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東方幻双夢  作者: クシャルト
完結編 第拾壱章 神女覚醒
132/151

第百三十話

 街と同じくらいの広さはあろう、喰荊樹の内部。懐夢は霊夢と二人きりだった。それは、懐夢が博麗神社にやって来た時から何度も、何度も体験してきた事だし、霊華がくるまでは、朝と夜は二人きりが普通だった。しかし、今の二人きりはいつもの二人きりじゃない。


 幻想郷の未来を決める戦いをするための二人きり。今初めて、懐夢は霊夢と戦う。今まで一緒に居てくれて、養ってくれた霊夢に剣を向けるし、スペルカードを撃ち込む。本当はそんな事をやりたくなんかないし、霊夢なんていう強大な力の持ち主とは戦いたくない。


 でも、滅びの意志なんてものに呑み込まれた霊夢は、何であろうと破壊し、殺す。今は自分が霊夢の目の前にいるため、滅びの意志の矛先は自分へ向けられている。このままなにもしないんじゃ、霊夢に殺されるだけだし、自分が殺されたら幻想郷のみんなが殺される。そんな事を霊夢にさせるわけにはいかない。


「行くよ、霊夢」


 そう言って、懐夢は早速スペルカードを発動させ、光槍を周囲に出現させた。


「霊符「夢想封槍」!!」


 懐夢の号令にも等しい叫びを聞き届けた光槍は槍先を霊夢へ向けて飛び立った。光槍はほぼ一瞬で霊夢に着弾するところまで飛んだが、霊夢は咄嗟に背中の荊を動かして光槍を弾き飛ばして見せた。あまりの反応速度に懐夢は息を呑んだが、同時に納得した。

 流石、霊夢だ。幻想郷最強の存在である、博麗の巫女だ。


「負けてられない!」


 懐夢は呟くと、地面を蹴り上げて空中に舞い上がった。同時に霊夢が空中へ飛翔したのを確認するや否、懐夢は空中を蹴って霊夢へ一気に接近し、天羽々斬を構えた。懐夢の接近を受けた霊夢は再度荊を蠢かせ、懐夢へ向けて伸ばした。


 黒くて先端が鋭利になっている荊を目視して、懐夢は咄嗟に天羽々斬を振るい、その刃を荊へ叩き付けた。かつて八俣遠呂智の身体を切り裂いたと伝えられる伝説の刃を受けて、荊は真っ二つに避けて地面へと落ち、霊夢は苦痛に顔を歪ませる。


 その隙を突くように、懐夢は更に加速して、荊の本体である霊夢に天羽々斬を振り下ろした――かと思いきや、がきぃんという鉄と鉄がぶつかり合ったような大きなを立てて、天羽々斬は霊夢に届く寸前のところで静止した。天羽々斬と霊夢の間に、霊夢の背中から生える荊が硬質化したものが、いつの間にか現れていて、懐夢は驚いたが、どこからか何かが蠢くような嫌な音が聞こえてきて、懐夢は音の方に目を向けた。


 切断されて短くなったはずの荊が、赤い液体を零しながら、ぐちゃぐちゃという音を立てて、切断されたところから伸びた。懐夢はごくりと息を呑んだが、すぐさま再生した荊が襲い掛かってきて、懐夢は霊夢との鍔迫り合いをやめて、霊夢から離れた。


 どうやらあの荊は触手のように縦横無尽に動けるだけではなく、硬質化して攻撃を防いだり、斬られたとしてもすぐに再生できるという戦闘能力に特化した特徴を持ち合わせているらしい。


(それに……)


 恐らくだが、荊は先程防御をするために硬質化したが、あれはきっと攻撃にも転用できる。先端を硬質化して動かせば、槍や剣のような攻撃も可能となるはず。そんなもので攻撃されたら、ひとたまりもない。何とか攻撃を受けずに霊夢を倒すしかないだろう。


(こんな事になるなんて)


 いつも一緒にいた霊夢。いつも一緒にご飯を食べたり、寝たり、掃除をしたりした霊夢。それが今、あんな荊を使って自分を殺そうとしてきているというのが、懐夢は悲しくて、怖くて仕方がなかった。でも、あんなふうに酷い姿になって暴れ回り、色んな物を壊して、色んな人を殺したりする事を、霊夢が望んでいるわけがない。霊夢だってきっと苦しいはずだ。


(早く、元に戻さないと!)


 懐夢は天羽々斬をもう一度握り直してから再度スペルカードを取り出し、発動させた。


「神霊「夢想封連槍」!!」


 懐夢の宣言の刹那、懐夢の目の前に二十ほど光槍が出現し、最初に具現した槍がすぐさま霊夢の元へと飛び立ち、その槍を筆頭に、二十本全ての光槍が霊夢の元へ連続で飛んだ。そして、最初に飛び立った槍が霊夢へ突き刺さろうとしたその時、霊夢は咄嗟にカードを構えて、叫んだ。


[夢符「二重結界」!!]


