5話
案内されたのは至ってシンプルな内装の部屋であった。
印象として、校長室とか理事長室。大きな机の前に高級そうな応接セット。壁際には作り付けの大きな本棚。
その本棚の前にエンデルクは二藍を誘った。
「本来なら王室の書庫に案内すべきなのだが、あそこは陛下の許可がないと使用できない。悪いな」
男の言葉に少女は首を振る。
「ここは、俺が王宮に居る時に使う部屋だ。好きな本を選ぶといい」
と、いうことはこの本全てがエンデルクの私物なのだろう。多少気になる言葉がありはしたが、深く追求するべきではない、と考え口を紡ぐ。
彼女は、よく友人に「雑食」と言われる、読むものに対してジャンルを選ばないタイプだった。ライトノベルから、専門書まで。自分が面白いと思えばそれでいい、との考えは従兄に由来する。
彼女の従兄は表向き図書館の司書を勤めていた。裏の職業というか、本職は言うまでも無い。
それはさておき、エンデルクの本棚も多種多様な本が置かれていた。背表紙を見る限り恋愛物とかは無さそうだが、歴史書や軍記物、哲学書に経済学、流石といえば流石な内容だ。
ざっと見ていた少女の視線が、ある一点で止まる。
「これか?」
二藍の視線を追ったエンデルクは少し高い位置にあるその本を指差した。少女の首が縦に動いたので、取り出して渡す。
「神話か。興味があるのか?」
「はい、この世界の神様の位置づけはキースさんから伺いましたけど、こうして本になっているということはそれなりに伝承とかあるんだなぁ、って思って」
ぱらぱらと捲って、改めてキースの魔法は凄いと思う。部屋に置かれてあった絵本たちは、子供向けの文章で書かれたものだったので、どこか読めて当然、という気持ちがあったが、この本は古典的な文体で書かれているにも関わらず、すらすらと読むことができた。
他の本も同様である。中には違う言語の本もあったが、見知らぬ文字も気にならない。
(あ、これは辞書要らずかも)
とはいえ、いつまでもこの腕輪に頼っても居られないだろう。最低読み書きくらいはできるようにならないといけないな、と二藍は決心を固める。
「この本、お借りしてもかまいませんか?」
この厚みならそれなりに時間が潰せそうだ。それに、外面の良い紫炎なら兎も角、柘榴が社交場に長時間居られるとは思わない。
「構わない。好きなだけ…いや、それはお前にやろう」
え?と顔を上げた二藍にエンデルクは頬を緩める。
「先日怖い思いをさせた詫び、ということで」
口を開きかけた少女は、思いとどまるように口を噤んで暫く考えると、笑顔と共に男を見上げた。
「ありがとうございます。遠慮なく頂戴いたします」
「…その言葉遣い、なんとかならないか?」
首を傾げる二藍にエンデルクは苦笑する。男の表情で何かに気づいて、少女は困った表情を見せた。
「『ねぇちゃんは、虫にまで、ですますを使って話す』」
問いかける眼差しに、少女の笑いの質が変わる。
「弟たちがよく言うんです。何に対しても丁寧語を使いすぎる、って。でもこればかりは今更治せません」
二藍にとって、この話し方は思考と同一となっている。これが普段の自分だから諦めてくれと暗に言うとエンデルクも頷かざるを得ない。
扉を叩く音が聞こえ、侍女が食事の用意が出来たことを伝えるとエンデルクは、少女へと顔を向けた。
「この部屋で構わないか?」
「私は構いませんが、このお部屋で頂いてもいいんですか?」
「問題ない。食すのは隣の部屋だ。悪いが二人分こちらに持ってきてくれ」
深々と頭を下げ、侍女が部屋を出て行く。さほど時間をおかずに、別の侍女と共にトレイを押してやってきた。
控えていた侍従が続き部屋の扉を開ける。
隣の部屋に案内されると、6人がけのテーブルが置いてあった。
暖炉の上にはこの国の国旗と剣。いかにもな部屋に小さく笑いが漏れる。
「軍の会議室と執務室をかねている部屋だ」
先程の部屋と同じように、窓際に大きな机が置いてあり、その隣に小さな机が並んでいる。おそらく秘書とか副官の机だろう。
テーブルに並べられた食事を見て、二藍は微かに眉を寄せた。
内容は豪華だ、手が込んでいるのは見ただけで解る…そしてこうなった理由も想像がつく。
