第百三十九話
霊夢達は天志廼跡の上空に浮かぶ博麗神宮の更に上空へと辿り着いた。博麗神宮は天志廼が浮かび上がったかのような風貌で、民家から何かしらの施設、宮殿か神宮のようなものまで確認できるほどに広く、大きかった。これが式神の術によって出現したというのだから、尚更驚きだった。
霊夢は藍を打ち倒した鎧の巨人の式神を思い出した。
「あの藍と戦った式神で最大だと思っていたけれど、まさかこんなに大きな空中都市すらも式神だなんて……信じられないわ」
紫が答える。
「あの子の力は天照大神のそれとほとんど同じ……やろうと思えばどんな事だってあの子はやってしまえる」
魔理沙がごくりと息を呑む。
「そんなものを相手にしてたのか、というか、今からまた相手にするのか私達は。何だか勝てるかどうか不安になってきた」
妖夢がそれに答える。
「そもそもこの戦いそのものが大きな賭けみたいなものだ。勝てるかどうかは私達次第であり、どうなるかなど定かではない。だからこそ、私達は霊華に全力を持って立ち向かわなきゃいけないはずだ」
アリスが神器を持つ者達に言う。
「しっかりしてよ神器組。貴方達がいなければ、霊華にダメージを与えられないんだから」
神器を持つ者達こと、神器組はぎこちなく頷いた。続けて、懐夢が言う。
「さぁ行こうみんな! 博麗神宮の中に!」
懐夢の言葉に神器組、そしてその他の一同が頷き、霊夢が叫ぶように号令した。
「みんな、博麗神宮の中に飛び込むわよ! 狙いは……博麗霊華!!」
霊夢の号令を受けた一同達は夜空を駆ける流星群の如く、博麗神宮の中へと飛び込んだ。そして、博麗神宮の中にある、街の広場のようなところに着地したのと同時に、周囲から不気味な鈴の音が鳴り始め、博麗神宮内に響き渡った。何事かと一同が周囲を見回した瞬間、空から甲冑のような白い鎧を着た沢山の龍人が下降してきた。
まるで八俣遠呂智の封印の場を守っていた龍式神が小さくなったような龍人の姿に、霊夢は身構えた。直後に、託された八咫鏡が霊夢の背中に現れる。
「あれは、龍人……!?」
紫が身構える。
「気を付けて。霊華の式神だわ!」
魔理沙がへっと笑む。
「やっぱ、そう簡単には通してくれないよな」
霊夢が一同に号令する。
「みんな、戦闘開始! 霊華への道を切り開くのよ!!」
霊夢の号令が一同の耳に届いた直後、一同はばらばらになって空へ飛び上がり、襲い来る小型龍式神を迎撃し始めた。剣、槍、斧、戟、大剣といった様々な武器を装備した小型龍式神達は一同の放つ弾幕の中に飛び込み、飛んできた光弾と熱弾に当てられて次々と落ちて行く。
小型龍式神はそれでも数多く出現するが、一同はそれを片っ端から落としていく。その様子は、苦戦を強いられた喰荊樹より現れる<黒獣>との戦いの比にならないほど優勢で、余裕に満ちていた。
その光景に、霊夢が驚きの声を上げる。
「ど、どういう事なの。みんながこんなに強いなんて……」
文が言う。
「この戦いは幻想郷の未来が懸かっているんです。そりゃみなさん死ぬ気で戦いますよ!」
文が暴風を発生させると、文に襲い掛かった小型龍式神達が切り裂かれ、地面へ落ちて行った。周囲を見渡せば、やはり皆小型龍式神の群れを押し返している。このままいけば、全員で霊華の元に辿り着いて、全員で霊華と戦う事が出来るかもしれない。そうなれば、霊華を倒すのもそんなに難しい事ではなくなる。
「みんな、もっともっと戦って! 寄ってくる式神達を、全部残らず倒すのよ!!」
霊夢の号令を受けた一同は、放つ弾幕の出力を上昇させた。まるで博麗神宮全体を呑み込もうとしているかのような光弾と熱弾の嵐に、小型龍式神達は成す術なく倒され、落ちて行く。最初は数えきれないくらいにいた小型龍式神はその数を徐々に減らし、戦闘を開始してから十分も経たない内に龍式神の群れは数えられるくらいにまで減少。そして、一同の止まない猛攻によって、最後の小型龍式神が倒れた。
撃破数、無数。被弾者数、ゼロ。これまでの戦いからは考えられないような目覚ましい戦果に、霊夢は思わず息を呑んだ。
「こんなに早く終わってしまうなんて……」
魔理沙が拳を前に突き出す。
「どうだ式神ども! これが私達の力だぜ!!」
しんと静まり返った博麗神宮に、魔理沙の声が響いた直後、地面が地鳴りを立てながらぐらぐらと揺れ始めた事に一同は気付いた。揺れる地面に足を取られそうになって、懐夢が言う。
「じ、地震!?」
懐夢の隣にいるリグルが言う。
「ここは空中都市だよ!? 地震なんて、あるわけない!」
その時、霊夢は揺れる地面に目を向けて気付いた。よく見てみると、地面に大きな亀裂が走っている。いや、大きいどころではない、巨大だ!
