8話
「もう二度と王宮になんて行きません」
二藍にしては珍しい語気の荒い口調に、青年達は苦笑する。とはいえ、内二人も同じ気持ちであったが。
翌朝、少女や式神たちの元には山のような贈り物と、同じくらい面会の申し込みが来ていた。
それら全てを断って、贈り物は全て贈り主に返し(匿名のもは怖くて受け取れない、とキース経由で宰相の下へと届けられた)キースの魔方陣で屋敷に戻ってきたのだった。
「しかし、もう必要がないと思っていたのですけれどね」
屋敷に新たに張りなおした結界に青年は肩をすくめる。面会と贈り物攻勢は、ここにも及んでいた。
「しかし、モナドの名前には呆れました。しかも、貴方方の保護も名乗り出るとは」
彼らの存在が政治的に利用できると踏んだのであろう。キースに自分の責任だから彼らを保護するのは自分の役目だといってきた時は驚いた。流石に呆れた国王から、正式に彼らはキースの保護の下に、この国での生活を保障する書類が届いた。
「モナドを止めるより余程簡単で効果的なやり方ですからね。流石に王妃さまも反省されたらしく、貴族たちに牽制しているらしいですよ。まぁ、ある意味逆効果でしょうけれど」
それだけ彼らが重要人物だと暗に示唆しているようなものだ。と、いうか人は物事を自分の都合の良い方向に捕らえたがる。彼らが王室の大切な客人ならば、自分たちもその恩恵に預かりたい、と。
「いっそのこと本当の事を言う、とかはどうだ?立場的に問題があるのならモナドの事は抜きにして」
「そうすると、今度は好事家の餌食ですよ。それでなくても二藍の容姿は王宮で話題になっていますからね」
エンデルクに付いて歩き回っていた姿は、それを見た者達から貴族たちに広まったらしい。
「お嬢様にお届け物でございます」
召使が持ってきた包みを見て、少女は顔を綻ばせた。
「誰からだ?」
「エドガーさんです。王弟殿下の侍従でいらっしゃる方です」
エンデルクと行動を共にしていた彼女がその侍従と知り合ったのは不思議ではないが、その相手が何故彼女に贈り物をしてきたのか、その理由がわからない。
その疑問をキースが口にすると、少女は中身の一つを手渡した。
「本…ですか。ああ、流石にこの類は家にはありませんね」
「王弟殿下の書庫にもなかったので、それを口にしたらエドガーさんがいくつか見繕って貸して下さるっておっしゃってくださったんです」
包みの中身はいくつかの本。恋愛小説を中心とした女性の好みそうな内容だった。
楽しそうにページを捲る二藍に、呆れたような笑いを浮かべて紫炎は軽く手を振る。
「部屋で読め。お前は一旦本を読み出すとキリが付くまで動かないから。こんなところで読まれたら迷惑だ」
頬を膨らませた彼女だったが、心当たりが山ほどあるので何も言い返さず、キースに声を掛けると自分の部屋へと戻っていった。
「気持ちは判らなくもありませんね。私も新しい魔道書が届くと寝食を忘れて読みふけりますから」
「あいつはもっと酷いぞ。いつだったか、公園で読み出して夢中になって、探しに行った俺にも気づかず、抱いて家に運んだんだが、運ばれた事も気づかずにいたからな」
「あれには笑った。『どうして私家にいるの!?』だったな」
これには流石のキースも呆気に取られ、ついで盛大に吹き出す。
ひとしきり笑って、青年は瞳を和ませた。
「エドガー殿は、お若い頃王宮の書庫に勤めて要らしたことがおありの方です。きっと二藍に良い本をお薦めくださるでしょう」
まさか、それがこの世界での毒薬に関する書物だとは誰も考えてもいなかった。
上手くカモフラージュされた中にあるその本には、古今東西(と、この世界で表現するかは兎も角)ありとあらゆる毒物に関して書かれてあった。
ある可憐な花を咲かせる植物から、ほんの数滴出る蜜には、何人殺すことのできる猛毒がある、とか。
動物が食しても大した事にはならないが、人が食べるとお腹を壊す効能がある植物や、ある生き物の臓器の一部が、皮膚から浸透する遅効性の毒だとか。
解毒方法のあるものはその説明まで懇切丁寧に書かれた本だった。
「でも、エドガーさん、どうやって入手されたんでしょう?」
ちなみに、その背表紙と始めの何枚かは、この世界で有名な悲劇の恋物語が差し込んであった。その内容は大まかに手書きで書かれて、自分の世界のロミオとジュリエットに良く似ていると二藍は思う。
(人の思考パターンって、異世界でもそんなに変わりは無いということですね)
自分たちに盛られていた毒のことはすぐに分かった。割とポピュラーな毒ではあるが複雑な効能と部位によっては薬にもなりうる植物を原料としたもの。
殺傷能力は低いが、使い方によっては副作用も強い。
流石に、ここまで複雑だと本当に自分を狙ったのか分からなくなる。
だが、二藍が考える程度の事は、エンデルクもエドガーも想定のうちだろう。
弱い毒とはいえ、その犯人が皇太子派とは限らない。
「ま、とりあえず今のところは傍観させてもらっていてもいいですよね」
ページを捲りながら、少女は笑いを口に乗せる。少しばかり火の粉が降りかかってきたとはいえ、未だ『対岸の火事』である。
24年という年月を王弟という立場で生きてきた上に、年の近い甥と王位を巡って対立をさせられようとしている人物ではある。それなりに身の処し方を知っている大人に余計な口を挟むほど、二藍は身の程を知らぬわけではなかった。
本音を言ってしまえば、そんな厄介ごとに首を突っ込む気など更々無い、と言うことだ。普通の生活が平穏な日常が一番。
しかし、彼女は忘れていたのだ、あちらの世界の自分の日常を。
自分が生きてきた世界の日常が、一般のそれと大きくかけ離れていることを。
そして、彼女の平穏を願った当の人物が策士であることを気付いていながら、失念してもいたのだ。