16話
アーノルド・ドアレグ・デミスター。
ある日、忽然と姿を消したこの男が、一体どれほどの犯罪に関わっているのか、全く解っていない。
限りなく疑わしい人物ではあるが、証拠が無い以上、誰も彼を「犯人」と名指すことは出来ないのだ。
だが、彼が騎士隊に在籍している間に起きた不祥事を調べていくと、必ず、どこかでその影を見ることが出来る。
しかし、存在を匂わせながら、確かめることは誰にも出来なかったのである。
「けれど、今回は違うんじゃないか?二藍や俺達という証人がいるんだし」
「いや、難しいと思う」
「無理でしょうね」
柘榴の言葉に、紫炎とエドガーが同時に答えた。
治癒魔法で足首を直してもらった少女は、二人の式神とともにエンデルクの屋敷へ案内された。
本来なら、キースの家に帰るはずであったが、ドアレグのことはエンデルクよりもエドガーの方が詳しいと聞いて足を運んだのだ。
ちなみに、当主は今回の事後処理と報告のため、王宮にいる。
「どうしてだよ?」
「見たのが俺達だからこそ、だ」
納得のいかない柘榴の様子に、紫炎はやれやれと肩をすくめた。
「俺たちが『異国』の住人だからだ。相貌でその男かもしれない、と言う事ができても決定打ではない。…そういう事なのだろう?エドガー」
「はい、紫炎さま」
既に、何度も「さま」付けを止める止めないの攻防に疲れた青年は、少し眉を顰めただけで相手の対応を流す。
「つまり、今まで面識がなかった俺達が何を言っても無駄、というわけか」
「はい。言い換えれば、それほどの家柄なのです、デミスター家は」
王妹が降嫁できるほどの家柄だ、悪いわけが無い。
「あの、腕にあった魔方陣は証拠になりませんか?」
少女の問いに、エドガーは苦笑交じりで袖を上げると肘の近くに同じような魔方陣が現れた。
「王宮勤めで魔法に関わる者でしたら、おおよそ持っています。いざという時に自分の得意な魔法に対しての増幅機能を表すものです。本人の使い勝手などで多少位置は違いますが、利き手に持っている者は多いですね」
実際は個人認証を兼ねてはいるらしいが、宮廷魔道師クラスが、きちんと確認しなくてはわからないほどの複雑さだと男は続けた。
「それまで品行方正で騎士の鏡とまで言われていた方だったのですが、消息を絶たれた途端、色々と醜聞が明るみとなり、疑惑も数多くでてきたのです」
「疑惑、ですか?」
嫌な予感がしながらも二藍が口を挟むと、エドガーは首を縦に振る。
「まず、現在の御当主…彼にとっては下の兄ですが、彼が日常服用している薬に微量ながら毒物が含まれていました。もちろん、いま飲んでいる薬には入っておりませんが…」
服毒して命を絶った男の顔を思い出し、二藍は顔を曇らせる。
「厄介なことに、薬効成分もあるもので、疲労回復に用いることも多々ある薬です。しかし、それは健康な者が、一時期使うだけであり、微量とはいえ長期にわたって使えば毒以外の何者でもないのです」
ここでも判断が難しくなる。服用していた時期がどれほどか解らない為、毒として用いられたのか、薬として用いられたのか判断がつかない。
「その後になって、『今考えれば』という言葉が多くなったのです」
「ああ、一番上の兄夫婦の死因か」
「はい」
しかし、それも「今考えれば」なのだ。その時点では疑問に思ったものがいなかった、という事だろう。
「そいつが犯人だとすると、恐ろしいほどの知能犯ってわけだな」
思い切り嫌そうな顔をして柘榴が言う。二藍も紫炎も不快そうな顔をしている。
「ひとつ、伺ってもいいだろうか?」
お茶と軽食の支度を手早くやっている相手に、紫炎は視線を向けた。
「貴公がそこまで事情に詳しい理由を、お教え願いたい」
青年の言葉使いが変化していることに気がついて、エドガーは顔を上げる。他の二人も「おや?」という表情を浮かべている。
「ああ、いや無理にお答えいただかなくても良いのだが」
「え?いいえ、構いませんよ」
黙り込んだ相手の反応を誤解した紫炎に、男は首を振る。
「従弟、なのですよ。とはいえ、血の繋がりがあるのは長男だけだったのですが、叔母が先代のデミスター伯に嫁いでいましてね。下ふたりは側室の子供でしたから、あくまで書類上の姻戚関係ではありますが」
格式高い貴族の縁者であるなら、このエドガーもそれなりに身分のある者なのだろう。
そんな思いが顔に出たのか、男は自嘲めいた笑いを口に乗せる。
「犯人と決まった訳ではなかったのですが、次々と黒い噂ばかり出てきましたからね。流石に王宮に居辛くなった所をエンデルクさまに拾っていただいたのですよ」
話が降嫁した王女にまで及べば、流石に姻戚とはいえ、王室の勤めは難しいものがある。
「成る程」
頷く紫炎に、エドガーは周囲に気付かれぬ程度に顔を曇らせる。王宮勤めだった頃、周囲は腫れ物を扱うように自分に接した。つい昨日まで親しくしていた相手の掌を返すような扱いに、頭の中では理解していたものの、貴族社会のありかたに嫌気がさしたのも事実だった。
しかし、彼らの反応は少しばかり異なった。自分たちを害したものの身内であろう彼に対して、全く態度を変える事無く、事実を事実として受け止めているだけ。そんな様子が伺えた。
やはり、自分の主の目は確かだったと改めて思った。
「私も一つ伺ってよろしいですか?」
男の問いかけに彼らの顔が上がる。
「紫炎さまと柘榴さまのお召し物は、一体どこから調達なさったのですか?」
弾けるような少女の笑い声が屋敷中に響き渡った。