 霊夢が宣言すると、霊夢の目の前に複雑な模様を浮かばせる二重の光の壁が出現し、懐夢の放った光槍は吸い込まれるようにして光の壁に突き刺さり、止まった。


 懐夢は唾を呑み込んだ。今のは自分も使う事の出来るスペルカード、「夢符「二重結界」」。あの姿になったから、霊夢はスペルカードを使えないのではないかと思っていたが、そんな事はなかった。霊夢はあんななりでもスペルカードを使う事が出来るらしい。


「スペルカードも使えるなんて……」


 思わず呟いた直後、霊夢は再度手にスペルカードを持ち、光に変えて手に吸収させ、叫んだ。


[霊符「夢想封印」!!]


 霊夢の高らかな宣言の直後、霊夢の掌に七色の輝きを放つ巨大な光の珠が出現。かと思いきや光の珠は霊夢の手から離れて、懐夢に向けて飛翔し、懐夢は驚いてその場から離れたが、光の珠は逃げた懐夢を追尾した。


 懐夢はこの攻撃の特徴を熟知していた。「霊符「夢想封印」」……霊夢達博麗の巫女が最も得意としている、強力な調伏の力を含んだ光の珠を発射する術だ。しかも光の珠は博麗の巫女が敵と見なした対象を追尾する特徴を持ち合わせており、避けようと思って動き回っても追い掛け回される。


 執拗に追尾されるのなら、地面や壁に当てて回避する方法もあるが、光の珠は何かに接触すると炸裂し、調伏の力の爆発を引き起こす性質も持っている。だから壁や地面に当てて回避したとしても、爆発に巻き込まれて結局ダメージを追う羽目になってしまう。

 この攻撃を完全に回避するには、術によって防御するほかない。


 懐夢は咄嗟に思考を巡らせると、空中で一時停止し、スペルカードを発動させた。


「夢符「二重結界」!!」


 懐夢の宣言の直後、懐夢の光の珠の間に、霊夢が使ったものと同じ二重の光の壁が出現、光の珠は壁に衝突して炸裂し、光の爆発を引き起こした。光の壁は衝突と爆発といった全てを防ぎ切り、懐夢に一切の傷を負わせなかったが、光の珠の爆発を受けて砕け、瞬く間に消え果てしまった。


 光の壁が消えた直後、懐夢は違和感を感じた。身体が、急に重くなった。

 これまで術を放ったりすると、疲れたりねむくなったりした事はあったが、今回は身体が重くなった。理由は読めないが、今はそんな事を気にしている場合ではない。


「神霊「夢想封槍」!!」


 懐夢の宣言の直後、懐夢の目の前にこれまでのものとは比較にならないほど巨大な光槍が出現し、すぐさま霊夢の元へと飛び立った。直後、霊夢もまた同じようにスペルカードを構えて、発動させた。


[神霊「夢想封印」!!]


 霊夢の宣言の直後、その手に先程よりも大きな光の珠が出現、懐夢の放った光槍に向けて飛翔した。懐夢の放った光槍と霊夢の放った光の珠。これらは二つはすぐさま衝突し合い、大爆発を引き起こして消滅した。しかし、その時に放たれた光を浴びて霊夢は目を隠し、視界を遮った。ようやく出来た隙らしい隙に、懐夢はこれ見逃しと言わんばかりに霊夢へ突撃、目を腕で隠している霊夢に、天羽々斬で斬りかかった。


 今まで防がれっぱなしだった天羽々斬による攻撃が霊夢に当たろうとしたその時、またもや鉄と鉄が衝突し合ったような音が鳴り、天羽々斬は霊夢の目の前で静止。霊夢と天羽々斬の間には、先程と同じ、硬化した荊が姿を現していた。


 しかし、懐夢は荊が霊夢と天羽々斬の間に食い込んでいる事を知るや否、にっと口角を上げて霊夢から離れ、上空に飛び上がった。懐夢の攻撃が止んでいる事に気付いて、再び目を開いたその時、霊夢は驚いたような顔になった。先程まで懐夢がいた場所の後方に、光槍が三本出現して、槍先を霊夢へと向けていたのだ。


 思わず驚いて、霊夢が回避行動に移ろうとしたその刹那に、光槍は霊夢に向かって飛翔。結界の展開も、荊の操作も間に合わず、とうとう、霊夢の身体に懐夢の放った光槍が三本、突き刺さった。

 ようやく手ごたえが来た事に懐夢ははっとして、霊夢の方に目を向けた。霊夢の身体にはしっかりと、光槍が突き刺さっていた。しかし、霊夢は光槍が身体に刺さろうとも、身体から黒い鮮血を流そうとも倒れる事もなく平然としていた。

 どうやら、あまり効果がないらしい。


「まぁそのくらいで霊夢が倒れるなんて思ってはいなかったけれど」


 懐夢は天羽々斬に目を向けた。やはり自分の力だけでは無理だ。ここは、霊紗が自分のために託してくれた天羽々斬の力を使うしかない。霊夢も八俣遠呂智と戦っている時に、スペルカードを草薙剣に吸収させて、倍の威力にして放っていたのが見えていた。恐らく、同じ神器である天羽々斬も、あれと同じ事が出来るはずだ。


