8話
向けられた好意には相応に、悪意には三倍返しで。
ある意味家訓ともいえる、これが九耀家のポリシーである。
「実は私も『術者』なんです」
庭へ行きませんか?と誘い出され、突然された二藍の告白に、キースは唖然とした表情をむけた。
「黙っていて、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる彼女を前にして、青年は表情を変えれずに居た。
それを見て、二藍は心の中で溜息を吐く。無理も無い、本来なら紫炎たちが話した時点で言うべきことだったのだ。
黙っていたのは保身と面倒ごとを避けるため。相手にとっては騙されたと思っても仕方が無いことである。
「…見せていただいても?」
ようやく、搾り出すように言葉を発した青年に二藍は困った顔を見せた。
「私の術は紫炎たちとは少し違うんです」
言外に外に漏れることを危惧した物言いに、キースはようやく表情を崩した。
彼はこの時点で大きく誤解したのだ。表情の変化を目の当たりにした二藍は気づいたがあえて指摘はしない。
静かに青年は言葉を紡ぐ。腕輪があっても意味がわからないその言葉が、この世界での魔法の詠唱なのだと気づいて、終わるのをじっと待つ。
「大丈夫ですよ。使ってみてください」
顔を上げた青年に頷くと、少女は鞄の中から一枚の札を取り出すとひらり、と落す。
「急急如律令。炎舞」
ゴウ、と音を立て、彼らの周りに火の手が上がる。それはすぐに柘榴によって消し止められた。
幻覚ではない証拠に、芝の上には焦げた半円の痕がある。
「…すみません。せっかくの芝生にかわいそうなことをしちゃいました」
頭を下げた二藍に笑顔を向けると、キースは軽く指を鳴らす。見る見るうちに芝生から新しい芽が出て元に戻っていく。
TVで見る、植物の成長を高速回転で再生する様子を見るようだった。
「うわぁ、凄いです」
「そんな事はありませんよ。その紙は何ですか?」
もう一枚取り出して青年に渡す。
裏表と調べてから、「ああ」と小さく微笑んだ。
「この文字自体が力の発動を促すのですね。この国の『魔方陣』と良く似ています」
そう言って青年は宙に指先で何か描いていく。その軌跡は青白く残り不可思議な文様になっていった。
描いた模様に腕を入れるとその先が無くなる。思わず息を飲んだ二藍たちに悪戯っぽく笑って見せると、彼は何事も無かったかのように腕を抜いた。
その手に握られているのは、紙とペン。
今度は二藍たちが呆気に取られる番だった。
確かに目の前の青年がとてつもない魔力の持ち主だということは認識していた。しかし、こうも易々と高度な魔法を目の前で使われると複雑な気分になってくる。
それなりの努力と学んだ結果だとしても、多くの者達がやっとのおもいで完成させる魔法を片手間のように扱われては。
(他者の妬心を煽るのは十分です)
モナドが禁忌とされる術を用いた気持ちも判らないわけではない…だからといって許したわけではないが。
「これで同じようなものが作れますか?」
ペンと紙を差し出して青年が言えば少女は首を傾げた。
「試したことはないですけど…やってみます」
レポート用紙やルーズリーフで札を作ったことはない。勿論、墨以外の物を用いて書いたことも無い。
大きさを整え、二藍はペンを走らせる。流石に筆のようにはいかないが、それでも想像よりも柔らかい書き味だった。
「略式…爆」
弾いた途端、小さな音を立てて札がはじけた。
「やはり、潔斎していない札では威力が小さいな」
紫炎がその様子を見ながら目を細める。
「だが、目くらまし程度には十分だ…緊急時以外は略すなよ二藍」
「はぁい」
不満そうに返事をする少女の額を笑いながら柘榴が突付く。その様子を笑顔でみていたキースだったが、二藍と視線が合うと、その笑顔を一層深くした。
「大丈夫ですよ…発動の波動自体に問題はありません。こういった紙に書かれた魔方陣は市販されていますしね」
