4話
王宮の三階に位置するその部屋は、絶好のビューポイントだった。
元々高台にある王城は、眼下に城下の町並みがあり、周辺の自然を余す事無く見ることができる。
それは、ある意味遠くの敵も察知できるという戦時下の優位も指す。
こうやって高い場所から見ると良く解る。王都は大きく3つに仕切られていた。
遥か彼方の外壁の外はうっそうとした森。多分あれが自分たちが現れた場所だろう。すぐ内側は牧草地帯だと侍女が教えてくれた。
(日本のお城でいけば、内堀みたいなものでしょうか?)
二藍がそう考えた壁は、外壁と平行に街の周囲を囲んでいる。
と、いうよりは壁に沿って町並みが作られていったのだろう。場所が異なっても街の発展に大きな差異は無い。
港町なら、港沿いに。
城下ならば、王宮を中心に。
日本でも、何も無い田園の真ん中に病院や役所が立てば、あっというまにその周囲は発展する。
「まず、城ありき、ですか」
「そうだな」
ふいに聞こえた声にはっとしてそちらを振り返った彼女は、この時間、ここにいるはずが無い相手に目を見開く。
「王…弟殿下?」
少女の表情に笑顔を向けるとエンデルクはテラスの手すりから軽々と彼女が居るテラスへと飛び移った。
推定身長190cm強。身長に見合う体つきは筋肉質だ。太くは無いが、決して細身とはいえない。
先日出合った時とは違い甲冑は身につけていないものの、腰に下げた剣は決して軽くはなさそうだった。
(っていうか、それ以前に三階ですよ、ここ)
そう思ったものの、良く考えれば相手は魔法使いだったと思い直す。
「今宵の警護を承った、エンデルク・ルーデル・ウエリントンだ」
優雅に腰を折る様は流石王族といったところだろう。しかし、今夜の夜会は王妃主催と聞いている。ここに居るのは問題なのではないかと思い、疑問を口にすると男は手すりにもたれかかり肩をすくめる。
「エルリックとは違い、私に義務は無い」
エルリックとは皇太子の名前だ。
(義務…ですか)
そういえば、貴族のお嬢様たちが招待されているようなことを、王妃が言っていたのを思い出して、心の中で溜息を一つ吐く。
何となく、今日の夜会の目的が見えてきた。心の中で、紫炎と柘榴にエールを送る。
改めて居住まいを正し、目の前の青年に深々と頭を下げた。
「先日は危ないところをお助けいただいてありがとうございました。お礼も申し上げず失礼しました。ファリス家でお世話になっております、フタアイ・クヨウと申します」
「話はきいている。名で呼んでもかまわぬか?」
「どうぞ、殿下」
「では、私の事も名で呼んで欲しい」
いやいやいや、いくらなんでも王弟殿下を名指しだなんて、恐れ多い。などと彼女が考えていると、男の手がそっと背中に回される。
さりげなくエスコートする様も堂に入っている。ふと男は部屋の中に誰も居ないことに気がつき、眉を寄せた。
「侍女はどうした?」
「下がっていただきました。夜会の支度で忙しそうだったので」
口を閉ざし考え込んでいるエンデルクに少女は笑顔を見せる。
「私がお願いして下がっていただいたんです」
視線を二藍に合わせ、暫く彼女を見つめていたが、その瞳をすっと細めた。
「ひとつ尋ねてもいいだろうか?…そなた、年はいくつだ?未成年とはきいてはいるが」
「未成年ですよ。少なくとも私の生まれた国では。この国の成人がいくつか存じませんでしたので。ただ、実年齢を直接聞いてくる方がいらっしゃらなかっただけです」
「上手いやりかただ」
はじけるように男が笑った。何事かと外で待機していた騎士達は、少女の部屋に居る相手に気付き居住まいを正す。それに手を上げて応えながら、男は彼らに元の場所に戻るよう指示した。
「年は17…クーラになれば18になります。日本…生まれた国では20が成人なので」
「成る程。この国では男女問わず16で成人とみなされる」