「天羽々斬……ぼくに力を貸して……!」


 懐夢は天羽々斬を力いっぱい握りしめると、再度急加速し、霊夢に斬りかかった。同時に霊夢も硬質化した荊で懐夢の攻撃を迎え撃つ。鉄と鉄がぶつかり合ったような音が何度も喰荊樹の中へ響き、荊と天羽々斬がぶつかり合う度に火花が散る。本来ならばありえない、霊夢と懐夢の戦い。二人が絶対に望む事のなかった戦い。

 しかし懐夢は、霊夢と戦うのが嫌ではないという気を徐々に感じてきた。力を手に入れたその時から、霊夢とは戦いたくないと思う半円、心のどこかで霊夢と一度でいいから戦ってみたいと思っていたのかもしれない。


 神剣天羽々斬と鋼鉄のように硬質化した荊がぶつかり合う際に生じる火花が頬に触れて、熱さと痛みが走るが懐夢はそんな事を気にしない。もう、霊夢と戦う事なんかない。霊夢と戦えるのはきっとこの時だけ。もうこれで終わりという感覚は、懐夢の背中を押し、霊夢との戦いの恐怖をすべて消し去らせて、その身体に更なる力を与える。それが神器を持っている事による作用なのか、力を得た事による自身なのか、懐夢は理解する事もなく、神器にスペルカードを吸わせて、光を宿させた。

 

「神霊「夢想封殺剣」!!」


 懐夢の高らかな宣言の直後、懐夢がスペルカードによって出現させる光槍と同質の巨剣が霊夢の上空に出現し、轟音を立てながら猛スピードで落ちた。しかし、霊夢は迫り来た巨剣を間一髪のところで回避し、上空へ飛び上がって懐夢へと追いつき、懐夢に向けて荊を振るった。


 咄嗟に迫ってきた棘だらけの黒い蔓にびくりと反応を示し、懐夢は天羽々斬を前方へ立てて、防御姿勢に入った。普通ではありえないほどの太さの荊による攻撃を、懐夢は天羽々斬で防いだが、衝撃までを防ぐ事は出来ず、大きく後方へ弾き飛ばされた。空中で仰向けになり、壁に突っ込もうとしたその時、壁に蠢く無数の荊の棘に懐夢はかっと目を開き、壁に衝突する寸前で体勢を立て直した。


 目の中に傷付いても余裕綽々な様を見せつける霊夢の姿を入れたその時、懐夢は身体が一気に重くなったような気を再度感じた。

 先程から変だ。術を撃つ度に、身体が重くなる。身体の自由が少しずつなくなっていくような感じだ。これは一体何なのかわからないけれど、そんな事を気にしている場合ではない。今は霊夢を止めるのに全力に、いや、霊夢との戦いに臨む事に全力にならねば。


「霊符「夢想封槍・烈」!!」


 懐夢が力強く宣言すると、懐夢の周囲に再び七色に輝く光が集まり、無数の光の槍が周囲に形成される。

 そして懐夢が光を宿す天羽々斬を振ると、それらは全て霊夢の元へ飛び立った。まるで蜂の大群のような光槍にも霊夢は動じず、すぐさまスペルカードを発動させる。


[夢符「二重結界」!!]


 霊夢の目の前に再び、二つ重なった光の壁が出現する。無数の光槍達は壁の向こうの霊夢を目指して前進を続け、光の壁へ吸い込まれるように突っ込んだ。光の壁に衝突した光槍はまるで硝子片のようになって砕け、光となって消えた。しかし、光槍の衝突を数えきれないほどの回数防ぎ、光槍の本数が四本になったところで光の壁に亀裂が走り、轟音と共に砕け散った。ようやく姿を現した目標人物(れいむ)に生き残った四本の光槍は突っ込む。

 そして、光槍は霊夢から少しだけ機動をずらして――霊夢のリボン、袖、そして背中より生える二本の荊を跡形もなく吹き飛ばした。袖がなくなった事により、霊夢の腕に走る<黒獣(マモノ)>の模様が露出する。

 懐夢はよしと思う反面、心の中で驚いていた。決して破れる事のなかった霊夢の結界を、破った。そんな事は、大蛇里にいた時の自分ではありえない事だっただろう。


 やっぱりぼくは、強くなった。


 そして今は、霊夢の攻撃手段の一つである荊が消えている。今なら接近攻撃だって出来るはずだ。


「今だッ!」


 一気に加速して、霊夢との距離を詰める。荊は再生するけれど、再生される前に攻撃されれば、ひとたまりもないはずだ。

 霊夢に止めを刺すには、今しかない。天羽々斬に光を宿らせて、霊夢に向けて振るった。


「霊夢――――――――ッ!!!」


 叫び声が広場中に木霊し、天羽々斬の刃が霊夢の身体へ当たろうとしたその時、懐夢は気付いた。

 霊夢の顔に、笑みが浮かんでいる。まるで、この時を待っていたと言わんばかりの表情だ。そして、この表情は今まで見た事が無い。<黒獣(マモノ)>になる前も、なったあとも。