「そうなんですか?」
目を丸くする少女に青年は頷く。
「旅行者などを対象にですね。旅には危険が伴いますから、それなりに装備を整えていかなくてはなりませんから」
全てのものが魔法を使えるわけでも、剣を使えるわけでもない。金銭的に余裕のあるものなら護衛を雇うこともできるが、そうでない者もいる。
「まぁ、一般の方々はその殆どが一生自分が生まれた街か、その近隣で過ごされますけどね」
文化の違いか慣習の違いか、安全性の問題か。自分たちが住んでいた場所と違って、観光という概念がここには無いようであった。
「それほど危険なのか?『外』は」
紫炎の言葉にキースは首を縦に振る。
「ここは王都ですから、近隣の町や村に…それこそ半日で行き着く程度であれば問題はありません。とはいえ、野獣もいますから何の装備もなしに気軽に行くなんて事はしませんけどね」
ああ、ファンタジーの世界だと二藍はしみじみ思った。きっと外には獣のほかに賊もいるのだろう。ひょっとしたらモンスターもいるかもしれない。
それを口にするとキースは軽く首を傾げた。
「モンスター…『化け物』ですか?野獣の中には魔法の属性を持つものもいますから、そう考えれば答えは『是』ですね」
もはや、何も言うまいと心に決めた二藍であった。
「試してみますか?」
ふいにかけられた言葉に顔を上げると、先程よりは簡略化された模様を紙の上に描かれたものを渡される。
「この紙を指の先に挟んで前に出して…そうです、そして『ブラン』と」
「ブラン」
二藍が口にすると、彼女から2mほど先に火の手があがった。指を鳴らし、消し止めるとキースは満足そうに微笑んだ。
書かれた魔方陣は既に無く、少女の手の中にある紙は白紙だ。
「強い魔力を有していらっしゃいますね。思ったよりも威力が強い…お守り代わりに2、3枚お渡ししておきます」
さらさらと流れるように同じ模様を描くと、青年は少女に手渡した。
「貴方が持っていらっしゃったモノは大事にしまっておいてください。その方が安心ですから」
「…見知らぬ術は知れたときに危険、ということか」
紫炎の言葉に、青年は口に笑みを乗せることで応えた。
「他にもいくつかお教えしましょう。身を守るときに必要でしょうから」
「それは言外に街の中でも危険が有ると言っていないか?」
キースが柘榴に顔を向ける。困ったような、少し呆れたような表情であった。
「黒髪も、黒い瞳も無いわけではありませんが、この辺りで両方を有しているのは非常に珍しいです。それに加えて彼女の異国の顔立ちは、好事家にとって価値のあるものと思われます」
「どこにでも変態親父はいるってことか」
「…言葉が過ぎます。柘榴」
一応とがめる言葉を言ってはいるものの、二藍の嫌そうな表情を隠しきれずに居た。
「見る者がちゃんと見れば、その腕輪をしている限り滅多なことで手を出そうとはしないでしょうけれどね」
笑いを浮かべたキースの後ろに何か見えたような気がするが、あえて見ない振りをする。
「後で書斎にお出でください。魔方陣を書いたものを何枚か用意しておきます」
立ち上がって屋敷の中に消えた青年を見送って、二藍は後ろの二人を振り返る。
「あれは、多分私の霊力が大きい訳じゃないと思います」
「そうだな、キース手ずから書いた布陣だからこその威力だろう」
しかし、あれほどの力の持ち主でさえ自分たちを元の世界に返すことは出来ないという。
いや、出来ないわけではないだろう。ただ知らぬ場所に荷物は送れない。そういう事だ。
「偶然に偶然が重なって…というのは嘘ではなさそうですね」
次元を移動できる紫炎たちも解らない場所から戻ることは出来ないし、逆に二藍の家族にしても、わからない場所に居られては探しようが無い。
「九耀家のやりかた…しかと思い知らせてやりましょう」
「御意に」
そういうと、男達は少女に跪き頭を下げた。