「みんな、空に逃げて!」
霊夢の声を受けて、一同が飛び上がった直後、地面を砕きながら、地中から巨大な何かが姿を現し、聳え立った。飛び来る地面の欠片から逃げるべく少し離れて、改めてそれに目を向けたところで、一同は唖然としてしまった。地面を突き破り、破片を撒き散らしながら現れたのは、鎧を着込み、巨剣をその手に携え、白と赤い光で出来た女性の巨人だった。それはまさに、<九尾>の姿に戻った藍を打ち倒した、霊華の中で最強の式神の姿そのもの。
その姿に霊夢が悲鳴のような声を上げる。
「あれは……最強の式神!!」
魔理沙が驚きながら言う。
「なんだよこれ……これが、霊夢の言ってた霊華の最強式神なのか!?」
既に龍人式神を見た事のあるレミリアが歯を食い縛る。
「これを出してきたって事は……これで術の時間稼ぎをしようって考えてるのね」
同じく、既に龍人式神の戦う様を見ているパチュリーが呟く。
「確かに……これを相手にするとなると、かなりの時間がかかるかもしれないわ……今までの式神達はこれの前哨戦だったのかもしれないわね」
咲夜がナイフを構えつつ呟く。
「というよりも、先程の式神との戦いで、相手は私達を潰すつもりでいたんじゃないでしょうか。でもそれが破られてしまったから急遽これが現れる事になってしまったような……そんな気がします」
霊夢は頷いた。恐らく、この龍人式神は、先程の龍式神との戦いで疲弊した者達を絶望させたのちに抹殺するために用意されたものなのだろう。先程の龍式神の軍勢は軽々と撃破する事が出来たが、流石に<九尾>となった藍を軽々と倒して見せたこの巨人を倒すのは並大抵の事ではないだろう。
こんな巨人と戦っていたら、時間稼ぎをされて霊華が術を完成させてしまい、幻想郷は終わってしまう。早急に倒したいところだが、多分それは難しいだろう……。
そう思ったその時、紫が一同に向かって叫んだ。
「慧音、妹紅、幽々子、文、アリス、紗琉雫、レミリア、咲夜、映姫、小町、集まって! このメンバーで、霊華の元へ向かうわ!」
紫の声に反応して、指定した者達が霊夢達神器組の周囲に集まる。
その中の一人である慧音が紫に言った。
「この十六人で行くというのか、霊華の元に!?」
霊夢は紫に目を向けた。確かにこのまま式神と戦っていたら霊華の術が完遂されてしまう。そうなる前に霊華の元へ辿り着くには、この式神を大勢に任せて、少数でもいいから突入する他ない。他の皆には式神をなるべく早く倒してもらって、あとから追いついてもらう。そういう作戦を立てているのだろう、紫は。
「紫の言う通りだわ。今は霊華の術を防ぐのが第一……こんなところで時間稼ぎに遭っている場合ではないわ。でも、こいつを放置していけば、きっと霊華のところにこいつが来て、霊華とこいつの二人を相手にする事になる。そうなったら多分神器を持ったとしても勝ち目が薄いわ」
紫の声で集まった者達が霊夢に目を向ける。
霊夢は散らばっている者達へ声をかけた。
「ごめんみんな、私達はいかなきゃなんない! ここはみんなに任せたいところなんだけど、どうかしら!」
それまで龍人式神を見つめているだけだった一同は、いきなり龍人式神へと立ち向かい、弾幕による攻撃を開始した。それを見て、皆が頼みに応じてくれた事を悟り、霊夢は得意気に笑った。
「みんな、言う前に引き受けてくれるのね」
懐夢が霊夢に声をかける。
「お姉ちゃん、行こう! 霊華さんのところに!」
霊夢は弟に頷き、博麗神宮の最奥部にある神殿らしき建物に目を向けた。あそこに、霊華がいるに違いない。霊華の元に辿り着くのは、今しかない。
「皆、行きましょう!!」