 何だその顔は。今から攻撃が当たるんだよ、なのになんで――そう思った時に、懐夢は周囲に目を配った。いつの間にか、霊夢の周囲に光を纏う七つの陰陽玉が出現していた。その時、懐夢の頭の中にある光景が浮かび上がった。八俣遠呂智の腹の中に閉じ込められていた時の事だ。霊夢は八俣遠呂智に止めを刺すために、とてつもなく強いスペルカードを発動させていた。そしてそれを発動させる時には、霊夢の周囲に光を纏った七つの陰陽玉が出現していたような気がする。それに気付いて、懐夢が顔を一瞬蒼くしたその時に、霊夢は小さく宣言した。


[夢想天生]


 霊夢の宣言の直後、霊夢を中心に光と闇の力が混ざり合ったかのような、黒と白と黄色の光の極大爆発が発生し、霊夢の目の前にいた懐夢は逃げる隙を見つけ出せず、爆発の中に呑み込まれた。

 膨大なエネルギーを纏う極大爆発に呑み込まれて、調伏の力と滅びの意志によって発生した禍々しい力が混ざり合ったようなエネルギーを全身に受けて、懐夢は力なく床へと落ちた。いつも着ていた衣服もぼろぼろで、<白獣(マガツ)>になっていた後遺症によって長くなった髪の毛は解かれてしまっていた。一瞬で満身創痍となった上に、身体が重くて全く動かないし、息も上手く出来ない。


 自分の霊夢。使っている力は同じだが、性質は若干異なっていると霊紗から聞いた事があるし、そうであっても自分と霊夢はほぼ互角だった。

 だけど、いつだって霊夢の方が幻想郷最強の存在だった。何故ならば、自分は霊夢の術の中で最も強力なものである「夢想天生」を使えない。どんなに霊夢の真似をしたところで、どんなに似たような術を使えるようになったって、霊夢の持つ最強の術を真似する事は出来ない。いや、もしかしたらできるかもしれないけれど、威力は霊夢のものとは比べ物にならないほど弱いものとなるだろう。


 わかっていたのだ。どんなに戦ったところで、霊夢には勝てない事を。霊夢を追い詰める事に成功したとしても、自分を助けてくれた時に使った「夢想天生」を使われれば、そこで霊夢の価値が確定してしまい事を。だから、霊夢とは戦いたくないと思っていたのだ。元から自分にここまでよくしてくれた霊夢に刃や術を向けるという事自体嫌だったが、霊夢と戦ったところで、勝ち目がない事を知っていたから、力を手に入れたとしても霊夢とは戦いたくないと、思っていた。


 これでもう、決着が付けられる。自分の負けで、霊夢の勝ち。霊夢……即ち『花』の勝ちで幻想郷の負け。

 やはり、霊夢に勝とうという考えは浅はかだった。霊夢に、勝てるわけがなかったのだ。


 倒れ込んで動かない懐夢の元に霊夢は降り立ち、再生した荊の先端を懐夢に向けた。


[私の幸せを邪魔する奴は殺す]


 その言葉を聞いて、懐夢はかっと目を開いた。

 今、霊夢は幸せという言葉を用いた。多分、霊夢の幸せとは、先程見せたあの外の世界の光景の事だろう。だがあれは、霊夢の幸せなのかもしれないが、現実ではない。本当の霊夢の住んでいる場所は幻想郷であり、外の世界ではないのだ。あんなものが、霊夢の幸せなものか。本当の幸せは、幻想郷にもあるのだ。今まではなかったかもしれないけれど、今ならば、幻想郷にも幸せはある。あれは、ただの妄想、霊夢の現実逃避だ!

 そう思っていると、懐夢は自分の中に力が湧きあがってくるのを感じ、むくりと起き上がった。それでも身体の重さと傷の痛みは薄くならず、千鳥足だった。


「何が、幸せだよ。あんなものが、幸せなわけない」


 霊夢はキッと懐夢を睨みつけて、荊を蠢かせる。


[私は幸せになりたい。だけど幻想郷はそれを邪魔する。だから、壊す。殺す]


 懐夢は首を横に振る。


「あんなの、幸せなんかじゃない」


[黙れ]


「黙らない!!」


 懐夢は地面を蹴り上げて、霊夢の身体に抱き付いた。直後、荊は瞬く間に手の形を作り、がっちりと懐夢の身体を掴んで引きはがしにかかる。


[離れろ]


「離れないよ、目を覚まして霊夢!」


 霊夢の荊の引きはがす力が強くなる。


[黙れ! 殺す!!]


「――――――ッ!!」


 懐夢は歯を食い縛った後に、言い放った。


「いいよ、殺せよ! 殺したらいいさ! どうしてもこんなところに閉じこもっていたいなら、ぼくの事を殺しちゃえ! でもその代わり……」


 懐夢は息を大きく吸い込み、叫んだ。


「もう博麗霊夢って名乗るな!!」


 霊夢の動きが、止まった。同時に、霊夢の荊の力も弱くなる。

 懐夢は泣きそうになりながら、続けた。


「博麗霊夢は、ぼくの、たった一人のお姉ちゃんの名前だ。お前みたいなのに、お姉ちゃんの名前を名乗ってほしくない!」


 懐夢は更に続ける。


「霊夢はこんな場所に閉じこもってたせいで気が付かなかっただろうけれど、みんな霊夢を待ってるんだよ。霊夢と友達になりたいって、言ってる。幻想郷が、霊夢の事を待ってるんだ」


「もう幻想郷は過ちを繰り返さない。これからは霊夢も幻想郷の住人の一人……仲間外れなんかしない。霊夢はもう、幻想郷を護るだけの人形じゃない。幻想郷を護って、幻想郷に生きる人間なんだ!

