2話
自分の話を聞いて黙り込んでしまった相手に、ザリックは気まずそうに視線をそむけた。
そんな青年の様子に気付いて、紫炎は小さく微笑む。
「貴殿が気に病まれる事ではない」
「しかし、私がもっと早くにこの噂を耳にしておりましたら…」
「正式に報告されていれば、我らの耳にも自然と入っていた事。それがないということは、故意に隠されたか、当事者が気にも留めずに居たということだ。貴殿の責任ではない」
ファリス家の次男である彼は、第三隊の一員として登録はされているが、実質将軍の直属であり、王女の側近とまで最近は囁かれていた。
ファリス家の正式な一員となって、二つの季節を過ごしただけであるのに、驚くほどの出世の早さである。
とはいえ、実際の身分は、騎士団の一団員なので、出世しているかと問われれば怪しい話であるが。
自身も皇太子の側に仕えているから解るのだが、この国の王族は身近に置くものを自らの『目』で選ぶ。
周囲の言葉に踊らされているように見える皇太子だが、わざとそう思わせているのだと、いち早く気付いたのも彼である。
「義兄上すら、騙しているのか…気の毒に」
楽しそうに笑った青年に「腹黒に見えて、結構キースは正直ですから」と笑い返した皇太子の表情は、血縁だと再認識させるほどエンデルクに似ていた。
先日の晩餐会以降、彼らに取り入ろうと多くの貴族が接触を図ったが、キースの纏う冷気と、慇懃に対応する二人の青年、社交界にデビューしたばかりの当事者には、常にエンデルクが側に控え、全員が撃沈していると聞いている。
そんな中、ザリックの耳に入ったある噂は、彼の秀麗な眉を顰めさせたものだった。
第一隊の中で少数派の彼は、偶然王宮内で出会った相手に耳にした噂を告げたのだ。
「確かに隠匿が得意な者が多いですからね」
何れ知られることをどうして隠すんでしょうね、と問う青年に紫炎は苦笑を更に苦いものにする。
「本人は隠し通せると思うのだろう。だが、今回のことは隠した、という事とは少し違う気がするが」
「ええ。隠しているつもりは無いと思います。多分報告するまでも無いこと、と考えているのでしょうね。…彼らに言わせると、『第三隊が捕まえた犯罪者の遺体が無くなった所で、気にすることではない』でしょう」
「隠したのではなく、報告するまでも無い、と思ったわけだな」
「ええ、私も酒の席で耳にしたのは笑い話、というか絵空事の怪談に近い話でしたから。『安置してあった遺体が少し目を放した隙に無くなっていた』『死んだはずの男が市場で買い物をしていた』気になって調べてみたら、確かに安置してあったはずの遺体が無くなっていたらしいです。当日の当直が第一隊の騎士達で、自分達が居ない間に墓守たちがやって来て、持って行ったと思っていますよ」
「『検死』のシステムが必要だな」
え?と顔を上げるザリックに紫炎は緩く首を振った。「機会があればゆっくり説明する」の男の言葉に首を縦にふる。知り合って日は浅いが、青年は彼が充分信用に足る相手だと理解していた。
でなければ、将軍を始めとした王族達が側に置くはずがないのだ。
周囲は王弟の恋人の兄、という捕らえ方しかしていないものが多いが、そんな生易しい相手ではない。
「閣下には私から話しておこう。ザリック殿は今まで以上に殿下の身辺を気をつけていただきたい」
「承知いたしました。シエン殿もお気をつけて…フタアイも」
「まぁ、暫くは問題が無いだろう。義兄上が心配して、今屋敷に連れ戻されている。不本意だが我々もだ。何かあったら、ファリス家の方に知らせてくれ」
「やはり、あの噂が原因ですか?」
笑いを滲ませながら言うザリックに、紫炎も呆れたような笑いを浮かべる。
「婚約発表が秒読み、という奴か。義兄の場合、自分が蚊帳の外に置かれたことが面白くないだけのようだがな」
思わず声を出して笑ったザリックと紫炎だった。
「セドリック?…ああ、自害した人買いの一味か。奴がどうした?」
「遺体が消えたってよ」
黒猫がぱたり、と尻尾を揺らし、寝そべったソファからエンデルクに向けて言葉を放った。
「そんな報告はきていないが?」
眉間に皺を寄せてエンデルクが書類から顔を上げる。傍で控えていたエドガーも怪訝そうな顔を向けた。
「報告するまで無いと思ったらしいぜ。三隊が捕まえた下賎の男の死体がなくなろうと、騎士団に関わりは無いと思っているみたいだな」
もう一度綱紀を改めたほうがいいんじゃないか?
