第百話
帰って来た時、予想した通り、懐夢にどこへ行ってきたのかと尋ねられたが、男子禁制の場所へ行ってきたと嘘を吐き、崩壊した大蛇里に行った事を、そしてそこで懐夢も読んでいたと思われる日記を手に入れた事も隠し通す事に成功した。……と思われたのだが、懐夢は霊夢と霊華の身体と衣服に染みついた煤と灰の匂いを嗅ぎ取り、どう考えても男子禁制の場所に行った匂いじゃないと気付き、霊夢と霊華に更に迫った。もう白を切れなくなった霊夢は仕方なく懐夢に謝り、懐夢に隠れて大蛇里に行った事を全て話した。
「大蛇里に……行ってきたの」
霊夢は懐夢から目を逸らしながら、頷いた。
「そこが、霊華の故郷だったかもしれなかったからね」
懐夢は表情を変えずに霊華に目を向ける。
「それで、霊華さんは何かを思い出せたんですか」
霊華は首を横に振った。
「何も思い出せなかったわ。あそこは私の故郷じゃなかったみたい」
懐夢は「そうですか」と小さく呟いた後、再度霊夢へ顔を向けた。
「なんで、ぼくを連れて行かなかったの」
霊夢は何も言わなかった。もう一度懐夢が口を開こうとした次の瞬間、霊華が割り込む言った。
「懐夢、あそこが貴方の故郷だと聞いた時、私はものすごく悲しくなったわ。あんな廃墟に、もう貴方は行ってはいけない。霊夢はそう思って、貴方をあそこで帰らせたのよ」
懐夢は驚いたような顔になって、霊華に向きなおす。
「廃墟……大蛇里はそんな事になってたんですか」
「えぇ。見るも無残な姿に、なっていたわ」
懐夢は霊夢に再度目を向ける。
「なら尚更……ぼくを連れて行かなかったの!」
霊夢はようやく口を開いた。
「連れて行けるわけないじゃない。崩壊してしまった貴方の故郷に貴方を……あんなものを、見せるわけにはいかない」
「なんで。なんでそう思ったの」
「じゃあ……貴方は崩壊した自分の故郷を見たいと思うの。滅茶苦茶にされた自分の故郷を、見なければならないと思っているの」
懐夢は何も言わずに俯いた。
「それは」
「私は貴方にあそこを見てもらいたくないの。だからあの時、貴方を帰らせたのよ」
霊華はそっと懐夢の肩に手を乗せた。
「わかって、懐夢。霊夢は貴方に辛い思いをしてもらいたくないのよ」
懐夢は拳を握りしめた。辛い思いをさせたくなかったと言っているが、もう十分に辛い思いはしてきた。だから、大蛇里の崩壊した様子を見て思う気持ちなど、これまで経験してきた辛い思いに比べれば、きっとどうって事ない。寧ろ自分に黙り、隠れて大蛇里に行った霊夢と霊華に、懐夢は怒りたい気持ちだった。しかしその怒りを呑み込み、懐夢は霊夢に静かに言った。
「霊夢は、霊華さんの故郷かもしれないと思って、大蛇里に行ったんだよね。用事は本当にそれだけだったの」
霊夢は首を横に振り、懐から一冊の筆記帳を取り出して、懐夢に手渡した。
「それを見つけるためよ。貴方の母さん……愈惟さんの日記」
懐夢は筆記帳を受け取るなり、目を丸くした。表紙には『百詠愈惟』という母の名前が書かれている。それだけじゃない。これはまだ大蛇里にいた時に母が読ませてくれた、母が子供の頃に書いたという日記帳だ。てっきり大蛇里が崩壊した際に燃えてなくなったと思っていたが、まさかまだ残っているとは考えてもみなかった。しかし、どうして霊夢がこのようなものを求めたのか。懐夢は気になって、霊夢へ問うた。
「間違いないよ、おかあさんの日記帳だ。でも、何でおかあさんの日記帳を探したの」
霊夢は少し屈んで、目の高さを懐夢と同じにした。