 もう博麗の巫女は人柱じゃない。幻想郷で、霊夢は幸せになれるんだ」


 懐夢は顔がぐしゃぐしゃになっている事にも気が付かないまま顔を上げて、霊夢に訴えた。


「もし幸せじゃないって感じたら、ぼくが幸せを作る。霊夢が幸せになれるように努力する。博麗の巫女が幸せになれるように、皆に言うし、頼む。何度だって、何度だって、何度だって!

 だから早く戻って来てよ。お願いだから戻って来てよ」


「お姉ちゃん!!!」


 懐夢の声は広場全体に響き渡り、霊夢の耳に流れ込んだ。

 次の瞬間、懐夢は攻撃される事を覚悟して目を瞑った。荊にもう一度つかまれて、身体が引き裂かれるのを、貫かれるのを、覚悟した。

 しかし、いつまで経っても荊は襲って来る事はなかった。一体どうしたものかと思って顔を上げると、そこには見慣れた、きょとんとした霊夢の顔があった。


「……お姉ちゃん?」


 その時、懐夢は血色に濁っていた霊夢の瞳に光が戻ってきている事に気付いた。

 霊夢は赤く染まっていたながらも光を取り戻している目で、懐夢の藍色の瞳を覗いた。


「か……い……む……?」


 懐夢は何も言わずに霊夢を見つめ続けた。

 霊夢は続けて懐夢を呼ぶ。


「懐夢……貴方……なの……?」


 懐夢はぱあっと顔を明るくして、霊夢に声をかけた。


「そう……そうだよお姉ちゃん! 元に戻ったんだね!」


 霊夢はきょとんとした顔のまま、懐夢に問うた。


「貴方、どうしてここに。貴方は確か、私の目の前で死んだ」


「死んでないよ。前に言ったでしょう。ぼくはお姉ちゃんを守るから死なないって」


 懐夢は霊夢から離れて、笑んだ。


「お姉ちゃん……迎えに来たよ。早くみんなのところに帰ろう」


 霊夢は不安そうな表情を浮かべる。


「みんなのところに、帰る……?」


「そうだよ。皆が待ってる幻想郷に、一緒に帰ろう」


 霊夢ははっと何か思い出したような表情になって、すぐに首を横に振った。


「嫌よ。私は戻らない。戻ったところで、私の幸せはないんだから」


 懐夢は首を傾げた。


「お姉ちゃん、ぼくの話聞いてなかったの」


「え?」


「お姉ちゃんがこれを出現させた後に、みんなで話し合ったんだ。もう博麗の巫女を人柱にするのはやめようって。みんなで霊夢の友達になって仲良くしようって、誓った。

 もう博麗の巫女を人柱にしてきた凛導もいない。今は紫師匠が大賢者の最高権力者だから、もう誰も博麗の巫女を人柱にしようとはしない。だから、霊夢は幸せになれるよ」


「本当に……?」


 懐夢は頷いた。その目には、霊夢に真実を話す時だけに浮かべる、「真実を伝える色」が映し出されていた。


「本当だよ。ぼくが保証する。なんならぼくがお姉ちゃんを幸せにする。だから、早く帰ろう。幻想郷に」


「貴方、それを伝える為に、ここまで来たの」


「そうだよ。そうでもしなきゃ、お姉ちゃんには伝わらないと思ったから」


 懐夢はきょとんとする姉に手を差し伸べた。


「さぁ、こんなところ早く出て、幻想郷に帰ろ――」


 そう言いかけたその時だった。

 ぞぶ、という嫌な音が耳元に響き、二人はぴたりと動きを止めた。

 懐夢は胸元に何かが入り込んだような、不気味な感覚に襲われて恐る恐る顔を下に向けた。胸から黒い荊が突き出ているのが見えた瞬間、懐夢は吐血し、力なく前のめりになったが、懐夢の身体は倒れる事なく止まった。一本の荊が、懐夢の胸を、背中から串刺しにしていた。

 霊夢は懐夢に絶句し、ゆっくりと懐夢を串刺しにしている荊の根元に目を配った。そこには、黒い衣服を身に纏った自分……『花』の『化身』が微笑みを浮かべて、腕から荊を伸ばしている姿があった。


[何故、貴方はここにいるのです? ここは貴方が来るような場所ではないですよ。貴方が<白獣(マガツ)>のままだったならまだしも]


 化身はゆっくりと腕を上げた。同時に荊に貫かれた懐夢の身体も宙に浮きあがる。


[御退場ください]


 化身はぶんっと腕を、懐夢を貫いた荊を振り回した。途中で懐夢の身体は荊から抜け、猛スピードで壁に衝突。小規模なクレーターを作り、懐夢は血を流しながら床へと力なく落ちた。

