エピローグ「忘れられた谷のティータイム」
あれから、十年。
大陸の情勢はアストレア帝国を中心に、穏やかな安定期を迎えていた。私とジークハルトが推し進めた数々の改革は人々の暮らしを豊かにし、国境を越えた交流を活発にした。
そして、私は今、久しぶりに懐かしい場所へと戻ってきていた。
独立領ヴァレンシュタイン――忘れられた谷。
「おかえりなさいませ、イザベラ様」
すっかり壮年の男性となったティムが、深々と頭を下げて私を出迎えてくれた。彼は今や、この谷の運営を担う立派な執政官だ。
谷は、私がいた頃よりもさらに発展していた。街並みは美しく整備され、学校や病院などの施設も充実している。だが、流れる空気は昔と変わらず、のんびりと穏やかだった。
私は、かつて自分の執務室だった建物のテラスで、お茶をいただくことにした。アンナが、慣れた手つきで私の好きなハーブティーを淹れてくれる。
「イザベラ様! お久しぶりです!」
そこに、エルスリード王国から休暇を取って会いに来てくれたカイが顔を見せた。騎士団長の風格も、すっかり板についている。
「カイ殿。お元気そうで、何よりです」
「あなたこそ。相変わらず、お美しい」
彼は、少しだけ顔を赤らめた。相変わらず純情な人だ。
「そういえば、アラン大使もこちらに来ているそうですよ。最近、帝国の貴族のご令嬢と婚約されたとか」
「まあ、それは、おめでたいことですわね」
皆、それぞれの場所でそれぞれの幸せを見つけている。そのことが、私には何よりも嬉しかった。
しばらく昔話に花を咲かせていると、遠くから聞き慣れた騒がしい声が聞こえてきた。
「イザベラ! どこだ! 私を置いて、先に行くとは、ひどいじゃないか!」
ジークハルトだ。彼は、帝国の皇位を息子のアルフレッドに譲り、今は上皇として悠々自適の隠居生活を送っている。……と言いたいところだが、実際は私にべったりで、どこへ行くにもこうしてついてくる。
「うるさいですよ、あなた。少しは、落ち着きというものを覚えてください」
私が、やれやれとため息をつくと、彼は私の隣の椅子にどっかりと腰を下ろした。
「君がいないと、落ち着かないんだから仕方ないだろう」
悪びれもせずに、彼は言う。十年経っても、この甘くて迷惑なところは全く変わらない。
「まあまあ、旦那様。イザベラ様も、お喜びですよ」
アンナが、くすくすと笑いながらジークハルトにもお茶を出す。
カイが、そんな私たちの様子を穏やかな笑みで見つめている。
ティムが、谷の今後の発展計画について生き生きと語り出す。
テラスには温かい日差しが降り注ぎ、心地よい風が吹き抜けていく。
ああ、なんて幸せな時間なのだろう。
悪役令嬢に転生し、断罪され、追放されて。面倒なことばかりの人生だった。
でも、その果てにこんなにも愛おしい日々とかけがえのない宝物に巡り会えた。
「ねえ、ジーク」
「なんだ?」
「私、今、とっても、幸せです」
私の不意打ちの素直な言葉に、彼は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、そして今まで見た中で一番優しい顔で笑った。
「ああ。俺もだ」
私の、波乱万丈な物語は、こうして最高のハッピーエンドを迎え、その物語はさらに先へと続いていく。
面倒だけど、愛おしいこの日々が、永遠に続きますように。
そう願いながら、私は温かいハーブティーを、ゆっくりと味わった。




