13話
服を着替えさせられ、両腕を拘束され、先程と別の部屋に移された少女は、静かにソファに身を沈めていた。
膝に感じた重みに視線を移すと、黒猫が不思議そうに両腕の縄を見ていた。
『魔法陣を使わせない為の措置らしいですよ』
ふうん、と鼻を鳴らして柘榴は縄の匂いをかぐ。その姿は猫というより犬っぽい。
『術の匂いも何もしないな。普通の縄だ。ここには魔法使いはいないのか?』
『さぁ?私が会った人は表立って魔法を使う人は居ませんでしたけど。唯単に温存しているのか、それとも』
『それとも?』
『キースさんやエンデルクさまとか桁違いの人たちが近くにいらっしゃったから、感覚が麻痺しているのかもしれません』
『それは否定しない』
桁違いの魔力を日常で見てしまうと、普通が普通でなくなる。それは、自分自身にも当てはまることだった。
『お前、また後ろ向きだろう』
柘榴の声に少女は笑った。
男だ女だと差別をする家ではないが、術者としてどうしても差は出てしまう。特に女性は月のものの影響もあって、均一に力を出すことは難しい。
符師として一族の中でも優秀な部類に入る二藍ではあるが、本人に言わせれば「符がなければ唯の役立たず」であった。決してそうではないことを紫炎たちは知っているが、近い存在の術者たちが優秀すぎるため、彼女の卑屈さは増すばかりだ。
唯単に、抜きん出て出来る術者が揃って彼女の近くに居るだけ、なのだが。
そして、その優秀な陰陽師達は知っている。紫炎と柘榴という二人の式神が自らの意志で彼女に仕えることを選んだ、ただその事実がどれほどの事を意味するのかを。
だが、知らぬ者は目に見える事柄だけで評価する。それは彼女自身も同じだった。
そういうコンプレックスから時々彼女は考えが後ろ向きになる。普段、害がないので放っておくが今回のように何か事の最中は邪魔になる。
軽く首を振って、少女は膝の上の猫を軽く撫でた。
『解っています。ごめんなさい』
尾を振って、二藍の膝を叩くことで答えると柘榴は顔を上げた。
『紫炎のやつが本体に戻っている』
瞠目する主に、黒猫は器用に喉で笑った。
『あっちでも、符でいるか、人型でいるかで本体に戻ることなど滅多になかったが…まぁ、ここではそのほうが動きやすかろう。同種の生き物もいることだしな』
それに…と、言いかけた言葉を柘榴は飲み込んだ。
以前、この世界で人型を取っていることが安定している、と紫炎は言った。そして、これほどの日数で自分たちが本体か符の姿で居続けたことは今までなかったのだ。しかし、自分たちも二藍も体調にも霊力にもなんら変化はなかった。むしろ自分たちにおいては、向こうの世界よりも過ごし易いくらいなのだ。
本体に戻っていると尚のこと解る。今までより格段に能力が増している。
この話をすれば二藍は喜んでくれるだろう。しかし、それと同時に思い知るのだ、ここは自分たちが居た世界と違うのだと。理性で理解していても感情はそうは行かない。解っていても慣れる事のない寂寥感と望郷の念。
あの世界において、異端の身である自分たちですら感じるのだ。二藍に至っては更に強いだろう。
視線を感じ顔を向けると、主の心配そうな瞳にぶつかった。この聡い少女は自分の思惑などすべてお見通しであろう。そして、更に心配するのだ。
柘榴は体を摺り寄せごろごろと喉を鳴らす。そんな彼に二藍は顔を綻ばせた。
『なんだか、本物の猫みたいです』
『莫迦、俺は猫だ』
くすくすと小さく笑う声が部屋の中に響いた。
屋敷の周囲を白い獣が走る。
時折立ち止まって辺りをうかがうと、獣は器用に屋敷の壁に符を貼って行った。
呪符を描いたのはキース。それはかれらの霊力を変換させるためのもの。それと同時に周囲にこれから張られるエンデルクの結界を不可視とする為のものでもあった。
人間が行なっていたのであれば、見咎められた行為であろうが、この辺りでは珍しくない種類の獣が屋敷の周囲をうろついていたとしても誰も気にはしない。
膝の上の猫が音もなく降り立ち、少女は窓の外へと視線を向けた。
『終わったようだな』
柘榴の言葉が終わらないうちに、窓から入ってきた狐に二藍は目を細める。格子よりも大きな体をどうやって入れたのか、疑問に思う者はここには居ない。
『その姿も久しぶりですね』
そう言って、首輪を見てその笑いを更に深めた。
『よくお似合いです』
ふん、と鼻を鳴らすと紫炎は少女の足元へとやってくる。小さく切った和紙を数枚その場に落とした。
『エンデルクの結界は客が来てからだそうだ。俺が札を張っている間に馬車が何台か来ていたからな。そろそろだろう』
ではな、との言葉と共に紫炎と柘榴の姿が消えた。残されたのは、二枚の札と和紙と首輪。
『…どうしろと』
呆れたように溜息を吐いて二藍は腕の縄をあっさりと抜いた。
『また、元の通りに戻すのって面倒なんですけどね』
独り言を言いながら、サッシュに器用に二枚の紙と和紙を隠し、首輪もしまう。
暫くして、扉が開いた時、ソファには憮然とした表情の少女が、腕を縛られたまま座っていたのだった。