢は泣き止んだが、霊夢から離れようとはしなかった。

 霊夢は動かない懐夢に声をかけた。


「落ち着いた?」


 胸の中で懐夢は頷く。


「……泣いてた理由は、お父さんとお母さんの話をされたから?」


 懐夢は首を横に振る。


「じゃあ、何?それ、話せる?」


 懐夢は霊夢に抱かれたまま小さく話し始めた。

 あの時起きた事、そして慧音の口から語られた話を全て……。



 懐夢が全てを話し終えると、霊夢は呆然としてしまった。

 まさかあのルーミアが、人間の少女の身体を奪い取り、少女の両親を食い殺した後その光景を少女に見せて心を崩壊させ、少女の人格を封印せざるを得ない状態を作り上げ、少女の人格が封印されると残った身体を自分のものとし、あのリボンは少女の人格を封印しているものだとは、考えた事もなかったからだ。


「あの子……そんな妖怪だったっていうの……」


 懐夢は頷く。

 しかも懐夢はそのリボンを取ってしまい、少女の人格を復活させてしまったらしい。

 結果ルーミアの記憶が少女の人格へ、少女の記憶と思いがルーミアへ雪崩れ込んでしまい、少女の心が完全に崩壊、ルーミアの心もその崩壊に巻き込まれてしまった可能性があるらしい。


「僕……やだよ……ルーミアともう話せないの……もう遊べないのやだよ……

 僕のせいで……ルーミアがルーミアでなくなっちゃったなんて……やだよぉぉ……」


 再び泣き出した懐夢を霊夢はまた抱いたが、返す答えを見つける事は出来なかった。

 もし、懐夢がリボンを取った事が原因でルーミアの人格が壊れてしまったのであれば、それは紛れもなく懐夢のせいだ。

 知らなかったと言って無知であった事を主張したところで許されはしない。

 確実に、ルーミアの人格を破壊した責任を懐夢は負わなければならない。

 いつもならば「貴方は悪くないよ」と言ってやるところだが、そんな事を言っていい立場に今、懐夢はいない。

 

 今回ばかりは、懐夢が悪い……。

 

「……何か言ってよ……霊夢……何か言ってよぉぉぉ……!!」

 

 懐夢に言われて、霊夢は口を動かした。


「……それは……貴方が悪いわ……」




    *



 午後十時半


 懐夢は布団の中に潜って、ずっと眠れずにいた。

 あの時の事、慧音と霊夢に言われた事が頭を埋め尽くして、眠れない。


――お前は知る事に楽しみを感じる奴だ。

知る事は、人間を成長させるとても良い事だから、それを楽しみにできているのは同じく

 とても良い事だ。しかしだな、お前は時に度が過ぎる。

 知らなくてもいいような事、または知ってはならない事を知ろうとして決まりを破ったり

 言われた事を無視したりして、時に取り返しのつかない事までやってしまう。

 お前は、私の言いつけを無視してルーミアのリボンを取ってしまった。もしルーミアが目を覚まし

ても、心が壊れてしまっていたら、お前の責任になる。取り返しのつかない罪を、

お前は背負う事になる。

ルーミアの心が壊れていたら、それはお前のせいだ。

 

 真っ暗な目の前に、あの時の慧音の顔が浮かび上がる。

 お前が悪いと言っている、慧音の顔が生々しく。

 あの時、チルノ達が現れて自分達も悪いんだと言ってくれたが、全くそんな気にはなれなかった。

 そしてとうとう、最後の頼みの霊夢にも言われた。


―――それは、貴方が悪いわ―――


 それ以降、霊夢とは一切口をきいていない。

 霊夢の言った事はすべて無視して、霊夢の言葉は聞かないようにして、今この瞬間に至っている。

 今隣に霊夢は眠っているが、ずっと目をそむけている。霊夢を見ないようにしている。


(僕が……悪い……)


 ……確かに今回は自分が悪い。言いつけを破って、ルーミアのリボンを取ってしまった自分の自業自得だ。

 そう思いたいのに、何故か自分は悪くないのだと言い返したくなる。いけない事をしてしまったのは自分なのに、自分は悪くないと言い聞かせてしまう。

 あんな事になるなんてわからなかった。

 それを、誰一人教えてくれなかった。

 ああすればこんな事になるんだよって、誰も教えてくれなかった。

 色んな事を知ってて大好きな霊夢も、寺子屋の慧音先生も……教えてくれなかった!