「私はね、懐夢」
改まる霊夢に懐夢は首を傾げる。霊夢は一呼吸おいてから、ずっと気になって仕方がなかった事を懐夢に話始めた。
「ずっと貴方が博麗の力を扱えているのが気になって仕方がなかったの」
博麗の力はその名のとおり、博麗の巫女が扱う力だ。神、妖怪、妖魔、悪魔問わず通用し、ありとあらゆるものを調伏する力である。しかし、博麗の力は人間の女性のみが扱えるものであり、男性、ましてや半妖である懐夢が扱う事は出来ない力なのだ。この事を聞くなり、懐夢は戸惑ったような顔になった。
「博麗の力は女の人しか使えない力? じゃあぼくのこれは違う力って事?」
霊夢は首を横に振った。
「いいえ懐夢。貴方が使ってる力は間違いなく博麗の力よ。貴方は男の人なのに、女性しか使う事が出来ない博麗の力を、使う事が出来ているのよ」
懐夢は首を横に振る。
「わからない。わからないよ。何でぼくは、女の人しか使えない力を」
「それが知りたくて、私は大蛇里に行ったの。もしかしたら、貴方の力は愈帷さんから継承したものかもしれないから」
懐夢は顔を上げて、霊夢と目を合わせる。
「おかあさんから継承したもの?」
「そうよ。親が持つ特別な力とかは、もれなく子に遺伝する。だから、貴方の母さん、愈帷さんは博麗の力を持った人だったかもしれない。それを知りたくて、私は大蛇里に行ったの」
霊夢は懐夢の両肩に手を乗せる。
「ねぇ懐夢、貴方は愈帷さんが、何かを特別な力を発揮するところを見たりしなかった? 空を飛んだりとか、スペルカードみたいな術を使ったとか」
懐夢はじっと母の事を思い出した。しかし、母は自分や霊夢みたいに空を飛んだり、スペルカードのような術が扱えるような特別な人ではなく、至って普通な、優しい女の人だった。強いていえば……。
「おかあさんはそんな力を持った人じゃなかった。ただ、すごく体力のある人だっておとうさんが言ってた」
霊華が首を傾げる。
「体力のある人?」
懐夢は頷いた。
「おかあさん、ぼくを産む時に体力を全然減らさなかったそうなんだ。ぼくを産んだすぐ後にぼくを抱き上げられるくらいに、元気だったんだって。他の人は赤ちゃんを産んだら動けなくなるくらいにぐったりするのに、おかあさんはそうじゃなかったそうなんだ」
霊夢は眉を寄せた。
「安産だったって事かしら」
「他にも山を二つくらい越えても疲れなかったり、重い物を運んでも疲れなかったり。とにかく体力のある人だったんだって」
霊夢は片手を顎に添えて考え込んだ。
確かに、山を二つくらい越えても、重い物を長時間運んでも疲れないというのは素晴らしいと言えるくらいの体力だ。しかし博麗の力は持ち主の体力に作用する力ではないし、何より知りたいのは愈帷がスペルカードのような術を発動させたり空を飛んだりしていなかったかどうかだ。懐夢の話によれば、愈帷は懐夢を産んだ後にそういう事をした事はないらしいが、それはあくまで懐夢を産んだ後。懐夢を産む前に使っていないという証拠にはならない。愈帷はまめに日記をつけるような人であったようだから、日記帳を開けば記録が残っているはずだ。やはり、真実を確かめるには日記帳を読む他ない。
「そうなの。ねぇ懐夢。その日記帳、読んでもいいかしら」
手元の日記帳に目を向ける霊夢に、首を傾げる。
「日記帳を?」
「そう。私は貴方や貴方の母さんが気になって仕方がないの。もしかしたら、何かわかる事があるかもしれないから」
懐夢は手元の日記帳に目を向けた。
