11話
二藍をベットに横たわらせると、男は部屋を出て行った。外から鍵を下ろす音がしたと同時に、少女は意識を周囲に向ける。体の上に軽い衝撃と重みが掛かり、柔らかな感触が頬を撫でた。
『誰にも見つかりませんでしたか?』
『そんなヘマはしない』
自分を誰だと思っているんだ、との柘榴の台詞に二藍は苦笑する。
『しかし、なんていうか…立派な屋敷だな』
天蓋付き、ではないがそれなりに上質な布団とベッド。家具も立派なものだということが解る。
しかし、窓にはしっかり鉄格子があり、そこから見える範囲では、声が届きそうなところに家屋敷はない。
どこかの貴族か有力者、裕福層の別邸か何かのように思われた。
二藍の腕輪が外されているため、会話は全て日本語だ。
『そういえば、柘榴。どうしたんです?その首輪』
ブルーグレイの色合いの革で出来た首輪を見て、少女は微笑む。黒い色の彼にそれは良く似合っていた。
『ああ、エンデルクから貰った。なんでも俺の霊力を抑えるものらしい。あいつの結界能力の応用らしいが、この世界の魔法使いっていうのは本当に凄いよな』
実は、この魔法具はエドガーが作ったもので、彼はこの国でも数少ない魔法具の製作の術者であるのだが、二藍たちがそれを知るのは、もう少し先の話となる。
と、黒猫は顔を挙げ、少女の布団に潜り込んだ。
『誰か来る。寝ていろ』
こくり、と頷いて二藍もベッドに横たわる。暫くすると、鍵が開く音と共に数人入ってきた。
「おお!」
「勝手に近づくなよ。こいつは大事な商品だ」
近づこうとする気配を誰かが止める。
「商品なら私が買っても問題は無いはずだが?」
その声に、別の声が被る。
「忘れたんですか?決まりは決まり。どんな形であれ、オークションを掛けると言うこと、買いたければ貴方が高値をつけて競り落とせばいい」
ううむ…。と唸る声と溜息を吐く音、軽く哂う声が交じり合う。
「ファリス伯が王家を通じて近衛に護衛を依頼する相手ですからね。囲うならば余程気をつけないと、貴方が困ったことになりますよ」
溜息を吐いた声が言えば、哂った声が一層大きくなった。
「そんな大声で、目を覚ましたらどうする!」
「アンタの声のほうがよっぽどでかいぜ。心配するな、こいつには『ラグラ』の香を嗅がせてある。あと2,3ユラは目覚めねぇ」
「ラグラとは、このような子供にそんな強い薬を使って大丈夫なのか?」
「さあな。けど、多少大人しくしていたほうがいいだろう?扱い易いからな」
足音が聞こえ少女の体が持ち上げられた。
「布団を掛けてあげてください。いくらなんでも、このまま放っておけば風邪をひきます」
「お優しいこって」
呆れた声が返ってきたが、男は言われるままに降ろされた少女に布団を掛ける。
「大事な商品と言ったのは貴方ですよ」
顔に掛かった少女の髪を直し、抱き上げた男はふ、と笑いを浮かべた。
「本当に珍しい色合いですね。瞳も黒いと聞きました。ぜひ、起きた後に会ってみたいものです」
「お前も相当物好きだよな。こんな子供に何考えているんだか」
「何を言っている!その娘は私が競り落とすのだ!」
「競り落とすのは高値をつけた相手ですよ」
ふふふ、と笑いながら男は少女の髪を一房救い上げて、唇を落とした。
「オークションは今宵、だったな。それまで眠っているのか?」
「いくらなんでも、その頃までには起きているだろうさ。何なら別の薬も与えておくか?」
「いえ、それは止めておきましょう。複数の薬を子供に与えて悪影響がないとは限らない…それに」
ふ、と笑う気配と、どこかウンザリした気配がおきる。
「涙に濡れた姿もまた愛らしいものです」
「…呆れた趣味だ」
自分の事は棚上げにして、最初に二藍に興味を示した声があがる。「あんたが言うか?」と返って来て、男達は部屋の外へと出て行った。
『…髪の毛洗いたい』
『気持ちは解るが、我慢しろ』
どこに隠れていたのか、布団を上げられた時には居なかった柘榴が、ひょっこり顔を出す。
『さて、とりあえずここの報告をしてくるか。一人で大丈夫か?』
にっこりと笑う表情は彼らが見慣れたもの。
本来の仕事に望む時の二藍の顔。
『久しぶりに見たな、その顔』
『はい?』
不思議そうな彼女に首を振ると、柘榴は身軽な動きで窓の外に出る。鉄格子も今の彼に意味は無い。
『よほど警備に自信があるのか、それ以外の理由か、魔法結界張っていないぜ、この屋敷』
目を見開いた少女に軽く尾を振ると、黒猫は音もなく姿を消した。
それを見送ってから、少女は再びベッドに戻る。
『ラグラですか。なんだか、嫌な符丁ですね』
ラグラというこちらの世界の植物は、その全てに異なる薬効成分があることは、先日貰った本の中に書いてあった。
花から取れる香りは催眠作用。茎と葉は虫除け。そして、その根は。
(この間ケーキに仕込まれていた毒も、ラグラの根から作られたもの)
たまたま使用目的にあわせての偶然か…それとも。
とりあえず、体力の温存と二藍は静かに瞳を閉じた。