空気の壁を蹴るようにして一同は急加速し、博麗神宮の内部を飛び抜け、更に立ち塞がる龍人式神を避けて街を抜け、貴族街のような豪勢な建物の間を抜け、瞬く間に博麗神宮の最奥部である神殿のような建物の前に辿り着いた。そこで霊夢は振り向き、紫の指定したメンバーと神器組がちゃんと付いてきているかどうかを確認した。一人も欠けていなかったが、遠方で激しい戦いを繰り広げている龍人式神と、散らばりつつ、龍人式神を倒すべく攻撃を続ける一同の姿が見える。
あの龍人式神は最強の式神だ。一同の中でも指折りの強さを持つ者達が、霊華を倒すためのメンバーとしてここに来ているため、あそこで最強の式神と交戦しているのはそこそこ力のある者達と、あまり力がない者達だ。ひょっとしたら、十数分後に彼女達はあの式神にやられて、一人残らず死んでいるかもしれない。
だが、あの式神は霊華の神力によって生み出されて、同じく霊華の神力で動いているに違いない。もし発生源である霊華に何かがあれば、あの式神だって不調を来すはずだ。この先にいる霊華を倒すのは幻想郷を救うのと同時に、式神と戦う皆を助ける事にもなる。そのためには一刻も早く霊華の元に辿り着かなければならない。
霊夢は振り向き直し、神殿の奥の方へ目を向けた。神宮の名に等しい、神聖な雰囲気と共に霊華の持つ強力な神力を感じる。間違いなくこの先に霊華はいる。
勝てるかどうかはわからない。だけど今は大賢者達が……霊華の父親が託してくれた神器の力を信じて飛びこむしかない。そして、勝つだけだ。
「いくわよ、みんな!!」
霊夢の周囲に集まる、霊華を倒して平和な幻想郷を取り戻す事を胸に誓った者達は一斉に「おおー!!」という声を上げた。安心感を与えてくれる声を耳から入れて、そのまま胸へと流し込み、霊夢は博麗神宮の最奥部である博麗神宮の本殿の中を駆けた。
本殿の内部はまるで命蓮寺を更に巨大化、豪華にしたような風貌で、やはりというべきなのか、沢山の式神達が待ち構えていた。霊夢達は弾幕や斬撃と言った様々な種類の攻撃を放ち、博麗神宮に入り込んだ時のように式神達をなぎ倒すようにして撃破し、突き進んだ。そこで、霊夢達は術の出力がいつもよりも桁違いと言えるくらいに大きくなっている事に気付き、その内の既に神器を使って戦った事のある霊夢は、神器が力を与えてくれている事を悟った。
式神など恐れるに足りない――目指すは霊華だけだ。そう霊夢が言い放つと、一同は更に出力を上げて道を塞ぐ式神達に攻撃を放った。一同の攻撃を受けた式神達は文字通り紙切れのように吹き飛ばされて消え、霊夢達に道を開いた。
霊夢達は本殿の中を突き進み続けて、やがて気が付いた。霊華の持つあの神力を感じる。その濃度が、進む毎に強くなっている。――この先に霊華はいる! そんな直感を胸に、一同は迫り来る式神達を吹き飛ばしながら突き進み、やがて外へ出るための出口のようなものを見つけ、そこへ飛び込んだ。
辿り着いた先は、博麗神社の境内のような広い場所だった。穏やかな風が吹き、辺りには沢山の桜の木が立ち並び、美しく花を咲かせている。そして、博麗神宮の外ならば、神社があるべきところに、巨大な桜の神木が聳え立っていた。その神木の前に、『それ』は正座をし、静かに佇んでいた。
「霊華!」
霊華はぴくりと反応を示し、振り向いた。その赤茶色の瞳で、同じ瞳の色の霊夢と、その周りにいる仲間達を見つめた。
「……やはり来たか、お前達は」
一同は霊華に近付いた。霊華は立ち上がり、身体を一同の方へ向ける。
「その様子だと、私を止めに来たと考えるのが自然であろうな」
霊夢が頷く。
「全く持ってその通りよ霊華」
魔理沙が箒の先端を霊華に向ける。
「お前の『おかあさん』から聞いたぜ。お前はこれから、浄化の術を幻想郷全体に放って、幻想郷から妖怪を絶滅させるってな」
霊華は頷き、目の前にある桜の神木に目を向けた。
