1話
二藍は学生鞄の内ポケットのファスナーを開けると、そこから和紙に包まれた一枚の符を取り出した。
幾重にも包み込んであるそれは、たった一枚の和紙を包むにはいささか厳重だとも思われたが、それを見つめる彼女の表情も、明るいとはいえなかった。
その唇に微かに自嘲めいた笑いが浮かぶ。先日の襲撃以来、兄達の誰かが必ずこの家に居るようにしていたが、今日は偶然が重なって皆で払っている。家を出るとき、キースは屋敷に幾重にも防御結界を張り、自分達が戻るまで屋敷から出ないようにしつこいくらいに言い含めていったのだ。
それを違えるつもりは無い。
外界に向けて張った結界は、同時に自分がこれからやろうとしていることを、外にも漏らすことが無い、ということだ。やましいことをしているつもりは無いが、理由は事情を知らぬキースでさえも、この符が普通のものと異なることにすぐ気が付く筈だ。
そして、それを使用する危険度も決して低くは無いことも。
紫炎や柘榴は言うに及ばず。しかし、彼らは、この符を彼女が持ってとは思っていない。
いや、あの時『彼』と共に消滅したと思っているだろう。
そっと周囲の和紙をはがすと、中から出てきたのは透けるほどに薄く漉かれた和紙である。久しぶりに触れて、流れてくる強い『気』に二藍は微かに眉を顰めた。
その表面には、どうやって記されたのか、細かい文様が透かし彫りになっていた。それを躊躇う事無くあらかじめむき出しにしていた二の腕に巻きつけると、瞬く間に腕の中に解けるように消えていった。
一瞬何かを堪えるような表情を浮かべると、すぐに大きな息を吐き疲れたようにソファにもたれる。
巻いてあった和紙を元のように丁寧に畳んで鞄に中に入れると、二藍は視線を天井に向けた。
最初に『おかしい』と感じたのいつの頃だったろう。
初めの頃は、周囲の話を聞いて、王弟と皇太子との継承問題だと思っていた。しかし、彼らの人物を知るにつけ、国の情勢を見るにつけ、何かが違うと感じ始めた。
貴族達が『皇太子派』と『王弟派』に分かれている。これは事実。
しかし、そのトップである人物二人が、周囲の思惑を全く意に介さず良好な関係を築いている以上、どちらに軍杯があがっても意味はない。ヘタな動きを見せれば、自分達に不利に働く可能性の方が高いのだ。
彼らの目的は何か。確かに、最初の頃エンデルクと食事をしたら毒が仕込まれていた。しかし、それは直接死に関わるモノではなかった。だとすると……。
「混乱…もしくは足止め、ですか?」
視線と思惑を『表向き』の理由に惹き付ける為の工作。そう考えれば、数々の疑問も合点がいく。
だが、真意は未だ闇の中だ。
自分達の家業の所為か、きな臭い話はいくつか知っている。一見平和そうに見えていたが、個人レベルから国家レベルまで陰謀や策謀はどこにでも転がっていた。
キースが言っていたように、主だった産業も何も無い、大きな変動の無い国。
しかし、それは本当だろうか。決して狭くは無いこの国の領土、未開の地など山ほどある。
「もう一度洗いなおしてみないといけませんか?」
小さく呟いて、傍らに置いてあったお茶を口にする。暫く考え事をしていたいと人払いを頼んであった為すっかり冷めてしまったそれを一気に飲むと、二藍は大きく息を吐いた。
「こうなると紫炎や柘榴が表立った仕事についてしまったのは痛いですね」
エンデルクに言えば、何らかの形で手を貸してくれるだろう。しかし、誰かの手を借りるというのは、それだけで外部との接触が起きることになる。
だから、自分達はできるだけ一族のみで動いていたのだ。もしくは、式神を使って。
「呼べるでしょうか?」
紫炎や柘榴のように元々「生き物」として存在し、何らかの事情で齢を経て「神」に転じた存在や、長きに渡って存在し、人間の想いを糧にして「モノ」が転じる「憑付神」はこの世界には居ない、とされている。
「本当に?」
疑問が口に出る。紫炎や柘榴にこれほどの「気」と「力」を与えることの出来る世界だ。ならば、似たような存在があっても可笑しくはない。
その証拠に「神話」や自然崇拝にも似た「神々」がいる。
「と、なると『力』は神将クラスですか」
能力としては、トップクラスの本家の息子達でさえ扱いかねる『神将』クラス。
有名な話としては、安倍清明の十二神将がいるが、自分たちに言わせれば、あんな存在を十二人も従えた気持ちが理解できない、である。
確かに、味方にすれば心強い存在ではあるが…。
「相談した方がいいですね。三人がかりなら、何とかなるでしょうから」
そう呟くと、立ち上がって屋敷の書庫へと足を運んだ。
この世界の神話体系と、神々の位置づけを調べる為に。
新章です。少しナリを潜めていた二藍の本性が出てまいります。
ゆるゆると終盤に向けて動き出し始めます。