立ち上がり、音も無く優雅な動きで、柘榴は執務机の上へと飛び乗った。山積みにされている書類の紙ひとつ動くことが無い。
「どう思う?エドガー」
「恐らくは、仮死状態になる薬かと。そういったものが存在すると聞いたことがございます」
「脈も心臓も止まっていたぞ」
「だからこその秘薬、かと。一歩間違えれば『本物』になりかねませんから。常に死と隣り合わせの危険な薬だと存じます」
大きく息を吐いてエンデルクは目の前の猫に再びソファに戻るよう促すと、自分もそこに身を沈めた。
「二藍はファリス本家か?」
「ああ、あいつにもこの件は伝えてあるから、暫くは諦めてキースの相手をしていると笑っていた」
「そうか…確かにあちらのほうが安全ではあるな。キースの結界はいろいろな意味で脅威だ」
苦笑いを浮かべながら言うエンデルクに軽く尾を振ることで柘榴は応えた。エンデルクを拒むことは無いだろうがキースの冷気を浴びながらの会話は、楽しむにはかなり無理がある。
「キースには…」
「家から犯罪者はだしたくねぇな」
否定できない内容の答えに、思わず口を噤む。弟妹のためなら王室を敵に回しかねない今のキースは、色々な意味で危険人物といえた。
「とりあえず、その件はこちらでも調べてみよう。未だ主犯が捕まっておらぬのでは、いつまた事件が再発するかもしれんがな」
「ああ、頼んだ。…けどよ、エンデルク、アンタだって気付いているだろう?事件としてはもう起こりはしないって」
難しい表情のままエンデルクは頷く。同じ轍は二度と踏まない。あの男はそういう相手だ。
「しかし、事件が起こって半年…二つの季節を過ぎるまで、よく発覚しなかったものだ」
「発覚しなかったのではない、事件としてみなしていなかったからだろう。事実俺自身もアレ以来遺体を見に行こうなどと考えもしなかった」
死体を埋葬した、という報告すらなかったことを不審にすら感じなかった。
「元々一隊の団長だ。内部事情を良く知っていたからこそ、こんな方法を思いつく事が出来たのだろう」
大きく息を吐くと、エンデルクはいつの間にか人型に戻った柘榴に視線を移した。
「そろそろ頃合だと思っていたからな。陛下にもすでに許可は頂いてある。騎士団の機能を変えようと思う。協力してもらえるか?」
「いいぜ。なんなら二藍にも一枚咬ませたらどうだ?あいつ結構詳しいぜ。なんたってミリタリーオタクと幼馴染だったからな」
「『ミリタリーオタク』?」
気にするな。と笑って、今度は入り口の扉から出て行った部下に苦笑を向けるエンデルクであった。入ってきたときは猫の姿で窓から来たのだ。扉を開けて出てきた相手に、外で警護のために立っていた騎士たちが慌てて居るのが目に入る。
「一騒動起こすか」
「承りました」
深々と頭を下げたエドガーに静かに頷くと、男は執務を再開すべく机へと向った。
章ごとに区切ることにいたしました。
思ったより作業が大変でしたorz...
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