百詠愈惟。自分の母だが、十年一緒に暮らしてきて、まだ教えてもらっていない事が沢山あった。もっともっと、聞きたい事があった。だけど、母は死んでしまったから、確かめる方法も、教えてもらう事も出来ない。しかし、この日記帳をもっと詳しく読み進めれば、母から教えてもらっていない事柄がわかるかもしれない。
「わかった。霊夢、これ貸すよ」
そう言って日記帳を差し出すと、霊夢は驚いたような顔になった。
「いいの?」
懐夢は頷いた。
「その代り、読み終わったらぼくにも読ませて」
霊夢は頷いて懐夢から日記帳を受け取った。かと思えば、霊華が苦笑いしながら言った。
「そんな事しないで、二人で読めばいいじゃないの。二人とも、仲がいいみたいだし」
霊夢と懐夢がきょとんとして、ほぼ同時に「あぁそっか」と呟くように言うと、そっと霊華が二人に近寄った。
「それと、私もその中に加わってもいいかな。私も懐夢のお母さんの事とか、気になるし」
懐夢が霊華へ目を向ける。
「霊華さんも、ですか」
「これでも貴方の故郷を見てきた身だし、貴方達と同居する人だし。だから貴方達の事を詳しく知りたいんだけれど、駄目かしら」
霊夢はふと考えた。この日記帳は懐夢と愈惟の事が詳しく書いてある資料であるから、あまり他人には見せられないものだ。しかし霊華はこれから共に生活していく人であるし、大蛇里という懐夢の故郷を見た事のある、幻想郷で数少ない人物だ。これからの事のためにも懐夢の事を教えておく必要があるといえば、ある。それに、霊華は穏やかな性格をしているし、多分言われた事や秘密は守る方だろう。もし霊華がそうでない人物であれば懐夢がそういう人物の臭いを嗅ぎ取っているはず。
「わかったわ。霊華もこっちに来て頂戴。一緒に読んでみましょう。ただし、読んでる間は静かにして頂戴ね。うるさいと感じたらどつくわよ」
霊華は苦笑いしながら「わかったわ」と言って、霊夢の背後に立った。
霊夢は二人が日記帳に注目している事を確認すると、これまで読みたくて仕方がなかった愈惟の分厚い日記帳の『上』を開いた。
――きにゅうび しもつき じゅうにのひ
きょう、わたしはごさいのたんじょうびをむかえた。おとうさんとおかあさん、おねえちゃん、むらのみんながわたしのたんじょうびをいわってくれて、とってもうれしかった。りょうりもいつもよりもおおきくて、おいしかったし、おとうさんがわたしにくれたかみかざりがすっごくきれいで、とってもうれしかった。やっぱりたんじょうびっていいものなんだなぁ!
でも、すこしかなしいおはなしをおねえちゃんがした。おねえちゃん、じゅうごさいになったから、あましのっていうまちにいくためにこのむらからでていくんだって。
あましのは、あましのでうまれたひとしかはいれないっておとうさんとおかあさんがいってたけど、わたしたちかぞくは、もともとはあましのでうまれたから、あましのにいくことができるんだって。
おねえちゃんはわたしとはちがうちゃいろのひとみなのに、やさしくてだいすき。でも、わたしのところからいなくなっちゃう。かなしい。すごくかなしくて、なんどもおねえちゃんにいかないでっていった。なのに、おねえちゃんはきいてくれなかった。
日記帳を読んで、霊夢は瞬きを何度もした。
今読んでいるのは愈惟が五歳の頃に書いたと思われる頁だ。しかもそれから確認するに、愈惟には十歳離れた姉がいたらしく、しかも天志廼へ向かうと言い出したらしい。
(懐夢の家系は、天志廼で生まれた家系……?)