 僕は……悪くない。


 そう思ったその時、どっと心に何かが湧いて出てきた。

 それは、死んだ母だった。

 今更になって、死んだ母の姿が目に浮かび、心から胸から喉へと熱湯のように熱い塊のようなものが込み上げてきて、それが瞳に到達した途端、涙が出てきた。


(おかあさん……)


 おかあさんならなんて言うだろう。

 僕が悪いって言うのかな。

 いや、それ以前に、おかあさんなら理由をしっかり教えてくれる。

 こうしてしまったらこうなってしまうから絶対にやってはいけないよって。

 絶対にそうやってくれるに決まってる。


(おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん……)


 おかあさんに会いたい。

 

 おかあさん、ぎゅってしてよ。

 

 「だいじょうぶ、だいじょうぶ」してよ。


 「貴方は悪くないんだよ」って言ってよ……。


「お……かあ……さ……んぅぅ……」


 身を縮め、胸を押し絞るようにして泣いたその時。


 ―――「懐夢」―――


 耳に声が聞こえてきてきた。

 霊夢の声かと思い、ふと布団から顔を出して霊夢の方を見たが、霊夢は布団を被って寝ていた。


(……霊夢じゃない……?) 


 霊夢の声とは違う声だったような気がする。

 霊夢よりも年の低い女の子のような声だったような……。


「懐夢」


 そう思ったその時、再び声が聞こえてきた。

 どうやら外から聞こえてきているらしい。


「誰……?」 


 布団から起き上がり、戸を開けて縁側に出て、広がる中庭を見た。

 しかし、どこをどんなに見ても人の姿はないし、動物とか妖怪の姿もない。


「あれ……誰もいない……」


 空耳だったのだろうか。

 考え込むあまり、聞こえるはずのない音が聞こえてしまったのだろうか。

 そう思ったその時、


「懐夢」


 すぐ右方向から声が聞こえてきた。

 咄嗟にその方向を向いて、懐夢は驚いた。

 そこにいたのは金色の髪をショートボブにまとめあげ、頭の左側の髪に赤いリボンを結び、白黒の洋服を身に纏った深紅の瞳の少女だったのだ。

 それは紛れもなく、ルーミアだった。

 しかし、ルーミアは慧音によれば瑠空の心の崩壊に巻き込まれてしまったはずだ。

 

「ルー……ミア……?」


 少女は頷いた。


「え、ルーミア?本当にルーミアなの?」

 

 その時、少女はニッと笑った。

 その笑顔は紛れもなく、見慣れたルーミアの笑顔だった。

 ルーミアは、瑠空の心の崩壊に巻き込まれて心を壊してしまったはずだ。そうなっているならば、ここに来る事は出来ないはず。

 でも、そのルーミアがここにいて、尚且つ笑ってくれたという事は……。


「ルーミア……なんだね……!!」

 

 懐夢はルーミアに駆け寄り、大きな声を出して謝った。


「ごめんなさい!!!」


 懐夢はルーミアの目の前で土下座し、続けた。


「僕、君のリボンにあんな秘密が隠されてるなんて知らないで、君のリボンを取っちゃった……ルーミア、酷い思いしたでしょ……僕のせいで」


 懐夢が言いかけたその時、ルーミアが割り込むように言った。


「顔上げて懐夢」


 懐夢はきょとんとして顔を上げた。

 ルーミアは微笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「私ね、懐夢にお礼を言いたくて来たんだ」


 懐夢は「え?」と言った。

 ルーミアは話し始めた。

 

「リボンが外された時、私の中に瑠空っていう女の子の記憶が流れ込んできたんだ。

 その時、私は知ったよ。この身体はもともとこの瑠空っていう女の子のもので、私はそれに取り憑いた妖怪だったって。今はこうしてリボンしてるから、もう瑠空の人格は出て来ないけど……それを知った時はショックだったよ。自分の身体は人から奪い取ったものだったって、思っても見なかったから……」

 ルーミアは俯いた。

 しかし、すぐに顔を上げた。

 

「でもね、瑠空の記憶が流れてくる中で、瑠空のお父さんとお母さんを私が食べたって知った瑠空の気持ちが見えてきたの。すぐそこにいた大好きな人が、私が食べちゃったせいでいなくなっちゃってる。