 その様を見届けて、霊夢は顔を蒼くし、叫んだ。


「懐夢!!」


 化身は倒れ込んだ懐夢に、吐き捨てるように呟く。


[喰荊樹の成長を行っていたら、まさか貴方が乗り込んでいたなんて。今までわたし達を散々苦しめた幻想郷の民が何を言うのです。貴方達がわたし達を幸せに出来るなんて、あり得ませんよ。わたし達は幻想郷の破壊を遂行します。そうでなければわたし達に幸せというものはありませんから]


 化身は溜息を吐き、顔に微笑みを取り戻した。


[やれやれ。まさか霊夢を止めにここまで来るとは思いませんでしたよ。でも、気にする必要はありませんよ霊夢。貴方は引き続き、喰荊樹の成長を促し、幻想郷を呑み込む――]


 その時、化身の動きが止まった。腹に何かが入り込んだような違和感を覚えた化身が腹を見つめると、そこには黒い血液に塗れた手が突き出ていた。

 化身は口からも黒い血を吐き、背後に目を向けた。そこには、白い髪の毛で、黒紫の衣服を身に纏った喰荊樹の主の姿があった。


[な、何のつもりです、霊夢]


 霊夢はかっと顔を上げた。


「私の弟に……何をするのよ」


 化身の顔に、これまで浮かぶ事のなかった、焦りと戸惑いの混ざった表情が浮かび上がる。


[な、何を言っているのですか。まさか貴方、わたし達を裏切るつもりで……?]


 霊夢は顔を下げた。


「えぇ。悪いけれど……幻想郷の崩壊は、やめにするわ」


[何を言うのですか! 幻想郷に戻ったら、貴方はまた、人柱にされるだけですよ]


「懐夢がそうじゃないって言ってたから、それはないわね」


[幻想郷の民の言葉を信じるのですか、貴方は]


 霊夢はにっと笑った。


「あんた、私の中に居ながら、何を見てきたの?」


[何をって……]


「今、懐夢の目には本当の事を言う時の色が浮かんでいたのよ。あの目で言う時は、懐夢は本当に、本当の事しか言わない。だから、私は懐夢を信じようと思えるのよ。あの目で私に訴えていたから」


 化身は戸惑いを続ける。


[そんな、騙されてはいけません、幻想郷は人柱を欲して、貴方を捕まえようとしているのです]


「言わなかったかしら。懐夢は本当の事しか言わないし、何より、懐夢は一度私を守るために<黒獣(マモノ)>になってまで戦ってくれた。

 そんな子がここまで来て幻想郷に帰ろうって言ってるという事は、幻想郷に変化があったと考えるべきじゃないかしら」


 霊夢は腕に力を込める。


「私は懐夢が死んだと思ってた。でも懐夢はああやって生きてる。だから、懐夢が生きている世界を壊すつもりはない。

 私は、懐夢と一緒に生きる事を選ぶわ!」


 霊夢は微笑んだ。


「でも、あんただけを置いて、幻想郷に帰るつもりはないわ。一緒に、幻想郷に帰るわよ……かつての博麗の巫女達の心」


 化身は首を横に振り、暴れ始める。その様子は、幻想郷、本来いなければならない場所へ戻される事に恐怖しているようだった。


[いやだ、いやだ! 戻るものですか、絶対に! わたし達は絶対に、幻想郷を、壊す……!!]


「往生際というものが悪いわね、あんたらは!」


 その時、霊夢は気付いた。いつの間にか、吹っ飛ばされた懐夢が起き上がっている。化身に貫かれたところの服は赤く染まり、傷口から血が流れ出ている。


「懐夢、貴方!!」


「お姉ちゃん! そいつ、倒さなきゃ!!」


 霊夢は首を横に振った。


「違うわ懐夢! この人は、倒すべき敵じゃないの!」


 霊夢は目を瞑った。直後、霊夢の背中に生えていた荊は朽ち、崩れ落ちた。

 霊夢から発せられる力を感じたのか、化身は焦りの声を上げる。


[な、『花』の力を一点に集めて、何をするつもりですか!?]


「あんたのその身体を打ち消して、純粋な『花』に戻す! 化身から出て来させてやるのよ!!」


[わたしを殺すというのですか!]


「殺すんじゃないわよ。あんたを『花』に戻すだけよ。もうあんたに、その姿は必要ないわ。『花』に戻って、みんなのところへ帰りましょう」


 霊夢の言葉の後、霊夢の周囲に再度光を放つ七つの陰陽玉が出現する。

 化身は周囲を見回して顔を青白くする。


[や、やめなさい! やめて、やめて!!]