日記によれば、確かにそう書いてある。だから懐夢は、あの時天門扉に呼ばれていたのだ。あの天門扉は天志廼への入り口であると同時に、天志廼へ入れる者を呼ぶものなのかもしれない。
霊夢は隣で興味津々な様子で日記を読んでいる懐夢に声をかけた。
「懐夢、貴方叔母さんの話は聞いた事ある?」
懐夢は首を横に振った。
「聞いた事ない。おかあさんにおねえさんがいたなんて、今初めて知った」
霊華が驚いたような顔をする。
「今知ったの?」
「はい。おかあさんは、そんな話を一切しなかったから……」
霊夢は「日記に戻る」と声をかけて、日記に目を戻した。もしかしたら、愈惟の姉についての情報があるかもしれない。日記なのだから。
数頁読み飛ばして霊夢は手を止めた。中身を軽く確認すると、愈惟が八歳の頃に書いたものだとわかった。
――記入日 霜月九の日
すごく嬉しい手紙が来た。天志廼にいるお姉ちゃんが、赤ちゃんを産んだらしい。それで、その赤ちゃんを見せるために、明日私達の村に帰ってくるんだって。
お姉ちゃんと会うのは三年ぶりだ。でももっと嬉しいのは、お姉ちゃんが私達を嫌いになったわけじゃなかった事だ。色んな料理も覚えたから、沢山作ってお姉ちゃんに食べさせないと。お姉ちゃんの赤ちゃんはどんな子なのかなぁ。やっぱり、かわいいのかなぁ。赤ちゃんでも食べれるもの、作れるかなぁ。でもお姉ちゃんに会えるのはすごく嬉しい。早く来ないかなぁ。
――記入日 霜月十の日
変だ。お姉ちゃんが来ない。今日来るって手紙に書いてあったのに、お姉ちゃんは来なかった。どうしたんだろう。せっかく料理を作ったのに、もったいないよ。
あの手紙は嘘だったのかな。でも、来るのに少し時間がかかってるのかな。明日も待ってみよう。
――記入日 霜月十一の日
変だ。お姉ちゃんはまだ来ない。来るっていう手紙が来てから二日も経ってるのに、まだ来ない。どうしたんだろう、本当に、どうしたんだろう。あの手紙って、本当だったのかな。
――記入日 霜月十三の日
やっぱりお姉ちゃんは来ない。いつまでたっても来ない。どうしたんだろう。来るって言ってたのは、嘘だったのかな。やっぱり、嘘だったのかな。お父さんとお母さんも心配してるし、私も心配してる。お姉ちゃん、どうしちゃったんだろう。
――記入日 霜月十五の日
お姉ちゃんは来ない。お父さんとお母さんは心配になって、村の自警団の人達にお姉ちゃんを探すようにお願いした。自警団の人達は天志廼周辺まで見に行くって言っていたから、お姉ちゃんを見つける事が出来ると思う。早く見つかって、私達の村に帰って来てほしいな。
霊夢はいったん読むのをやめた。愈惟の姉は天志廼に移り住んだようで、愈惟が八歳の時に里帰りをしたようだ。更に、愈惟の姉は愈惟と同じ十八歳で子を産んだらしく、愈惟の姉の子という事は即ち、懐夢の従兄弟にあたる人物となる。
「懐夢、従兄弟の事は?」
懐夢は何も言わずに日記を見つめていた。どうやら知らないらしい。愈惟の姉の事すら知らなかったのだから、当然と言えば当然だ。
霊夢は日記に目線を戻して次のページを開いた。そして、文面を読んだところで三人同時に驚いた。
――記入日 霜月十七の日
信じられない。もうなんて言ったらいいのかわからない。お姉ちゃんが、死んじゃった。自警団の人達が天志廼の近くまで行ったところで、お姉ちゃんと知らない男の人の死体を見つけたんだって。お姉ちゃん達がどうして死んでいるのかわからなかったそうだけど、多分妖怪に襲われたんだって。赤ちゃんの死体は見つからなかったらしい。妖怪が持って行ったみたい。ひどいよ。ひどい。なんで、なんでお姉ちゃんが死ななきゃいけなかったの。矢久斗はそんなのじゃないのに。矢久斗も同じ妖怪だけど、どうして。