「そのとおりだ。この桜を見るがいい」
一同の注目が神木に集まる。
見事に咲き乱れる桜の花を目にして、幽々子が呟いた。
「まるで西行妖みたいに巨大な桜ね」
早苗が目を丸くする。
「何でしょう……とても綺麗な桜です」
霊華が答えるように言う。
「これが浄化の術を幻想郷に行き渡らせる神木だ。私が術を練り、この神木へ送れば、たちまちこの世界から妖怪は消え去る。人と、神の世界が完成するのだ」
妖夢が首を横に振る。
「そんな事はありません。貴方が妖怪と妖力を浄化してしまえば、幻想郷はたちまち崩壊してしまいます。この幻想郷を覆う博麗大結界もまた妖力で出来ています……妖力を失えば、博麗大結界は維持できなくなり、幻想郷は崩壊するんですよ」
霊華は一同へ目を向け直す。
「お前達はそこにいる妖怪から聞かなかったのか。誰がこの幻想郷を、博麗大結界というものを設立したのかを」
霊夢は霊華を睨みつけた。
「……あんた、だそうね。この幻想郷を作ったのも、博麗大結界を生んだのも」
映姫が呟くように言う。
「その口振りと情報から察するに、今ある幻想郷を壊して、すぐに立ち直らせるのが可能のようですね。幻想郷の創立者である貴方ならば」
霊華が頷く。
「可能だとも。この幻想郷は私が生み出した世界……その在り方を変える事だって、私ならばできる」
紗琉雫が腕組みをする。
「今いる妖怪達を全部殺す事もか。ここは外の世界から追い出された妖怪達が辿り着く最後の地なんだぞ」
懐夢が霊夢の隣に並んで、霊華に声をかけた。
「霊華さん、教えてください。霊華さんはどうしてここまでして妖怪を滅ぼそうとしているんですか」
霊華は懐夢へ目を向けた。更に霊夢が声をかける。
「そうよ。あんたはなんでそこまでして妖怪を滅ぼそうとしているのよ。過剰報復も甚だしいわ」
霊華は霊夢に言い返した。
「お前達は、私の事をそこの妖怪から何も聞いていないのか」
早苗が首を横に振った。
「いいえ、聞かせていただきました。貴方がここにいる紫さんの事実上の娘であり、妖怪に家族を奪われてそのような事を計画するようになってしまったのだと」
「ならば、その問いかけは意味のない事だろう」
霊夢は首を横に振った。
「いいえ、意味のある事だわ、霊華」
懐夢が続ける。
「貴方はかつて、幻想郷を人間、神、妖怪が一緒に暮らしていける世界にする事を目的にしていました。でも、途中で貴方は妖怪を滅ぼしてしまおうと考えるようになりました」
魔理沙が腕組みをする。
「その切っ掛けを作ったのは間違いなく妖怪だ。妖怪がお前の家族を殺したせいで、お前は狂った」
霊華は首を横に振った。
「私は狂ってなどいないよ。私は本当にやるべき事を見つけただけなのだ。博麗一族の末裔として妖怪と戦い、この世から妖怪を滅ぼし、この世界を人間と神の暮らす、穏やかで平和な世界にするという、本当にやるべき事を」
妖夢が言う。
「じゃあ、妖怪はどうなるんですか。ここに住む妖怪達は、外の世界から忘れ去られた事によりここに来ているんです。ここ以外の場所ではもう生きて行く事が出来ないから」
霊華は目を細める。
「妖怪はそのまま滅べばよいのだ。どうせ、人間と神を苦しめるだけの存在でしかない。そのような存在を生かしておいて何の意味があるというのだ。
それに、妖怪に苦しめられたのは私だけではなく、当時の人間や神達の全てだ。人間と神が慎ましく暮らしていける世界を渇望していた彼らのためにも、私はこの幻想郷を滅ぼし、作り変える」
懐夢が首を横に振る。
「そんな事はありません!」
霊華の目が懐夢へ向く。懐夢は続ける。
「ぼくは……ぼくのおかあさんは人間ですけれど、おとうさんは妖怪でした。だからぼくは人間と妖怪の間に生まれた半妖です。