 霊夢は勢いよく化身から手を引き抜くと、そのまま化身の身体に両手を当てた。


「『花』の化身よ、喰荊樹よ、博麗の巫女の心よ、再び『花』に戻りなさい!!」


 霊夢は息を吸い込み、呟いた。


「夢想天生」


 霊夢の宣言の直後、霊夢の身体が眩い光を放ち、その光は化身を、幻想郷を喰おうとしていた喰荊樹を、そして、助けに来てくれた懐夢を包み込んだ。






         *




 ドォォォォォォォォンというとてつもない轟音と、眩い光が、喰荊樹に集まっていた者達を包み込んだ。

 あまりに強すぎる光に、一同は目を腕で覆い、喰荊樹から離れたが、光はすぐさま止んで、目を向けられるようになった。しかし、再度目を喰荊樹に向けたところで、一同は驚いた。

 博麗大結界を、幻想郷を侵喰していた喰荊樹は、ぼろぼろと朽ち果て、瞬く間に倒壊、白い、柔らかい光となって消えた。<黒獣(マモノ)>を生み出し、幻想郷を滅ぼそうとしていた樹の消滅に一同は驚き、その内の魔理沙が呟く。


「喰荊樹が……消えて行く」


 早苗が魔理沙に続く。


「という事は……懐夢くんが……やった……?」


 早苗の呟きの直後、慧音が喰荊樹の根元に目を向け、何かに気付いたような表情を浮かべた。


「おい見ろ! いたぞ!!」


 慧音の声に反応して、一同は喰荊樹の根元に目を向けた。そこには二人の人影があり、注視してみたところ、元の姿に戻った霊夢と、懐夢である事がわかって、一同は悲鳴のような声を上げた。


