12話
ひたすら静かに泣き続ける少女を女たちは持て余していた。
何を言っても不思議そうな顔をして首を振るばかり、彼女の口から話される言葉も全く理解できない。
落ち着けさせようと飲み物や食べ物を与えようとしても口にしようとしない。
彼女らが、自分たちの上の存在に助けを求めに行ったのも当然の成り行きだった。
男が少女の部屋に行った時、彼女は部屋の隅におびえるように座り込んでいた。
泣いては居なかったが、真っ赤な泣きはらした瞳と、男を見上げて震える姿は妙な保護欲と同時に嗜虐心を煽る。しかし、少女に言葉が通じない理由を知っている相手は、安心させるように膝をついて視線を合わせて微笑んだ。
「心配しなくてもいいですよ…と、言っても貴女には理解できないでしょうけれどね」
一杯に見開いた瞳の中にあるこぼれそうな雫に、男は満足そうな笑みを浮かべた。
「本当に黒い瞳なのですね。珍しい…。黒い髪と瞳、別々に持っているものは何人か知っていますが、併せ持った者は、貴女が初めてですよ」
ふふふふ…と笑う男に、少女は怯えたように後退さる。離れた掌をそのままに、男は笑いを深くした。
そのまま立ち上がると、周囲の女達に手を振る。
「この子供はこのままにしておいて構いません。どうせ、逃げられはしないのですから。他に仕事があるものはそちらを優先させなさい」
男の言葉に女たちは頭を下げて部屋を出て行った。
扉に手をかけ男は少女の方へと顔を向ける。
「本当に、あの馬鹿ではありませんが手に入れたいですよ。異国の…いいえ、異世界の姫君」
泣きそうな、何を言われているのか解らない顔の少女をもう一度みると、男はそのまま扉を閉めた。
鍵を閉める音に、はっと気がついて扉に駆け寄り叩く。外からは楽しそうな笑い声が聞こえた。
「安心しなさい。貴女は私がなんとしても手に入れますよ。そして、全てを一から教えて差し上げましょう。言葉も、何もかも、ね」
どんどんと叩く音を背にしながら、男は笑いながら去っていった。
『本当に変態、ですね』
その気配が完全に消えるのを確認してから、二藍は扉を背に息を吐いた。
『しかし、異世界、ですか』
壁に耳有、障子に目有。そんなことわざを思い出して、日本語で少女は口にする。
自分たちが異世界からやってきたことを知る者は限られている。あの男がどこから情報を入手したかそれも調べなくてはいけない。
少し考えてから服の隠しポケットを探る。万一のことを考えて、鞄から和紙を一枚持ってきていたのだった。
それを器用に折りたたみながら、目くらまし用にと、キースが書いた呪符を手にする。
彼女がキースの家の預かりとわかっているのなら、こいうったものを持っていることくらい想定済みだろう。
それを調べなかったことは彼らの落ち度だ。
「ブラン!」
ベッドの上で呪符を燃やし、それと同時に紙を飛ばす。それは一羽の鳥となり空へと消えていった。
燃え盛る炎と煙に、近くに居た見張りが気づいて、火はすぐに消し止められた。逃げようとした二藍はすぐに捕まって、先程の男の元へと連れて行かれた。
「うかつでしたよ…そうですね、あの伯爵の預かりとなっているのですから、護身用に魔方陣くらい持っていると気づくべきでした」
睨みつける少女に、男は笑う。
「なかなか気の強い姫君だ。先が楽しみですよ」
飛んできた鳥を、掌に誘うと折りたたまれた紙はその場で消えていった。
「それも二藍の術か?」
「ああ。俺達限定ではあるが」
掌を握り締め紫炎は、少しはなれた場所にある家を見上げた。先程まで、その一室から煙がでていたが、すぐに消し止められたのか、今は見ることが出来ない。
「我らが異世界から来たことを向こうは知っているようだ」
驚いたように目を見開いたエンデルクだったが、すぐに考えるように細められた。
「お前達の事を知るのは、王と王妃、エルリックに宰相と筆頭魔道師であるオーフェンと将軍である俺だけだ。あとは、張本人のモナドだな」
「王女達は知らんのか?」
「あくまで、お前達は異国の客人だ。あの屋敷も調べたが持ち主は架空名義になっていた」
そろそろ夜の帳が下りようとしている。彼らのオークションがいつから始めるかは解らないが、まだ「客」らしい姿はない。
「思った以上に根は深そうだな」
紫炎の言葉にエンデルクは大きく息を吐く。
「愚かな話だ。本人は利を求めてのことだろうが、実際には失っている。それに何故気づかぬ」
「愚問だな」
紫炎の唇がゆがむ。それに頷き返して、エンデルクは屋敷へと視線を戻した。
「目先の利のみ目に出来ぬものが、他を気づくはずもない。どの世界でも人間の考えることは同じだ」
そう言って紫炎は、キースの腕輪を外してエンデルクに渡す。変わりに受け取ったのは、柘榴がしていた首輪と同種の物であった。
「結界を」
「承知」
男が詠唱を唱え、周囲に魔方陣が浮き上がると、青年はその中心へと移る。
「柘榴も俺もこの世界に同族が居た分助かってはいるな。この姿で走り回っても違和感を持たれない」
振り返り、笑いを浮かべると次の瞬間そこに現れたのは大型の獣。彼らの世界で言う「狐」であった。
体の色は白。尾の先が微かに灰色がかったそれは、同色の首輪をしていた。
音もなく立ち去った相手を見送り、脱ぎ捨てられた服を集めると苦笑する。
「惜しむらくは、あの姿に戻ってしまえば人間の姿になるには相応の場所が必要、ということか。不便といえば不便だな」
いつの間にか傍らに現れたエドガーに服を渡すと、エンデルクは踵を返す。
「隊はどうなっている?」
「第三隊が控えております…それと」
視線で問う主にエドガーが苦笑を向けた。
「ファミア殿が」
「足手まといはいらぬ」
一言で切り捨てたエンデルクにエドガーは頭を下げる。
「自分を知らぬ愚か者に用はない。去るか、邪魔にならぬよう控えているよう伝えておけ」
「承りました」
一足先に本体に戻るエドガーを見送ると、エンデルクは後ろを振り返る。
「今暫し、辛抱してほしい。二藍」
マントを翻すと、男は静かな足取りで隊へと戻っていった。