でも、おかあさんとおとうさんはお互いを大事に思っていましたし、お互いが大好きでした」
レミリアが腕組みをした。
「人間と神、妖怪は貴方が言うようないがみ合う関係じゃないのよ。こうやって、愛し合って子どもを作る事さえある」
咲夜が霊華に言う。
「ひょっとしたら貴方は、目を逸らしていたんじゃないかしら。人間と神の中にも、妖怪と共に暮らしていきたいと考えている人間達がいた事を」
妹紅が腰に手を当てる。
「妖怪に家族を奪われた……うん、酷い話だ。さぞかし苦しかっただろう。お前は本当に苦しんだと思うよ。だけどさ、お前の言い分を聞く限りじゃ、お前はお前が受けた痛みを、世界の痛みとごちゃ混ぜにしているようにしか聞こえないよ」
霊華が妹紅を睨みつける。
「私が公私を取り違えているとでもいうのか」
慧音が頷く。
「そうだ。それに、お前はお前自身からも目を逸らしていたんだよ。かつて、人間と神と妖怪が一緒に暮らせる世界の実現を志していた自分自身からな」
小町が呆れたような仕草をする。
「あんたはさ、この幻想郷の創立者でありながら、この幻想郷の事を何も見てないんだ」
霊華が首をわずかに傾げる。
「何が言いたい」
文が言う。
「この世界は、かつて貴方が望んだ形になっているんです」
霊華が目を細める。
「なに……?」
霊夢が頷く。
「今、この世界は人間、神、妖怪、妖精、悪魔、様々な種族が入り混じり、共に手を取り合って生きている世界よ。かつての貴方が実現させようとした世界と、同じなの」
早苗が胸に手を当てる。
「そして、実に多くの種族の人々が幸せに暮らしています。たまに異変とか騒動とかはありますが、それに負けないくらいに、この幻想郷は笑顔で満ち溢れています」
紗琉雫が両手を腰に添える。
「もしここでお前が妖怪を消し去ったりしたら、残された種族達は悲しむし、絶望する。早苗の言う笑顔と幸せなんてものは、永遠に消し去られる事だろうな」
映姫が続く。
「貴方が人間と神が暮らせる世界を作り上げて、そこに生き残った人達を放り投げたとしても、その人達はきっと幸せに生きて行く事は出来ないでしょう。寧ろ世界の変化に付いていけず、滅びてしまうだけです」
霊華がフッと鼻を鳴らす。
「そんなものは後から手に入れればいいだけだ。人々は神と暮らす事により、必ず幸せと笑顔を手に入れる」
懐夢がばっと霊華を指差した。
「それは霊華さんにも言える事です」
霊華は驚いたような顔をした。
「なに?」
霊夢も同じように霊華を指差した。
「霊華、あんたもよ。あんたも、今の幻想郷で暮らせば、幸せと笑顔を得られるかもしれないわ」
懐夢が腕を下げる。
「ぼくは貴方と同じように、かつてあった幸せと笑顔を失いました。けれど、ぼくはみんなと……幻想郷の皆と出会って、新しい幸せと笑顔を得ました。
貴方は確かに妖怪によってすべてを失ったかもれません。でも、妖怪に復讐するんじゃなくて、そこからまた新しく始められます」
霊夢が同じように腕を下げる。
「あんたなら出来るわ、霊華。だってここに、あんたの「おかあさん」がいるんだから」
そして、懐夢が言い放った。
「もう、こんな事はやめてください、霊華さん! 妖怪への復讐は、考え直してください!!」
懐夢の声が周囲に木霊し、この場に集まる全ての者の耳に入り込んだ。
重さのわからない沈黙が辺りを覆ったが、やがて霊華の声が破った。その声は、他でもない、笑い声だった。
いきなり上を向いて笑い出した霊華に一同は思わず驚き、恐々とした。一体どうしたのだ、何に笑っているのだ。何がそんなに可笑しいのだ。
そう、一同が胸に抱いた直後に、霊華は顔を下げて一同の方へ目を向けた。
「そんな事を言い出すとは思ってもみなかったぞ。私に、妖怪と共にこの世界で生きろと?」