「霊夢!!」


「懐夢!!」


 一同は霊夢と懐夢の元へ向かい、そのうちの過半数が霊夢の元へ、少数が懐夢の元へ飛んだ。

 霊夢の元へ辿り着くなり、魔理沙は霊夢の身体を抱き上げて、揺すった。


「霊夢、おい霊夢!!」


 魔理沙は霊夢の身体に目を向けた。霊夢の髪の毛は元の黒色へ戻り、服も紅白のものになり、そして、身体中に会った<黒獣(マモノ)>の模様も全て消え去っている。

 しかし、魔理沙が声をかけても霊夢は一向に意識を取り戻す様子を見せなかった。


「霊夢!」


 魔理沙に続いて、早苗が声をかける。


「霊夢さん!!」


 アリスが続けて声をかける。


「起きなさい霊夢!!」


 その時、霊夢の顔が少し動き、口元から声が漏れた。


「ぅ……」


 霊夢の声を聞いて、周囲に集まる者達は驚いて黙り込んだ。

 魔理沙が再度声をかける。


「霊夢!?」


 霊夢はゆっくりと瞼を開き、赤茶色の瞳を覗かせた。

 完全に元に戻った霊夢の姿に、一同は泣き出しそうになって、魔理沙が霊夢に再度声をかける。


「霊夢……」


 霊夢はゆっくりと瞳を動かし、魔理沙の姿をその中に映した。


「魔……理沙……」


「私がわかるのか、霊夢」


「えぇわかるわ」


 霊夢は身体を起こして、周囲を見回した。そこには、かつて異変を起こして、今は自分と知り合いとなっている者達の姿が無数にあった。

 この異変を、喰荊樹を止めるために、これだけの者達が集まってきたのだろう。


「あんた達……迷惑かけたわね」


 すまなそうにしている霊夢に、魔理沙は首を横に振った。


「いいや、迷惑をかけていたのは私達だよ。私達はずっとお前の事を理解しなかった。お前が苦しんでいた事に、気が付けずにいた。

 これは当然の報いだったのかもしれない」


 魔理沙は霊夢の顔を見つめた。


「そこでだ、霊夢。私達を、お前の友達にしてくれないか」


「友達?」


「そうだよ。私達は多分お前から友達扱いはされていなかったと思う。だから、私達を友達にしてくれ、霊夢。私達は、お前と心を通わせたいんだ」


 霊夢はぐるりと周囲を見回して、驚いた。ここに集まる全ての者達の顔に、今まで見た事が無いくらいに、穏やかで柔らかい表情が、浮かんでいる。


「あんた達、私と友達になりに、ここまで来たっていうの?」


 一同は頷いた。その瞬間、霊夢は身体の奥底から嬉しさが湧き出て、一気に熱くなったのを感じた。同時に、目から涙が流れだしそうになったが、霊夢は袖で目元を覆った。


「馬ッ鹿じゃないの。馬鹿すぎるわ……でもあんた達みたいな馬鹿な友達は」


 霊夢は袖を目から離して、笑んだ。


「大歓迎だわ。ありがとうね」


 霊夢の笑顔を見るや否、一同はうんと頷き、笑んだ。

 直後、魔理沙が霊夢に声をかける。


「礼ならあいつに言えよ。ほら、お前の弟の……」


「懐夢、懐夢ぅ!!」


 霊夢を含めた一同は、聞こえてきた声に驚いて、その方向に目を向けた。

 そこには、霊夢を助けるために集まった者達がいたのだが、霊夢の周囲にいる者達とは違って、顔に悲しそうな表情を浮かべていた。

 そしてその者達に囲まれているのは、慧音に抱きあげられている懐夢だった。

 魔理沙が慧音に声をかける。


「慧音、どうしたんだ」


「そ、それが……」


 アリスが焦りと困惑、悲しみをいっぺんに混ぜたような表情を浮かべながら、懐夢に手を当てる。


「懐夢の衰弱が、止まらないの」


 アリスの言葉に、それまで笑みを浮かべていた者は顔を無表情へ戻した。

 その内の一人である霊夢はゆらりと立ち上がり、慧音に抱きかかえられている懐夢に近付いて、腰を下ろした。

 そのまま、懐夢の身体へと目を向けたが、懐夢は身動き一つ取らず、ぐったりとしていた。それどころか、肌も血の気が抜けたように青白く染まっている。

 懐夢の様子を見た魔理沙が驚き、声を出す。


「ど、どういう事なんだ」


 パチュリーが答える。


「重傷を負っていたから、治癒術をかけて治療したのよ。でも、傷が塞がっても生命力がどんどん落ちて行って、衰弱し始めて……」


 早苗が戸惑ったような声を出す。


「どんなに術をかけても、衰弱が激しすぎて元気にならないんです。そればかりか、もう息もしなくなって……」


 魔理沙は永琳に目を向ける。


「永琳! お前の薬で何とかならないのか!?」


 永琳は首を横に振る。


「無理よ。ここまで生命力が落ち込んだ人には、どんな薬も効果を成さない。そもそも何でここまでこの子は弱って……?」


 慧音が「あぁ」と声を上げる。その声に気付いた霊夢が声をかける。


「慧音、あんた何か知ってて……?」


 慧音は静かに言った。


「私は……懐夢がどうしてあんなに強い術を使えるのか、不思議で仕方がなかった。あんな術を普通の十歳の子供が使えば、とんでもない反動を受けるはずなんだ。でも、この子はどんな術を使ったとしても反動を受けたような様子を見せなかった」


 霊夢が小さく言う。


「それは、懐夢の中に大きな才能があったからじゃないの。どんな術も、無反動で使えるみたいな」


「そんなはずはない。どんな術にも反動はあるんだ。そしてそれは、術者が若ければ若い程、小さければ小さいほど、大きく受ける事になる」


 霊夢は戸惑った。確かに懐夢はあんなに強い術を何度も使って、疲れた様子を見せた事はなかった。本当ならば反動がありそうな術も、平然と使って見せた。それは懐夢が才能を持っているからだと思っていたのだが、慧音によると、そうではないらしい。


「じゃあ、今の懐夢ってまさか……」


 慧音は俯いた。


「懐夢はずっと、身体の中に反動をため込んでいたんだ。自分の身体にずっと負担がかかり続けている事に、懐夢は気が付かずに戦い続けていた。これまで放った術の反動が、溜まり込んだ負担が……懐夢の身体を蝕んで、生命力を奪っているんだ。しかも懐夢は今まで神器なんていう十歳の子供からすれば規格外の武器を使って戦っていた。そんな神器もまた懐夢に負荷を与えていたのだ……極限まで弱らされた身体はもう、どんな術も受け付けない……!!」


 霊夢の顔が一気に蒼褪める。


「そんな、そんな……!!」


 霊夢はいつも札を入れている懐に手を突っ込んだ。そして、回復術のために使う札を全て取り出すと、所構わず懐夢の身体に貼り付けて、胸の前に右手を持ってきて、人差し指と中指を立てた。


「活ッ!!」


 霊夢が宣言すると、札は柔らかい光となって、対象者に溶け込み、傷や疲れを癒す。しかし、霊夢が貼りつけた札は回復術に使うものであるにも関わらず、光に変わらずに懐夢の身体に張り付いたままだった。

 霊夢は驚きながらもう一度唱える。


「活!!」


 札は反応を示さない。

 何で反応しないの。

 癒してよ、懐夢を。

 助けてよ、懐夢を。


「活! 活! 活活活!!!」


 何度唱えても、札は変わらない。

 術が発動しない。回復の札が、懐夢はもう手遅れと言っているようだった。


 最中、リグルが懐夢に寄り添いながら泣き喚く。


「懐夢、終わったんだよ! 霊夢帰って来たんだよ! 異変終わったんだよ! 幻想郷が、平和になったのに……やっと、元に戻れたのに、こんなの、こんなのってないよぉ!!!」


 リグルの声にも、懐夢は反応を示さない。

 霊夢は慧音から懐夢を掻っ攫い、抱き上げて、その身体を揺らした。


「懐夢、ほら、私戻って来たわ、幻想郷に。貴方のおかげよ、貴方のおかげで、戻って来れたわ。後は貴方だけ。皆が貴方を待ってる。だから早く起きてよ」


 懐夢は時が止まったように動かない。

 霊夢は涙が零れるのも気にせずに声をかけ続ける。


「ほら、早く起きてよ。目を開けてよ。起きなさいよ、懐夢!!」


 霊夢が叫ぼうとも懐夢は動かない。


「貴方が居なかったら意味がないの! これからの幻想郷に貴方が欠けてしまったら、意味がないの! だから起きてよ懐夢!!」


 懐夢は動く気配を見せない。


「懐夢、懐夢、ねぇ懐夢ったら! 懐夢! 懐夢ぅ!! 懐夢ぅぅぅ!!!

 起きて、また私を……また私を、「お姉ちゃん」って呼んでよ懐夢!!!」


 やがて霊夢が縋って泣き出しても、懐夢は動かなかった。


 続けて周りの親しくしていた者達が泣き出しても、懐夢は動かなかった。


 

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