霊夢は青ざめた顔で懐夢と霊華の顔を見つめた。二人の顔もまた、霊夢と同じように青白いものになっていて、驚愕してしまったかのような表情が浮かべられている。
「叔母さんは……ぼくが生まれる前に死んでたんだ」
懐夢の悲しそうな顔を見ただけで、霊夢は愈惟が何故懐夢に姉の詩を教えなかったのか、わかったような気がした。愈惟は多分、家族の中に死んでしまった人がいるという事を教えたら、懐夢が今のような悲しんでしまう事を知っていたのだ。だから愈惟は懐夢に姉の死を、叔母の死を黙り続けていたに違いない。
そして懐夢の従兄弟にあたる愈惟の姉の子。もしもその子供が生きていたのであれば、自分と同じ十七歳か十八歳ぐらいの年齢になっていただろう。どのような子供だったかはわからないが、もしかしたら懐夢と仲のいい子になっていたかもしれない。そういう事を聡い懐夢に知られないためにも、愈惟はこの事を黙っていたのだろう。
「懐夢のお母さんも、辛い思いをしていたっていう事ね……」
そう言いながら、霊華が懐夢の頭の撫でた。懐夢は何も言わずに霊華に撫でられていたが、やがて何かを思い付いたような顔になって、独り言を呟くように言った。
「でも、叔母さんの子って、どうなったんだろう」
言われて、霊夢はハッとした。そうだ、懐夢の叔母と叔父は死んだとされているが、その間に出来た子についての供述はない。いや、あるといえばあるのだが、懐夢の叔母と叔父の死体が発見された現場には二人の間に出来た子供の姿はなかったとしか書いていない。この時点で、懐夢の叔父と叔母の子の行方は不明になっている。そもそも、懐夢と叔母と叔父の死因は妖怪に襲われたと思われるとなっていて、正確な死因は分かっていない。もし本当に妖怪に襲われたのであれば子供は妖怪に喰われたと考えるのが妥当だが、極端に少ない例を持ち出せば、小さな子供を殺す事に抵抗を覚えた妖怪に持って行かれたか。そもそも二人が連れ出していなかったか。様々な憶測が頭の中を飛び交って、中々答えを導き出せない。いや、そもそもこれは過去に起きた事だから、答えを導き出すという行為そのものが無意味だが。
だがもし、もしもその子供が生きていたのであれば、自分と同じ十七、十八歳だ。
「わからないわね。もっと詳しい情報が欲しいところだけど……でも生きていたんなら、私と同じ年ってところね」
その時、霊華がか細い声を出して言った。
「ねえ、さ」
霊夢と懐夢が霊華に顔を向けると、霊華は眉を寄せて、言葉を口にするのを躊躇っているかのような顔をした。
「こんな事、自分でも馬鹿じゃないのって思うんだけれど……」
霊華が言葉を区切ると、霊夢は知りたいところで切られたような、喉が苛つくような気になって、霊華に問うた。
「何よ。言って御覧なさい」
霊華は一瞬深呼吸をして、霊夢の目を見つめながら、小さな声で言った。
「もしかしてだけど、その行方不明になった子供って……貴方なんじゃないの、霊夢」
霊夢と懐夢は目を点にした。そして、霊華がどうしてこのような事を言い出したのか、わかったような気がした。霊華は懐夢の事は今知ったが、霊夢の事はまだ教えていない。霊夢の両親がどういう人物で、霊夢がどのような経緯でこの博麗神社に住むようになったのかも、何も知らないから、こんな突拍子もない事を言い出したに違いない。しかし、ひとまずどうしてこのような事を言い出したのかは問う気になり、霊夢は霊華に問うた。
「えっと……何でそう思ったのかしら」