霊華の顔から笑みが消えた。
「……ふざけているのか。私の使命は妖怪を滅する事だ。その妖怪達と共にこの世界で生きろなど、笑止だ」
霊夢は歯を食い縛った。
「なんだかいう事を聞かない時の懐夢みたいな石頭ね」
懐夢も同じように歯を食い縛る。
「なんで……なんでそこまで!」
霊華は胸に手を当てた。
「私の家族が妖怪によって死した時に、私の運命と使命は決したのだ。私の使命は、妖怪を滅ぼし、この世界を人間と神だけが暮らす安寧の地にすると。
その私がお前達の住む世界で暮らすなど、あり得ないし、そこで幸福など絶対に見つける事は出来ない」
早苗が悲しそうな表情を浮かべる。
「そんな……どうしてそこまで……」
紗琉雫が歯ぎしりをする。
「じゃあ、お前が作った人間と神の世界なら、お前は幸せになれるのか!? 幸福なのか!?」
そこで、霊華の言葉が止まった。紗琉雫は更に噛み付きかかる。
「おい、どうして黙るんだよ! お前の作った世界なら、お前は幸せなんじゃないのか」
霊華は沈黙を続けた。その時に、紫が何かに気付いたような顔になった。
「……そういう事なのね、霊華」
霊夢が紫に目を向ける。
「どうしたの。何がわかったのよ」
紫はとても悲しい表情を顔に浮かべ、呟くように言った。
「あの子の作る世界に……あの子の姿はないの」
「霊華の作った世界に、霊華の姿がないって……」
「あの子はやれる事をやれるだけやって、それで終わるつもりなのよ……自分が作った世界に自分自身の幸せを見出せないくらいに、あの子は絶望してしまっている……」
魔理沙が冷や汗を掻く。
「そ、そんな事って……!!」
懐夢は、苛立った時にする癖――歯ぎしりをした。
なんという事だろう。あれだけ人と神の世界を作りたがっていたのだから、きっとその世界の霊華は幸せなんだろうなと思っていたのに、その世界を作るだけ作って自分は死ぬ気でいるなんて。
霊華は自分と同じように全てを失った。でも、そこで霊華は壊れてしまったのだ。全てを失ってしまった事に絶望しきって、どんな事にも幸せを感じる事が出来なくなった。その結果が、これだ。
霊華は、難しい言葉で言えば自暴自棄の渦中にあるのだ。人間と神の世界を作るという大義名分を掲げてはいるけれど、それも自暴自棄。自分の全てを奪い尽くした妖怪を滅ぼした後に自分も死ぬという自暴自棄。何という暴挙だ。
派手に壊れてしまった物はもう直せない。霊華はきっとそれだ。あそこまで壊れてしまっていては、もう直せないのだ。どうしてあそこまで――。
そう考えた時に、連鎖反応するかの如く懐夢の頭の中で何かが光った。それは博麗神社で一緒に暮らしていた、記憶を失っていた時の霊華だった。
自分の目による意見でしかないけれどあの時の霊華は幸せそうだった。とても優しくて、暖かくて、まるでおかあさんのようだった。慧音はあの霊華こそが本当の霊華なのだといっていたが、ひょっとしたら、本当は逆なのかもしれない。
霊華は記憶を取り戻した後も自分達の事を忘れていなかった。多分、自分達と一緒に暮らしていた、あの優しくて暖かい霊華を見ているはずだ。その霊華は、あの絶望した霊華の中にまだあるはず。そして
霊華はあれこそが本当の自分の姿であるという事を自覚しているはずだ。それを、自分の中に押し込んで、必死に見ないようにして、否定しているのかもしれない。
あの絶望して自暴自棄に走る霊華の中にいる、どんな種族にも優しくて、暖かい、お日様のような霊華。それを認めさせてやれば霊華は考えを改めて、あの時の霊華に戻ってくれるかもしれない。もう、妖怪に復讐するという自暴自棄をやめてくれるかもしれない。
懐夢は頭の中に溢れる考えを一つにまとめ、これからやるべき事を胸に抱くと、隣で恐々としている姉に声をかけた。