お家騒動の最中の王族の食事。江戸時代の将軍家でもあった話だ。
椅子を引いてくれた侍従に会釈すると正面に座ったエンデルクに視線を向けて姿勢を正す。男が軽く頷くと少女は手を合わせて『いただきます』と呟いた。
「それがキースの言っていた、食事の前の挨拶か」
一体どこまで報告されているのだろうと考えつつ、二藍は「はい」と返事をして、前菜用のフォークを手にした。キースの家では、本人の希望も合って普通の家庭料理がでてくるが、きちんとしたディナーはフランス料理に近い形式だ。
王宮を訪ねる前に、基本的なマナーはマーシャから教えられていたが、『人間』が食べる食事は使う食材や道具の差異こそあれ、変わりは無い、ということなのだろう。
食事のマナーは「憶えておいて損は無い」という、両親の方針で和洋中一通り身についていた。ナイフとフォークでバナナも葡萄も食べれることが出来るのは、実は密かに自慢だったりする。
(外見と服装で)幼い少女のきちんとしたマナーに侍従が驚きの表情を見せるが、それに気を悪くした様子も無く、少女は淡々と食事を進めた。
エンデルクに比べれば量も少なく、子供用にアレンジしてある辺り、流石王宮だと二藍は感じる。例え、毒見の為に冷たくなった料理でも、十分に味わいがある。これが温かかったらさらに美味しいだろう。
非公式であれ、王妃の客で、王弟が付き添っている相手に手を抜くことはしない。きちんと教育がなされているなぁ、などと呑気なことを考えながらデザートに進んだところで、少女の手が止まった。
「どうした、フタアイ?」
はっとして顔を上げた少女は、首を振って笑顔を見せる。
「このケーキ、すっごく手が込んでいるなぁって思ったんです。崩すのがもったいなくて、どこから手をつけて…って、きゃっ」
考え込んで手が滑ったのか、皿のケーキがテーブルに横滑りしていった。眉を八の字にして情けない顔で侍従と侍女を見ると、彼らは微笑んで首を振った。気にするな、ということだろう。
彼らにしてみれば、王妃の客人で、それなりの家柄とはいえ、幼い少女が完璧に近いマナーをすること自体が非日常だったのだ。
他の貴族の令嬢たちのように出された食事に文句を言うことなく、出された品々に「おいしい」と言って笑顔をみせる少女に、好感を持って接していた。この程度の失敗は、微笑ましくさえある。
「すぐに代わりを持ってまいりますね」
侍女に「ありがとうございます」と礼を言って、少女は首を振る。
「せっかくですけど、いいです。お腹一杯で、これ以上食べると横に育って行きそうで怖いです」
「もう少し縦にも横にも育つべきだと思うが?」
笑いを滲ませたエンデルクの言葉に少女は頬を膨らませる。
しかし、それ以上に周囲は普段見ることが出来ない穏やかな表情のエンデルクに驚いていた。
「では、私も止めて置こう。エドガー、すまぬが彼女に何か果汁と、私には茶を持ってきてはくれぬか?」
立ち上がったエンデルクに、エドガーと呼ばれた侍従は頭を下げた。少女の椅子を引くときちんと礼が
返ってくる。軽く目を細めて、彼は頭を下げた。
「後で、あのデザート調べたほうがいいです」
差し出された手に自分の手を重ね合わせ、歩き出した少女は、隣の男にしか聞こえない小声で囁いた。
一瞬目を見開いたエンデルクだったが、お茶の支度に下がろうとしたエドガーを呼び止め耳打ちする。
息を飲んだ侍従ではあったが、すぐに平静の顔となり頭を下げた。
「ああ、フタアイ」
「はい?」
エンデルクに背を押される格好でエドガーに体を向けた少女は、不思議そうに二人を見比べる。
「この男なら大丈夫だ、憶えておいてほしい。エドガーも同様に」
エンデルクの言葉に少女は笑顔を、エドガーは驚きの表情を見せる。
「エンデルクさま…このお方は」
「…そうだな、私の友人、という事にしておこう。どうだろうフタアイ」
「光栄です」
悪戯っぽい口調のエンデルクに笑顔で応える少女を見てエドガーは目を細めた。暫くぶりに見る主のリラックスした表情に安堵の息を吐く。
隣の部屋に移っていく二人に腰を折り見送るエドガーの口元には、彼自身久しぶりの穏やかな笑顔が浮かんでいた。
いい加減、他の女性の登場人物も出したいです。