「だってその子は生きていれば貴方と同い年でしょ。もしかしたら貴方なのかな……って思って」
霊夢は溜息を吐いて頭を抱えた。霊華はどうやらその子供の年齢が自分と同じだという点から、自分がその子供ではないかと言い出したらしい。
「霊華……それだけはないわ」
霊華は首を傾げた。霊夢は誰にも話さないかと霊華に問い、霊華が頷いたのを確認してから、自分がいかにしてここに住む事になったのかを教えた。
「じゃあ貴方は、あの街出身なの」
「まぁね。だからあんたの言ってる事には、あんたが事前に自分で言った事を言うしかないわ」
霊夢はここで霊華がしょんぼりすると思い、霊華に目を向けて、驚いた。霊華は表情を少し険しいものにしていた。
「それが、本当だって言う証拠は」
「は?」
「それは本当なのって聞いてるの」
霊夢は顔に怒りを浮かべた。
「母さんが言っていたから、本当の事よ。母さんは私に嘘を吐いた事なんてなかったんだから!」
「本当に? 貴方の母さんは、本当に本当の事しか言っていなかったの」
霊夢は怒りを混ぜた声で言った。
「あんた、母さんを疑うっていうの」
霊華はハッとしたような顔になって、すぐに首を横に振った。
「あ、そういう意味で言ったんじゃないの。ただ、なんだか変な話だと思って……ごめんなさい」
その時、霊夢は心の中に何か引っかかるものを感じた。確かに母は嘘を吐かない人だ。八俣遠呂智の伝説だって事実だったし、教えてくれる料理や、術の発動させ方なども真実だった。だから母は嘘を吐かない人であり、教えてくれる事は全て事実だと思っていたが、ついこの前霊紗から変革の話を聞いた時に、これが揺らぎ始めた。母は確かに色んな事を教えてくれて、それが全て事実であったが、凛導と仲良くしてるように見せかけて実は凛導を討つ変革を成し遂げようとしていた事、そしてその切り札が自分である事は教えてくれなかった。だからもしかしたら、母の暮れた情報にはいくつか間違いがあったかもしれない……。
(……霊紗と紫なら何かわかるかもしれない)
霊夢はそう思うと、首を横に振った。
「まったく、突拍子もない事を言うんだから。相当変わった人みたいね、あんたって」
霊華は軽く頭を下げた。
「ごめんなさい。なんだか、変に疑う癖があるみたいなの、私」
「疑り深い人だったんでしょうねきっと」
懐夢が二人に割り込むように言った。
「霊夢、おかあさんが能力を使ってたのは?」
霊夢はあっと言って、目的を思い出した。この日記を読んでいたのは愈惟が特殊な能力を使った事のある、または使う事の出来る人間だったかどうかを確認するためだ。
「そうだったわね、戻るわよ」
そう言って、霊夢は日記を読み続けた。しかし、どんなに読み進めても愈惟が能力を使ったという文面があるページを見つける事は出来ず、ついに日記を読み終えてしまった。どうやら、愈惟はそういう特殊能力を持った人間ではなかったらしい。
「……なかったわね」
懐夢が顰め面をする。
「だから言ったのに。おかあさんは体力のある普通の人だって」
しかし、わかった事がある。いや、これは多分の領域を出ないが、愈惟は恐らく博麗の巫女に選ばれなかった、博麗の巫女に適応した人物だったのだ。それが懐夢に遺伝して、懐夢は博麗の力を使う事の出来る人物となったに違いない。それが、懐夢が博麗の力に適合できている理由だ。しかし、これは懐夢に話さなくてもいい事柄だろう。
日記を閉じて、霊夢は懐夢の方へ身体を向けた。
「まぁいいわ。でも、貴方はきっと類稀な才能を持って生まれてきた子なのよ。だから、博麗の力を使えるんだわ」
霊夢は懐夢の頭に手を乗せた。
「一緒に異変を解決していこうね、懐夢」