 すごく悲しくて、すごく虚しくて、すごく怖い。そんな気持ちが見えたんだ」


 ルーミアは懐夢と目を合わせた。


「その時、二個分かったんだ。一個は、私は今まで何気なく人を食べてきたけど、私にその人が食べられる事によってその人が食べられた事に対してこんな気持ちになる人がいたんだって。

 もう一つは、私がやってた事は人にこんな酷い思いをさせるとても悪い事だったんだって。

 それでね、決めたの」


 ルーミアは言い留まった。

 懐夢が首を傾げると、ルーミアは口を開いた。


「私、もう人食べるのやめる」


 懐夢は驚いた。


「人食べるのやめるって……いいの?ルーミアは人を食べて生きる妖怪じゃ……」


 ルーミアは頷く。


「リグルやミスティアだって妖怪だけど人食べてないし、それで生きれてるもん。

 それに、チルノ達が教えてくれたんだ。人よりも美味しい物がこの幻想郷には沢山あるって。

 これからはそういうものを食べて私は生きてく。もう人を食べるのはやめるんだ。

 もう色んな人にあんな酷い思いをさせたくないもん」


 ルーミアはニッと笑った。


「これ、懐夢がリボンを外して瑠空の記憶を見せてくれなきゃ、わかんなかったんだよ?」


 ルーミアの笑顔を見ても、懐夢は安心できず、俯いた。


「でも、僕慧音先生の言いつけ破っちゃったから……先生僕が悪いって……」


 ルーミアは割り込むように言った。


「それなら、私が言うよ」


 懐夢は顔を上げた。


「懐夢は悪くない。懐夢は私に先生でも教えてくれない大事な事を教えてくれたって」


 ルーミアはにっこりと笑った。


「そう言えば、慧音先生もわかってくれるよ」


 そう言われて、懐夢はまた心から胸から喉へ突き上げてくるものを感じた。 

 そしてそれがまた瞳に達すると、涙が出てきた。


「ルー……ミアぁ……」

 

 ルーミアはそれを見て吃驚した。


「え、どうしたの懐夢?」


 懐夢は俯いた。


「僕……君にあんなことしちゃって……酷い思いさせちゃった……」


 懐夢は顔を上げた。


「……そんな僕と……まだ……友達でいてくれる……?」


 ルーミアはにっこりと笑んで、頷いた。

 それを見た途端、どっと涙が溢れ出してきて、思わず懐夢はルーミアに抱き付いた。


「ありがと……ルーミア……ありがとぉぉ……!!」


 懐夢は大きな声を出して泣いた。

 ルーミアは泣く懐夢に言った。


「懐夢こそ、私と友達でいてくれるの?私、瑠空の身体を奪って生きてる狡い妖怪なんだよ?」


 懐夢は首を横に振った。


「関係ない!僕の友達のルーミアは、今ここにいるルーミアだけだから!」


 ルーミアは懐夢の背に手を回した。


「ありがと。心配だったんだ、それ。

 ……ずっと友達でいようね懐夢」


 懐夢は頷いた。

 その時ルーミアが、手を動かした。


「だから」


 そしてその手が懐夢の脇に辿り着くと、


「またこうやってこちょこちょするのだ!!」


 そう言って懐夢の脇をくすぐり始めた。

 懐夢はたまらず泣くのをやめて、笑い声が出ないように口を押えた。


「ちょ、ふいうち、ひ、ひょう、だぁ、ぼぉ!!」


 ルーミアは容赦なく懐夢の脇をくすぐった。


「こちょこちょこちょこちょこちょ!!」


「だめ、るみあ、れいむが、おき、あはっ、あはははははははははははははぁっ!!」


 懐夢は口から手を離し、大笑いして床を転げまわった。


 

 その中、霊夢はというと、懐夢とルーミアの話をずっと聞いていた。

 というのも、懐夢が心配で全然寝付けず、どうしようかと考えていたところだったのだが、懐夢とルーミアの話を聞いて、ようやく安心できた。

 ……懐夢は悪くないと言えるようになった。

 それもこれも、あのルーミアのプラス思考のおかげだが。

 

「……いい友達に会えたわね。懐夢」


 霊夢は身体を起こし、障子越しで二人を見ながら微笑んだ。


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