なんとなく、想像はついていた。しかし、先日街に出た時にも思ったが、外見的に自分より年上に見える少女達が未成年の証である膝丈のスカートを履いているのを見てしまっては、何も言えなくなる、というものだ。
立ち話もなんだからと、男にソファを勧め、お茶を入れる。
火属性の魔法を掛けられたポットは、長時間お湯を保温できるアイテムだ。こんな風に日常に魔法が使われていては、科学方面に文明が発達しにくいのも頷ける。
火を熾すにしても、火打石→マッチ→ライターという、発明における進化の変わりに、こちらではより使い易いようにと、魔法の道具が進化する。
まぁ、科学の発達も善し悪しよね。などと達観した考えを持ちながら、二藍は自分の分のカップを手にして、男の前に腰を降ろした。
元々友人間でも聞き手に回ることの多い彼女なので、沈黙は苦にならない。目の前の男も決して饒舌なタイプだとは思えなかった。
ふと、疑問に思っていたことが頭の中を過ぎる。訊くべきか、やめようか悩んでいると、それまで腕を組みソファに身を預け瞳を閉じていた相手は、その青い瞳を少女に向けた。
気配だけで相手の機微を悟ったと言うことなのだろうか。先日の剣技や先程の動きといい侮れない相手だと二藍は思う。
「問題があることなら、お答えいただかなくてもいいんですが」
視線だけで意志を伝えようとする相手に、どこかで居たな。と、幼馴染の一人を思い出し苦笑しながら彼女は、言葉を続ける。
「キースさんは、エンデルクさまの事を『閣下』と呼んでいらっしゃいましたが、何故ですか?」
ああ、とエンデルクは口の端を軽く上た。
「王国には3つの騎士団がある。それを束ねる将の役職を拝命しているからだ」
将軍閣下、の『閣下』なのだろう。先程自分に対しても名前で呼ぶよう言った相手だ、『殿下』と呼ばれることが嫌なのかもしれない。そう結論付け、二藍は頷いた。
しかし、暇だ。
黙っていることは苦痛ではないが、何もせずにじっとしていることは得意ではない。
「お願いがあるんですが」
相変わらず視線で促す相手に少女は思い切って口を開いた。
「本を読みたいんです」
「本?」
首を縦に振る二藍に、エンデルクはふむ、と頷く。
口数が多くない、というか周囲にはもう少し言葉で意志を伝える努力をしろ、とよく言われるので自覚はある。
そんな自分と一緒なのだ、退屈していても可笑しくは無い。
ふと、この部屋を見回して成る程、と思う。
王妃の指示で侍女がいくつか『暇潰し』と思われるものを持ってきてはあった。貴族の子女がよく行なうと言われている、刺繍やレース編、そして何冊かの…。
「童話、か。お前の年では退屈だろうな」
男の言葉使いがぞんざいになっているのに気が付きはしたが、これが素かもしれないと結論付けてスルーした。
「面白かったですよ?」
と、いう事は全て読んでしまった、と言う事なのだろう。対象年齢は遥かすぎているが、それでもそれなりの量はある。
「…よかろう、付いてくるがいい」
立ち上がった男は、膝丈の少女の服を見て苦笑を浮かべた。
「『向こう』では、これが普通の長さですよ?」
エンデルクの視線に気が付いて、二藍がスカートの裾を少し持ち上げた。
「っていうか、もっと短いものの方が主流です」
少女が上げて見せたスカート丈に、男は目を見開き、大きく息を吐いた。
「…とりあえず、他ではやるな。先日の人買い組織は壊滅していないからな」
はい、と素直に頷く二藍に、少しばかり疑わしそうな視線を向けて、エンデルクは外に居た騎士に言葉をかけ、扉を大きく開けさせた。
通路側からは、暮れ始めた複雑な色合いの空が見て取れた。ヨーロッパの古城にある窓ガラスの無いむき出しの通路には、結界が張ってあって、風雨を防止しているとキースが教えてくれた。
呼ばれる声に、我に返ると二藍は騎士達に頭を下げてエンデルクに向って歩き出した。