「お姉ちゃん」
霊夢は弟に目を向けた。
「なに、懐夢」
懐夢は霊華を見つめながら静かに言った。
「霊華さんは、ぼくみたいに頑固で石頭な人だ。多分何を言っても、もう聞かないかもしれない。だけど、あの霊華さんの中に、ぼく達と一緒に暮らした霊華さんはいるよ」
霊夢は目を丸くする。
「どういう事」
「霊華さんは、ぼく達と、妖怪達と楽しく過ごした。それをきっと今でも覚えてる。あの時の霊華さんはすごく幸せそうだったのは、お姉ちゃんも知ってるでしょう」
「うん。あの時の霊華は、とても幸せそうだったわ」
「あの時の霊華さんが、本当の霊華さんだよ。今、霊華さんはそれを必死になって否定してる」
懐夢は霊夢に顔を向けた。
「……こうなっちゃうのは悲しいけれど、戦って、ぶつかって、あの時の霊華さんを思い出させてあげて、今の霊華さんに認めさせよう。そうすれば霊華さんもきっと、考えを改めてくれるはずだよ」
霊夢は驚いたように目を見開いたが、すぐに戻して、微笑んだ。
「……まったく、貴方らしい考え方ね。でも、霊華が私達を覚えてるって事は、私達との生活の記憶も覚えてるって事よね。その作戦は、試してみる価値はあるわ。というか、それ以外方法はなさそうね」
霊夢は一同に声をかけた。
「みんな、やるわよ。もう、是非も無いわ」
魔理沙が頷く。
「そうだな。あの石頭は打ちのめされるまで止まりそうにないや」
早苗が言う。
「やりましょう皆さん。霊華さんを、初代博麗の巫女を止めましょう!」
一同は頷き、霊華の方を向いて身構えた。
その話を聞いていた霊華が腕組みをする。
「あの時私に勝てなかった貴様らに何が出来るというのだ。また私にやられたいのか?」
その直後に、霊夢は感じ取った。霊華の神力が少し強くなった。――目には見えていないけれど、障壁が出現したのだ。
「私達が何の策もなしに来たとでも思ってんの」
そう言いかえした直後に、霊夢は神器を持つ者、神器組に言い放った。
「みんな、霊華に神力をぶつけて!!!」
指示を承った神器組はその手に神器を持ち、構えて意識を集中し始めた。同時に霊夢も同じように八咫鏡に意識を集中させる。
直後、八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣、天羽々斬とその欠片は強い光を宿し、目の前にそれぞれ、赤、青、金色、蒼の障壁のようなものが出現した。何事かと霊華を含んだ一同が目を向けると、障壁は突然霊華の元へと飛び、やがて霊華の目の前で衝突するような音を立てて停止した。その時に初めて、霊華の身体を覆っていた障壁がその姿を一同の目に曝け出した。障壁の形は、どこか霊夢の使う結界のそれとよく似ていた。
「な、なんだこれはッ……」
霊華が言った直後、霊華側の障壁に亀裂が走った。そこで神器組がさらに意識を高めると、神器の障壁は突き進む力を強め、とうとう霊華の障壁を貫いた。霊華を守っていた妖力を遮断する障壁はガラスの如く砕け散り、消え果て、霊華はその場に膝を付いた。
「結界が……き、貴様ら、何をした!?」
霊華の障壁を破る事に成功した事を確認した魔理沙が得意気に言った。
「お前の結界を破らせてもらったんだよ!」
霊夢は、再度身構えた。
「これであんたは無敵じゃないわ、霊華!!」
霊夢の声で、神器組以外の者達が身構えると、霊華は立ち上がった。
「なるほど……貴様らも貴様らで本気という事か……」
直後、霊華の手元に二本の剣が柄尻で合体したような武器が出現する。霊華はその絵を力強く握り、軽く振り回した後に身構えた。
「……是非も無い。来るがいい!!」
霊華の言葉が周囲に響き渡った瞬間に、最後の戦いの火蓋は落ち、今の幻想郷を守らんとする民達と災いの巫女の戦いが始まった。