懐夢は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑顔になって、頷いた。
その後、霊夢は壁にかけられている時計が午後五時十五分を差していて、外が暗くなり始めている事に気付いた。日記に気を取られて、全く気が付かなかった。そして午後五時十五分と言えば、夕飯の支度を始める時間だ。
「さてと、もうこんな時間だわ。夕飯の支度を始めなきゃ、ね」
霊夢は霊華に軽くウインクして見せた。
「霊華、ご飯お願いね」
霊華は「任せて」と言って、頷いた。夕飯の支度を始めるために、三人が立ち上がった直後、玄関の方から戸を叩くような音が聞こえてきて、三人は一斉に玄関の方へ目を向けた。客人がやって来たらしい。
「こんな時間にお客さん?」
懐夢が呟いた直後、戸を叩く音に続いて、声が聞こえてきた。
「懐夢、懐夢いるー?」
懐夢を呼ぶ少女の声だった。しかもその声色は懐夢からすれば毎日聞いているような、ひどく聞き慣れたものだった。懐夢は居間から出て廊下を経由し、玄関へと赴き、客人を隠す戸を開けた。そこにいたのは、黒と白を基調とした洋服と黒いマントを身に纏い、ふさふさとした深緑色のセミショートヘアーの、頭から生える二本の黒い蟲の触角が特徴的な少女、リグルだった。
「リグル」
懐夢が軽く呼ぶと、リグルは笑んだ。
「変な時間に来てごめんね」
「いや……それはいいけれど、どうしたの」
リグルは後ろで手を組んで、ぎこちなく言った。
「ちょっと、懐夢に見せたいものがあるんだ」
そう言われて、懐夢は夏にリグルの住む森に行った時の事を思い出した。あの時はまるで星空のような美しい蛍の群れを見せてもらったが、今は蛍の時期ではない。
「見せたいもの?」
「そう。だから、今から私と一緒に来てもらいたいんだけど、いいかな」
懐夢はちらと台所の方へ目を向けた。今から夕飯の支度を始めるところだが、霊夢と霊華は大丈夫だろうか。いや、そもそもこのような暗くなる時間帯に外出する事を二人が許してくれるかどうか……。
そう思ってリグルに声を掛けようとした直後、背後から声が聞こえてきた。
「誰かと思えば、リグルだったのね」
吃驚して背後を見てみれば、そこには腰に手を添えている霊夢と、少し首を傾げている霊華の姿があった。いつの間にか二人とも玄関に来ていたらしい。
「霊夢、霊華さん」
懐夢がぎこちなく尋ねると、霊夢は溜息を吐くように言った。
「言ってきなさい。リグルが見せたいものがあるって言ってるんだから。だけど……」
霊夢は人差し指を立てた。
「一時間以内に戻ってきなさい。六時十五分。それまでに戻って来るって約束してくれるなら、行ってもいいわよ」
一時間以内になら戻ってきていい。それは一時間以内に目的を済ませて戻って来なければならないという事だ。多分、この約束を破ったら霊華の作ったご飯は食べさせないぞと霊夢は遠まわしに言っている。
懐夢は頷くと、リグルの方へもう一度顔を向けた。
「リグル、何か必要なものとかある?」
「ないよ。懐夢が来てくれさえすれば」
リグルの反応を見るや否、懐夢は素早く靴を履いてリグルの手を掴んだ。
「それじゃあ早く出かけよう! どこに行けばいいの?」
リグルは吃驚して、同じように慌てて言った。
「ば、場所は案内するよ! 付いてきて!」
そう言って、二人はそそくさと神社から出て上空へ舞い上がり、幻想郷の空へと消えて行った。
その様子を見ていた霊夢はむすっと溜息を吐き、霊華はよく理解できていないような顔をした。
「ねぇ霊夢、今の子って?」
霊夢は小さく言った。
「……懐夢を好きな子」